- 2011年7月24日 14:50 CAT :
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なぜ僕にまで銃を持たせるの?
昨日、不意に梶原一騎の娘の誘拐拷問殺人事件について、色々と調べてしまった。
そうして、状況が頭の中でグルグルと周り、結局何だか、眠るに眠られなかった。
拷問ネタが好き。
人間はどこまでやれば死んでいくのかを考える事が好き。
実際に、昔の拷問の歴史を読み解き、それでも死なない人間の生命力に感嘆したり、妄想を膨らませたり・・・そんな事を良くしている。
メル・ギブソン監督の「パッション オブ キリスト」)だっけ(?)も、宗教的な性質をほぼ無視した上で、リアリティのある拷問を見せる映画として何度か見た。
・・・その結果、毎回うなされたりするけど。
それでも、拷問ネタが好き。
だった・・・はず。
なのに、つい最近(と言っても、10年以上前だけど)、何も知らない17歳の女子高生(しかも、処女)がこんなんなっちゃった・・・となれば、それを妄想し、それがリアルになればなるほど、どうしようもない感情がとめどなく溢れてくる。
うなされる。
今、何だか胃が痛い・・・
生きてる状態で、耳に爆竹を詰め込まれて、鼓膜が破裂したらどうなるんだろう・・・
まんことアナルに鉄パイプをぶち込まれて、直腸を突き破られたらどうなるんだろう・・・
手を足の全ての関節を脱臼させられたらどうなるんだろう・・・
生きたまま目玉を繰り抜かれたどうなるんだろう・・・
腹を蹴り上げられすぎて肝臓が破裂したらどうなるんだろう・・・
そして、それでも死ぬ事が出来なくて、結局は、角材に縛り付けられて川に流され、窒息死なんて・・・この瞬間、彼女は一体何を思っていたんだろうか。
どす黒い妄想は際限なく広がっていく。
「ブラッドハーレーの馬車」なんて、序の口。
それをはるかに超える事実が、この世界には、どす黒く横たわっている。
数限りなく・・・そんな事を、まざまざを考えさせられた夜だったです。
関係ないけど、沼レコのURLが変わったよぉ。
その内、旧URLのデータは死んでもらう事になるだろうから、(もし、ブックマークしてるようなキチガイが居たら)その辺の修正をやっておけよ。
オレは知らんよ。
新しいURLは(↓)
https://numareco.myff-sk.com/ - この記事を見てみる ⇒
月別アーカイブ: 2011年7月
- 2011年7月23日 23:07 CAT :
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僕の姉さんと恋に落ちました
特撮の「5年後の世界」から始まって「蔦からまるQの惑星」に行き「シーズン2」を聴いていると、不意に昔の「ノーマンベイツ」を聴きたくなって「仏陀L」を聴き、今は、「ナゴムコレクション」に行き着いた。
と言う、物凄く自然な流れの中、やっぱり最高のバンドは「筋肉少女帯」だと切に切に思う。
多少の浮気はあっても、そこだけは普遍なんだろう。
うんうん。
色々と書き綴りたい事がココ最近あったりもしたんだけれども、今は、そんな気分じゃあなくなった。
ただ、砂となるだけの時間へ突入していく。
そして、泥になる。
干からびた水は、いつか砂漠を作り出すんだろう。
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- 2011年7月19日 21:21 CAT :
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ただ殴る事でしか君を愛する術を持ちやしない男
基本的にワールドカップ時には、いつも周りから非国民扱いばっかりされるオレだけど、それでも、今回に関して、所謂「なでしこジャパン」について、何か、特に何もない。
すげぇなぁ~と言う気持ちと、蓮舫はやっぱり死んだら良いのにと言う気持ち位しか持ち合わせていない。
【その者、青き衣を纏いて 金色の野に降り立つべし】
姫さまだ。姫姉さまだ。
顔面は、エアーズロックかも知れないけれども、紛う事なき姫さまだ。
と言う事で、ただ、すげえだけなので、コケ下ろすわけでもなく、こっから後は、単なる惚気になる可能性が高いので、興味ない奴は、ブラウザを閉じればいいんだ。
この、うんこ野郎。
さてさて。
今、日本で一番検索されているだろう「なでしこ」と言う言葉。
元々は、当然のこと「大和撫子」だけれども、果たして、今、この日本に「大和撫子」なんて、存在するのか?と考えて見た。
一番簡単な模範解答は「へうげもの」に出てくる織部の妻「千」。
彼女こそ、誰憚ることなく声高に「大和撫子」と言って良い存在だと思う。
ので、その180度反対に居る、大和撫子じゃない女にスポットライトをあててみる。
○カラータイツをはいている。
○レギンスをはいている。
○彼氏(結婚相手)を改造しようとしている。
○自分のエゴを正当化しようとしている。
○口が悪い。
○節約を強制する。
○高級志向が強く、一定のブランド物を所持したがる
○うまい飯が作れない。○男を尻に敷いている事を人前で自慢する。
○人と比べたがる。
○凛としていると我が強いを勘違いしている。
○基本的に無能。
この中で、ひとつでも当てはまる奴は、多分、大和撫子じゃあない。
2つ以上当てはまる奴は、日本女性とは言えない。
全部当てはまる奴は、取り合えず女として終わってる。
・・・と、独断と偏見で妄想して見た。
所が、そう考えた時、もう、大和撫子はキッとこの世から絶滅してしまった事が分かってしまった。
この前、テレビで「夫婦関係をうまくいくためには、男をいかに操つるか。」を特集していた。
そんな感覚がまかり通っている。
どころか、それが、当たり前として公共の電波で垂れ流されているこの国には、もう、大和撫子なんて存在しないんだろう。
一体何様なんだ。
たかが、まんこがあるだけで、何でそんな偉そうに出来るんだ。
男あっての女。
女あっての男と言う、有史以来の関係が今となっては、破綻してしまった。
ただ、オレの嫁を除いてな!!
・・・と言う、惚気です。はい。
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- 2011年7月19日 0:41 CAT :
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はるかなる旅路。さらば友よの巻
スティールボールランを読み終わった。
んで、少しだけ感想を・・・
ネタばれを含むので、続きにでも書いときます。
未読の奴は、絶対に見ないで、今すぐ本屋で全巻そろえることをオススメします。
人生を無駄にしたくないのであれば・・・
携帯から見てる奴とか、MIXI経由で来た不届き者とか、人生を無駄にして早く死んでしまいたい奴は、未読のままでもGoGoだ。
(↓)
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- 2011年7月18日 0:03 CAT :
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年増の踊り子たちがあたしを笑うの
説明しよう。
志茂田さんは、セックスをする度に、何だか腹筋を酷使して、ちょっぴり腹筋が割れてくるのだ!!
こんばんわ。白豚です。
嫁に、昔、遠距離片思いをしてた時に書いた曲を聞かせて見た所、ちょっぴり笑えて、ちょっぴり泣けて、ちょっぴり別の女のために書いた曲である事にイラッとしたみたいだった。
そんな曲を書いてた時期だってあったりする。
書こうと思えば、書けるんだい。
別に、絶望的なものしか作れないわけじゃあないんだい。
と言う事で、そんな話を少しだけ膨らませてみよう~(↓)
そもそも、世の中に溢れ返って辟易する恋愛の歌なんて、その9割が捏造か妄想だと思っている。つんくが、図書館でバイトしてた女の子と夏男の恋愛を体験していると、オレにはどう頑張っても信じられない。
創造と言うか、想像と言うか、妄想だと思う。
山崎まさよしだってそうだと思う。
(一部違うような気もするけど・・・)「新興宗教オレ教」とか「生きてあげようかな」とかは、実話のような気がしている。
恋愛をネタにして曲を書くことなんて、ビックリする位簡単なことで、しかも、よく分かるようで、実は意味のない薄味の妄想を歌詞にして、不特定大多数に垂れ流せば、その中の何人かは、それに引っかかるだろう事は、火を見るより明らか。
エセ占い師と同じですな。
「あなたは今、悩んでいますね。」と言えば、この世に悩みのない奴は居ないし、そもそも悩んでない奴は占い師のもとにはやってこない。
んで、「大きな決断が待ってますね。」と言えば、悩みなんて基本的に決断を伴わないものはないわけで、ほぼ100%当たっている・・・
言って見ればそう言う歌だ。
ところが、世の中には、そんなものでは括れないとてつもない恋愛の歌だって存在していたりする。
それが、実体験に基づく恋愛の歌。
それはもう、何と言うか内容が濃いので全然、内容には共感できないんだけれども、その中からあふれ出てくる感情に共感せずにはいられなくなって、結果、泣いてしまう。
とか、感動してしまう。
そんな歌が必ず存在している。
それも、結構な数。
と言う、話。
ちなみに、西野カナは全部妄想ですよ。
もし、全部実話だとしたら、ただのヤリマンですよ。
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- 2011年7月17日 0:50 CAT :
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ローライズ過ぎてまん毛のはみ出た女のいる世界
TAIJIが死んだ…と言う。
曲作りとかしてた時にはよく「TAIJIみたいなベースラインを作れ」みたいな事を言ってたりもしたんだけれども…いや、凄い天才がまたひとり居なくなってしまった。
しかし、何か凄まじく中二病な人生だと思う。
中二病な奴が理想とする生き方を地で行ったような感じがする。
きっと、これで良かったんだろう。
さてさて。
昨日の夜は会社の皆さん数人と飲みに行きぃ~のした。
たまには、そんな事もしてみたりする訳ですよ。
まぁ、いつものあいつ等が横の席にいた「今日はおかしいのか?」と思うくらいに大人しくはしておりますが、それでも、楽しく話したりしっかり出来ましたよ。
エエできましたよ。
内容については、実は結構酔ってたもんであんまり覚えてないけど、取り合えず現状への不満をタラタラとのたまったの世界だったような気がする。
多分な。
知らんけど。
んで、今日は今日で、知り合いさんが出店してたマルシェに行ったり、知り合い(と言っていいのやら…)こ出品してた作品を見に行ったり、ところてん食べに行ったりと1日中ブラブラ遊んでた。
最近、チョイと創作活動はお休みして、そんなよく分かんない、ダラッとした休日をよく過ごしてる。
何か、技術を磨くことに嫌気がさしたりしてる今日この頃。
明日は久々におうちで色々もの作りでもしよう。
と言いながら、ジョジョを読みふけってるかもしれない世界かもな。
影響を受けるので敬遠したい作家の話はまた次回なりよ。
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- 2011年7月14日 23:03 CAT :
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ジルバを踊ろうダイナメーション
夢を見る。
起きているこの瞬間に夢を見る。
そして、実はこの現実こそが、本当は夢だった事を知る。
と言う、夢を見る。
と言う、夢を見る。
と言う、夢を見る。
と言う、夢を見る。
と言う、夢を見る。
と言う、夢を見る。
永遠に続く因果の世界は、まるで日野日出志の書く「悪魔の招待状」であるかのように。
隣に居る誰かに声をかけたとて、本当に、その人はそこに存在していて、発した声は、空気を本当に振動させ、その人の耳の中にある鼓膜を震えさせたのか。
そんな事、誰にも、分かるはずもない。
昔には、「生きている。」と言う、事実を探る事に必死だった時期もある。
そのために、自分を傷つけたり、おおよそ生きていけるはずも無い睡眠時間で何ヶ月も生活したり・・・
痛いし、眠いし。
そうして、生きている。
今となっては、また別の「本当に存在しているのか」を追い求めるようになってきた。
ちょっぴりだけど。
存在しているのか、存在している何かに影響を与えることの出来るものなのか。
深く深く考えて見る。
オレが、誰かに話した言の葉は、キッとその人の人生を深く変えるような事もなく忘れ去られていく。
オレの言の葉には、そんな力しかない。
なにせ、昨日、大阪に出張している時、チョッと時間が余ったので、本屋さんに立ち寄った。
目的は、「零」の連載開始を確認する事だったんだけど、マンガ雑誌は全部ビニールかけられてんの。
さすが大阪。
立ち読みは許しまへん。
そんな事されたら、商売あがったりですわ。
と言う事だろうか・・・ドケチ根性満載でお送りしていた。
しょうがないから、自己啓発本のコーナーでも覗いてみた。
「朝、10分でリッチになれる方法」「大切な記憶術」「40の成長」「人生を成功に導く100の言葉」などなど・・・いくらでも本がある。
こんな本を書いてる段階で、著者自体がしっかりとした自己啓発が出来ていないわけで、そんな奴の書いた本に何の意味もない。
そもそも、自己啓発なんて、10人10色。
一人一人方法が違う。
大きく括れる普遍的なものなんてない。
こんな本買ってる奴はキッと藁にもすがる思いなんだろうな。
または、本当に何も考えられない究極のアホか。
そんな奴は、意識的にか、無意識的にか、自分が存在している事に自信がないんだろう。
自分の言葉で、行動で、気持ちでどうにもならない会社に、社会に、家族に、友人に・・・誰にも、何にも影響を与える事の出来ない自分を少しでも変えたくて、こんな本を手にする。
そうして、自分には当てはまるはずのない無意味な時間を延々過ごして、本当に、誰にも影響を与えられない祖霊となる。
あぁ~祖霊となってしまいたい・・・
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- 2011年7月13日 21:17 CAT :
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キレイに洗わないとクンニはしないよ。宣言
この世には、理不尽なことばかりがまかり通っている…と、思っている志茂田さんです。
あぁ、誰かを恨みたい。
妬みたい。
憎しみたい。
考えてみた。
オレの行動の原点は、恨みであり、妬みであり、憎しみだった。
学生時代には、絶望を味わう度に、それを妄想の中で相殺する事だけを生き甲斐に、オナニー作品を作り続けた過去がある。
社会全体への憎しみが「夢喰いバクヲ」を生み、リア充への妬みが「ドリームインドリームインドリーム」を生み、特定個人への恨みが、「永遠の向こうにある果て」を産み出した。
なのに、今。
生きていく上で、憎しみも妬みも恨みも消失してしまった。
あまつさえ、今の生活を幸せだと思ってしまった。
そうして、志茂田さんは死に絶えた。
思えば、殺意衝動だけで生きてきた。
それを失った今、一体何を持って作品を産み出せばいいのやら…迷走の中にいる感覚をひしひしと感じております。
いまはただ、草加とシナチクの絶滅だけを祈る、鳥肌実の1ファンに成り下がっております。
誰かを殺したいとも思わなくなったし、自分を傷付けたいとも思わない。
ただ、この幸せな生活を永遠に続けていきたい。
そうして、たどり着いた今の心持ちは、実は、極端な差別意識だったりする。
世の中的に、不道徳と言われる差別表現を声高に叫びたい。
昔から、多少はあったこの感覚を、今はただぶちまけたい。
新作として、「目暗と聾のラブゲーム」「てんかんの気分転換」「手のひら収集家の末路」「処女はアイアンメイデンにいれて殺すに限る」「観客3人のライブイベント」などなど、確実に世間から糾弾されるネタが次々と浮かんでくる。
幸せとは、差別表現をネタにして笑える世界にこそ存在すると、信じております。
かつて、人格否定からの存在否定を受けていたオレが、今、それを笑ってもらえるようになって、幸せになったと言う実体験を何だか、伝えたい。
「コイツ目暗なんで」
「うわ~あほちゃ~ん」
「うるさい。その分耳は人より聞こえるわ」
そんな会話が出来る日が来る事を切に祈る。絶望を知ることは、ゆくゆくの幸せをさらに増幅させる。
ん。
酔ってるので、何だか支離滅裂だ。
こんな、酔っぱらいの戯言に感銘を受けた奴がもしいたら、そいつの人生は半紙より薄っぺらいので、今すぐ死んで、来世、ダンゴムシとして人生をやり直すことをおすすめします。
イエイイエイ遺影。
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- 2011年7月11日 0:05 CAT :
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夏花火メタルとぬんちゃくのうんこ
今日は、久々に会う高校時代の先輩さん・・・と言うか、(多分)初恋の人と
不倫デートに行って来た。んで、そのあと、嫁とデートに行って、夜、今年初めての花火を海で嗜んで今、帰ってきた。
そんな感じの1日でした。
そして、今晩、不意に開いた昔使ってたフリーメールのボックスの中。
「そういえば、あのアドレスまだ残ってんのかなぁ~」と何とはなしに、開いてみて、ふと、下書きが10件ほどあった事を見つけた。
何かと思えば、まだ嫁と付き合い始めた頃、アイツに宛てたメールの下書きだったわけで、そいつを思わず、目を通してた。
今まで。
内容は、痛かったり、あまりにもプライベートすぎて公表など出来るはずもないけれども、読んでいた時に、その当時の思い出がびっくるするほど頭の中に広がってきた。
特に、大学を卒業して、それまで一人暮らしをしてた下宿を出る最後の夜に書いたひとつのメールが・・・付き合い始めの頃、考えて見れば、その部屋には最近、すっかり忘れかけていたけど、思い出が山のようにあったりする。
その時の気持ちを異常なまでに鮮明に蘇らせてくれた。
誰も知らない。
2人しか知らない。
そんな歴史が、なんだかんだで、積み重なって今年8年。
あっという間だった用ように思えても、その間、確実に時間は経って、何かしらを積み重ね続けてきたみたい。
思い出が止めどなく溢れてくる。
溢れてくる。
溢れてくる。
このメールの内容については、半永久的に保存しとかないといけない。
断捨離なんて、あほのする事だ。
オレには、どうしたって捨てられない宝物が、物質でも、思い出でも、データでも数え切れないくらいにある。
そんな流行でポイポイ捨てられるような、薄っぺらい思い出ばかりじゃあない。
そうして、後一日で死ぬような時にあって、改めて読んでみるんだい。
その時に、横で死に掛けてる嫁が居たら、それで何だか、この人生も悪くなかったような気がして、そのまま2人で一緒に目を閉じてしまおう。
少しだけ、妄想に浸る夏の夜。
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- 2011年7月6日 21:57 CAT :
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殺害3秒前の遺書朗読
この世の絶望を全て、吐き出してしまい、それを一列に並べる。
そこを歩く人は、その絶望を仮想体験しながら、いつ終わるともない絶望に酔いしれ、やがて、生きることの意味を見失い、自殺する。
そんな素敵な「絶望の道」の妄想に取り付かれている今日この頃。
こんばんわ。
志茂田さんです。
実は、ココの所、オレは、人生の「撤収の時間」に差し掛かっている。
・・・様な気がしている。
これまでの「創造の時間」は終わり、これまでに作り上げた、例えばマンガであったり、例えば小説であったり、例えば音楽であったり、例えば演劇であったりをひとつひとつキレイに完結させていく時間。
新しいものを生み出す必要のない時間。
何だか、ひとつ。
ぷっつりと終わってしまったような感慨に打ちひしがれているわけですよ。
ココに来てふと思う。
これまでの生きてきたその一点一点において、何かしらを想い、何かしらを感じ、何かしらの形で生み出されたそれを、当時の事に思いをはせながら、改めてなぞり、そうやって、ひとつひとつを、当時出来なかった完全な形に作り上げていく作業。
なかなか、爽快だったりする。
まだ、先は長いけれども、この「撤収の時間」のあとにあるものが一体何なのか?よく分からないけれども、そんな事は、取り合えず今の所は、おいて置いて、何とはなしに、ひとつずつ。
ひとつずつだ。
明日、死んだとしたら、この文章は遺書になれば良いと思う。
でも、明日死ななかったのなら、また別の何かに少しだけ遺書を書こう。
そうしよう。
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- 2011年7月5日 22:04 CAT :
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手足のない目をつぶされた声も出ない夜
近々、「ブロマガ」を発行して見ようかと画策してたりする。
このブログ自体、基本的に誰でも見られるわけで、やっぱりどうしたって、人の目を一瞬気にしてしまう中で、書けないネタもある。
そいつを、残しておく意味でも、思いっきり、ぶちまけてやろうと。
ただ、色々問題がありそうだから、普通に誰の目にも見られないように。
金払えば、読めるけど、金払う奴なんかいないだろう。
そう考えての暴挙だったりする。
いよいよ、あのネタを解禁するときが来たわけだよ。
ワトソン君。
さてさて。
丸尾末広氏の書く、まったく新しい「芋虫」を読んだ。
原作は、言わずと知れた江戸川乱歩の大名作「芋虫」。
こいつを読んだ事ない奴、ちょっとどうかしてるぜ。
と、偉そうに上から目線でのたまいたくなる。
そんな名作。
ぜひ「蟲」と共に、未読のうんこ野郎は読めば良い。
で、この「芋虫」。
素晴らしいディティールと圧倒的完成度を持つ傑作だった。
もう、面白いとか、感動するとか、そう言うレベルの作品じゃあない。
どうかしちゃってる作品だと思う。
江戸川乱歩の世界を表現する。
と言う、とてつもない難題に、真正面からぶつかっていき、そうして、引き分けぐらいには持ち込んだんだろう。
そんなイメージの作品。
(「乱歩地獄」における「芋虫」は、あえて、真正面からぶつからずに、横道から攻め込んだ快作として・・・)
兵頭和也風に言えば「一線を画す純愛ストーリー」だ。ただし、それは「愛よりも剣」ではなく「芋虫」が。
だけれども。
人を愛すると言うことは、キッとこう言う事なんだろう。
人間の本性は、断末魔に現れるんだ。
そうなんだろう。
福本先生よ。
「5年後の世界」を聞きながら、「芋虫」を読む。
と言う、この幸せな感じが、あなた様に分かるだろうか・・・?素晴らしい作品にどっぷりとつかる事は、キッと、インスピレーションとかを養ったりもできる。
引き出しだって、少しずつたまっていく。
今、撤収の時間の中で、そう考える。
死ぬ時も、生きる時もきっと今に違いない。
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- 2011年7月4日 21:12 CAT :
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5年後の世界
昨日の記事で、あんだけ普通普通とのたまった後だけど、思い出した。
凄い人たちに逢った。
その人は、仕事を辞めて、これから、占い師を目指す為、今日もケータイの動物占いサイトを見ながら、今日も、夢に向かって邁進してるそうだ。
ちなみに、既婚。
凄い・・・何か、そんな人生を歩もうとしてる人は、大学卒業からこっちまったく出会った事がなかった。
その位の邂逅・・・
うぬぬぬ。
まだ、この世には凄い人がいるもんだ。
いいなぁ~占い師とか。
すごくいいなぁ~。
さてさて。
言いたい事は、それこそ、トイレにうんこと一緒に流すくらいにあるわけだけれども、これだろ!!(↓)
待ちに待った「特撮」のニューアルバム。5年ぶりか?冨樫の連載再開の5倍もの期間待ちわびた待望の新作。
早速、それを聴きながら、こんな記事などを書いてみている。
凄いぞ。
凄い。
このアルバムはやばい。
所詮、焼きまわしアルバムだと思ってたけど、ぜんぜん甘かった。
長い時間を待った甲斐があった。
本当にあった。
これは「特撮」最高傑作と憚る事無く良い続けた「爆誕」をも凌駕するクオリティーだ。
「蔦Q」さえも凌駕してしまってるクオリティーだ。
なんで、この後の及んで、こんな作品が世の中に放たれる事になるんだろう・・・?
規定路線の名曲を生み出し続ける犬神サーカス団の正反対。既成概念を覆す路線の名曲の数々・・・
素晴らしい作品をありがとう。
先週、レンタルしてきた「this is it」を聴く日は、あと1年は来ないだろう。
ごめんよマイケル・・・
先週、レンタルしてきた「one and only」を聴く日も、あと1年は来ないだろう。
ごめんよ拓郎・・・
また、その内1曲ずつレビューでも書くだろうて。
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!
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- 2011年7月3日 12:13 CAT :
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夢の残酷パラダイス
お久しぶりです。
何か、知らないうちに、訪問する変態野郎も1日に10人を切るようになったので、ここぞとばかりに色々更新してやろうと目論んでたりする。
ここん所、まためまぐるしく色々と動いてたりなんかするわけで、仕事が忙しかったり、グリーのゲームで日本一になる事に固執したり(今の所3つ位のゲームでとれた。
デイリーだけど・・・)、テトリスリーグで今の所無敗だったりしてるんだ。
オレわ。
あなたとは違うんです。
あなたとは!!
さてさて。ココ最近、会社の内外も含めて、いろんな人で出会える機会に恵まれた。
人見知りのオレなもんで、恵まれたと言うほど、嬉々とはしてないけれども、それでも、ココ最近、あんまり会社の人と身内以外とあったり、話したりしてなかったもんで、まぁ、それはそれで良い感じだと思ってた。
・・・んだけれども・・・
びっくりした。
皆、普通だ。
・・・こんなに、この社会に生きてる人って普通だったっけ?と思うほどに、ドイツもコイツも、誰も彼も普通だ。
「この人は、変な人だから、期待しててくださいね」って言われてた人も、普通だった。
あの人だったら、雰囲気が似てた、前に営業してたときの所長さんの方が、100倍面白い人だった。
オレを車で轢こうとしてた、あの所長さん・・・(本気で殺す気はないとして)オレも凄い好きだったしなぁ~
社会で生きていくと言う事は結局、そう言う事なんだろうか・・・普通に会話して、普通に付き合って、普通に距離を保って、普通に関係を保つ。
そして、ビックリするほど他人には興味がない。
問題なのは、いかに自分に興味を持ってくれているかだけなんだろう。
少し前に参加した会で、出会った人に、facebookでリクエスト送信して見たら「会ったこと無い人とは無理」って断られた。
軽い挨拶と話だけだったし、オレが自分でオラオラ名乗り出たり、印象に伸してもらうような努力をしなかった事が悪いんだろう・・・と、嫁の話。
普通の人は、そんなもんらしい。
(しかも、チョッと酒も入ってたし。)
世の中と言うものは、そんなもんらしい。社会に出てから、もう随分と時間が流れたけれども、未だに、そんな基本的なことにいちいち躓いて、悩んでおります。
ん~なんなんだろう?
この溶け込めない感じ。どこに行っても、誰と話しても、何だか感じる疎外感・・・
誰も彼もが、それに気づきながら、見てみぬふりをしてるんだろうか?
それが大人なんだろうか?
それとも、感じてるのがオレだけなのか?
最近、改めて思う。そうして、そんな時は創作意欲がわいてくるんですよ。
新作のタイトルは「観客3人のライブイベント」。
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