- 2011年9月26日 22:05 CAT :
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我は滅びぬ。聖なる者に邪悪な心がある限り
ハンターハンター今週号。
コンビニで、立ち読みしながら泣いてしまった。
凄い・・・凄すぎる。
そして、冨樫が憎い・・・
何か、軍儀についても、放射能オチも全て、今回の1話のための伏線でしかなかったとは・・・ここでさえも、凄まじく期待を裏切られた感じがする。
で、今後どう展開していくんだろう?それが、気になってしょうがない。
ちゃんと、ジンの話もやってきれいに完結させて欲しいと願うばかりの日々。
さてさて。
先日、宣言したとおりに、がっつり「FF4」をやったよ。
やり倒したよ。
2日で、エンディングを見てやったよ。
(っていうか、たった15時間程度で終わるとは思わなかったけど・・・)
で、感想だ。ん。
面白かった。
そうだ。
この感覚を忘れてたんだ。
・・・そんな感じ。
子どもの頃、夢中になったのは、この感覚から抜けることができなかったからだ。
次へ次へとどんどん進めて行きたくなる。
難しいダンジョンをクリアーした時の達成感。
かつて勝てなかった敵に余裕で勝てるようになった時の快感・・・などなど。
王道のRPGとやらをじっくり堪能させていただきましたよ。
ストーリーについては、間延び感が全然なくて、すごい凝縮された15時間だった。
こんなに、内容が濃いと、夢中になるしかないって。
何というか、とてつもなく壮大なストーリーだった。
こんな凄い物語だったとは思わなかった。
ただ、昔感じてた、悲しい感じはあんまりなかったなぁ~。
なんでだろう?ゼロムス戦では、否が応にも鳥肌が立ったけど、でも何か、イメージしてた凄い感動じゃあなかった。
そこについて、うらうらと考えてみた。
昔は、多分今より、時間が掛かってただろうこと、1日にできる時間は長くても2時間程度だったこと、そして、物語に不慣れだったことなどなどがあって、今より何倍も心に入り込んできたんだろう。
ギルバードもヤンもテラも、もっと長いことパーティーにいたように感じてたし、カインももっと長いこと敵だったように感じてた。
日数をかける。
と言うことも、実は、RPGをする上で大切な要素なのかもしれない。
何日間も、何週間も連れ添って仲間だと思った奴が死ぬとか、そして、しばらく経って、そいつの力で危機を乗り越えられたり・・・それは、大切な要素。
出会った2時間後に分かれたやつと、その2時間後に出会っても感慨は薄い。
そうゆうことぉ~。
ちなみに、やりこみはやってない。
アダマンアーマーどころか、ゴブリンすら仲間にしていない。
ストーリーを楽しむことに注力したので。
今度は、もう少し時間をかけてロマサガ2辺りをしますよ。
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- 2011年9月21日 22:32 CAT :
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忘らるる都への旅時
何か、会社から次々と人がいなくなっている。
すごい勢いで居なくなってる。
みんな、多分嫌気がさしてるんだろうけど、しかも、凄い出来る人たちばっかりが居なくなってるのに、会社として、こんなに人財が流出してる現状の中で、何か手を打たなくていいんだろうか・・・
まぁ、確かに、今の会社の現状を見てると、仕事ができる人と優遇されてる人がびっくりするほど一致してないように思う。
そう言う意味では、ある種しょうがないような気がしないでもないけど・・・
ただ、オレ個人は、もう少し今の会社で、スキルを磨いたり色々やりたいようにも思ってるもんで、チョッとこのままじゃ会社が回らなくなんないのか?と不安な日々ではあります。
さてさて。
作業用BGMとして、FF4を使ってたら、異常にやりたくなってきた。
4とか、5とか、6とか・・・その辺。
まさに、RPGの黄金期に出された奇跡の作品群。
これらを、命をかけてやりたい。
ついでに、その付近の名作RPGをもう一度やり直したい。
うずうず。
製作者が命をかけて作り上げた前代未聞の傑作を命をかけて遊び倒したい。
考えてみれば、あんなドット絵とチープな音でオレは一体何に涙を流していたんだろう・・・
ちなみに、涙なしではプレイできないと言う観点から、好きなゲームを上げてみると・・・
1.グランディア
誰が何と言おうとも、この作品意外に考えられない。リーンの最後とか、涙なしには見れないけれども、この作品については、逆に最後に嬉しさの涙まで流してしまう。
王道を継承し、頂点まで昇華した傑作だよな。
うんうん。
2.FF7
初恋の人はエアリスだと思う。そして、トラウマになった。
あのシーンを見ただけで、あの曲を聴いただけで、未だにうるうるとしてしまう。
あんなカクカクのポリゴンなのに・・・ただ、このゲーム。
発売当初にアホみたいにやり込んだあと、色んな理由から封印してしまったもんで、ストーリーとかあんまり覚えてない。
ただ、エアリスがあまりにも印象強すぎて・・・
3.ドラクエ4
この作品については、デス・ピサロとロザリーに感情移入してしまう。むしろ、そっちこそが、この物語の本筋だと勝手に思ってる。
ちなみに、ピサロが仲間になると言うリメイク版は未プレイ。
あのファミコンゲームで泣いてしまった。
4.クロノトリガー
ひとつひとつのマルチイベントがとてつもなくいい感じ。特に、涙腺に来るのは、ロボのイベントだと思う。
個人的に好きなのは、カエルなんだけど、やっぱり、ロボのイベントが良いなぁ~。
無機質なロボットが人間よりも人間味に溢れていると言う「アトム的」な要素に弱いのですよ。
オレわ。
・・・多分。
5.聖剣伝説
チョコボだよ。チョコボ。
ゲームボーイでやりながら、あんなに悲しい思いをするなんて思わなかった。
そしてこのゲームのあまりの面白さに、当時気が狂ったように遊んでた・・・ように思う。
レベルが上がるたびに「あんたも強くなったもんだ」とか上から目線で言われるし。
な感じになると思う。
あと、何かあんまり良く覚えてないんだけど、FF4も確か、鳥肌が立つほど感動したような記憶がある・・・
ゲームとしての面白さなら、ドラクエ5を筆頭に、FF5、ロマサガ1・2などなど・・・いっぱいあるけど、心に直撃する物語としては、上の5つがふっと思い浮かんだ。
あぁ~・・・久々にゲームやりたくなってきたなぁ~。
とりあえず、あんまり記憶もはっきりしないFF4辺りからやり直してみるか?
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- 2011年9月20日 22:29 CAT :
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やるせない満月の夕暮れにはあの娘を殺してしまおう
殿方充の例のネタ。
確かに面白いんだと思う。
もともと、不謹慎なものが大好きなので、面白いんだけど・・・でも、何でだろう。
なぜか、笑えない。
何だか嫌な気分になる。
こんなオレにも、愛国心と言うものが心の中のどこかにあるんだろうか。
例え、不謹慎であろうとも、やって良いことと悪いことがある。
・・・多分。
それは、つまりボーダーラインを作る時間です。
敬老の日に託けて、身内の年寄り巡りに行ってきた。
祖先を敬う事と同等に、じいちゃん、ばあちゃんに対する尊敬の念だって、しっかり持ち合わせている。
前は、そんな事微塵も思うことなかったのに、最近、それをまた特に思うようになってきた。
いろんな意味で。
時間を重ねるたときにだけ出てくる不思議な感覚をどの年寄りも持ち合わせているようで、それが実に不思議に感じてしまう。
そして、生きることに対しての姿勢や、考え方などなど・・・
ただ、それでいてもできるだけ長生きして欲しいとか、そんなことは思ったりする。
そんなお話なのです。
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- 2011年9月18日 21:30 CAT :
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さぁ行こうぜ 絶望のわずかなこっち側へ
小雪だけは、絶対に誰が何と言っても美人ではない。
と、声高に叫びたいです。
世の中の美人の基準が分からない。
「いきものがかり」のボーカルの子を可愛いと言ったら、ブス専だと言われた。
それなのに、冨永愛とか小雪が美人だと言われている・・・クリスタルケイとか、JUJUについては、誰もあえて何も言わない。
一体、この世の中は何を基準としているんだろう。
そして、全員顔の作りに違和感のあるK-POPの皆様方など、ただ気持ち悪いだけ。
何か、あそこまで露骨に作られた顔なのが分かってしまうと、さすがにもうダメだ。
あの、気持ち悪い違和感がなぜ、受け入れられるのか。
ほんと、世の中の基準が分からない。
とりあえず、整形サイボーグについては、分からないと思っているのは本人だけで、冷静に見たらバレバレ何だと言う事で。
さてさて。
弟に勧められて「G戦場のヘブンズドア」を読んだ。
・・・今更ですけれども。
で・・・滅茶苦茶面白かった。
あり得ない展開があり、ご都合主義なキャラ設定があったけれども、そんな事気にもならない位面白かった。
そんなもの、後から考えると「何だか、都合いいな・・・おい。」と思うだけで、読んでる最中はただ「うおおおおおお!!」ってなってた。
いや。
まぢで面白い。
時期的に、よく分からないけれども、「バクマン」と比べるべくもないほどに面白かった。
どうしちゃったんだガモウ・・・と言うか、願わくば、この「G戦場のヘブンズドア」を元ネタとして「バクマン」が生まれたんじゃあない事を切に願う。
ガモウは、そんな事をしない人だと信じたい。
たまたま、少しかぶる部分があっただけなんだろう。
そう信じたい。
そして、うずうずと創作意欲が湧いてきたよ。
ワトソン君。
創作とは、こう言うものなんだろう。
まんが道 >>>>>> G戦場のヘブンズドア >>> バクマン >>>>>>>>(超えられない壁)>>>>>> ボクマン
と言う、感じに心に響いて、そして、心臓を鷲掴みにされた。思うのは、やはり構成だよな。
「万祝」読んだ時も思ったけど、「G戦場のヘブンズドア」も、たった3巻とは思えない読後感だった。
バクマンが、もう10何冊も続いている事を思うと、構成力って何なんだろう・・・と改めて考えた。
ガモウの「デスノート」での、あの詰め込んだ展開(まぁ、それでも後半読むのだるくなるけど)を考えても、バクマンのぐだっぷりには、ただただ失望するのみ。
ワンピースには、もはや何も期待しておりません。
はやく、オチだけ教えてもらいたいです。
多分、マンガって、短くきれいに、しっかりと纏まって完結してこそ名作なんだろうと思う。
終わりが悪ければ、それだけで、駄作となってしまう訳で、その意味でもこの「G戦場のヘブンズドア」は本当に面白かった。
またひとつ、名作を読んでしまった。
この感動をいつまでもいつまでも味わい続けたい。
「ヒストリエ」も実は、展開の感じからして10巻前後で完結するんじゃないかと・・・岩明均先生は、きっとそこまで計算していると信じたいものです。
と、ここまで書いてて、頭の中に「ジョジョ」の事が・・・
圧倒的例外も存在すると言う事で。
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- 2011年9月12日 23:06 CAT :
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コンフィデンシャル・ディフェリクト・アナザー太郎冠者
先日。
眠っていたら、太ももに針で刺されたような痛みが・・・
その痛みは、過去に味わったことのあるもの。
寝ぼけながら、必死で記憶の糸をたぐらせる・・・無意識に。
そして、思い出す。
「ムカデだ!!」
恐怖に、飛び起きて、横で寝てた嫁を起こす。どうも、嫁も足を噛まれたみたい。
んで、おそるおそる布団をめくってみると・・・黒くウニョウニョ動く15cm位のムカデが・・・
悲鳴。
そして、ズキズキと激痛。
特に、薬類も何もなかったので、ネットで調べたお茶と、アトピーにつけてた「ステロイド」たっぷりの塗り薬を塗って、事なきを得ました。
あれが、もしも、ヨロイムカデだったら・・・
山に近い家の恐怖は、ここに極まれり。
ヨロイムカデに比べれば、カサカサ動く「平べったもんさん」なんか、可愛いものに思えてしまうわ。
・・・と言う、お話です。
さてさて。
実は、カメラを買ったりしたわけです。
とは言えども、大した腕もないくせにこれみよがしに一眼レフを持ってる痛い子にはなりたくなかったので、コンデジをな。
だいたい、最初から付属のレンズをそのまま使い続けるくらいなら、コンデジ使ったほうがよっぽど性能良いつ~の。
お金がないから、高いレンズは買えないしな。
一応、高画質の奴を買いましたよ。
そして、今日は、中秋の名月。
嫁と仕事終わりに、夜のドライブに出かけた。
夜の海辺をぶらぶらを歩き、たわいもない話をして、そして、帰ってきた。
そんな時間。
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- 2011年9月7日 22:59 CAT :
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人生初のレイプは立ち松葉で敢行
今日は、少しだけ恒例化した、大阪への出張。
何か、そろそろこの出張も終わる気配が漂い始めてるけれども…今回もガッツリ懇親会まで参加して、堪能してきた。
堪能と言うと何だか違和感があるけれども、実は、結構楽しんでたりするので、そんな表現も出たりするだろう?ブルータス。
色々と、しっかり勉強もしてきた。
仕事に生かせるような気がするものもたんまり持ち帰って見た。
それ以上に、夜の勉強もしっかりしてきた。
取り合えず、「立ち松葉」だ。
今度、試してみよう。
チンコが折れるかな?やっぱりやめておこうか。
うずうず。
何しか、もっと四十八手ついてもっと勉強しよう。
んで、その先にある四十九手目に思い馳せたい。
そんな、出張でした。
…このブログを、会社の人が読まないことを切実に祈る。
今、帰りの電車の中。
横と前にチョッぴりエロいカッコのお姉ちゃんが座ってたり、立ってたりしてる。
そんな中で、四十八手について、ツラツラと書いてる状況に少しだけドキドキ。
でも、このお姉ちゃんのスカートをいつも嫁にやるように捲ったら怒られるんだ。
…このブログを、嫁に見られない事を切実に祈る。
人身事故をおこしてみたい志茂田さんなのでした。
(今日のまんこ風)
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- 2011年9月6日 22:38 CAT :
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銃は剣よりも強し
前日、会社の上司さんから、男のステイタスは車と靴と時計だと熱弁された志茂田さんです。
多分、その話からすると、オレは何のステイタスも持ち合わせていないうんこちゃんになってしまうだろうなぁ~
今問う。果たして、それで良いのだろうか。
一生生きた証が、車って…時計って…靴って…
そんなものでしか、人を判断できない人間の評価など、オレは必要ない…と、思えば、「現代っ子やな~」と小バカにされちまった。断言して、オレは、20年前に生きてても、そう言ってたと思う。
要するに、どう足掻いても社会不適合な人間だ。
ヘヘヘイ。
さてさて。
新しいネタとして、「ジェノサイドラブレター」なるものを考えている。
「子どもは老人に励まされる」を書き終わったら、次は「ジェノサイドラブレター」だ。
そうしよう。
んで、今日。
文藝春秋を立ち読みしてると、芥川賞候補作が載ってた。
読んでみた。
…
……………
面白くない。自画自賛で申し訳ないけれども、オレの話の方が百倍面白い。
ただ、もうジャンルも言うか、ものが違う気もする。
元々、小説など読んだこともなく、書いているので模範回答など知らない。
その上で、もし、小説と言うものが、こう言うものなら、オレの書いてるものは、全く違うもののような気さえしてきた。
無念だけれども…
今はただ、自分が面白いと思うものを書き続けるしか無いのか、それとも、ひよって、書き方を変えるべきなのか…色々と思い悩むな~。取り合えず、まず、この作品を色んな人に見てもらう事にする。
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- 2011年9月4日 22:45 CAT :
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幻想ポロネーズ 変イ長調より抜粋
自殺する人間は、クラシックを聴くようになる。
・・・と、どこかで聞いた事があるように思う。
んで、心を深く深く沈み込めたい時には、殊更クラシックを聴くと良い感じです。
そうすると、何だか、ほんの少しだけ、人を殺した人の気持ちや、自分を殺した人の気持ちを心地よく想像する事が出来る。
おすすめは、ショパン。
ただ、それは、普段からクラシックを好む人に自殺衝動がある。
と言う話じゃあなくて、オレの場合、その傾向があるだけの話。
その曲には、きっとその当時、この曲を作った人の悲しみが詰まっているんだろう。
五線譜の中を泳ぎまわるオタマジャクシの整列は、時代を超え、奏者に関係なく、作者の感情を今に伝える。
そして、それは、どんな状況であろうとも、オレの心の中にどんよりとした影を落としてくれたりする。
音楽のすごさとは、正に、その一点に尽きると思う。
感情のない音楽がきっと駄目なんだろう。
実は、AKB48の曲って、最近のJ-POPと比べて随分と秀逸なんでは・・・?とか思った訳です。
古き良き(と言うべきかは知らんけど)90年代のJ-POPをしっかり世襲してると思う。
恐るべきは、秋元康のぶれないセンスか・・・
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- 2011年9月3日 16:20 CAT :
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初めて口にする人肉はとても甘く芳しく柔く
「神聖かまってちゃん」の曲を聴いた。
初めに聴いたのが「ロックンロールは鳴りやまない」(だっけ?)だったもので、すごいバンドが出てきたのかと思ったけど、それ以外のどれを聴いても、ただの僻みしか、そこには存在しなかった。
だったら、筋肉少女帯の「蜘蛛の糸」を聴いてた方が気分が良い。
誰もが持ってる負の感情。
それを、ただ、そのままに外に出してるだけだった。
絶望的な、悪意。
負の感情を、どす黒い物語として紡ぎ出すから表現なのであって、あれは、そんなものじゃあない。
「神聖かまってちゃん」ファンの皆様方には、是非ともナゴム時代の筋肉少女帯を聴いてもらいたい。
そうすると、きっとこの話の意味もわかると思う。
さてさて。
「永遠の向こうにある果て」の執筆もひと段落。
次の新作「子どもは老人に励まされる」に取り掛かるまで、少し休憩でもしようかと思いつつ、今、せっかく乗ってるし、このまま取り掛かってやろうとも思っている。
う~ん・・・どうしようかなぁ~。
そんな中、頭の中でひとしきり考えて見た。
「殺す」と言う事について。
オレの作品を読んだり、見たり、聞いたりした事のある変態さんがたには、ずた漏れかと思うけど、とにかく、オレの書く物語は殺害のオンパレード。
それが、時には「快楽殺人」だったり、「自殺」だったりと形は色々では、あるけれども、人が死なない話とか、多分、無いような気がする。
あまつさえ、カニバリズムに走るものまで結構ある。
・・・で、次の作品。
「子どもは老人に励まされる」もご多聞にもれず、しっかり殺害行為がある。
生き生きと殺す。
と言う事で、その前にそもそも「殺す」と言う行為について、少しだけ掘り下げて見よう・・・と、思った次第でございます。
そもそも、生命活動を強制的に(時には、暴力を伴いつつ)停止させる行為を「殺す」と言う、動詞で表現していると、今は、取り合えず考える。
ただ、なんと言うか、オレの中にある「殺す」に対する感覚は、英語で言うところの「KILL」とは、少し違ってたりする。
生命活動を停止させる。
その行為よりも、その背景にある行為に及んだ人間の心持こそ、何をおいても大切に考えるべきだと思う。
行為じゃあなくて、意思。
「殺す」と決めた理由が例えば、憎しみだったとする。
でも、憎しみを晴らすために殺す事は、ひとえに、「どうしても許せなかった。」とか、「あいつのために殺した」とか、一様に、なんだか、相手(ここで言うところの殺す対象)の存在があり、その相手に対する感情があったりする場合が何しか多い。
もしかしたら、「殺した分の罪の重さ、命の重さを背負って、これから先、罪の意識と共に生きる。」そんな、覚悟さえ、なんだか、垣間見えてきたりする。
それが、殺す。
と言う行為なんだろう。
日本式の「殺す」には、そんな背景をみている。
で、欧米式の「KILL」に対してはどうかと言うと、そこはそれ。
相手に対する感情のない、本人の感情のみを優先した行為じゃあないか。
そうでなければ、「エノラゲイ号」を英雄視している、アメリカの倫理観をどうしたって、納得する事が出来ない。
蔑み、嘲笑の的とし、自分たちの感情の為だけに殺害するわけであって、その殺した相手は、叩きつぶしたゴキブリと同じようにしか考えていない。
それが、「KILL」の感覚だと思う。
歴史的背景。
文化的背景も多々ある。
肉食の欧米だからこそ、生き物を殺すと言う行為に対する、日本とは違う価値観を持ち合わせている事も当然な訳で、そこに良いとか、悪いとかは存在しない。
ただ、そうあっても、オレが日本人な以上。
どうしたって、日本式の「殺す」の感覚が好き。
「殺す」と言う行為は、決して、痛快な行為じゃあなくて、ほの暗く、もの悲しい行為なんだと思う。
これからも、ずっとずっと物語を作り続けていくと思う。
けれども、どんな物語だとしても、どれだけ人が死んだとしても、その大前提だけは、崩す事のないように。
いつの時代でも、殺害のイメージは「兄の病の特効薬は死臭漂う血の池地獄のような人肉スープの形而上学」なのです。
オレの場合わ。
殺す時は、相手の目を見て、テンポ正しく刺しましょう。
血液のワルツが、あなたを彩ってくれる事でしょうね。
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