- 2011年12月27日 22:50 CAT :
-
君にかける言葉などありはしない。死ぬがいい。
久々に「鈍色の青空」を聴いてみた。
うぬぬぬ・・・我ながら、素晴らしい出来だ。
という訳で、久々に「馬忠・DA・ムドー」として新作でも作ろうか。
とか、少し思ってみたりしている。
2年ぶりか?3年ぶりか?知らんけど、随分久々だとは思う・・・
音楽は暫くやらないことになってるけど、「馬忠・DA・ムドー」はまぁ、あんなもん音楽でもなんでもないし良いか。
と、勝手に妄想を膨らましてみたりしている。
オールインストの「伊藤くんになりたかった」なんてどうだろうか?
過去の名作ゲーをテーマにした「300,000,000ガバスの勇気」なんてどうだろうか?
などなど・・・現在絶賛テーマ妄想中。さてさて。
このクソド田舎にも、遂に光回線が通ったらしく、「乗り換えませんか?」的な営業がやってきた。
家にやって来た。
俗に言う、「訪問販売」と言う奴だ。
過去に、一般市民への訪問販売を仕事にしていた時期もあって、あの頃の経験から、とにかく営業の皆様に対して、冷たい対応など取ることが出来ない。
どんな人でも、しっかり話を聞いてあげて、最後に「遅い時間までご苦労様です。」とか、必ず声をかける。
契約はしないけど。
それとこれとは話が別。
ただ、契約取れなくても、「ご苦労さま」とか「大変ですね」と声をかけてもらえるだけで、どれだけ気持ちが休まることか。
それだけは、少し知ってるつもり。
だから、絶対に邪険に扱ったりはしない。
間違っても「結構です」とか「要りません!!」とか、アホみたいにでかい声出して追い返すような事はしないって。
あの頃の事を少しだけ思い出す。
夜8時。
まだ、一件もいい返事をもらってない。
その中、少しでも脈ありの家に、おそるおそる訪ねてみる。
何の成果もなしじゃあ、事務所には戻れない。
チャイムを鳴らすと、食事してて「こんな遅い時間に来てんじゃね~よ。
どんだけ非常識なんだ?」と、罵倒され、スゴスゴと帰ることもよくある。
それでも、オメオメとは帰ることが出来ない。
そんな葛藤の中にどれだけ心を痛めたことか・・・
結局は、その仕事は長く続けられなかったけれども、実は、機会があれば、もう一度挑戦してみたく思ってたりもする。
それは、思わぬところで思わぬ知り合いができて、その人に少しだけ優しくされた瞬間の嬉しさが何ものにも代え難いものだったから。
今みたいに、WEBデザイナーとして、日がな一日中ほとんど会話もしないで、モニターに向かうばかりの毎日の中、不意に、訪問した家でおばあちゃんが出してくれたお菓子を食べながら和んだりしてた、あの頃の感覚が実は、楽しかったんじゃあないのか?とか、思ってしまう。
と、いう話ですよ。
今日の営業さんが来た時間も夜の8時半位だった。
しかも、早い時間帯にオレがいなかったという理由で、2回目の訪問。
帰り際には、「遅くまで、ご苦労様です。
寒いから、体調崩さないでくださいね。」とか、そんな感じの声をかけた。
もちろん、契約などはしなかった。
これでいいのだ。
多分な。
- この記事を見てみる ⇒
月別アーカイブ: 2011年12月
- 2011年12月20日 22:39 CAT :
-
乱れ雪月花と地ずり残月
ニコニコとかで、「○○を歌ってみた」や「〇〇を弾いてみた」ってのを投稿してる奴に対して、本人かと思って再生したら歌ってみましただった時の憤りをいかにしてぶつけてやろうかと、そんな事ばかり考えてる時期も有りましたよ。
ええ。
ええ。
それやる暇あるなら、自分で曲をかけ。
バンドを結成しろ。
とか、思っている時期もありましたよ。
ええ。
ええ。
表現の方法として、そんなの認めないね。
と、思ってる時期だってありましたよ。
ええ。
ええ。
でも、知り合いがそれやり出した頃から、少し考え方も変わってきた。
まぁ、きっと、そんな方法もありなんだろう。
知らんけど。
そして、オレはやんないけど。
いつになっても、自分の作るものがこの世で一番自分に対してしっくり来る。
少なくともオレは。
と言う、話だ。
・・・と思う。
多分。
さてさて。
ここん所、懐古感に最悩まれることが何だか多くなってきた。
不意に思い出す、あの日、あの時、あの瞬間の匂いや空気が頭の中で、ぼんやりと情景を作り出すと言う不思議な感覚。
それも、良いことなら良いけれども、良いことよりも嫌なことの多い人生だし(まぁ、大概の人間はそうなんだろうけど)結局は、何だか、胸が締め付けられるような、そんな心持ちになってしまったりする。
でも、幸か不幸か、実に色んな体験をしてきた。
最近は、家の裏にあった「古墳」と読んでた小だかい岡の上で、火遊びをしていた時のことを考えていた。
小さな穴を掘ってその中に、カエルを一匹入れる。
そして、その上に枯れた草を置いて、カエルを蒸し焼きにして殺すと言う、絶望的な遊び。
今にして、考えれば、とんでもない事をしてたんだと思うけれども・・・
季節は冬。
枯れた草と冷たい風、そして、焦げた匂い。
ただ、ひとつだけ。
そのとき、オレ自身が、一体どんな心情だったのか。
それだけが、どうしても思い出せなかったりする。
何を想って、生きたカエルを蒸し焼きにして殺していたんだろうか・・・
あの頃は、日野日出志じゃあないけれども、残酷なことばかりやってた。
命が亡くなっていく過程を見るのが好きな時期も長かった。
トンボの心臓を取り出して、手のひらの中で、鼓動が止まるのを見つめていた事もある。
的屋の仮面みたいに、昆虫の生首だけコレクションしたりもしてた。
粉々になる命を見続けた子ども時代。
その懐古感にとらわれて、時々、脳内で再生される物語を救いとっていけば、それが、なんだか面白い作品になったりするんだから、それが、必要な通過儀礼だったのか。
今はもう分からないけれども・・・少なくとも、無駄ではなかったような気がする。
今は、ただ、そうやって作り出す時間が欲しい・・・
引き出しの中に貯まっていかない毎日なんだよ。
そして、出すこともない毎日。
ある日、ふと開けようとすると、引き出しはもうあかなくなってしまってた。
ら、どうしよう。
そしてまた、懐古感にとらわれる。
さようなら。
- この記事を見てみる ⇒
- 2011年12月9日 23:07 CAT :
-
武器なら持ってる教えない
ここ最近、何だか我慢しないことが何よりの健康法…的な話をよく耳にする。
ようになったような気がする。
やっと、そういう基本的なことに気がついたのか。
もう、何か我慢したり、健康のために欲しくもないものを食べなきゃいけないアホな流行りがなくなってくれるのかと思うと、それは、何より何より。
ベジタリアンが、早死したり。
(まぁ、ベジタリアンは、健康のためにしてるだけじゃあないだろうけど。)
禁煙の風潮で、乳がんが増加したり・・・そんな、健康に頑張れば頑張るほど、不健康になっていくと言う負のスパイラルから抜け出すべきだと思う。
肉ばっかり食べてたら、野菜が食べたくなるわけで、野菜と肉ばっかり食べてたら、米が食べたくなる。
今の世の中は、そうでなくても我慢ばっかりしなきゃあいけないのに、その上、健康のためにさらに我慢しなきゃあいけないなんて・・・ストレス貯め過ぎたら、早死するってみんな言ってるじゃないか。
と言うことで、我慢することが素晴らしいとか言ってる、糞エゴやろうはさっさと早死してしまえば良い。
あとに生きるのは、遊び呆けてた奴だ。
多分。
戦力外部隊だ。
さぁ、ラピュタでもみるかぁ~
- この記事を見てみる ⇒
- 2011年12月5日 0:01 CAT :
-
静か凪て暮れ行くその一日に
ルパン3世。
久々に、面白かったです。
新しいキャストも、全然違和感なく・・・と言うか、不二子なんか前よりも色気が増しちゃったりなんかして、ご機嫌だね。
まぢで。
何か、要所要所にカリオストロの城のオマージュみたいな所があったのは、佐藤好春さんだからなのかなぁ~とか、思ったりもした。
部分的に、バイオハザードだったけど・・・それでも、面白かったと思う。
ここ最近では。
さてさて。
先日、妹の結婚式だったりした。
妹について、詳しく書き出したら、多分軽い小説位の長さになっちまうような気がするけれども、取りあえず、シスコンじゃあない。
・・・と思う。
むしろ、ほぼ一方的に(オレの方から)絶縁状態にあると言ってもさほど過言じゃあない位、ほとんど会話もしない関係だったりする。
なぜ、そんな事になってしまったかと言う話も、また、軽い小説くらいの長さにかけて、色々と書き連ねなければいけないほど長くなるので、今回は、とりあえず割愛。
そんなこと、兄弟で知ってれば良いだけの事だ。
・・・とにかく、結婚式だった。
これで、あいつも何だかんだと言いながら、嫁に行くことになる。
と、思うとなんだか一安心。
そして、結婚式の内容は・・・と言えば、過去例を見ないほど最悪だった。
オレには、仲良しだと(これも一方的にオレの方から)思っている可愛い弟がいたりはするけれども、この弟と一緒にいた時間の3倍位、実は妹とは一緒にいた。
年が違わないものだから、ほぼライバル。
ケンカした記憶しかない位、よくケンカしたけれども、それでも、幼い頃はそのほとんどの時間、同じ空間で、同じことをして過ごした。
砂場を黄色土層まで掘り進めてじいちゃんに怒られた時も、カメを虐待して殺した時も、初めてスーファミでマリオをした時も、「サーパス上吉田」と名付けた売買ゲームをした時も、親を食い殺す子どもの人形劇に興じておかんからゲーム禁止を言い渡されたときも、主人と下僕の関係を結んだ時も、ぬいぐるみの王国を作った時も・・・多分、本気でいくらでも挙げられるほど一緒に過ごしてた。
それは、オレが大学に入って一人暮らしをするまでの18年間。
ほぼ、毎日続いた・・・と言うことにしておこう。
何をするのも対等で、お互いの得意とする分野については不可侵な関係だった。
それは、今思うに、お互いにどちらが上だと言う訳でもなく、どちらもが相手より優位に立っている状態で居ることが、対等だと考えていたんだろう。
(無意識にだけれども。)
そんな関係も、お互いが家を出たときに終わる。その理由について、今はもうなんだったのかよく分かりはしないけれども、未だに対等な関係だと考えているオレにとっては、あいつのオレに対しての見下したような喋り方を許せるはずも無く、そうして次第に、距離が離れ、いつしか絶縁に近い状態になってしまった。
結婚式が最悪だった理由は明確で、幼い頃からお互いが磨いてきた分野の違いだったように思う。
あいつは、人を楽しませるものを作り出すアイデアについて、オレに勝てる訳がない。
それは、幼い子どもの頃から、あいつが不可侵を貫いてきたオレの得意分野だから。
いろいろ事情はあったんだろう。
でも、予算が限られているならいるなりに、場所に限界があるならあるなりに、時間がないならないなりに、やり方なんて無限大にあった。
どうとでも出来た。
・・・オレに、一言相談さえしてくれれば・・・
相談しなくなったのは、周りにオレなんかよりももっと頼りになる奴がたんまり出来たからだと思ってた。
式中、大学に行っちまってからの、オレの知らないアイツの人生をいくつか見た。
そして、愕然とした。
それは、きっと安西先生が矢沢のアメリカでの試合を見た時の衝撃に匹敵するものだったと思う。
余りにも悲しかった。
なぜ、あいつはあんなちっこい体で、全てを一人で頑張るようになっちゃったんだろう。
高校自分まで、あいつはその自分ではどうしようもない分野について、仲違いしつつも、オレに何がしかの相談をしてた。
そして、オレも、仲違いしつつもその相談にだけは最大限に答えてきてた。
そうやって、お互いに悪態を付きながら心のどこかで、少しだけ尊敬する間柄でいた。
と思っていたのに。
永の年月一緒にいた曲がりなりにも大切な妹で、その妹の結婚式で、最高の形で送り出せるよう、手を貸してやることさえできなかったのか・・・そう思うと、ただただ、後悔の念は尽きなかったりする。
30年に近い時間。
一体何をしていたんだろう。
今回のことに関しては、全面的にオレに非があるようながしてならない。
ただただ、しょぼくれるばかり・・・
ただ、終わってしまったものは、もうしょうがない。
結婚式なんて、所詮はただのスタートラインだ。
今は、ただ、これから先の生活が少しでも幸せなものになるように、海を隔てて願うばかり。
そして、もし、この先本当にどうしようもなくなった時に、今度こそ何かしらの支えになれるように、式の最後には少しだけ声をかけた。
「そろそろ、仲直りしようか。」
って。多分、そんな感じに。
- この記事を見てみる ⇒