月別アーカイブ: 2013年1月

2013年1月30日 23:02 CAT :

【転落の詩集m7】と言うコード

昨日ちょこっと触れた「鳥肌実が在日の急先鋒だ」とかいう話。

あれ、実は、色々噂されているらしい。

つまり、一つには「国のために立ち上がるということは恥ずかしい事だ」と言う愛国心を日本人から奪うためにあんなことをしていると言う説があり、もう一方で、「国のために立ち上がるということは恥ずかしい事だ」と日本人に思わせるために、アホみたいに街宣車でウロチョロしてるエセ右翼なチョンを馬鹿にしていると言う話。

どっちがどっちやら。

という感じだけれども、取りあえず、一方的になんでも、在日チョンだ。

みたいな決め付けは、あんまり良くない事ですよ。

と、そんな事をお伝えしておきます。

まぁ、あの人は基本的に「訴えたい事がない」らしいので、あんまり考えずに、ケラケラ笑うのが正解だと思う。

ちなみに、このブログも特に「訴えたいこと」などないですよぉ~何か、チョイチョイこのブログ読んだ人から「右寄りな思想」だとか、「危ない思想が」とか言われたりするけど、特にそんな思想的なものがあるわけでもなく、ましてや、何かを啓蒙しようなんて露程も思ってない。

あくまでも、個人的なメモ書きがメイン。

自分がいいと思ったことを絶賛して、ダメだと思ったことを貶してるだけでございますよ。

うんうん。

そう言う自分の書きたいこととかは、作品とかに埋め込むって。

ブログで垂れ流しとか勿体無いことですじゃ。

さてさて。

犬神明兄さんのブログで、面白い話を見つけた。

元ソース(↓)
犬神明ブログ「のんつって兄さん」へ
「コード(和音)は、性格音の半音の差で、メジャーとマイナーになり、凄まじく印象が変わる」と言う、まぁ、音楽をチョッとでもかじった事がある人なら、誰でもわかる話だけれども・・・

改めて考えると、そうなんだよな。

コードって、基本的に元となる根音と、それに付随する性格音からなってるわけで、その性格音の高さは根音から3度音上がったとこなんだけど、その性格音が、半音下がると、コードはマイナーになる。

当たり前だけれども。

それだけで、明るいメジャーコードから、暗く悲しいマイナーコードになってしまう。

基本的に、オレは曲を書くときに、マイナー調な曲が多いのは、きっと心が病んでるからだと信じていたい。

まぁ、ただこれを「ふ~ん」で終わらせてもイイんだろうけどチョッとこれを飛躍させて考えてみたらどうだろうか?
例えば、人生に置き換えてみる。

幸せな人生と不幸な人生なんて、実は、半音上がるか下がるかだけの差なのかもしれない。

根音と言う絶対的な要素がある。

それが、人生における絶対的な出来事だとすれば、性格音は、その時々の心の持ちようだと言えると思う。

(無理やりにでも。


そうした時に、心の持ちようが、半音上がるか、下がるかだけで、実は、幸せな人生と不幸な人生になっちゃうんではないか。

みたいな話だ。

めっちゃ金持ちだけれどもシガラミが多くて不幸な人生があるかと、思えば、クソ貧乏だけれども自分のやりたいことを自由にやって常にニコニコしている幸せな人生もあるだろうて。

めっちゃ金があって、なんでもやりたい事ができるから、シガラミくらい屁でもない幸せな人生だってあるだろうし、クソ貧乏だから、惨めでしょうがなくて、いつも下向いてる不幸な人生もあって然るべき。

「じゃがたら」の大名曲「もうがまんできない」の中で、江戸アケミは繰り返し「心の持ちようさ」と歌い続ける。

まさにそういう事なんだろう。

「じゃがたら」の曲って、ホント、深いのが多いよな。

ってことで、何か例え話とか考えてたけど、ふと大好きな漫画家さんの西岸良平の「転落の詩集」を思い出した。

まさに、そういう話だ。

詳しくは、自分で読んでみればいい。

ちなみに、人がなぜマイナー調の音楽を聴くと悲しくなるのかについては、まだ原因が解明されていないらしい。

それと同じく、なぜ不幸な人生がいけないのか。

も、きっと解明されていないんだろう。

不幸なことはいけないのか?幸せでなければいけないのか?
そんな哲学的な事を、人の心の根源からもう一度考え直してもいいのかもしれない。

と、今、幸せの花いっぱいの志茂田さんが書いてみましたよ。

イライラすればいいと思う。

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2013年1月29日 23:45 CAT :

また今夜も葬式が出るべ2012

2013年に入りまして、気がつけば、1ヶ月が経とうとかしているらしい・・・

うむむむ・・・早い。

早すぎるぞ。

何か、忘れているような気がしたんだけど、それを今しがた、風呂に入ってる時に思い出した。

2012年の振り返りだ。

多分そうだ。

チョッと、制作物については、羅列したけれども、何か、2012年については、特に何も書いてなかった。

と言う事で、例年みたいな10大ニュースな感じじゃないけど、少々書いてみよう。

とりとめのない感じで。

〇音楽制作をほとんどしなかった2012年
考えてみれば、2月に、3年ぶりの「馬忠・DA・ムドー」のアルバムを制作した以外は、ほとんど何もしなかった。

まぁ、学生時代にやってたバンド「仁美・mine」の楽曲を全て再レコーディングして、一枚のアルバムにまとめたりもしたけれども、それはそれ。

特に、新しく作ったわけでもなし。

・・・ホント、なんにもしてないわ。

とは言いながら、次のアルバム「王道軽傷」の曲は、少しずつ形になってきてたりはするけどな。

ギターとかは、チョコチョコいじっております。

〇漫画ばっかり書いてた2012年
30歳までに書ききると、自分と約束した「US」と言う物語を、誕生日からこっちとにかく、書いてたような気がする。

とは言えども、仕事の合間を見てだから、そこまで大量というわけでもなく、まぁ、半年で250ページ位か。

何しか、高校生の頃に妄想していた物語、シーンを今書いているという、この何ともすごい状況に満足はしている。

〇良いアルバムに出会った2012年
間違いなく2012年で最高傑作のアルバムは「犬神サアカス團」の「恐山」だと思う。

ホントに、最初聴いたときから、今、まだ聴いてる段階に至っても、まだまだ底が知れない。

すごい名盤だ。

まぢで。

そして、この「恐山」と双璧をなす名盤が「特撮」の「パナギアの恩恵」。

こっちは、初聴時には「ん?」ってなったけれども、聴けば聴くほどどんどんはまりこんでいくと言うスルメ型のアルバム。

ちょうど、ピンクフロイドの「狂気」を聴いたときに近い感じか?聴けば聴くほど、ノリノリになっていくと言う実に不思議な名盤。

とにかく、2012年は後半に素晴らしいアルバムに出会えました。

〇韓国が大嫌いになった2012年
8月の「アキヒロ」君による暴走から端を発したお隣韓国の暴挙の数々。

未だに、陛下への侮辱については許せるものではないけれども、あれを契機として、如何にこの国で、腐れチョンどもがのさばってくれてんのかを再認識させて頂けた。

ナマポ芸人河本も、在日だったわけで、そもそも、こいつが芸人としてTVに出ていたから問題は大きくなったけれども、同じような方法で、日本の資産を食いつぶしている寄生虫が山のようにいる。

生活保護費の引き下げ反対のデモとかしてるキチガイは全部そうですね。

ついでに、史上最悪とも揶揄された「スミダミヨコ」の事件も、全て在日がしでかした事だった。

ついでに、好きだと思ってた「鳥肌実」も、在日の急先鋒だったと言う・・・もう、何が何だかわからない。

何を信じていいのか分からない。

知れば知るほど奥は深い事に恐怖を覚えた。

他にも、色々あるけれども書き出したらキリがないのでこの辺で・・・

〇エホバの標的にされかけた2012年
事の発端は、エホバの勧誘を勧誘だと思わず、話を聞いてしまったことなんだけど、ついでに、相手に「如何に日本の神道が素晴らしいか」とかを語ってしまったから、「話のできる家」認定をされてしまったと言う・・・何ともよく分からない事に・・・でも、エホバって、今のところ「統一教会」や「創価」と比べて、随分紳士的な気がするんだけれども・・・まぁ、どう転んでも、そんな宗教に入信などせんけどな。

〇ばあちゃんが死んだ2012年
6月には、ばあちゃんが息を引き取った。

正直、色々とめんどくさい所もあった人だったし、影では、「やっと済々した」とか思われているかも知れない。

けれども、オレにとっては、小さい頃から色々と面倒を見てもらったばあちゃんだった訳で、最後のお別れの時には、嗚咽を堪える事ができなかった。

もう、ほとんど意識もなくなってたとき、不意に、「もう一度だけ、ばあちゃんの声が聞きたい」と思い、病室に行った。

もう、体を触っても、何の反応もない状態だったのに、声をかけ続けると、確かに、オレの方を向いて、名前をつぶやいた。

(気のせいではないと信じたい。

)最後に、声が聞けた事を思い出して、また泣いたりもした。

〇パパになりそこねた2012年
実は、もしかしたら、2012年のあいだに、子どもが生まれてくるかもしれなかったりした。

結果的には、2013年になって生まれてきたけれども。

妊娠期間中から、本当に色々大変だった。

でも、こんな程度のこと、誰だって経験してるんだ。

弱音を吐くなと、嫁ともども励まし合って頑張ってきたけど、あとから聞いたら、つわりも、妊娠期間中も、そして、お産も、周りの誰よりも大変だったという。

なんじゃそりゃ・・・でも、その分、子どもは可愛いぞ。

〇そんなこんなで政治に興味がむいた2012年
自分の生活以上に、これからの娘の生活を考えたとき、異常に政治に関心が出てきた。

そうなると、もう、本当に民主党と言う党に対して、苛立ちしか募らなくなったわけで、自民党の圧勝に光が見えた気がした。

売国新聞はじめ、マスゴミが非難しているけど、安倍自民党は、実によく頑張ってると思う。

そして、引退したルーピーが、その安倍自民党の足を引っ張っているという。

どこまで行ってもクズの集まりだ。

でも、政治に興味を持つ前には、自民党から民衆党に政権交代した時には、本当に期待していたんよ。

自分で、情報を集め、自分で吟味していけば、何が正しいか少しは分かると言う事だろう。

少なくとも、朝日新聞だけを購読してるやつよりはな。

と、つらつら書いてきたけど、こんな感じか・・・

何か、まだまだ色々あった気もするけれども、今パッと思い出せるのは、このくらいであって、ぱっと思い出せない程度のことなんか多分大したことじゃない。

どうあがいても、一番大きなことは、命を授かったということ。

一つの命が生まれるということが、こんなにも大変なのかと思ったとき、色々なモノの見方がまた一つ変わったと言う、このパラダイムシフトは、相当大きかったと思う。

そんなこんなで、おそらく2013年の一番大きなことは、家族3人での生活になることが既定路線の今年一年を頑張って生きていきましょう。

いやぁ、映画って本当にいいもんですね~

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2013年1月27日 22:12 CAT :

望み縫い

このブログ読んでる奴らなんて、その9割以上がご存知のことかと思いますが、ついに、子供を授かりました。

・・・と言うか、生まれました。

志茂田さんがパパになったと言う事だ。

生涯童貞である事を確信し、何もかもを諦めていた高校時代のオレに、今ならこう伝えてやりたい。

「お前は、童貞を捨てるとか、中出し出来るとかそんなレベルじゃなく、命を授かることができるんだぞ」と。

人生、何が起こるかわからない。

とにもかくにも、大好きな犬神サーカス団の名曲「人工妊娠中絶」を絶った10ヶ月間。

色々と、思い出はある。

あるけれども、それに浸っていたのは本当に生まれてからの数時間だけで、それ以降は、目眩くスピードで成長を遂げる愛娘と過ごした時間のことばかりが頭をよぎっている・・・らしい。

本日、へその緒もポロッと取れました。

この子の寝顔を見ながらふと思う。

これまでの人生を省みたとして、何か、色々嫌なこととか辛いこととかあったけれども、それらを経た先に、この今があるのであれば、それも実は悪くなかったのではないだろうか・・・。

ユングの言葉に「原因があるから結果がある。

全ては必然である。

」と言うものがある。

今この瞬間を生きているのは、過去のどこかに原因があるからであり、その原因があるからこそ、結果として、今この瞬間がある。

あの時も、この時も・・・

そして、今この瞬間を原因として、結果が作られている。

全ては、必然であり、無駄なことなど何もない。

嫌になることもあったし、病んでしまうこともあった。

金がない時も、仕事がない時もあった。

心が荒みすぎて眠られない夜があり、自傷に走ったこともあった。

いつ終わるやもわからない闇の中で、たくさんの病み腐った物語を紡いでいた時期もあった。

それら全てが原因となって、今、多分オレは、すごく満ち足りた、幸せな感情を持っているのだろうて・・・

そして、時間は再び流れ始める。

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2013年1月13日 21:50 CAT :

仲本工事の奥さん死んだ

昨日、だらだらとワンピースの「ストロングワールド」を見てた。

あの映画、なんだろう・・・シキは、盃交わしてるし、その屋敷に乗り込んでくる時だけ麦わら一味は、銃装備のスーツ姿だし、昔の任侠映画かと思ったわ。

(「アウトレイジ」はメチャメチャ面白かったよね!)
・・・でも、なんか面白くない。

ストーリーの 無意味さ 単純明快さは、ドラゴンボールの映画の方がよっぽど酷かったと思うんだけど、それは置いといても戦闘シーンがつまんない。

めっちゃかっこいいとか、緊張感のある音楽があるわけでもなし、ボコボコの殴り合いとかがあるわけじゃないし・・・いや、ドラゴンボールもこんなもんだったのか?
ふと考える。

この映画はきっと面白い。

この映画が面白くなくなったのは、オレが少年じゃなくなったからなんだ・・・と。

ジャンプのマンガに詰まんないとか、30前のおっさんが文句を言ってはいけないんだよ。

事実、あの雑誌を少年が読んで面白ければ、それで良いんだ。

腐りきって臭ってくる女しか読んでないだろう「黒子のバスケ」とか、「テニスの王子様」とか、その辺についてはなんか釈然としないけれども、「少年ジャンプ」なんだから仕方がない。

(「テニプリ」はもうスクエアか・・)
ジョジョは未だに読んでる・・・とか思い直したけど、あれも、もう「少年ジャンプ」じゃないんだよな。

「ウルトラジャンプ」なんだよな。

掲載誌。

ちなみに、「ハンターハンター」については、むしろ、このマンガが掲載誌を間違ってるんだと思う。

さてさて。

昔から、カニバリズムに尋常じゃない興味がありました。

志茂田さんです。

子どもの頃には、ドラクエの指人形を使って、「それぞれが相手の肉をお弁当として食べ合う遠足」と言うよく分からない物語を延々妄想しておりました。

その事実を知ったおかんに、「ゲームが悪影響を与えている」とか謎の誤解をされ(ドラクエの人形を使ってただけで、別に人形はなんでも良かったのに)、しばらく、ドラクエとかを禁止されたのも、今となってはいい思い出。

今までにも、カニバリズムをテーマにした物語もたくさん書いてきた・・・と思う。

演劇の台本「海の底とまぶたのない魚」とか、アルバム「オナニー遍歴」に収録している「カニバリズム・マゾヒスト」とか・・・・

でも、自分では、人間を食べたことがない。

・・・まぁ、当たり前と言えば当たり前だけれども。

興味本位で、自分の体の一部をかじったりはしてる。

カサブタとかじゃなくて、皮とか、肉とか。

特にうまくはないけれども、なんだか不思議なクセになる噛みごたえはなかなか捨てたもんじゃないかも知れない。

とは言えども、所詮、自分の体の一部。

自分の体を食べて、自分の体の一部にしているだけなんだから、そんなもん、ただのマニュファクチュアみたいなもんだ。

・・・と言う事で、食べてみた。

いや、別に犯罪的なことじゃなくて、嫁の指の剥け剥けになってきた皮みたいなヤツを。

女の体の一部を食べる。

とか書くと、実に素敵な性癖のような感じもするけれども、そんな興奮とは、数万光年剥離した、単純な興味本位で食べてみた。

感想としては、当然、自分の皮と噛みごたえとかは同じ。

・・・なんだけど、不思議と嫌な感じがする。

それは、気持ち悪いって言う感覚と、なんか尋常じゃない罪悪感みたい感じ。

・・・オレは、アルバート・フィッシュにはなれない。

・・・ソニー・ビーンみたいな家族も作れない。

でも、「エディ・E」と同じで、血の滴るステーキは大好物。

肉は、血の味がする硬い赤身がうまいと思っております。

なんか、霜降りとか好きな奴は、絶対肉好きだと思わない。

あんなもん、口の中ですぐとろけて、ほのかな甘みを感じるだけじゃないか。

オレは、肉をくいたんだよ。

肉と血の味をしっかり歯で噛み締めながら、分厚い肉の塊を頬張りたいんだよ。

昨日は、家の近くの「ビッグボーイ」で、300gのサーロインステーキ食べた。

でも、全然物足りない。

1kgぐらいステーキ食べたい・・・

え~と・・・オレが何を言いたいかというと、肉ってうまいよね。

って事・・・だ!!

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2013年1月11日 23:01 CAT :

あたいはお前の顔とアソコさえあれば充分なんだよ

「シーソーゲーム」なら、1000円出してシングル買ってもいい。

と、Mステ見ててふと思った。

誰がなんと言おうと、CDが売れなくなったのは、ネットのせいじゃなければ、コピー技術の進歩でもない。

あの当時だって、買うまでもない曲はレンタルしては、MDにコピーしたり、MDをダビングしたりしまくってたんだ。

でも、そんなもんじゃ満足出来ない。

手元に置いておきたいだけの素晴らしさがあった。

と思うのは、ただの懐古中の戯言でしょうかね。

でも、今でも「犬神サアカス團」と「キンショー」「特撮」については、発売日には、なんとしても手に入れてるわけだし。

買うまでもない曲が増えただけだなんだ。

ちなみに、ミスチルで一番好きな曲は「ゆりかごのある丘から」でございます。

さてさて。

なんかとある調査で「結婚したくないやつが全体の40%くらいになった」らしい。

ソース元(↓)
https://news.mynavi.jp/news/2013/01/10/056/index.html
その理由の多くは、実際に結婚したヤツを見てて、幸せそうに見えないから。

だそうで・・・

オレが結婚する前、会社の皆様に散々「覚悟は決まったんか?」とか、「結婚は人生の墓場」とか、「今のうちにしっかり遊んでおけよ」とか言われまくった。

・・・し、実際に、こんな事を言ってる皆様方は、本当にそんな結婚生活なんだろう。

結婚すると、どれだけ窮屈な思いをするんだろう・・・とか、ちょっと考えたりもしたけれども、実際、今の結婚生活は思ってた以上に快適だったりする。

特に、不満とかないと思う。

考えてみれば、自分の両親を見た時に、もう結婚して30年が経とうとしているのに、未だに一緒に風呂に入ったり、二人で夜に散歩に出かけたりしてる。

どちらか一方に話した話は、次の日には二人のあいだで共有されている。

ギスギスしてる時もあるけど、何だかんだ言いながら悩みを共有したりしながら、30年だ。

この二人仲がいいんだと思う。

そんな両親を見てきたオレにとって、結婚って実はそんな怖いもんじゃなかった。

(重い責任がのしかかってくることに若干ビビってはいたけれども・・・)
今だって、別に、実家でいた頃と大して生活の感じは変わんない。

と言うか、多分、嫁に使ってる気は、実家で家族に使ってた気の半分以下だと思う。

普通に、音楽活動とかも続けてるし、マンガ書いたり、創作活動も差し障り無くやってる。

連れと飲みに行ったり、なんだったり女友達と2人で出かけたりしても問題ない。

そもそも、オレがあんまり金を使わないってのもあるけど、結婚してから一度として、金を使えないと言う類の不満を持ったこともない。

ついでに、嫁の作る飯もうまいしな。

とか何とか、惚気けてみました。

見苦しかったらごめんなさい。

でも、本当に、特に何の不満もなくニコニコ生活しております。

唯一できなくなったことと言えば、弟とのヘイロー位か・・・?まぁ、これについてもやりたい衝動に駆られて、時々実家でやってたりするので、そこまで不満じゃあない。

何が言いたいかというと、「結婚は決して人生の墓場じゃない」ってこと。

本当の人生の墓場は、ロクでもない糞女に引っかかってしまったときだ。

正直、たまにテレビとかで糞女を見かけた時には、「こんなやつと結婚するくらいなら生涯独身でいい」とか思うし、結婚なんて無理にする必要はないとも思う。

ステイタスとか、世間体のために、ロクでもない女と結婚とかするのは、愚の骨頂。

結婚なんて、そんな難しいものじゃないし、そんな凄いものじゃあないと思う。

なんか、誰かが「結婚して、子供産んだ女をカッコいいという」みたいなことを言ってたけど、アホの塊でしかない。

そんな奴と結婚した男は、確実に「結婚は、人生の墓場だ」って感想を持つだろうて。

昨日、「ダウンタウンDX」で中尾彬大先生が素敵なことを言ってたよ。

「うちは、男尊女尊だ」って。

お互いを、お互いに尊敬できる間柄を築けるときに、初めて結婚ってのは、意識すればいいらしい。

女なんて、別に凄いわけでも何でもない。

男だって、別にすごいわけでもなんでもない。

性別は、理由にはならない。

それでも、男を見下して、女だってだけですごいとか思ってる女は、ベッドに縛り付けて、まんこにバイブでも突っ込んで陵辱してやればいい。

泣き叫んでも、しばき回して、二度と刃向かえなくしてやれば良い。

そして、ゴミ箱に捨てて、もっと良い女を探しに行きましょう。

そんな、生ゴミ臭いまんこより、もっといい女は、きっと世の中にたくさんいるはずだ。

とか何とか、こんな話をオレがするようになるとは・・・

いや、ただの惚気だ。

気にせんでくれたまえ。

世は正に、世紀末!!!!

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2013年1月8日 0:40 CAT :

神々のゲップ~後編~

【前回までのあらすじ】
昔、何が良かったのかさっぱりわからなかった、所謂「名曲」と呼ばれる作品たち。

あんなもの、歳とったおっさんが、回顧感に浸りながら、涙を流すだけの歌で、今の時代にはあわねぇんだよ。

と思っていた。

でも、自分が歳をとったおっさんになったとき、例えば「愛燦燦」を聞くと、例えば「上を向いて歩こう」を聞くと、例えば「やさしさに包まれて」を聞くと涙が溢れてくるようになってしまった。

これらの曲はきっと、年を重ね、経験を重ね、人生の悲喜交々をくぐり抜けたあとに、初めて本当の意味を理解できる曲なんだろうて。

やっと「昴」の本当の良さも分かってきました。

さてさて。

そんなこんなで、今日で最後にしてしまおう。

あの変な宗教勧誘のおかげで、なんかテンションが上がってしまった「神様考察」。

そろそろ飽きてきたしな。

と言う事で、最後に考えるべきなのは、やはり我が日本における「神道」をはじめとする神様信仰についてだ。

そもそも、まだ「一神教」と言う考え方が出来上がるはるか前から、人類は得体の知れない何かに対して、それらが自分たち以上の強大な力を持つ存在だとして、畏敬の念を込めて崇め奉った。

俗に言う「アニミズム」と言う奴だ。

日本では、ご存知のとおり、奈良時代に中国から「仏教」と言う宗教が入ってくるまでは、このアニミズムに傾倒した「神道」が主流であり、当時の実力者、蘇我氏と物部氏がそれぞれに、仏教と神道どちらが日本を治めていくに適していたかと競い合った過去がある。

結局、蘇我氏が勝つことで日本は国を挙げて「仏教」を信仰する事になるのだけれども、この段階では、あくまで「仏教」は政治の手段であり、今の創価学会の比じゃないくらい政治と癒着しちゃっていた。

では、その間に日本古来の神道は死滅したのかといえばそんな事はない。

むしろ、どうしても駆逐することのできなかった八百万の神と仏が共存すると言う、全く不思議な文化を作り上げてしまった。

この日本文化のお話も面白いんだけれども、今回は、あくまでもその中でも神様と言う事で、神道だけに絞ってみてく。

(仏教はあくまでも仏を信仰するものだし。


日本古来よりの神道でも、おそらくは、元々は、全世界的アニミズムと同じく、自分たちではどうしようもない強大な何かに対して畏敬の念を込めて崇め奉っていたのだろうけれども、それは日本の風土とともに少しずつ変化していった。

日本では、この世にあるもの全てに神が宿っており、そして、自分たちが常に神と接し、神によって生かされていると考えられてきた。

「八百万の神」ってヤツだ。

ついでに、事あるごとに神様を迎えて、祭りを行うようになる。

言ってみれば、神様は、自分たちと生活を共にする身近な存在になっていったとか、そんな話らしい。

お花見は、田んぼの神様「さ」がくる季節咲く花「さくら」(ちなみに、「さ」が来る頃に咲く花だから「さくら」というらしい)の下で、「さ」とともに酒を飲んで綺麗な花を愛でることで、一年の豊作を願うお祭りが形骸化したものだし、逆に、秋祭りは、その「さ」が帰るときに、その豊作の感謝と来年の豊作を願うお祭りだったりする。

モノを大切にすることで、付喪神と言う神様がやどるとも言われ、それを捨ててしまうことで、神様の宿る体がなくなることから「勿体無い」と言う言葉も生まれた。

自分たちのふるさとにも、自然にも、住む家にも、日常使うものどころか、厠や道端に落ちている石ころにさえ神様が宿っており、それらを大切にすることで、その神様が自分たちを守ってくれると考えていた。

神様となるものは、その多くが、死んでいったご先祖様であり、そのご先祖が神様に姿を変え、年に何度か戻ってくることを、心から喜び、最大限のもてなしと共に、祭りを開催していた。

自分たちが生きているという事は、数多くのご先祖様が存在しているからであり、そうして生きている今日を自分の身の回りにあるどんなものにでも感謝しながら過ごす。

自分以外の生き物にも、同等の命があり、神が宿っていると考え、大切にする。

その数限りない感謝の形が、日本の神道の根底にはあると思う。

そんな尋常じゃなく素晴らしい日本に残る文化を心の底から尊敬し、素晴らしいと強く強く思うようになっちゃったんだよな。

日本人として、体に刻み込まれたこの感覚が生きている以上は、それ以上の宗教やら、神やらなんて存在しないんじゃあないかとか思ってしまう。

それは別に、海外で生まれたそれぞれの文化や、神を否定するわけじゃあない。

それらはもちろん、その国々において生まれた大切で素晴らしい文化であり、敬うべきものだ。

けれども、日本人として生まれてきて、この感覚を持っているくせに、キリスト教ってそれはどうだろう?とかね。

そんな事を思っているわけですよ。

「父なる存在」を敬う前に、本当の父でも敬っておけ。

その父の父やさらにその父に思いでも馳せてみろとね。

「インテリジェントデザイン」ではなく、本当に神と呼ぶべき存在はまさにそこにこそ存在していると、オレは思っておるわけですよ。

まぁ、3日かけてつらつら書いてきたけど、要するに、オレが言いたかったことは、「チョンはさっさと、失業率も凄いことになってる、偉大な自国へ帰れ。

そして、二度とこっち向くな」と言う事・・・らしい。

うむ。

久々に、長々と書ききってやったよ。

じゃあの。

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2013年1月7日 1:38 CAT :

神々のゲップ~中編~

【前回までのあらすじ】
メガネが壊れた上に、目の悪さが尋常ではなく、結構特殊なレンズがいるため、取り寄せに時間がかかることが判明。

しょうがなく、コンタクトで過ごしているけれども、ドライアイで目薬が欠かせない。

その上、愛用の目薬をなくしてしまい、安物の家にあった目薬を使ったところ、目の周りの皮膚がただれ始めたのであった。

(皮膚も弱い。


さてさて。

昨日の続きでもツラツラ書いていこうかなぁ~。

今日のところは、果たしてこの世界を神が「七日間」で作り上げることが可能だったのか・・・という点について。

現状では、地球が出来上がてから40億年以上が経ち、そのあいだに少しずつ、環境が整い、生物が進化してきたという考え方が主流ではあったりする。

けれども、大真面目に7日で世界ができたと考えている学者さんはいるし、この世界は出来上がってから1万年も経っていないと言う説も実際にあったりする。

取りあえず、昨日つらつらと書いた「5分前の世界が本当に存在するか証明できない」と言う考え方はなかったものとして考える。

(これを言い出したら、キリがないので。

)として、人類の歴史の記録が残っているあいだは確かに世界が存在していたと考えて、最短で1万年くらいは経ったんではないだろうか?と、そう言う話らしい。

そもそも、歴史感を考える上では、「静然説」と「激変説」のどちらの立場をとるかが重要だったりする。

「静然説」ってのは、自然環境に何らかの突発的な変化がないままに、長い時間が経っていた事を前提とする考え方で、逆に「激変説」は、これまでに自然環境に何らかの激変がなんどかあった事を前提とする考え方。

現在の考古学で主流となっている「C14年代測定法」ってのは、要は、物質に含まれている「炭素14」ってやつの量を測り、それの減っている割合から、年代を推測するやり方だけれども、これは、あくまでも「静然説」の立場からでなければ成り立たないものだったりする。

例えば、突発的にものすごい温度で熱されたり、何らかの理由で、すごい放射能を浴びちゃったりとかすれば、それだけで、「炭素14」の含有量は変わってくるわけなんだか、「激変説」の考え方からすれば、そんなものは何の当てにもならない。

だから、「これは〇〇億年前のものだ」と言っても、「いやいや激変説から考えれば、根拠はない。

もしかしたら、1000年くらい前のものかもしれない。

」という話になっちゃうという・・・

と言うことを踏まえたうえで、この世界は果たして7日間で本当に作られたのか・・・考えてみれば、実は、全く不可能ではないらしい。

それどころか、本当に、7日間で作られた上に、それから数千年も経っていない可能性だってある。

恐竜がこの地球に栄えていたのは、5~6000年程度前だったみたいな話もあるわけだから、それはそれでワクワクする。

(現在では、偽物だと断定された「カブレラストーン」だって、あながち間違いとは言えないという・・・)
ただ、問題は、なぜそのことが聖書に書かれているのか・・・という点だと思う。

それどころか、神話として、短期間に世界が強大な存在によって構築されたという似たようなお話が日本も含め世界各地に伝えられている。

昨日の「インテリジェントデザイン」の話に戻ってしまうけれども、自分のことを神として崇めさせようと考えた、その何か強大な意思が、世界を短期間でつくり、そして、その事実を、世界各地に生きていた人間それぞれに伝えた。

大元は同じであり、それが時間をかけて伝承されていくうちに、その土地の風俗や文化に合わせて微妙に変化していったと考えるとどうなんだろうか・・・

この側面から考えていったとしても、やはり、なんだかこの「神」と呼ばれる何らかの意思を敬う気にはどうしてもなれない。

ような気がする。

ただただ、畏怖の念は抱いてしまうけれども・・・

世界は、一体何のために作られてしまったのか。

そんな根源的な部分に結局は戻ってしまうらしい。

とそんな感じで、明日には、さらにもう一つ。

最後に書いておきたい「日本」における神道。

アニミズムから派生した八百万の神についてでもツラツラ書いてみよう。

(ちなみに、オレが一番神として、大切にしているのはコイツだと思う。


次回を待て!!

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2013年1月6日 0:45 CAT :

神々のゲップ~前編~

メガネがへし折れたので、メガネを買いに行った。

今からしばらくお金がたんまりいりそうなので、あんまりお金をかけなくてもいいように、安いのでいいや~みたいなノリで、近くの「眼鏡市場」に行った。

なんかCMとかもよくしてるし、なんかお値打ちで良いのがあるのかと思ってたんだけど、正直すごいがっかりしましたよ。

ええ。

ええ。

安いよ。

確かに安いよ。

でも、それはどう見ても「安い」ってことが丸分かりな代物。

どんなに頑張っても、「ニトリはニトリ」だと言う感想に近い感じだろうか・・・求めてんのは、「この値段で、このメガネなら納得だ」的なやつだったのに、「これレンズ込みで20000円だったんだぜ」と聞けば、「あぁ~っぽいな」か、または「まじで?それはぼったくられてないか?」と返ってきそうな感じのメガネばかり・・・

しょうがないので、近くの「メガネの三城」に行って来た。

すぐに納得のいくメガネは見つかった。

でも、40000円チョッと・・・前使ってたやつよりは、だいぶ安くなったけれども、それでも、予定より高いのを買ってしまったよ。

ただまぁ、それでも、このメガネなら40000円出してもいいかな。

と言う感じだったので、良しとしよう。

デフレデフレと言ってるけれども、やっぱり安いものには安いなりの理由がある。

自分が納得できないところについてだけは、どうしても、安さよりモノの良さを優先してしまう今日この頃・・・それもこれも、嫁の家計のやりくりがうまいお蔭だ。

この安月給でよくやりくりしてくれてると思うわ。

さてさて。

最近、家に某宗教の勧誘がちょくちょく来るようになった・・・元々は、オレがさっさと追い返せばいいものの、その人に対して「宗教の無意味さ」について、長々と(もちろん否定的に)語り尽くしたことが原因で、どうも、それが、相手に「話ができる家」と認定されてしまったらしい・・・

メンドくさい事になってしまった。

とは思いつつ、「神について」と言う面白い話題で、違う立場から議論すると言う状態に実は、チョッと面白いと思っている自分がいたりもするのが困ったところではあるけれども。

まぁ、何があろうとも、絶対に特定宗教への入信などはしませんよ。

たとえ殺されようともな。

「神」について。

この世界には、たくさんの神がいると信じる「多神教」と、すべてを作りたもうたひとつの神がいると信じる「一神教」と言うものがある。

個人的には、「一神教」の考え方が実に嫌い。

結婚式の時は「父なるイエス」なんぞに誓うかボケェ!と、チャペル挙式も、神前式を拒否したし。

この世界すべてを作り上げたのは、偉大なる神であったという考え方。

この「神」という表現が実に不愉快なんだけれども、実は、この世界は何者かの意思で作られたという、「インテリジェントデザイン」の考え方はアリだと思っていたりする。

でも、その「何者かの意思」は実に悪意が込められているように感じてならない。

聖書には、「ひとつの家があったとして、その家に住む者が家以上に誉れを受けるのであるならば、その家は、神が意思によって作りたもうた」という一節がある。

要するに、「インテリジェントデザイン」こそ神である。

という訳だけれども、では、現状の世界をひとつの家としよう。

この家には、ものすごくたくさんの問題がある。

雨漏りはするわ、壁は薄いわ、傾いてるわ、扉はちゃんと開かないわ・・・完全な欠陥住宅だ。

としたとき、その家を作った業者の事を偉大な父だと言えるだろうか。

その家の欠陥を何とかかんとか克服することで、欠陥住宅を克服した人として、その人が有名人になったとしても、悪意を持って欠陥住宅を作ったその業者に尊敬の意など湧くはずもない。

それを、神が与えたもうた試練だというのなら、そういう悪徳業者の作った、欠陥住宅にでも、試練だということにして住めばいいと思う。

そして、それを克服することで、やすく欠陥住宅を売りつけてくれた悪徳業者を神格化すればいい。

オレは、そんなお人好しにはなれない。

だからこそ、「インテリジェントデザイン」=「神」という図式は不自然でならないと思う。

では、この「インテリジェントデザイン」とはなんなのか?
面白いことに、哲学的には、この世界が本当に5分前に存在していたと言う事を証明する方法はないらしい。

「何を言う、オレには5分前の記憶があるぜ」と反論したところで、その5分前の記憶が、本当に自分が体験したものか、誰かに作りこまれたものかを判別する方法はない。

わかりやすく言うと、「ロマサガ2」の世界があるとする。

オレは、レオンだ。

レオンは、かつてこの世界に七英雄という存在がいて、その七英雄が世界を救った過去があることは知っているけれども、それは実際に、そのロマサガ2の世界で起こったことではない。

それはあくまでも、河津秋敏が考えて、レオンに埋め込んだ仮想の記憶でしかない。

でも、レオン自身は、それがこのロマサガ2という世界の中で、実際に起こったことだと信じて疑わない。

つまりそういうことだ。

逆に、分かりにくいか?
なんか、手塚治虫の短編で(タイトルをど忘れした)この世界は一つに演劇で、自分がその演劇の主人公として、無意識のうちに、何者か強大な存在が作った台本通りに生きて、それを、別の何者かが見ているという話がある。

まさに、そういう事なのかもしれない。

どちらにしても、この「インテリジェントデザイン」は、何らかのちょっとした悪意を持って(それは、こんなんがあったほうが、この物語は面白くなるぞみたいな、好奇心的なものも含まれるとして)、この世界を構築していったのだろう・・・

だとすれば、この存在は、果たして神か?
神ではないとすれば、なんなのか・・・妄想はとめどなく溢れてくる。

と言うか、こんな話題を一日で書ききることなどできるはずがないので、珍しく、明日(って言うか、次のエントリー)も同じネタを掘り下げていこう~
明日は、世界はキリスト教の言うように本当に神が「七日間」で作ったのか?について・・・

これについては、大学時代本格的に研究してたりしたので、少々専門的に、ツラツラ書いていこうかなぁ~
なんかテンションが上がってきたぞぉ~

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2013年1月5日 0:23 CAT :

絶望その1

やあみんな。

なんか知らんけど、親族、知人友人、職場などなどいろんな人から、心配やら祝福やらいただいておりますが、まだだからな。

と言う事で、今日のところは、そのありがたい気持ちを歪にねじ曲げて、ポエミィーに最近書いた詩をひとつ、皆様にお送りいたしましょう。

とっても、ポップでハピネスな歌だから、きっと皆様も感情移入しやすいと思うよ。

ちなみに、こいつは、多分、次回作「王道軽傷」に収録予定の曲の歌詞でもあったりする奴だ!!
【絶望 その1】
殺したくて
殺されたいのです
年に一度や二度
ちょうどこの季節になると
少々の悪意と共にヒラヒラと舞う少女のスカートの裾の様に思い馳せるのです
人を傷つけることだけが本当に生きていく術なのでしょうか
すべからく全ての人間は
画一的にすべからく憎しみだけで繋がります
いくばくかの幸せはありもしましょうが
逃げ果せるはずもない悲しみは
どうしようもなく強大で殲滅的でした
降り注ぐ雨は
しず心なく茅の屋根を打ち
まるで掴まれた心の臓のようです
いつ止まるやも分からずに
そうやって、今だけは、嘲笑に似た笑みもこぼれました
振り下ろした小さなナタは
幼子の戯れる公園にあるポプラの木を傷つけるには十分で
どうする訳でもなく朽ちていきました
「さようなら」
言うことでどうなる訳でもないわけで
言わなかったからどうなる訳でもありません。

ただ、もう動くことのないあなたの見開いた目を見るにつれて
ようやっと理解いたしました
これが絶望と呼ばれる感情なのですね

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2013年1月4日 23:06 CAT :

切なさ漂う橋の下で僕は君と手を繋いでた

何か、テレビでスゲエ面白い番組してた。

【古代文明ミステリー たけしの 新・世界七不思議】ってヤツ。

これ、なんだかんだ言いながらほぼ毎年見てたような気がする。

(年末に超常現象みて、年始に世界七不思議見て、たけしばっかりじゃねぇ~かとか、毎年言ってる気がする・・・)
ん。

最後の一つが、カルナック神殿か・・・まぁ、納得。

それより、アテン信仰がモーゼとつながって、ユダヤ教の元になったって説が面白かった。

吉村教授に速攻で否定されてたけれども、こう言うとんでもな説が大好きだ。

こんなのが好きだから、大学の時に、教授からほぼ破門同然にゼミをやめることになったんだけれども・・・まぁ、好きなものはしょうがない。

さてさて。

そんなこんなで、今日は、チョッと歴史の思い出でも・・・

大学では、考古学を専攻していた。

(関係ないけれども、今の韓国がやっている歴史詐称がムカついてしょうがないのは、歴史が好きで、歴史を勉強し、そして、歴史を研究してきた先人の皆様方を尊敬してやまないからかも知れないなぁ~とか思ったりもする。


そもそもなぜ、こんなにも歴史が大好きになってしまったのかは分からない。

けれども、とにかく大学で専門的に勉強するほどになっていた。

実際に発掘現場で働いていたこともある。

あの時、オレが担当していたのは弥生時代の住居跡だったけれども、そこのかまど跡から、獣骨を発見したとき、そして、その住居から管玉を発見したとき、あの感動は今でも忘れることはできない。

幼い頃から、歴史的な話が大好きだった。

ただ、今と決定的に違うことがって、あの頃は、ただただ恐怖の対象でしかなかった。

なぜか、マチュ・ピチュとピラミッドが大好きだったけれども、例えば、ピラミッドの製作過程などを妄想すると、もう怖くて怖くて夜も眠られなくなった。

糸井重里の徳川埋蔵金とか見ても、その夜は怖くて怖くて眠られなくなった。

歴史というものは、数え切れない先人の皆様方の営みを紐解いていく行為なわけで、例えば、前述の住居跡だって、2000年くらい前には、そこで住んでいた人の営みの痕跡だったりする。

そして、その時々で、生きていた人間の感情や息遣いを、実にありありと感じることができる方法こそ、考古学だったように思っている。

土器の破片一つとってみても、その裏側に手の形のあとがあれば、どんな気持ちでどうやって、何千年前のご先祖様がこの土器を作ったのか、かなり現実に近い妄想に耽ることができる。

だからこそ、子どもの頃はそれが怖かったのだろう。

自分の命と言うものが、その数え切れない命の上に立脚してかろうじて生かされていると言う現実の重さが、怖かったのだろう。

それをよりリアルに知ることができる歴史的なお話や事柄、建造物に対して、恐怖で夜眠られなくなりながらも、それでも、興味を持っていたのだろう。

それは、恐怖ではなく、畏怖だったのかも知れない。

その気持ちは、今、そのまま、恐怖ではなく、感謝と尊敬の念となっているのだと思う。

連綿と続くその歴史という重みを再び恐怖として感じる日が来た時、きっと、オレは死んでしまうのだろう。

覚え、忘れ、そして思い出す連鎖の時間。

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2013年1月3日 21:49 CAT :

どれが君のガラクタ 何が君の宝物

例の靖国神社の放火犯。

な、生ゴミチョン。

日本への引渡しについて、韓国側が正式に拒否することが決まったらしい・・・(↓)
https://news.livedoor.com/article/detail/7285046/
相手は、日本の活動家が落書きした杭を設置しただけで引き渡せとか言ってきてるくせに、歴史建造物に放火したやつは問題ないとか。

さすが、脳髄までキムチで出来ている方の思考回路は凄まじい・・・

新年早々異常に気分が悪いわ。

いや、あの土人国家の対応については、当然だと思う。

だってそんな、例えば、その辺の野良犬に噛まれたからと言って、それを野良犬に抗議したところで、聞く耳持たずで噛み付いてくるのは当たり前。

あいつらに、まともな国際条約とかを守れるとか期待するからいけない。

あいつらは、ただの池沼国家。

気分が悪いのは、そう言う(下手したら、野良犬の方が恩義とかある分遥かにマシなだけども)非人間のゴミチョンに対して、何ら強気に出ることのできない日本政府側だ。

これまで、日本側は、シナチクのアホ活動家とかをことごとく開放してきている。

だから、今度は、こんな舐めくさった対応をとられるんだと思う。

せっかく、ミンスから変わって、日本から在日含む生ゴミを掃除しようと言う動きも見え始めているんだから、そのまま、この大掃除をしっかりやってもらいたいもんだ。

それで、もしあのゴミチョンがファビョろうとも無視すればいい。

国交断絶ならむしろ喜ばしい。

戦争なんかできるわけない。

あいつらは、野良犬と一緒で、ちょっと蹴り上げれば、キャンキャン言いながら逃げていくだけなんだからな。

さてさて。

「爆音列島」がついに完結してしまいました。

ほとんどの単行本を所持している大好きな漫画家さん「高橋ツトム」の自伝的漫画。

(多分、全部単行本持ってる漫画家さんって「岩明均」「荒木飛呂彦」「徳弘正也」「慢画太郎」くらいしかないと思う。


途中、「士道」のせいで(そういえば、「士道」だけ持ってないや・・・)なんかないがしろにされてる感もあったけれども、ちゃんと10年以上の歳月をかけて完結してしたことがまず嬉しい。

んで、個人的には、あんまり「ヤンキーモノ」とか好きじゃあないけれども、それでも、最終話を読み終えて、なんだか泣いてしまった。

素晴らしい作品だこれは。

ここまで生きてくる上で、ヤンキーとか、不良とか、暴走族とかとは、ホント、接点がないというか、むしろ、カツアゲとかされてきた部類の人間なわけで、その手の漫画とか、ホント苦手なんだけど、この話は大好きだった。

それがなんなのかは、よくわかんない。

内容読んでてても、やっぱりアウトロー独特の思考回路とでも言うのか、オレにはよく分かんない話がどんどんと展開していく。

そこは、やっぱりオレとは違う。

じゃあ、何に惹かれたんだろう・・・とか考えてみた。

そこは、やっぱり自伝的な作品であり、リアリティーがあったんだろうなとも思ってみた。

でも、多分違う。

最終話まで読んでみて思った。

多分、この漫画の主人公も、根本の部分は同じなんだ。

大人になっていく過程で、やっぱりどうしても納得できない部分があって、そこについて、いろいろともがき苦しみながら、結局は、大人になっていくんだろう。

もがき方に大同小異あろうとも、その過程は誰でも同じなわけで、そうして感情移入していった結果、なんだか、最終話で、泣いてしまったんだろう。

いつか来るであろうその時を描いた、正に、青春群像劇として読めば、誰にでも感動できる漫画なんだということだと思う。

そんな意味で「グミチョコ」とだって、そんな変わりないんだと思う。

バンドでも、漫画でも、バイクでもなんでもいいんだよ。

そんなもんは。

・・・そういえば、そんな話が書きたくて、「超ニュースチョクホー」って小説も書いてたんだ。

オレは。

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2013年1月2日 23:27 CAT :

容赦は大儀の敵

先日、60くらいのおばあちゃんが「年配の方だからできるだけ柔らかいものが・・・」とか言ってるのをふと耳にした。

いや。

あなたも十分に年配だ。

前々から言ってたけれども、人には、それぞれに年相応というものがある。

60歳は、もうおばあちゃんだ。

年配の方だ。

美魔女とか言って50代なのに20代に見えるとか、それ最悪だからな。

それは、普通の人間が50年かけて獲得していくモノを投げ打って、エセの20代の見た目になるように。

そんなことばっかり考えてきた空っぽの人生だ。

10代には10代の良さがあり、20代には20代の良さが有り、30代には30代の良さがある。

それを理解できないまま、自分が60歳になっても、若いつもりでいるとか愚の骨頂。

60代になったのなら、良いおばあちゃんになることに尽力したほうが良い。

その方が、絶対にいい人生だ。

今年で30なので、オレは、これから良いおっさんになることに尽力いたします。

さてさて。

例年なら、年末に書いてたのに、仕事が忙しくて最近すっかりこの時期に書くようになった、昨年の振り返りでございます。

昨年1年。

振り返ってみると、近年稀に見る何にも作らなかった1年だったような気がしないでもない・・・けれども、取りあえず・・・

↓ ↓ ↓ ↓ ↓
〇馬忠・DA・ムドーのケンヂくんになりたかった【ロマンズ クエスト ファンタジーXXXVⅡ~竜王を探せ~】サントラ集
と言うね、なんとも長ったらしい(と言うか、馬忠らしい)、馬忠・DA・ムドーの3年ぶり8枚目のアルバムを製作いたしました。

今回は、架空のゲーム「ロマンズ クエスト ファンタジーXXXVⅡ」のサントラ集と言う、よく分かんないコンセプトをもとに、本当に「街の音楽」とか「フィールドの音楽」「バトルの音楽」などなどを作っていきましたよ。

ちなみ、スーファミ音源をイメージして、できるだけ電子音、4チャンネルいないなど、勝手に制限をつけた中で作っていった。

これがまた楽しかった。

実に良い名盤ができたと思う。

今回のボーナストラックは、演劇用に書き下ろした台本「観客3人のライブイベント」のテーマソングと、7年前に制作した、馬忠・DA・ムドーの4枚目のアルバム「大日本帝国産業【萌え】」に収録してた「君とふたりで」の再録。

もちろん「ケンヂくん」とは、オーケンであり、20世紀少年の「遠藤ケンヂ」であり、カレーライスとかで有名な「遠藤ケンヂ」であり、そして、サントラと言う事で、偉大な作曲家イトケンでございます。

〇観客3人のライブイベント
昨年、「アクアコーラス」さんに提供した演劇用の台本「手のひら収集家の末路」が何げに好評だったので、「今年もなんか書けよ」みたいなご依頼を頂きました。

で、メンドくさいありがたく、頭を床にこすりつけて書き下ろさせていただきましたよ。

な演劇用の台本。

今回のが、好評だったのかはよくわからないけど、個人的には実に良いものが書けたと思ってる。

で、そのテーマ曲として、同名の「観客3人のライブイベント」と言う曲も書いてみましたとさ。

〇US (200ページ)
オレは、この物語を20代のあいだに描き上げるんだと何年も前から決意していたわけで、気がつけば、もう20代は終わりを迎えようとしている。

そして、昨年の誕生日から1年間、この「US」と言うお話のラストスパートを始めたわけでござます。

とは言え、色んなものと同時並行だったりするし、かと言って、クオリティーを著しく下げたくもないので、2週間に20ページというローペースながらも、確実に描いていく作戦で言ってる感じ。

取りあえず、今のところ、いいペース。

この調子なら、おそらく春頃には、完結を迎えることだと思う。

今年、創作活動が多岐に渡らなかったのは、間違いなく、この作品を描いてたからだと思う。

〇子どもは老人に励まされた
「永遠の向こうにある果て」以降に書き始めた小説。

今回は、恋愛などをテーマに書いてみようと試みては見たものの、自分の年齢を思い知り、それどころじゃなくなった為、現在は、ちょっと執筆をストップさせてる。

「US」が完成次第、こちらも、再び書き出す予定。

と言う事で、今はまだ未完の状態。

〇夢喰いバクヲとウミィ・マミィ
10年くらい前にやっていたバンド「仁美・mine」で作った2枚のミニアルバムの楽曲を、当時の演奏をできるだけ再現させて録り直そうと言う感じで制作したアルバム。

かと言って、当時のメンバーを呼び寄せたりそんな事はしてないので、このアルバム自体がありなのかどうかはよく分からない。

でも、当時のメンバーのひとりにあった時に、このCDを渡すと、「ありがとぉ~」ってめっちゃ喜んでくれたので、あの笑顔だけでも、良しとしよう。

そして、このアルバムが出来上がったことで、やっとこさ、「黄泉」完成以降ストップしてた音楽制作も再開し始めた。

ストックというか、宙ぶらりんの曲もなくなったことだしな。

とまぁ、このくらいしか、本当に作ってない。

ただ、「影の上のボーニョ」以来のオリジナルアルバムの構想が大分固まってきている。

すでに、「絶望1」「カポをつけて奏でる発狂者」「今宵【ただいま】はゼロになる」「ジェノサイドラブレター」「お耳汚しを召し上がれ」「犬神一座の大サーカス」「白痴にも書けるラブソング」辺りが完成している。

こいつらのレコーディングに入れるのは、まだあと1年位後だとは思うけど、なかなかいい感じにバラエティー豊かなモノができそうな気がしている。

今年は、取りあえず「US」の完結と、このアルバムのレコーディング開始を目標にのんびりやっていきます。

まぁ、そんな感じでございますです。

ではでは。

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2013年1月1日 23:57 CAT :

あけましておめでとうございます~

皆様。

あけましておめでとうございます。

昨年の今頃に、偉そうに今年はブログとかいっぱい書くぞぉ~と意気込んでいた結果は・・・(↓)
2012年01月 26件
2012年02月 16件
2012年03月 14件
2012年04月 13件
2012年05月 13件
2012年06月 5件
2012年07月 6件
2012年08月 4件
2012年09月 8件
2012年10月 5件
2012年11月 8件
2012年12月 5件
と言う訳で、完全に最初の半年で失速してしまったわけですな。

むしろ、1月とか、ほぼ毎日更新してたんだから、まぁ、凄いっちゃすごいんじゃねぇ~の?
と言う事で、今年は、こんな事にならないように、平均的に更新できる程度に頑張ると言う事でやって参ります。

毎年恒例の、「今年の重大ニュース」とか「今年やったもの」(どちらも2012年ね)は、近いうちに書く。

多分な。

取り合えず、今年は例年みたいにアグレッシブに、オレを今年1年守ってもらう神様を選ぶ「神様選手権」も出来ない身でありますので、氏神様となぜか大好きな神社だけお参りしてきやした。

そんな感じで、今年もよろしくお願い致しまするぅ~

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