- 2013年7月23日 22:15 CAT :
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夢追いインザスカイ
人を殺すことのハードルが極端に低い・・・とは、どんな事なんだろう?
笑いながら、耳の穴に煙草の火を押しあてる事が出来るのか・・・しかも、友人に。何かの研究で、まだ何も分からない赤ちゃんの目の前で、良い事と悪い事をしたら、赤ちゃんは、良い事をした時にはニコニコして、悪い事をしている時には、顔をしかめたとか何とか。
人間には生れながらの道徳心がある。
俗に言う性善説だと。
そんな結論がでたらしい。
だとしたら、こいつらは何なんだろう・・・?
生まれ持った道徳心を、成長する過程で無理やり破棄させられたんだろうか?
自分の子どもがこの被害者側になってしまったら、オレはきっと、加害者全員に同じ事やったって気が済まないと思う。嬲り殺した位では、何の意味もない。
だって、この加害者は全員、生きてく価値もない屑だから。
・・・いやはや、例の広島のLINE事件の話ですよ。
さてさて。
日曜日には、ちゃんと選挙に行った志茂田さん。
です。
ちゃんと、ゲラゲラ笑いながら、池上さんの選挙特番を見てました。
(サッカーのような下等な球遊びに一喜一憂などしない。
)
番組の最後に、池上さんが面白い事を言ってた。「投票率が低い。
特に、若い世代の人の投票率が極端に低い。
政治家は、投票してくれる人のために政治をするので、投票してくれる年配の人のために、動いてくれますが、投票してくれない若い人たちのためには、なかなか動いてくれません。
これは、とてもよくない状態です。
なぜなら、これからこの国を支えるのは、若い人たちなのですから・・・」
若干違うけど、こんなニュアンスだった。オレの一票なんて、特に意味はない。
と、思ってる奴はたくさんいると思う。
し、実際、たかが一票で何か変わるものでもないかもしれない。
でも、問題はそこじゃあない。
大切な事は政治家と国民が、実は対等であるべきなんだと思う。
似たような例で、「三波春夫」さんの「お客様は神様」を勝手に勘違いして、店員に対して偉そうにしてる無知蒙昧なゴミもたくさんいる。
そもそも、この「お客様は神様」って言葉は、「お客様のところに神様がいるようなつもりで、丁寧に歌っている」と言う趣旨であって、決して「お客様=神様」じゃあない。
お店と客はあくまでも対等。
うまい料理や、サービスを提供してやってるんだから、金を払うのは当然。
そもそも、金払いの良くないやつは、神様ところか、客ですらない。
なのに、金払いも悪い、性根まで貧乏な奴に限って「お客様は神様」とか言いたがる。
それと同じなんだと思う。
投票にも行かないで「社会が悪い」「国が悪い」とか言ってもしょうがない。
投票に行くと言う義務を放棄した段階で、国から補償される権利を放棄したも同然。
誰に入れても結局は一緒。
だとしても、投票していると言う意思を示すことは、相手にする価値もない人間ではなく、相手にする価値のある人間だと政治家に認識させる意味があるんだろう。
などなど、今回の言葉で、何か色々と考えさせられてしまった。
テレビやマスコミしかない時代はもう終わった訳で、テレビでの洗脳も効果が薄れてきている。
それでも、昔の感覚で洗脳し、世論を扇動しようとしている老害は未だにテレビに出ていたりする。
例の関口宏だって、調子に乗って安倍ちゃんを批判しようとして、自分の無知蒙昧っぷりを全国にさらけ出してしまったわけだし。
そんな意味でも、本当は、昔よりはるかに1票が、世論を動かせるようになってきている。
逆に、テレビや新聞のように、情報を押し並べて整理してくれなくなってきている。
氾濫する情報の中から、取捨択一するメディアリテラシーが必要になってきているんだろう。
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月別アーカイブ: 2013年7月
- 2013年7月15日 22:04 CAT :
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ただ抗わずただ流されず
連綿とつながる見えない糸
縦と横の交わりひとつはとても小さくも
それが無限に広がっていくことで、大きな布が出来上がる
その先にあるものがなんなのか
誰も知る由はない
誰もその先へ行ったことなどないのだから
何を包むための布なのか
何を庇う為の布なのか
ただ
今も新しい交わりが増える
そして
それをこれまで紡いできた糸は優しく迎え入れる
いつまでもいつまでも
それは
悲しいことではなくて
でも
嬉しいことでもない
ただ必然としてそこにある
心の中に少しだけ灯る
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- 2013年7月11日 22:22 CAT :
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能面の笑顔と少女の時間
生きていく事に目的が必要なのは、きっと生きていく事が簡単だからなんだと思う。
生きていく事に必死だったら、生きていく事が目的になる訳で、そもそも「何のために生きている」って言う話にはならない。
生きていく事が比較的簡単になった国で生きています。
目的は分からない。
でも、最近、生きていくための目的とか、別に不必要になってきた。
これが、新しいステージだったら、良いのだけれども・・・
さてさて。
少し上の話ともかぶったりかぶらなかったりするけれども、楽しみ。
とはいかなものか。
そんな事をぼんやりと考えていた。
嫁が言うには、オレは、何かにつけて、楽しそうらしい。
自覚はないけれども、そうらしい。
うまい飯を食う。
眠いから寝る。
絵を描きたいから書く。
そんな感じの事が、最近、やりたい時に自由に出来ない。
だから、出来る時には、それはここぞとばかりに楽しむ。
とか、そんな事は実は当たり前のような気がしてならない。
けれども、世の中には、そんな事を楽しめない人の方が実は多いらしい。
基本的に、何でもかんでもやな事ばっかり。
仕事なんてやりたくない。
それでも、頑張ってやったところで、それが評価されるかと言えば、それも微妙。
むしろ叱咤激励と言う名の恫喝の方が多い。
そんな日常の中で、何でもないけれども、嫌ではない事が、むしろ楽しくなってきたのかも知れない。
それが楽しくないって事は、もしかしたら、なんだかんだ言いながら、世の中にやな事が少ないと言う、非常に幸せな状態なんだろう。
そんな人が結構多いって事は、実に生きやすい社会なのかも知れない。
ただ、ここにきて思う。
やな事が少ないから、日常の何でもない事を楽しいと感じられない。
やな事ばっかりだから、日常の何でもない嫌じゃない事が楽しいと感じてしまう。
どちらが幸せなんだろう・・・?
前者の方が、毎日を穏やかに過ごせるのかも知れない。後者の方が、メリハリがあって楽しいのかも知れない。
ひとつ言える事は、人間、状況が停滞してしまうと息苦しく感じてしまう。
それは、自分のニート時代の経験から、間違いないと思う。
とすれば、前者の状況の場合、自分で自分を鼓舞して、無理くり状況を(むしろ、成長している方向に)変えていかないと、息苦しくなってしまう。
逆に後者の場合には、穏やかでいたいと思っても、周りに無理やし環境を(時には、好転し、時には、最悪の状況に)変えられてしまう。
どちらにして、結構な労力は必要になってくる。
自分で頑張るか、周りに引っぱりまわされるか・・・
結局のところ、何が一番。
とか、そんなのはないんだろう。
取りあえず、最近は、一番子どもに引っぱりまわされて環境が変わってる気がする。
でも、こいつに関しては、これまでのどれとも違って、なぜかそれが心地良かったりする。
志茂田さん。
親になるために悪戦苦闘していると言うことですな。
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- 2013年7月9日 21:52 CAT :
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遥かなる旅路 さらば友よの巻
夏の日の朝。
6時くらいに、窓をあけると入ってくる空気には、ひどく懐かしい匂いがある。
小学生の夏休み。
眠いのに無理やり起こされて、フラフラと通っていたラジオ体操の時の匂い。
当時は、何よりも嫌で仕方がなかったけれども、今になると、この空気の匂いが、何とも心地良い。
今って、夏休みのラジオ体操。
無くなってるだそうで・・・
と言う事は、今の子どもは、大人になった時に、この感覚を味わう事が出来ないと言うことか。
それは結構、可哀そうな気がしてならない。
何でなくなったんだろう・・・?
さてさて。今日、遂に描き終えてしまった。
「US」と言うマンガを。
第一話を描いた時の日付が、2001年の8月だったので、ほぼ13年の月日と言う期間、描いてきた一つの物語が終焉を迎えたと言うことらしい。
最後の1ページを描き終え、その下に「終わり」の文字を書いた瞬間のビックリするような充足感。
こんな気持ちになれる事が、オレのこれからの人生であと何回あると言うのだろうか・・・
そして、年月ももちろんのこと、物語自体の長さも最長となったこの物語と、お別れする事になった。
もう、この物語のキャラクター達が勝手に動き出すことはない。
それを、絵として残して行く事も多分ないんだろう。
思えば、元々は、高校時代にさかのぼる。
当時、ほぼ初めて割と長編の物語を完結させる事が出来たオレは、画力アップには、漫画を描き続ける事が一番だろう。
という結論に達した。
で、当時たまっていた短編用のネタをいくつかくっつけて、その全ての短編に少しずつ主人公が絡みつつ、次第に物語が一つにまとまって行く。
そんな漫画は面白いんじゃないかと思いついた。
(今考えると、そんな話結構よくある気がしないでもないけど・・・)
そして、短編と短編を違和感なくつなぎ合わせる為の設定を考え始めた。考え始めると、もう止まらない。
主人公のバックボーンから、ヒロインの設定、世界観の設定、そして、物語の大筋まで、暇さえあればずっと考え、ノートに描き綴ってた。
全体的には、当時異常にはまってた「トライガン」って言う漫画みたいなのを描きたいなぁ~みたいなイメージがあったりもした。
(結果的には、序盤以外かすりもしなかったけど・・・)
大体の構想がまとまって、第1話を描き始めるまでに、1週間とかからなかったように記憶している。結局、その1週間で広げまくった大風呂敷を、しっかり描き切るのに、13年の歳月がかかってしまったと言うことらしい・・・(まぁ、その時々に影響受けたものとかで、後付けの設定とか、キャラも出てきたりはしたけれども。
)
最終的には、その最初のノートに書いた構想通り、全部で15部。しかも、各部ごとにこんな事を書こう見たいに考えていた事も大体、当初の構想通りに描けた。
むしろ、ここまでぶれなかった事に結構ビックリ。
しかも、「大体、この話は○話くらい使って書こう。
」とか構想してた奴も、12部が3話、13部が3話、14部が5話はみ出しただけで、ほぼ予定通りに描けたと言う。
自分でも言うのもなんだけど、高校生のオレすげぇ・・・これが、思春期の力か・・・
まぁ、途中年単位の休憩も挟んだりしたけれども、それでも、最後まで描き切れた事にただただ感無量。
もっと内容に突っ込んだ事も描きたいけれども、また、漫画の方を読んでもらいたいので、そこは我慢しておこう。
約2800ページ。
全135話をもって、「US」と言うマンガは終了だ。
これで、死ぬまでに描いておきたい物語がまた一つ完結した。
とりあえず、いろんな奴に読ませてみたい。
・・・ような気もするけど、長すぎて、気軽に読んでみてや~とも言い辛い。
元々、99%は自分のために描いてきたわけだし、まぁ、機会でもあればと言う事で。
さようならです。
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- 2013年7月7日 20:26 CAT :
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シナプスレイプ・アンソロジー
体中(特に股間付近)の肌荒れがここの所凄まじくひどかった。
原因をあれこれ考えてみたんだけど、多分、ボディソープだと思う。
いつも使ってるダブのヤツがなくて、ナイーブってヤツをしゃあなしで買ったんだよ。
んで、それを使ってたんだよ。
元に戻し、更に肌荒れしてる部分には、赤ちゃん用の石鹸を使ってみると、見る見る間に回復してしまった。
見る見る間に回復って、どれだけ悪い成分が入ってたんだよ・・・
肌荒れ(オレの場合はアトピーやけども)がひどい場合には、取り合えず、石鹸類を見直してみるのが一番と言う事か。
さてさて。
先日、チョッピリ面白い話を聞いた。
人間の脳は、考える部分とそれを吐き出す部分が別の所にあるらしい。
それどころか、その2つの結びつきが弱いらしい。
いくら頭の中で悶々と考えても、うまく考えがまとまらないのは、考えた内容が吐き出す部分に直結して流れていかない事に原因があるとか何とか・・・
要するに、悩む前に書け。
悩む前に動け。
と言う話。
不思議な事に、吐き出し始めると、考える部分がまた次のことを考え始めることが出来、そして、どんどんと考えを深めていく事もできるんだって。
そこには、絶対的なタイムラグが発生する。
確かに、何か書いてるときも、その書いているもの自体について頭の中で考えていると言うよりも、頭の中では、その先のことを考えているような気がする。
んで、気がついたんだけれども、オレがブログを書くときここ数年、2段階構成にしてたりする。
今日もそうなんだけど「さてさて」って言葉で、無理やり結びつけている、全く別の2つの話を1つの記事の中に盛り込んじゃってる。
何でこんな事してんのか、あんまり自分では良く分かってなかったんだけど、多分、始まりはこんな感じだったんだと思う。
「ブログでも書こうかなぁ~」
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
「特に書く事ないから、適当に今起こってることでも買いとくか。」
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
「そう言えば、○○について書こうと思ってたんだよな。」
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
「でも、チョッと書き出してるし、こいつを書いた後に書くか」
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
「さてさて、本題に入るよ」
この流れが、いつの間にか形骸化してしまったんだと思う。ってことは、オレは、書き出す事で、ネタが膨らんでくる事を無意識に理解して、この「どうでも良い話 + さてさて + 本題」と言う変な構造でブログを書くようになってたと言う事か。
そして、どんどん思いつく。
マンガを描くとき、オレはいつも、時間のかかるページとか、コマだけ、後回しにする。
んで、展開に詰まった時とか、その日の描き始めに、まずそのページから着手するようにしてる。
まぁ、ページを書いてる間に、次のコマ割りとかを頭の中でイメージしてるんだけど・・・
いやね、いきなりさて今日は何から描こうかなぁ~とか、考え始めると、イマイチ乗れないのよ。
だから、今日最初に描くページってのだけは、最初から何らかの形で用意しておくと。
そんな感じですよ。
これも、ある意味当てはまるんじゃないかなぁ~と。
何しか、普段自分が無意識にしている事が、変に、人間の体の構造上納得のいくものだったりした時に、何となく「生きてきて、稼いだ経験値のお陰」のような気がして、チョッと嬉しくなるんだった。
そんな詰まらんたわごとだよ。
再開の第1弾目はこんな感じだよ。
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- 2013年7月7日 11:51 CAT :
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闇に浮かぶ彫刻
とても悲しい事があった。
その日から、取り合えず49日は、喪中と言う事にしておこう。
何も自分から発信しない期間を設けてみる。
7月になったら、また、何かブログに記事でも書こう。
と、そんな事をぼんやりと考えておりました。
そして、気がつけば、7月どころか、もう7日になっている。
ブログとか、またチビチビ再開しよう。
この49日中にだって、思うところはたくさんあったんだよ。
いくつかは、浮かび、よどんで、消えていった。
けれども、まだ残っているいくつかの由無し事をまたチビチビと綴っていこう。
そうしよう。
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