月別アーカイブ: 2013年8月

2013年8月30日 19:35 CAT :

小児麻痺と青空の世界

先日、東京へ出張してまいりました。

オレの事をなんだと思ってんだよ・・・人ごみ嫌い、人が嫌い。

結婚式で、筋肉少女帯の「人間嫌いの歌」を流した位人が嫌いなオレを人間がたんまりいる、あの都に連れて行くとは・・・

何か、webデザイナーでもしていれば、静かに、机の前でいられるのかと思ったのに、意外と現実はそうでもないのね。

しかも、お土産さえも変えないくらいの強行スケジュールだったしな。

さてさて。

チョッとタイミングを逃してしまったけど、8月にはどうしても「戦争」の話題が多くなってしまうと言う現実があったりなかったりする。

昔、クソ日教組の洗脳で極サヨク化していた時には、どれだけ嬲られようとも中国、韓国に対して徹頭徹尾、低頭で謝り続けなければいけないのだとか、文章を書いてた時期もあった志茂田さんですが、ここ最近の韓国の自滅活動のおかげで随分と目が覚めてまいりましたよ。

そもそも、韓国なんて、日本側で連合国と戦った側のくせに、被害者面してやがるしな。

と言う事で、戦争についてのお話(物語?)などもチョコット書いたこともあったりなかったりする。

その中の一つに「小児麻痺と青空の世界」と言うお話がある。

まず、タイトルの段階でおそらくこの世の中には出る事が出来ないであろう作品。

アルバム「影の上のボーニョ」に収録されている10分近い大曲なので、もし、このCD持ってる人は聴きながら今回の記事を読んでくれたら、もうちびる。

尿とか、精液とか、色々ちびるよ。

簡単に言えば、重度の小児麻痺で兵役を逃れ続けていた主人公の「青空」が、愛する人を守るために、自ら戦争へ赴く。

と言うそんな話ですわ。

この話を書くきっかけとなったのは、言わずもがな、腐れチョンによる靖国参拝批判。

日教組は、そして、サヨクの方たちは、戦争は国家の洗脳であり、多くの人が無理やり戦場に駆り出され、そして、不本意のうちに戦死したと、至るところで言う。

それは、教科書であったり、ドキュメンタリーであったり、映画であったり・・・色々な所で言う。

果たしてそれは事実だったのか・・・?
本当に、洗脳されてていただけなのか・・・?
確かに、そんな人も居ただろう。

結構いたかもしれない。

でも、中には、洗脳ではなく、心から、大切な家族を守る為、自分の生まれ育った故郷を守る為に立ち上がった人は絶対数いたと思う。

先の大戦が必要だったのかどうか?アジアの開放にどう関わったのか?そんな話は、アホ捏造国家の中韓を省いたところで色々論ずれば良い。

今は、そんな話じゃあない。

戦争になり、そして、家族が危険に晒されるとわかった時、守るために立ち上がった人は絶対居たはず。

そうして、立ち上がってくれた多くのご先祖さんのお陰で今の日本があり、そして、オレも存在していると言う事を忘れちゃあいけない気がする。

そんなご先祖さんが居る靖国神社を参拝する事を、なぜ、他所のキチガイに咎められなければいけないのか。

国を守り、故郷を守り、家族を守ったご先祖さんに敬意の念を持つ事と、戦争を賛美する事は全く意味が違う。

むしろ、この気持ちがなくなった時、この国に価値を見出せなくなり、そして、戦争が起こるような気がする。

サヨクの方たちのお陰で、「愛国心」を持つ事がイコール危ないヤツ。

危険思想の持ち主。

と言う、変なレッテルを付けられるようになってしまったけれども、あんな、自分が生きている事を当たり前に享受し、ご先祖さんを敬う事も出来ないような生ゴミなんて気にする必要はないと思う。

「小児麻痺と青空の世界」は、そんな思いを込めて描いた物語だったりする。

物語の最後、「誰にも知られず 歴史にも残らないまま 当たり前のように青空は帰ってこなかった あの子を残したまま帰ってこなかった そして戦争は終わった」で終わる。

この気持ちが国家に洗脳されただけで片付けられるのであれば、それこそ、「遺憾の意」を表明するしかないのでしょうね。

と、少し時期外れに書いてみたりした。

ちなみに、オレは絶対に戦争反対。

ラブ&ピース。

ジョンレノン大好きですよ。

でも、サヨクじゃあない。

アレだけにはなっちゃあいけない。

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2013年8月18日 1:07 CAT :

始まりの始まりはまだ終わらない

毎年、フジテレビで唯一と言っていい楽しみにしてる番組。

「ほん怖」。

去年は、何回ちびるんだろう?と言う位怖かったけど、今年は、全体的に怖くなかった。

すごい物足りない感じ。

強いて言えば、最初の話と、最後の話がなかなか面白かった。

けど・・・最初の話とか、普通にオレの実家の2階で居ればしょっ中誰もいないのに、足音がしたり、トイレが流れたりするもんな。

最後の話とか、人形が感情持つとかも普通な事だし。

今、オレのベッドの横には「たごさく」って言う犬の人形が居る。

オレが生まれる前からズッと一緒に過ごしてきたけど、こいつは、間違いなくいつもオレの事見てるもんな。

ちなみに、娘も何か「たごさく」の事は凄く気になるらしい・・・ただ、「たごさく」は完全にオレを守ってくれている方だと思うけども。

さてさて。

お盆でせっかく休みだと言うのに、親戚まわりとお墓参りだけで終わってしまうのも何だかなぁ~って事で(もちろん、先祖を敬う事も、親戚に顔見せる事も大切だけども。

)チョッと遠出してきましたよ。

結婚してからは、年に2回は旅行に行ってたりもしたけど、娘が生まれてからは、まだ一度も遠出してなかったので、ある意味初めての遠出。

場所は、徳島県の大歩危にした。

ここん所の閉鎖的な感じからから飛び立ちたい。

とか、大自然に抱かれたい。

とか、色々あったりしたんだけれども、一番は、山行くと涼しい。

川べりで遊びたい。

っていうそれだけだったのかも知れない。

かくして、徳島まで行ってまいりました。

何だかんだで、1時間半位で着くらしい。

遠出と言っていいのかは良く分からんけど、まぁ、まだ娘も7カ月だ。

そんな遠出など出来るはずもないじゃあないか。

車の中でぐっすり寝てた娘は、駐車場の段階で、キャッキャとはしゃいでる。

まぁ、娘の場合は、景色関係なく、道の駅のキッズコーナーでも、お昼に入った徳島ラーメンのお店でも、キャッキャと笑ってたけどな。

取り合えず、楽しんでたみたいだし良しとしよう。

思えば、この場所は、嫁とまだ付き合う前に、初めて二人で出掛けた場所。

お互いまだ、名前で呼ぶ事も出来ず「○○くん」「○○さん」と苗字で呼び合ってた位だったように思う。

あれから数えて今年10年目らしい。

この10年間。

ほぼ毎日。

仕事初めてからは、仕事のない休みのほぼ全てを一緒に過ごしてきた。

10年間。

毎日毎日顔を合わせて、良く飽きもせずに一緒に居るとは思うけれども、それでも本当にズッと一緒にいる。

家に、どころか、ほとんど同じ部屋でいる。

だから、仕事が休みの日に別行動してる夫婦とかの話を聞くと、違和感しか覚えない。

せっかくの休みなのに、なんで一緒に居ないの?と。

そんな生活の10年目に、生まれた娘を連れてここに来た事に少しだけ感慨深いものがあったりする。

お互いに老けちまったし、子どもも居るけど、それでも、10年前のあの日と同じように今日も一日を「楽しかったなぁ~」で終える事が出来た。

この奇跡のような出来事をこれからも続けて行きたいと心底思う次第でございます。

それは、簡単なようで難しい事。

でも、難しいようで簡単な事。

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2013年8月10日 22:30 CAT :

There are places I’ll remember from “In my life”

10年の区切りがひとつ付いてしまった。

三十路になってしまった。

誰かが言うように、20代はあっと言う間に終わってしまった。

誰かが言ったように、1年はどんどんと短くなっていっている。

少しだけ、20代の10年を振り返ってみようかと、久しぶりに、キーボードを叩いてみる事に致しましたよ。

20の頃を少しだけ思い出してみた。

あの頃、オレはまだ独り身で、漫画家になると言う、今考えると何とも薄味な夢を抱えた学生だったと思う。

それから数えて10年だ。

その間に、彼女が出来、夢をあきらめて、社会に出て、半身不随になって、復活して、ニートになって、仕事を始めて、結婚して、子どもが出来た。

意外と普通な10年だったようで、部分的に、人が体験してない10年だったようでもある。

振り返ってみれば、なかなか面白い10年だったように思う。

そして、激動の10年だった。

多分、10歳までとか、20歳までの方が、インパクトは強かったし、ドキドキとした毎日だったんだろう。

でも、それは、親の加護の元で、しかもあらかじめ決められたある程度予定調和内での出来事だった事を、20代で思い知らされた。

自分で歩きだしてからは、時間が経つのは確かに早くなったけれども、その分、面白さも増してきた。

涯の言ってた事も少しだけ分かるようになってきた。

(まぁ、涯はそれを中学生で悟ってたんだから、そう考えるとオレはかなり遅いもんだけれども・・・)
仕事もろくにせずに、かと言って、就職活動をしていたわけでもなく、親から施してもらった金で、彼女とただダラダラしていたニート期間。

あの期間だって、無駄じゃあなかったとは思っている。

けれども、毎日がすごく息苦しくて、イライラしてた。

んで、その頃は、仕事を始める事も、結婚する事も何だか、責任を背負わされて、追いつめられるようなイメージを漠然と心のどこかに持っていたのかもしれない。

ただ、運良く一念発起し、歩み出した結果、どうも、責任が増せば増すほど、不思議と毎日に張り合いなんかも出てくるらしい事が少し分かってしまった。

そんな今。

オレは、なんと、一家の長だったり、父親だったりする。

(当たり前だけれども)自分で仕事して、稼いだお金で、家族共々何とかかんとか日々をやりくりしている。

それが、ビックリする位充実している。

そして、本当に自由。

そりゃあ、収入とかもたかが知れてるし、子どもが生まれてからこっちなんて、自分の時間なんてどれほどとれるよ?みたいな状態。

仕事から帰ってきたら、疲れて寝る。

寝てる間も子どもに起こされる。

休みの日は、子どもと遊んで終わり。

でも、涯じゃないけれども、圧倒的に限られた中で無限なんだって。

まぢで。

この感覚がわかる日が来るなんて・・・

そう。

多分、20代で最大の収穫はこの感覚を得た事なんだろう。

でもこれはまだきっと土台だ。

土台は出来上がってきたのかもしれない。

次の十年は、この土台の上に何をのっけていくか・・・それを、もしかしたら探すだけかもしれない。

でも、断片的にでも形が見えればそれで良いと思う。

30代男性の4割が童貞と言う社会の中で、なんだかんだと割かし順調に歩んできているのかも知んない。

10代の頃には灰色の将来ばかり考えていた。

今、10年間について、写真を見たり、嫁と話したりしながら、鑑みるにつけて、そんなに悪くはなかったんじゃないかと思う。

10年後、30代はホントしんどかったよな。

でも、そんなに悪くはなかったよなと思えるように。

それを、家族で・・・増える事はあっても減る事はなく迎える事が出来れば、それで良いと思えるようになった。

毎日はただ当たり前に過ぎていくので、それを、少しずつ刻みこんで生きていくのですよ。

1日。

1日とね。

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