月別アーカイブ: 2014年1月

2014年1月30日 22:43 CAT :

スティーブ・ジョブズとピクサー

実に4年ぶりのアルバム「王道軽傷」。

去年の9月からコツコツと作りはじめて、やっとこさ、あと1曲で、全部の曲が出そろう感じになった。

と言っても、まだ編曲した仮録りの状態だから、そのあとに、本レコーディングをする必要が多分あると思う。

・・・あと、緊張感が張り詰めすぎなので、1~2曲ほど遊びの曲を入れても良いかと思うんだけど・・・(「ボーニョ」の時の「DANDAN心轢かれていく」とか、「元寇と義経とあとバルバロイ」みたいなヤツ。)
とか考えてると、結局全部で18曲位になるらしい。

レコーディングもそうだけど、これだけの量をミックス、マスタリングする弟の作業量を思うと、ニヤニヤする。

せいぜい苦しむがいいわ。

と。

さてさて。

嫁が前使ってたスマホが、実は「arrows ν」と言う、歴代スマホでも類まれにみる糞ごみ機種だったので、iphoneに変えてあげようってことになった。

んで、その時に、色々と見てると、何か1か月の料金が何か安くなるっぽい事がわかったんで、オレも、勢いでiphoneデビューしてやった。

ドコモさんの陰謀なのか、機種変して、ガラケーに変えるより、iphone以外のスマホにするより、iphoneにするのが一番安いんでやんの。

とはいえ、サポートの面とか、無料通話がなくなった事とか、いくつか不利な事があるような気がするけどまぁ、あんまり電話とかしないし、そもそも、サポートとかそんな期待してないし、などなど色々こじつけた結果、最終的に「ま、いっか」と言う事になったわけだよ。

ちみちみ。

で、使ってみての感想。

確かに、OSが変わっちゃうから、色々と変わってしまうよね。

使い方の部分では四苦八苦もしつつだ。

それは認めよう。

でも、結構いい感じだと思う。

すごいご機嫌な感じがする。

ん~さすが、アップルさんですね。

部分的に、利権・・・と言うか、アップルさんの利益のために、がっつり権利を主張されてる気がするけど、それはそれ。

もう、無理やり抜け道探し出して、後ろに手が回るかどうかのギリギリを歩いたりする歳でもないし、素直に受け入れましょう。

言われるままに享受しましょうとも。

ちなみに、iphone5cの方にしたよ。

iphone5sでも良かったんだけど、あの、横のところの金属がダサくて、耐えられられなかった。

機能面も大切だけど、なんとなく譲れない部分もあったりするんだ。

今年も、もう12分の1が終わろうとしている。

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2014年1月22日 22:58 CAT :

ハンマーでトントン

特撮の新譜を聞いてご機嫌ですよ。

色々と大変だとも思うけれども、それでもご機嫌ですよ。

今回も素晴らしい名曲たちだ。

「ハンマーはトントン」が素晴らしく良いね。

ご機嫌で居られる事が多分大切なんだと思う。

世の中には、悲しい事が沢山ありますよね。

だからこそ、ご機嫌で居られる事が何かあれば、それはもう、それだけで、底抜けに幸せな事なんだろ思う。

ご機嫌な事が何もない事だってある訳だからね。

むしろそのほうが多い訳だから。

はてさて。

夢を見た。

それは、とてつもなく悲しく、そして少しだけ懐かしい夢だった。

目が覚めた時、頭の中には、何だかとてつもない恐怖感と、素敵なメロディーがひとつ。

このメロディーはなんだろう?とか、チョッと考えて見た。

その少しの間にも、そのメロディーはどんどんと記憶の彼方へ消えて行った。

それでも、少しだけでも、断片をレコーダーに残す事が出来た。

最近、こんな事が良くあるので、スマホにレコーダーアプリを放り込んで、思いついたやつを取り合えず、録音するようにしている。

前は、そんな事無かった。

と言うか、覚えてられないメロディーラインなんか大したことないんだから忘れて結構。

とか、傲慢な事を言ってた。

それでも、いっくらでも思いついてたんだよ。

でも、ここん所はホントにダメな訳で、良いのが思いついたら、勿体なくて、録音する訳ですよ。

この少しの思いつきさえも出てこなくなった時が、さようならの時なんだろう。

その夢は、誰かが死ぬ事に結びつくような悲しい夢だった。

このメロディーは「パラフィリア=グロッサリー その1」と言う曲名になりました。

死別した愛する人へ向けた、少し哀しいバラードになれば良いなぁ~。

絶望の話はいつも夜開く。

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2014年1月19日 17:34 CAT :

パラフィリア=グロッサリー

絶賛製作出来ていない4年ぶりのフルアルバム「王道軽傷」。

今回の中で、その中核になれば・・・と、ひっそり思っていた(「影の上のボーニョ」で言う所の「蛇女外道節」のようなポジションの)曲。

「パラフィリア=グロッサリー」の輪郭がやっとこさ見えてきた。

そもそも、大まかな雰囲気は出来上がっていたものの、実際に、それがどんな形になるのか、実に右往左往。

それでも、やっとこさ、歌詞と何となくのメロディーラインまで出来上がってきたよ。

と、まぁ、そんな感じ。

しかし、何と言うか、ペースが落ちたよな。

前は、もっとすんなりどんどん作れてたような気がするんだけどな。

その上、こんだけ練りに練って、時間をかけても、昔、5分くらいで適当に書いた曲のほうが断然良かったりするし・・・

何だか「これでいいのか?」と、不安になる部分はありつつも、目標の今年春頃完成に向けて、少しずつ製作は進んでおるらしいです。

出来上がった暁には、また、聴いてみてやって下さいませ。

無理強いはいたしませぬので・・・

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2014年1月18日 20:59 CAT :

罪の意識と罰の意識

先日、地元の図書館に言った時の話。

嫁が、育児関係の本を借りたいとの事で、物色中、オレは、娘と児童コーナーで遊んでた。

そしたら、そこに、2~3歳くらいの男の子が本を持ってやってきて「ん」と(トトロのカン太が、さつきとメイに傘を差し出す感じで)その本を差し出してきた。

一緒に遊びたいのかなぁ~と思って、「ありがとう」と言って、その本を広げたりしてた。

その男の子は、次々と本を持ってきては、読んで欲しそうにページをめくっては、また本を取りにいく。

娘は、正直そんな事に興味なくて、別の自分の興味あるところにいこうとする。

オレは、娘のこと見てなくちゃいけないのに、次々と本を持ってくるその男の子を邪険にすることも出来ない。

で、軽くパニくってたら、男の子の母親らしい人が来て「○○(聞き取れなかった)、こっちくる?」とだけ声かけ、あとは無視して、自分の本を読み始めた。

その間にも、この男の子は次々と本を持ってくるし、ついでに、ハイハイしてた娘を踏みつけて行こうとしたりしたしたし・・・

取り合えず、この母親と言うか、クソアマだよな。

いいよ。

自分が本を読みたいけど、子育てが忙しいから、普段読めない。

だから、図書館では、子どもを放置してる。

としても。

最悪、そこまでは許してやるよ。

でも、子どもが迷惑かけてて、なおかつ、こっちがそれに困惑してんのまで理解しておいて、オレに対して「すみませんね」とか、「迷惑だからこっちきな。」的なこと一切なしに、チョッと声かけて、自分の罪悪感だけスッキリさせたら、あとは、無視とか・・・ゴミ過ぎるだろう。

まぁ、ネットでチョイチョイ見かける「キチママ」ってヤツの部類にしては、軽度なんだろうけど、このキチガイクソアマ・・・

何より、気になったのが、この男の子。

おそらく2~3歳にもなるだろうに、1歳になったばかりのうちの娘より、言葉を喋らない。

コミュニケーションが取れない。

多分、家でも、話しかけてもらえないどころか、放置されっぱなしなんだろうて・・・

そう思ってくると、この男の子が可哀相にもなって、このパニくる状況以上に、このクソアマに対して余計イラッとした。

結局、図書館を後にするまで、ズッとその男の子と遊ぶ事になったけど、最後の方には、ニコっとしてたし、帰り際に「ばいば~い」ってすると、寂しそうに手を振ってくれた。

(最後まで、「ん」以外の言葉を発さなかったけど。)
子どもは親を選べない訳だし、うちの娘は幸せだとかそんな事言えるわけでもないけど、このクソアマは、母親になっちゃダメだろ…
まぁねえ。

子育てって大変だと思うわ。

自分でも、やってて凄い思う。

でも、だから子どもを雑に扱って良いって話にはならない。

と言うか、絶対になってはいけないんじゃないでしょうかね~。

子どもが3人とかになって、一人一人丁寧に相手できなくなってしまうとか、そんな話ならしょうがないと思うけど、今回の場合、この子、明らかにコミュニケーションが取れなさすぎてるって。

成長を妨げるほどの放置って・・・

と、ここまで書きつつも、それでも、まだ、放置しないで連れてきてるだけマシなのか?とも思ってしまった。

あと、この前、近くのスーパーで見かけた「やかましい」と言いながら、1歳くらいの子どもの頭とか背中をオレが引くくらい思いっきりしばきまくってた、金髪の香水臭いおばさんと比べると、怯えてないだけましなのか?とか・・・

子ども出来てから、こう言う事に気がついてしまってしょうがないんだよ。

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2014年1月17日 23:54 CAT :

誰かに望まれ生まれ来る命は儚いようで力強く

あの日から一年が過ぎた。

初めての事ばかりの毎日が一年過ぎた。

今日も初めての事ばかり起こった。

喜びと苛立ちと不安が起こった。

そんな毎日を過ごし続けながらふと思う事は、いつから、変化のない毎日に憧れるようになったのか…と言う事。

ただ、初めての事ばかりが起こる事は、実は、そんなに不快ではないらしく、そこには、これまでにない充実があった。

負担がいつの間にか見えなくなっていった。

ような気がする。

多分。

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2014年1月14日 22:41 CAT :

夢喰いバクヲ後始末

夢があった。

夢があったと言うと、今はもう夢なんか無くなってしまったと言う事になっちゃうらしい。

子どもの頃、誰もが思っていた夢は、どこまでも実現可能だけれども、実現不可能な場合が多い。

オレは、漫画家になりたかったし、あと、なぜか、ミュージシャンになりたかった。

そうやって描いた漫画はなんとなく10000ページを下らない訳で、作った音源はアルバムとして25枚分ほどあるらしい。

でも、今オレのお仕事は、そのどちらでもないwebデザイナーさん。

それは夢破れたのか。

大学時代、こんな事を当時大学の就職部でお話しした時に「夢は捨てて、現実を見なさい」的な事を諭された。

それまで至る所で、将来の夢は何ですか?と聞かれ、語らされ、テレビをつけても、音楽を聴いても、一様に「夢は叶う。

諦めないで」とのたまっていた。

それなのに、大人になったとたん「夢は捨てる」と諭された訳だ。

この時の絶望は結構大層なもので、その時の気持ちを忘れる事無いように、一つの物語を作った。

「夢喰いバクヲ」と言うお話。

このお話を当時組んでいたバンドで音源化し、ついでに、小説も書いてやった。

とある出版社に投稿してみたところ、本になるとかそんな話まで出るくらいだったので、このお話自体は、まぁ、それはそれで良いものだったんだと思う。

でも、今。

この歳になって、家族が出来、仕事をしながら、オレの夢とは何だったんだろうかと、ふと空を眺めながら思う。

今の生活が不満な訳じゃあない。

むしろ、学生時代の自分にとっては絶対に自分とは無縁だと思っていた生活と幸せを実は手に入れてしまっている。

嫁どころか、娘までいる。

あの当時漠然と抱えていた「夢」は、おそらくは、思春期特有の世間に自分と言う存在を認めてもらう。

もっと言えば、注目してもらうための手段だったのかもしれない。

そんな願望が消え失せてしまい、今の生活を大切に思いたいとか、そんな事を想う30歳のおっさんとなった今、やりたい事は、やっぱり、漫画を描いて、曲を作って歌う事だったりする。

結局のところ、手段だの、夢だの色々と言い訳をしていたけれども、難しい事は何もなくて、多分好きなんだろう。

生憎とこの二つに対しての才能はおそらく欠片もない。

世間に認められるなど、おこがましいにもほどがある。

誰のために描くのか。

誰のために歌うのか。

オレが漫画を描き始めた小学1年生の頃の気持ちを思い返してみる。

オレは、オレのために書いてたんだよ。

オレは、オレのために曲を作るんだよ。

本当に好きなら、それで良いんじゃあないかと思う。

人のために作った物語や、曲なんてほとんど存在しない。

ほとんどが自分のために、自分の満足のために作っている。

それで良いんだよ。

と、いつからか言い聞かせております。

でも、ここ最近では、自分のためではなく、娘のために作った曲が形になろうとしていたりもする。

もう少ししたら、完成するだろうて。

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2014年1月9日 22:22 CAT :

アンチゴット~色褪せてゆく写真のように愛しいあなたの思い出は夜に溶けて行く

少し前に物語を描いた。

タイトルは「アンチゴット」(anti-god?)。

この世界を創造した神が居たとして、その神が作りたもうた唯一無二の造形としてこの世に命をもった数々の生き物。

彼らが、神の意志にそむき、神の作りたもうた造形である自分の姿かたちを、異形のものに改変する事で、誰が最も神に逆らい、そして、新しい神となれるかを競う。

と言う、そんな物語。

先日、パソコン内をあさってたら、その物語のために描いた絵の一つが出てきた。

象(anti-god)_c_01
「象は自らの大きな体を小さくするために、モノを食べることをやめ、そして、やせ細っていきました。」
異形になろうとする全ての生物は皆、やがて何らかの不都合を抱え、死に絶えゆく。

神に逆らう事など出来やしないのである。

そんな形で、確かこの物語を終わらそうとしたように記憶している。

今なら、もう少し違う結末も書けるやもしれないと、密かに思ったりも致しました。

板野友美さんの変遷を目にして、ふと思い出した、昔書いた物語。

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2014年1月8日 23:12 CAT :

別な道選んでたならもっと幸せだったろうに

世界は、絶望に溢れている。

悲しみに溢れている。

でも、少しだけ目線を上げて見ると、それでいても、幸せと言える事柄が自分の周りには数数え切れぬほどにある。

過去と比べ、誰かと比べ、未来と比べ、不運だけではなく、幸せもまた、多様に存在している。

人は幸せになる為に生きているのだと誰かが言った。

人は幸せに気づくために生きているのだと別の誰かが言った。

「ジョジョの奇妙な冒険」の第一巻冒頭部分にはフレデリック=ラングブリッジの「不滅の唄」が記載されている。

2人の囚人が鉄格子から外を見た。

1人は泥を見た。

1人は星を見た。

元来の話。

人は、不幸なのか、幸せなのか。

ただ個人の心持を超越した一つのお話。

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2014年1月7日 22:35 CAT :

陰謀とホログラムとひとつなぎの映画

陰謀論と言う言葉が大好き。

それは、もうTVでも有名になってしまった、ハローバイバイのゲス野郎「関」が語るフリーメイソンの話だけじゃあない。

そもそも、世界が・・・歴史がロスチャイルドと言う一つの家に支配されていると言うとんでもない話だったりする。

ビルゲイツの資産が500億ドルだとしたら、ロスチャイルドの資産は800000億ドル位らしい。

世を支配し、操るのは、究極的に見て資本だと言えるかもしれない。

第1次、第2次世界大戦を引き起こしたのも、そもそも、ユダヤ人を中東に追いやり、そこに国を作る為にナチスを作ったのも、日本と言うアジアの再果てで核兵器の人体実験を行ったのも、そして今、中国を再び戦争へと突き進めようとしているのも、全てロスチャイルドだ。

と言うのは、陰謀論では良く語られる話。

それが事実か、どうかは置いておいて。

例えば、オカルトの世界では良くある、「怪しい情報を流す事によって、本当の事実を隠す」と言う行為かもしれない。

ロズウェルにおける、UFO墜落事件のように。

KGBが行った数々の調査の様に。

陰謀論について語りはじめると、どうしても、「フリーメイソン」「イルミナティ」「ユダヤ」そして、「ロスチャイルド」と言う言葉に集約され始めてしまうけれども、もう少し視野を広げて見ればどうだろうか?
とてつもない研究成果がこのほど発表された。

と言うのも、「今現存しているこの宇宙が、別の高次元の宇宙が映し出すホログラムだと言う事が分かった」と言うのだ。

この世の矛盾を解決する理論として「超ひも理論」と言うものが存在している。

この世の全ては、高次元にある「ひも」の振動によって生み出された重力によって成り立っていると言う、良く意味のわからない理論。

詳しくは、「度胸星」でも読めばいいと思うけれども、どっちにしても、なぜ、この理論でこの世のあらゆる矛盾が解決するのか、多分、どう考えてもほとんど理解できないと思う。

これについては、もう1+1が2になるように、そうなるものであると納得するしかないと思う。

オレは、学者さんじゃない。

そんなに頭も柔らかくないし。

ただ、昔から妄想が得意なので、この研究成果を少々妄想踏まえて、面白おかしく考えて見る位は出来ると思う。

以下、多分に間違って理解したうえで、それを妄想の中で解釈していくので悪しからず。

「高次元のホログラム。」と言う何とも分かりにくい表現。

これをもっと分かりやすく表現するなら、つまり3次元の人間がスクリーンに映し出す2次元の映画のようなものだと思う。

この宇宙は、3次元以上の高次元の世界が映し出した映画みたいなもの。

1次元が点、2次元が点と線、3次元が点と線と奥行き。

そして、4次元は点と線と奥行きと時間、そのさらに上5次元となると、もうなにが軸になるのかさえ分からないけれども、それが例えば、感情とか気持ちだとしたら…
高次元の世界に存在する知的生命体が、点と線と奥行きで作った舞台に、流れる時間を作り、そこに存在するものの気持ちを自由にできるように作り上げた一つの映画。

それが、この宇宙だと。

ここまで、この理論は飛躍する事さえできるように思う。

オレは、一つの映画に出てくるただのモブのひとり。

懸命に生きてきた。

悲しい事も苦しい事もあった。

その中で、嬉しい事もあった。

幸せに思う事もある。

でも、ただのモブのひとり。

この、高次元における知的生命体を人は「神」と呼ぶのかも知れない。

そう考えた時、ロスチャイルドによる陰謀論さえも、ずいぶんとちっぽけなものに見えてきてしまう。

そして、途方もない強大な何かの存在に震えてしまう。

漫画などでよくある「メタ表現」とは、この事実に無意識に気がついてしまった作家さんたちの発信するメッセージなのかもしれない。

そう考えた時、日野日出志の描いた「悪魔の招待状」と言う一つの作品のとてつもない恐怖を思い出した。

そして、昔読んだ手塚治虫の漫画を思い出した。

その漫画、タイトルは忘れてしまったけど、実は、主人公が自分の人生が作られた演劇の様なもので、自分がその登場人物だと気がついてしまう。

と言うお話だったと記憶している。

今回のこの研究結果は、とどのつまり、手塚治虫が生前に頭の中にあった漠然とした恐怖。

そして、それを作品化したものが実は、妄想や空想ではなく、事実だったと言う事を証明した事になるのかもしれない。

世の中には、どこまでも強大な陰謀が存在する。

この宇宙を投影している高次元の世界さえも、さらに高次元の世界のホログラムでしかなく、さらにその世界すら、もっと高次元の世界のホログラムでしかないのであれば…
無限に続く回廊は、まるでメビウスの輪のごとくかもしれない。

ぞくぞくしますよね。

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2014年1月4日 23:51 CAT :

明日晴れたら海へ行こう

忙しいから・・・と言うか、必要がないからと言うか・・・最近、ビックリするほど、テレビを見てない。

そして気がついた。

テレビ・・・って、別になくても困らない。

ニュースなんて、ネットで見れば良いし、そもそも、別にテレビ見なくても、毎日色々面白い事あるし。

テレビって言うのは、趣味もなく、やりたい事もなく、そして、日々何の楽しみもない人が見るものになってしまったんでしょうね。

昔は違うかったと思う。

もっと、テレビと言うと異世界のような趣で、その異世界を垣間見るためなら、自分のリアルを削っても惜しくないと思えていたんだと思う。

今は、違うけども。

それが成長のせいなのか、それとも、テレビ自体の衰退なのかは良く分からない。

分からないけど、昔のテレビとかはやっぱり面白くて、ビデオだったり、レンタルだったり、YOUTUBEだったりで見てしまう。

と言うか、見入ってしまうので、後者だと思おう。

ちなみに、漫画とか本については、今でも読んだりしています。

こちらは、衰退とかしてないと思う。

進化したかと言うと、それはどうか分かんないけど。

今日は、カイジのワンポーカー編2巻を読みましたよ。

何か、限定じゃんけん程ではないけど、結構いいテンポで物語が進んでいる。

やっぱり面白いよ。

カイジ。

ライヤーゲームは、椅子取りゲームあたりで見限ったのに、カイジはまだ読み続けております。

ワンナウツは最後まで面白かったのにね。

と言う事で、テレビは昔が面白かったと言う事にしておこう。

おやすみなさい。

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2014年1月3日 23:16 CAT :

後ろ向き全力疾走3段飛び

取り急ぎ、昨年の振り返りなどしてみようかとも思ってしまいました。

で、例年みたいに○大ニュースでも良いんだけど、今年はチョッと趣向換えして、このブログの「拍手」機能などを使ってみようかと思い立ちました。

要は、この拍手が多かった記事トップ5くらいを見返しつつ、昨年を振り返ってみようとかね。

そんな感じですよ。

せっかく誰でも見られるように公開してるんだから、読んで、拍手とかして貰った記事で1年を振り返っても、バチなど辺りはしないだろうて。

個人的な振り返りは、それこそ個人的にやっておけよ。

と、そんな感じですよ。

早速それをやってみようかと思ったんだけど、拍手記事を一覧で見る機能などが無いようで(あるかも知れんけど、管理パネル内で見つけ切れなかった…)コツコツと手動でピックアップだ。

バカヤロウ。

超コツコツ日記なだけに!
と、前置きは長くなったけど2013年の全62エントリー(少な!!)の中で拍手多い記事トップ5はこれだ!!(↓)
第5位!
5月6日更新
【その街角には君の立つ足跡がある】
<チョッとだけ所感>
「犬神サアカス團」のことかと思いきや、「うえまつえみこ」さんとか言う、有権者を舐め腐った元政治家のおばさんの記事だった。

元民主党の政治家さんで、選挙に不利になると見るや否や、選挙直前に離党。

しかも、離党はしたけど、民主党と協力していくと言う、クソ舐めた発言(または、くそ非常識発言)をしてたな。

そして、しっかりと落選。

と言うね。

まぁ、あのまま民主党に残ってたら当選したかと言うと、それはまた別の話だとは思うけど。

とにかく、香川県民として、この人を落とす事が出来て良かったと思いますよ。

そういえば、この選挙の時の、池上さんの特番も面白かったなぁ~
第4位!
5月3日更新
【片目の鬼が来る~「春来たる鬼」発売記念巡業~】
<チョッとだけ所感>
「犬神サアカス團」となっての初の興行参戦の記事。

MCを一切せずに、楽曲だけで勝負すると言う、凄いコンセプトになってしまった「犬神サアカス團」。

新曲発表、しかも、その曲の音源をライブ会場だけで発売と言う、鬼畜のような所業
の為に、広島まで、平日なので仕事を休んでまで行ってきたという、そんな感じ。

全体としては、やはり前のエンターテイメント集団の頃の方がニコニコご機嫌になれるよね。

と言う結論に達した。

メッセージ性も高くなったし、やりたい事も十二分に理解できる。

もちろん、だからと言って嫌いになったわけではないのだけれども、オレがライブに求めてたものとは少しずつ剥離してきたかもしれない。

平日に、仕事を休んでまでは、もういく事はあんまり無いかもしれない。

そんな少しだけ寂しい思いをした初夏の出来事。

おなじく第4位!
8月18日更新
【始まりの始まりはまだ終わらない】
<チョッとだけ所感>
家族3人で出かけた初めての遠出の記事。

しかも、その場所徳島県の大歩危小歩危は、実は、嫁とまだ付き合うとかそんなレベルにも達していなかった当時、初めて2人で出かけた場所だったりするという、そんな思い出の場所。

そこへ、家族が増えてから赴くと言う、なんとも言えない感慨に思いをふけっておりましたよ。

のんびり大自然を堪能すると言う名目。

基本的に、人ゴミが苦手で、都会も苦手で、自然が大好きです。

第2位!
1月19日更新
【寒い季節の暖かい日の中】
<チョッとだけ所感>
たった一言だけの記事。

ただ一言だけ。

娘が生まれた時に書き込んだ一言。

この記事のタイトル自体は、何気に、娘がまだお腹の中に居た時に、その娘の事を悶々と考えながら作った曲「白痴にもかけるラブソング」の出だしの1節だったりもする。

何しか、「娘が生まれたよ」って言うただの報告なのに、ありがたい事です。

へ~へ~。

第1位!
9月11日更新
【いつかその星が見えるその日まで】
<チョッとだけ所感>
で、1位は何と9月頃に読んだ「アシュラ」と言う漫画の感想を書いた記事。

「アシュラ」自体が、チョッと前に話題になったからだろうか?何となく意外な感じもするけど、2013年一番良かった(?)記事は、この「アシュラ」の感想らしい。

そもそも、この漫画。

確かに面白いし、読み込めば読み込むほど色々と考えさせられるのは間違いない名作。

是非未読な方はこの機会に読んでみてもいいと思う。

命とは、生きるとは・・・そんな事を改めて考えさせられる、古びれる事のない作品だよね。

と、そんな感じで昨年を振り返れたのかどうか分からないけれども、こんな感じの結果と相成りました。

今年は、もう少し、色んなことを更新していきたく思っておりますので、え~と・・・取り合えず、更新62件は超えるように。

読んだ本(と言うか漫画)の感想とかいっぱい書きます。

ハイ。

何しか、今年もよろしくお願いします。

(2回目)

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2014年1月3日 9:41 CAT :

今年で10年目!今年もよろしくお願いいたしますですます。

明けまくってしまいましたが、あけましておめでとうございます。

昨年の振り返りや、今年の抱負とか以前にご挨拶すら今更と言う、こんな体たらく。

何しか、5連休あったはずなんだけど、嫁の体調不良もあり、大掃除もあり、親戚周りもありで、例年にない位、クソ忙しい年末年始だったもので・・・

とは言え、3人で過ごす初めての年末年始。

そこの所は結構感慨深いものもございました。

昨年も、「今年は、いっぱいブログをかくぜぇ~」とか言いながら、例年通り、尻すぼみとなったわけですが、今年も、例に漏れず、一応、いっぱい書く事を目指して書いていきます。

ここの所、ただの日記になりつつあるので、色々思った事とか、南トンスルランドの事とか、元々好きなムー的なこととか、雑多な内容を更新出来たらなぁ~とか思っておりますよ。

と言う事で、実は、今年で10年目(前のブログからあわせると)の超コツコツ日記をよろしくお願いします。

(時効警察風味)

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