月別アーカイブ: 2014年5月

2014年5月31日 23:12 CAT :

最初の遺書

「no lie-sense」さんのファーストアルバムばかり聴いております。

ここの所。

心が若干疲弊しているので、優しい音楽が欲しい。

頭が疲弊しているので、軽い音楽が欲しい。

そんな欲求があったりなかったりする中で、さほど意味のない軽いこの音楽が、凄くピッタリだったりする。

とは言え、このアルバムが薄っぺらい訳じゃあない。

一言でいえば、「最初から美味しいスルメ」だ。

はじめて聞いた瞬間から、「何だ?!この凄い音楽は!!!」ってなる上に、聴けば聴くほど、凄さと新しい発見があって、どんどん深みにはまっていく感じ。

物凄い作りこまれているのに、それ自体に何の意味もない。

・・・と言う凄さ。

これ、モノ作りした事ある人なら、分かってもらえると思うけど、凄い事だと思う。

オレには、まだまだこんなものは作れない。

でも、いずれ、作れるようになれたら、人生単位で、結構うまくいったとか思えるかも知れないし、思えないかも知れない。

答えは、まだずいぶん先になりそうだけれども。

さてさて。

歌詞カードのデザイン案を考えてて、ふと、娘の書いた絵を使おうかとか思ったんだけど、あんな素敵な絵は、オレと嫁だけが独り占めしておけばいいと言う、逆親ばかが発動したので、自分で絵を描く事にした。

「us」が完結してから、なんと、もうじき1年が経とうとしている。

その間。

ホントに、まともに絵とか描いてなかった。

ビックリする位描いてなかった。

軽い落書きすら、ほとんど描いてなかった。

・・・でも、描けるもんですね。

だてに、20年以上漫画描き続けてきた訳じゃあない。

長い時間をかけて覚えた事は、簡単には忘れやしないとは、本当の事みたい。

ついでに言うと、根本的な画力がまた一つ上がってるような気がする。

絵を描いてなかったのに・・・でも、オレには、この1年間。

これまでの人生と比べて圧倒的に変わった事があるんだよ。

それは、娘の事をずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと見てきた事。

さっき、嫁とも話してたけど、何か、これまでは、絵を描くって事を記号的に考えてたんだよね。

例えば、下から見上げる構図を描く時には、こう言う角度の線を引いて、ここに影をつければ、そう見える・・・みたいな。

でも、そうじゃなくて、下から見上げる構図書きたいなと思った時に、良く分からんけど、こんな感じに描いたら、そうなるんじゃね?みたいな、抽象的な感覚で描いてみたら、以前より頭の中にあるイメージに近いものが書けるらしい。

オレの場合。

そう言う事らしい。

絵を描くと言う事は、反復練習だと思ってた。

もちろんそれはそれで重要だけど、オレの場合は、必要な事は、「見る事」だったと言う事か。

そう言えば、手塚治虫が言ってたな。

「漫画がうまくなりたいなら、漫画を見ながら描くんじゃなくて、人間を見ながら描きなさい。」的な事を・・・手塚治虫こそ、記号的漫画の元祖のような気がしないでもないけど、でも、初期の頃の神懸かってた絵はそうやって生まれたんだろうて。

まぁ、そんな感じで、絵が描けたら、歌詞のデザインも作っていきますよ。

弟の方で、ミックスダウンとか進んでるんだろうか?知らんけど。

ここまで来たら、急かしてもしょうがないので、ゆっくり作ってもらうのを待ちながら、のんびり絵でも描いていきますよ~っと。

aaaaaaaaa.jpg
この絵は、多分、歌詞の最後のページに使う・・・と思う。

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2014年5月28日 23:22 CAT :

first suicede note

今宵はまた、それはそれで心にとっても影を残している。

こんな夜にペンを取れば、それはそれで、凄い絵が描けたり、凄い話が書けたりするんだろうけど、明日もまたお仕事な訳で、明後日もお仕事な訳で、そんな時間もないらしい。

愚痴ろうにも、嫁も娘も寝てしまったこの時間。

取り急ぎ、ちょこっとブログでも書いて、寝てしまおうとか、そんな事を画策しているのです。

こうやって、日常的に削り取られて言った心持ちが、創作意欲を無くしていくんだと思う。

音楽も、物語も、絵のイメージも、何にもないや。

ただ、明日もモノを売る為の商業デザインと言う、記号の羅列をコツコツと積み上げていくらしい。

最近、デザイン的なものが分からなくなってきた。

前は、何も分からないままに、自分の中から出てくるものを何とかかんとか、すくい取ろうと画策してた。

でも、今は、自分の中から何も出てこないものだから、技術やら、理論やらを持ち出して、それを記号化して、組み立てている。

いつからこうなっちゃったんだろう?
自分らしいデザインとは、何なんだろう?
教えてくれるかコックリさん

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2014年5月26日 22:43 CAT :

さよならの第1工程の終わり

取り合えず終わった・・・と思う。

そう、信じたい。

ミックスダウン終了後に、やっぱりここが気に入らない。

みたいになりたくない。

と言う気持ちを込めて、「今回は。

一切文句言わないって、約束するから、オレのチェック一切なしで、マスタリングまでやっちゃってくれ」と弟に提案してみたんだけど、「怖すぎて、それは嫌だ。」と言われた。

しょうがないので、ミックスダウンまで終わった段階で、確認しよう。

いつものように、もっとディストーションをゆがませてくれ。

とか、ここのフォークギターはもう少し下げて、ピアノを出してくれ。

とか、ボーカル下げて、ベース上げてくれとか、そんな事をウダウダ文句垂れて、何度もミックスダウンさせるようになるのかも知れない。

し、ならないかも知れない。

とにもかくにも、4年半ぶりのオリジナルアルバム「王道軽傷」のレコーディング全行程が一応終わりましたよ。

2年前の7月に(一応、その時の記事)はじめて構想を練りはじめ、そこから、一年近くかけて、まとめた構想を元にレコーディングを始めたのが、去年の夏。

そして、それから10カ月近い歳月の間、中断と再開を繰り返しながら少しずつ録音してきた全てが、終わった訳ですよ。

当初の構想通りの「ディトーションで歪めたカッティングギター」と「オーバードライブとかの手クセ優先のギターソロ」「循環コードに異分子を投げ込んだコード展開」に、「不謹慎な物語の歌詞」「ちょっと外れたボーカルと語り」が満載のものが出来上がりました。

今の段階で、結構いい出来だと思っておる。

自分で、思わなきゃ誰が思うんだよ。

自分で良いと思わないものなんて良い訳がないんだ。

当初の予定をはるかに超えた全16曲の大ボリューム。

収録時間は、なんと限界突破の79分と言う、そんな感じですよ。

ちなみに、一番最初の段階で収録予定だった曲は・・・

「今宵【ただいま】はゼロになる」
「犬神一座のサーカス団」
「無限ループタスクバー」
「発狂者。

雨音のメロディーより」
「ジェノサイド・ラブレター」
「捨幸超絶美貌女の死に様」
「絶望 その1」
「観客3人のライブイベント」
「おまけの一日」
だったんだけど、この中では、改題、歌詞書き直しなどあったものの、4曲しか実際には、作らなかった。

そして、それ以外に12曲新しく作ったらしい。

そうらしい。

一応、現状での(完成した段階で聴いて、順番とか曲名とか変えるかも知れないけど・・・)収録曲はこんな感じ(↓)
M1. 本当の横溝正史のラブレター
M2. 1/f揺らぎにあわせて奏でる発狂者のメロディー
M3. 虐殺の恋文
M4. 死合わせとシャボン玉の唄
M5. 惑星ひとりぼっち
M6. 今宵、「ただいま」はゼロになる
M7. 黒魔術ラヴィンユー
M8. 糧となるモノたち~true of the world
M9. 思い出のアルバム
M10. おもちゃはおもちゃ箱へ
M11. お耳汚しを召し上がれ
M12. 犬神一座の大サーカス
M13. 哀飢え悪の唄
M14. パラフィリア=グロッサリー その1
M15. パラフィリア=グロッサリー その2
M16. 白痴にも書けるラブソング
そんな感じで、この後は、歌詞カードでものんびり作っていきます。

出来た暁には、配り歩くと思うので、是非聴いてみてくださいませませませ。

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2014年5月24日 0:41 CAT :

青少年のための犬神入門

これを書かずにはいられない!!
と言う、そんな気持ちでいっぱい。

そうなんだよ。

この21日に、犬神サアカス團のニューアルバムにして、20周年記念盤「青少年のための犬神入門」がリリースされた訳ですな。

で、早速聴いてみた。

とは言え、今日は23日。

(もう少ししたら24日)。

すぐに聞き込んだとは、チョッと言い難い所は、まぁ、大目に見てもらいたい。

最近の仕事が忙しいんだよ。

さてさて。

このアルバムの感想を書くよ。

書くよ。

・・・ただ、今回については、若干のネタばれを含むので、あえて、「続き」の方に書いておく。

まだ、未聴なら、是非、先に聴けばいい。

聴けば、もうそれで、オレの感想なんて、無意味になるような体験が出来るはずだから。

じゃあ、何で書くのかって。

それはお前。

あれだよ。

あれ。

オナニーだ。

と言う事で、レッツゴー!

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2014年5月10日 22:13 CAT :

時の追随

家族で海へ行った。

娘が、波打ち際でピチャピチャして、それで、服もビショビショ、砂まみれになって、それでも笑ってる。

オレも一緒になって、砂まみれになって、山作って、トンネルほったりして、アトピーの手に、塩水はピリピリ痛い。

砂浜で、娘を裸んぼにして、ふいてやった後、オレの着てたパーカーを羽織らせて、車の中で嫁が、持って来てた別の服にお着換え。

オレは、その間、砂だらけになったサンダルやら何やらの砂を落として、そのまま裸足で車運転して帰ってきた。

てんやわんやだったけど、娘の夢中になってる顔見てたら、何と言うか、凄い面白くなって、笑ってた。

どんな感情なんだろう?
よくは分からないけど、凄く良い一日だったような気がする。

これと言った何かがある一日じゃあなかったんだろうけど。

それが、きっと、娘がいなければ味わう事が出来なかったものだろうと言う事だけは、なんとなく分かった。

あの子は、オレに凄く色んなものをくれる。

そのほとんど全てが、なぜか、心地良かったりする。

風呂場でうんこしようとも、夜泣きで寝れなかろうとも、水をブチ撒こうとも、オレの書いた曲の楽譜を破こうとも、何か起こるより、面白くなってきて笑ってる気がする。

そんなどうでもいい事以上に凄いものを毎日くれてるからなんだろうと思う。

それに比べれば、仕事から疲れて帰ってきて、風呂に入ろうと思って、湯船の中を覗いたらチョッと黄茶色なものが浮いてたくらい、笑って片づけられるんだって。

まぢで。

嫁のいとこに新しく子どもが生まれた。

オレのいとこに新しく子どもが生まれるかも知れない。

それがチョッと羨ましくも思う。

だって、オレがこれまでニヤニヤしながら過ごしてきた、あの日々をニヤニヤしながら過ごしていけるんだから。

でも、オレのこのニヤニヤする日々もまだ続くらしい。

続いてほしい。

お風邪など召しませぬよう、お身体ご自愛ください。

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2014年5月9日 22:15 CAT :

冷たい川に入ったりお腹を叩いたり転んでみたりしたけどこの子は死ななかった

別に、求めてる訳じゃあないオレが悪いんだけれども、基本的に、今の職場ではあんまり出世とかできない。

と言うか、多分、会社的にオレなんて居ても居なくても良い存在だと思われてるような気がする。

そもそも、webデザイナーなんて、別に社内で雇わなくても、外注に出してしまえば、それで問題ない訳で、そんな話が実際過去にも何度か社内で持ち上がり、その度、オレなんか別に居なくても良いんだと思われてるんだろうなと、チョッと凹んでた。

ただ、性質が悪いのは、そんな事実に対してオレ自身が「オレの実力を認めさせてやるぜ!」って思わない事だと思う。

とは言っても、仕事自体はどんな事があっても手を抜かないでやろうって事だけは、心に決めてる。

成果が出ようとも、出なかろうとも、その事を会社内で誰かに報告したりは基本的にしない。

数字が悪いときだけは詰められるけど、数字が良くても、それが結局誰の成果はうやむやになる。

そんな社風を目のあたりにして、なんかオレだけが「オレの作ったページでどうのこうの」とか、そんな事言う気がなくなってしまったと言うのが真実に近い。

何度か、そんな話を社内でした事あったけど、「広告がどうのこうの」とか「商品企画が良かった」だの色々言われるだけで、結局、誰も認めてくれやしなかったと言う過去もあるしね。

でも、まぁ、今会社のサイトは、コーポレートサイトも通販サイトも、サテライトサイトも、ブログも全部オレがデザインして作った。

って事だけは事実な訳で、ここ数年は、その成果を別に誰に言うでもなく、自分でだけ眺めてニヤニヤしてる。

何で、今更こんな話をここに書いたのかと言うと、珍しく、今回オレが結構中心になって、商品企画から、ページ製作までほとんど手掛けた商品があって、それが、思ってたよりうまく行ってたから。

・・・って、事だけ。

今回のこの事も、あえて声高にオレから、何か会社に言う事はないと思う。

んで、これに関わった誰かがいつものように、成果を会社に報告してくれて、オレはそれを隅の方で「良かったですね~」って言いながら、眺めてるだけだろうて。

これまでなら、こう言う事は真っ先に家族にお話ししてたんだけど、今、嫁は体調不良でそれどころじゃないし、娘はそもそもそんな話しても「?」だと思うし、結構、こんな話出来る人が居なかった事に気がついた。

いや、さびしい訳じゃあないんだけども。

でも、まぁ、チョッと嬉しかったので、少し誰かに聞いてほしくて、ここに書いてみたとか、そんなかんじなんですよ。

たまたま、この記事読んでしまったあなた。

オレの自己満足にお付き合いくださいまして、ありがとうございました。

では、おやすみなさい。

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2014年5月8日 22:14 CAT :

大体お前らまともじゃないぜ

曲を作る時、大体完成形をイメージして作りはじめる。

で、ある程度完成してくると、ほとんどの場合、当初の思惑通りの良い曲になってるんだけど(まぁ、自分で作っているんだから、当たり前っちゃあ当たり前。)時々、その予想の斜め上に完成してしまう曲がある。

大体、アルバム一枚分曲を作れば、その中で一曲位それがあったりする。

今までで言えば、「瓶詰めの幼女」とか、「雲は流れ 人は殺され 川は流れ」とか、「捨幸醜貌女の死に様」とか、「モノはモノだけど忘れません」とか、「Don’t 永眠ファラオ」とか、その辺かな・・・・

逆に、「ジャム地獄ジャム」とか、「果て1」とか、「蛇女外道節」とか、「ひとときの暗がり」とかその辺は、出来た最初から、これは良い曲になるだろ…と思いながら、実際作ってみて、やっぱり名曲だな。

と、変な悦に入ってたりする。

今回の「王道軽傷」で言うところだと、これは良い曲だろ。

と、最初から思ってたのは「1/f揺らぎに併せて奏でる発狂者のメロディー」とか、「虐殺の恋文」とか、「パラフィリア=グロッサリー」とかその辺で、思ってたのの斜め上な出来になったのは、「おもちゃはおもちゃ箱へ」だよね。

結構前に、このブログで、「こんなネタはいかがでしょうか?」的な感じで、紹介した物語で、実は、そう言う意味では、今回のアルバムの曲の中で一番最初にネタが出来上がってた曲。

で、何となく具体的なイメージがわいてこなかったので、一番最後まで手をつけなかった曲。

結局、そんなあやふやなまま、その場の勢いだけで作り上げて見た所、それがまぁ、ビックリする位良い感じの曲になった。

もう、こんな感じの曲は作れないんだろうなと思ってたのに、まだ作れた!みたいな感じでしょうかね?
創作活動をオナニーの延長線上でやり続けているものとしては、やっぱり、こう言う、思ってた以上のモノが出来上がると、凄いテンションが上がるよね。

上がったから、それをチョッと自慢したくなってしまっただけです。

お目目汚しを失礼しました。

後、1回レコーディングすれば、1年がかりの録音作業も完了しそうな感じだ。

な・・・夏までには、完成させるぞぉ~!
そしたら、これ以上影響受けて、作風をぶれさせたくないとか言う、謎の理由で聞いてなかった、「No Lie-Sense 」のファーストと、ストロベリーソングオーケストラの「月触のサーカス」をアホみたいに聞きまくろう。

そのうち、ストロベリーソングオーケストラさんの新譜と、犬神サアカス團さんのベストアルバムと、筋肉少女帯さんの新譜が出るわけですな。

なんと至福の一年だ。

全く。

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2014年5月6日 22:58 CAT :

まっくら森の闇の中では昨日は明日まっくらクライ

GW終わっちゃったね。

何となく心地よい疲労感と、明日からの事を考えると凄い憂鬱な感情が交錯してる感じです。

・・・けれども、これを感じる事が出来る事に感謝でもしてみようか。

例えば、家族が居て、お仕事をしているからこそ、この感情が出てくるんだよ・・・みたいな。

まぁ、偽善ですけれども。

さてさて。

世の中には、タイミングというものがある。

あの時、もしこうなっていたら・・・あの時、もしこうしなければ・・・今のオレはきっとなかった。

と思えるようなギリギリの選択肢がいくつもあって、その奇跡的な選択によって、今、現状のオレが存在していると思えば、それはそれですごい確率。

もそもそ、小学校、中学校と友達もいなくて、まともな会話すらしないまま、ただひたすらに妄想を膨らまし、漫画ばかり書いてたオレが、嫁も子どももいる普通の過程を築いて、ボロボロになりながらでも、お仕事をして、なんとか暮らせているわけだから、それはもう、本当に、自分で言うのもなんだけれども、奇跡に近いと思う。

その逆な奴だっていただろう。

そのままだった奴もいるだろう。

それは、全て、その時々のタイミングと膨大な量の選択肢の中から、正解とは言わなくても、限りなく正解に近いものを奇跡の確率で選び続けて今に至るわけだ。

そして、この先、その膨大な選択肢の中のひとつを誤れば、あっと言う間に転落していくって事だってある訳だ。

何が幸せだ。

と言う観点では、人それぞれの価値観があると思う。

オレは、家族が居て、今くらいの年収で、そこそこのご飯が食べれて、そこそこの場所に住めて、そこそこの趣味を嗜んでいればもう、それで良いと思う。

出世とか、あんまり興味ない。

出世して、収入が増えた所で、仕事も増えて、プライベートなく、仕事人間になってもしょうがなかろうと。

お金はあるにこした事はないけど、それが目的になってしまうと、多分、何事も楽しくないと思う。

お金は、目的じゃあなくて、手段だ。

そして、お金しか手段がないものは、多分この世の中でも、そんなに多くないと思う。

そして、幸せとか、満足の類は、お金とは無縁なものだとも思う。

「じゃがたら」と言う、偉大なバンドさんが「もうがまんできない」と言う曲で昔歌っていました。

「気の持ちようさ」と。

もし、この先、選択肢をミスしたとしよう。

と言うか、今までだって、実際にミスしている。

だって、結構前半戦はひどい人生だったよ。

まぢで。

でも、ミスをしたとしても、今が良ければ良いんだよ。

そう思い込むんだよ。

気の持ちようなんだよ。

オレが、俗に言う「リア充」のように、友達いっぱい、女の子といっぱいお話し続けた幼少時代を過ごしていたら、結構な確率で、今の嫁とは出逢ってもいなかっただろうし、そうなると、娘にも会えなかった。

あの頃があったから、今がある。

原因があるから、結果がある。

原因は必ずしも楽しい事や嬉しい事ではないし、結果が必ずしも幸せとは限らない。

そして、人生は相対的に見れば、誰も彼も大体プラスマイナス0なんだと思う。

今、楽してるあいつは、将来地獄を見るかもしれないし、過去に地獄を見たかもしれない。

今まで一度も苦労した事がないヤツは、本当に絶望的な死に際を迎えるかもしれない。

それら全てを、今と言う一瞬だけのタイミングで切り取ってみて、羨望したり、侮蔑したりするのは、本当に意味のない事なんだろう。

分かる事なんて何もない。

分かるのは、明るく楽しいメジャーコードも、性格音を半音あげれば暗く悲しいマイナーコードになると言う事ですよ。

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