月別アーカイブ: 2014年6月

2014年6月22日 20:44 CAT :

王道軽傷

結局、あの後にさらにもう一度の追加レコーディングとその他諸々の編集作業があったものの・・・

完成したよ。

ここまで、長かった・・・本当の本当に長かった・・・

とにもかくにも、全16曲。

収録時間は、限界突破の79分20秒(位)。

4年半ぶりのフルアルバムでございます。

取りあえず、前にもちらっと書いたけれども、理想と現実の交わってしまった作品だと思う。

もう、これ以上の作品を求めやしない。

・・・今のところはね。

この路線で、もう少し何かをするのであれば、もうそれは、演奏技術であったり、歌唱力であったりの基礎レベルの向上と言う、個人的には、あんまり興味のない分野での伸びシロしかないらしい。

まぁ、次回作を作るのであれば、もう少し、練習します。

ちゃんと、パートごとに作り込んだ編曲で。

「永遠の向こうにある果て。」以降の制作スタイルでの、一応の完成と言うところでしょうかね。

今回のアルバムは。

「果て.1」「ジャム地獄ジャム」のような若干和風な曲。

「恍惚の殺人子宮」のようなポエトリーリーディング。

「3年後のお葬式」「さよならとだけ呟いて意のままにあなたを殺します。」のようなメジャーポップス。

「おいちゃんからのラブレター」「アイエルマ」のようなポップス。

「GGGX」「惑星屠殺ワンダー」のようなメタルポップス。

「ホーリーチェリー」のようなアングラポップス。

「レイ=プレイpart2」「不幸飛行夜行」「青空と小児麻痺の世界」のような3拍子ポップス。

「4千年王国」「志茂田さんのプログレ」に匹敵する大曲
などなど・・・取り敢えず、これまでに作ってきた色んなスタイルの楽曲のほぼ全ての最終形が収録されとると思いやす。

それが、全て上記に挙げた曲よりも上の作品だ。

とは、到底思えないけれども、それでも、これまでやってきた事をしっかり網羅出来てるんじゃないかと。

そう言う意味で、完成形。

あと、編集と言う意味でも、「これ以上のクオリティーを望むなら、技術を上げろ」と言うお話だったので、そっちの面でも、もう完成形。

何しか、「黄泉」って曲で、自分の中にあるものを出しつくした・・・と思ってた、空っぽの中から新しく出てきた心持と言うものをぜひ、掬い取っていただければ、これ幸いでございます。

もうしばらくは、音楽はやらないよ。

馬忠・DA・ムドーでなんかやるかも知れないけど、ちゃんと作り込むのは。

少なくとも、年単位では、休止する。

そして、しばらく書いてなかった絵をまた少しずつ描くんだ。

マンガを描くんだ。

と言う事で、今後、ちびちびと、今回の収録曲のライナーノーツでも、書いていったりしよう。

別に何てことのないオナニーですよ。

誰かに何かを伝えたいとか、そんなんじゃないので。

取り敢えず、聴いてくれればもういいです。

聴いてくれなくても別にいいです。

でも、出来るだけ、色んな人にお渡しできればと思っておりますので。

では、最後に、もう一度収録曲(↓)・・・

M1. 本当の横溝正史のラブレター
M2. 1/f揺らぎにあわせて奏でる発狂者のメロディー
M3. 虐殺の恋文
M4. 死合わせとシャボン玉の唄
M5. 惑星独りぼっち
M6. 今宵、「ただいま」はゼロになる
M7. 黒魔術ラヴィンユー
M8. 糧となるモノたち~true of the world
M9. 思い出のアルバム
M10. おもちゃはおもちゃ箱へ
M11. お耳汚しを召し上がれ~と言う、演出
M12. 犬神一座の大サーカス
M13. 哀飢え悪の唄
M14. パラフィリア=グロッサリー その1
M15. パラフィリア=グロッサリー その2
M16. 白痴にも書けるラブソング
と、ジャケットイメージでも(↓)
1ページ表
タイトルは、当初の通り「王道軽傷」で。

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2014年6月10日 23:59 CAT :

焼肉焼いても家焼くな

家の近所(と言うほど、近くは無いけど)に「小僧寿司」を見つけた。

お寿司は、大好き。

肉を除けば、かなり好きな方の部類だと思う。

以前は、よく「スシロー」に通ってた。

娘が生まれてからは、「くら寿司」にも行くようになった。

でも、何気に、コスパが一番良くて、味も一番良いのは、「小僧寿司」だと思ってる。

機械が握ってるシャリに、ネタを乗せるだけの「スシロー」や「くら寿司」と比べて、実際に、中でおばちゃんが握ってくれてるから・・・なのか、まぁ、それは自宅で食べてるからって言う事もあるかも知れないけどね。

そんな、「小僧寿司」が、家の近くにあればいいじゃないか!と言う事で、先日、買いに行ってきましたよ。

そしたら・・・今月末をもって閉店だとか・・・

せっかく、見つけて喜んでたのに・・・無念じゃ・・・

さてさて。

食い物つながりで、先日たまたま見かけた、キチガイベジタリアン(動物愛護者?)のお話でも・・・

f5e8682d.jpg
この写真。

牛が泣いているとこだと思う。

それは分かる。

でも、このおばちゃんはこれが、「屠殺前の牛が悲しんでいる所」だと紹介したらしい。

自分の主義主張を通す為なら、資料の信憑性は重要ではない。

戦前の写真を使って、日本軍の虐殺事件をでっちあげてるあの国や、ファンタジーで歴史を構築しているあの国の人と同じ事をしていますね。

とっとと、日本から出ていけばいいのに。

まぁ、こんなあから様に嘘な写真は置いておいても、個人的に、動物愛護者と言う偽善者には、ほとほと反吐が出る。

別に良いと思うんだよ。

動物は食べない。

と言う主義主張はね。

勝手にする分には。

でも、それを人に押し付けた瞬間、それは宗教だと思う。

しかも、その主義主張を刷り込むために、平気で、嘘の写真や資料を、あたかも本当にそうかのように、使い始めたらもう、末期だ。

そもそも、この一部の生き物だけを優遇するって考え方自体いかがなものかと。

(シーシェパードなんてもっての外。

イルカやクジラを守る為に、人間を殺そうとするとか、本末転倒もいい所。

シーシェパードの場合は、目的は、金なんだろうけども。)
「生きるために命を奪う事は許されない。」と主張するなら、今すぐ死ねばいい。

この世界の自然には、「命を頂いて、命を永らえさせる」と言う大原則がある。

それこそ小さなバクテリアから、大きなクジラさんまで、全てその大原則に則って、生きている。

その大原則に納得が出来ないなら、今すぐ死ねばいい。

別に、誰も止めやしない。

なのに、自分はのうのうと生きてる。

生きて、命を奪って生き永らえている。

「私はそんな事はない。」と言うかもしれない。

でも、本当に、そんな事が可能なのか?
・・・たぶん無理だ。

無理だから、こいつ等は、その生き物に知能があるかどうか。

痛点があるかどうか。

みたいな、糞みたいな観点から、命を堂々と差別する。

例えば、植物は食べてもいいとか言いだす。

植物には、命がないと思っているらしい。

感情がないと思っているらしい。

大きい生き物には、感情があって、小さい生き物には、感情がないと思っているらしい。

本当にそう思ってる、ド低能なのか、そう思わないと自分の主張が通らないから思いこんでいるのかは知らないけれども、少なくとも、そんな幼稚な主義主張が通るはずはない。

ちなみに繰り返すけれども、菜食主義者をどうこう言うつもりは一切ない。

もちろん、動物愛護者だって、非難するつもりはない。

考え方は千差万別。

個人個人で、主義があって然るべき。

オレが言いたいのは、冒頭で述べたような、嘘をついてまで、無理やり人に自分の主義を押し付けるようなヤツには、ろくなヤツが居ないと言う事。

そんなヤツは、偽善者か、金の亡者か、差別崇拝主義者のどれかでしかない。

ちなみに、このタイプの人間の次に嫌いなのは、食べ物を粗末にするヤツ。

そいつは多分、「命を頂いている」と言う事を理解できる頭がないか、考えた事がないド低能だと思う。

外食行って、「量が多くて、食べきれなかった」とか言ってる女とか、見ててあんなにムカつくヤツは居ないって。

・・・う~む。

何か知らんけど、エライ怒り散らしてるみたいな感じになってしまったな・・・

取り合えず、ごめんなさい。

おやすみなさい。

ごめんなさい。

別に、怒っちゃあいないですので。

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2014年6月8日 15:22 CAT :

まんこ直触りの感触

一冊の手帳・・・とはとても言えない、紙くずがある。

それは、多分今も、オレの家のクローゼットの中で、大切に保管している。

幼稚園に通ってた頃。

初めて、「天空の城ラピュタ」と言う映画を見たオレは、ムスカに激烈的に憧れてしまい、ムスカが持っていた手帳(王の間の中にある石の前で見ている手帳)がどうしても欲しかった。

あの手帳には、きっと、ラピュタ文字はもちろんの事、それ以外にもたくさんの秘密が書かれてあるんだろう。

と、どこまでも、妄想を膨らませていた。

その時に、両親に「あんな手帳が欲しい」と一言言えば、それで手に入ったんだろうけど、当時オレは、何となく、それを欲しがっている事は、誰にも知られたくなかった。

なぜなら、アレは、秘密の手帳だからだ。

秘密の手帳なのに、両親にその存在を知られてしまっては意味が無い。

悩んだ末、オレは、自分が持っていた「色紙」と「セロテープ」を駆使して自分で、手帳を作る事にした。

ハサミでサイズを揃え、ペタペタとセロテープで貼り付けていく。

完成した手帳は、当時のオレにとって本当に光り輝いていたように感じた。

早速中に書くことを考える。

・・・秘密の手帳なのだから、書く内容も秘密にしなければいけない。

必死に考えた末、オレは、自分の好きなパンツの柄(女の子の)を書くことにした。

・・・が、これは、本当に相当誰にも知られたくない秘密。

秘密の手帳と言えども、誰かに見られてしまうかもしれないリスクがある。

そこで、手帳の1ページの中に、更に、小さな紙を貼り付け、ポケットみたいなものを作った。

そして、その中に、パンツの柄を書き、四方向から、セロテープで貼り付けた。

そして、25年以上が経とうとしている。

それ以来、誰もそのセロテープを剥がした人間はいないので、その中に書かれている内容は、本当に、この世の中で、俺しか知らない事になる・・・と思う。

結局、それだけじゃあ、1ページしか埋まらなかったので、それ以外のページには、オレは獅子舞が大好きだったので、自分が妄想した「相当カッコいいオリジナル獅子舞」を絵付きで紹介したり、いかに、如何にオレが悪いヤツだったかを知らしめる為に(今考えると誰にか良く分かんないけど・・・)犯罪暦(幼稚園の資材置いてる部屋に忍び込んで、キラキラ光る紙を盗んだ事や、女の子のブルマの中に手を入れた事など)を記したりした。

そのページは、今でも、(多分)見ることが出来る。

でも、その本当の秘密のページだけは、オレしか内容を知らない。

まぁ、今でも実物があるので、見ようと思えば、見る事は出来るんだけれども・・・今の所、オレしか知らない。

そんな事を、昨日の夜、ぼんやり考えてた。

長くなったけど、その内容を25年ぶりに、ここで公開してしまおうとか、そんな事まで考えてた。

考えてたけど・・・その内容は、4歳くらいだったオレの、本当にどうしても知られたくなかった秘密なので、やっぱり、墓場まで持っていくことにした。

・・・・と言う、そんなモヤモヤしたお話ですよ。

関係ないけど、その手帳を発端に、しばらくすると幼稚園中で同じクラスの園児達の中でブームとなり、皆、手作り手帳を持ってた。

そのうちの一人が「両面テープ」と言う神のアイテムを持っていたために、他のヤツが作る手帳は、物凄くきれい。

オレのみたいにすぐバラバラにならないし、ベタベタにもならなかった。

羨ましかったけど、当時、クラスの中に友達と呼べるヤツも居なかったし、自分が最初なのに、教えを請うのもイヤだったから、オレは、ズッとその手帳を使い続けた。

ブームが終わって、皆が手帳とか持たなくなっても、オレだけは、その手帳に色々な情報を書き続けた。

ページが足りなくなって、何度も何度も、ページを追加しながら・・・

今では、ただの紙くずのようになったその手帳。

もう少ししたら、オレの娘が同じようなものを作りかねない程に、時間が経ったけど、未だに、大切に保管している手帳。

本当に価値があるものって、多分、こういうものなんだと思う。

チョッとだけ、そんな思い出に浸ってみました。

はい。

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2014年6月7日 21:34 CAT :

今思うこの気持ちが一夜の昂りでなくなるべく願う

4年半ぶりのオリジナルフルアルバム「王道軽傷」のミックスダウンデモが出来上がった。

後、ほんの少しだけ直して、マスタリングしてしまえば、完成。

・・・ホントに、1年かかってしまったけど、完成だ。

まだまだ、追加したい音やアイデアはあるし、録り直したいところも正直ある。

でも、これはやりだしたら、いつまでも完成しないと思う。

モナリザじゃあないんだから、ある程度で、妥協することも大切だと思う。

ここで完成としようと言うやつ。

区切りが大切なんだよ。

区切りがね。

ただ、そうは言っても、このミックス段階でも、これまでのどの作品よりも凄い事になってる。

紛う事のない圧倒的な最高傑作。

どれだけ、ハードルを上げても大丈夫なくらいの絶対的な自信がある。

何だろう。

うまく言えないけど、もうこれ以上の作品をオレは求めない感じ。

これまでは、チャップリンの真似事のように、「最高傑作は、次の作品だ」と言い続けてきた。

それには、「この作品は、今出来る最高傑作ではあるけど、もっと凄いものを頭の中ではイメージしていて、まだ、凄いものが出来るはずだ」と言う、自分への戒めを含めてたりする。

でも、今回、これを聴いて、そう思わなくなった。

これが、最高傑作だ。

オレの頭の中にある、理想と、出来上がった作品がとうとう一致しちゃった。

・・・もう、これ以上の何かをオレは求めないよ。

これ以上に何かをするとすれば、それは、冒頭にチョッと書いた、細かい部分を詰めていくだけしかない。

それか、「no lie-sense」みたいな曲を作る。

といった方向性を変えてしまうかしかない。

「黄泉」と言う曲を書いた時、自分の中にあっただろう書きたい事は出し切っちゃった。

と思った。

もう音楽はおしまいだとも思った。

それからしばらく、書きたいものが見つからないままに、2年近くギターを触らない日々があったりした。

でも、その間に、見つかった新しい気持ちがあり、そしてそれを書き連ねてみたのが、今回のアルバムだと思ってる。

そんなもんだから、多分これからも、こうやって書きたいものは沸々と出てくると思う。

でも、それを形にしたいと頭の中で思い描く時の理想像は、多分「王道軽傷の時のような音楽で・・・」だろう。

そんな感じだと思う。

演奏自体の拙さとか、その辺はあると思うけど、技術的にこれ以上練習したりする気もないし、編集技術にだって、何の不満もない。

よく、オレの曲をここまでに仕上げてくれたもんだと、感謝するばかりだ。

一つだけ、やり残したことがあるとすれば、今回、あえて自分から没にした、もう一段暗い部分の物語の具現化だろうか・・・

正直、それを形にしても、ただ人が不快になるだけだし、そもそも誰も得をしないだろうと言うそんな思いから自主規制的な感じで、形にしなかった諸々。

「つんぼとめくらのラブゲーム」、「ゴーモンデーモンのハピネスソング」、「ロボトミーハーレム」、「殺されるために自ら持ち上げた首」、「さようならお母さん」、「そのナイフを持つ前に」、「空気注射」、「望まれないあたしとあなた」などなど・・・

願わくは、これらのただドス黒いだけの物語を、具現化したいと言う心持にならない日々を過ごせる事でしょうかね・・・

さあ、本当にあと一息だよ。

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2014年6月4日 22:34 CAT :

100円やるからどっか行け 顔に比例した奇麗な心

振り幅の話。

良い事がありすぎると、後が怖いので、どす黒い気分になれるものを見る。

逆に、悲しい事がありすぎると、立ち直れないので、もっと悲しいものをみて思いっきり泣いたりする。

・・・と言う、バランスのとり方をしております。

おりますが、どうにも、そのバランスからはみ出してしまう感情に支配される時だって、結構あったりする。

そう言う時に、どうすれば良いのか・・・

どうしようもない。

悲しいものを見ても、どす黒いものを見ても、何だったら嫁に暴言吐いてみても、美味い物食ってみても、大声出して見ても、創作活動に従事してみても、どうしようもない。

どうしようもない時には、何をやったって駄目なので、何にもやらない。

どうせ、何にもやらなくたって、明日になる。

明日になると、やらなければいけない事がある。

やらなければいけない事をやっていると、一日が終わって、明日になる。

明日になると、やらなければいけない事がある。

やらなければ・・・と、続いて行く毎日に気がつけば、感情は、割と元に戻っていたりするらしい。

でも、チョッと知ってる事は、明日、やらなければならない事がなければ・・・実は、その日一日が、結構苦しかったりすると言う事。

仕事なんてやりたくねえよ。

とか、よく思うんだって。

まぢで。

それでも、何にもしない事の苦しさも結構知ってるので、結局、お仕事なり何なりに頑張ってしまう。

それはそれで、感情の上でも大切な事なんでしょうね。

でも、ストレスのため過ぎはいかんと思う。

自分のやりたい事かどうかも大きいと思う。

ただのわがままだと思う。

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