月別アーカイブ: 2014年7月

2014年7月30日 23:06 CAT :

あらゆるものは踏みつぶされて塵となって風に舞って消えていく

ずいぶんと期間が空いてしまった。

イヤ何。

色々と忙しかったとしか言いようがないんだけど、取り合えず、忙しかったんだよね。

忙しかったんだ。

インディアン嘘つかない。

オレ。

イソガシイ。

とは言え、この間。

別に何もしてなかった訳でもなかったりする。

取り合えず、文章を書き倒してた。

何か、セミナーの宿題的なもので、自分の過去から今までの自叙伝みたいなヤツを、3000文字くらい書いたり、会社で作る本をメインで書かされリ、そもそも、仕事のブログの方は、今月15件位更新してたわけで(それも、1回の投稿が長いんだよこれが。

まぁ、オレが書いてんだけども。)、ホントに色々文章書いてた。

多分、「永遠の向こうにある果て」を書き上げたあの1カ月に匹敵する位の文章量だと思う。

ただまぁ、これが全体的に「固い」文章だから、書いてるこっちとしては、大して面白くもないんだよな。

固い文章何てクソくらえだ。

さてさて。

この間、書きたいネタは結構たまってるんだけど、取り合えず、先日、ツイッターの方でチョッと触れたお話でも。

ある夜、床に就いた時、嫁がふと話しかけてきた。

「一番古い記憶はなに?」と。

そんな事、あんまり考えた事がない。

ないと言うより、人に言われなきゃ、なかなか自分でやろうとするものでもない。

チョッと面白そうなので、早速色々と自分の子ども時代の記憶を掘り越してみた。

でも、その段階で不思議な事が分かった。

オレの一番古い記憶って、多分、ひいじいちゃんと散歩してた事だと思ってたんだけど、その記憶の風景に違和感があるんだよ。

何かって、その記憶の中にオレが居るんだよ。

オレとひいじいちゃんが二人で散歩している情景が頭の中に浮かんでくる。

・・・これは、オレの記憶か?
他にも色々ある。

例えば、ばあちゃんちで、オレが、門の所から、畑にいるばあちゃんを呼ぶ情景。

従兄と従兄の勉強机でプラモデルで遊んでる情景。

クリスマスに朝起きたら、サンタさんからのプレゼントがあって嬉しすぎて、そのプレゼントを何故か親父に投げつけてしまって怒られた情景。

家にあった砂場を赤土が出てきても掘り続けて、ばあちゃんにしこたま怒られた情景
などなど・・・

でも、全部、その情景の中にオレが居るんだよ。

普通に考えたら、オレが居るはずない。

オレが見た情景なんだから、ばあちゃんとか、従兄とか、親父とかが居ないとおかしい。

なのに、その人たちが居ない。

表情も分からない。

でも、オレの表情は分かる。

オレは居る。

チョッと怖いけど、可能性はふたつある。

ひとつは、オレの記憶は、オレのものじゃあなくて、誰かの記憶。

または、哲学的に言う、世界が5分前に出来たとして、そこに配置された人間にはそれぞれに作られた記憶を植え付けられた。

と言うあれ。

あれの、不良品版。

と言う可能性。

もうひとつは、すでに、その辺の記憶はなくなってしまっていて、今あるのは、後年に、自分も映ってる写真とか、人の話から、勝手に自分でねつ造した記憶。

と言う可能性。

出来れば、後者である事を願う。

その場合には、自分の記憶に自分が居る事も何となく説明できてしまう訳だし。

後者である事にする。

後者であるとして、そう言うねつ造の記憶を取り合えず、省いてみた。

そうすると、ビックリする位記憶がない。

悲しくなる位記憶がない。

家の前には割と大きな道が通ってて、何だか眠られらない夜。

その道を車が通るたびに、照らされるカーテンの色。

そのカーテンが、何だか、昆虫人間の顔の様に見えて怖かった事。

幼稚園の砂場にあった大きな滑り台の上から滑ってくる同級生(その時、たしか、滑って来たその同級生に蹴飛ばされたような・・・)
小学校2年生の遠足の時、普段、オレをいじめてた、やんちゃなヤツが、迷子になって、見つかったけど、泣きながらバスに乗り込んできた事。

オレの大事にしてたガンダムのカードを、訳の分からないジャンプのおまけカードと無理やり交換させられた事(この時、嫌がって、しこたま殴られ蹴られたはず・・・)
ぐらいしかない。

どれも、意外と古くない。

幼稚園位か。

幼稚園なら、一番の記憶は、先日ブログでも書いた手帳の話だってある。

もっと古い記憶だ・・・一番古い記憶だ。

と、もっと色色思いだしてた。

(その間に、どうでもいい感情も色々思いだしたので、それについては、また後日にでも・・・)
そして、見つけた。

多分一番古い記憶。

記憶の根拠は、まずオレが居ない事。

そして、視界が異常に低い事。

多分、一番低い。

だから、一番古いと言えるかどうかは分からないけど、多分そうだと思う。

せっかくなので、その情景を絵に描いてみた。

▼ ▼ ▼ ▼
e.jpg
何か、曖昧すぎてうまく書けなかったけど、こんな感じ。

オレの実家は、じいちゃんが立てた後、親父と弟(叔父さん?)が生まれた時、親父が結婚した時、オレとか妹の部屋を作る時と、何度も、改増築を繰り返してる。

その為、何か凄い歪な形の時期があった。

オレが生まれたばっかりの頃、母屋からはみ出すように細い廊下が出ていて、その先に、狭い部屋が2つとトイレだけがある場所があった。

その部屋は、親父と弟の部屋だったらしいんだけど、とにかく、オレは、この廊下が怖くてしょうがなかった。

何せ、薄暗い電気しかつかない上に、その廊下に出るためには、応接間を通らなくちゃいけないんだけど、その応接間には、めっちゃ怖い虎の絵があったから。

その恐怖しかなかった廊下の、母屋寄りの部屋(多分親父の部屋)には、(今考えると、結構凄かったんだと思うけど)大がかりなコンピューターと、印刷機が置いてあった。

で、親父が、時々そこで、書類とかを色々作ってた。

・・・煙草をモクモクしながら。

その部屋は、多分、ちゃんと、戸が閉まらなくて、真っ暗な廊下には、常に、その部屋の明かりがもれてた。

オレは、時々、恐怖を抑えて、その部屋で仕事をしてる親父をのぞきに行ってたんだよ。

とてつもない恐怖の中を歩いて行って、その先に、親父を見つけて、ホッとする感覚が結構クセになってたんだと思う。

妹とと、交代で良く見に行ってたような気がする。

その時の、親父の後ろ姿・・・を書いたつもり。

あの廊下は、オレの部屋を作る時に、取り壊されて、今はもうなくなってしまった。

でも、今でもはっきりと覚えてる。

あの廊下の感じ、匂い、恐怖。

その全て。

それが、多分オレの一番古い記憶なんだと思う。

取り合えず、この記憶が亡くなる前に、ここに書く事が出来て良かった。

と言う事にしておこう。

何か、凄い長くなってしまったけど、今日の所はこの辺りで。

一番古い記憶の話。

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2014年7月12日 20:43 CAT :

昔昔のお話です

「この世の中には、思い通りになる事なんて一つもない。」
とは、オレの大好きなばあちゃんが良く言う言葉。

90年近く生きてきて出した答えが、これと言うのも、なかなか凄いと思うけれども、ふと思った。

少々哲学的な話だけれども。

仮に、本当に「この世の中には、思い通りになる事なんて一つもない。」としよう。

でも、それを口に出して、「この世の中には、思い通りになる事なんて一つもない。」と言った瞬間、本当に、「思い通りになる事なんてひとつもない」と言う思いだけは、叶っているんじゃあないだろうか?
これをもう少し、発展させてみる。

ネガティブな事を口に出す事で、事がら自体はネガティブでも、ポジティブな状況に持って行く事が出来るとは、言えないだろうか?
だとしたら、これは相当な魔法の言葉の様な気がしてきた。

ばあちゃんがここまで考えてるかどうかは知らない。

でも、この言葉には、そんな力があるんだと思う。

きっとあるんだろう。

それを、ばあちゃんは、90年近い人生の中で見つけ出した。

オレも、あと何年。

いや、もしかしたら、あと何日かもしれないけれども、生きていく中で、こんな理を一つくらいは見つける事は出来るんだろうか・・・

見つけられるようになりたいもんだな。

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2014年7月11日 22:45 CAT :

顔本

言葉を書いてないわけじゃあない。

むしろ仕事の方で、書きまくってる感じはある。

あるんだけれども、そのどれもが、本来書きたいものじゃあない訳で、そういう意味で、文章とかも書けてないよな。

何か、仕事がメインになりつつある。

まぁ、オレの場合、会社のお仕事にもなかなかどうして、閑繁の差が多く、繁忙期には、何にも手につけられない。

と言う事実はあるんだけれども。

取りあえず、今の繁忙期が終われば、何か、ひとつ始めよう。

そうしよう。

さてさて。

最近、意味もなくfacebookなど、再開してみました。

意味は特にない。

ちょっぴりだけ、いろんな人とのつながりも大切にしようかとか、柄にもないことを少しだけ思ったりしただけ。

でも、この実名でのネットの繋がりと言うものに辟易してきた。

開始1週間程度で。

誰かが、投稿した内容に対して、それに興味があるなしに関係なしに、「いいね」を押し、あるいはコメントを残すんだろう。

すべての投稿に「いいね」を押す「どうでもいいね」と言うアプリがあり、それがある程度需要がある。

と言う観点から考えると、意外と同じことを思っている人がいるのかも知れない。

要するに、「いいね」するの面倒くさいけど、社会的な繋がりとか関係のために、「いいね」しとくか。

と。

ネットって、そういう実社会とかけ離れた世界であることに、一定の心地よさがあったと思う。

実社会での疲れをだからこそ、ネットで癒すことができたんだと思う。

なのに、そのネットの社会にまで、実社会というやつが、入り込んできているこの現状。

なんだろう。

facebook立ち上げてると、全く安らげない。

facebookにおいて、嫌われる投稿といえば、「リア充アピール」らしい。

でも、ほとんどの投稿って「リア充アピール」のような気がしてならない。

facebookについて、オレが失敗した点は、会社関係とか、そういう人たちとの関係がある程度出来てしまったことだと思う。

オレの事をある程度わかってくれてるお友達さんたちとだけなら、もう少し気楽になんでも出来たんだろう。

でも、流石に、会社とかその辺では、ある程度常識人の皮をかぶって生きてる(つもり)なわけであって、人間関係とかもある程度気を使ってたりする。

もうでも、それも疲れてきたし、今後は、「どうでもいいね」はやめて、ちゃんと興味のあるネタに「いいね」。

「コメント」していくことにします。

んで、少しずつ投稿とかもしてみます。

さようなら。

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2014年7月10日 23:29 CAT :

ボインすうぞう45歳童貞魔法は使えるけどMPは0

赤ちゃんの頃に、母親に大切にされなかったら、その時は、大丈夫でも、将来的に、どうしても、精神的に弱くなってしまうらしい。

「手のかからない子」と言うのは、親が、赤ちゃんを大切にしてなかったから、赤ちゃんが、親に対して何も期待してない状況の事らしく、それを自ら言う親は、言ってみれば「私は、この子とちゃんと向き合ってこなかったから、向こうも私の事をお母さんだと思ってくれなくて、何も要求してこないの」と、自ら宣言しているに近い。

(チョッと飛躍しすぎだけれども。)
根拠がない。

事もないらしい。

色々な研究の結果かもしれない。

もしかしたら、「良く泣く子は肺が強くなる」と同じ、行き場のない感情に対して折り合いをつけるべく、言われるようになった事なのかもしれない。

ただ、子どもの頃、相当手のかかる子だった(らしい)オレに置き換えて見る。

・・・と、思春期までには、ガラスの心で、すぐに世を儚み、自殺しようとしてたオレだけど、大人になるにつれて、段々心が頑丈になっていき、色々凹む事があっても、むしろ、家族を励ましながら、何とか持ちこたえられるようになってる・・・みたい。

その部分。

今更ながら、親に感謝するべきかもしれない。

つまり、「ちゃんと育ててくれてありがとう。」と。

まだ、言うには早いので、ここでしか言わないけど。

そして、娘は、今、それはもう自分の要求をひたすら言いまくる。

言ってくれる。

まぁ、それはどちらかと言えば、オレより、嫁が、娘とちゃんと向き合ってくれてるからなんだろう。

なんだろうけど、それでも、この子が、色々ありながらも最終的には、心の強い子になってくれやしないかと。

そんな事を最近考えております。

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2014年7月9日 22:30 CAT :

明日は良い日なれるように毎夜願って眠りにつく

最近忙しくて、何ともやりきれない虚無の日々を続いけております。

なんと言うか、「王道軽傷」が完成して以来、若干、燃え尽き症候群になっている感じがあるようなないような・・・

多分、何かしら作ってないと、心が正常に機能しないのかもしれない。

毎日、頭の中に浮かんでは消える物語。

言葉。

情景。

メロディー。

その全てがすくい取ることなく、浮かんでは消えていく日々。

それが無駄じゃあないことはわかってる。

わかってるんだけど、それでも、消えていくことに少なからず悲しみを覚え、そして、毎日が、以前とは比べ物にならない位グダグダを過ぎていく。

それとは全く関係ないところで、娘は、凄まじい勢いで物事を勉強して成長していく。

取りあえず、今は、ストロベリーソングオーケストラさんの新譜を聴きながら、少しだけ心のズレを調節して寝よう。

明日は良い日なれるように。

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