月別アーカイブ: 2014年10月

2014年10月31日 20:39 CAT :

陰毛を焼ききってパイパンになった17歳の少女

タバコ。

今や、恐ろしく市民権を失いつつあり、いろんな意味で煙たがられて久しいタバコ。

ホント、嫌われてるよね。

喫煙者もろともな感じで。

最近では、ついに、自宅の部屋で吸わせてくれず、家のベランダとかで吸ってた「ホタル族」さえ、毛嫌いされ、「ホタル族狩り」なる言葉も出てきたと言うのだから、凄い嫌われようだと思う。

ただ、どうしてここまでの事になってしまったのか・・・と言うことを、タバコを咥えた事さえない志茂田さん目線で見ると、凄く単純だったりする。

一言で言えば「調子に乗りすぎ」。

別に、タバコを吸うこと自体別に言いと思う。

それが、本人の健康にどれだけ害があろうとも、それを込みで吸ってるんだし、何の問題もない。

むしろ、たくさん税金を払ってくれてるんだから、もっといっぱい吸ってほしいくらい。

でも、タバコを吸う事と、マナーを守らない事は話は別。

なぜ、タバコを吸うヤツは、そのほとんどが、マナーを守らないんだろう?マナーを守らないから規制されて、毛嫌いされてるだけなのに、なぜ、それが分からないんだろう?
吸ってるヤツには、多分分からないんだろう。

取りあえず、臭いし、煙い。

近くでタバコを吸われることの不快感が分かってんのか?
何で、オレが見ず知らずの、おっさんが口から吐き出した、有害成分満タンなくっさい煙を吸わされなきゃいけねえんだよ。

いきなり見ず知らずの横に居たおっさんにくっさい息吐きかけられたら、誰だって腹立つだろうが。

そして、おっさんの息以上に臭いタバコの臭い。

しかも、ついたらホントに取れない。

最悪、服ごと捨てにゃあならん。

お前は、オレの服をタバコを吸うたびに洗ってくれるのか?買ってくれるのか?
オレにとっては、タバコの煙を吹きかけられるってのは、頭からペンキをぶちまけられるのと同じくらい腹立つんだよ。

煙で、見えないから平気とか、ふざけんな!カスが!!
まぁ、タバコ吸ってる皆さんは、寛大だから頭からペンキぶちまけっれても、笑って許してくれるんだろう。

しかも、有害。

歩きタバコなんてされた日にゃあ、危なくてしょうがないし。

その上、そのタバコをポイ捨てするとか・・・

目に見えないからいけないんだと思うんだ。

タバコの煙が、色つきで、しかも1回ついたら、もう服とか捨てなきゃいけなかったら、もう少し、タバコでやられて軽くなった脳みそでも理解できるんじゃないかと思う。

有害で、発がん性物性津たっぷり、そして揮発性。

目にしみてむせるような、ペンキを高温のままフラフラと持ち歩き、たまに、口に含んで頭から吹きかけられる。

空になったら、最後は入れ物を、道端に投げ捨てる。

と考えれば、いかがだろうか?
非喫煙者からしたら、目の前でタバコを吸われるってのは、そのレベルのことだと理解して欲しい。

それを理解したうえで、マナーを守ってくれるなら、全然吸ってもらっても良いとおもう。

でも、それが理解できない。

自分が吸ってるから、吸ってないヤツのことなんか何も考えない。

そんなヤツばっかりだから、規制される。

そして、吸ってるヤツの事なんか、何も考えないような冷遇をされる。

それは当たり前。

だって、今まで、吸ってないヤツのことなんか何も考えてこなかったんだから。

と言う事で、オレは、タバコを吸ってるヤツが基本的に大嫌い。

マナーを守って吸ってるって言うヤツも、大して、マナー守ってないから結局大嫌い。

携帯灰皿を持ってる。

歩きタバコするけど、火は手で覆うか、自分に向ける。

外に出てタバコを吸う。

このレベルは、吸ってるヤツから見た、吸ってないヤツの事を全然考えてない最低限のマナーだと思う。

いや。

タバコに恨みは無いんですよ。

でも、この期に及んで、まだ、ウダウダ言ってる喫煙者さんをふと目にしたものでつい・・・

言いすぎたと思ってる。

後悔はしてない。

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2014年10月28日 2:49 CAT :

「THE SHOW MUST GO ON」~後篇

さてさて。

ここ3日間かけて書いてきたライブレポートも本日のアンコールを持って一旦終了と言う事か。

早速いこうか。

さぁ、きょうも「THE SHOW MUST GO ON」だ。

「ショーは続けなければならない」。

show-must.jpg
本日は、前述の通り、アンコールだ。

多分、アルバム的に、そんな構成になってると思う。

で、無ければ、「恋の蜜蜂飛行」が、あの順番で収録されている意味が分からない。

ちなみに、アンコールはこんなラインナップでございます。

11.吉原炎上
12.気もそぞろ
13.ニルヴァナ
普段と比べて、なりを潜めていたおいちゃん曲がここへ来て、怒涛の追い打ちと言う感じか。

11.吉原炎上
一聴した感じだと、なんかサザンオールスターズの「愛と欲望の日々」か?と思ってしまう感じ。

なんか、これまでのキンショーの楽曲からしても、チョッと異質な曲だと思う。

(歌詞も、曲も。)
でも、これがなかなか良い感じ。

今じゃあ「ムツオさん」と並ぶ、中毒性の高い大好きな曲になった。

スルメ的な感じか。

下手したらい、一番好きかも知れない。

歌詞も、何となくサザンを意識してるような気がしてならないけおど、「吉原炎上ベイベーイエイエイ」とか、そんなのこれまでのオーケンなら絶対に書かなかっただろうし。

しかし、何なんだろうね。

この、全く違うノリの曲をやっても、絶対に「キンショーの曲」に聞こえてしまうと言う、この、圧倒的な個性は・・・

12.気もそぞろ
おいちゃんお馴染みの「ポップスだぇ~」な曲。

どちらかと言えば、「その後 or 続き」に近い感じかな。

「さぁ、ショーはもうラスト」と言う始まりの通り、アンコールも「吉原炎上」で盛り上げて、最後の一曲前の一呼吸にどうぞ。

と言う事かな。

多分、おいちゃん繋がりでここにきて「オーディエンス・イズ・ゴッド」とチョッと繋がってるのかとも思うけど、まぁ、そんなライブバンドの裏側な歌。

オーケンの曲とはまた違った、おいちゃんと言う人の優しさとか人の良さが、曲全体にオラオラと溢れてるほっこり曲。

この感じ。

うまく言えないけど、おいちゃん・・・好きだ~ってなる。

表には出てこないけど、絶対にキンショーには無くてはならない人だ。

13.ニルヴァナ
で、最後にお別れにピッタリの曲。

キンショーの最後の一曲と言えば、当然の「釈迦」は置いておいても、何となくふー民の曲ってイメージだったけど、この曲は、おいちゃん作曲ながら最後の曲にピッタリ。

そして、歌詞も、なんかここまでチョッと構成とかそんな所でセーブしてたのか、それを全て弾き飛ばした感じにカオス全開。

多分、ここまでが演者側の目線なら、これは、オーディエンス目線なんだと思う。

思うけれども、それにしたってカオスすぎる。

曲自体の構成はキンショーでは、かなり単調な方だけども、その分、ホント歌詞がカオスでどうしようもない感じ。

最後に、めちゃめちゃご機嫌になる一曲。

この曲があるだけで、アルバム聴き終わった後の、聴後感は最高に気持ち良くなる。

と言う事で、3日に渡って書いてきたけど、アルバム全体の総括としては、もう、届いてすぐに一聴した時に思った「完璧なアルバム」と言う言葉が本当にピッタリだと思う。

歌詞も、曲も、演奏も、語りも、編集も、構成も、特典内容さえも、全てが本当に満足できた。

こんなことって、なかなか無いと思う。

捨て曲が一曲もないとか、そんなレベルの話ではなく、本当に、何も不満がない。

完璧なアルバムだった。

もう活動しないと思ってたバンドが、再結成し、そして、コンスタンツに作品を発表、ライブをしてくれているだけども、ありがたいのに、その作品が、過去のアルバムと比べて、全く遜色なく、もしかしたら、過去を凌駕していると言う事が、どれだけ幸せな事か。

人によっては、キンショーはもう古くて、ただの様式美でしかないと、思うかもしれない。

特撮の方が、前衛的な音楽をやっているかも知れない。

でも、ファンが求めているキンショーは、間違い無くこのアルバムだったと思う。

これまでを世襲しつつ、それでいて、新しく、聴いててニコニコとご機嫌になれる。

20年ぶりにオリコン初登場トップ10入りだそうで。

売上枚数は知らないけど、おめでとうございます。

そして、オレも、何だか知らないけど、メッチャ嬉しくてしょうがないですたい。

それでは、みなさんごきげんよう。

「THE SHOW MUST GO ON」

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2014年10月27日 2:21 CAT :

「THE SHOW MUST GO ON」~中篇

発売から半月以上も経ってるように見えて、実は、10日以上前に書いた記事の予約投稿なので、書いてるのは、10月の13日位ですよ。

今。

ちょうど、祭りも終わって、体中が筋肉痛でヒィーヒィー言っております。

まぁ、どうでもいいか。

さぁ、きょうも「THE SHOW MUST GO ON」だ。

「ショーは続けなければならない」。

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昨日がライブ前半なら、今日は、更に盛り上がる(かもしれない。)ライブ後半だと思う。

セトリ・・・いや、こんなラインナップですね。

6.みんなの歌
7.月に一度の天使(前編)
8.愛の讃歌
9.月に一度の天使(後編)
10.恋の蜜蜂飛行
6.みんなの歌
本人いわく「早すぎた佐村河内方式」で作曲していたオーケンの曲。

とは言え、なんかギターを弾けるようになったので、みんなの前で、弾いて歌ってみたら「それはお前の仕事じゃない」と、みんなから罵倒されたとなかんとか・・・

そんな裏話も、キンショーらしくて実にほっこりするけど、この曲は、実にオーケンの曲らしい。

シャレオツなコード展開を目指したそうですが・・・(多分「訳があるか みんなの歌だ」のあたりとか意識してるんだと思う。)
「紅白歌合戦にも出れる」のあとの「え?ホント?」のつぶやきとか、自分で書いた歌詞で、自分でこんな事を言うとか、漫画家さんが昔、コマの外に自分でツッコミを入れてるのに似てる感じでしょうかね。

あれ、好きだったのに、最近なくなったよなぁ~。

しかし、この語り。

素晴らしいよなぁ~ライブ定番の「~と問うならばぁ~」も入ってるのに、久々に「脳髄」と言うキーワードも入ってて、なんかホント集大成のような曲だと思う。

(「サーチライト」とかとは違う意味で。)
歌詞自体もそんな感じだよね。

良い曲だ。

ホント。

7.月に一度の天使(前編)
続いてもう1曲オーケン作曲。

こう言う優しい系のオーケンの詞は、最近実に心に染みてしまう。

「生きてあげようかな」「あのね」とかそんな系とでも言うか。

でも、対象がこれまでの若い恋人から、離婚して親権を取られてしまった娘に変わった所が何とも、オーケン歳とったな。

と言う感じがしないでもない。

でも、娘が居るオレには、この歌が心に来る。

とにかく来る。

段々と盛り上がる絶妙な編曲も相まって、オレはこの前編だけでも、目頭が熱くなってしまった。

「ゾロ目」みたいな曲と、「ムツオさん」みたいな曲と、この「月に一度の天使」みたいな曲が同居していて、しかも、その全てが「あぁ~筋肉少女帯だ」と思う所が、キンショーの凄い所だよ。

まぢで。

この曲を犬神サーカス団が演奏してたら、「どうしたの?らしくないなぁ・・」ってなると思うもん。

8.愛の讃歌
タイトル見た時に「あの、愛の賛歌じゃねえよな・・・」と思ってたら、ホントに「あの愛の賛歌」だった。

いや。

確かに、オーケンメッチャ歌うまくなったと思う。

でも、この歌は無謀すぎる。

なぜ、こんなに歌唱力が必要で、しかもモノを言う曲を選んじゃったんだろう・・・いや、まぁ、それはそれで良いのか。

エディーのピアノは、真骨頂と言わんばかりにキラキラと輝いているけども。

この歌はなんか、三輪さんとかが歌った方が良いのでは・・・

と、思ってたけど。

ちゃんと「自己満足カラオケ」にならないように、ニヤニヤしてしまう編曲になってた。

あと、これが「月に一度の天使」前後編の間に入ってるって言うのも、チョッと憎い演出のように思えてならないかもしれないかもしれない。

9.月に一度の天使(後編)
前編だけで目頭が熱くなったオレは、後編で涙腺が崩壊した。

それも、良い方の涙が。

何か良く分からなかったけど「ママなら最近フらとか始めたよ」の一言で、月日の流れを表現すると事か、ホントうまいと思う。

展開としては、ベッタベタだけど、それで良いんだと思う。

もちろん、これは、男が分から見たご都合主義で、理想主義の権化でしかないと思う。

でも、オレも、娘がこうなってくれれば、きっと幸せなんだと思う。

考えて見れば、オレの親父も、オレがまだ小学生のころから、親父が好きだった「白戸三平」を読まされ、「横溝正史」や「江戸川乱歩」を読まされ、「海援隊」や「吉田拓郎」を聴かされたけど、全く意味が分からなくて苦痛でしょうがなかった。

そして、今では、そのどれもを大好きになってしまったしな。

それがカルマ。

ニルヴァナと言う事か。

10.恋の蜜蜂飛行
ほっこりした所で、アンコールありきの「本日のラストソング!!」として、演奏される。

そんな曲。

それがこれだと思う。

王道のふーみんメタル。

しかも、「ゾロ目」がキャッチーだった分、こっちはノリ重視な感じがする。

とは言え、ふーみんメタル独特な、泣きのメロディーとギターソロは健在。

そして、最大の聴き所は、「キノコパワー」を超えるかもしれない、凄まじいふーみんとエディーのギターピアノバトル。

サンフランシスコの最後に匹敵する位ノリノリになれるよ。

たぶんね。

ブンブンブンブン・・・これは、ライブばれするだろうなぁ~
と、そんな怒涛の展開で、ライブはいったん終了し、そして、アンコールへと流れていくのである~~!!
次回を待て。

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2014年10月26日 1:48 CAT :

「THE SHOW MUST GO ON」~前篇

世界的に、未曾有の大災害となろうとしている「エボラ出血熱」。

なんでも、11月末までに、目処がつかなかった場合には、人類は「エボラ」に敗北するらしい。

リアル「20世紀少年」の様相を呈してきた。

日本の専門家たちが「先進国では安全」と言ってる所がまた不安を煽るよね。

特に、日本の場合には、すぐ隣に、「先進国の振りして衛生管理が最悪でうんこが主食」の国が居るわけだし。

しかも、あいつらなら、自分たちにエボラが流行すると、それを日本にも広めてやろうとする朽ち果てた脳味噌を持ってるだろうから。

と、ひとしきり恐怖に慄いたので、現実から目を離す為、4年ぶりのキンショーのアルバム。

「THE SHOW MUST GO ON」のレビューでも書こう。

そうしよう。

楽しい事を考えよう。

怖くなると、眠れなくなるから。

「THE SHOW MUST GO ON」だ。

「ショーは続けなければいけない」と言うタイトルからは、まず、これからも筋肉少女帯はひたすら突っ走るぜ!的な決意表明がとれる…と思ってた。

もちろん、その意味もあるんだろうけど、個人的には、このアルバム自体が、ひとつのライブの様な展開になっているようにも感じたりした。

と言う事で、今日から、「THE SHOW MUST GO ON」を3回に分けて、間奏でもツラツラ書いていこう。

show-must.jpg
今日は、ライブ前半。

1.オーディエンス・イズ・ゴッド
2.労働讃歌
3.ゾロ目
4.霊媒少女キャリー
5.ムツオさん
について・・・

1.オーディエンス・イズ・ゴッド
最初の一曲にして、「お?」って思う始まり。

・・・これおいちゃんの曲か?と思うのも、数秒。

いつもの。

そして、王道のおいちゃんの曲だった。

(特に「オーディエンス・イズ・ゴッド」の部分とか。

メロで唄の音が多いのに、サビになると極端に唄の音符がが少なくなると事か。)
前作、「蔦Q」から続くライブネタのひとつだけど、この曲自体が、なんかオープニングアクト的な感じを感じなくもない。

この曲聴いた瞬間、「おお!戻って来た!!」ってなる。

新曲なのに、いつもの筋肉少女帯と言う。

まぁ、様式美ですね。

「ライブやっと始まった」「待たせてソーリー」は、正にその通り。

4年間待ちわびましたから。

2.労働讃歌
つかみの曲だよね。

多分。

原曲を知らなかったので、今回、原曲の方も聴いてみた。

たまげる程原型が無くなってたじゃあないの。

全く別の曲になってしまってる・・・

オーケンに「働こう。

働こう。」って言われるってな~
取り合えず、メンバーみんなが(誰がモモクロの誰を担当してるとかあるのか、分かんないけど。)歌って、間奏では「ワインライダーフォーエバー」ばりに、みんなの掛け合いがある。

これは、ライブでやるのか?やるなら、相当面白くなるんじゃあないだろうか・・・

ただ、どうしても「労働者M」が頭をよぎると思う。

3.ゾロ目
しっとりと始まる、間違いなくこのアルバムの「リード曲」。

今回のアルバムのPVがなんでこの「ゾロ目」って曲なんだろう。

と思ってたけど、結果的に、どう考えてもこの曲だって。

橘高ふーみんの泣きのギターとメロディーが素晴らしい、メタルな曲。

そして、エディーのピアノが更にそれを盛り上げる。

この完成度は、「ヘドバン発電所」を超えてしまったんじゃあないかと思う。

オーケンの歌詞も含めて、キャッチーで、メッチャかっこいい。

こんな分かりやすい曲で良いのかと言うほど。

最近のふーみんの曲からすると、逆に度肝を抜かれる感じ。

しかし、素晴らしい名曲だと思う。

聴いてるこっちも一気にテンション最高潮だ!!
4.霊媒少女キャリー
そして、連続してふーみんが作曲した未発表曲。

パッと聞いた瞬間は、ナッキーの曲で、「ん?特撮」とも思わなくはないけど、そんな事は全然なかった。

歌詞も曲も含めて、「これぞ、筋肉少女帯。」!!と。

キンショーを知らない人が「筋肉少女帯って、どんな曲やってるの。」と聞かれた時には「こんな曲。」と聴かせたい。

そんな曲。

まさに、90年代の筋肉少女帯の王道だと思う。

なぜ、これが未発表だったんだろう・・・と思った時には、きっと「再結成3部作」では、あえて、かつての「これぞ、筋肉少女帯。」と言う曲は収録したくなかったとか、そんな所でしょうか。

ただ、この曲の最後「騙された男は少女を恨んでないと言う」と言う一節。

何だか、このちょっとした救いが昔のオーケンの歌詞には無かった今のオーケンだからこその部分だと思う。

この一節が、凄く好き。

5.ムツオさん
毎回、曲数は少ないながらも、エッジのきいたキレッキレの曲を作るウッチー作曲の一曲。

今回もキレッキレ。

どしたんだ?このダンスミュージックは!!
タイトルも、なぜかこの曲だけ「ムツオさん」。

どう考えても、浮いてるだろ。

「ムツオさん」だよ。

「ムツオさん」。

ちなみに、中毒性では、このアルバムで断トツで1番だと思う。

とにかくキレッキレ。

聴けば聴くほどハマっていく。

この「むつおさん~」って後ろで歌ってるのってて扇愛菜さんだよね。

真顔で歌う内容が「ムツオさん」。

それだけでもクセになる。

と、今日はここまで。

明日以降、続きのライブ後篇をツラツラと書くと思う。

たぶんね。

次回を待て!!

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2014年10月24日 20:29 CAT :

セックス⇒受精⇒着床のテーマ

いつぐらいからか忘れてしまったけど、「テーマ」だとか、「訴えたい事」だとかがやかましくてしょうがなくなって来た。

それは、自分で作る物語や音楽、マンガなどは勿論の事、見る映画や読む本にまで及んで、とにかく、重苦しい「テーマ」とか、これ見よがしな「風刺」があるものを避けるようになった。

思うに、「テーマ」が必要であったり、「何か言いたい事」が無ければいけないと言うのは、「訴えたい事が無いけど訴えたい」と言う思春期特有のリピドーに起因するんだろう。

「訴えたい事が無いけど訴えたい」から、変に、「訴える理由」を考え、それが「テーマ」とかに固執する事に繋がってたのだろう。

大学時代の友人に、「ぶー」と言う人類の限界を超えつつある豚やろうがいる。

(このブログでも、チョクチョク出てくるけど…)
そいつとは、学生時代夜中まで、ダラダラ語り合ってたりしたんだけど、そんなどうでもいい議論の中で今も覚えてるやつがある。

(うろ覚えだけれども。)
「あんたの書くお話は、メンドくさい。」
「いやいや。

巷に溢れる何のテーマ性も無く、風刺も効いてないような物語よりははるかにマシやろ?あんなもんに価値は無いって。

お前の好きなジブリでも、ナウシカみたいな、風刺の効いたテーマ性のある作品は素晴らしいと思うけど、最近の千と千尋の神隠しとか、何のテーマ性も無いただの娯楽じゃねえか。」
「いや、オレは、その千と千尋の神隠しが一番好きなんやけど・・・」
「あんなテーマ性の欠片もない作品の何がエエと言うのや?」
「見ててほっこりするやん。

それに、チョイチョイ考えさせられるようなトコもあるし。

ナウシカは、見てて疲れるんよな。

マンガ版とかは、相当面白いけど。」
「ほっこりする中にも、ちゃんとした意味が無いとダメだよ。

あんなの、何となくなシーンの連続なだけで、退屈な映画や。」
・・・みたいな。

永遠の平行線をたどる会話だったような気がする。

そして、今オレは、「千と千尋の神隠し」が、大好きになった。

あの頃、散々言ってた「テーマ性」を「千と千尋の神隠し」に求めるなら、それは、エンターテイメントとほっこりの融合だったんだろう。

(あと、ロリコン。)
思春期特有の「厭世なオレカッコいい」と言う感覚が、社会風刺と、人類への警告をテーマとした作品以外を認めない。

となっていたのかもしれない。

でも、今になって思うのは、表現する。

と言うことに、テーマは必要ない。

と言うこと。

「表現する」と言う行為は、自分の中からあふれ出てくる「何か」を掬い取って形にする事で、必ずしも、社会風刺を伴う必要は無い。

社会に絶望し、人間に絶望し、憎悪だけに生きてきた人間が、その自分の中に溢れるやり場の無い憎悪を何らかの形で表現した。

とか、そんなものを、昔のオレは、社会風刺のきいたテーマ性の深い作品だ。

と思ってただけなのかもしれない。

今の生活から、オレは社会に絶望し、人間に絶望し、憎悪だけに生きてきた人間にはなれそうも無く、せいぜい、娘の可愛さにニヤニヤするだけのおっさんになってしまった。

そうなった時、人はきっと自分の中に「テーマ」が完成しているんだと思う。

だから、人が五月蝿く言うテーマ性が、ただやかましいだけになる。

テーマを押し出していない物語を見ながら、自分の中の「テーマ」と所々重ね合わせ、少し考えたりする。

そんな程度が、今は心地いい。

それでも、今、自分の中からモリモリと、イメージであったり、言葉であったり、メロディーであったりがあふれ出てくるから、それを何らかの形にしていってる。

それだけの事。

今書いてるマンガには、もうテーマ性はない。

アルバム「王道軽症」にも、テーマ性は無い。

もし、何かのメッセージを受け取った(と思った)のならそれは、気のせい。

もしくは、自分の中の「テーマ」があって、たまたまそこと、何か被っただけなんだと思う。

だって、オレは、何か強いメッセージを埋め込んでるわけじゃあないんだから。

ただ、思いついた書きたかったものを書いただけでしかないんだから。

でも、実は、それが一番難しい事にも少し気がついた。

オレも、それが出来るようになってきたんだ。

と、チョッとだけそれを嬉しく思う。

何も知らない子どもの頃は、それが当たり前。

自分のやりたいように絵を描いて、歌って、笑う。

大人になって、それが出来るようになるのは、大層大変な事らしい。

オレも、もっと子どもみたいに出来るようになりたいものですな。

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2014年10月22日 20:16 CAT :

性欲衰える事のない理想的な形はモリマンではないかも知れない。

良いように考える。

ここ最近、頭の中が色々絶好調だったりする。

全く新作のマンガを書き始めたのは、ある程度のプロットが出来上がったって事はあるけれども、何より、冒頭の10ページほどの鮮明なイメージがわいてきたのが一番の理由。

それを考えてる途中で、どんどん派生した別の物語も出来上がりつつあり、今、頭の中で、10個ほどの物語が同時で構成されて行ってる。

更に、以前書きかけだった小説「超ニュースチョクホー」「子どもは老人に励まされた」のネタも出てきた。

更に更に、「王道軽症」が完成したばかりだと言うのに、もう次のアルバムの構成も大部分出来上がってしまった。

しかも、馬忠・DA・ムドーの新作「現天怪奇」と、志茂田さんの方の「やみ。せかい」の2枚分。

「やみ。せかい」に至っては、曲名とか、その中の歌詞の一部まで出来上がってきてる。

(ついでに、メロディーラインもモリモリ出てきてる・・・)
何か、凄いよ。

今。

全盛期に近いくらいの感じ。

きっかけは何か・・・と考えてみると、多分、ブログを書き始めたことだと思う。

ブログ。

と言う形とは言え、取りあえず、アウトプットを定期的にし続ける事で、脳みそがインプットから、アウトプットにシフトしたんだろう。

そう言うことにしておこう。

その位しか、思いつかない。

ここ数年間、貯めに貯めて、インプットし続けた分が、今、凄い勢いで出てきてる。

多分、そんな感じ。

それは良い。

良いんだけど・・・

問題は、それを形にしてる時間がない。

と言う事。

いや。

それは、言い訳だと思う。

思春期には、学校に通いながら、毎週20ページのマンガを描き、演劇の脚本を書き、音楽を作り、楽器の練習をし、演劇の練習をし、漫画や本を読み、映画を見、ゲームをやり、そして、アホほどオナニーしてたんだ。

休日には、友人と遊びに行ったり、集まってバンドの練習とかもやってた。

一応、勉強もしてたし。

あの頃と今。

1日は変わらず24時間らしい。

あの頃は一体どうやって時間を回していたんだろう・・・

とにかく、あの頃は、アウトプットに対して、形にする作業が間に合ってた。

でも、今は、到底間に合わない。

取りあえず、マンガを描いてる。

今はそれが精一杯だ。

それも、描ける時に少しずつ・・・と思ってたら、1ヶ月に10ページ余りしか書けなかった。

このままじゃあ、今の物語の第一部を終わらせるまででも、5年はかかる計算になる。

しかも、その間、ほかの事を何もしない前提でも。

今出来ることは、このあふれ出る諸々を確実に記録していく事と、それを少しずつ形にしていく事しかないらしい。

そのうち、このアウトプット祭りが落ち着いてしまっても、立ち止まらないように。

少しずつは前進しているんだろう。

少しずつは。

創作の欲求って、枯渇しないものなんだと知ってしまった三十路超えの秋でした。

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2014年10月19日 10:09 CAT :

【王道軽症】オナニーノーツその7 「おもちゃはおもちゃ箱へ」

今回も、2つで1曲だと思ってる。

思ってるんだからしょうがない。

「思い出のアルバム」と「おもちゃはおもちゃ箱へ」はひとつの曲という認識でおります。

では、どんな思い出か・・・なぜ、この「思い出のアルバム」を持ってきたのかというと、この曲自体の「思い出」ってものが、どちらかと言えば、純朴なものだから。

純朴な「思い出」からつながる「おもちゃはおもちゃ箱へ」と言うタイトルから、勝手に、子ども時代のおもちゃの事でも、妄想すれば良い。

その方が、次の曲の印象が強くなる。

とか言う、そんな小汚い思惑があったわけですよ。

ちなみに、弟も、その罠にまんまと引っかかり、「おもちゃはおもちゃ箱へ」の仮撮りの時に「こう言う意味のおもちゃやと思わなかったわ・・・」と言ってた。

うししし・・・

前置きはこの辺にして・・・

良くある(といっても、アングラの世界でだとは思うけれども)「異常性愛」をテーマとした作品の数々。

少し前に流行った「蛇にピアス」(だっけ?)なんかは、珍しく表舞台でそのネタをやってたけど、基本的には、アングラのネタだよね。

あと、初期の犬神サーカス団は、ほとんどの楽曲のテーマがそれだった気がする。

映画でも、演劇でも、音楽でも、漫画でも良くある「異常性愛」と言うテーマ。

でも、実は、このテーマの後日談・・・って、あんまり見かけなかったりする。

例えば、だけど、SMの世界にどっぷりと浸かり、ご主人様のために、刺青して、歯を抜かれて、体中にピアス開けられて、穴がガバガバになってしまったM女のその後・・・

それがこの「おもちゃはおもちゃ箱へ」と言う曲に繋がっている訳でございます。

ここ数年、オレが一番に描きたい情景は、「命」とかそんな尊く、壮大なテーマではなく、「そこはことない哀れ」。

それも、日本美的な「哀れ」。

そして、この「異常性愛のその後」と言う情景が、実に、ディモールト!にベネなんだよ。

と言う事で、この曲自体は、かなり早い段階からタイトルと構想が決まってた。

(多分、「王道軽症」の構想を練り始めた最初期から。)この曲だけは、アルバムとして、絶対に外せないぜ!な感じで。

でも、そこから先が進まなかった。

「そこはかとない哀れ」な老婆を表現する上では、ストレートな単語は基本的にNGだと思う。

例えば、「まんこ」とかね・・・その上で、出来ることなら、状況や、状態だけを坦々と語る事で、老婆の心情を投影したい。

欲求はたくさんあった。

ある上で、自分の描きたい情景にピッタリの最高の題材だ。

となると、ホント考えても、考えても、うまく書けなかった。

ズッとレコーディング出来ないままに1年が過ぎ去ろうとしてた。

仮撮りの最終日の夜くらいに、やっと歌詞が書きあがった。

それも、何だかチョッと物足りなくて、レコーディングに行く朝に、その歌詞に少しだけ「老婆の心情」を書き足した。

それが、結果的にサビとなる
「おもちゃはおもちゃ箱へ
 おもちゃは一人では 何も出来ない
 おもちゃはおもちゃ箱へ
 存在する意味も 価値も分からない」
の一説。

とまぁ、のた打ち回って歌詞が完成したわけだけれども、と言う事で、曲が出来てない。

取りあえず、しょうがないので、レコーディング中に、ギターのリフを作って、ドラムを作っていく。

んで、最後にそのドラムとギターリフに乗せて、即興で、朗々と語った。

すると、無意識に、最後の「老婆の心情」の部分だけが、メロディーになって出てきた。

そんな感じ。

ちなみに、この最初に撮った仮唄のほうが、実は個人的には凄くいい感じだと思ってる。

実際に、収録したのは、ちゃんと取り直した方なんだけど、即興ならではの不安定感が、実に、曲や歌詞のイメージとマッチしてて心地良かった。

さすがに、録音状況が悪すぎて、泣く泣く撮り直したけれども・・・

それでも、今回のアルバムでは群を抜いてお気に入りの曲になった。

追い詰められると、まだまだ、搾り出す事が出来るみたいだ。

当初想定してたよりも、はるかに良い歌詞が書けて、はるかに良い曲になったと思っております。

何気にプログレ。

そして、サビに至る過程が、大好きな「キング・クリムゾン」の「エピタフ」のように、張り詰めて張り詰めて張り詰めた感情が、ブワッと流れ出たように繋がってると、個人的に思っております。

個人的に思うくらい良いじゃないか!!
そんな、チョッと緊張感を持った曲で後半の幕が開く感じで、この緊張感を保たせる為の1曲へ。

では、次回は「お耳汚しを召し上がれ~と言う演出」でお会いしましょう。

さようなら。

さようなら。

さようなら。

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2014年10月17日 19:36 CAT :

わ~お!いないいないばあだ!

先日、嫁が図書館で「てとてと だんごむし」と言う本を借りてきた。

・・・うむむむ。

面白いじゃないか。

実は、だんご虫。

大好きだったりする。

まだ、実家にいたことは、「垂直落下式」と名付けただんご虫を、ライオンズの応援グッズのメガホンの中で飼育していた事もある。

だんご虫。

可愛いよね。

よく見ると、気持ち悪い所がまた可愛い。

壁にぶつかると、右、左、右の順番でウロウロするけど、チョッと真っ直ぐ歩くと、さっきどっちに曲がったか忘れてしまって、同じ方向に曲がったりもする。

そこがまた可愛い。

今日は、そんなだんご虫に対する思いのたけをぶち巻こうかと思ったけど、そんなにツラツラ書けるほど思いもなかった。

そこもまた可愛い。

だんご虫。

丸まっても、踏みつけたらそれで終わりなので、優しく、手に乗せてヨシヨシしてあげて下さいませ。

だんご虫。

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2014年10月16日 11:18 CAT :

アキレス腱をぶっちぎった亀とうさぎと申鶏未

8月辺り。

お誕生日を迎えた辺りから、無理はしない。

無理はしない程度に、コツコツを更新するようにしている。

以前のように、1日1回。

それどころか、多い月には、月に60回ほどの更新をしてた事もあるけれども、そこまでは、やりきらない。

と言うか、無理をしない程度に。

なスタンスで、やってはおります。

実は、このブログ以外に、もうひとつ。

誰にも知られずに書いてるブログがある。

そちらに至っては、さらに「無理はしない」ので、ホント1年くらい放置してたり、フッと立て続けに更新しては、また数ヶ月放置したり・・・と、酷い状況になってたりしている。

しているけれども・・・

そちらのブログは、1回記事を更新すれば、100アクセスくらいは、すぐにあるし、今の所一番多かった記事だと、1000アクセスくらいあったりもしてる。

数ヶ月更新してないのに、常時、この「超コツコツ日記」の数倍のアクセスがあり、記事を更新すると、10倍以上のアクセスが集まる。

そもそも、そっちのブログは、「超コツコツ日記」の志茂田さんだということを隠して、どの位アクセスが稼げるか・・・みたいな事を試したくてはじめたのに、むしろこっちのブログの方が過疎ってるじゃあねえか!向こうのブログで、「超コツコツ日記」の事を書いてやろうか!な状況に陥ってしまった。

まぁあれですね。

何が言いたいかと言うと、結局は、更新頻度より、内容だという事ですね。

誰も興味ない個人的な吐露を頻繁にするより、人が興味あるだろうことを面白おかしく数ヶ月に1回書いたほうが良いと。

(もちろん、それを頻繁に書けば、それが最強なんだろうけども。)
そんな事がわかった。

でも、人のために書く事にあんまり魅力がないので、更新頻度とワークスペースの配分は、今のままで行こう。

のんびりのんびりですよ。

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2014年10月14日 0:10 CAT :

その首筋に流れる血液をなめとれば、それはきっと優しい味がする

テフロン加工のフライパンの弊害を諸々知った上で、それとは別に、すぐに買い替えなきゃいけない事も含めて、今回、フライパンを買い替える事になったので、嫁にお願いして「鉄のフライパン」を買って貰った。

一番のきっかけは、先日のお盆に、実家で食べたステーキだったりする。

肉が良かったのはもちろんなんだけど、これが、鉄のフライパンで焼いてたらしく・・・「ウマい肉を食べたい」と言う事に関しては、そんじょそこらのとっちゃん坊やとは比べ物にならないくらいの欲求を持っておりますので、鉄のフライパンが欲しくてしょうがなくなった。

ただ、嫁が渋る理由も凄い納得。

まず、重い。

値段がテフロン野郎の何倍もする。

そして、手入れが色々必要。

毎日使うのは、嫁なので、嫁の気持ち、言い分は凄くもっともな訳で・・・諦めなければいけないのか・・・と、色々悶々とすること1か月位か?
でも、やっぱり欲しかった。

そして、買ったんだよ。

実際、最初に油返しをする段階で、だんだんテンションも上がってきた。

思ったほど、手入れは大変じゃなかった。

もちろん、重いのは重いけど、それも、「これは絶望しかない」と言うほどのものでもなかった。

そして、何より美味いんだよ。

高かったけど、良かったと言う事にしよう。

嘘かホントか、これからはずっと使えるらしいので・・・鉄分補給も出来て、貧血気味な嫁も、血行良くなるだろうと信じている。

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2014年10月13日 23:39 CAT :

その大きく伸びきったビラビラを引きちぎれ

元々、オレがお仕事にも使うから・・・と言う事で、ちょっとスペックのいいパソコン(今となっては、そうでもないけど)に、アドビ関係のソフト入れて、机とか、イスもこだわったと言うのに・・・

気がつけば、そこは、ほとんど嫁にい場所になってしまってたと言うね。

オレは、必要があるときだけ、嫁にどいてもらうけど、基本的ニは、ソファーで、ノーパソの方が多くなってしまいました。

(今ももちろん。)
まぁ、オレは、家でまでごりごりパソコンで作業したくないってのはあるんだけれども。

そして、机の上は、嫁の私物が増えていく。

オレの私物が冷遇されていく。

そんなスパイラルに入りつつありまする。

さてさて。

何か、取り立てて書くことでもないんだけど、中学校の同窓会に誘われましてん。

成人式の時に、同窓会的な飲み会に、どこからもお呼びがかからなかった事から、暗黒認定していた時期の同窓会。

行こうか、どうか、チョッと迷ってる。

何なんだろうね。

中学生までのオレは、ホント最低な人間だったのは間違いないと思う。

(別に、今が存外良いやつだと言う話でもないのだけれども)だから、そんなヤツとまともにつきあう気がない。

と言う、皆様のご意見も至極ごもっとも。

そして、そんな感覚のままで、いったんストップした印象を持ってるヤツが集まるであろう、同窓会に行くの?
それって、「あぁ~そうだった。

中学校までのオレってこんなかったよね。」と言う事を思い出しに行くだけなんじゃないのか?と言う、謎の杞憂。

でも、もういい歳なんだし、意外と普通に楽しんで帰ってこれるんじゃないか・・・と言う、楽観的な思考。

結構、入り混じっておりますよ。

行くべきか、否か。

それが問題だ。

なんだよ。

つい最近も、秋祭りの件で、この事についてうだうだ悩んでたと言うのに・・・

ただ、秋祭りに関しては、どんな空気で、どんな感じになるかがほぼ分かってるのに対して、今回は、そこが未知数。

だから、さらに迷う。

迷うって・・・なんだよ。

迷うって。

基本的に、こう言うの誘われたら(仕事とかでいけない事を除いて)行くんだよ。

それこそ、子どもの頃のトラウマで、一度断ったら、二度と誘ってくれなさそうな妄想に囚われてるから。

迷うよね。

だから、迷うってなんだよ。

迷うって。

子どもの頃の事って、色々と一生付きまとうと言う事が、大きくなって分かりましたので、娘には、こうなって欲しくない。

と切に願う。

でも、なんとなく、すでにチョッと変な子の片鱗を見せ始めてる気がするんだ。

だって、オレも、嫁も変なんだもん。

ちょっと周りから変な目で見られてきた2人なんだもん。

結末は、年末か、年始に。

覚えてたら。

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2014年10月11日 12:53 CAT :

注射器の中のレントゲン現像液を膿のたまった首筋の大きなできものにぶち込め

基本的には、単行本派です。

ハンターハンターが載ってるジャンプ以外は買わないし、そもそも、基本的に立ち読みもしない。

単行本まで、耐え忍ぶ戦いを行っております。

でも、たまたまチョッとだけカイジを読んだ。

・・・読んだら、凄いことになってた!
その前を読んでないから、単行本までの話と今の話との間は妄想になるけど、・・・嘘だろ!!な展開。

・・・いや、それ以外考えられない。

久々に、度肝を抜かれる展開になりそうだ。

単行本発売が心から待たれる今日この頃・・・

さてさて。

また、どこかで選挙でもあるみたいで、「やいのやいの」と五月蝿い感じ。

当選したら、見向きもしなくなるくせに、選挙が始まると、車で街中を練りまわり、街頭でダラダラ話をして・・・と、イライラしててもしょうがないか・・・

今回、その中で「県内初の女性町長を」みたいなことを言ってた候補者さんがいるみたい。

何となく、その言葉だけが耳に残った。

候補者さんの名前は分からないけども。

個人的に、男女差別はしない。

だから、女であろうとも気にいらなければ、グーで殴る。

口汚く罵る。

泣いても許さない。

「女の子に手を上げるなんて最低」と言われても知ったことではない。

そう言ってる顔面をグーで殴って、歯をへし折ってやる。

(まぁ、実際は、そんな事やる勇気もないけど。)
それが、男女平等だ。

男女平等を言うのなら、生理休暇など認められる訳がない。

男女平等だからだ。

そんな志茂田さんには、前述の候補者さんが凄い鼻につく。

「県内初の女性町長を」と言うからには、このおばさんは「男女差別迎合主義」なんだと思う。

それだけでも、すでに話が合いそうにない。

自分が女である事を前面に押し出すヤツは、間違いなく差別主義者。

仮に、「男女平等」をうたっていたとしたら、とんでもないペテン師で、偽善者だと思う。

そもそも、このおばさんが言う「県内初の女性町長を」と言うコピーがすでに意味不明。

なんだ?女性が上に立つ素晴らしい社会を作ります。

とでも言いたいのか?女性の為の社会を作ります。

とでも言いたいのか?
それは、そのまま「女尊男卑」な、男女差別バリバリ全開ぶっちぎりだぜ社会と言う意味な事が分かってるんだろうか。

かつて本当に日本が「男尊女卑」だった時代はあった。

確かに。

そして、その時代においては、女性が当たり前の権利を獲得する為の男女平等には意味があっただろうて。

でも、今の事態、そんな男尊女卑か?むしろ、調子に乗りすぎたこの候補者のおばさんみたいなヤツが増えたせいで、「女尊男卑」極まりない社会になってる様に感じてしょうがない。

チョッとも前にも「塩村なんとか」って言う、いじめ大好き変態女が、「結婚しろ」って言われたレベルで、うそ泣きして、世間の同情を集めようとしてた。

けど、それは、言われてもしょうがないと思う。

それが、お前らが望んでた「男女平等」なんだから。

「男女平等」とは、都合のいい事はすべて、男と同じだけになって、都合の悪い所は女だからで許されるものじゃあない。

男だから、女だからと言う部分を省いた人としての部分で、見ていく必要が少なからずあるんだろう。

そう言う面で見たところ、このおばさんは、オレの中では、「なし」。

まぁ、そんなふっと思っただけの話ですよ。

はい。

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2014年10月10日 9:01 CAT :

ムツオさん

発表から、半年以上待ち望んだ敬愛する筋肉少女帯のアルバム「tha show must go on」。

どうしても、おいちゃんが歌う「カーネーション・リインカーネーション」が聴きたくてわざわざタワレコで予約してまで買った。

近くにタワレコ無いから、ネットで。

そしたら、配送の関係で、届いたのは発売日の次の日。

フラゲした人々に羨望の眼差しを向けつつ、やっと聴く事が出来た。

すげえええええ!
これは凄まじい名盤だ!!
一聴して、「レティクル座妄想」や「月光蟲」を聞いたとき程の衝撃を受けた。

再結成3部作とは全く違う。

完全な、本当の意味の新作。

これこそ筋肉少女帯だ!!と言うしかない。

しかも、聞き込めば聞き込むほどに、新しい発見がある「スルメアルバム」の様相も呈している・・・

と言う事で、詳しい感想は、もう少し聞き込んでからにする。

すぐには、語れるものではない。

そのくらいの圧倒的濃密な内容量。

ただ、今はその感動を綴りたい。

それだけでございます。

特典のDVDも素晴らしい。

全てにおいて完璧。

何も言うことがない。

ただただ、ありがとうございました。

としか言うことはない。

kinniku.jpg

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2014年10月9日 12:00 CAT :

キーワードはアナルローズ

運動不足感は否めない日々ですが、何気に娘を抱っこして移動してるだけで、チョッピリ筋肉もついてきた志茂田さんです。

今年も、秋祭りの季節がやってきた。

毎年この時期になると、大好きな獅子舞があり、鐘の音を聞くだけで鼓動が高まってしまう。

でも、同時に、獅子組に今年は参加するか否か。

でとっても悩んでしまう時期でもある。

行きたいのはマウンテンマウンテンなんだけど、どうも、獅子組自体に馴染めないんだよね。

皆良い人だと思うんだけど、何となく馴染めない。

まぁ、練習とかに行く訳でもないし、元々、誰とでも気兼ねなく会話できる訳でもないので、どうしても、集団の中に入ると浮いてしまう。

今年はどうするべきか・・・うぬぬぬ。

さてさて。

先日、久々に「屋島水族館」に行ってきた。

動物園は、動物が怖くて何にも楽しめない娘のために、水族館なら・・・と言う、淡い目論見があったんだけども。

実際、久々に行って見たら、凄く変わってるとこと、昔、オレが子ども自分に行ってた頃と何にも変わってないことが入り混じってた。

(辺り前っちゃあ、当たり前だけど。)
ビックリしたのは、トドが居なくなってたこと。

2匹のトド・・・死んじゃったんだろうか・・・あの大きなトドに餌をあげるの凄い楽しかったのに・・・

変わりに可愛いペンギンが沢山居ましたよ。

マナティーは元気だった。

あと、子どもながらに相当衝撃を受けた「ピラニア」の水槽。

この水槽の背景にあった赤地に人骨のイラストがそっくりなくなってた。

あれを見た子どもの頃、「ピラニア」に異常なまでの恐怖を植えつけられたのに・・・「ピラニア」が別にそんな人を襲わない事がばれてしまったから、外したんだろうか・・・インパクトがあっただけに無念きわまる。

思った事は、全体的に、「あれ?こんなに小さかったっけ?」と言う事。

子どもの頃、無限に広く。

進んでも進んでも次がある。

様に感じていたのは、なんだったんだろう・・・?
で、肝心の娘は、動物園よりははるかに楽しそうにしてた。

多分、オレが子どもの頃に感じていたのと同じように、広大なフロアに沢山の魚が居るように感じていた事だろう。

喜び具合としては、アンパンマンミュージアム >> 満濃森林公園 >> 屋島水族館 >>>>>(越えられない壁)>>>>>> 砥部動物園 >>> 白鳥動物園 と言う感じか。

凄い喜んで、水族館内を走り回ってたけど、あんまり魚は見てなかったような気がするので、別に水族館じゃなくても良かったかも知れない。

行くまでの道すがらでも、十分喜んでたし。

まぁ、何しか、帰りの車の中で「今日は楽しかった~」って言ってたから、良しとしよう。

景色もいいし、これからの季節。

もう一回くらい行きたいよね。

ただ、屋島上るだけでお金がかかって、水族館でまたお金がかかるのは解せぬ。

解せぬぞおおおおおおお!!

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2014年10月7日 23:15 CAT :

信じるものは資本の正義

こんな夜は、少しだけ昔の事を思い出してしまう。

そんな夜もあったりなかったりする。

割と、自分語りは好きな方で、色んな話をブログとかでは、ダラダラと垂れ流すけれども、実は、周囲に対しては、あんまり話したりはしない。

家族にもあんまり話してこなかった。

多分、嫁が一番そう言う話に関しては知ってるだろうと思う。

誰にも話してこなかった色んなチョッと苦い思い出や、赤面モノの厨二病な思い出。

それは、永遠にオレの心の中だけにあるものだと思ってた。

でも、ある日気がついてしまった。

そんな記憶が、確実に消え去っている。

頭の中から消え去ってる。

忘れてしまったのか、それとも、その思い出が入っている引き出しの開け方を忘れてしまったのか・・・

もうかなりの思い出が、自分の意志では思いだせない状況になってしまったいるらしい。

そんな中、ふと思い出した一抹の情景について。

オレは、小学高学年の頃、学校のソフトボールクラブに入っていた。

若干、入らされていたと言う方が正しい気もするけれども。

どういう経緯で入る事になったのかは、あんまりはっきり覚えていないけれども、確か、小学校自分に割と話をしてくれてた「T君」に誘われて、それが嬉しくて・・・とかそんな感じだったように思う。

ソフトボールなので、やはり、体育会系。

メンバーも皆そっち系。

勉強より運動が好きで、口が悪くて、乱暴。

そして、チョッと悪い事が好き。

オレは、そのクラブのメンバーととにかく馴染めなかった。

今考えると、もしかしたら、そのメンバーはオレの事をそこまで嫌ってはなかったかもしれない。

ただ、彼らの普通の接し方、いじり方がオレにとっては、もういじめのようにしか感じる事が出来なかった。

監督とかも、今から20年ほど前なので、暴言体罰あり、練習中は水分補給なし、罰はグラウンド周回。

と言う、時代。

良くソフトボールを投げつけられたり、ヘルメットの上からとは言えバットで頭を殴られたりしてた。

(もちろん、本気ではしてないけど。)
入ってすぐに後悔したけれども、怖くて辞めるとも言えなかった。

頑張ってやり続けて結果、こんなオレでも、レギュラーになれ、打撃の方だけは認められ4番を打たせて貰えてた。

(守備はからっきしだったので、DH制がある試合では、打撃専門だったけども。)
その頃には、そのチームには、居場所が出来てた。

結果的には、引退後もOBとして、時々指導がてらに様子を見に行く位になってたし。

今となっては、チョッと良い思い出になってると思う。

今日、思いだした情景は、そうやって自分の居場所が確保できる前、入って数カ月の頃。

練習は毎週土日にあったんだけど、とにかく、その土日が嫌でしょうがなかった。

出来るだけ休もうと、仮病を使いたかったけれども、なかなか嘘をつけなくて、いつもいやいや練習に参加してた。

そんなある日、本当に体調がすぐれない日があった。

熱はなかったから頑張って学校には行ったけど、運動はできそうにない。

と言う事で、その日は練習を休もうと思ってた。

(無理すればいけない事もなかったけど、とにかく行きたくなかったから・・・)
そんな日に限って、オレを誘った「T君」が珍しく「一緒に行こうぜ」と家まで迎えに来てくれたんだよね。

オレとしては、「何て余計な事を!!」と思った。

案の定、オレが休むことを容認してたじいちゃんは「せっかく迎えに来てくれたんだから、一緒に行けば?」と・・・まぁ、そうなるのはしょうがない。

とにかく休む気満々でいたオレは、その日、迎えに来た「T君」の方を見向きもしないで、「今日はオレは、本当に行けないんだよ。

体調が悪くて・・・」と冷たく突き放した。

「T君」は、無言で立ち上がり、じいちゃんばあちゃんに「おじゃましました」とだけ言って出ていった。

ふと考えた。

「T君」も、オレと同じで気が進まなくて、しかも入ったばっかりだから、練習が嫌で、だから、自分を奮い立たせる意味でも、誘いに来てくれたんじゃないかと・・・(実際、そんな感じだと、今でも思ってるけども。)
急に、心苦しくなってドアを出ていった「T君」を追うようにドアを開けて声をかけた。

「T君」は振り向かずに立ち止まった。

そこで、「やっぱりオレも行くから、チョッと待ってて」と言えれば、どれだけ良かったのか、オレの口から出た言葉は「ごめんな。

監督に伝えといて」だった。

振り向きもせず「T君」は再び歩き出し、そして、一人練習へ行ってしまった。

学校であった時、練習の時とか、それからも、変わりなく接してくれていたけれども、「T君」がオレを誘いに来る事はもう二度となかった。

思いだしたのは、その「T君」の後ろ姿。

彼とは、高校から別になり、今は東京にいて、ほとんどこっちには帰ってきてないとか、伝え聞いてる。

今も元気しているのだろうか。

なぜ、思いだしたのかは、誰にも分かりはしない。

小学校の頃。

とにかく、オレは友達もほとんどいなくて、いじめられる所か、相手にもされないまま過ごしてた。

その原因になるような、今考えるに「オレって最低だ」って思う事が沢山ある。

冒頭で書いたとおり、大半は忘れてしまったけど、それでも、まだ、沢山ある。

そんなヤツ、誰だった相手にしたくないだろうて。

ふと訪れる。

少しだけ懺悔の夜。

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2014年10月6日 20:25 CAT :

ルーズ ザ ウェイ

人それぞれに思うことがある。

人それぞれに人生ってヤツもある。

幸せの形も、絶望の形も人それぞれ。

哀しい日々もあったけれども、今思えば、それは幸せな日々だった。

そんな事も、当たり前のように存在するこの世界。

さまようこの世界に
それでも歩くなら
いい方へ転がれ
please don’t lose the way
いい方へ転がれ
いい方へ転がれ
いい方へ転がれ
いい方へ転がれ
please don’t lose the way
言えることなど、それ位しかないらしい。

いつか、本当に思いの全てをぶつける事が出来るその日までは。

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2014年10月4日 22:15 CAT :

グノシーで騙されてクリックした先のランディングページのようなもの

先日、時間があったので「ダ・ヴィンチ」を立ち読みしてた。

「進撃の巨人」の連載までの流れとか、作者のインタビューとか、大御所漫画家さんのキャライラストとか・・・

結構面白かったけど、原作者さんの「ホントはもっとキレイに絵を書けるけど、それに興味ないから書かない。」は、ちゃんと書けよ。

とチョッと思った。

曲がりなりにも商業マンガなんだから・・・

でも、ネームを雑誌に載せてる「T樫Y博」と言う漫画家さんの作品をありがたがって読んでる事を思い出し、まぁ、良いかとなりました。

しかし、この作品。

初めての持込を読んだのが、新人の編集さんだったと言うのが良かったんだろうね。

集英社に持ち込んだときには、ベテランの編集さんにスカボコに酷評されたらしいし。

ベテランさんは目にフィルターがかかりまくって、面白いとか面白くないとか、あんまり分からなくなってしまうんだろう。

さてさて。

「ニュースチョクホー」と言う物語がある。

これは、オレが小学4年だか、5年生だかの頃から書き続けている物語で、派生した作品が3つあったりする。

ひとつは、無印の「ニュースチョクホー」。

これは、小学校卒業し、中学入学した辺りで、一旦完結した。

もうひとつは、「ニュースチョクホー」から数年後に書き始めた「続ニュースチョクホー」。

これは、今でも不定期に書いてる。

最後のひとつは、「超ニュースチョクホー」。

特に、高校時代だけを切り取って、小説形式で書いてるお話で、2009年で一旦休止してる。

一番初めのニュースチョクホーを書き始めてから実に20年。

言うまでも無く、オレの書くお話としては、文句なしの最長の作品。

そして、内容が、オレの実際のお話を元にした自伝(と言うか、日記)だったりする。

書き始めたきっかけは、「オレの人生って、結構面白いんじゃね?それを、大げさなお話にしてしまえば、それで漫画になるだろう」と言う発想だった。

それを、世間一般的には「エッセイ」とか「随筆」とか「自伝」とか言う事実を、小学生当時のオレは知らなかった。

自分の生活を書く。

天才の発想だ。

と思ってた。

それから20年。

今も断続的に書き続けているこの物語。

そのうちのひとつ「超ニュースチョクホー」を先日、ふと、読んでた。

・・・う~む。

これがなかなか面白い。

自分で言うのもなんだけど。

これは、高校3年間のお話と、元々区切っているので、いつか終わりが来る。

チョッとページを見やすくリニューアルして、続きを書こうかと、思っております。

さらに10年後のオレが、完結したその話を読んで「面白い話だ」と思えるように。

5年ぶりの再開・・・がいつの事になるかは、未定。

ただ、最近、久々に頭がクリエイティブになってるのは、チョッと嬉しい出来事だと思う。

ちなみに、その「超ニュースチョクホー」休止前まではここで読めるよ~(↓)
志茂田さん文庫「超ニュースチョクホー」(ページが昔のままで醜いけども)
5年前に握ったちんこを5年ぶりにこすり始めた!
まだ逝けはしない。

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2014年10月3日 16:46 CAT :

命を刈り取る形はしていなかったバルキリースカートの中は無防備に丸出しのまんこ

人と自分を比べる・・・と言う行為って、きっと誰でもやってる事だと思う。

それは、羨望であったり、嫉妬であったり、渇望であったり、単純な憎しみであったりと言う、感情を共にしていたとしても、誰もが当たり前のようにやっている事。

面白いのは、比べる相手が自分と同年代ではない場合。

その場合には、3種類ほど比べ方があるような気がする。

○今現状の自分と相手を比べる。

○比べる相手が自分と同じ年頃の時を比べる。

○比べる相手の年頃の頃の自分を妄想して比べる。

これは、分かりやすく言えば、今、実写映画大ヒット中の「るろうに剣心」における、弥彦が例に挙げられると思う。

弥彦は、自分と剣心の力の差に嘆くけれども、周りからは「同じ歳の頃の剣心と比べると圧倒的に強い」とたしなめられる。

そんなシーンがあったはず。

そこはそれで、弥彦は「将来じゃなく、今強くないと意味が無い。」的なことを言ってたような言ってなかったような気がするけれども、まぁ、そんな感じ。

これは、「今現状の自分と相手を比べる。」だと思う。

この段階では、確かに、弥彦と剣心では、絶望的な力の差があったはず。

でも、これを「比べる相手が自分と同じ年頃の時を比べる。」で考えてみると・・・

まだ、剣心が「心太」と呼ばれて、何の力もなく、一人、惨殺された村人や仲間の墓を作ってる頃だと思う。

そんな時に弥彦は、日本転覆を目論むCCO一派の急先鋒十本刀の一人を、撃破していた。

・・・弥彦凄い。

何か、10歳くらいの少年が、大人に勝つのも凄いのに、その相手は、ダイナマイトを投げつけ、空を飛びながら、真剣で切り殺しに来る変態男。

それで、しっかり勝ってる・・・と言うね。

しかも、相手を怪我させないように作られて竹刀で。

で、次に「比べる相手の年頃の頃の自分を妄想して比べる。」で考えてみると・・・

結局マンガの描写では、よく分からないので、弥彦が元服した辺りの頃・・・剣心は、「人斬り抜刀斎」として、暗殺をしまくり、心を病んで、自暴自棄になってた頃だと思う。

そんな時、弥彦は、「神谷活心流」の師範代として、門弟を抱えながら、日本屈指の強さを持ちつつも、人間的にも成長してる。

単純な強さだけで言うなら、剣心のほうが強いかも知れないけど、人生的に見れば、多分、弥彦の方が良い感じだと思う。

・・・まぁ、これは、あくまでもマンガの話だけれども、取りあえず、自分と同世代以外の人間に関して(特に、年上の人間)に関して「今現状の自分と相手を比べる。」は全く意味が無いって事は分かると思う。

「今現状の自分と相手を比べる。」の結果、悲観的になるのも、自分の方が優れてるように思うのも愚の骨頂。

これに、さらに、人それぞれの価値観があり、幸福の形は違うわけだから、もう、そうなってきたら、何がなにやら分からなくなる。

結局、隣の芝生はよく見える。

・・・それだけなのかも知れない。

大切な事は、誰かと比べることより、今の現状を自分としてどう思うか。

そっちなんだろう。

長々と書いてきたけど、今、オレは、そんな感じで「るろうに剣心」の実写映画を見てみたい。

藤原竜也のCCOが見てみたい。

予告編見るだけなら、結構、アクションとか凄そうで、ドキドキしたんですよ。

エンバーミング。

やっぱり面白いよね。

斗貴子さん。

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2014年10月1日 20:59 CAT :

【王道軽症】オナニーノーツその6 「糧となるモノたち~ture of the world」

2ちゃんねると言う掲示板がこの世には存在する。

その掲示板で、長い間語り継がれているものに「コピペ」と言うものがあり、その「コピペ」の話題が出ると決まってレスに貼られる一つの有名なコピペがある。

===============
初カキコ…ども…
俺みたいな中3でグロ見てる腐れ野郎、他に、いますかっていねーか、はは
今日のクラスの会話
あの流行りの曲かっこいい とか あの服ほしい とか
ま、それが普通ですわな
かたや俺は電子の砂漠で死体を見て、呟くんすわ
it’a true wolrd.狂ってる?それ、誉め言葉ね。

好きな音楽 eminem
尊敬する人間 アドルフ・ヒトラー(虐殺行為はNO)
なんつってる間に3時っすよ(笑) あ~あ、義務教育の辛いとこね、これ
===============
このコピペを見るたびに思い出す曲がある。

それが、今回の6曲目となる
「糧となるモノたち~ture of the world」
だ。

知っている人は知っている。

知っていない人は、多分知らない。

それが、この曲「糧となるモノたち~ture of the world」。

この曲。

実は、先日、ちょこっとこのブログでも触れた、オレが中学時代にやってたバンド「レベム」の曲のひとつ。

当時、オレのパートは「キーボード」だったんだけど、中学生がかっこいいと思うバンドに、キーボードメインのバンドなどなく、美味しいところは、ボーカルかギターに持って行かれてた。

(と思ってた。)
なんとか「キーボードが美味しい曲は作れないものか」と、悩みに悩んで作った曲こそこの「糧となるモノたち~ture of the world」だったりする。

そんな経緯で制作した曲だから、出だしから最後までとにかくピアノが邪魔なくらい前面に出てくる。

イントロから、リフから何もかも基本的にはピアノで構成されている。

メロディーラインも、ピアノメインで作ってあるもんだから、なんだか、唄はあってもなくても良いような感じ。

ちなみに、その当時のデモテープも残ってて、高校生の頃にやってた「シータ」さんというバンドのデモテープ「朝日が目にしみた白ふんたち」に収録されてるけど、そのテイクは、歌が入ってない。

間奏部分の語りは入ってるけど。

歌詞は、今で言う中二病全開。

・・・だけど、作ったのが本当に中学生だから、それはそれでいいんだと思う。

とにかく、その当時知っていた、チョッとカッコイイ言い回しをただただ繋げただけ。

ただただ薄っぺらくて、何の意味もない。

何が言いたいかもわからない。

と言うか、「何かを叫びたい衝動はあっても、何を叫んでいいのか分からない」と言う思春期全盛期だからこそ書く事の出来た、本当の中二病な歌詞だ。

歌詞の内容は、冒頭の有名なコピペと通じるところがあると思う。

とにかく、中学生は「「ture world」と言うものが好きらしい。

せっかくなので、この曲だけは、歌詞もここに載せておこう。

===============
君の好きな世界は滅びた
過去の日々を思い出しながらも 水に身を委ねる
Dying people when lose true of the world
ある日突然に
Dying people when lose true of the world
それがPrelude
遅まきにも死が訪れる 明日の日々
君の侵す世界は壊れた
奪うだけの奴らは滅びた
助けの手を拒み続けながら それさえ壊し
翼も持たない微弱な小鳥が飛べない空見ていつも思ってた
儚い夢をその胸に抱いて・・・

最後に残るものだけを無機質な骸たちを愛していた
いつもいつも夢見ていた 滅びという名の栄光を
ゴミの海の無機質な中にぬくもりを求め
あのモノたちを殺し続け 常に産み続けられる骸たちが
僕を狂わせる 君を破壊する 僕を狂わせる
Dying people when lose true of the world
君を想うたび
Dying people when lose true of the world
最後を待つたびいつも
Dying people when lose true of the world
僕らも一緒に
Dying people when lose true of the world
次の世界へと
そして 糧となるモノたちとともに
永久不変の世界へ滅び行く日々
===============
「助けの手を拒み続けながら それさえ壊し
 翼も持たない微弱な小鳥が飛べない空見ていつも思ってた
 儚い夢をその胸に抱いて・・・」
辺りが最高にいい感じだと思う。

さすが、思春期。

オレにできない事を平然とやってのけるッそこにシビれる!あこがれるゥ!(まぁ、オレが書いたんだけど。)
長くなったけど、そんなお気に入りだけど、ほとんど日の目を見なかったこの曲を、セルフカバーという形で、いろんな方に聞いてもらおうと言うことで、今回、古い楽譜とかを引っ張り出してきたわけですね。

できるだけ、前述のデモテープに近い演奏を・・・と言う事で、実際楽譜に書いてある通りにできるだけピアノは弾いた。

でも、それだけじゃあ、あまりにも短調でつまらなかったので、大事なところは、従来ものをなぞりつつ、思ったより大幅に付け加えた感じだと思う。

そしたら、意外とかっこよくなった。

オレの好きなピアノバリバリのプログレっぽいロックだ。

当時こんなのが作りたかったのかは分からないけど、取りあえず、なんだか満足してしまった。

ついでに、この曲。

適当に構成付け足したりしながら作っていったんだけど、実際にレコーディングしてみたら、収録時間はちょうど「4分44秒」になった。

狙ったわけでもないのに。

その辺も、とても中二病っぽくてご機嫌な感じ。

やはり、思春期と言うのは、人間の才能が爆発時なんだろうて。

どうでもいいけど、タイトルの「true of world」って何か変な英語だよね。

そこは名詞の方がいいから使うなら「truth」のような気がしてならない。

・・・ならないけれども、中学生の頃のオレが「true」だと言ってるんだからそれでいいんだろう。

なので、サビの部分のよくわからない「Dying people when lose true of the world」はすごく発音も頑張って歌ってみた。

本気で歌ったんだよ。

多分「世界の真実が失われる時、人々は死んでいく」とか、そんな事を言いたかったんだよ。

英語で言うことで、オレの心はグローバルだと思ってたんだよ。

と、予想以上にかっこよく仕上がったこの曲を中休みに、いよいよアルバムは後半へと突入していくわけです。

では、次回は「おもちゃはおもちゃ箱へ」でお会いしましょう。

さようなら。

さようなら。

さようなら。

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