月別アーカイブ: 2017年9月

2017年9月20日 23:50 CAT :

憧れはヘンリー・ジョセフ・ダーガー・ジュニア

やっとこそさ「公共事業」が完成して、ひとつ大きくやりたかった事が完遂できた。

何とかかんとか、色々やりたい事を少しずつ消化してはいるんだけど、それ以上にやりたい事が出てくるわけで、結局、やりたい事ばかりが山積みになっていく。

思いついた時に、忘れないようにメモを残してたりもするんだけど、そのメモ自体が結構膨大な量になってしまってたりする。

「全部消化するまで、死に切れるか!!」と言いたいけど、増えて行っているし、この現象が収まらない限りは、その願いはかなわないんだろうね。

例えば・・・と言うか、先日、ブログの「関連項目」をみて発見したんだけども、今回のアルバム「公共事業」のメインナンバーに「【無修正】【流出】JK秘密のアソコ」と言う曲がある。先日の量産完了の時に記事のタイトルにもしてたんだけども・・・その関連記事の所によく似た「流出!無修正!JK秘密のアソコ」って言うタイトルの記事があった。

そもそも、この曲、これまで作ってきたアルバムのトレーラー動画を作った時に、明らかに「オナニー遍歴」だけが、再生数を稼いでたから、やっぱり下ネタが強いんじゃね?じゃあ、今度のヤンディールさんの新曲は、クリックしたくなる下ネタっぽいタイトルにしようぜ。で、内容は全然下ネタじゃない感じで・・・と行く話から出来上がったものだったりする。

そして、この曲の大まかなイメージが固まった段階で、どうも一回ブログの記事にタイトルだけ使ってたんだよね。

それが実際に、セカンドシングルの予定が曲がたくさん出来たのでアルバムになって、レコーディングが全部終わって、アルバムが出来て、聴いてもらえるようになるまでに実に2年以上かかってると言うことですよ。

でも、むしろこれは、早い段階で形になってる話なわけで、20歳の頃に構想した「やみ。世界」と言う物語をマンガとして描き始めるまでに10年経って、しかも、今は、「R.D」を描き始めてからストップしている。

「やみ。世界」もほぼ全ての構想が出来上がっていて、それをすべて消化するには、普通に描いてても50年はかかりそう・・・だと言うのに・・・

ついでに言うと「王道軽傷」完成後に、本当なら次に作る予定だったアルバム「ダーク」。タイトルこそ、今は「陀悪」に変わったけれども、構想も歌詞もほぼ出来上がっていながら、全く手付かずのまま・・・

いや、もっと言えば、大学時代に組んでたバンド「仁美・mine」さん。一応、「ウミィ・マミィ」「夢喰いバクヲ」「永遠の向こうにある果て」の3つの音源を作ったんだけど、その後に制作予定だった4枚目の音源「連歌『忘却』」についても、構想はほぼ出来上がったまま手付かずになってる。

あと、馬忠・DA・ムドーの9枚目のアルバム「現天怪奇」も、全く手付かずか・・・

音楽だけじゃあなく、20,000文字ほど書いてストップしてる「老人は少年に励まされた」と言う長編。「夜誘う麦藁帽子」と言う短編。の2つの小説も今、書きかけの状態でストップしてる。

他にも、「僕の夏休み」「そのナイフを握る前」「ゴーモンデーモンのハピネスソング」「in the syukyo」「死神詐欺師の宴」「つんぼとめくらのラブゲーム」「処女はアイアンメイデンに入れて殺すに限る」「せんたくのしま」など適当にメモ帳ひっくり返すだけで、構想を作りつつ手つかずのネタはホントにたんまりある。

この辺りは「観客3人のライブイベント」「f分の一揺らぎの嘘」(「1/f揺らぎに併せて奏でる発狂者のメロディー」の元ネタ)などと同じ時期に描いているので、何年前だ?5~10年くらい前か?

創作意欲と言うものは、本当のところ衰えないもので・・・なんとか、一つずつでも消化していきたいのです。

と言う事で、「R.D」の次の話のネームはほぼできて、今、作画中でございます。

目標は、2週間で15ページ。

小さな事からコツコツと。

そう。超コツコツだ。

この記事を見てみる  ⇒
2017年9月13日 23:31 CAT :

ちんこに真珠を入れてみた

ここ最近、お仕事の時のBGM代わりにamazonプライムさんのお力を借りて色んな映画を見倒してる。

その中で、ダントツで面白かった映画が2つ。

「冷たい熱帯魚」と「凶悪」。

いや、この二つはホントに度肝を抜かれるほど面白かった。どちらも、実際にあった凶悪事件をベースとして、作られているらしい。どこまでが実際にあったのか調べてみたら、ほとんどそのまんまだった。事実は小説より奇なりを地で行く感じだろうか。

これが実話だとは、おぞましい。あまりにもおぞましい世の中だ。

北九州監禁事件とか、女子高生コンクリート殺人事件とか、もっと反吐が出るような事件も多々あるんだけど、それについてみたいのかと言われると、それはそれで別問題だったりする。

別にオレは、胸糞悪くなる事件のあらましを映像で見たいわけじゃあないんだ。

ただ、上記に上げた2作品に関しては、ずば抜けて面白かった。それは、内容の虚実のバランスが実に心地よかったと言うことと、虚実ないまぜだと言う事を忘れさせてくれるほどの圧倒的演技力に起因すると思っております。

これをもし、ジャニタレが主演でやってたら、どうしようもない映画でしかなかったと思う。

と言う事で、それぞれのあらましと感想をば・・・

「冷たい熱帯魚」

埼玉愛犬家殺人事件と言う、ここ最近の日本でも3本の指に入る凶悪事件をベースにした映画。「アフリカケンネル」が「アマゾンゴールド」になって、犬とか動物が熱帯魚になったこと、最後に、主人公がぶちれて暴走するところ以外は、ほぼ事実に即してるような気がしないでもない。

この映画は何をおいても連続殺人鬼村田を演じる「でんでん」さんの狂喜過ぎる演技。これに尽きると思う。

ホントに凄まじい。

と言うか、これ演技なの?と疑問に思ってしまう。ほどの迫真の演技。

前半はその演技に引き込まれてしまう。

そして、後半は吹越満演じる社本のブチギレ暴走の怒涛の展開に引き込まれて、気がつけば、2時間半があっと言う間に終了。と、まぁ、そんな感じ。

死体の解体シーンの不必要なまでのグロシーンや、セックスシーンなどは、リアリティーを追及する園子温監督のこだわりなんだろうか。その部分にこだわり過ぎて、一瞬、見てる側が立ち戻ってしまうのは致し方ないんだろうか…本来なら狂気の最高のスパイスになるであろう、その辺のリアリティーもでんでんさんの圧倒的演技にとっては、むしろ過剰になって、見る人を立ち戻らせてしまってると思う。

あと、最後の最後まで圧倒的で迫真の演技と映画としての展開を無視したかのようなリアリティーのあるストーリーに魅せられっぱなしになるんだけど、ラストシーンの「人生ってのは痛いんだよ」あたりで、映画としてうまく纏めようとした監督の思惑がちらついてしまい、その部分だけが残念な感じ。

個人的には、社本がブチギレて、村田を車で暴行、それを愛人の愛子が笑いながら見てる俯瞰シーンで終わりの方が、この映画としては良かったのではないの?と思ってたんだけど、監督自身が撮り直せるなら、そこで終わりにしたいと言ってたらしい。

監督もそれを思ってたのか…事件を映画化してリアリティーを追及するなら、それで良かったんだろうけ、映画として、エンターテイメントに落とし込むために、その後の展開は蛇足と分かりつつも撮影したのかも知れないな。

いや、そんな偉そうに語るのは別としても、ホントに素晴らしい映画だった。

これまで、邦画で一番好きだったのは「アウトレイジ」だったんだけど、この映画はその「アウトレイジ」を超えた。でんでん一人の力で超えた。

この2人が凄まじすぎた。

・・・そんな映画です。

で、「凶悪」。

こちらも有名な「上申書殺人事件」をベースとして描かれたお話。と言うか、この映画も、実際の事件とほぼ同じ内容なんだよな・・・恐ろしい世の中よ。

主人公の山田孝之演じる藤井が、とある死刑囚の告白を元に、闇に埋もれつつあった凶悪な事件を追及していくと言うストーリー。嘘みたいだろ。ありがちな展開だけど、これも全て実話なんだぜ。

この映画についても、ただただリリー・フランキー演じる木村とピエール瀧演じる須藤の気違い染みた人間性に全ては集約される。

最初は「ミラクルタイプの再来だ~」と思ってみてたんだけど、見終わった後には、リリー・フランキーとピエール瀧は気違いの殺人狂だと思うようになった。

何と言うか、でんでんさんは、別の映画で見るとその役柄の人になってる。だから、「冷たい熱帯魚」を見ても、「村田やばい。」と思っても「でんでんってやばい奴なんだな」とは思わない。

でも、この「凶悪」を見たらどう見てもリリー・フランキーとピエール瀧がやばい奴なんだよ。

これは、俳優としてでんでんさんの力量が上。という問題でもないような気がする。

特に大好きなピエール瀧なんて「人生」の頃から見てるのでおもうんだけども、ナゴムレコードに所属していたアーティストさんが共通して持ってる心の奥底にある隠しきれない狂気と言うものがある。(たぶん、リリー・フランキーも同じようなやつを持ってると思う)

普段は日常生活をする上で隠しているこの狂気がたまたま前面に出てしまっただけに見えてしまう。

演技ではなく実際にこの2人なら、裏でじじいを爆笑しながら通電して虐待してても違和感がない。

と言った意味での、沈み込むような恐怖が全編にわたって立ち込めてると言う感じか。

いや、実際に、そんな事はないのかも知れないけど、電気グルーブの気違いと言われる曲とかPVとか見てたら、そんな狂気がちらほら散見するんだよ。

そして、そんな演技なのか本来の顔を見せてしまっただけなのかよく分からない演技に翻弄される藤井を楽しむ。

この映画と「冷たい熱帯魚」は良く対比されるらしいんだけど、決定的に違う事がある。

それは、「冷たい熱帯魚」は実際の事件をベースにする事が作品のテーマになってるけれども、「凶悪」の方は死刑制度の是非、野次馬的思考の危うさ、怖さなどの社会問題を提起すると言うテーマのために実際の事件を下敷きにしている。という点。

その意味で、「凶悪」の方が映画足り得るようにする演出がモリモリある。特に、最後の木村が「私を一番殺したがっているのは」と言い、画面を指差すシーンだよ。ストーリー上は藤井を指差しているんだけど、画面の向こうで映画を見ている自分が指さされたような錯覚に陥る。確かに、気がつかない内にとことん極悪に描かれた木村がボロボロになって最後に死刑になる瞬間を期待していた。

それを指摘されて、ハッと我に返った瞬間映画は終わる。結局、ピエール瀧もリリー・フランキーも死刑にされることなく。

この映画がそれを訴えたかったと言う事を見る人に分からさせて・・・

素晴らしい演出だと思うんだけど、分かりやす過ぎてチョッとこっ恥ずかしい。あと、そう言うことなら、実際の事件をベースにする必要はなくないか?と思ってしまう。

キャストの演技では、どちらも最高ながらオレはやっぱり「冷たい熱帯魚」の方がいいと思うのは、この点がやっぱり大きいんだろうね。

ただ、この2人は実際に、プライベートではこんな感じなんだと思う。

そんな素晴らしい演技だったです。

こんな骨太な映画が見れた事に、ホントに感謝しつつ、まだまだ見たことがない素晴らしい映画がたくさんあるはずなので、これからも、お仕事しながら映画を見ていくです。

願わくば、思いっきり仕事の妨げになった上記2作品のような名作に出会える事を願いつつ。

おやすみなさい。

この記事を見てみる  ⇒
2017年9月12日 23:30 CAT :

【無修正】【流出】JK秘密のアソコ

生活改善などを試みております。

取りあえず、毎晩夜中まで起きていて、昼間にダラダラしてて、結局次の日も夜遅くまで起きている。

と言う生活をやめたい。

お昼にお仕事をできるだけ進めておいて、夜は寝るんだよ。

無理にオラオラ進めずに、少し、体を労わってあげてみようとか、そんな感じ。

あと、先月から使い始めた猫背矯正ベルトと骨盤矯正シートの効果が出てきたのか、一日仕事してても背中や腰が痛くなくなった。あと、頭痛もほぼなくなった。ついでに、何か骨盤の位置が変わったからか、内蔵がチョッと変な感じになってる。内臓の位置まで矯正されてるんだろうか?

姿勢一つで変わるもんですな。いやはや。

さてさて。

遂に完成いたしました。

ヤンディール制作(所)さんの初のフルアルバム「公共事業」。

量産も完了して、本日オレの手元にやってきましたよ。

編曲にもう少し手間をかけても良かった気がする曲がちらほらある…これについては、次回作があるのであれば、その時までの課題だな。

あと、歌詞カードの文字が小さすぎた。もう2ページ増やしても良かった…と言うか、量産前に自分で印刷して確認してみろと言う話なんだけども。

など、いくつかチョッと直したいところもあったりするけれども、それを言いだすといつまで経っても完成しないので、この辺りが切り上げ時なんだと思う。

いや、実際にとても良いものが出来たと思うので、また、皆様に配り歩きますです。はい。

この記事を見てみる  ⇒
2017年9月9日 23:53 CAT :

うんこまき散らし塗りたくり祭り

先日の「ヒミズ」つながりで、園子温監督の「冷たい熱帯魚」と言う映画も見た。

これがまた、衝撃的に面白かったんで、そのうちだらだらと感想とか描きたいです。

ヤンディール制作(所)のアルバム「公共事業」のマスターが遂に完成。今、聞いてるけど、実にいい感じだ。あるのかどうか分からんけど、次回作があるのなら、編曲をもう少し変な感じに作りこみたいな。結局、半年から1年かけて作るのなら、1曲ごとのイメージをもう少し煮詰めても良いかと・・・

とは言え、ダラダラ力を抜いて聴いてられる良いのができましたよ。

あと、遂に1か月に1話のペースすらままならなくなってしまった「R.D」だけど、来週には、たぶんアップできると思う。

もうペン入れは全部終わってて、あとは、4ページほど、仕上げが残ってるだけ・・・多分、来週中にはできる。できるはず。できるんだ。

他にも、いろいろ描きたい事もあるけど、今日のところはたまには早く寝るのです。

おやすみなさい。

明日も少しお仕事します。日曜日だけどな!

この記事を見てみる  ⇒
2017年9月1日 14:40 CAT :

ヒミズとはモグラのお友達の名前

昨日、お仕事がてらにたまたま見つけた「ヒミズ」の映画・・・amazonプライムさんで。

で、それを見てみた。

いや、その前に「ヒミズ」について書いておこうか。

ご存じ(だと思う)古谷実大先生がシリアスに路線変更してしまったターニングポイントにもなるマンガ。

オレがこの作品に出合ったのは、高校生の時だったと思う。

中学生の頃に「稲中卓球部」と「僕といっしょ」で死ぬほど笑ってオレは、期待を込めて古谷実の新作「ヒミズ」を読んだ。たしか、帯に描かれていた「不道徳の時間です」と言うキャッチにものすごくひかれた記憶がある。

実際読んでみると、前半にほんの少しだけ以前のテイストは残っていたものの、もはや全くの別物。人間の闇・・と言うか、人間には闇があるものだと思いこんで沈んでいくどうしようもない思春期の閉塞感と絶望感が全編に渡って覆う、暗い物語だった。

当時、自傷行為を始めとして、本当に中二病真っ盛りだったオレは、どっぷりとその世界観にハマり込んだ。

「高校時代のバイブル」と言っても過言ではない。

その位思い入れの強い作品だった。

実際に、当時演劇部に所属していたオレが描き上げた台本のほとんどには、この「ヒミズ」の影響が見え隠れるする重暗い絶望感の漂うものが多い。

思春期を抜けてからは、もうほとんど読み返すこともなくってたこの物語だったんだけど、そんな感じだからこそ、今なら、だらだらと流し見するにはちょうど良いと思ったんだけれども・・・

ここから、映画の感想と、ネタばれしますので、いやな奴はさようなら。

 

 

 

 

想定していたよりは、はるかに面白かった。

何より、出演者さんの演技力が半端ない。

特に、茶沢さん役の二階堂ふみなんて、「ゴチになります」のイメージしかなかったけど、めっちゃ凄かった。ほんと、引き込まれるように、食い入るように見てしまった。

物語とかそんなものは抜きにして、演技だけ見るだけでもメッチャ面白い映画だと思う。

これが「ヒミズ」の映画化でなかったのなら、文句なしの名作映画として終わってただろうて。

でも、思い入れが半端じゃない「ヒミズ」なわけで、正直、オレの青春を汚すんじゃねえよ的な感情がないわけじゃあない。

夜野(こいつの事を「よるの」と言うのは今回初めて知った。じっと「やの」だと思ってた)が同級生じゃなくて、震災で全てを失ったホームレスだったり、住田と茶沢さんが偉く明るかったり、そもそも、震災をストーリーに無理くり絡めてたり、茶沢さんが親から虐待されてたり・・・

要所要所に「そうじゃねえんだよ」と思うところがある。

この物語自体に対するオレの思いなので、実際はどうなのかは知らないけれども、「ヒミズ」という物語は、「人間なんて闇でしかない」と思いこむ思春期特有の閉塞感と絶望感こそが最も大切な部分なわけで、結局、子どもの見方をしてくれる大人なんて一人もいてはいけないんだよ(あくまで子ども目線でだけど)。だから、住田の周りに震災ですべてを失ったとは言え、優しい大人たちがいちゃあいけない。

ついでに言うと、茶沢さんは普通の家庭に育ってるからこそ住田に憧れてるわけで、普通最高と考えてるけど、結局普通とはどんどんかけ離れていく住田といい感じに対比するのに、その茶沢さんが、母親に虐待されて、性格がゆがんでしまい、自分の居場所を作るために住田に寄生するとか、そんな思春期の子どもの心は単純じゃねえよ。とも思った。

何と言うか、登場人物それぞれの感情が、何となく分かるようだけど、実はその芯の部分はよく分からなくて、結局何をしでかすか分からないと言うほの暗い恐怖感が「ヒミズ」の味なわけで、その意味では、登場人物全員の行動や感情が分かりやす過ぎるのは、ホント残念。

まぁ、映画ですから分かりやすくする必要はあったのかもしれないけれども・・・

と、そんな感じで、「ヒミズ」のオレが好きだった良さがあまり映画としては受け継がれていないじゃねえか。思いつつ「う~む。悪くはないんだけどな」と見てた。

そして、ラストシーン。

あの衝撃のラストシーンを映画ではどうするんだろう?

結局、住田は生きていた。

そして、自分の足で警察に出頭。それに並走する形で茶沢さんがずっと「住田頑張れ!!」って叫び続ける。そのまま映画は終わる。

正直な話。オレは、ひっさびさに映画で号泣したんだよ。

このラストシーンで。

「ヒミズ」と言う作品の中に存在する住田は、たぶん、思春期の(特に男)なら大体の奴が一度は通る共有できる感情を持ってる。

親を殺してやりたいと思う事も、この世の悪を殺してやりたいと思う事も、世界は絶望しかないと思う事も、自分によってくる人間は裏で自分を見下して笑ってると思う事も・・・

でも、思春期の頃は、結局、そのどれもが実現しないまま、大人になる。ほとんどの奴がそうだと思う。

なぜなら、その思考一つ一つは実現させるには、途轍もない力と決断が必要な事ばかりで、結局は、そんな決断も力もないままズルズルと日和見に生きて大人になっていく。

そんなオレみたいな奴が、力を使わずに決断もせずに、それでも、自分の感情を正当化することができる方法が「ヒミズ」のような本を読むと言う行為に他ならないわけで、だからこそ、高校時代のバイブル足り得たんだろうて。

その感情の終着点。言ってみれば、「闇しかないこんなクソみたいな世界で生きていても仕方がない。死ぬことこそ至高」と言う感情。

マンガ版「ヒミズ」では、住田がその終着点である「自死」すらも実現させることで、思春期の子どもに対して究極の負のカタルシスを与えて物語として完成するんだよ。

でも、映画版の「ヒミズ」では死のうとした住田は死ぬことをやめて、罪を償って生きていく事を選ぶ。

思春期の頃には分からなかったけど、大人になった今、わかる事は「死ぬこと」よりも「生きていくこと」の方がよっぽど力も必要だし、決断が必要だと言うこと。

死のうとした所から、立ち上がり生きていく事を決意すると言うこの瞬間に、思春期を抜けてから今の瞬間までの自分が重なった。

そして、必死で走り始めた住田と横で「住田頑張れ!!」って叫び続ける茶沢さん。

ホントに号泣した。

一応、ストーリーの不満だった部分がこのラストの伏線になってたり、映画の構成としても素晴らしい部分は多々あるんだけど、それはそれとして、このラストだけで「この映画を見て良かった」と強く思った。

多分、思春期のオレがこの映画を見ていたら「何だよ、死なねえのかよ。ぬるい終わり方だな」と思ってただろう。

あの頃は、今のオレから見て、全然生きることに必死じゃなかったからな。

いやな事がたくさんあって、それで死んで終わりにするとか、めっちゃぬるい終わり方なんだと。今なら、そう思うんだよ。

死んで終わりにするとか、無責任なただの逃げでしかないんだと。

マンガ版「ヒミズ」は思春期に読むべきだし、映画版「ヒミズ」は大人になってから見るべき。

これが今回の感想でございます。

しかし、全編通して暗いし、暴力描写も万歳だけれども、この映画は原作とは違い優しさに溢れていたよね。

思い入れの強い「ヒミズ」から考えると不満もたらたらあるけれども、あのラストのためにこの改編は必要不可欠だったと思う。

あのラストを肯定する以上、この映画はこの映画として素晴らしい完成度でございます。

最近、ブログすらも滞り気味だったけど、あまりにも感銘を受けれ、書かずにはいられなかった。

未見の方には、ぜひオススメの映画でしたよい。

二階堂ふみ・・・この映画でめっちゃ好きになった。

この記事を見てみる  ⇒