月別アーカイブ: 2019年4月

2019年4月30日 16:13 CAT :

人民服に着替えたかぁ?もみ上げはちゃんと揃えたか?

お仕事が忙しく、危うくブログ書くのやめてしまう所だった。。。

なんか、今年のGWは嬉し恥ずかし10連休と言う事で、凄い前倒しでお仕事をしないといけない事が多々ありまして・・・

中二病的な話じゃなくて、マジで、先週の火曜日~金曜日の間、ほぼ寝てなった。1~2時間くらい仮眠をとったら、お仕事。と言うのをすっとやってる感じ。

死ぬんじゃないかと思ってたけど、死なないで、何とか、最低限の内容だけだけど終わらすことができた。

久々に、まぢで疲労したので、その関係もあって、しばらくPCはつけないでいたような感じでございます。

さてさて。

いよいよ、今日は平成最後の日らしい。

オレは、チョッとだけお仕事した後、今回の新曲のギターの練習をしてた。

体調は、息子に風邪をがっつりうつしてもらったので、喉は痛くて、節々がいたいです。

あと、先日の健康診断の結果、遂にと言うか、やっとと言うか、メタボの診断を頂きまして、絶賛ダイエット中でございます。

運動しないいけないと言うのなら、筋トレもするけど、ギターとかいっぱい弾いてやろうかと思ってるんだけど、体調もあって、なかなか思い通りにいかない。

世の中には、思い通りにならない事って本当にたくさんあるよね。

連休明けに確認するので、と言って、連休前日に資料を投げてくれたいつもの「お前は休んでんじゃねえよ」のアレもいくつかあるので、多少はお仕事も進めておかないと、後で辛いことになるだろうし。

何なんだろうね。

この日々の感じは。

取り合えず、良い事(かどうか微妙だけど)、ビックリするくらい還付金があった。

経緯的に話をすれば、独立した年にいきなりある程度まとまった売り上げがあったんだけど、その前の無収入の時の税金で行ったので、その年の利益が結構なことになってしまった。

昨年はそのせいで、結構な税金を搾り取られるように取られたんだけど、お陰で、ほぼ利益がなくなるほど税金になってしまったんだよね。

なので、今年はその分、還付金で帰ってきて、やっと納得できるくらいの金額の税金になったという訳でございます。

昨年は、まぢで税金だけで、死ぬな。と思ってたんだど、それはやっぱりおかしかったんだと言う事らしい。

良かった。良かった。

ちゃんとまじめに、確定申告もしてるんだ。こっちは。

ぷんすかぷんすか。

チョッと前には、こんなに税金取られるなら、一思いに法人化した方が、節税になるんじゃねえのか?と思ってたけど、蓋を開けてみれば上記のような話だったので、法人化の話はひとまず無しになった。

まぁ、それにまた、機会があればするかもしれないし、しないかもしれない。そんな程度の話になりました。

とりとめのない文章になったけど、そんな感じで、またコツコツ書いていくんだ。

多分ね。

電気グルーヴからテクノ繋がりで、最近YMOを聴いております。

この全く古くならない音楽は、本当に凄いな。

これ、リアルタイムで経験してたら、衝撃凄かったんだろうな。

でも、オレだって音楽でいえば、音楽バブルの時代が、一番音楽を聴いてた時代だったんだ!と言う、良く分からない自負があったりなかったり・・・

この記事を見てみる  ⇒
2019年4月24日 1:28 CAT :

愛はそう レセプター

色んな映画を見てる。

ここ最近、ホントお仕事しながら、色んな映画を垂れ流してる。

この見方が、正しくないのは100も承知。

映画と言うものは、本来、演者や制作者の意図、演出まで汲み取って、色々考えながら見て、楽しみ、見終わった後には自分の人生や、生活が何かしらのプラスになっているエンターテイメントだと思う。

でも、そうやって集中して2時間とかを使う暇がなくなってきていると言う、その事実が何とも言えず悲しいもんだ。

それはそれとして、個人的に映画には3種類があると思う。

〇初見であまりの面白さに引き込まれてしまうもの。

〇繰り返し鑑賞するたびにその作品の本質が見えてくるもの。

〇気楽に垂れ流して見る事ができ、且つ繰り返しの鑑賞に堪えるもの。

そして、そのどれに当てはまらない、つまらない映画か。まぁ、つまらない映画については、文字通りつまらないので、語る事もないんだけれども。

と言う事で、昨日に引き続き、この3種類の映画を少しだけ紹介・・・してみる。

 

〇初見であまりの面白さに引き込まれてしまうもの。
これについては、垂れ流して見るか…と思って、見始めたのに、お仕事もできずに思わず最後まで見入ってしまった映画。もう、本当に面白すぎて、目が離せなくなる。「冷たい熱帯魚」とか「凶悪」とか「告白」とか「アイアムアヒーロー」とか「バトルロワイアル」とか。洋画だったら「ライフイズビューティフル」とか「ファニーゲーム」が最近見た中で入ると思う。他にも何があるだろうか。まぁ、世間的に名作と言われるものがほとんどだよね。

ただ、この手の作品は、実は、繰り返しの鑑賞はあまりしない。

一つには、展開の衝撃とかは、どうしても2回目見る時に薄れてしまうと言う点。

もう一つには、繰り返し見続ける事が出来る多重構造のストーリーになっていないと言う点があるか。それは、ストーリーがダメなのではなくて、多重構造になるように作っていないからと言うのが、一番だと思う。

あと、多分、分かりやすいと言う事もあると思う。それはそれで、映画として見る上ではいい点。

とにかく、メッチャ面白くて、他の人に進めたくてしょうがなくなる映画。

 

〇繰り返し鑑賞するたびにその作品の本質が見えてくるもの。
これは、上述の映画とは別で、初見でも、もちろん面白いんだけど、その時は垂れ流して見れる感じ。ただ、シーンとかセリフとかが心に引っかかって、何度も見たくなってしまい、見ているうちに、どんどん新しい発見が出来てしまう映画。「血と骨」とか「火垂るの墓」「かぐや姫の物語」とかの高畑勲作品、「アウトレイジ」シリーズとか「嫌われ松子の一生」とか「メトロポリス」とか。洋画だと「グラントリノ」とか「ファイトクラブ」とか「レオン」とかその辺かな。一般的には、名作と言われつつも、賛否があるものが多いかも。

繰り返し見たくなる魅力があって、繰り返していれば見るほど、新しい発見がある。それこそヘッドホンして、大音量で見て初めて気が付いたことがあったり、物凄くうまい伏線があったり、物語自体が多重構造になっていて、どの視点から見るかで、物語に対する感想が全く変わってしまったりする。

この手の映画の問題点は、映画を見る事が、読み解く事と同じ意味なので、何かをやりながら見る事はできないんだよね。

上述の作品が人に進めたくてしょうがなくなる映画なら、こっちは、見た人と議論を交わしたくてしょうがなくなる映画と言う感じ。

 

〇気楽に垂れ流して見る事ができ、且つ繰り返しの鑑賞に堪えるもの。
内容的に重くなくて、面白くて、気楽に何度も見る事が出来る映画。「タナカヒロシのすべて」「有頂天ホテル」「帝一の國」「図鑑に載ってない虫」「自虐の唄」「転々」「デトロイトメタルシティー」とか。洋画なら「UMA」とか、「バタリアン」とか「ジェーンドゥの解剖」とかかな。

ホント、気楽に見る事が出来て、しかも面白い。初見では、何にも面白くなかったような気がするんだけど、気が付いたら、何度も見てしまってて、実はメッチャ大好きになってた。と言うパターンもあったりする。実は、一番なかなか出会えないんだよな。三木聡って監督の作品は、ほぼ全てこれに当てはまってて、全部大好きだ。

三木聡監督については、テレビドラマも同じく大好きで「時効警察」も「熱海の捜査官」も、もうどれ位繰り返し見たことか…

この映画については、誰に話すわけでもなく、一人でひっそりと見て、いつもニヤニヤさせてもらっております。ホント面白いんだよ。

 

ちなみに、と言うか、その中で特に別格なのが、宮崎駿監督の映画。これについては、上記3つ全てに当てはまる。

初見では引き込まれるように見入ってしまって、しかも、繰り返し見てるうちに新しい発見がたくさんあって、かと言って、垂れ流して見ても全然楽しいと言う、全方位完璧な作品だと思う。

「ファイトクラブ」とか「ずかちゅー」とかも、若干その気があるけど、やっぱり別格は、宮崎作品だよな。

アニメと侮る事はできないです。

あと、意外と好きなのが、松本人志作品だったりもする。

特に、「さや侍」とか、結構繰り返して見たかもしれない。

まぁ、ただ映画見るの好きなおっさんが、ダラダラ見て、ダラダラ話してるだけなんだけどな。

そして今回、紹介した中で、圧倒的に繰り返して見た映画。

「タナカヒロシのすべて」。

名作なのかは分からないけど、こんなに繰り返して見る事が出来る映画は他に知らない。

レトロな音楽、物凄く悲しい物語なのに笑えてくる絶妙な演出、そして、最高にカッコよかった頃の鳥肌実、細かい小ネタ、ゆるいテンポなど、色んな所が大好きなんだ。

あくまでも、オレの感性で。

この記事を見てみる  ⇒
2019年4月23日 2:34 CAT :

ここ最近マンガレビューをツラツラと

オレの体の中でできたものと、嫁の体でできたものがくっついたら、新しい生き物が出来た。

と言う、この事実が未だに良く分からない。

何で、そうなったんだろうと不思議でしょうがない。

でも、子どもが可愛くて仕方がないので、それで良いと思います。

何と言うか、子どもがもう1人居たらなとは思わないんだけど、カワイイ赤ちゃんを抱っこしてヨシヨシしたい。

今は、まだ子どもたちが寄ってきてくれるけど、子ども達がもう少し大きくなって、独り立ち的なことになったら、ネコとかを飼うような気がする。オレも。

そういう事なのか。

とすごく納得いきました。はい。

さてさて。

ジャンプ読まなくなって、もう結構久しい。

ハンターハンターが載ってるときだけ、ジャンプ買ってるけど、それでも、もう読むものはワンピースくらいしかなくなってしまった。

だって、「こち亀」も「ブリーチ」も「ナルト」もないんだもん。

と思ってたけど、最近、「ファイアパンチ」で衝撃を受けた藤本タツキ先生の「チェンソーマン」が面白い。

ジャンプ最後の良心だ。単行本もちゃんと買った。

チェンソーマンが打ち切られたら、もうジャンプとは本格的にさようならだと思う。

そもそも、30超えたおっさんが「少年」ジャンプ読んでるんじゃねえよ。って話か。

でも、色々マンガは読んでる。

ここ最近買ったマンガなどを少しだけ・・・

 

 

〇暗殺教室
最初の方の、学園もの展開はチョッと読んでて辛い感じもあるけど、最初からしっかり作りこまれた物語だけあって、10巻くらいから以降は完成度が凄まじい。メッチャ面白い。構成も完璧で、何度も読みなおしたくなる。展開自体も王道で、読みやすい。しかも、チョッと考えさせられる。ホント名作だと思う。

 

 

〇ボーイズオンザラン
映画を見て、メッチャ面白かったので、原作も読んでみたくなって、全巻大人買いした。映画は原作で言う第1部で、第2部は第2部で青山君の変わり果てた姿とか、本当のヒロイン花ちゃんとか、源との戦いとか面白い部分も結構あるんだけど、サラリーマンの哀愁とか含めて、第1部の方が完成度が高かったかな。そして、終わり方が何となく納得いかなかった。かも知れない。いや、面白いんだけどね。

 

 

〇アイアムアヒーロー
同じ花沢健吾先生の作品。これも、映画がメッチャ面白くて、ZQNが何なのかをもっと知りたくて、全巻大人買いした。ボーイズオンザランよりはかなり面白かったと思うんだけど、だんだん尻すぼみになっていって、最後はチョッとなんだかなな感じで終わってしまった。いや、色々考察出来るので、深みがあって面白い作品だと思うんだけども。浦沢直樹か!!と言う話。

 

 

〇トリコ
女子高生大好きなしまぶー先生の超王道少年漫画。なんか、キンドルの無料枠で5巻くらいまで読んで、面白すぎたのでこれも全巻大人買いした。暗殺教室が21世紀の王道的少年漫画だとすれば、トリコは、古き良き少年漫画。際限なく進むインフレとつじつまの合わない設定、取ってつけたような伏線など、そのどれもがキン肉マン的だけれども、それが面白い。おっちゃんにはすごく安心して楽しめる名作でした。

 

 

〇善悪の屑
web広告でちらちら出てて気になったので買ってみた。何というか、実際にあった事件をチョッと薄味にして描いてるだけで、暴力描写はチョッと目を引くけど、それだけな感じ。ただ、3巻と5巻にある日常回が物凄く秀逸で、そこだけはホント何度も読み直した。この作者さんの日常マンガがあれば、ぜひ読みたいなと思いました。

 

 

〇血の轍
1巻が出た時に、ジャケ買いしてしまった。内容は、今はやりの毒親なんだけど、1コマ1コマを物凄く丁寧に描写していて、読み込めば読み込むほど引き込まれる名作。まだ、完結してないし、どんどん展開が進んでいるので、今、かなり新刊を楽しみにしているマンガの一つ。読み返すたびに新しい発見があるので、何度読み返したことか。

 

 

〇食糧人間
web広告かなんかで1巻だけ試し読みして、続きが気になったので、全巻大人買いした。(このパターン多いけども)よくあるスプラッターものとSFものを組み合わせたみたいな内容なんだけど、全7巻で中だるみせずに結構濃い内容が怒涛のように迫ってくるので相当面白いと思う。特に、最後のオチがこのタイプの物語としては異例なほどキレイでうまくまとまってたので、かなり素晴らしかった。読後感は「刻々」に匹敵するほど最高。アイアムアヒーローもこの位きれいに畳んでくれれば・・・いや、何も言うまい。

 

 

〇星の王子様
有名なサンテグジュペリの名作童話を、奇才「漫☆画太郎」大先生が、忠実に漫画化した屈指の名作。今のところ、何とか連載継続されているので、ただただちゃんと完結されることを祈るばかりです。内容は、オレ程度の生き物が文句をつけれる訳もなく、最高の出来だと思う。と言うか、「星の王子様」の一番正確で正しい解釈はこの漫画だと思う。

 

 

〇聲の形
チョッと前に話題になってて、ずっと気になってた作品。内容としては、しっかり作られているし、テーマ性もあって面白かった。ただ、どうしても主人公が感情移入しずらい。これ作者女じゃねえのかな。主人公の男の考えてることが「女が思う、こうあってほしい男の思考」な気がしてならない。逆に、聾唖のヒロイン含め、女キャラの表現は素晴らしかったけども。

 

 

〇亜人
これも、web広告からの流れで全巻大人買いしたやつ。相当面白いと思う。・・・けど、これについては、ほとんど「寄生獣」のプロットをそのままえどってるような感じ。主人公自体がパラサイトで、サイコパスなところがあり、その相棒がシンイチの人間的な性格と言う完全に「寄生獣」と同じキャラクター配置で、ミギーが人間側に完全に味方して、後藤率いるパラサイトと国を挙げて戦争している話なんだから、面白くないわけがない。ただ、その戦いについては、期待をはるかに上回る方向に展開していくので、本当に目が離せない。これも、新刊が待ち遠しい。。。

 

 

〇マイホームヒーロー
これは、本屋さんでジャケ買い。朝基まさしの漫画はたくさん読んでたので漫画がうまいのは知ってたけど、それにしても、面白さが尋常じゃない。展開が物凄く早くて、1巻の内容が手塚治虫か!って言う位濃い。こんなに濃いのは「へうげもの」以来だ。まぢで。第1部たった6巻(しかも6巻の半分)なのに、何巻にもわたる推理小説を読み込んだかのような展開と内容。正直、まだ第2部は始まったばっかりなので、今後どうなるかはまだわからないけど、今、新刊を一番楽しみにしているマンガ。あわよくば、「6巻で完結しとけば超名作だったのにな」にならずに、「あの第1部を超えてきた超名作」になる事を祈りつつ、新刊をお待ちしております。

 

 

〇異常者の愛。
「食糧人間」を読んでたら何故か「こちらもオススメ」として、表示されてたので、併せて読んでみたら、こっちもメッチャ面白かったので、全巻大人買いした。と言うか、こっちの方がはるかに面白かった。絵柄が個人的に受け付けないかと思ってたんだけど、読んでたらそんなに気にならなくなってた。「聲の形」とは反対に、完全に男目線でキチガイの女の心情を書いてるので、オレが読む分には、ストレスなくワクワク読めた。何より、物語のラストが素晴らしかった。この話は、現代によみがえった江戸川乱歩で一番好きな小説「蟲」だ。ヒロインの三堂は完全に正木愛三だった。そう見え始めた時、久々にマンガで目頭が熱くなった。

 

 

とまぁ、割と最近色んなマンガを読んでおります。

他にも、ダラダラ読んでみて、買うまでもなかったり、面白くなかったものなどもあるけど、上記に上げた漫画はどれも素晴らしい作品だと思う。

いつになっても、夢中にさせてくれるマンガと言う文化は本当に素晴らしい。

いや、ホントにチェンソーマン打ち切られないでくれ・・・5巻くらい出たころに、また、チェンソーマンの感想も描きたいもんだね。

この記事を見てみる  ⇒
2019年4月22日 5:44 CAT :

10年目のキラキラと輝くもの

10年前の今日(4月22日)、「良い夫婦の日」と言う事で、結婚届を出した。

それから、色々あるにはあったけど、結婚して10回目の結婚記念日が来た訳でございます。

10年だってよ。

付き合い始めてから結婚までは5年くらい。

正直な話、結婚前の5年間と、結婚してからの10年では、結婚前の5年の方が色々あったし、長かったような変な感覚になってる。

結婚してからの10年では、子どもが2人増えたと言う、人生において最大級のイベントがあったけれども、それもあって、もう本当に必死の毎日過ぎたんだと思う。

先日、チョッと触れた「ジャネーの法則」が関係あるかも知れないけれども・・・

にしても、この感覚は何なんだろうね。

多分、結婚してからの10年の方が平穏だったんだろう。

結婚前の・・・と言うか、大学卒業してからの数年間の方が、本当に色々あった。

社会に出てから、10の職場を転々とした。

就職して、新しい部屋を借りたのに1ヶ月も経たずに体調を崩して、その部屋を出た事。

半身不随になって、リハビリしてた事。

金もなくて、ただただ嫁と二人、身を寄せる場所もなく、毎日公園の駐車場で時間を潰してた事。

お金がないから、当時600円で食べ放題のランチをしてる焼肉屋さんで、いつも1日1食、夜の分も含めて食べた事。

毎日いた公園の駐車場で仲良くなったネコがいて、そのネコと3人でいつも車の中で寝ていた事。

そのネコにご飯を買っていってあげるお金さえなかったから、コンビニで10円くらいで変なお菓子をいつも買ってあげてた事。

ほぼ毎日2人でハローワークに通ってた事。

どの職場でも結局馴染めなくて、退社ばっかりしていた事。

などなど、今思い出すと、本当にどうしようもなく惨めでしょうがない想い出がもりもりとある。

でも、その時間があったからこそ、今がある訳で、あの時期の事は、嫁ともども誰彼にダラダラ話すようなことはないけれども、二人ではよく話してたりする。

何となくね。懐かしくなるんだよ。

いつもランチを食べに行ってた焼肉屋さんはもうつぶれてなくなっちゃった。

一緒に寝ていたネコだって、もう会う事はできない。

あの頃に戻りたいかと言われると、もう戻りたいとは思わない。

でも、あの頃の惨めでどうしようもない毎日が何かわかんないけど、オレの中でやけにキラキラと輝いてやがるんだよね。

明日、少しの時間だけ、子どもを実家に預けて、嫁と二人で、あの頃の思い出の場所を巡ってみようと、そんな話になった。

最初は、普段いけないようなチョッと良いお店でご飯を食べようとか、二人でお買い物に行って記念になるものを買おうとか、考えてたんだけど、そう言う感じじゃないらしい。

子どもたちの前では、あの頃の思い出の場所で、あの頃の思い出を語るのは、まだ少し早いと言うか・・・もしかしたら、ずっと語らないかもしれない。

ひとつだけわかる事は、次の10年も、一緒にいるだろうと言う事。

まぁ、どちらかが死んだりしなければと言う条件付きではあるのだけれども。

この記事を見てみる  ⇒
2019年4月19日 22:57 CAT :

春を愛し過ぎた人

モンキー・パンチの訃報。

何というか、本当に平成が終わる時なんだ。と、感じたりもした。

昭和からのスターとか、天才がどんどんいなくなっている。

平成からのスターとか、天才はきっと、これから令和の時代にどんどん活躍していくんだろう。

さてさて。

眼鏡を新調した。

前の眼鏡は、レンズの表面が少しはがれた感じになって、変なので。

嫁に「目元が老けてきたから、隠せるようなフレームを」と…ありがたくないアドバイスをもらって、チョッと新しい感じのフレームにしてみた。

お仕事部屋には、もふもふのラグマットを敷いた。

マーシャルさんのアンプを出してきて、譜面立ても新調したので、これで、じっくりとギターの練習もできるだろう。時間があればな。

あと、家の玄関に、開閉式の網戸を設置した。

これで、これからの季節には、ドア開けっぱなしにしても虫が入ってこないだろう。

田舎なので、基本的に、ドアはいつでも開けっ放しなんだけど、これはこれで不用心なんだろうか。

昔っから、だからあんまり気にしてないんだけども。

などなど、いくつか新しく購入したり、買えたりして、チョッと身辺に変化が出来た。

春は、こういう事を何となくしてみたくなる。

そうする事で、なんとなく、心のそわそわ感をごまかしてみる。

季節の中で実は一番春が苦手だったりする。

気候的には、過ごしやすいんだけど、過去のトラウマなのか、何なのか、春になると気持ちが落ち着かない。

不安になってしまう。

春は、別れと始まりの季節。

あまり変化を望んでいない人間にとっては、いつになっても、落ち着かない季節と相成りました。

春が好きな人は、多分、相当ポジティブな思考をしている人なんでしょうね。

この記事を見てみる  ⇒
2019年4月18日 23:12 CAT :

哀しみサンバカーニバル

ギターを弾いてるときに使う筋肉。

漫画を描いてるときに使う筋肉。

トランプでカードマジックをするときに使う筋肉。

キーボードを打ってるときに使う筋肉。

当たり前だけで、それぞれに場所が違うんだよね。

特に、ギターとカードマジックは変な所の筋肉を使うらしい。

最近、手の甲と二の腕が筋肉痛でございます。

さてさて。

世の中には、子ども好きな人と、子ども好きだと周囲に思われている自分が好きな人の2種類がいることが分かった。

今のオレは、誰が何と言おうと、子ども好きな人だ。異論は許さない。ただし、自分の子ども、及び親戚、知り合いの子どもに限るけども。

で、高校生くらいまでのオレは、間違いなく子ども好きだと周囲に思われている自分が好きな人だった。

例えば、親戚の法事とかがあると、子どもと一緒に遊ぶ係を率先して担当して、親戚のおっちゃんとかおばちゃんから「子ども好きの人」だとよく言われていた。でも、その当時子どもの事を本当に好きだったのか。と言うと、チョッと疑問符が付くんだよ。

まぁ、そんな感じ。

では、この2種類を見分ける方法が果たしてあるのか。と言う問題。

取り合えず、「オレ、よく子どもと〇〇するんですよね」とか、そんな話を振ってくる奴は、高確率で「子ども好きだと周囲に思われている自分が好きな人」だと思ってる。

逆に、本人は外であんまり子どもの話とかしないけれども、子どもが「最近、パパと〇〇して遊んでるんだ!」と言っててる場合には、結構な確率で「子どもが好きな人」なんだと思う。

いや、これに関しては確実に偏見だと思う。

思うけれども、何と言うか、割と近くにこの「子ども好きだと周囲に思われている自分が好きな人」がいて、その人がホントに、「自分がいかに子どもに好かれているか」「子どもに何をしてあげたか」と言う話を聞いてもないのに、ダラダラ話してくるんだよ。

何かもう、本当に勘弁してほしい。

自分が人に何をしてあげたかについてを、声高に自慢している人とは、どうしてもあんまり仲良くできないです。

しかも、それが、自分の子どもに対してとか、親戚の子どもとかだと、なおさら。見知らぬ子どもに対してやってたら、それはただの誘拐犯かも知れないし。

「今まで育ててやったのに」と言うやつを知ってる。

「今まで、〇〇円くらいお前に使ってやった」と言うやつも知ってる。

「子ども好きだと周囲に思われている自分が好きな人」なうえに、本当は子どもが別に好きでもなかった場合で、それをこじらすと、こんなことも言うようになるらしい。

オレは、親からそんなこと言われたことないし、親の生き方が「いかに子どもに迷惑をかけずに生きていくか」なので、そこについてはオレも見習って、将来、オレが何か弊害となって、子ども達がやりたいことができなるようなことは絶対に避けたいと思ってる。

老後を子どもに見てもらおうとも思ってない。

でも、時々抱っこさせてほしいな。

と、子どもが成人した後でも思ったりするんだろうか。

娘に対してそれをやると、犯罪になってしまうらしい。

世知辛い世の中ですな。

この記事を見てみる  ⇒
2019年4月17日 22:21 CAT :

感じて叫んで全て脱ぎ捨てて心燃やしてみる

新曲を作って、それを弾く練習をする。のは良いんだけれども、どうしても、弾いてて気持ちのいい曲ばっかりやってしまう。

その結果、最終的に出来上がったときには、差が出来てるんだよね。

前作で言えば、良く弾いてたのは「【無修正】【流出】JK秘密のア ソ コ」「people ⇔ sit」「早退き≠早弾き」あたりで、全然弾かなかったのは「深海親父」「north wall」「KanonCode LoveLetter」辺りか…

今作でも同じような感じになってる。

多分、完成した時には、その分の差異はしょうがないんだろう。

さてさて。

今更ながら、元号が新しくなった。

「令和」。

歴史上初めて日本の古典から取ったという点では、何と言うか、日本人として、チョッと嬉しい気持ちになった。謂れ自体も聞いて、へ~そんな意味があるのか。くらいの感じ。

響きなどについては、まぁ、慣れるたらそんなもんだと思う。

一応、昭和生まれだけれども、ホント昭和の最後の最後なので、平成になったときのことは、正直覚えてない。

でも、多分そんなもんだろう。

これまでにあった文字はあんまり使われないと言う話だったので、昭和と同じく「和」が入ってたのは結構意外だったけれども。

そして、ついでに新札も発行されるらしい。

ただ、それはすぐじゃなくて、2024年ころに。

で。ここまでは良いとして、陰謀論が大好きな皆様におかれましては、この流れで、何となく戦前の日本に回帰し、そして、戦争が始まるような気がしてならないと思う。オレも、何となく、そんな気がしてならない。

流れとしては、大地震があって、怪しい法律が出来て、オリンピックがあって、戦争がある感じか。

戦争の後にハイパーインフレがあって、その時に新札発行があって、円の価値がゴロっと変わった昭和20年代。

2024年ころに第3次世界大戦が終わって、ハイパーインフレが起き、そのタイミングで、かねてより準備していた新札発行によって、円の価値がゴロっと変わる。

自称未来からやってきた人や、一部の人が声高に言ってた、2020年代のデフォルトが本当に起こると言う事なんだろうか。

戦後、それまでの価値観がゴロっと変わり、唯物論がまた復活した未来。

どれだけお金を積んでも、食べ物が手に入らなくなり、そして、次世代の映画監督が「8人の侍」と言う映画で、生産者の強さと人間の嫌らしさを描くようになる。

みたいな感じ。

SNSによる人間選別も行われて、シンギュラリティももうすぐ来るだろうと言う、このご時世にどんな戦争が起こるんだろうね。

「ホモデウス」と言う本によれば、世界の価値が「モノ」や「土地」から「人」に移行した現代では、戦争は成り立たないとかなんとか。

戦争で手に入るのはあくまでも土地やモノ。

だけれども、今の世界において価値があるものは「人」。

確かに、今や、優れた人がいる場所が価値のある場所になりつつあるもんな。

そんな2020年代に起こる戦争とは、どんなもんなんだろうか。

来年あたりに、日本が、国連を脱退して、東京オリンピックが開催できなくならない事を祈るばかりでございます。

「8人の侍」懐かしい・・・

この記事を見てみる  ⇒
2019年4月16日 2:19 CAT :

吐いて捨てるような浮世のロックで収まる疼き

いつからかこの国では、政治的な発言を人前ではやらない事が基本となってしまったらしい。

昔、営業職をやってた時に、「営業先で、野球と政治と宗教の話はしてはいけない」と教わった事を思い出した。

野球と政治と宗教の話については、それぞれの主張が強いため、議論すると喧嘩になるからとか、そんな理由だったような気がする。

日本人はそもそも良くも悪くも協調体質と言うか、もめ事を避けようとするんだよね。

だとしたら、声高に政治批判している人は、日本人じゃないのか。と言うと、そういう話でもないのかも知れないけれども。

何しか、一部の在日朝鮮人さんに誘導されないようにだけは、心掛けておきたいもんだ。

アメリカ嫌いでも良いし、イギリス嫌いでも良いし、タイ嫌いでも良いけど、韓国嫌いだとヘイトと言われる社会だそうです。

そしてオレは韓国嫌いだ。

さてさて。

ヴィーガンと言う人種がいるらしい。

動物性のものを食べないとか、消費しないとかそんなどうでも良い事に命を懸けてる人たちの事だ。

それについて、別に何を言うつもりもない。何のためにそんな事をしてるのか良く分からなけど。

そもそも、人間は雑食性の生き物であり、穀物を食べることでエネルギーとして、植物を食べることでビタミンとかそんな栄養を摂取して、肉を食べることで強い体を作ってる。多分、そんな感じ。間違ってたらごめんなさい。

何しか、それが人間と言う生き物であり、そう考えると、それを拒否してると言う事は、多分、人間と言う生物としての何かが欠落してるんだろうね。

いや、問題なのはそんな事ではないんだ。

例え、ヴィーガンの人が、普通に生きてる人間より平均寿命が短かろうが、そんな事は知った事ではない。

問題なのは、そのヴィーガンさんが、その欠陥的思想を人に押し付けてくることなんだよね。

なぜ、押し付けてくるのかについては、色々と考察出来ることはあると思うんだけど、取りあえず、オレが言いたいのは、「生きると言う事は、命を頂くこと」に他ならないと言う事。

肉が苦手だから、野菜を食べてる。と言う話なら、全然OK。

でも、生き物を殺害すると言う行為が許せないから、肉を食べないと言う思想は、もはや、「生きると言う行為」の否定でしかないと思うんだ。

ちょっと過激かも知れないけど、じゃあ生きなくていいです。とすら思う。

この世に生存しているほぼ全ての生き物が、何らかの命を自分のエネルギーとする事で、生命活動をしている。

それを残酷だというのなら、それはもう生命活動の拒否でしかない。と言う理論は間違ってるんだろうか?

そもそも、オレが一番気に入らないのは、お前ら植物は食ってるだろうが!と言う話ですよ。

オレの家には、庭にも部屋の中にもわんさか植物がいる。

植物大好きなんだよ。植物にだって意思はあるし、命だってあるんだ。

もし本当に生き物を殺すことに反対しているのであれば、なぜ、植物を生き物として見る事が出来てないんだよ。

それはあれですよ。

牛や、豚はガンガン殺すし、何だったら、フォアグラみたいな虐待しないと作れないような食材を食べるくせに、イルカとクジラだけ何故か守ろうとしている、どっかのシーシェパードさんと同じじゃないか。

スティーブ・ジョブズって人は、木の実しか食べなかったらしい。

植物も生き物だから、殺すわけにはいかない。と思ってくれた偉大な人なんだろうか。

木の実って植物の子どもの卵ですよね。

それOKだったら、バロットもOKだ。

クリックで参考画像(一応、グロ画像なので配慮して…)

これも、鳥の子どもの卵だからね!

生き物を差別するんじゃない。ベシベシだ。

植物にだって感情もあるし、意思もある。何だったら、最近の研究で痛みを感じることも分かってきてるんだ。生き物を殺すことは残酷だ。と言うなら、生き物を差別するなよ。

「じゃあ食べるものがないじゃないか」と、もし言うのであれば、「そうですよ。生きるってことは食べるってことで、食べるってことは命を頂くってことだ。それを否定したら、後は何も食べないで死ぬか、自称呼吸だけで生きてる(↓)のおっさんみたいな生活をするしかないですよ。」と言う話になる

それでも私は動物は食べない!!きいいいいいいいいいいいいいい!!ってなるようなら、それはそれでもう尊重する。

別に、オレは、自分の肉食を人に押し付けたいわけじゃあないから。

ただ、もう二度と人に自分の思想を押し付けるんじゃないと思う。

最近、twitterで流れてた、ヴィーガンさんが作った画像らしい。

人は、これブーメランと呼ぶ。

この記事を見てみる  ⇒
2019年4月15日 21:28 CAT :

生きて、何がある

先日、ふとしたことでFC2ライブを見てみた。

本音では、全く興味がないのにまんこが見たいと言う理由だけで、もてはやす男たちと、そんな方法でしか構ってもらえないからなのか、持ち上げられて満更でもない女と言う、何とも闇な部分を見てしまった気がした。

そんな興味ないだろう。絶対。自分の意思がチョットだけ反映させるAVとか、そんな感覚なんだろうね。

何だろう。

凄く悲しくなった。

さてさて。

先週は、まぢで疲れ果てた。

息子と娘の入学式と入園式が連続してあって、そうでなくてもお仕事がたくさんあって、そして、何故か子どもたちが、一緒にゲームしようと誘ってくれたり、トランプ触ってたり、ギター弾いてたりとか、まぁ、そんな不純な奴も色々あったんだけども。

それにしても、中二病レベルで、「まぢ寝てねえわ」と言いたいくらいに疲労してた。

ただ、それでも、地続きで人生は続いていくわけでございます。

これから何があるかは分からないけれども。

ケセラセラ。

なるようになる。

未来は見えない。

お楽しみ。

この記事を見てみる  ⇒
2019年4月14日 15:56 CAT :

考えがコロコロ変わる

とある博物館に行ったときの話。

そこの博物館では、宇宙の成り立ちとかそんなことからツラツラと説明してくれていて、地球の生物についても、小さな単細胞が生まれてから、少しずつ進化していくすべての生物が展示されていた。

面白いのは、同じような2つの生物を並べて展示して合って、この生物とこの生物の違いは、この部分が進化している事です。こうやって、適応していくんです。

的なことをいちいち説明してくれていた。

そして、展示物が終り、一番最後。

出口間際に書かれていた説明文。

「地球と言う星に生存している生物の99%が同じ先天的な遺伝子異常を持っているため、同じ症状を患っています。それは、死ぬという症状です。」

と書かれてあった。

「先天的な遺伝子異常のため、細胞分裂の過程でどうしても、細胞が劣化し、その結果、死亡してしまう。「老化」と言う病を。」と。

そうか。

オレが死ぬのは、先天的な遺伝子異常のせいだったのか。

何故か、凄く心にストンとその言葉が落ちてきた。

・・・

・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そんな夢を見ました。

この記事を見てみる  ⇒
2019年4月13日 23:05 CAT :

見えなくなるボーダーライン

先日、久々にオレのばあちゃんの家に行く機会があった。(最近では、ひいばあちゃんちとなったけれども)

まぁ、母方の実家ですな。

オレは子どもの頃、妹が年子だった関係で、幼稚園に通うまでの1歳から4歳くらいまでの間、ほぼすべての時間をこのばあちゃんちで過ごした。

じいちゃんとばあちゃんには、それはそれは大切に育ててもらった。はず。

じいちゃんの方は、オレが小学5年生、10歳の時に亡くなった。

ばあちゃんの方は90歳を超えて、弱ってきてるとは言え、まだ元気。

ばっちゃんには、ひ孫も見せることができたけれども、じいちゃんの方には、ひ孫を見せるどころか、嫁すら紹介できなかった。

みたいな話を、その時に、おかんとばあちゃんとチョッとだけ話した。

じいちゃんは、本当にぽっくりと逝ってしまった。

何となく調子が悪いから検査入院をして、まぁ、大したことないみたいな話になってたのに、朝になると冷たくなってたみたいな感じで、本当に、青天の霹靂だった。

じいちゃんが亡くなった時、オレは(と言うか兄弟は)おかんの職員旅行について行ってて、その宿泊先のホテルで訃報を聞いた。

確か、そのままバスで近くの駅に寄ってオレたち家族だけ降ろしてもらい、旅行の途中で帰ってきた。

その帰路では、何が起きてるのかほとんど理解できなかった。

家に帰ってきて、ばあちゃんちに向かい、ばあちゃんの顔を見た時初めて、事態を把握して、ばあちゃんにしがみついて、それはそれはわんわん泣いた。

オレが記憶してるのは、そんなところなんだけど、この話で、未だにメッチャ後悔していることがひとつある。

旅行に出る前に、おかんがじいちゃんの入院先に旅行へ行く旨を伝えがてらにお見舞いに行ってるんだよね。

その時オレも誘われたんだけど、オレはめんどくさいからと言う理由で行かなかった。確か、何かゲームをやりたかったからだったと思う。

そもそも、その時には、チョッとした検査入院だと聞かされてたし、まさか、あのじいちゃんがそんな簡単に死ぬなんて思いもしなかったから。

あの時、お見舞いに行ってたらじいちゃんが死ななかったというわけじゃあないのは分かってる。

行かなかったからどうなったという訳ではないのも分かってる。

それでも、あの時お見舞いに行かなかった事に関しては、未だにずっと後悔してる。

なんでオレは、どうでも良いゲームをやる事を選んだのか。

多分、これまで生きてきた中で、唯一本当に壊滅的な後悔だと思う。

常々、過去に戻れるとしたら戻るかと言う問いに対しては、絶対に戻りたくないと答えるけれども、それでもあの小学5年生に戻れるのなら、悩むかもしれない。

振り返ってみた時に、こんなオレには出来すぎた良い人生だと、今の時点では思ってる。

それは、これまでの数限りない選択肢を奇跡的に良い方向にばかり選んだ結果な訳で、もし、過去に戻ってしまったら、もう2度とこの人生は体験できない。

それを天秤にかけてでも、戻る事を選ぶかもしれないくらいの後悔。

分かりにくいかもしれないけども、その位の後悔が1度だけ人生においてある。

今日出来ることは明日でもできる。

明日でもできることは多分、明後日でもなんとかなる。

でも今日しかできない事は、必ず今日やる。

これだけは見極めようと、あの時から思うようになった。

今でもそう思ってる。

今やっていることは、今日しかできないのか。

この視点が何よりも大切な事なんだと。

あとは、いくら忙しいとはいえ、ばあちゃんにももっと会いに行って、他愛もない話を色々したいな。

この記事を見てみる  ⇒
2019年4月12日 2:05 CAT :

君にジュースを買ってあげる

新曲のギターリフと、ギターソロなどを色々考えてる。

何曲かは、ある程度形になってきた感じ。

しかし、昔はこの辺を全部コード進行だけ決めて、アドリブでやってたんだよな。それに比べると、良くも悪くもちゃんと作りこむようになったもんだ。

ただ、昔のような二度と弾けないけど、奇跡的に良い出来と言うものはなくなってきた気がする。

全体に小粒になりつつある。

それはそれで悩ましい所ですな。

さてさて。

娘と息子が、無事というか、何と言うか、それぞれに入園と入学した。

娘の方は、小学校なので、一人で学校までの登校や、新しい環境での生活に。

息子の方は、初めて親を離れて一人幼稚園で色んな事をやっていくことに。

それぞれにメッチャ心配でゲロ吐きそうなんだけど、無事に家に帰ってきたときには、尋常じゃなく感動してしまう。

こんな親なのに、子どもたちはちゃんと成長してくれている。

反面教師だとしても、嬉しいんだよ。おっちゃんは。いや、お父ちゃんは。

オレが子どもの頃にも、両親はこんな気持ちだったんだろうかね。

自分の子どもの頃と、今の子どもたち(特に、息子の方)を比べてみる。多分嫁の血が入ってるからだろうけど、オレの子どもの頃よりもよっぽどちゃんとやれていると思うんだ。

まず、友達がいて、ちゃんと協調して生活できている段階で、もうオレよりもちゃんとしている。

オレは、確実に今の社会なら、ADHDとか発達障害とか、そんな称号をもらえていただろうし、その上オレは子どもの頃、アトピーは酷いわ、ぜんそくで入院するわ、心臓は右脚ブロックで精密検査をしょっ中受けなきゃいけなかった。

カラダは弱いし、友達とうまくやれないし、じっとしてられないし、ズッとティッシュを口に含んでたし、指吸いが尋常じゃなくて水ダコが指に出来てたし・・・本当に絶望的な子どもだったと思う。

なんだったら、今でもジッとしてられないので、先日の息子の入園式での写真撮影でも、3歳の息子よりジッとしているのを我慢できなかった。

何が言いたいかと言うと、こんなどうしようもないオレでも、子どもはちゃんと育ってくれているんだということだ。

いやね、先日、「自分はダメな奴だから、子どももまともになるわけないから、子どもはいらない」と言ってるやつの話を聞いたもので・・・

お前がダメだとしても、子どもがダメとは限らねえんだよ!!と言いたくなっただけでございます。

ただの親バカなのかもしれないけど。

でも、確実にオレの子どもの頃よりは、ちゃんとしてると思うんだけどな…

あと、それとは関係ないけど、子どもに一人で色んな事をやらせると言う事は、子どもの世話を色々やってあげる事よりもはるかに精神的負担が大きいことが分かった。

過保護と言われる親のやり方は、実は、親本人にとって最も楽な方法なんだと思う。

そりゃあオレだって、子ども一人で小学校まで登校させるより、毎日車で送り迎えしてやる方が、絶対楽だっつうの。

息子が広げたおもちゃを息子に片付けさせるより、オレが片付けてやる方が全然手間かからないっつうの。

その大変さはあるんだけど、少しずつ出来るようになっていく子ども達を見ている分に、この大変さも意味があると思えるようになってきた。

まぁ、もちろんオレより、メインで子どもと接してる嫁の方が苦労は色々してるんだけどね。

この記事を見てみる  ⇒
2019年4月10日 23:29 CAT :

カムチャッパもパリもはるかに超えて見たことのない休みの国へ

メチャクチャ喉が渇いてた。

なので、氷をたくさん入れたコップで水を何倍も飲み干した。

それでものどの渇きがおさまらなくて、氷をガリガリと食べ続けた。

喉が渇いた時特有の、水を甘く感じる、あの感じを味わいながわ、それでも、いくら飲んでものどの渇きはおさまらない。

そんなオレを見て、嫁が言う。

「夢と現実は、表裏一体でつながってるから、片方で喉が渇いていたら、もう片方がどれだけ水を飲んでも、渇きは直らないんだよ」と。

そして、「早く、もう一つの方でも水飲んできな」と。

そこで、目を覚ました。

メッチャのどが渇いていた。

夢と現実は表裏一体。

物凄く面白い話の設定だと思ったんだけど、これは、多分よくある設定でもあるんだよね。

少し時間をおいて考えると、使えないな。と思った。

昔なら、時間をおいて、考えたりしないで良いと思ったら即何らかの形にしてたのに。

年をとるというのはそういう事なんだな。

この記事を見てみる  ⇒
2019年4月9日 8:03 CAT :

退屈な人生を黄金に塗り替えて

そもそもの出会いは、三柴理ことエディーだった。

筋肉少女帯キチガイになっていた学生時代。ナゴムも含めた全ての音源を手に入れたオレは、それ以外のかつての筋肉少女帯メンバーが参加している楽曲すら全て揃えようと躍起になってた。

そんな中、80年代の筋肉少女帯を支えた名バイプレイヤーエディが参加しているバンドを2つ見つける。

「陰陽座」と「犬神サーカス団」。

早速、それぞれのアルバムを買った。陰陽座の「赤熱演舞」と犬神サーカス団の「暗黒残酷劇場」(エディーが参加してたのは、「レクイエム」だったんだけど、それはDVDシングルでまだ「神の犬」は発売前だったので、取りあえずアルバムを1枚買ってみようということで)。

正直な話、陰陽座はカッコいいんだけど、そこまではまらなかった。なので、「鳳翼麟瞳」以降は買ってない。

でも、もう一つのバンド「犬神サーカス団」はやばかった。

それはもう既存の価値観が吹き飛んでしまうくらいの衝撃だった。

未だに、この筋肉少女帯級の衝撃を受けたバンドは、犬神サーカス団だけだと思う。ほかにも、衝撃を受けたバンドはたくさんあったけど、とにかく桁違いの衝撃を受けた。

すぐさまに、その時手に入る全てのアルバムを手に入れた。どうしても手に入らなかった「御霊前」は、ヤフオクで2万円以上使った手に入れた。

中でも「地獄の子守唄」と言うアルバムは、その禍々しさと完成度が群を抜いていて、まぢで失禁レベルの衝撃を受けた。

それ以来、ずっと追い続けてきた。

ライブの物販で本人と話しできた時には、あまりに感激して涙がこぼれてしまった。

それから15年以上…

メジャーに行ってチョッと毒が薄れた時も、インディーズに戻ってまた毒が復活した時も、マーシープロデュースじゃなくなった時も、改名してから一発目の震え上がるほどの傑作「恐山」を聴いた時も、全てをリアルタイムで経験して追い続けてきた。

持ってなかった「夜が終っちまう前に」も再販した奴をライブの物販で買ったので、多分全てのCD、DVDを持ってる。

15周年記念の「籠の鳥」を得て、20周年の時の「絆」でこんな感じで来たか…と思った。

そして、25周年。満を持して放たれた新曲「GOLD」。

正直、ここ数年の犬神サアカス團の方向性には少しついていけなくなっていた。けれども、この曲はそれでもなお素晴らしい。

何が凄いって曲調は、ポップなんだよ。今の犬神サアカス團なんだよ。でも、至る所に細かく、かつての犬神サアカス團が見え隠れするように作られてるんだよ。

「地獄の子守歌」の系譜にあるだろう和風ロックンロールの集大成的楽曲「籠の鳥」。

かつての名曲たちの歌詞が引用された20年の歴史全てを網羅した楽曲「絆」。

そして、これらの曲を踏まえた上で進化した犬神サアカス團があえて、かつての自信のスタイルに戻すのではなく、少しだけ寄り道する事で、バンドの歴史と存在感を発揮した楽曲。それが、新曲「GOLD」なんだと思った。

いや、実際に、メンバーの皆さんがどんな気持ちをこの曲に込めたのかは分からない。

オレの妄想なので、これがあってるかもわからない。

ただ、オレは、そう感じた。

正直「GOLD」以外の全ての楽曲を持ってるので、今回のベストを買うのはどうしようかなぁ~とも思ってたんだけど、この1曲のためにも買う価値は十分にあると思うんだ。そのくらい素晴らしい新曲だった。

そもそも、お布施的な意味も込めて全ての音源を買うことは、15年以上前に始めて出会った時から決めてることなので、そもそも悩む余地なんかないんだけどね。

しばらくは、YOUTUBEでこの曲を聴きながら、アルバム発売を待つことにいたします。

6月4日発売らしいです。

購入特典とかあると思うので、それが分かるまで予約は少し我慢しておこう。

この記事を見てみる  ⇒
2019年4月8日 23:50 CAT :

ただ苦手なタイプだな

好きな情景がある。

オレが昔から表現したくて仕様がない情景がある。

前にも、チョッとブログでふれたことあるような気がするんだけども・・・それが「そこはことない哀れ」。

これだけ書くと、何ともイマイチ伝わらないと思う。

これに関しては、完全にオレの感覚になってしまうので、うまく書き表せないんだけども、「どうしようもなくなった人生のどん詰まりにおいて、それでもなお懸命にもがく姿こそ、何よりも美しい」とか、そんな感じ。

ヘンリー・ダーガーと言う人が過去にいた。この人についても、過去にブログで書いた事ある。

この人は、生涯において、誰からも認められず、気にもかけられないまま、人生を終えたんだけど、その間、誰に見せるわけでもなくズッと、一人で小説を書き続けていた。

何と1万5千ページ。これは世界最長の長編小説になるらしい。

そこまでの情熱を傾けつつ、それでも、世界からは恐ろしいほどに無視され続けたこの人の人生。特に、その最後の方なんかが、物凄く美しく感じる。

お分かりいただけるだろうか。

この感覚を、圧倒的なセンスで表現した作家と言えば、間違いなく江戸川乱歩だと思う。

何度読んでも、泣いてしまう名作「蟲」に出てくる正木愛三も、オレの思う最も美しい人の一人。

自分で、この感じを最もうまく表現できたと思ってるのは、5年くらい前に作った「王道軽傷」ってアルバムに入っている「おもちゃはおもちゃ箱へ」と言う曲。

若い頃、自分の将来のことなど考えずに、ただただご主人様の言われるままに、肉体を改造され続けたM女奴隷が、年老いて、ご主人様を亡くしたあと、絶望しつつも、自分の存在価値を問い続けるとかそんな感じのお話し。

思いついたときは、鳥肌が立ったけど、ある程度満足できる形にするまでに1年近くかかり、結局、「王道軽傷」収録の曲の中でも最も難産となったけれども、その分、今聴いても、素晴らしいなと思う。いや、まぢで。

何でこんな話をしたかと言うと、「王道軽傷」以降、まともに曲作りしてなかったけど、今、製作中のアルバム「不良債権」で久々に、曲をたくさん作った。

となると、このオレの思う美しい情景を表現したものも一つは作りたいなと。そう思うわけでございますよ。

タイトルは、今回作った曲の中で一番最初に出来上がった。「五木振男の人生」。

内容も大体は決まってた。

でも、お約束とでも言うか、そこから先がかなり時間がかかった。

その歌詞とメロディー部分、全体の構成が今日出来上がったということなんだよ。ほかの曲は全部、デモまで出来上がったる言うのに。

やっぱりこうなったか。という感じ。

もちろん曲として全然形を成してないので、まだ何とも言えないけれども、歌詞自体は、「おもちゃはおもちゃ箱へ」に匹敵するくらい良いものが出来たと思ってる。

構成もこれまであったようで、無かったようで、やっぱりあったような感じになるだろう。

10分近い大曲になりそうな気がする。(歌部分だけ仮に撮った奴でも5分近くあったし)

「不良債権」収録予定の11曲の中で一番お気に入りになるだろうと、今から期待しているので、ぜひ出来上がった暁には、聴いてもらいたいです。

これはスゴイ自信作が出来たよ。うむうむ。

取り合えず、水着の女の写真でアクセス数でも稼いでおこう。

この記事を見てみる  ⇒
2019年4月7日 15:34 CAT :

次の夢を見るための眠り姫

3月の再開後からブログを基本的に、1日1記事書きたいなと思っております。」

とは言え、色々あって、書けない日もあるだろうから、実はこっそり、予約投稿でいくつか記事のストックを貯めている。

それでも、気が付けばもうストックがなくなってしまい、少し無茶して、1日に3つくらい記事書いておこうとか、無駄なあがきをしているんだけど、いったいいつから、こんなに時間が経つのが早くなってしまったのか・・・

これを「ジャネーの法則」と言うらしい。

年を取ると、時間が経つのを早く感じるようになってしまうというあれだ。

この「ジャネーの法則」が物凄い勢いで、今オレに襲い掛かってきている。

10年以上前になるんだけど、その頃には、このブログの記事を1日に2件とか書いてる時期があった。

書くネタは、今でも結構あるにはある。

でも、あの頃と絶対的に違うものがある。

あの頃は、「そろそろブログでも書くか~」と思うタイミングが、1日に2回ほどあったと言う事。

今の1日は、十年前の半日よりも短くなっているらしい。

どうするんだ?これ?

人間はある瞬間から、死に急ぎ始めるのかも知れない。

10年前と今とで比較してみると、家族が出来て、子どもが生まれた。

もし、生物としての最終目標が子孫を残すことであるのなら、子どもと言う形で自分の遺伝子を残せることが分かった瞬間から、生物は死に急ぎ始めるのかもしれない。

セミが1週間しか生きられないというのは、よく聞く話だけれども、セミは、幼虫として数年間生きるんだよね。

セミだって、子孫を残せたら後は死に急ぐんだ。

生きる事のほとんどは、子ども時代なのかもしれない。

ソースないけど、以前何かの論文で、人間における体感時間は、人生を90年としたときに、17歳で半分を終えるとか書いてあるのを見た。

もうオレも人間としての体感時間では、人生の4分の3くらいは終わってるんだろうね。

死に急ぐことはしたくないけれども、どれだけ生き急いだとしても、もう昔のようなペースで何かしらをやる事はできなくなった。

だからこそ。

だからこそ、1日に1件くらいはブログを書きたい。

そんな矜持を持ってもいいじゃあないか。

これは、絶望するような話ではないのだから。

この記事を見てみる  ⇒
2019年4月6日 20:39 CAT :

世界ふしぎ発見伝

中二病だった。

中学2年生頃の思春期に見られる、背伸びしがちな言動を自虐する語。転じて、思春期にありがちな自己愛に満ちた空想や嗜好などを揶揄したネットスラング。

とウィキペディアにはある。

初めて提唱したのは、伊集院光さんらしい。

オレは誰にも負けない中二病だった。

いや、多分、この世に生きるほとんどの男が自分の中学生くらいの頃に対して、それを思っているだろう。

オレの場合でも、実際の中二病的な行動は枚挙に暇がない。

ちなみに、知らなかったけどウィキによれば、中二病には3つのタイプがあるらしい。

DQN系
反社会的な行動や不良を演じ、格好いいと思い込んでいる。根は真面目であったり、臆病であったりするので本当の不良にはなりきれない。喧嘩や犯罪行為に対する虚言が多い。「DQN」とは「反社会的な人」や「迷惑な不良系」を表すネットスラング。

サブカル系
流行に流されずマイナー路線を好み他人とは違う特別な存在であろうとする。別にサブカルが好きなわけではなく他人と違う趣味の自分は格好いいと思い満足している。

邪気眼(じゃきがん)系
不思議・超自然的な力に憧れ、自分には物の怪に憑かれたことによる発現すると抑えられない隠された力があると思い込み、そのような「凄い力」がある自分を妄想し、悦に入る。また、そういった設定のキャラクター作りをしている。

オレはどれだろう・・・と考えるんだけど、何と言うか、どれにも当てはまらない。

サブカルについては、皆がジャンプ読んで嬉々としていた時にアフタヌーン読んで「無限の住人最高!」ってなってたけど、元々サブカルなものばかりを愛でていて、中二病ではなくて、真正だったと思う。今でも、サブカル界隈が大好きだし。サブカルと言うよりはアングラに近いけど。

超自然的な力にあこがれてわけでもないし、反社会的な事は怖くてできなかった。

でも、圧倒的に中二病だったと思う。

オレの場合、多分「超自己愛系」だったと思うんだ。

中二病の基本的な部分はもちろん網羅してた。

読む本は江戸川乱歩とか寺山修司だったし、聴く音楽はヴィジュアル系だった。洋楽に走らなかったのがせめてもの救いかも知れない。

ちゃんと政府批判もしたし、自虐史観のお陰で日本人は滅び去るべき民族だと思っていた。

何となく、自分の中にいくつかの人格があるような気だってしていた。

カッコいい横文字の名前をこよなく愛していた。特に、聖書に出てくる「ゴルゴダの丘」とか「ロンギヌスの槍」とかそんな言葉を愛用していた。

そのうえで、自己愛が尋常じゃなく強かった。

自分で作る作品こそこの世で最も至高なものだと信じて疑わなかったし、自分で書いた漫画の最後のページに、自分でライナーノーツを書いてた。もちろんサインも開発した。

作品の中では、王道なものを否定して、アングラなものをひたすら書き続けた。

そのままの流れで、自分の作った物語を人前で披露するために、演劇と言う形をとったり、バンドを結成したり、小説を書いたりし続けた。

ピアノは元から習っていたので弾けたけど、それ以外にも、ギターとかベースとか弾けるように頑張ったり、劇団を主宰しようとしたり、書いた小説とか漫画を色んな出版社にもっていったり・・・

自分の作るものが最高であり、自分の考えこそ、この世の何よりも優れていると信じて疑わなかった。

オレを否定する人間は、理解力に乏しい程度の低い人間だと見下していた。

そして、質が悪いのは、オレの考え方に否定的な奴に対しては、とことん理詰めで追い詰めた。泣き始めるか、オレに賛同するまで許さなかった。

一緒に運動会の委員会になった奴と礼の仕方でもめた時にそいつが泣くまで追い詰めたこともあった。

クラスのスローガンを「きなこもち」にするために、クラス全員が黙るまで全ての意見を叩き潰していったこともあった。

その結果、お友達らしい人はほとんどいなかった。

でも、それさえも、オレの圧倒的な才能に低能なクラスのやつらは誰一人ついてこれないと思っていた。

質が悪いのは、今でも、この感じのまま大人になってしまってることなんだけども。。。それはまた別の話なので置いておくとして・・・

ふと思ったのは、こんな典型的な中二病のオレの記憶は、本当のものなのかと言う事。

自分で勝手にねつ造してねえのか?これ。

例えば、99%の男が自分の中二病的黒歴史を持ってると思ってる。

でも、オレの記憶みたいに、クラスの全員を見下してて、その反動で友達がいなかったような奴、クラスにいても1人か2人だったよな。

それ以外のやつは、普通に生活してて、友達もいて、人気のドラマとか見て、流行りの歌聴いてなかったっけ?

と。

中二病と言うのは、自分自身の学生時代があまりにもさえなかった奴が、かつてそうあった事を恥ずかしがりつつ語る負の武勇伝的ねつ造ではなかったのだろうか。

そう思えてならない。

特に、30超えて、オレみたいに、昔はめっちゃ痛い中二病だったんだよ。というやつ。

もっとひどいのは、30とか40歳になって中二病みたいにふるまってるやつか。

だとしたら、疑問が一つだけある。

なんでオレは、同窓会とかに呼ばれないんだろうね。

なんでオレの中学・高校時代を知ってるやつは皆、オレの事をなかったかのようにふるまうんだろうね。

世の中には不思議なことがいっぱいある。

こういう写真(↑)撮りたがる奴を特に「中身のない右に倣えの能無し野郎」と思っていました。

この記事を見てみる  ⇒
2019年4月5日 23:41 CAT :

people ≠ sit(人類は座らなければならない)

お仕事柄と言うか、何と言うか、自分の出来る出来ないだけで判断できないものが結構多々ある。

そんな時は、ひたすら勉強勉強で、その結果、何とかなってる感じ。

その繰り返しをやっているうちに、出来るわけないと思ってたことも、普通に出来るようになって依頼を受けても「あのパターンね。はいはい」になる。

そうやって気が付けば、結構レベルアップしてたりする。

そして、それに気が付いたとき、ちょっと嬉しくなる。

んだけども、申し訳ないのは、最初の頃、勉強しながらこなしていた時に依頼をもらったクライアントさんに対して。

もう何と言うか、無料で全部ちゃんとやり直してあげたいとか思ってしまう。

でも、そんな事出来るはずもなく、常にモヤモヤしてるんだよね。

人生とは、常にお勉強だと思ってる。

ずっと足踏みとかで、何が楽しんんだ。

常に出来ることが増えていく。そんなのが楽しいんじゃないか。

気が付けば、色んなことが出来るようになったと思う。我ながら。

学生時代。とにかく勉強が嫌いだった。

何とかして勉強をしないで済む方法ばかりを考えていた。

ただ、思い返してみれば、その頃でも自分の興味のあることに関しては、狂ったように勉強してたよな。

と言う事で、そういうやつは「勉強」じゃなくて「学習」なんだということにした。

強いられてやるものには興味がないけど、自分から学んでいくことは好きなんだと思う。

訂正。

人生は常に学習なんだと思ってる。

学ぶこと。何かができるようになる事の楽しさについては、子どもの頃から変わってない。

そして、今、子どもたちがどんどん色んな事が出来るようになっていってる事に日々楽しんでいるのを見て、大人になってもその気持ちは持ち続けろよ~オレみたいにな!と思ってる。

大切なことは、そんな程度の充実感なんだよ。

病んでいる場合はないのです。

多分な。

そして知っている。

本当に病んでるやつは、「気分が沈んできた」とか「病んでる」とか自分では言わないことを。

そういうことを自分で言ってるやつはただの「かまってちゃん」か「中二病」だということを。

この記事を見てみる  ⇒
2019年4月4日 10:21 CAT :

「君死に給うことなかれ」の逆の言葉は「お前さっさと逝っちまえ」

先日、健康診断に行ってきた。

考えてみれば、退職してから、がん検診に一度行っただけで、全く行ってなかったんだよね。

先日、お世話になってる社長さんからも「体が資本なんだから、ちゃんとメンテナンスしないと」と言われたりもして、健康診断受けることにした。

ちょうど、嫁がチョッと体調崩してて、色々不安になったりすることが重なったこともあって、2人で受けてきた。

数年ぶりなので、チョッとドキドキはしてたけど、嫁ともども、多分異常なし。

血液検査とか、後日分かる奴もあるけれども、取りあえず、「これやばいやつ!」ってのはなかったと言う事だと思う。

考えてみれば、車には、結構なメンテナンス費用を払ってるのに、それに乗ってるオレ自身のメンテナンスはしないというもの変な話だと思いなおした次第でございます。

しかし、4月は相変わらずお金がうんこみたいに飛んでいく。

1年かけて貯めたお金が3月4月でボコボコ減っていって、残った雀の涙が昨年一年の貯金と言う感じ。

去年は、引っ越しで100万ほど吹き飛んだので、大幅な赤字だったけど、今年は、多少貯金できるか。いや、出来ると信じたい。

問題なのは、これから仕事を更に増やして収入を増やすべきか、今くらいの仕事量で、のんびり生きていくかと言う事か。

家族とか、遊びとかを犠牲にして、仕事にまい進するという選択肢はあまり求めていないので、それはそれとして、悩ましい所ではあるんだよね。

先日、人生の動画見てたら卓球が「休業中は、万引きや恐喝などのインディーズ活動に頑張ります」って言ってた。

取り合えず、電気グルーヴの人って、そういう人だということを忘れないでほしい。

そのうえで、この顔。メッチャ面白いと思うんだけど、それは不謹慎なのか?

この記事を見てみる  ⇒
2019年4月2日 23:13 CAT :

プリンセス駄馬

前作「公共事業」を作ってから、3年ぶり!だと思ったら、以外にも2年ぶりだったけれども、「ヤンディール制作(所)」の新しい音源「不良債権」の制作を始めた。

正確には、今年の初めころに曲を書き始めて、全部の曲作りが終って、最初のレコーディングをやってきたという感じ。

取り合えず、ドラム部分と、上に載せる基本的な部分は出来上がったので、後は、ここから時間をかけて、ギターベースの編曲作業とボーカル部分のアイデア出し、小ネタ作りをやりつつ、練習して、煮詰めていく。

で、最終レコーディングを何日かかけてやった後は、ミックスとマスタリングして完成か。

今回はオレの作った曲もいくつかあって、多分「小児麻痺と青空の世界」位のボリュームの曲「五木振男の人生」とか、「people ⇔ sit」の続編になるだろう「異端者の讃美歌」とかお気に入りの感じになると思う。

弟が作った方の曲も今回はたんまりあるので、悪い意味でまとまりなくバラエティーに富んだ感じになるのではないかと。

前作は、ほぼ100%イニシアティブを弟に丸投げしてたので、全体的なまとまりは結構あったしね。

今回は、前作の感じにオレの異分子が入ってしまって、ごった煮になったんだと思う。

デモテ聴いてる段階で、ニヤニヤしそうな感じ。

まぁ、それはそれとしても、良いのが出来ると信じてやるのが何より大切なので。

ついでに言うと、ホントに不良債権のように妄想とイメージばかりが膨らんで、結局きれいに回収しきれないような感じがしないでもない。

今までを鑑みても、カントリー調の曲を作ろうとして「タンタン」が出来てしまったり、ゴリゴリのメタル作ろうとして「【無修正】【流出】JK秘密のアソコ」が出来てしまったりするので、思った通りになんて出来た試しなんてない。

人生全て不良債権なんだよな。

何しか、完成を楽しみにしております。

この記事を見てみる  ⇒