(題字 カゲキ・B・志茂田)

ふーふー


自分は何でも出来ると思っていた男がいた
その男は事実なんでも出来て そしてそれが誇りだった
ある日1人の少女に出会った
少女は何も出来ないダメな少女だ

その少女は実は何でも出来てしまう ダメな少女で
男は自分の誇りをダメな少女によって 傷つけられたのだ
その日から男の腕には傷が次々と増えてゆき
碁盤の目上のその腕はよく○×ゲームに使われていた

そしてみんな旅立って行きました

あの頃それぞれに絶望と不安を持ち
しかし1人はそれを隠し
しかし1人は挑んで行った
あの頃それぞれに生きる意味を探し
しかし1人は見つけれず
しかし1人は見つからず
やがて大人となり
そして大人となるのだろう

海の水は世界中で泣いた人の涙の総量で
潮が満ちる時は多くの人が泣いている
潮が引くときはみんな笑っているんだ
だから泣くなら満ち潮の夜に泣きなさい
多くの人が同じ空の下で泣いているのだから
海のように気がすむまで泣いたら
それから少し笑えばいいよ
その時はまた会いましょう
もちろん引き潮の夜に会いましょう

何もかもが嫌になった男は
音楽を始めた
誰にも理解されない孤独な歌だ
ロバート・フィリップには遠く及ばない
しかし少女独りに届けばいいと
男は考えるようになった
いつか自分を絶望のふちに追いやった
少女にだけ届けばいいと
「ただただ生きて欲しい」と
「あの頃のように同じステージに上がりたい」と
腕の傷が癒えるまで歌い続けるだろう
いつまでもいつまでも歌い続けるだろう

君に逢えてよかった
うまくは言えないけれど
ありがとうの言葉さえも
大切すぎて言えないよ


2004年6月頃作成


 仁美・mineで作ってきた楽曲の中で、多分一番好きだと言えるだろう曲がこの「ふーふー」。 (違う意味では「Don't 永眠ファラオ」も捨てがたいけど)曲自体が、マァ自分(の痛い部分)を 元ネタとしてる。そういう意味では、「超ニュースチョクホー」の要約版みたいなニュアンスでもあるかも・・・
 生まれてこの方、友達もいないままただ「オレって天才だぜ」って思ってた。それがひょんな事から 人と交わり始め、気が付けば周りの人間の方が凄かったことに気が付いた時、その落ち込み様は なかなかのものだったように思う。
 結局のところ、自分でそう思うことでしか見つけられなかったアイデンティティを 根底から覆される悲しみみたいなヤツだろうか?
 ちなみに中盤。一部「寺山修司」の詩の一説をパクったオマージュした部分あり。
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