月別アーカイブ: 2009年4月

2009年4月30日 10:46 CAT :

散文詩とネコ

うまくは言えないかも知れない事。

それは承知の上で、ツラツラと書いてみる。

オーケンの本の中でも特に大好きな一冊。

「リンダリンダラバーソール」コレまで何度読んで、何度泣いた事か。

そいつの文庫本を見つけたので、意味も無く買ってきた。

単行本だとやっぱり気軽に持ち歩いて、読んだり出来ないものだから、持っていても、文庫本を見つけると、出来るだけ買うようにしている。

お布施です。

特に、大好きな本なら言わずもがなだ。

この「リンダリンダラバーソール」の中でも特に好きなのは「池田貴族」の話。

「池田貴族」・・・

正直、筋少にはまる前のオーケン位にしか記憶が無い。

目の傷の入った人=大槻ケンヂ。

赤い派手な服着た変な人=池田貴族。

位なものだ。

実は、「リンダリンダラバーソール」読むまではもう死んだ人だったって事も知らなかった。

芸能界で生き残るために、悪く言えば節操なく何でもやった汚れミュージシャン池田貴族。

でも、実際に、ガンでもう生きられないと分かった後には、本当の自分を探すかのように歌う事に執着していた。

それも異常なほどに・・・

ココでいつもオーバーラップするのは、オレがもう死んでしまうとすれば・・・と言う話。

一体オレは、最後に何をしたいと思うだろうか?誰と一緒にいたいと思うだろうか?
深く深くドコまでも考え込んでしまう。

池田貴族の最後の遺作「MIYUU」を聴いてみたいな。

ガンと宣告されてから産まれた愛娘の「美夕ちゃん」から付けられたタイトル。

「どうしても娘が3歳になるまでは生きなければいけない。

3歳になれば、覚えていてくれる」とよく言っていたらしい。

「娘のために死ねない、どうしても小学校の授業参観に行きたいんだ」が最期の言葉だそうです。

この記事を見てみる  ⇒
2009年4月28日 22:11 CAT :

一望の砂浜にて・・

スゴく辛いことがあると、昔から海に行ってた。

波の音がそれはそれは心地好くて、それだけで何だか救われたような気持ちになる。

よく海に行ってた頃には、その海でたくさんの物語を作ったり、曲を書いたりした。

アルバム「ウミィマミィ」もそうだし、演劇の「海の底とまぶたのない魚」もそうだな。

海に飛込んで自殺しようともした・・・

夜、沢山の水の近くに行くと魂を抜かれると、古来から日本では言われてきた。

・・・らしい。

夕闇の浜辺では、正気を保てなくなるのだろうか?
繰り返される波の音を聞くうちに、やさぐれた心持ちがいつの間にか落ち着いてしまうオレにとって、では果たして正気とは何なんだろう・・・

疲れ果てて、静かに佇む浜辺では、静かにいつ終わるでもない波の音が永遠に聞こえてくる。

何も見えなくていい。

音を聞けば、それだけで何だか大きな存在が分かってしまう。

不意に見付けた、瀬戸大橋を一望できる小さな砂浜。

いつか、嫁と二人で来よう。

そして、何とは無しにたわいも無い話をしよう。

先日書いた「3年後のお葬式」と言う曲に出てくる、キレイな砂浜。

そのイメージがかっちりはまる場所を偶然に発見してしまった訳だ。

素敵な場所はいつの時も海の近くか、海の見える高台だったな・・・

キッとこれで良かったんだ。

この記事を見てみる  ⇒
2009年4月28日 1:54 CAT :

5/1に高校に演劇講師として行ってくる事に・・・多分なるって話は関係なし。

定額給付金・・・何に使おうかなぁ~
さすがに、ココに来て1万2千円を貯金しても何だか詮無い事だ。

使って景気が良くなるなら、そこを信じて使ってやろうじゃないか。

何に使うかは、現在思案中。

1人の休み。

(嫁が仕事なので・・・)
カメスケの散歩をしながら、「イモデナシ」とか「メイちゃん」の植え替えをしてやった。

んで、実に5年ぶり位におかんと2人で飯を食いにも行ったりした。

普段しない事をいっぱいした今日。

後、ばあちゃんちに行って「太郎」(ボストンテリア・・・犬ね)を散歩しながら、田んぼの真ん中にちょこんと座って、心地良い風に当たりながらボーっとしてた。

ばあちゃんが80年生きて来た中で口癖のようにつぶやく言葉「なるようになる」。

「なるようになる」。

あのばあちゃんがニコニコしながら「無理せんでエエが。

なるようになるわ。」と言うと、それはそれで深いものがある。

同じ言葉「なるようになる」を、ここ数日凹みまくっているオレに対して嫁は何度も何度もオレに言い聞かせた。

この世は「なるようになる」。

だとしたら、色々と今足掻いているオレは何なんだろう?結局は「なるようになる」のに、それを受け入れていないだけなのか・・・

嫁は「大切な事は、毎日を精一杯生きる事」と言う。

オレは、長い時間自分なりに色々足掻いて、苦しんで、少し喜んで、なるようになった結果、今、田んぼの真ん中で風に吹かれて、太郎の散歩をしている。

ばあちゃんが曲がりくさった腰に手を置いてえんどう豆を取ってる。

そんな空間。

オレは、今日を精一杯生きられたんだろうか?
オレが思う「精一杯」がみんなの言ってる「精一杯」とずれてるような気がしてきた。

それを何でもない後姿だけでオレに訴えかけるこのばあちゃんは何だ?コレが年月を積み重ねてきたと言う事なんだろうか・・・

大好きなじいちゃんは、オレが旅行に行ってる間にポックリ死んだ。

最後のお見舞いにゲームをしたいと言う理由で行かなかった事をアホほど後悔した。

旅行先から飛んで帰ってきた時、おかんや親父の準備を待ちきれなくて、1人でチャリンコにまたがってばあちゃんの家に行った。

泣きながらばあちゃんに抱きついた時ばあちゃんが「もうばあちゃんはようけ泣いたから涙が出んけど・・・」と言った事を何だか鮮明に覚えてる。

今でも、ばあちゃんちに行けば、台所のいつものイスにじいちゃんは座ってるような気がする。

今年で17回忌になるらしい。

ばあちゃんは「法事には来いよ」って言った。

家に帰ってきてから、遣り残しの仕事を少しやって、マンガを買いに行って、それを読んで、風呂に入って、今・・・

多分、今日は精一杯生きれた気がする。

この記事を見てみる  ⇒
2009年4月27日 18:48 CAT :

北朝鮮にミサイルをぶち込む会議の末尾として・・・

「RED HOT TV」なるネット配信番組で、筋肉少女帯の特集をやってた。

で、そのBGMが何とマァ超待望の「シーズン2」の楽曲ってんだから、嬉しいんだけれども、まだ聴いていないのに中途半端にBGMで聞いてしまった事が微妙な感じになった。

裏目だ。

こう言う事を裏目と言うんだ。

ただ、それでも「ノーマンベイツ 09」はやばすぎる。

あのクソ名曲を、エディーピアノと橘高ギターで編曲すればこうなるのか・・・と言う奇跡の1曲だ。

ファンとしては、あの1曲だけでも、3000円は高くない。

その上、他にまだ12曲も入っているんだ。

買わない理由など見当たらない。

うんうん。

さてさて・・・

草なぎくん・・・捕まったねぇ~。

しかも、全くほとぼり冷めないの。

未だにヤフーニュースとかでも、トップに君臨してんの。

凄い人気だよな。

・・・いや、まぢで。

酔っ払って、全裸で暴れた。

ココだけ聞いてれば、別に何とも思わないんだけれども、やっぱり芸能人って大変だな。

オレなんか、今ぢゃあ有名になってしまった田口トモロヲさんを、ガガーリンってバンドのライブの時に、炊き立てのお米が入った炊飯ジャーにうんこしたって知って以来大好きになった。

ミン&クリナメンの泯比沙子さんだって、ステージの上で全裸になった上に剃刀で全身を切り裂いたり、セミを食べたりしてたから興味を持った。

「じゃがたら」の江戸あけみさんだって、公衆の面前でしっこしてたから興味を持った訳で・・・と言うか、大好きなピアニストのエディーだって、全裸で自分の肛門のドアップを映しながらピアノコンサートをやってたんでしょ?遠藤ミチロウだって、客にフェラさせるのが定番のパフォーマンスだし・・・

言ってみれば、この人たちは酔っ払った勢いじゃあなくて、素面で自分を表現する方法として全裸で暴れてたんだと思う。

で、それに対して、「素晴らしい」って評価してるオレみたいなヤツがいっぱいいるから、皆伝説の人になったんだ。

今更、酒飲んで全裸で暴れたって言われてもなぁ~・・・

ただマァ、草なぎくんのは、悩みぬいた末の自己表現じゃあなくて、ただ単に酔っ払って暴れただけだから、イマイチ「すげ~」ってはならないけれどどなぁ~。

コレを気に、全裸で暴れるのがライブでの定番になったりしたら、素晴らしく面白いのに・・・

鳥肌実みたいな感じでいいじゃないか。

全裸で拡張機もって、靖国神社内で、ハングル語を使って北朝鮮を罵倒し続ければいいじゃないか。

取り合えず、草なぎくんのファンにはなりました。

この記事を見てみる  ⇒
2009年4月26日 18:27 CAT :

暗闇の中で瞳を閉じる

どこまで行けば「不幸だな・・・」と思えるかを考えてみる。

で・・・

考えてみれば、オレは別に不幸でもなんでもない。

チョッとだけ悲しい事とか辛い事が日常の中に組み込まれているだけだ。

悲しいって感覚も、人それぞれで、同じように「不幸」だと言う感覚も人それぞれ。

何が不幸か・・・

それを考えていけば、なかなか難しい問題だと言う事に気が付いた。

友達が居ない。

金が無い。

毎日が愉しくない。

生きてる意味が分からない。

誰からも無視される。

いじめられる。

今日食べるものにも事欠く。

目が見えない。

足が無い。

頭が悪い。

勉強が出来ない。

思い通りにならない。

余命があと半月。

どこを切っても、不幸ではない。

と、オレは思う。

この記事を見てみる  ⇒
2009年4月25日 18:04 CAT :

死者は手を取り合って踊り明かす

定額給付金。

オレも頂いた・・・らしい。

世帯主名義で渡されるらしく、例えばDVで別居している夫婦とかの場合、全てが旦那の方に支払われるとか。

色んな所でねじれているような気がしてならないけれども、それもまた一興か?
色んな所で、色んな人と話をする。

そんな日々はいかがでしょうか?
ただ話をする。

それだけの事だけれども、意外な事は紋々を1人思い悩むよりもはるかに自分の考えを自分で理解できると言う点。

「どうせ誰もオレの事なんか分かってくれね~よ」と1人思い悩んでいる時には、キッと本人だって自分の事を何にも分かっていない。

自分の考え方を自分なりに口に出した時、果たしてドコまで自分の考えをまとめ切れているか・・・まとめ切れていない以上は、うまく表現も出来ないし、そうなったら自分でも何を考えてるのか分かっていないって話ですよ。

だから、色んな所で色んな人と話をする。

今回の仕事をするようになって、そこの部分の抵抗が昔より減った事が一番の財産だな。

多分・・・

この記事を見てみる  ⇒
2009年4月23日 10:09 CAT :

森山

今営業で回ってる地域には、セーラー服の女子高生がいっぱいいる。

何か、ブレザーでもなくてミニスカートでもない事が逆にそそると言いましょうか・・・ん~嫁とセーラー服プレイしたい・・・マァそれ以前に最近仕事が忙しくてセックスレスだけどな・・・

さてさて・・・

「ウシジマくん」に倣ってオレも「鬱ブログ」でも書こうかと思うほどに、鬱だったりしてる。

昨日、実は良い事があった。

んだけれども、その事でひとり喜んで、嫁を置いてけぼり・・・一緒に嬉しい事も悲しい事も分けあうんじゃなかったのか?何をやってるんだか・・・一人で喜んで一人でダラダラ話してた。

自己嫌悪の毎日だ・・・

この記事を見てみる  ⇒
2009年4月20日 0:23 CAT :

今再び、演劇を始めるや否や

田代まさしのお久しブリーフ・・・面白いと思います。

このまま、ネットタレントとして頑張ってもらっても全然いいんじゃないのか?
さてさて・・・先日、森くんから電話がかかってきた。

森くんって言うのは、数年前の教育実習の時にお世話になったオレの母校(高校ね)の先生だ。

結構面白い先生で、実習生の中で「森くん」と呼ばれて、何気に親しまれていた。

何の話かと思いきや「演劇部の指導に来て欲しい」・・・との事。

実は、去年の部活動再開の時に、その場所として真っ先に考えて行動したのが高校だった。

で、先輩と2人で、高校を訪れて何とかならね~か?と言う話をしたと言う過去があった。

それを思い出してか知らんけれども、森くんの話では「今、演劇部には10人前後の部員がいるけれども、演劇経験者が顧問も含めて全く居ないからどうしようもない」そうです。

で、たまたま近くに住んでて、チョッピリ演劇の事を分かってる(つもり)なオレに白羽の矢がたったみたい。

まぁ・・・面白そうだけれども、仕事がなぁ~。

しかも、今は、時間見つけてはネット関係の仕事の手伝いにもチョコチョコ顔出してるし、大体実際の営業の仕事が全く出来なくて、ヒィヒィになってる。

そんな中で、果たして演劇部を見に行けるんだろうかねぇ~・・・?
取り合えず、森くんには仕事の状態を見てから・・・と言う、日本人の秘奥義「保留」を使っといたけれども・・・ここでやっとけば、今年の夏も演劇部の活動が出来るかなぁ~とか密かに思ったりしております。

しかも、前よりも苦労しないで出来そうだし・・・

社会人になると、こう言う所ホント苦労するな。

マァ、オレは社会人と言えるのかどうか微妙な立ち居地ではあるけれども・・・

この記事を見てみる  ⇒
2009年4月14日 20:56 CAT :

間魔真摩麻痲馬眞摩ま馬真間儘

昨日の「3年後のお葬式」はかなり良い感じに出来上がった。

若干吉田拓郎臭いけれども・・・

歌詞の内容は、こっちで公開してるつもりです。

(↓)
詩集「漆黒の青空」へ
それはともかく、今日は何だかんだと充実した1日を過ごした。

・・・ようで居て、実は不安な部分もチラホラ。

最近、全体的に不安定な毎日だな。

この記事を見てみる  ⇒
2009年4月14日 2:41 CAT :

星ひとつ無い世界でさようなら

久しぶりに「キング・クリムゾン」の「RED」を聴いてる。

やっぱり「スターレス」は滅茶苦茶名曲だ。

さすが、空バカでもカバーされているだけの事はある。

「スターレス」ですよ。

「星ひとつ無い世界」ですよ。

「希望も灰色に色褪せ 激しく焦がれるは 星ひとつ無く 敬虔な闇が広がる世界」。

とは、「スターレス」の一説。

ピート・シンフィールド去った後にしても、「混乱こそ我が墓碑銘」をしっかりと継承している真の名曲だと信じて疑わないよ。

オレは。

それで居て、独特の緊張感は「クリムゾン・キングの宮殿」をも超えるものかと・・・

世の中には凄い音楽もあるもんだ。

と書いた所で、自分の話。

ふと思いつた。

「3年後のお葬式」。

「今 僕が死んだのなら
 3年後 海沿いの小さな斎場で
 当たり前のように お別れしましょう」
そんなフレーズで始まる歌だ。

何か良く分からないけれども、コイツは実に素晴らしいモノができそうな気持ちだけがホンノリと頭の中に有ったり無かったり・・・大体、メロディーラインと歌詞が同時に出て来る時は、良いものが出来る傾向にある事だってオレは知っている。

明日、一人ぼっちでさびしくギターをかき鳴らしてみよう。

キッと何かが出てくるはずだから。

おやすみなさい。

この記事を見てみる  ⇒
2009年4月14日 2:23 CAT :

ムッソリーニファンクラブ会報

営業をする上での致命的欠点がオレにはある。

目線を合わせられない・・・

嫁にもよく「なぜ私の目を見てくれない?」と言われるほど、人の目など見た事が無かった。

どうすればいいのか?誰か教えてください。

と声を大にして言いたい。

この記事を見てみる  ⇒
2009年4月13日 1:30 CAT :

絶望の感嘆へイザナ

あ~セックスしたい・・・

欲求不満ココに極めれり。

仕事に疲れて、オナニーもままなら無いこの惨状でセックスなどもっての外って訳だ。

そりゃあ日本人はセックスレスになるっての。

あ~セックスしたい・・・

「闇金ウシジマくん」と言うマンガを読んだ。

中学生の頃、初めて「寄生獣」を読んで、初めて「カイジ」を読んで、初めて「無限の住人」を読んだ。

高校生の頃、初めて「しりあがり寿」に出会った。

その時の、途轍もない喜び。

言ってみれば「何じゃ~このアホみたいに面白いマンガは~~~!!!」と言う、究極の感嘆。

それ以降、どんなマンガを読んでも「面白いけれども・・・」だったオレにとって、ホント10年ぶり位の「何じゃ~このアホみたいに面白いマンガは~~~!!!」が「闇金ウシジマくん」だな。

と言う感じに面白かった。

中学生の頃に「ドラゴンヘッド」を初めて読んだ時より、もう一段階上だと思うから、やっぱりあの究極の感嘆に匹敵する喜びだと思う。

素晴らしく面白いマンガだ。

コイツは間違いなく面白い。

・・・と思ってたら・・・作者の「真鍋昌平」ってヤツの、前作「THE END」をオレはすでに持ってた。

四季賞に素晴らしく気になるやつが出てきたナァ~と思った記憶がある。

そいつの初連載作品「THE END」はちゃんとチェックだ。

と言う事で、買うには買ったけれども、まだ読んでなかった。

まさかその作者のマンガとは・・・

「闇金ウシジマくん」・・・

ヤバイっすよ。

この記事を見てみる  ⇒
2009年4月13日 1:08 CAT :

明けの明星ファンタスティックはバッドエンドの彼方へ

「生きている時間を無駄にして競争を強いられているのだ」とは、特撮の名曲「友よ」の歌詞の一説だったか・・・?
オレ達は言ってみれば、思っている以上に無為な時間を過ごしているように思えてならない。

1年に1度の楽しみのために、1年を生きていると仮定すれば、その1年には、果たしてどれほどの意味があったのだろうか。

一方で、無駄なものなど無いという言葉もある。

他方では、無駄だから良いという言葉もある。

無駄の無い人生も、無駄しか無い人生も実は想像以上に苦痛である事は想像に難くない・・・のであれば、無為な1年にも、何がしかの意味があったのではないか。

無駄だけれども、意味はある。

それが最近たどり着いた考え方。

それを青臭いと馬鹿にされる人生だってキッとそう捨てたもんじゃないさ。

・・・多分ね・・・

この記事を見てみる  ⇒
2009年4月12日 0:50 CAT :

幼き回顧感を鑑みた上での成り立たない会話の一節

「極麺」・・・食べてみたけど、ぶっちゃけ不味かった・・・一体どの辺を極めたと言うのだろう。

「UFO」の方が100万倍上手い。

と思ってたけど、何かこの前久しぶりに食べてみたら、麺が変になっててイマイチにだった。

あの辺りに改良の余地はあったのだろうか?
さてさて、最近色々と凹んでばかりです。

相も変わらずに。

何と言うか、出来ない事がこんなに悔しいと思った事なんて、コレまでの人生においてなかった。

悔し泣きなんてことも経験した。

毎朝起きると、アホみたいに耳の奥が痛い。

どうも、歯軋りをしすぎて、耳の奥じゃなくて、アゴの間接が炎症を起こしているらしい・・・どんだけ悔しがっているのやら。

それでも、まだまだ行きますよ~。

こんな調子だから、頭の方が冴え渡って、色々モノ作りができそうな気もするけれども、そこはそれ。

時間が無いのよね。

うぬぬぬぬぬぬぬ・・・

この記事を見てみる  ⇒
2009年4月7日 23:36 CAT :

深淵

闇があって、その中から未だ光を見つけ切れていない。

そんな毎日を送っていると思う。

多分そうだと思う。

光があれば、闇がある。

その逆もまた然りであると言う格言が実は、そこまで的を得ていない事はコレまでの経験でも嫌と言うほど思い知らされた。

この世には、あまりにも闇が多すぎる。

その中で、かすかにだけ見ることの出来るであろう光を夢見て、いつもいつもいつも闇の中を右往左往する運命にあるのが、多分オレだ。

いつの頃からか気が付いた。

闇の中には、実は、さらに深い闇が存在する事を。

深淵とあえて呼ぶ事にしたその闇の中に、あまりにも長い時間どっぷりと浸かっている毎日を過ごす。

そうすると、嫁から「病んでる」と言う表現をされる事も分かってきた。

深淵の中に長くいると、その中にさらに深い闇が見え隠れしている事に気が付く。

そうすると、初め闇だと思っていた部分が実は光であると言う錯覚を覚えると同時に、その深い闇の終わりがどこにあるのかと言う、途轍もない恐怖に襲われてしまう。

社会人経験の無かった数年前、その恐怖に耐え切れなくて、体を壊した事があった。

アレから数年が経ち、今では、同じ恐怖の中でそれでも、何とかやれている。

それを成長と呼ぶのかどうかはこの際置いておいて、今はまだ大丈夫。

数ヵ月後は分からないけれども、今はまだ・・・

この記事を見てみる  ⇒
2009年4月6日 23:08 CAT :

時間をかけた一言に対する感覚の狭間で

01. 心の折れたエンジェル
 KONAMI アーケード・ゲーム GuitarFreaksV6 & DrumManiaV6 BLAZING!!!! 収録曲
02. ドナドナ
03. 踊る赤ちゃん人間
04. 人間嫌いの歌
05. 世界中のラブソングが君を
06. ロシアンルーレット・マイライフ
07. プライド・オブ・アンダーグラウンド
08. 蓮華畑
09. ノーマンベイツ ’09
10. 1000 年の監視者
11. へそ天エリザベスカラー
12. ゴッドアングル Part.2
13. ツアーファイナル
と言う、収録曲で発売されるみたい。

筋肉少女帯の待望のニューアルバム。

「シーズン2」だ。

ドコまでも待つ焦がれたニューアルバム。

本当に、日本一順調に活動再開してるバンドだと思うわけです。

ただマァ、若干新曲が少ないような気がしてならない。

「踊る赤ちゃん人間」の筋少バージョンとか、かなり素敵だけれども、「ツアーファイナル」の曲が、カップリングも込みで全曲収録とは・・・新曲は8曲か?「ノーマンベイツ」の新録はかなり面白そうだけれども・・・一体どうなる事やら。

何しか、早く発売日来ないかなぁ~

この記事を見てみる  ⇒
2009年4月1日 22:44 CAT :

5デノナルーフルリプイエ

愛の形は、十人十色。

千人いれば千個の形があって然るべきと言う事を必ず忘れないで下さい。

オレには、周りからは決して認められる事のない大切な人がいます。

名前を美幸と言いました。

オレと美幸は出会う度に、お互いの排泄物をお互いの体に塗り合い、そして食べ合いました。

喉が乾けば飲尿で喉を潤し、空腹を感じれば食糞で胃を満たしました。

そうする事で、オレと美幸は一つになる事が出来るのです。

いや、そうする事でしか一つになる事は出来ませんでした。

どれだけセックスを重ねても、心のどこかには、埋まる事の無い大きな大きな穴が、ポッカリとあいていたのです。

オレと美幸は、お互いに一つになりたいと言う強い、そして満たされない願望の前に、ただ泣きくれました。

今ではそれはありません。

美幸の体内を通り生成された物質をオレの体内に取り入れる事で感じる一体感は、セックスのそれとは比べる事など出来ません。

美幸の体内を構成する液体や物質を少しでも多く、オレの体内に取り入れたい。

ただ、その欲求に従順に生きています。

美幸の体液の味は全て覚えています。

唾液も涙も鼻水も愛液も、吐捨物でさえも・・・

誰にも認められないまま、美幸との関係は5年が過ぎました。

数えきれない非難を受け、さげすまれ、侮別されました。

それでも、オレと美幸は、今も愛し合っています。

お互いの排泄物を飲み込んだ後の、吐捨物をワイングラスに入れ、世界一美しいディナーをいそしみます。

もう誰の理解も求めてなどいません。

ただ、そう言う愛の形もあるのだと言う事を知って下さい。

そうして、考えてください。

なぜ、ただ二人愛し合っているだけで、非難されるのか・・・人間とは愛の形さえも、形概化してしまう生き物なのか・・・

何度でも言います。

オレと美幸はただ愛し合っているだけです。

愛し合う事を形だけで非難する全ての俗世間に対して、オレは何度でも声高に叫びます。

オレと美幸はただ愛し合っているだけです。

この記事を見てみる  ⇒
2009年4月1日 22:14 CAT :

告白の2乗をあなたに捧げよう

嫁の事をそれはそれは大切に考えている。

大好きだ。

そこに関しては、この世界の全ての生き物に対して負ける気がしない。

と言うか余裕で勝ってる。

勝負にもならない。

でも、これが「永遠に彼女を愛します」と言う表現になると、とたんにヘドが出るような嫌な気分になる。

オレは、アイツの事を世界一愛してはいないと思う。

そこには、ひとえにニュアンスの違いでは絶対的にくくる事の出来ない圧倒的な溝が存在する。

日本人の言う「愛している」がどう頑張っても、嘘臭く聞こえてしまう。

もっと言えば、絶対に愛してなどいないと思う。

オレには分からない感覚。

愛ってビックリする位嫌な響きだ。

「愛」って言葉を連呼するヤツは、きっと相手に対する気持ちと真剣に向き合ってないまま、取り敢えずで取り繕ってるに決まっている。

真剣に向き合えば、向き合うほど、「愛」なんて言葉は不愉快になりますよと声高に叫びたい。

たまたま最近の邦楽聞いててふと思った事。

この記事を見てみる  ⇒