- 2011年2月26日 1:18 CAT :
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屍と化す前に甘い刹那に酔いしれ
平野綾は一刻も早くツイッターをやめればいいと思う。
こんだけ騒動起こして、未だに、和気藹々と続けてる段階で、もう人としてどうなんだ?と思う。
前に、小林清志が「声優は、顔を見せたあ駄目だ」と、素顔を見せる事を頑なに拒否していた(金曜ロードショーの「ロシアより愛を込めて」の時には、普通に顔出しして気がしないでもないけど・・・)のを思い出す。
まぁ、あの人は、声優さんじゃないからいいのか?
本を読む人間が嫌い。それは、オレが本を(マンガ以外の活字全般)読めないから、と言うだけの話じゃあない。
うまく説明できないかも知れないけど、人生の方向性や、考え方を本を基にして構築してる人間が嫌い・・・とでも、言えば良いのかもしれない。
そういう奴は、よく本の中の言葉を引用して、あたかも自分が考え出した凄いアイデアかのように語りだすから、何だかイライラする。
しかも、性質が悪いのは、他の本を読むたびに、自分の意見自体もコロコロかわる場合が多いと言う事。
本を能の肥やしにする。
と言う考え方自体は良いと思う。
でも、自己啓発のために本を読むとか、肥やしを作るために本を読むと言う、本末転倒野郎はもうどうしようもない。
自分の中に、ひとつの方向性があって、それを昇華させるために本を読むようになるわけではなく、その方向性を決めるために本を読み始めたら、もう危険信号だと思う。
末路には、自分で思考する事が出来なくなって、さらに、本ばかり読んで、その本に書いてあることをあたかも自分が構築した考え方かのように、嬉々として語り始めるんだから、もうどうしようもない。
しかも、自分の頭の中で噛み砕いてないもんだから、やたらと、本の中に書いてある専門用語みたいな奴を使いたがって、悦に入ってる。
そんな奴は、まぢで死ねば良いのに・・・
最近分かった。
専門用語を使う奴って、本格的に頭の悪い奴だ。
自分でも理解できてないもんだから、難しそうな言葉を使って、お茶を濁そうとしているだけだ。
オレも、何か、そんなトコがあって、すぐに専門用語とかを使ってた。
(まぁ、本とかは一切読めないんだけれども)でも、嫁と話をしてたら、「その言葉どういう意味?」と聞かれることも多くて、そんな時、その言葉について、しっかりと、分かりやすい言葉で説明できない事も多い。
んでいかに、言葉の本質を知らなかったのかと、しょんぼりする。
語彙力を上げる事は、難しい言葉をたくさん知る事だと思ってた。
本当は、難しい言葉なんか使わなくても、分かりやすく説明できるように的確な言葉を知っている事が語彙力が高いと言う事なんだろうて。
最近は、そう言う事を念頭に入れて、会話をするようにしてみたりしている。
そうすると、前述の本を読む奴の話し方がずいぶん鼻につくようになった。
もうホント引用とかやたらしたがる奴は、多分駄目だと思う。
仲良くはなれないや。
これも、一種の成長なんだろうか・・・
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月別アーカイブ: 2011年2月
- 2011年2月22日 23:50 CAT :
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東京エレジー赤い汽車
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- 2011年2月20日 13:41 CAT :
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ご希望の働き方ができる病院・施設・企業を見つけて下さい。
映画版「20世紀少年」を見た。
しかも、1~3部通して。
ぶっ通した事7時間。
先日、嫁と2人「すいか」のDVDを10話ぶっ続けで見たけど、そのとき以来の衝撃的に長い時間だ。
別に、やる事が無くてDVDばっかり見てるんじゃあないですよ。
やる事はいっぱいあるし、やらなきゃいけない事もたくさんあるのに、現実逃避の意味合いが強いままに、だらだらとDVDを見てる。
と言っても間違いは少ないという状況なだけですよ。
と言う事で、少しだけ感想でも書いておこう。
以下、ネタばれもあるので、まだ「20世紀少年」を未読、未見の方や、「ともだち」の正体がカツマタ君だと知らない方はご注意くださいな。
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- 2011年2月17日 22:59 CAT :
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昨夜、一人殺した。もう何人殺しても同じだ
文字を書く。
と言う、ひとつの事柄について意識をして見る。
最近、やってるのは密かに、オリジナルな字体を勝手に生み出して見たりする事。
いくつかのルールを決めて、それを意識して文字を書くと、不思議とオリジナルな字体になってくる。
文字ひとつ書くだけでも、そうやって、少しずつ意識して行く事で、もう大分残りカスになってきた脳みそにおけるクリエイティブな部分を刺激できればと思っている次第です。
そうやって、長い時間をかけていけば、キッと面白い事でも起きやしないんだろうか。
と、淡い期待に心を寄せて見る。
そんな時は、この「JACK THE RIPPER」を見れば良い。
(↓)
「サーカス団、武道館へ帰る」の「大釈迦」と並ぶ、最高にかっこいい「JACK THE RIPPER」だ。ダミアン浜田も見れますぞよ。
やっぱり、ギターバトルはしびれるなぁ~
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- 2011年2月16日 21:44 CAT :
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涙を流す事が出来ればやさしい心持になれたでしょうに
何だか、袋小路の中でウロウロとしている様な・・・そんな気分ばかりしている今日この頃。
一体、このオレにどうしろと(なれと)言うのだろう。
結婚生活は、多分、想像以上に楽しいもので、世の中の「結婚は墓場」とのたまう皆様に、色々と尋ねてみたい事柄もあったりす。
それとは別に、気がつけば、オレもアラサーと呼ばれる事も辞さない年齢になってしまった。
未だに、マンガを描いて、絵を描いて、曲を書いて、ギターをかき鳴らしている。
今更、ハーモニカなんてのもやってみたりしている。
さらに、仕事の延長線上でどんどんホムペ作りの技術力もあがってきてるように思う。
特に、ダメな所は無く、順調な人生を歩んでいるように思う。
なのに・・・
何だろう?この、心に引っかかる何か。
まだ姿は見えない。
でも、もう少ししたら、コイツはオレの前に立ちはだかるんだろう。
今はまだ、生きる事を楽しむ時間を続ける。
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- 2011年2月15日 21:38 CAT :
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でもお母さん。私の勝ちよ。なぜなら私はお父さんの子どもを身篭っているから。
永遠の問題として、名高い「男女に友情が成り立つか」について、オレは画期的な解決法を編み出した。
と言う、話をここでツラツラと、別に誰に頼まれたわけでもなく書いてやろう。
その前に、まず結論。
「成り立つか」について述べるとするれば・・・「成り立つ」とここでは、書いておく。
誰に対してとは言わないけれども、「成り立つ」と書いておく。
ただし、「お互いが男女としてお互いを見ていなければ」と言う但し書きをつけての話。
例えば、同性で、うんこみたいに仲良しになった奴に対して「コイツは同性だから仲が良い」とか、考えてる奴なんていない。
いたら、ごめんなさい。
その瞬間に、この話はもう終わりです。
または、そんな事を気にしないと友達も作れない乏しい価値観を持つそいつを世間的に陵辱します。
話は続く。
つまりは、相手を異性として見なければ良い。
そうすれば、男女の友情なんて、屁のツッパリはいらんままで「成り立つ」のだ。
で、現在、男女の友情が成り立つと考えていて、尚且つ、友情が成り立ってる(と思ってる)間柄がいる紳士淑女の皆様にぜひとも試してもらいたい、男女の友情確認ゲームこそ、オレが編み出した画期的な解決法。
その名も「おっぱいゲーム」だ。
おっぱいを揉んでしまえ。
と言う至極簡単なルール。
友情の確認については(↓)の通り。
女側が拒否すれば、女の方が相手を男としてみていたと言う事で、残念ながら、お前ら2人の間に友情など無い。
ただ、穴に棒を入れるだけの関係です。
おっぱいを揉んだ事で、男側が興奮して、血走った目で、女を押し倒し、まんこにつば付けて挿入したら男の方が相手を女として見ていたと言う事で、残念ながら、これも、お前ら2人の間に友情など無い。
ただ、快感のみを求める獣の本能だけの関係です。
別に、平気で女がおっぱいを揉ませて、男の方も、「何でお前の乳を揉むんだよ」みたいな態度で揉みしだけば、お前ら2人の間には、友情が成立しています。
と言う。
至極簡単。
そして、分かりやすい。
友情確認ゲーム。
「救出」なんかよりはるかに、分かりやすく友情を確認出来る。
まぁ、試すのは本当に、仲良しの間柄だけにしとかないと、逆に変な雰囲気になって、付き合うようになったり、「結局はおっぱいか」とか変な誤解をもたれたりするので、そこの所はあしからず。
昔、女友達におっぱいを触らせてと言って「まぢで触るの?」とドン引きされたオレが言うんだから間違いない。
ちなみに、その子とは、それ以来連絡も取っておりませぬ。
友情は無かったと言う事だな。
ケセラセラ。
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- 2011年2月13日 21:10 CAT :
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罪とか罰とか
何と、高松で遠藤ミチロウのソロライブがある。
あの。
伝説のパンクロッカー遠藤ミチロウを生で見る事が出来る。
と言う、凄まじい奇跡。
オーケンなら絶対的に行く所だけれども、悩んでいる。
場所がバーって所も悩んでいる。
そんな所に行けるような人間ではないのである。
それが、ライブハウスならもう少しノリノリで決断できたであろうに・・・
敬愛するケラリーノ・サンドロビッチ監督の映画「罪とか罰とか」を見た。
「グミチョコ」では、さすがにオーケンの世界観が強く出ていたけれども、この作品は完全にケラの世界観だ。
ナイロンにも、ナゴムにも繋がる、ブラックでシュールな笑いのオンパレード。
不愉快になる奴は、不愉快になるだろう。
ストーリーも、理解できない奴には、まったく意味の分からないものだろう。
ただただ、最高に素晴らしかった。
ここまで、ブラックになると、むしろ清清しい。
動物虐待も、児童虐待も、警察の内部汚染も何もかもが面白くてしょうがない。
そして、鳥肌が立つほど完璧に作りこまれたストーリー。
悔しいし、何だか、イラつく。
けれども、名作だ。
演出も、台詞回しも、展開も、ストーリーも何もかも完璧だ。
こんな物語が作れたら、どれほど、人生ウキウキするのだろう。
あぁ~ウキウキしたい。
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- 2011年2月10日 0:21 CAT :
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行きずりの殺意衝動の最果てへ
伝え急ぐ内容は無限にあったりする。
生まれてこれまで一体どれほどの言葉を発してきただろうか・・・書いてきただろうか・・・描いて来ただろうか。
単純に計算してみた。
これまでに描いたマンガは軽く1万ページを超える臭い。
これまでに描いた曲はどうも200曲をゆうに超える臭い。
こんなに、たくさん表現をしながら、その実で一体何が伝えたかったのか。
と、少しだけ考えてみる。
今すぐに、伝えたい事柄は、冒頭の通り無限にある。
そして、その中心にはキッと何か芯のようなものが一本通っていると信じたい。
じゃなきゃあ、何だか空っぽだ。
では、それは何なのか。
ただ、抑えきれない衝動を何かの形で吐き出し続けてきただけだったのかも知れない。
って言うか、多分そうだ。
でも、最近少しだけ変わってきた。
形を作りたい。
と言う・・・頭の中にあるイメージを形にしたい。
と言う・・・まったく新しい欲求が目覚めてきた。
そうやって、新作マンガを書き上げた。
「夜誘う麦わらぼうし」と言うそのマンガ。
出来上がりを、自分で読み直してみた。
まだまだ、未完成だけれども、形を作ろうとした。
それはしっかりと分かる・・・(と思う)
「口頭無形」から始まったこの試みが、ひとつの形で突出してきたような気がする。もう一息だ。
多分、もう一息で、凄く満足のいく作品が作れそうな気がする。
次回作のタイトルも決まっている。
「処女はアイアン・メイデンに入れて殺すに限る」。
頭の中では、妄想が入り乱れている今日この頃。
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- 2011年2月9日 22:52 CAT :
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ティーバートンの新作で競演した2人
今週末、一ヶ月ぶりに「Do Get The Star」のレコーディングを再開したりする。
・・・と思う。
今回は、じっくり半年~一年くらいかけて、過去の楽曲たちを復活させようと言う、企画盤アルバムだったりする。
目新しい事としては、基本的に、製作におけるイニシアティブを弟に渡してある事。
これまでの場合、オレが、作詞、作曲、イメージ、編曲等々全て一人で決めっちまう事が多かった。
周りからの意見は取り入れつつも、オレが気に入らなければ即却下。
あくまでも、オレの頭の中にあるイメージを最優先にすると言う暴君ネロも真っ青な状況。
それが、今回はどちらかと言うと借りてきた猫状態な訳で、「ここでこんなギターを入れて」「え~と・・・こんな感じ?」「もう少し、音を入れてみて。」「こうか?」「そんな感じで。」と言う流れが多い。
自分で、考える事を放棄してるわけではないけれども、言われた通りに弾いたり、歌ったり・・・キッと、今までに無いようなアルバムが出来る事だろうて。
まだまだ、先は長いけれども。
さてさて。
大作先生の脅威が、ついにオレを襲おうとしている。
学会員とは、極力接触しない人生を送ってきたつもりだったのに、ここにきて、ついにそれも潰えるかもしれない。
この国には、宗教の自由があるわけで、別に誰がどんな宗教を信じようとも、そんな事は知った事ではない。
お気に召すまま。
でも、馴れ合うかどうかの自由はある。
嫌なものは嫌だ。
なんだか、学会員の奴とは話が合わない。
感覚が合わない。
話を聞いてるだけでイライラする。
だから、オレと馴れ合うのはぜひぜひやめてもらいたいなぁ~オレも、極力近寄らないから。
それが、お互いにとって絶対的にプラスなんだから・・・
と、本人には、怖くて言えないので、こっそりとここに書いておく。
そして、避けては通れない道。
最近、ツイッター大喜利なるものにはまっている。
仕事中でも、暇を見つけてはお題に答えたり、見てくすくす腹の中で笑ったり。
何が嬉しいって、答えが面白かったら、取り上げてくれる事が・・・と言う、何とも、根暗な感じになってしまったけれども、初めて、ツイッターを面白いと思った。
しかし、中には、ビックリする位センスのある回答もある。
そして、自分でやってみて改めて芸人さんの凄さを思い知った。
(特に内Pに出てた皆様の)
と、最近の出来事を少々ツラツラと・・・ - この記事を見てみる ⇒
- 2011年2月8日 0:21 CAT :
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微か、ひだに残るあの蟠りの様に
会社の同僚さんのおばあちゃんが亡くなった。
年末には、会社の会長も亡くなった。
オレが、今までまともに社会生活とやらを行ってこなかった事に問題があるかもしれない。
ただ、こんなにも死ぬ事が身近にあったと言う事を改めて思い知る毎日を過ごしております。
大好きなじいちゃんが死んだのは、オレが、おかんの職員旅行について行ってた最中だった。
旅行先で、その事を聞いたおかんは、旅行先から、オレと、妹、弟を連れて、大急ぎで香川まで戻ってきた。
その道中については、何にも覚えていない。
ただ、家に帰ってきて、おかんが準備してる間、居ても立ってもいられなくなって、一人、ちゃりで、ばあちゃんちに走ってた。
んで、ばあちゃんに抱きついて泣き喚いた。
あの日の事。
あの葬式の事。
あの骨の事。
は、今も、はっきり脳裏に残ってる。
断片的ではあるけれども、確実に残ってる。
それから、何度も同じような経験をしてきたけれども、あの時の葬式ほど感情まで、鮮明に覚えてるものは他にないと言うのは、薄情な人間なんだろうか・・・
今日まで、会話していた人が、その瞬間いなくなる事。
嫁が、毎朝オレが仕事に行くのを見送ろうとする。
オレが「朝位ゆっくり寝よれ。
いつも、オレより遅く寝よんやから。」と言うと、「もし、見送らなかった日に、事故にあって死んだら、絶対後悔するからやだ。」と。
そうか・・・そういう事なのか。
じいちゃんの死に目に会えなかった。
旅行の前日。
ゲームしてたと言う理由でじいちゃんのお見舞いに行かなかった事を、実は、まだ、後悔している。
最後になるとは思わないまでも、何か、あと一言でいいから多く会話しておきたかったと、今でも、時々思う。
やりたい事も、やらなきゃあいけない事も、このうんこみたいにメンタルの弱いオレの上にのしかかってきてるわけで、いつ、前みたいに壊れてしまうか分からないような日々を送ってはいる。
けれども、今は、まだ死ねない。
今、居なくなったら、たぶん後悔する。
そんな事を考えるようになってしまった。
この記事を、手首にナイフをグリグリとあてがってた頃のオレが見たら、どう思うのでしょうね。
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- 2011年2月6日 23:56 CAT :
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愛ってへっちゃうんだよ
特撮が再始動だ。
たまらなくなって、ツイッターで呟いてしまったけれども凄い。
何が凄いって、筋少と特撮の新作を同時に楽しめると言う、この凄まじい時代。
オレが、オーケンを知ったのは、筋少が活動凍結、特撮が動き始めた頃だった。
あの頃、筋少の再結成を夢に見ながら、旧譜をひたすら買いあさり、特撮の一挙手一投足を心震わせながら見守っていた。
そして、時間は流れ、筋少は再結成、順調に活動し、夢にまで見た筋少のライブも見た。
そうやって、その間、活動停止していた特撮がついに活動再開。
喜びが分かるか?
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- 2011年2月4日 23:47 CAT :
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あまつさえ死ぬ事など出来やしないのです
直下、顔を覗き込むと、それは高さ50mはあるだろうか。
横にいたあなたは、何躊躇うでもなくそのまま飛び降りていった。
50m下には、地面なんてありやしなくて、ただただ、ぽっかりと穴が開いている。
穴の周りには、少しどす黒い金色のような黄土が、ぬめぬめと覆いつくしている。
きっと嫌な所だ。
飛び降りたあなたは、その穴の中から、なんとも深いそうに、左手だけを突き出し、そうやって、少しずつ沈んでいった。
まるで、沼のような情景。
ぽっかりと開いた穴は、ただ、誘う。
誘われるがままに、次々とあなたたちは飛び降りていく。
直下50m。
誰も死にはしない。
喜びもしない。
不意に、悲しみに包まれる。
穴の中の事をなぜか、知っていた。
それは、情景を頭の中で回想するわけではなく、感覚を全身が覚えているような知っている。
さようならと呟いてみよう。
そうすれば、きっともう全てが終わる。
・・・そんな夢を見た。
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- 2011年2月1日 23:18 CAT :
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セックス・イン・フルエンザ
例えて考える。
使うことの出来るものが、少しだけあった時、それを使いきるべきか、先にまで使わずに持ち続けるか。
持ち続けた結果、実は、そのもの自体の形は、もと見えていたものとは全く違う形になっているかも知れないと言う寓話。
才能がない。
と言うことは、見る力がなければ分からない。
才能がないとわからない。
と言うことは、純粋に見る力がないと言う体たらく。
実は、無力であることを理解してからが、本当には大切かもしれない。
オレには何もない。
けれども、だから何でも出来る…ような気がする。
で、やってみると大概の事は案外できたりするらしい…
チョッと前までは、マンガを描き続けなければ不安だったこともあったけれども、その頃より、今の方が良いものが描けるようになった気がする。マンガを描く事がうまくなる方法には、絵を描くことや本を読むこと、資料を眺めること以外にも色々なものがあって、何が大切かは、考えてみないといけない。
それはきっとその他にも、ゾロゾロと右へ倣え。
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