月別アーカイブ: 2011年10月

2011年10月26日 21:52 CAT :

オレ達はとんでもない勘違いをしていたようだな。

アメリカの同時多発テロが起こった日は、2001年9月11日。

んで、この前の東日本大震災が起こった日は、2011年3月11日。

二つを足すと、2012年12月22日。

そう、マヤ文明で言う第5の太陽太陽の時代が終わり、人類が滅びるという日だ。

この符号をただの偶然と見るかどうか。

・・・は、置いといて、そう言うわけで、人類滅亡と言うシナリオには、俄然真実味が増した。

もはや、疑う余地はない。

ノストラダムスの「諸世紀」みたいな曖昧な推測じゃあない。

確実は、殲滅の時は、実際に目の前に現れている。

例えば、90年代初頭。

その頃から、このマヤ文明の滅亡の話は、全世界的に(主にムー的に)取り上げられていた。

でも、当時、天変地異で人類が滅びるなんて、誰も信じることはなかった。

むしろ、1999年の恐怖の大王の方が真実味がある。

と言うほどに、荒唐無稽な話だった。

所が、それから20年近くがたった今。

急激な温暖化、海面の上昇、異常なゲリラ豪雨にハリケーン、モンスーン、台風、トルネード、そして、世界各地で頻発する地震、火山の噴火、異常気象などなど・・・もはや、来年、今年と同じような気候だと言う保証はどこにもなくなってる。

20年前には、誰も荒唐無稽な話として信じなかった、天変地異による人類の滅亡は、全くありえない話じゃなくなってる。

20世紀、この事を本気で指摘していたのは、亜樹 直もとい、天樹征丸もとい、安童夕馬もとい、樹林 伸とムー編集部と、あと「あすかあきお」とか位だったと思う。

特に記憶に残ってるのは、「MMR」における、太陽系惑星のグランドクロス。

そして、それによるポールシフトについての報告の回。

今回危惧されてるのは、惑星直列だから、若干違うけど、ある意味。

まさに、「MMR」には圧倒的先見の明があったと言うことだろうて。

mmr03.gif
古本屋へ走れ!!
バシャールの信者たちよ。

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2011年10月24日 23:01 CAT :

まんことおりものチェック隊

ここ最近の話。

家の近くにとても良い感じの神社を発見したので、毎晩嫁とふたりで、ウォーキングがてらにお参りに行ってる。

真っ暗な中でも、大好きな神様に会いに行くのは、特に怖くないと言う。

最近、ポツポツとシフォンケーキなど作ってみたりしてる。

最初は、嫁の手伝いで混ぜる係をしてたんだけれども、だんだん楽しくなってきて、オレが主導で作ってみたりしようとしてみたり・・・回数を重ねて、どんどん美味しくなってる。

あのお店のケーキみたいなのが作れるようになりたいのだ。

絶賛、ダイエット中。

一週間に3kg痩せて、週末ドカ食いして2kg太るローテーション。

リアル「3歩進んで2歩下がる」。

同居する虫とかがいっぱいになった。

蜘蛛とかカマキリとか・・・同居する奴は、いつも同じ場所にいて、声をかけてるうちにどんどん愛着がわいてくる感じ。

この前、カマキリが目の前で卵を産んでた。

気持ち悪いけど、同居人のお産だから、邪魔もしないで見てた。

でも、子どもがいっぱいになったら困るので、卵はどこか別場所に移そうか考え中。

カマキリと相談する。

そして、嫁とお散歩中に見つけたカタツムリさん。

(↓)
katakata.jpg
ビクトリーV!!!!!!!
(画像はクリックで大きくなるよ。)

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2011年10月22日 22:52 CAT :

死ぬまでROCK!

ついに手元に来たぜぃ!!(↓)
死ぬまで
と、フラゲ出来た感動から、写真など撮っては見たものの、発売日から幾分か経ってしまった今となっては、それもある意味、諸行無常よ。

ではでは、全曲感想でも。

(↓)
1.プロローグ
だから、ミニアルバムとかで、こう言う事をするじゃないよ・・・と思いつつも、何か、久々にいい感じの出だしだ。

誰かわかんないけど、声も凄くいい。

これ、加工とかしてないんなら、かなり選ばれた声の持ち主だと思う。

ちなみに、バックに流れてるのは、この後に出てくる「ビザール」のメロディだよな?
2.飼育
いきなり犬神節炸裂の名曲。

サビの所での狙ってんのかマジなのかよく分からない「1、2、3」と合いの手の「4、5」が何とも犬神サーカス団の真骨頂といったところ。

この感じからなんか「血まみれ内蔵ロックンロール」を思い出したのはなんでだろう?
3.死ぬまでRocK
表題曲。

表題曲にして、このアルバムで一番軽い楽曲。

この曲をもっとポップにすれば多分「洗脳」になると思う。

とは言え、実に作り込まれた編曲。

よく聞くと、かなり色々と音を重ねている事も分かると思う。

それでいて、軽い「ロックンロール」を表現しているとしたら、それはホント凄いセンスだ。

重厚な軽いロックンロール。

と言った感じ。

4.猟奇の国のアリス
99%元ネタは「エド・ゲイン」だと思う。

人骨のロッキンチェアーとか特にそんな感じだ。

でも、どんな猟奇な世界観を書いたとしても、それが「地獄の子守唄」に匹敵するかというと、それは難しい話。

ラストで、ドラムのリズムがリードシンバルになるのが、何かガクッとなることと、全編に使われてるリフの繋ぎの所が「最新型アンドロイド」のリフとそっくりなことを除けば、最高のロックチューンだね。

5.ビザール
さっきのが「エド・ゲイン」を元ネタにしているなら、こっちは間違いなく「ソニー・ビーン一家」を元ネタにしてると思う。

「ソニービーン一家」にしては、不気味さが随分薄れたような気もするけど。

イメージとしては「エドワード・ゴーリー」の世界観だろうか?3拍子の曲は基本的に大好きなので、実に心地いい。

このアルバムで一番好きな1曲だ。

6.死人華
出だしを聞いた瞬間「慈愛」みたいなだる臭いバラードか・・・とがっかりするけど、その感情は見事にぶち破られて「ドグマの呪い」以来の情次兄さんのバリバリロックが聞けてしまう。

ライブでノリノリになる事は当たり前のこと、それ以上の深みのあるメロディーラインが、まさに情次兄さんという感じ。

7.桜散る中
シングルカットも(ミニアルバムで、シングルカットってどうよ・・・と思いつつも)された名曲。

言っちゃあ悪いけど、「Dead End Kids」の比じゃない。

滅茶苦茶いい曲。

そして、アルバムの締めにピッタリ。

例えば、これを一つの映画としたとき、この曲エンディングに流れるだけで、いい映画を見た気分にさせてくれるような、そんなパワーを秘めた傑作だ。

8.エピローグ
・・・で、これで終わり。

相変わらず、声いいよなぁ~。

そして、本当にあっという間。

気が付けば終わってた。

と、全体的に8曲でしかも、1,8曲目が曲じゃあない事に少々不満は残りつつも、1曲1曲のクォリティーが異常に高いので、正直「ビバ!アメリカ」より、濃い時間を過ごせるような気がする。

(結局、「アメリカ」の中で、今でも聴いてる曲は「メメントモリ」「ニュークリーチャー」と「幽霊奇譚」位になっちゃったし・・・)ほんとに、クォリティーの高いアルバムだ。

ここへ来て、まだまだこんな名盤をリリースするとは、ほんと底知れぬバンドだ。

いやまぢで。

このクォリティーでフルアルバムとなれば、「残酷暗黒劇場」以来の傑作もきっと生まれるだろうて。

(地獄の子守唄には届かなくとも・・・)
いや。

ほんとに、素晴らしい作品をありがとうございました。

惜しむらくは、今度のレコ発ツアーで四国には来ないということか・・・こんな名盤出しといて、来ないなんて、ただ恨めしいだけの日々です。

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2011年10月17日 22:51 CAT :

ビッグマックとフィレオフィッシュ

作業用BMGに、ジブリのBMGを・・・と思ってたら、全然作業できなくなってしまった。

おそるべし久石譲・・・

気がついたことは、一番涙腺に来るのは「トトロ」だったと言うこと。

幼稚園くらいの頃に初めて見て。

それからずっと大好きだったけれども、少し大きくなるにつれて、やれテーマ性だの、ストーリーだの姦しく考えるようになったりした。

「ナウシカ」から「もののけ姫」につながる自然観とかなんとか・・・

んで、今。

一回りしてやっぱり一番好きなのは多分「トトロ」なんだと。

心の中にひとつ。

大切な物語があるってことが、なんだか凄く良いことのように思えてくる。

今の子どもたちの心の中にも何か一つ。

大切なお話があったりするんだろうか。

もし、自分に子どもなど出来るなら、その子どもには、きっと何か一つ、大切なお話を心に持たせてあげよう。

それはきっと、親元を離れて、独立し、新しい家庭を築こうなんてする時に、ふつふつと出てくる懐古の世界観。

それで良い。

今、そんな気分でいるのです。

嫁から前に聞かれた事がある。

子どもをなんで欲しいと思うのか。

何か、当たり前すぎて考えたこともなかったけれども、何で欲しいと思うんだろう・・・と色々考えあぐねたこともあった。

んで、出た結論は、この世にある、ありとあらゆるオレが楽しいと思うものを、子どもに体験させてあげたい。

と言う、よく分からない気持ちだったりした。

生きてくのなんて、辛いこととめんどくさい事ばっかりだけれども、その中で、本当に少しだけ、びっくりするほど楽しいことがある。

辛い思いをさせたくない。

のではなくて、それを我慢させてでも、楽しいことを経験させてあげたい。

オレがこれまでに体験してきた、生きてきて良かったと思うこと色々。

今思い出すだけでも、ワクワクしてしまう、あの時の気持ちを体験させてあげたい。

でも、こんな話を嫁にいっぱいすると、あいつはあいつで何だか少しプレッシャーとか感じてしまっちゃあいけないから、こっそりここで書いておこう。

全ては成り行きで良いのです。

んで、多分アイツには読まれるんだろうな。

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2011年10月16日 19:44 CAT :

叱ってもらうわ。マイダーリン

色々と書くことを考えていながら、気が付けば、時間が経ってて、それでおしまい。

そんな事が多々ある日々を過ごしております。

思っていることは、日々移ろい行きつつも、心のどこかに影を落とし続け、それが、何だかどす黒い物語として、形をなしていくのであれば、それはそれで良いような気がしてならない。

さてさて。

先日、嫁の親族の葬式に参列してきた。

これまで生きてきた中で、直接的な親族が死ぬという事実にぶち当たった回数は実は、少ないほうかもしれない。

けれども、やっぱり、葬式ってヤツはどうにも好きになれない。

初めての記憶に残っている葬式は、大好きだったじいちゃんの葬式で、今のところ、あの葬式を超える凄い衝撃を受けた記憶がない。

急に、その人がいなくなる・・・と言う衝撃。

それまでは、いつでもあいに行けるわけで、当たり前のように存在していたのに、その日を境に、もうどうしたって出会うことが出来なくなる。

当たり前の現象だけれども、当時、それを子ども自分に体験するまで、どこか現実離れしたものとして認識してた。

人が死ぬということ。

あれ以来、葬式を経験する度に、そんな事を深く考えるようになった。

考えて考えて考えて・・・そして、しばらくして忘れてしまう。

そうやって時間をかけて、死ぬという事象について自分の中の置き場所を少しずつ確保していってる。

・・・つもり。

いつかは来る別れ。

それは、必ず近しい人、大切な人にまで及ぶ。

その日が来るまで、この行為を繰り返しつつ、来るべきその日に備えているんだと思う。

そうやって、脈々と人は死ぬことと向き合ってきたんだと・・・

もちろん、理不尽に奪われることだって多々あるだろうけれども、願わくは、そうならない事ばかり。

火葬は素晴らしい文化だと思う。

骨にすることは、実は、何よりも大切な儀式の一つ。

オレは、じいちゃんの焼けてもキレイに形が残ってた骨を見て、もう会えなくなったんだと言うことを何だか理解した。

綺麗に残ってた頭頂部の骨を箸で砕いて、骨壷の上に乗せたあの時の光景は未だに忘れることなく、はっきりと覚えている。

一緒に棺に入れたじいちゃんが大好きだった「赤福」の箱の赤が少しだけうつったあの骨の色を・・・

骨とは、白亜の色。

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2011年10月10日 18:40 CAT :

何一つ思い通りにならない社会を迎合してみたいあの日より

先週中頃あたりから、40度近い熱を出してうんうんとうなってたりした。

週末には、地元の祭りだったのに、上記の理由から、すげ~中途半端な参加になったりした。

そして、今日は、熱出して仕事休んだ分の埋め合わせで休日出勤という・・・

お久しぶりです。

志茂田さんです。

今日は、少しだけテンションが上がる(かも知れない)ネタがいくつかあったりしたけど、どうせ、その辺は、あんまり大大的に言いふらす事でもないので。

まぁ、そんな感じですな。

さてさて。

最近至るところで、色んな人から「世の中は自分の思ったとおりにしかならない。」と言うニュアンスの言葉を聞く。

要するに、「現状が上手くいってなかったとしても、それは自分が思った事だ。

考え方を変えろ。

レッツポジティブシンキング」と言う事だろう。

・・・ひどく嫌な言葉だ。

凄く強く願ったことが望み通りに行かなければ、そいつの思いが弱いとか、一体、何様なんだろう。

この世には、敗者の方が圧倒的に多い。

でも、その敗者全てが、本気で願っていなかったから、敗者になったとはどう考えても納得ができない。

「敗者になった彼らもまた英雄だった」
そんな、黒沢の言う一言が、どれだけ心を鷲掴みにするか。

そして、対極にある(ような気がする)言葉もある。

「この世の中、思い通りになることなんて何ひとつない。」
これを言うのは、オレの大好きな80も余裕で過ぎた(それでも元気な)ばあちゃん。

大げさに言うのなら、ばあちゃんが80年間生きてきて出した、ある種結論のような言葉(だと思ってる)。

オレは、ばあちゃんの言うこの言葉の方が好きだ。

どうしようもなく好きだ。

願って、願って、願って、頑張って、頑張って、頑張ったけどダメだった。

人生なんて、大体そんな事の連続で、でも、時々、人生は不思議なもので、ダメじゃあなくなる事もある。

そういう時は必ずある。

そんな時は、静かに生きててよかった。

と微笑むだけで良いんだと思う。

それでも、やっぱりそんな事はほとんど起きなくて、結局「この世の中、思い通りになることなんて何ひとつない。」。

そんな生き方をした集大成が、あのしわくちゃのばあちゃんだとしたら、オレは、あんな生き方をしたい。

辛いこともいっぱいあったんだろうけど、それを笑って話しながら、家族に囲まれてニコニコと死んでいく。

それを「幸せ」と言うんだろう。

「ものすごい金持ちだけど、ひとりぼっちで死んでいく」とか、嫌だ。

だから、セミナーとか嫌いなんだよな。

今の成功に、今の金儲けに、一体何の意味がある。

今までも何度も参加(させられ)してきたけど、一度も、心から感動したことなんてない。

生き方を改めようと思ったこともない。

オレの中には、物心つくかつかないか位の頃から、ばあちゃんが言ってた「この世の中、思い通りになることなんて何ひとつない。」と言う言葉がけっこう大きなウエイトを占めてる。

そして、そのウエイトを少しでも奪えるようなセミナー講師なんて居なかった。

家族や地域の年寄りから、色々な話を聴きながら、そうやって自分の価値観を作り上げていくと言う、ひどく当たり前の通過儀礼を通らないまま大人になってしまった奴らの為に、「自己啓発」なんてものは存在するんだろう。

自分の心の芯になるような言葉や生き方を、じいちゃん、ばあちゃん、オヤジ、おかんから貰うことが出来なかった。

あるいは、貰わなかった。

そんな悲劇が生んだ現象。

セミナーは、ゆくゆくは新興宗教となっていく。

それは、「湯の中のカエル」と同じ。

今になって思うのは、このご時世に良い家族の元に生まれてきたもんだと言う、不思議な感謝と、自分の家族(特に、子どもなど出来るなら)にも同じように思ってもらえるようになりたいと言う事ぐらいかな。

今日は、そんな事を考える出来事が少しあったりしたんだよ。

うんうん。

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