月別アーカイブ: 2013年12月

2013年12月27日 22:20 CAT :

もう二度と届かないこの思い

不意に時の流れを実感してしまった。

いつの日か、今住んでいる家も出て行かなければいけない。

子どもが大きくなれば、今の大きさでは、多分、狭くなる。

その時、新しい場所へ移る事になるんだろう。

それは、まぁ、しょうがない。

どこに移り住むべきか。

そんな事も、これから少しずつ考えて行こう。

問題は、それ以上に、この家に残っている思い出の方にある。

大学生のころ、4年間住んだ下宿、ひとり暮らししながら営業をしてた頃に少しの間住んだマンション、そして、結婚してから移り住んだ今の家。

ふと、前者2つの家を出た時の事を考えていた。

どちらを出る時も、出るチョッと前までは、凄くさびしいと思ってた。

けれども、実際、出る時になると、そんな大きな感慨はなかったように思う。

それよりは、これから始まる新しい生活の方にばかり関心がいってしまう。

そして、新しい生活が少し落ち着いてきた時に、また思い出して、さびしくなるんだ。

多分、今回も同じなんだろう。

ただ、今回は、思い出のレベルが違うような気がしないでもない。

本当の意味で独り立ちをしてからあと、何度も何度も起きてきたパラダイムシフトとでも言うような大きな出来事と意識の変化があった場所なんだよ。

今は、ただ、何気ない毎日を受け止めよう。

そして、いつの日かその毎日を懐かしく思い出し、さびしくなろう。

それもまた、生きて行くと言う事なんだろう。

あの頃は楽しかったと、懐古感に取りつかれながら、写真でも愛でるように晩年を生きる事が出来れば、そんな過去がある素晴らしい人生だったんだと思えるように…

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2013年12月26日 22:33 CAT :

「幸せな家族の風景」無理やり口に詰め込まれ

今日、安部さんが靖国神社に参拝した。

今、日本では、自分の生まれた国なのに、自分のご先祖さんたちや、大切な故郷を守ってくれた英霊さんたちに対して敬意を払う。

そんな当たり前のことさえ、自由にできない。

それは、この国にダニのように寄生してる在日のチョウセンジンやチョンが、自分たち(それも、民族ではなく個人としての自分たち)の為だけに、日本人を利用してきた果てにある現状。

メディアをジャックし、教育を乗っ取って、子どもから洗脳教育をして、日本人と言う存在を無くしてしまおうとしている。

その洗脳の結果、日本人は、自分たちの誇りを見失い、愛国心を無くし、自堕落に生き始めようとしていた。

それでも、日本人は、その中に連綿と流れる自分たちの大切にしているものだけは忘れていなかったんだと思う。

それが、天皇陛下とこの国を守ってくれた英霊たちなんだろう。

自分を戒めるために「儒教」なる教えを作る必要があったほど稚拙に自分の親や先祖を敬う事すら出来ない土人以下のチョン達には、分からない感覚。

だから、平気で踏みにじる。

でも、そのお陰で大部分の日本人の洗脳が解けた事もまた事実。

今では、中韓国、俗に言う特亜に対する嫌悪感と不信が、ネトウヨと呼ばれてた一部のネットユーザーだけではなく、老若男女問わずに、大多数の「日本人」にまで広がっている。

むしろ、これまでサヨクの陰に隠れて通名を使って日本人になり済ましてたチョウセンジンやチョンが逆にあぶりだされているような現状になった。

今回の靖国参拝についての民主党議員のコメントなど散見するに、彼らは、いったい「だれ」に対して「何の」ために政治を行っているのか甚だ疑問になってくる。

アメリカが「失望した」と発表したとか言っているが、これまで特亜の横暴を見過ごしてきて、優等生だった日本がちょっと毅然とした態度をしただけで、何が「失望」だ。

そもそも、この参拝について、アメリカ側に予めの通達がなかったとは結構考えにくい上に、アメリカのコメントを日本のマスコミが訳した段階で、悪意のある翻訳の可能性も看過できない。

特亜は、予想通り火病発症してタケ狂っているけれども、そもそも、何にもしなくても1,000年恨むような奴放っておけばいい。

言いなりになって、ただただ日本が被害だけを被った民主党政権時代、あいつらとの関係改善が進んだと言うよりは、さらに利権を要求してきただけだった。

このことからも下手に出る事に何の意味もない。

別に、1000年恨むのが10000年恨むに変わったとて、さしたる問題じゃあない。

とにもかくにも、今回の安倍さんの決断については、「日本人」であるなら喜ぶと思う。

実際、靖国神社では、多くの日本人が感謝の意を述べていたらしい。

と言うか、ネット上を見たって、ほとんど賛同している意見しか見当たらない。

もし、今後、マスゴミの出す内閣支持率が急降下していたとしても、そんな数字は当てにならない。

むしろ、今の日本人の感激の方が当てはまると思う。

それにしても、時期も実に良かった。

パクちゃんの告げ口こうもり外交が効果無くなってきて、韓国の経済も停滞。

韓国メディアが日本にすり寄り始めたこのタイミングでの参拝。

もう、これで、何があっても反日を貫くしかなくなっただろう。

世界中から嫌われ始めた上での、日本からの事実上の突き放しが、今回の靖国参拝だ。

今後、仏像返して、竹島を返して、謝罪してきたとしても、もう日本人が再び10年くらいまでのように、韓国に対して気を許すことはないと思う。

もっとも、そんな事出来ないだろうけれども。

今年の最後に、嬉しいニュースですよ。

本当に。

日本人が、日本人としての誇りを取り戻すきっかけの日になったかも知れない。

それは大げさではなく。

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2013年12月24日 22:54 CAT :

止まらない未来を夢見て

文章能力が最近著しく低下している気がしてる。

そんな事に怯えつつ、やっぱり文章は読んで、そして、書かなきゃいけないと思うので、もっとブログも更新したく思っておりますよ。

さて。

メリークリスマスですね。

10代の頃には、まさか、自分がサンタさんを召喚することになるとは思いもよらなかった。

人生とは何が起こるかわからない。

今のオレは、家族が喜んでくれるんなら、なんか疲れも吹っ飛んでしまって頑張ってしまうような、そんなお父さんになりつつあるらしい。

無自覚に。

無意識に。

今になって、不意に聞いたKANの「愛は勝つ」を聞いて、何となく心を打たれてしまった。

リリース当時、とんねるずの替え歌のためだけの歌でしかなかったこの歌だけど、いい歌じゃないか。

ただ、この歌が分かるには、当時圧倒的に経験が不足していたんだろうね。

愛情ってのは、一方的に、まんこに向かって垂れ流すものじゃあないんだよ。

自分が大切に思うものがあって、それに対して、何か見返りを求めるわけでもないのに、惜しみなく出てくるものなんだよ。

多分ね。

人生、本当に何が起こるかわからない。

ヘロヘロの仕事帰り、閉店間際のトイザらスに駆け込んで、そうして、からがら手に入れたプレゼント。

それを手にしたとき、不思議と疲れを忘れて、笑顔を思い出してニタニタしてた。

いつか、そんな気持ちがわかる時が来る。

きっと来る。

その時までは、きっと分かりはしないけれども、いつかきっと分かる時が来る。

どんなに困難で、挫けそうでも。

だそうですよ。

KAN先生によればね。

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2013年12月23日 22:24 CAT :

失うこと恐れず忘れえぬ痛み笑い飛ばそう

家族3人になって、もう1年が経とうとしている。

その間、子どもを育てるということ以上に、子どもに教わると言うことの方が実は多かったような気がする。

生きるということ。

頑張ること。

素直でいること。

そのほか、人として生きていく上で大切なことをたくさん教えてもらった。

子どもの成長を見つめながら、その一挙手一投足に、忘れていた何かを思い出し、そして、それをアウトプットすることで、新しい何かを見つめ直す。

そんな1年だったような気がする。

まだ、今年一年を振り返るには早いし、来年を語るにも早い。

ただ、今ふと思うことは、そんな感じかもしれない。

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2013年12月14日 22:26 CAT :

ザ・ワールド21

人間の体感時間は、17歳で折り返しなんだとか。

つまり、人生80年と仮定したとき、体感時間では、初めの17年と残りの63年はほぼ同じと言うことになる。

確かに、子どものころ。

一日がすごく長かった。

一日がすごく面白かった。

そして、一年なんて、途方もない長さだった。

なのに、今。

気がつけば、今年がもう終わろうとしている。

オレが、「今年は、連休がほとんどない最悪な1年だ」と嘆いていた1年は、何と2年前に終わっている。

オリジナルアルバム「影の上のボーニョ」を制作してから、もう4年の歳月が流れている。

高校時代の演劇部の皆と地元の体育館を借りきって一日限りの部活再開をしてからもう6年が経っている。

事故ってしまい、愛車ひろみつ君とお別れしてから、1年と半年が過ぎ去った。

これら全て、記憶の中では、ほんの数日前か、数か月前の記憶のような気がする。

子どもの頃に置き換えて考えてみる。

果たして、小学1年生の頃にあった出来事を、小学6年生の時に、ほんの数か月前の出来事だったように感じる事があるだろうか・・・

娘がもう少しで1歳になろうとしている。

1年前から考えると、少しだけど単語を話、こちらの会話をある程度理解して、ハイハイはおろか、つかまり立ちして歩こうとすらし、もう、オレとほぼ同じものを食べている今を、果たして想像できていただろうか。

オレの今年一年。

間違いなく、ここまで経験値を積んで成長していない。

多分、娘にとってこの一年は、オレの数十倍に濃い一年だったんだろう。

思えば、子どものころ、親に連れられて高松まで車で出かけるだけでも、どれだけ遠いところまで行くんだろうと不安になってた。

今とさほど変わらない時間。

1時間やそこらだと言うのに。

オレも子どもと同じように、密度の濃い1時間を何とかして過ごして見たいとも考えるけれども、今はそれ以上の、その時間を過ごしている娘と一緒にいるだけで、精一杯。

でも、オレも親にきっとそうしてもらって大きくなったんだろうから、それでいいと思う。

娘が大きくなって、親になった時、オレと同じ事を少しでも感じてくれればなおいいと思う。

オレも、まだまだゆっくりではあるけれども、成長出来ていれば・・・と願う時。

今年の振り返りと来年の抱負は、もう少しだけあとにしよう。

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2013年12月12日 23:10 CAT :

It dont matter if youre Black or white

なんか、今年は珍しく年末にいくつかの飲み会に誘われちゃったりしたみたい。

まぁ、オレなんかと酒でも飲み明かそうとか言ってくれる奴がいてくれることはありがたいと言えばありがたい。

けれども、日にちも結構かぶってる上に、お仕事も忙しいので、何とも言えない感じもあったりする。

ちょっと前までは、何があっても、誘われたら断らないスタンスを貫いていたのに、なんか、断ったりすることを考えるようになるとは、調子に乗ってしまったもんだ。

まぁ、お仕事と家族とかね・・・そんな事もあるんだよ。

オレみたいなやつの人生でもね。

さてさて。

お仕事と言えば、世の中では、ブラックとホワイトが、マイケルの歌のように入り乱れている。

白人だろうと、黒人だろうとそんなことはどうでもいい。

と、マイケルは歌うけれども、ブラック企業だろうと、ホワイト企業だろうとそんなことはどうでも良いとは言い難い。

こいつは結構重要な問題だぜ。

ベイベー
だって、ブラック企業に入ってしまえば、サービス残業で仕事に追われるのに、金は入ってこないとか、恫喝の嵐で精神をすり減らしてしまったりとか、休日が取れずに体がボロボロに擦り切れてしまうとか…
とかく、人生において色々弊害が出ることは請け合い。

ただ、今、このご時世。

果たして、ホワイト企業なんてあるのだろうか?と、少し思ったりはする。

なので、もっと根源的なことを考えてみようと思う。

業績については、やっぱり、そこまで良いトコなんてない。

だから、昇給とかはなかなか難しい。

それはしょうがないと思う。

そんな現状に耐え切れずに、少しずつ人が減っていく。

仕事量は変わらないくらいある。

でも、そのために新しい人を入れることは難しい。

となると、今いる人が少しずつ無理をして、なんとか回していく。

すると、上の方は「なんだ。

この人数でも回るじゃないか」と考え始める。

これが、ブラック企業の始まりじゃあないんだろうか・・・

このスパイラルが、螺旋状にクルクルと降下していけば、無理して仕事を抱え込まなきゃ回らない。

気安く休むこともできない。

そして、業績に合わせて、給料は減っていく。

・・・ブラック企業じゃないか!!と。

卵が先か、鶏が先か。

と言う問題がある。

この問題の答えは、まだ出ていない。

でも、ブラック企業が先か、社畜が先か。

その答えは出ているかもしれない。

恐らく、社畜が先だ。

前述の状態で、皆が社畜魂を見せて少しずつ無理をしなければ、会社は回らない。

上の人が恫喝する。

そうすると、さらに人がいなくなる。

でも、誰も無理をしない。

社畜魂を見せたりしない。

となればどうだろう。

多分、会社無くすくらいなら、人を入れて回そうとすると思う。

そして、人が居なくなる事を恐れて、理不尽な恫喝は減るかもしれない。

それは、ホワイト企業と呼ばれる状態。

そうなんだよ。

そして、この事について、オレを含め、ホントにアンデンティティとして社畜をしてるみなさま以外のほとんどの人が気付いてる。

でも、行動に移せない。

理由はいくつかある。

今のとこ辞めたとしたら、次が見つかるのか不安。

お金がない。

一人で動いても、周りが結局無理するから無意味な首切りで終わる。

などなど・・・

でも、その思考が結局のところ、ブラック企業を作っていく。

ブラック企業を呪う前に、最も最悪なのは、社畜だったと言う。

そんな事をぼんやりと考えてる横で、恫喝の声がまた聞こえてきましたよ。

素敵な環境。

うっとりする。

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2013年12月1日 6:09 CAT :

タイトルはなし

こんな時間に少しだけ目が覚めてしまった…
夜泣きがチョイチョイある娘。

夜中に起きて、最近覚えた「おはよう」を連呼してるのも、実に愛くるしい。

(多分、起きたら「おはよう」というものだと思ってる)。

しょうがない。

許す。

さてさて。

今回のアルバム「王道軽傷」は絶好調ではないけれども、それでも少しずつ製作勧めております。

今のところ、全収録曲の半分位の仮録りが終わったところか…
取りあえず、全部の仮録りが終わって、本録りして、そいつをミックスして、マスタリングかけたら完成…春先か、ゴールデンウィークあたりの完成を目指しております。

で、その中で、今回も1曲昔の曲をリメイクしてみたりしているわけだけれども、この曲が良い感じなんだよ。

オレの記憶では、人生において3番目に作った曲。

製作したのは、中学3年の時だから、本当の意味で「中二病」(中3だけど)全開。

この曲の前2曲「昇華」と「BADLOVE」(「BADLOVE」に至っては、歌詞オレが書いたんじゃないし)は、中学校の文化祭のライブで披露するために、言ってみれば、バンドのメンバーにひよって作ったのに対して、この曲は、100%自分のために、自分が今思う社会への不満や憤り、思春期の閉塞感を表現した名曲…だと思ってた。

で、当時の楽譜とかを引っ張り出して、弾いてみた。

歌ってみた。

曲自体は、簡単なリフと、単調なメロディーの繰り返しですごく単純な構成なんだけど、歌詞だよ。

歌詞。

当時、天才的に素晴らしく、文学的だと思ってた。

しかし、その実は、覚えたばかりのチョッと難しい単語を頑張って捏ねくりまして使ってみただけで、恐ろしく内容がない。

何の意味もない。

ケラさんの言う「無意味であることに意味がある」的な意味じゃなくて、本当に100%何の意味もない。

ただ、今とは比べ物にならないほどに溢れでていたであろう、どうしようもない衝動をなんとか形にしたかっただけなんだと思う。

何か形にしたいけど、何を表現したいかはわからない。

そんな感じ。

でも、それが実に良い感じ。

今、どれだけ「中二病」を気取って狙って書いても、絶対に書けない何かがそこには存在している。

高校生の頃、「オレなんて、存在に意味はない」とか、謎の悟りを開いてほとんどの楽譜とか歌詞は、(あえて)火にくべて焼いてしまったんだけど、それでも、唯一精液臭いルーズリーフが1冊だけ残っている。

今度の馬忠・DA・ムドーのアルバムのテーマが決まった。

「中二病~その青春」。

完成は、2020年位で。

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