2021年1月21日 4:17 CAT :
       

オナニーマシーンを聴いてイノマーに思いを馳せたりしてみる

このブログと言うものを書き始めたのはいつか・・・と言うと、多分、2005年かもっと前位までさかのぼると思う。

今の形に移行してからで見るのであれば、2005年9月と言う事になっている。

今年で16年目に入った。時々、過去の記事を振り返って読んでいくと、チョッとセンチメンタルなおっさんになってしまうんでございます。

あっという間のような15年だった。

けれども、こうやって振り返ってみれば、ちゃんと一歩ずつ歩んできた15年だったんだな。としみじみ思うんだ。

本当に色んな事があったよな。

良い事も悪いこともたくさんあった。

でも振り返って見返してみれば、結果的に良い人生だったと思う。

今のところは。

これから先は分からない。でも、大丈夫なんじゃないかなと、漠然と思っております。

さてさて。

子どもの成長をお父さんのふりして、ずっと見続けている。

先日、「おもちゃはおもちゃばこへ」の原稿を描いてる所を娘に見られて「へんたいだ~!」って言われました。

嫁からは、「中学生くらいだったら間違いなく嫌われてたね」と言われました。

なんか、そんな感じらしい。

娘が生まれた時、まぢで「オレの人生はこの子のためにあったんだ」とか、柄にもなく本当に思った。

嫁であっても絶対に上げる事はなかった、大事にとっていた大好物の食べ物も、子どもたちに「欲しい」と言われると、泣く泣く半分こする。

今でも、自分と嫁の血を分けた命がこの世に存在していると言う事が、イマイチ理解できていない。

頭では理解できていないけれども、なぜか、体が全力でこの小さな2つの命を守ろうとしてるんだ。

オレは子どものためなら多分死ねる。

でも、子どもたちが悲しんでくれるうちは、死ぬわけにはいかないと思ってしまう。

何なんだろうね。この気持ち。

昔のブログとかを読み返してて、結局、いつになっても自分の中にあるものって変わりはしないと思う。

「三つ子の魂百まで」とはよく言ったもんだ。

そんな中、一つだけ変わった事があったとしたら、それは、子どもの存在が大きかったんだろう。

不思議なもんだ。

人生と言うものは。

と言う、倒置法を使った所で今日のところはさようなら。

オナマシで多分一番聞いたアルバムはこれだと思う。

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