2024年7月27日 12:03 CAT :

前代未聞の惨劇を見る

人生で一番見倒したMVってなんだろうと言うと、オレはきっと(↓)を上げると思う。

犬神サアカス團(いや、犬神サーカス団の時か)の名曲「三つの扉」のMV。

「最初の扉」って曲のカップリング曲で、最初聞いた時は「面白い曲だ」位のテンションだったんだけど、「切腹」って言うDVDを買って初めてこのMVを見てから、まぁハマり倒しまして、それからどれだけ見た事か。

むしろ「あの頃に戻れるなら もう一度やり直したい」と言うメロディー聴くとこっちの曲の方のイメージが強くて「最初の扉」のイメージが薄い位に見倒したと思う。

アップルフロントからメジャーデビューして、色んな所で「犬神サーカス団」がおもちゃにされてた頃の作品。

それについてファンとしては、チョッと苦々しく思ってた感もあるんだけど、本人さん達も楽しんでたみたいなので、まぁそれも良いかと思った記憶がある。

MVなんて、テレビでのプロモーションのためのものでしょ。と思ってたオレにとって、こんなクオリティーの高い作品があって良いのか・・・と思ったものですよ。

どうでも良いけど、メジャーデビュー直前に発売したDVDシングル3枚もかなり好き。

特に楽曲としては賛否両論だった「黄泉の国」が好きだったな。

あと、「鎮魂歌」の最初の「臨時ニュース」部分でメッチャ原稿をめくるスピードが速かった時に「あ・・・この人たちギャグやってるんだ」と気が付いたのもなかなかの収穫だったよ。

どんなテンションでこんな曲作ってんだ?と思ってたけど、テンションが分かった気がしたんだ。

そう言えばこんな動画もありましたよ。

この動画に入ってる写真のほぼ全てを「あ、あの時か!」とわかるくらいには、人生を重ねてきたバンドなんだ。

初期の部分で流れている「餓鬼」の音源が「籠の鳥。いまだ天空を知らず」の時の再録じゃなくて、「御霊前」の時の音源だったらと思ったりはしたけど・・・

まぁ、それはそれとして、30年の歴史って凄いなぁ。と。

ここ最近だと、筋肉少女帯の「いくじなし」のPVも大好きですよ。

あと、「80年代の筋肉少女帯」と言うVHSに収録されていた「釈迦」のMVも結構見倒したな。

あの動画は、流石にYOUTUBEでもあんまり流れていないんだろうか。

オーケンの個人レーベルUGSから発売されたヤツ。

もしかしたら結構レアなのかもしれない・・・

この左上に写ってるやつ。

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2024年7月26日 12:50 CAT :

あの時に戻れるなら もう一度やり直したい

「弥助問題」と言う話がトレンドによく上がってるらしい・・・

詳しくは知らないけど、信長の時代に黒人を奴隷にする事が流行していたから、日本が黒人奴隷の先駆けだったというアホみたいな話をしてる人がいるって事でしょ?

歴史と言うのは改変されてなんぼなんだと思う。

ただ、オレにとって戦国時代から江戸時代初期については「へうげもの」と言う漫画の内容が正史なので、少なくともオレの認識では、そんな黒人奴隷の文化が日本にあったとは信じがたい。

と言うか、織田信長と言う人間が弥助を重用したのは、存在自体が当時の日本で稀有だったからだったはずで、日本で流行していたのであれば、そこまで重用していたかという点で疑問符が付くよね。

こんな事言ってる人は、取り合えず「へうげもの」を10巻くらいまで読み直した方が良いと思う。

「ファントムタイム仮説」をご存じだろうか。

オットー3世と言う1000年位前のローマ教皇が、自分がミレニアムの特別なローマ教皇であると言う事にしたかったがために、歴史を捏造して年代の帳尻を合わせた可能性があると言う説。

それに合わせて考えれば、今は1700年代になるそう。

そんなアホな。と思いつつ、じゃあこれが絶対になかったとも言い切れないのが、歴史の面白い所だと思っている。

一応、教員免許など所持しております。

高校の社会。大学では、歴史と言うか、考古学を先行してた。

その際にも、如何に正しく歴史に認識すると言う事が難しいかと言う話をかなり思い知らされた。

結局、都合の良いように主観的に作られてきたものなんだよ。

歴史ってね。

だとしたら、真実を知る方法も主観的でいいと思ってる。

そう考えた時、オレにとっての正史は「へいげもの」と言う漫画文献になった。と。そう言う訳でございます。

同じ理由で、古代マケドニアの正史は「ヒストリエ」なので、「フィリッポス王」と「アンティゴノス」は同一人物だし、「アレクサンダー」と「へファイスティオン」は二重人格の同じ人間だったと言う事で落ち着いております。

これが弥助の肖像画で良いじゃないか。

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2024年7月25日 12:19 CAT :

悩む理由が値段なら買え 買う理由が値段なら止めておけ

香川県で、谷川俊太郎の特別展示をやってると言う事で、高松の美術館へ行ってきた。

谷川俊太郎と言うと、「スイミー」とか「さかなはさかな」のイメージが強い。

もしくは、子どもたちが小さい頃めっちゃ読んであげた「もこもこもこ」か・・・

嫁が行きたいと言うので一緒に行く感じだったんだけど、これがまぁ楽しかった。

いやまぢで。

こう言うの行くと、途端にその作家さんの事を大好きになるけど、それはやっぱりその作家さんの事を良く知ってなかっただけなんだと思う。

それは、きっと人生における大いなる損失なんだろう。

と言う事で、しっかり楽しんできて、お気に入りになった本を買ってきました。

今回の企画展の為に限定復刻されたらしい。

「なおみ」と言う本も、凄く良くて買いたかったんだけど、それは残念ながら売ってなかった。

また、古本とかで見つけたらお買い上げしよう。

あと、ホントに子どもたちに読み聞かせ倒した「もこもこもこ」のピンバッジも買った。

その他、嫁と子どもたちもそれぞれに色々お土産を購入したので、売店で1万円くらい買ってしまった。

でも、ここでしか買えないものも多いので、後悔はしてない。

先日、どこかでチラッと見かけたんだけど、モノを買う時の心得。

「悩む理由が値段なら買え、買う理由が値段なら止めておけ」

今後もこの言葉を胸に生きていこうと思っております。

ミーハーだと言うなら、そう罵ってください。

オレはこんな人間なんだ。

どうでも良いけど、この名曲(↑)の詞も谷川俊太郎先生ですよ。

一部改変されているけど。

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2024年7月24日 12:17 CAT :

「出来る」か「出来ない」かではなく「やる」か「やらない」か

今年は、筋肉少女帯のニューシングル「医者にオカルトを止められた男」が発売され、犬神サアカス団のニューシングル「カンフートーキョー」が発売された。

筋肉少女帯の場合「君だけが覚えている映画」以来3年ぶり、犬神サアカス団の場合「目障りな異分子」以来4年ぶりだそうで・・・それだけで単純になんだかすごいよね。

今年は、5年ぶりに「ヒストリエ」の新刊も読めたし。

後は、2年ぶりのハンターハンター再開と、最新刊発売を待つのみ。

今年は、そう言う意味では実に濃密な1年だ。

それはいい。いいんだけども・・・

何か、〇年ぶりっての多くね?

ここ最近、好きなものがほぼ全て「〇年ぶり」な気がする。

唯一そうじゃないのは、「望郷太郎」くらいだろうか・・・

子どもの頃は、大好きだった「ジャングルの王者ターちゃん」の単行本が3か月に1度くらいしかでなくて、「次の話読むのにどんだけ待てばいいんだよ!」と思ってた。(単行本派で、ジャンプは買ってないので)

それが今じゃあ、数年単位ですよ。

これ、子どもの頃に置き換えて考えれば、小学校1年で「ヒストリエ」の11巻を読んだ奴が次に12巻を読むときには小学6年、もしくは中学1年って事になる。

小1で「ヒストリエ」読んでんじゃねえよ。と言うのは置いておいても。

そう考えると、今や、「筋肉少女帯」も「犬神サアカス団」も「ヒストリエ」も「ハンターハンター」も大人の嗜みなんだろうね。

問題なのは、その大人の嗜みが「少年ジャンプ」で連載されていると言う事なんだろうけど。

そう言えば、学生時代にマイケルジャクソンの新譜が6年ぶりと言うのを聞いて、「じゃあ前のアルバム出た時、オレ小学生じゃん!?」ってなった事を思い出したよ。

ここに来て最近思う事は「もっとしっかり活動しろよ」ではなくて、「作品を届けてくれてありがとうございます」になった気がする。

こうなると何か感謝を伝える事でもやろうか。と。

これだわ。

そう言えば、「ハンターハンター」再開まで毎日正拳突きしてる人いたよね。

「筋肉少女帯 感謝の全曲レビュー」でもやろうか。

チョッと、そんな事でも考えております。

このブログでか?

Xの投稿でか?

毎日やるのか?

週に1度にするのか。

どのくらいの文章量にするのか?

などなど・・・形を模索中。

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2024年7月23日 12:18 CAT :

「カンフートーキョー」と聞いて素直に思ったことを曲解して書く文章

犬神サアカス団4年ぶりのニューシングル「カンフートーキョー」がついに手元にやってきました。

4年ぶりか・・・

ジン兄、情次兄がいなくなってからもう5年も経つらしい。

その時の衝撃と絶望についてはこちらに詳しいです。

あの時は、まぢで衝撃過ぎて、心の中にぽっかり穴が開いていた。心情じゃなくて、まぢで体にでっかい穴が開いたんだよ。

それから5年。結成30周年記念の曲。それが「カンフートーキョー」だ。

15周年「籠の鳥」・・・「地獄の子守唄」の系譜上にある犬神サアカス団の真骨頂とも言えるべき和風ロックの頂点(その後、「恐山」と言う超名曲が出てきたりするけど)とも言うべき名曲中の名曲。

20周年「絆」・・・20年間積み重ねられた「犬神サアカス団」と「犬神サーカス団」と「犬神サーカス団!」の世界観、歌詞、フレーズが要所要所にちりばめられており、間奏部分では、初期の代表曲「エナメルを塗られたアポリネール」の語りを新録すると言うコアなファンの方しか向いてないけど、コアなファンは感涙必死の超名曲。もちろん、約束のあの場所でまた会いますよ。

25周年「GOLD」・・・自ら頂点を極め、本物になった「犬神サアカス団」が、25年間積み重ねた自分たちのスタイルにすり寄る事無く、それでいて「犬神サアカス団」と言う存在をあえて新しい方向から見せる事で、これからの進化をファン期待させまくった大名曲。

と、節目節目にとんでもない曲を送り出してくれた上での30周年楽曲。

こんなのファンじゃなくても、ちびる程期待するに決まっている。

それがこの曲。「カンフートーキョー」だ!

って、なんでやねええええええええええええええええええええええん!!!!!!!!!!!!!!

・・・と思ってた。

実際聞いていただこうか。

曲自体の世界観は「犬神サアカス団」ですよ。紛れもなく。

腐りきった世の中において、これからも自らの存在感を示し続け、電光石火の一撃を食らわせ続けますよ。と言う、強烈なメッセージが込めらた曲だよ。コレ。

大げさじゃなく「犬神サアカス団」と言うバンドの存在によって生き永らえてきたオレみたいな存在にとって、この曲は凄すぎる。

そんな表題曲の次には、おそらくこれまでなら節目の曲として出していてもおかしくない「代理懐胎生物」という名曲が収録されている。

この曲は、素直に「籠の鳥」⇒「絆」⇒「GOLD」の系譜上にあるような曲だと思う。

だって、曲の最後が「東京2060」なんだもん。

こんなもん誰でも、カンフートーキョーとつなげて色々考えるでしょ。

でも敢えてこの曲の方をカップリングにしている。

そして、3曲目に「これぞ犬神サアカス団」と思わせる初期を彷彿とさせる「闇のサアカス」を収録。

ここから先は、オレの勝手な妄想ですよ。

今日日CDを購入するなんて、コアなファンだけしかいない。

このCDをレコードショップで手に取って、初めて「犬神サアカス団」と言う存在を知る人がどれだけいると言うのか。

そんな事は、天才犬神明兄さんなら百も承知だろうて。

その上で、この収録曲順にしていると言う事は、これすらメッセージだと思うんだ。

2人の脱退があり、その後新メンバーが入ったけど、その内2人は定着する前に辞めてしまった。

活動自体が不安定になり、縮小していく・・・ように見えている。下手したら、解散はしないまでも活動自体はしてないと言う空中分解すらあり得るかも知れない。

その中で敢えて、真骨頂となるような2曲をカップリングにして、ご機嫌なロックナンバーを30周年記念曲にしたと言う事は、これまもう「心配すんな!オレ達はこれからも腐った世界を香港映画のカンフーのように殴りつけていくぜ!」と言う、意思表明ですよ。

それも、「別にこれまでと同じような事をやろうと思えばできる」事をカップリング曲で見せつつ、敢えてそこを断ち切った上で、新しい「犬神サアカス団」は今この瞬間も進化し続けているぜ!と。

そんな強い気持ちを感じてしまった。

「筋肉少女帯」って、過去に脱退したメンバーが記念ライブとかで一緒にステージに立ったりする。

何だったら、脱退せずにずっと筋肉少女帯なのはうっちーだけしかいない。オーケンすら、脱退して復帰してる。

それで良いと思う。筋肉少女帯ってそんなバンドなんだよ。

でも「犬神サアカス団」にジン兄さんと情次兄さんが合流することは、もう今後ないんだろうと思ってるし、実際ないだろう。

今回の「カンフートーキョー」を聴いて、それで良い。それが良い。それこそが「犬神サアカス団」だと言う、チョッと不思議な感情に包まれてしまった。

何だろう。

良く分からないけど凄いパワーを持った凄い曲が、ここに来てまた誕生したな。と言う気持ちが強い。

「目障りな異分子」の時にはどうしても「やっぱりあの2人の脱退はかなりのダメージか・・・」と思ってしまったけど、「カンフートーキョー」を聴いてその気持ちなんて完全にどこかに吹っ飛んでいった。

いやぁ、これは凄い曲だよ。

やっぱり犬神サアカス団は凄いバンドだよ。

オレの中で「筋肉少女帯」と「犬神サアカス団」は完全に別格なんだよ。

またライブに行きたいです・・・

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2024年7月22日 12:46 CAT :

シャングリラの中に消えた 思い出は無視

改めて、漫画太郎バージョンの「星の王子様」を見ていると、サンテグジュペリの世界観を忠実に再現していることが、良く分かります。

原作、最後まで読んだことないけれども。

「まんこうの奥になんこうを塗る」と言うこのギャグいったい何時から使ってるんだろう。

オレが大学生の頃、「珠海少年zoo1」の中で団子屋のばあさんはすでに言ってたような気がするけど・・・

世界観が共通している漫画が大好き。

なので、オレの書く漫画は全てが同じ世界での出来事で、時系列を辿ると全てが繋がっているようになっている。

中学生の頃から、この壮大な世界観をずっと形にしてきた。

誰も信じてくれないけど、これを漫画にして良いんだと思ったきっかけは、漫画太郎御大の漫画だった。

多分、漫画太郎御大の漫画は全て単行本で持ってると思う。

そうすると、「あ、このネタは地獄甲子園の奴だ」とか、「このシーンで貼り付けられてる顔は、罪と罰の時に使ってたフリー素材じゃねえか」とか、「この階段落ちは世にも奇妙な漫画太郎の時の奴だ」みたいな事が往々にしてある。

「虐殺ハートフルカンパニー」と「珠海少年zoo1」は同じ世界線だったのか!とかも分かる。

正直な話、漫画太郎御大の作品を本気で楽しむには、結局のところ、全ての単行本を読破する必要がある。

って言うか、今更、何か一つの作品だけ読んだとて、面白さの片鱗すら味わう事は出来ないだろう。

それで良いんだ。

自分が面白いと思う事を書き続ければいい。

これが、実に力を与えてくれた。

漫画太郎御大と言う稀代の大天才と同列に語るような烏滸がましい事は到底できないけれども、自分の面白いと思う事を書き続ける。

簡単なようで、こんな難しい事はないんだろう。

オレが今でも漫画を心底楽しんで描いているのは、画太郎御大の存在がかなり大きいような気がしないでもない事はない。

そんなこんなで、ふと、次の漫画考察は「珠海少年zoo1」でやろうかなと思っております。

でも、多分やらない。

それでいいのだ。

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2024年7月21日 12:30 CAT :

デタラメと呼ばれた君の自由の翼はまだ 閉じたまま

実家からありったけの漫画は持ってきていたけど、漫画以外の本については、まだ持ってきてなかった。

それをこの度、再びありったけ持ってきた。

これで、実家にあるオレの書籍はほぼ移動できたと思っている。

漫画と比べると10分の1くらいしかないけれども、小説や本もある程度読んでおりました。

中学生の時、尊敬する国語の先生が「ヘルマンヘッセの『車輪の下』を中学生の時読んで、涙が止まらなかった」と言う話を聞いた。

その日、早速「車輪の下」を買ってきて、読んでみたけどビックリするほどつまらなかった。

いつか面白さが分かる日が来るだろうと思い、そしてこれまで何度も挑戦してきたが、ハンスがラテン語の試験を受ける位のところで何時も力尽きる。

未だに、その面白さは理解できていない。

勿論、今回の書籍の中に「車輪の下」は入ってる。

今度こそ読破しようと思っております。

嫁が、自分の人生で一番大切な本と言ってた「星の王子さま」。

色んな人の訳で、何度も読んでみたけど、いつも蛇に飲み込まれた象の絵が出てくるあたりでいつも力尽きる。

結局最後まで読めたのは、漫画太郎の書いたコミック版だけだった。

「星の王子さま」の最後は、介護地獄になった地球でパヤオがアニメーターになると言う夢を思い出すんでしょ。

ちゃんと、物語の内容は知ってますよ。

「星の王子さま」は本当にこの世界の事を色々教えてくれる。

中二病真っ盛りだった頃に買わずにいられなかった「完全自殺マニュアル」も持ってきましたよ。

結局中二病関係なしに、単純に内容が面白くて、本当に何度も最期まで読んだ。

あと、Xの方で先走り液タラタラしてしまったけど、「ナゴムの話」「筋肉少女帯自伝」「されど闇の深さを知る」ね。

これは本当に、大学生の頃気が狂うほど読み倒したよ。

漫画だけでも、まだ読んでないのがいっぱいあるのに、小説や書籍まで増えてしまって、一体どうすれば良いのやら・・・

楽しい日々はまだまだ続く・・・

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2024年7月20日 12:15 CAT :

ハロー今君に素晴らしい世界が見えますか

先日の東京都知事選の選挙で一番面白かったのは、蓮舫支持の人のXでのポストだったと思う。

何か、「蓮舫に入れなかった人は、女性が東京都知事になる事が許せなかったんですね」みたいな奴。

イヤ、小池百合子はおっさんだったのか!!と。

自分の考えている視野以外の事がまぢで1ミリも見えていないんだろうね。

それはそれで良いんだけど、もう少し自分の発信する言葉を見直した方が良いのではないだろうか。

など、到底オレも言えるはずもない。

このブログも記事が3000を優に超え、20年運営している訳で、そうなると、20年くらい前の非常によろしくない発言なども多々ある訳でございます。

これを「若気の至りにて・・・」で、許されるのなら、山上宗二はあんな惨い殺され方をしなかっただろうて。

「へうげもの」の話です。

口は禍の元。

沈黙は金なり。

余計な事は言わないに限る。

人間はコミュニケーションを取る事で、他のサピエンス属より優位に立ったという過去があるので、これがまた難しいんだろう。

数年前、そんな事を「サピエンス全史」という本を読んでお勉強しました。

「認知革命」とか「農業革命」の下りは相当面白かった。

でも、下巻はなんか急につまらなくなって読まなくなってしまった。

ただそれだけの事。

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2024年7月19日 12:46 CAT :

かわいいワンちゃんの大統領

ホムンクルスの漫画考察・・・今週1週間分に分けて小出しでアップしていった。

追って読んでくれてた超絶奇特な方が万が一いらっしゃったのなら、相当イライラさせてしまったような気がしている。

あい、すいません。

毎日更新のためには、小出しにしたいと言う、100%こっちサイドの事情でございます。

一気に書かないとテンションが持たないので、4~5時間くらいかけてオラオラ書いたんだよ。

だったら、読む側も一気に読まないとテンション持たないよな。と思ってはいたんだよ。思ってただけだけども。

どうしようもなくユーザーフレンドリーではない感じ。

改めて、あい、すいません。

言い訳するなら、その前に数日かけてじっくり漫画を読み込んだ上で、どんな考察にしようか考えたので、実質1週間以上の時間をかけてはいるんだよ。多分ね。

こんな事に時間をかけてどうするんだ。と思う気持ちもないんだけど、意味のない事に全力を尽くせるって素晴らしい事だと、アラフォーになっても信じている。

取り合えず、今後やって行こうと思ってる「こんな事に時間をかけてどうするんだ」と言う事を、備忘録的に書いておこう。

 

 

〇「風を切る日々」の再開
52話と53話は完成していて、54話のネームもほぼ出来上がっている。8月中の54話完成と55話のネーム完成を目指している感じ

〇「ひとときの暗がり」の再開
こっちも一区切りになるだろう第2部20話までのプロットは出来上がって、今、第2部の3話くらいまで完成してる。10話くらい出来上がったらアップしていこうと思ってる

〇「不動産売買であった怖い話」の再開
長かった裁判が終了したので、漫画の方を書いて行きたいと思って、プロットを作っているところ。年内には再開したいな。

〇短編「アルバイト」
今年1話も短編漫画を描いてないので、構想を今練っている感じ。個人的には面白そうな話なんだけど、需要のないタイプ(「口頭無形」とか、「夜誘い麦わら帽子」みたいなヤツ)の方の短編なので書こうかどうしようか逡巡してるところ。

〇完全新音源制作
10年ぶりにCD音源を制作しようとしている。10年ぶりなので、流石にネタも溜まっていて良い歌詞や曲は出来てきているんだけど、如何せんレコーディング出来る環境がまずないので、どうしようかなと。そう言えば、「ヤンディール」さんのセカンドアルバム「不良債権」も完成してないや。

〇新企画「場末の紙芝居屋さん」
3年位前に「ぬとらじ」で構想を明かしていた奴。過去に作った音源を挿絵付きの動画としてYOUTUBEにアップしつつ、解説を「まんがおきば」さんとかで投稿していこうと。最初の音源はやっぱり「ひとときの暗がり」なのか・・・と思いつつ、すでに漫画化していて、イラスト描かなくてもいい「おもちゃはおもちゃばこへ」「虐殺の恋文」辺りでも良いかなとも考えてる・・・考えてるだけで全然動けていない。

〇極ニュースチョクホーの再開
やっぱり4コマ漫画とかを気楽に描いていけるくらいの余裕は欲しいよね。ブログが書けてるんだから、4コマ位かけるだろう。と。

〇過去の演劇台本の漫画化
今年の初めに、人生で初めて人前に公開した「付喪神」の演劇台本を見つけた。それ以降、実際に公演したものや没になったものなど、かなり沢山の演劇用台本を発見したので、これを何とか発表できないかと考えている。「付喪神」か、もしくは劇団で発表した中で一番好評だった「ドリーム in ドリーム in ドリーム」、「逆回転昔話」、個人的に一番好きな「モラトリアムよ永遠なれ」辺りで模索中。まずは、あんまり長くない「付喪神」かな。

 

 

みたいな感じで、やりたい事は日々途轍もないペースで増大していってる。

まだまだ創作意欲は尽きる事を知らないようですな。

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2024年7月18日 12:14 CAT :

マンガを大考察シリーズ(1)「ホムンクルス」 ~その5

そんな話が色々ありまして、「ホムンクルス」と言う漫画を考察していきます。

ここに来て、チョッとだけアーカイブをご用意いたします。

【マンガを大考察シリーズ(1)「ホムンクルス」】

~その1

~その2

~その3

~その4

長くなったけど、今回で最終回。

最後にするために無理やり色々詰め込んだので、普段のブログの3倍くらい長くなってしまいました。先に言っておく。ごめんなさい。

本題。

名越のホムンクルスについて。

作中では、散々色んな人物について、具現化したホムンクルスからその人物の過去とか深層心理を読み解く、と言う展開が繰り返されてきた。

その度に、名越自身にそのホムンクルスが乗り移るように具現化する。

街には、ホムンクルスが見える人と見えない人がいる。

伊藤は、それを名越自身のトラウマとリンクした時に見えているものだと説明していたけど、これ自体は違う可能性が高い。

~その2」の時に書いた「自由意志」の話をオカルト的に解釈すると、自分以外の誰かが自分の意志を決定しているという書き方が出来る。

でも、その「自分以外の誰か」を、例えば自分の過去の経験を含めた周囲の環境だと考えれば、つまらない書き方だけれども現実的な気がしてくる。

名越自身の人生は、おそらく何のトラウマもなく、特に何かがあった訳でもない普通の何でもない人生だったはず。

今の社会を生きているほぼ全ての人間に当てはまる事象だと思う。

人間と言うのは、とかくヒロイックに語りたがる。

そして、本当にヒロイックな人生を送ってきた人間に対して、それをコンプレックスに思う。

それこそが、名越のホムンクルスだったんじゃないだろうか。

実は何でもなかった経験を無理やり自分のトラウマであったと改竄し、自分と言う存在がヒロイックで特別な存在だと思いたい。

自分の事を親がブサイクと言った。それが強烈なトラウマだから整形をするしかなかった。

本当は、何でもない出来事を大げさに自分の中で理由づけて、自分を特別なものにしようとしていた。

あれだけ散々引っ張った「ななこ」から離れた理由も、最後の最後で吐露したのは「ブスとクリスマスに一緒にいたくなかった」と言う、どうしようもなく陳腐なものだった。

自分と言う世界に中身はない。形だけしかない。

だから、中身を持つ人間を見る事に取りつかれ、そう言う人間の真実に触れることで、自分自身が経験したかのようにそのホムンクルスを自分に移してしまう。

それが、名越のホムンクルス。

自分だけはその辺にいる通り一辺倒の人間とは違う。自分だけは特別な人間だと信じて疑わなかった。

それなのに、いつになっても特別な人間であると言う「何か」が起こらない。

整形をしてまで特別な人間になろうとしたのに、それでも特別たらしめる「何か」は起こらない。

気が付けば、普通の人間になるしかなかった。

自分の存在とはいったい何なのか。

自分と言う存在が消えてしまったとしても、それがこの世界に対して何の影響を与える事もない。

自分が存在する必要も意義も何も見出せない。

存在を確かめるため、自らの手首を切る思春期の少女のように、自分の精子を貪ってさえも存在を感じられない。

もちろん、周りの誰にも見出してもらえない。

行きつく果てにあったのは、自分で自分の存在と意義を見出す事だった。

だから、自分自身とセックスをして、自分自身と会話して、自分自身しか見えない世界を没入していった。

念願だった自分と言う存在を見出してもらえると言う天国。

自分と言う存在を自分で見出すしかなかなったと言う地獄。

自分で自分を肯定し、自分の存在を自分で認める事でしか、この世界で生きていく術がない。

それこそが最後の最後に名越が考えた「ここは天国か?地獄か?」と言うセリフに繋がるとしたら、実にキレイな結末だと思う。

今自分が持っている「もの」は自分で選んだものなのか。

今自分が考えている「価値」は自分で判断した価値なのか。

今自分が考えている「理想」は自分で夢見た理想なのか。

情報が溢れかえり、ほぼ全ての人間が自ら発信できるようになった時代において、その自らを肯定している「何某か」は、本当に自らで選び決めたものなのか。

それは、いつかの誰かから移ってきた、自分以外のホムンクルスではなかったのか。

作者さんが読者さんに訴えたかったのかそんな強烈な問いかけだったのかもしれない。

自分が着ている服やヘアスタイル、持っている小物、住んでいる場所、働いている仕事、食べている食事・・・その他全てのものを改めて見直したとき、自分の存在や自分の意志がそこにどれほど介入できているのかと考えると、発狂してしまう人がもしかしたら多くなっているのかも。

ネットやSNSで誰かに勧められたものを買い、メディアが取り上げられた流行に乗り、垂れ流される動画で情報を得た気になり、そこそこだと思っているその人生に、果たしてどれだけ「自分と言う存在」が介入しているのか。

近年特に、顕著にこの現象は起こり続けている。

まとめると・・・

誰かの意志の介入によって同じように形作られた、自分と言う存在を持てない空虚な人間。

それが現代社会における多くの人間であり、その象徴として作られたのが、他人のホムンクルスが次々と自分に移っていく名越と言う存在だった。

・・・そんな話。

これはあくまでも「オレは、ホムンクルスって漫画をこう読んだよ」と言う体で、好き勝手書いてきたので、これが合ってるか合ってないかみたいなお話では決してない。

と、最後にチョッとだけ言い訳をして、長々と書いてきた「ホムンクルス」と言う漫画の考察は終わりと言う事にしておこう。

漫画の考察・・・やってみて分かった。

面白いと言えば面白いんだけど、内容が長いので考察もべらぼうに長くなってしまう・・・

映画とかの方が2時間くらいの内容でがっつり深掘り出来るので、程よく気楽にできていいな。と思いましたよ。ええ。ええ。

もしかしたら、第2回があるかも知れない・・・と言う含みを残しつつ・・・

今日のところはここでおしまい。

長い上にどうしようもない駄文にお付き合い頂き、ありがとうございました。

それでは皆様、おやすみなさい。

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2024年7月17日 12:39 CAT :

マンガを大考察シリーズ(1)「ホムンクルス」 ~その4

そんな話が色々ありまして、「ホムンクルス」と言う漫画を考察していきます。

ここに来て、チョッとだけアーカイブをご用意いたします。

【マンガを大考察シリーズ(1)「ホムンクルス」】

~その1

~その2

~その3

確定している事実を羅列したところで、実際に、名越のホムンクルスについて、やっとこさ考察できそうな気がする・・・

一応、単行本13~15巻の内容を基に見ていきましょうね。

この漫画では、コマ内の表現の視点がコロコロ変わっている事に注意しなければいけない。

基本的には名越の視点で進んでいくんだけど、その中に不意、誰の視点でもない客観的視点と、ななみの視点が点在している。

漫画を読む上での記号の一つの視点と言うものがある。

キャラクターを描写された時の視点の高さから、その視点がどのキャラクターのものなのかを見て、読者は知らず知らずのうちに、そのキャラクターに感情移入するようになる。と言う、漫画とかアニメでは基本的なテクニック。

「ホムンクルス」の場合、名越の視点の高さの時とななみの視点の高さで描かれたもので、それぞれのキャラクターの表現の仕方が変わってくる。

作者の優しさなのか、表現の仕方が変わらないキャラクターに対してはあえて、そのキャラ視点の描写を一切していない。

この作中においてはあくまでも、「ホムンクルス」が見えている人間だけ限定的に視点の高さが作られている。

最終巻の最後32ページのエピローグでは、これまでとは打って変わって明らかに意図的にキャラクターの視点の高さで描かれたコマが存在しない。

全てのコマが客観的な視点での描写のみに終始している。

唯一違うのは、見開きの刑事の絵だけ。

そして、このシーンだけは名越の視点の高さで描かれていて、ちゃんと全てのキャラの顔が名越の顔になっている。

伊藤の顔が名越になっていないのは、エピローグの段階で伊藤の問題は解消されていたからだと見る人も居るかも知れない。

でも、これはあくまでも名越の視点の描写じゃないからで、おそらく名越の視点で見れば女装した名越の顔が写っていたはずだと思う。

これまでは、ホムンクルスが見える人間と見えない人間がいたのに、最終巻308ページ以降全ての人間が名越の顔になっている。

それなのに、322~323ページの俯瞰の見開きだけ、人の顔が名越の顔になっていない。

この辺りから見ても、名越の視点になった時だけ、登場人物の顔が名越になっていると言う事で良いと思う。

「ホムンクルス」と言う漫画を読み解く上で、このコマ毎の視点の高さを意識すると言う行為は、実に重要な意味を持つ。

なぜなら、この作品においては、普通の漫画における、セリフ、コマ割り、絵に加えて、それぞれの視点でのモノの見え方と言う要素が追加されているから。

この作品だけの要素を見落として、普通の漫画と同じ読み方をしてしまうと、コマ毎に表現が変わる事で混乱していき、結果として、難解で良く分からない漫画になってしまう。

難解な漫画ではないんだよ。

確かに、明確な答えは書いてくれていない。

でも、事実を一つずつ並べて、視点を解読していくと、驚くほど読みやすくなるのは事実だと思う。

ここまでクッソ長くなってしまったけど、この考察も次回で終わりにします。

最終回の内容は・・・ここまでに書いてきた前提条件から読み取った、名越本人のホムンクルスの正体について。

何か、上手く引きを作れたので・・・次回を待て!

きっと相当長くなると思うけど・・・

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2024年7月16日 12:06 CAT :

マンガを大考察シリーズ(1)「ホムンクルス」 ~その3

そんな話が色々ありまして、「ホムンクルス」と言う漫画を考察していきます。

ここに来て、チョッとだけアーカイブをご用意いたします。

【マンガを大考察シリーズ(1)「ホムンクルス」】

~その1

~その2

「ホムンクルス」と言う漫画には、分かりやすい答えは書いてない。

読者に考える余地をたっぷり残してくれている漫画。

それを心地いいと思う人と、気持ち悪いと思う人の2つに絶対的に分かれると思う。

この作品の評価が賛否両論なのは、この為なのは間違いない。

心地いいと思う人は、今で言う所の「しりあがり寿」先生みたいな漫画とかが読んでいて楽しいんだと思う。オレもそう。

逆に気持ち悪いと思う人は、やっぱり少年漫画的な気持ちいい読後感のある漫画が読んていて楽しんだと思う。オレもそう。

どちらにも共通する事は、自分で見つけるにせよ、作者さんが用意してくれるにせよ、答えを自分の中に持てると言う事。

完結するまでは、その答えを持つことが出来ないから、未完の作品ってモヤモヤするんだよ。

聞いてますか。冨樫先生。萩原先生。・・・岩明先生、お疲れさまでした。

なので、ここから書く事はあくまでもオレの中の答えでしかない。

その前に、多分、誰もが分かっている事実を羅列しておこう。

 

 

 

〇「ななみ」と「ななこ」は別人
結局、「ななみ」は「ななこ」が整形した姿だったの?それがばれない為に頑なに拒否したの?と思うかもしれないけど、ここは別人で間違いないはず。

お腹の子どもの事を知っていたから、同一人物と言う見方をする人も居るかも知れないけど、「ななみ」と「名越」は同じような経験を持つことでホムンクルスが見えていると言う事なので、「ななみ」もおそらく「さとし」の子どもを妊娠した上で、逃げられていたのだろう。と読む方が正解だと思う。

 

 

〇「ななみ」はセックスの後死亡した
名越にトレパネーションを施された後、激しいセックスをしたため(もしくは、手術段階で失敗していた?)、その後ホテルで死亡しているはず。

そうじゃないなら、あの傷口から出血する描写をわざわざ描く必要はないって。

 

 

〇「伊藤」は「名越」に恋をしていた
途中経過はともかく、自身を救ってくれた名越に対して、伊藤は恋をしていた。

ここに恋愛要素が絡まないのであれば、伊藤が性同一性障害を持っているという設定自体が必要ないと思う。(もしくは、その設定のための色んな展開を作って丁寧に描写する必要はないと思う。)

それに、最期に伊藤が警察を呼ぶシーンがオレの中では、「ヒミズ」のラストで茶沢さんが住田の為に警察を呼ぶシーンと酷似して見えたんだよね。

名越はあれから1年の間に、第2・第3のななみを見つけて、トレパネーションによって殺害している可能性もある。

もしくは、このままセルフトレパネーションを続ける事で名越自身が死んでしまう事を恐れた可能性もある。

どちらにしても、自分がきっかけで最愛の人をこれ以上苦しませたくないという気持ちで警察を呼んだという解釈に変わりはないかと。

 

 

〇名越はホムンクルスを見ていた
作中何度も伊藤が「幻覚だ」「妄想だ」「プラシーボ効果だ」と言っていたけど、実際に名越には「ホムンクルス」は見えていたはず。

そうでなければ説明のつかない描写が作中で、くどい位繰り返されている。

伊藤が「経験にあるものしか見えない」と言った後に、経験のないものがしっかりと描写される。

作者の上手い所は、経験が無かったはずなのに見えていたホムンクルスの中に、「実は名越が忘れていただけだった」事実を時々提示することで「結局どっちなんだよ」と読者に思わせているところ。

ただ、最後の最後「イタさん」のホムンクルスで、完全に経験にあるはずもないものを提示することで、「実際に見えていたこと」を説明してくれてる。・・・はず。

 

 

〇名越は整形しているエリートサラリーマン
作中で、「虚言癖がある」と散々言われているけれども、名越自体の過去については、作中に出てきた通り。

実は整形前の顔や記憶を改竄して、それすらも忘れている、

本名はサトシで、ななみのホムンクルスの顔が本当の名越の整形前の顔。

「ななみ」はやっぱり「ななこ」と言う見方はさすがに捻りすぎだと思う。

 

 

 

とにかく作中にミスリードが多くて、結局どれが真実なのか分からないので、まずはここを確認しておく必要がある。

と言うか、この確認だけで、めっちゃ長くなってしまった・・・

そんなところで、次回を待て!

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2024年7月15日 12:43 CAT :

マンガを大考察シリーズ(1)「ホムンクルス」 ~その2

そんな話が色々ありまして、「ホムンクルス」と言う漫画を考察していきます。

その前にチョッとだけ、「ホムンクルス」と言う漫画の説明を・・・

『ホムンクルス』は、山本英夫による日本の漫画作品。2003年より『週刊ビッグコミックスピリッツ』で連載。2008年28号以降休載していたが、2009年34号より連載再開、2011年12月号をもって完結。

新宿西口の一流ホテルとホームレスが溢れる公園の狭間で車上生活を送るホームレス・名越進は、医学生・伊藤学に出会い、報酬70万円を条件に第六感が芽生えるというトレパネーションという頭蓋骨に穴を開ける手術を受けることになった。その手術以降、名越は右目を瞑って左目で人間を見ると、異様な形に見えるようになった。伊藤によると「他人の深層心理が、現実のようにイメージ化されて見えているのではないか」と言い、彼はその世界をホムンクルスと名付けた。そして、名越は様々な心の闇を抱える人達と交流していく。

そんな漫画だ。

ありがとう。ウィキペディア。

もう少し詳しく知りたい人は、漫画を買って読んでください。

とにかく頭のおかしくなる漫画だと思う。

人間にとってかなり根源的な問題に切り込んだテーマ性は、ホント読む人によっては発狂するんじゃないだろうかとさえ思う。

当たり前と言うか、作品自体のネタバレしかしないので、もし未読で、これから読んでみたいと言う諸兄がいらっしゃった場合には、ここでブラウザバックしてください。

さようなら。

・・・

・・・・・・

・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・

前置きがとにかく長くなり過ぎたけど、本編も負けない位長々書いて行ければいいなと思っております。

さてさて。

本作において何を考えるか。

トレパネーションがどうなのかとか、第六感がどうなのかと言う話や、オカルトな話ではないと思う。

実際、この物語においてその辺りの事象はあくまでも、物語のテーマを展開するための添え物でしかない。

この物語自体のテーマはどう考えても「自分と言う存在」。

これしかないと、オレは思っている。

実生活において、「自分と言う存在」の意義について考え、その瞬間瞬間の行動を決めている人間がどれほどいると言うのか。

それは哲学の永遠のテーマの一つである「自由意志」にまで遡る問題だとさえ思う。

以前、「Gの世界」と言う漫画を描いた時、この自由意志について言及したことがある。

恐ろしい事に、脳は自分の意志を決定していないと言う事が分かってきたらしい。

では、自分の存在とは、一体どうやって作られたものなのか。

自分は、この世界に本当に存在しているのか。

そもそもこの世界は本当に存在しているのか。

この問題について、どこまでも考え続けていくと、おそらく人は発狂してしまう。

だから、その問題を考えないようにして日々を生きている。

そんな人間を、この問題に強制的に向き合わせようとする行為が、「ホムンクルス」と言う作品の中では「トレパネーション」だった。と、まぁ、そんな話ですよ。

そして、その自分自身と言う存在を具現化したものが「ホムンクルス」と言う状態。

「ホムンクルス」と向き合う事によって「自分と言う存在とは何なのか」と言う問題自体と向き合い、取り合えずであれ、その答えを得る。もしくは、答えに迫ることが出来る。

それは、ある意味で救済であると同時に、ある意味で絶望にもなりえる。。

それが、この漫画の雑誌掲載上の最終回の最後の見開きにある「ここは天国か?地獄か?」と言う言葉に繋がっていくんだろう・・・と思う。

この漫画におけるヒロインである「伊藤学」も、自分と言う存在の根底にあったものと向き合う事で、本来の自分を取り戻し、自分自身の存在を自分で肯定することが出来た半面、そのために絶望する事になる。

まさに「ここは天国か?地獄か?」。

組長さん、女子高生、伊藤学と一人一人見ていっても良いんだけど、きりがないので、やっぱりここは「名越」にとってのホムンクルスをもう少し掘り下げて考えていきたいと思っております。

そんなところで、次回を待て!

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2024年7月14日 12:31 CAT :

マンガを大考察シリーズ(1)「ホムンクルス」 ~その1

少し前の記事で、「漫画の考察をやってみたい」と書いた。

で、その後、何で書こうかなぁ~漫画をペラペラ読みながら考えてた。

最初に浮かんできたのは、「進撃の巨人」と「ハンターハンター」だったんだけど、この辺りの漫画については、考察と言うよりは伏線回収についての解説にしかならないよな。と。

同じ理由で、「ヒストリエ」もなしか。

そもそも、完結してないと、つけたしの要素が増えるのは厄介。

あと、めっちゃ長い漫画もしんどいよな。

そんな事を考えてて、これはちょうどいいと思ったのは「亜人」だった。

これだと、丁度いい位の巻数で完結してるし、伏線がどうのこうのと言う面倒くさい事にとらわれずに、「そもそも、生と死について」みたいなテンションでツラツラ書けるかなと思った。

ある程度読み直した。

流石に面白い。

特に、「佐藤」のキャラは、ホントここ数年の敵役では断トツで良いキャラクターだよ。

ただ、読み終わって思ったのは、ほぼ考察の余地がない事だった。

きっと作者が完璧主義者なんだろう。

物語が完全な形で終わっている。

それは途轍もなく凄い事なんだけど、考察ってなんだよ。って話。

「亜人とは?」とか「IBMの存在とは?」みたいな話なんて、ぶっちゃけてしまえば「漫画内の設定です」で終わってしまう。

そりゃあそれを、なぜこの設定を作ったかと言う制作の裏話にまで広げれば書けるんだろうけど、今回やりたいのはそう言う事じゃない。

みたいなことを考えたら、たまたま「亜人」の横に並べていた「ホムンクルス」が目に入った。

コレ良いんじゃね?

読み直してみたら、凄く絶妙。

長さもちょうどいいし、完結してるし、しかもちゃんと読者に妄想の余地をたっぷり残してくれている。

これこそ、考察に丁度いい漫画じゃありませんか。

と言う事で、明日から数回に分けて「ホムンクルス」を考察していこうと思った次第でございます。

久々に・・・次回を待て!

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2024年7月13日 13:31 CAT :

赤黒い血を流す少女の顔は老婆のように変わり果てる

先日まで、チョッと研修とやらに出ておりました。

どんな研修かと言うと、会社経営をシミュレートしながら、実際の帳簿をつけていくと言う人生ゲームみたいなヤツ。

新卒の頃、新入社員研修で同じようなゲームをやった記憶がうっすらとある。

その時このゲームで、当時その新人研修を仕切っていたどっかの会社の会長さんをぶち抜いて、資産1位になったせいで、その後、研修中ずっと「お前はダメだ!」「ゲームで成功したって実際の社会ではやって行けない」とか散々言われたと言う苦い思いでしかないやつ。

今になって物凄く好意的に考えれば、あれも八つ当たりとかじゃなくて、このまま新人を調子づかせないようにすると言う事だったのかもしれない。

だとしても、そのお陰で、随分メンタルズタボロにされたと言う事実は消えるはずが無い。

20年くらい前。

まだ、圧迫面接とかが当たり前の時代。かつ、就職氷河期で、とにかく労働者の立場が不利だった時代の話ですよ。

今回、研修の話を聞いた時には、その時の事をふんわり思い出して「いやだなぁ~」としか思わなかった。

とは言え、せっかくなので参加してみる事に。

前に受けた時の記憶なんてほぼほぼないので、ゲーム自体の内容は初めてに近かった。

前にやった奴はもう少しシンプルだったような気はする。

今回の研修中、このゲーム自体は面白かったし、前の時みたいな嫌な思いとかも全くしなかった。

今、実際に会社を経営しているわけで、ここ数年やってきたことを分かりやすい形で振り返ることが出来る感じ。

結果を見れば、何とか研修中倒産させずに、利益を出して終わる事が出来たけど、莫大な利益を出して会社を大きくしたわけでもなく、細々と利益は確保しつつ続けて行けているという、実際の今の会社に近い状態で終了した。

そんなところまで含めて、リアルなゲームだったと言う事だろう。

問題なのは、2日間、たくさんの人の中で揉まれつつ、脳を使い過ぎたため夜も覚醒状態でほぼ寝つけず、終わった後、体調を崩して2日ほど寝込んだことか。

まぁ、たまには、こうやって普段と違う事をやる事も大切ですよね。

パターン介入と言う奴です。

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2024年7月12日 12:02 CAT :

お名前なんてぇの?

先日の東京都知事選について、石丸氏がどうなるかが見ものだねと言う感じでチョッと記事書いてたけど、蓋を開けてみれば予定調和のように小池氏の再選でしたね。

分かっていたよ。番狂わせなんかねぇだろうな。と。

ただ、その中身を見ると、若年層では石丸氏が圧倒的支持、中高年層では小池氏が圧倒的支持、そして、蓮舫氏はどの層からも支持されてなかったと言う事が何となく分かった感じ。

投票率は、ここ数年では最高レベルで高かったらしいけど、それでも若年層の投票数はまだまだ少ない。

だから、お前らが投票に行かなければ、若い奴らの生活は良くならねぇんだよ。と。

なぁ~んでそれが分からないのやら・・・

もっと若年層の投票率が高ければ、蓮舫氏と石丸氏の差がもっと空いてただろし、暇空氏は50万票くらいとれていたと思う。

どっちにしても、小池氏の再選は揺るがなかっただろうけれども。

結果が分かってから、たらればを考えるのも楽しいです。

それで、未来が変わるかと言うとそう言う訳でもないことは百も承知がコンチクショウ。

あと、蓮舫氏のヤバさはしっかり伝わって、石丸氏に入れることで、小池氏の票数が減って蓮舫都知事が誕生することに危機感を覚えた層が一定数いたような気がしないでもない。

まぁ、どっちにしても秒殺KOだったし、そんな話しても詮無い事よ。

などツラツラ書きながらも、投票権もないし、所詮多少面白がるくらいしか出来ないオレは、娘と一緒に先日買ったブルーレイの「LEON」完全版を堪能しておりました。

「フィフスエレメント」については日テレ版日本語訳が最高傑作なんだけど、「LEON」に関しては、スタンはテレ朝版、レオンとマチルダは旧作ソフト版が好きなので、思うようにならないんだよなぁ。

今回は、娘がスタンを見たいと言う事でテレ朝版の安原さん吹き替えで見たけど、次一人で見る時は旧作ソフト版で見る。

いや、旧作ソフト版の佐古さんスタンフィールドもめっちゃカッコいんだけど、やっぱりスタンの狂気が一番出てるのは安原さんのバージョンだと思う。

お話が取っ散らかってしまったので、今日はここまで。

トム・フェルトン好きだった娘が、少しずつゲーリー・オールドマンにハマってきている。

オレの趣味に染めていっていいものか。

悩ましい所ではあります。

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2024年7月11日 12:54 CAT :

俺らまだのびしろしかないわ

朝起きて、フロントの部分で植物を見てると・・・「???」

トンボが、ドリフのコント見たいな感じで死んでた。

何か、うまく撮れなかったんだけど、お分かりいただけるだろうか。

庭に植えたティーツリーちゃんの枝では、アブが交尾をしておりました。

テラスで育てている、タニワタリには、庭で生まれたカマキリが住み着いているらしい。

夏がやってきましたな。

夏生まれなので、この季節は個人的に生き生きしてしまう。

しかも、今年は数年ぶりに夏らしい日差しがクッソ熱い気がする。

良い季節が来たと信じておこう。

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2024年7月10日 12:00 CAT :

泣きながら眠るよ 時の中で

香川県と言えば、何か知らないけど最近、父母ヶ浜と言う海岸が有名になってしまった。

いつまでも、うどんだけではないのだよ。ワトソン君。

その父母ヶ浜ってとこは、昔っから、潮干狩りでチョッと遠出して親に連れて行ってもらってた場所。

地元と言うにはあまりにも遠いけど、ちょくちょく遊びに行ってた訳ですよ。

それが、何か有名になってしまって、海外からの人とかもいっぱい来る観光地になってしまった。

周りの人は良いと思うんだけど、もう麦わら帽子被って、潮干狩りしにいくのは到底憚れる感じになった。

と言うか、駐車場もいっぱいで何だかもう近寄れない。

うどんブームの時、行きつけだった近所のうどん屋に行ったら、見知らぬおばさんに「にいちゃん、セルフうどんの食べ方分かる?」と聞かれて、悲しくなったのに近いものを感じております。

「お前がこの店にやとわれるより前から、この店に通ってるわい。ボケが!」と声高に言えるはずもなく、その店にはそっと行かなくなってしまった。

ブームが過ぎ去った後、似たような経験から地元の人にも見放されて閑古鳥が鳴いているお店も多々ある訳ですよ。

ブームとは実に罪深い。

少し前はタピオカ屋や高級食パン店、最近では餃子の無人販売や、から揚げ専門店の閉店告知を眺めながら色々思ってしまう。

父母ヶ浜がそうならない事を祈りつつ、もうここで潮干狩りは出来ないので、遠くから愛でるだけだ。

その父母ヶ浜は、何でも、インスタ映えが良いと言う事で、有名になったらしい。

こんな写真。

キレイだとは思う。

ただ、田植えのこの時期、夕方近所の水田で散歩しながらでも、似たようなもの撮れますぜ!

みたいな野暮な事は言わないでおこう。

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2024年7月9日 8:45 CAT :

駆け出す世界に心奪われて 無邪気な瞳にゆれる

「まぁいつでも買えるからいいか。」と、取り合えず購入を先送りにしていた漫画がいつの間にか買えなくなってる。

どころか、価格が高騰しているという事が多々起きている。

出版業界が不況過ぎて、発行部数が極端に落ちていると言う事なのだろうか。

最近だと、徳弘先生の「亭主元気で犬が良い」をうっかり買い忘れてたので、続き買おうかなと思ったら、もうどこにも売ってなかった。

それにビビッて、買い忘れを調べたところ、「おやすみプンプン」の10巻以降と「エンバーミング」が8巻以降を買ってなかった。

「エンバーミング」は発行部数も多かったのか、特に問題なく買えそうだけど、「おやすみプンプン」はもう中古でもなかなかない感じ。

と言う事は・・・と思い立って「男坂」を買おうと思ったら、なんと全巻セットは16000円くらいする・・・

???

「男坂」ですよ?

オレ前に1~3巻セットで100円で買ったんだよ?

でも、連載再開後の4~11巻は普通に売ってるみたい。

じゃあ、オレがセットで100円で買った1~3巻が1万円以上の価値があると言う事なのか!!?

軽い衝撃を受けた。

まぁ、そう言う事ならと、残りの分は新品で買おうと思ったんだけど、なぜか7と8巻だけ新品でも中古でも見つからない。

何か事情でもあるんでしょうかね。

取り合えず、今日お仕事で出る予定があるので、近所の古本屋さんにでも寄って、「男坂」売ってないか探してこよう。

欲しい漫画は出来るだけ発売日に購入するように心がけます。

とは言え、今、オレが新刊で集めている漫画はもう「波が聞こえる」「望郷太郎」「マイホームヒーロー」「カイジ」「ハンターハンター」「ヒストリエ」だけになってしまった。

そして、その内3つは休載中。

「ヒストリエ」に至っては、もう最終巻だとさえ思ってる。

そう言えば「喧嘩商売」と「バスタード」もあったな。

いや、これももう最終巻だろう。

「ハンターハンター」は続きが出ると期待しております。

どうでも良いけど、今連載再開の準備してる「不動産売買であった怖い話」の最終話の扉絵は、もちろんこの男坂の最後の見開きの パクリ オマージュですよ。

このページね。

オマージュと言うのがおこがましいクオリティの差・・・

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2024年7月8日 12:57 CAT :

12時解禁で見られる明日のビジョンは大切なところでモザイクがかかる

世の中には色んな事を懇切丁寧に教えてくれる人がいる。

でも、その色んな事をそのまま信じてしまうと、実態が見えなくなることも多々ある。

情報化社会ですな。

情報化社会と言われてもあんまりピンと来ないけれども、要は、色んな媒体がいろんな角度から様々な情報を垂れ流してくれていると言う事だと理解している。

これまでは、「はい。これが大切な情報ですよ」とテレビなり、新聞なりが懇切丁寧にお届けしてくれていた。

それだけを信じていれば、それはそれで幸せだった。

所が、その情報自体が実は偏ったものだと言う事さえ分かるようになってきた。

偏ったものの考え方をするのは果たして正しいのか。

で、結局、色んな人が情報を垂れ流すようになって、受け取る側がそれぞれの取捨択一をしていく必要に駆られるようになってしまった。

まぁ、そんな感じかなと思っております。

何で人前で政治の話をしてはいけないんだろう。とか、ふと考える。

大っぴらに批判してはいけないのは、日本の文化としてある意味素晴らしい気もする。

で、同時に、その裏にある本来の意味を読み取らないといけないと言うスキルも要求されるらしい。

その辺が良く分からなくて、上辺通りの意味で理解すると、それはそれでダメなんだって。

日本語は、世界で最も理解するのが難しい言語らしい。

だからこそ、物凄く繊細な表現が出来るんだろうね。

それはきっと良い事なんだよ。

問題なのは、情報社会においてそれがマイナスに働く場合が多々あると言う事なのかもしれない。

何が言いたいかって、「もう色々めんどくせぇな」と思う事が、ここ最近色々あったよと言う事でございます。

それでも、前を向いて生きていくです。

それしかないです。

二股に分かれたかわいいネコジャラシを見つけた。

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2024年7月7日 12:45 CAT :

陳腐な物語~七夕変

七夕の日でございます。

だから何だと言うと、何でもないですと言う話だけれども。

折角なので、少しだけ七夕にちなんだエモい小話でも書こうかと思った。

思ったんだけど、流石にそんな陳腐なものはいかがなものかと。

七夕にちなむ物語。

ふと頭の中に浮かんできたのは、一人のおじいさんだった。

かつて、最愛の人など一人もいないまま、孤独に年老いていった一人の老人。

自分の人生とはいったい何だったのかと、毎夜眠る前に、それまでの人生を回顧し、ただただ呆然とするだけの毎日。

幾らかつての毎日を振り返ろうとも、そこに意義のある何かを見つける事は出来ない。

それを悲しいと思い涙を流す事すら出来ない程に、もう年老いてしまった。

このまま、何ら意味を見いだせないままに人生を終えるのだろうと、その全てを受け入れた。

そんなある夜。

あまりにも老人を哀れに思った一人の神様が気まぐれで、老人にかつて若かりし頃に出会ったであろう最愛の女性を思い出させる夢を見せた。

ふと老人はその事を思い出し、実は自分の人生に対して意味がないと言うのは、とてつもなく尊大な考え方であったことを知る。

人生とは、自分で選択することが出来る。

選択の結果、ここに存在している訳であり、因果の鎖の果てに現状があるのだとすれば、その選択の答えであると言うだけで、その人生には意味があるのではないか。

奇しくもその夜は七夕。

1年に1度しか最愛の人に出会えない選択をしたものの話に思いを馳せつつ、最愛の女性と添い遂げる選択をしなかった老人は静かに眠りについた。

その顔には、ここ数十年なかった不思議な安堵があったという。

やっぱり、陳腐な話になった。

分かり切ってた結果になる。

それもまた人生。

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2024年7月6日 12:47 CAT :

悲しみが飛び乗って優しさに生まれ変わる そしてひとつになれればいい

不動産屋さんからお金が帰ってきた。

これで、2年くらいかかった裁判が全て終わった事になる。

と言う事で、裁判の色々についてを漫画にして「不動産売買であった怖い話」第2部を再開しようかなと思っております。

思っている以上に凄い事態が起きつつも、果たしてこれがすっきりする終わり方になるのかと言うと何とも言えない感じもする。

結構賛否両論あるかも知れなくて、それを全部漫画にしてしまって良いものかと悩んでたりはするけど、まぁ、せっかくの面白経験なので、忘れる前に書いておこう。

多分、また10話前後になると思う。

今となっては、もう遠い昔の話のようにすら感じてしまう。

新しい土地を凄く良い感じの人から買うことが出来、その後も色んな人の協力を得て、無事お家が出来上がった。

この日曜日にも庭に新しい植物を植えたり、嫁や子どもと家庭菜園を作ったりとのんびり楽しんでいる。

あぁそう言えば、騙されていっぱいお金を払った上に、裁判までしてたんだなと、変な感じで回顧するに至った感じ。

この話を書き始めると、またどうでも良くなった過去の事を思い出し、沸々と怒りが湧いてくるかもしれないよね。

余計な事はしなくても良いのか。

それもそれとして楽しむべきなのか。

取り合えず、当時のテンションを思い出すべく、第1部の方を自分で読み返してみます。

そう・・・

この擦り倒した表紙。

新しい表紙を描き始める事から始めたいと思います。

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2024年7月5日 12:04 CAT :

束の間に意味など知りうる術もなく ただ鮮やかさだけ昨日に駆け抜けた

息子が小学校での素行が悪すぎて、席を一番前にされてしまったらしい。

先日、しょげきった顔で「ゲームとかやれないように、見守りswitchの時間をゼロにして」と言ってきた。

話を聞いてみると、どうしても授業中にゲームの事を考えながら手遊びしたり、落書きしたりしてしまうから、ゲームを止めてしまいたい。でも、出来るとゲームをやってしまうから、出来ないようにしてほしい。と言う事らしい。

・・・何か、子育てしてるぜぇって感じがする。

先日、子どもたちの授業参観に行った時、息子は確かに手遊びもしてるし、落書きもしてたけど、ちゃんと授業受けてるなと思ってた。

でも、先生の評価はダメだったらしい。

息子に少しだけ話をしてきた。

そもそも勘違いをしてる。手遊びをしてはいけないとか、落書きをしてはいけないんじゃあない。授業についていけなくて、理解できなくなることがいけない事なんだ。と。

息子は「?」がいっぱい浮かんでた。

お前が考えるべきは、ゲームを止める事でも、落書きや手遊びを我慢する事でもないんだよ。

授業をしっかり聞いて、内容を理解して、ノートをしっかり取って、テストで点を取りつつ、手遊びをするためにはどうするべきかを考えればいい。

もし、テストで良い点とって、ノートもしっかり取れて、忘れ物もしなくて、宿題もちゃんとできてるのに、落書きしたことを先生に怒られたら、お父さんが先生に話しに行ってあげる。

ただ、そこまで考えてまでしたいとは思わない程度なら、今すぐ辞めてしまえ。

話の内容が理解できてないとは思わないけど、息子は黙って考えてた。

そもそもなんで、手遊びしちゃあダメなのかを誰も説明してくれてなかったのかもしれない。

自分がやりたいと思ったことがあるのであれば、それがどのくらいやりたい事なのかを考えればいい。

その上で、そうでもないなら辞めれば良いし、どうしてもやりたいならやれば良い。

ただ、それだけの話なんだと思う。

やりたい事を伸び伸びやって、変な大人になってほしい。

ただただ、それだけを願っております。

自分の自我をもって、自分のやりたことに対して色々考えてる子どもたちを愛でていると、まぁ、可愛くてしょうがないと言う話。

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2024年7月4日 12:53 CAT :

きみの行きたい場所はどこでも行ける

東京都知事選が何か知らんけど、面白い事になってきてる。

まず、蓮舫さんにだけはなってもらっては困ると言うのは、ほぼ全ての日本国民の総意だとして、問題は石丸伸二さんだよね。

安芸高田市の市議会の話は、良くYOUTUBEで見てた。

エビス記者とのやり取りとかも、地方の新聞記者ってここまでアホなのかと思いながら、ニラニラしながら見ておりました。

石丸伸二さんが知事になると、これと同じことを東京でもやるんだろうかと思うとそれはそれで面白いよね。

ただ、これまでの話が面白かったのは、あくまでも耄碌したおじいちゃんおばあちゃんがワチャワチャやってた地方のいち自治体の議会の中だからな訳で、流石に日本の首都の都議会で同じような事は起きないんじゃないかなと思ってる。

何だったら、一方的に権力に叩き潰されて何もできずに終わってしまうんじゃないかとすら思ってる。

チョッと噛みで飛び込んでみて、かき回したくらいで変われるほど簡単な話じゃない位複雑に利権が絡み合ってるんだろうと。

石丸伸二さんは同年代。

オレと同じ同年代の人が、その中で戦ってくれるだけでも、何か政治に対してアクションを起こしても良いんだと言う強い気持ちを持たせてくれるので、それだけでも効果はあるんじゃないかとさえ思う。

石丸伸二さんと言う人が何者なのかという点に関して、良く分からない部分もある。

もちろん、今表立って出ている部分だけではない裏の顔もあるだろうて。

ただ少なくとも、2重国籍を持って共産主義国のスパイをしてると噂されている蓮舫さんよりは間違いなく良いのは間違いない。

あと、この石丸伸二さんがもし当選するとなった時には、ネット上での動きが世論を動かすと言う、そっちの意味での歴史的な出来事にもなる可能性があるよね。

テレビではどう考えても、小池さんと蓮舫さんの事ばっかり偏って報道してる訳で、その上で、石丸さんが当選なんてしたら、テレビよりネットの方が世論に対して影響力があると言う事になってしまう。

もし、今回石丸さんを当選させるため、過去にない位40代以下の投票率が高かったりしたら、めっちゃ面白い事になるんだけどな。

などなど思っております。

まぁ、オレは超絶田舎の四国に住んでいるので、直接何かが出来る訳じゃあないけれども、それでも今回の都知事選はかつてない位結果を楽しみにしています。

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2024年7月3日 12:39 CAT :

5年おきに現れる前髪を垂らした知らない動物

映画とか、音楽作品とかを見ての感想と言うか、考察って言うのは好きで色々書いてきた。

それが当たってるか当たってないかは問題ではなくて、「オレはこの作品に対してはこう言う楽しみ方をしてますよ」的な感覚で書いてた感じ。

ルパン三世のOVA作品「green vs red」の考察なんか、なぜか未だにこのブログのアクセス数で常にトップクラスの人気記事になってしまってたりすらする。

一応、その記事を加筆修正した奴も昨年アップしてたりする。(⇒こちらですな)「【過去の自分を見つめ直すと言う名の水増しシリーズ第3段「「GREEN vs RED」について書いてみたらこんなに長くなってしまいました。4年ザクロ組志茂田 聾二」

ホント面白い名作だよ。

「カリオストロの城」や「vs 複製人間」とは全く違った角度で。

ふと気が付いた。

一番好きな漫画作品でこの考察と言う奴を全くやってなかった。

と言う事で、何か漫画でもそう言う考察をやりたいなと思った次第でございます。

いやね。「ヒストリエ」の12巻読んでて、フィリッポスが死んだと思わせて死んでない描写があったから、絶対、公には死んだことにして、アンティゴノスとしてエウメネスと結託するんだと思ったんだよ。

この構想に関しては、絶対連載開始当初からあったはずで、そうじゃないとおかしい伏線がメッチャたくさんある。

ただ、まぁ先日の記事でも書いた通り、おそらくその超ワクワク展開に関しては執筆されない可能性が高いよね。

考察に取り上げる漫画として「ヒストリエ」は止めておこう。

本当は凄くやりたい気もするんだけど・・・

と言う事で、何か、考察できる作品無いかなとぼんやり考えております。

最初は自分の漫画でやってやろうかとも思った。

「Gの世界」とか、結局最後は凄い独りよがりで終わってしまった気がして、チョッと後悔してるし。

でも、自分の漫画はなぁ~・・・考察と言うか解答だもんな。

それは、「オレはこの作品に対してはこう言う楽しみ方をしてますよ」と言う考察ではなんだよ。

そんなもの考察じゃなくて、タダの補足説明だ。

そんな情けない事はやりたくない。

「これで書きたい!」と言う記事が見つかったら、近日中に書くと思う。

書かないかも知れないけど、その折にはまぁ、察してください。

結局作品を絞り切れなかったと言う事ですよ。

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2024年7月2日 12:44 CAT :

背中押される夏の日には鮮やかに揺れる花になろう

家の中はジャングルになってる。

そもそものきっかけは、嫁と結婚する前に貰った一つの「セレウスサボテン」の千田。

千田をお迎えした時の記事はこちら

なんと、17年前だった。

それからどんどん植物の事をカワイイと思うようになって、「クワズイモ」「多肉色々」「ガジュマル」「パキラ」・・・と増えていき、気が付けば、軽いジャングル位家の中が植物で溢れるようになった。

お庭にも植物を植え続けていて、何か知らんけど、至る所に植物がいないと落ち着かない体になってしまった。

17年前に購入した千田は残念ながらお亡くなりになってしまい、今は、別のセレウスサボテンを育てているけど、ほぼ同時期に購入した「ガジュマル」のガジパパ、多肉植物のぶにお、「クワズイモ」のイモ太、「パキラ」のネジリはまだ今も元気に育っている。

ネジリは大きくなって切る度にその枝を新しく植えていってるので、子孫がいっぱいになった。

イモ太はなぜか分からないけど、昔買っていたカメ「ぬんちゃく」のお墓から新芽が出てきて、庭で物凄く大きく育っている。

ぶにおなんて、勝手におちた破片から芽が出てきて、増え続けてるし。

育てているとどんどん大きくなっていく上に、株が増えていく。

それなのに、かわいいやつ見つけたら買ってくるから、気が付けば、家の中がプチジャングルになってしまった。と、まぁ、そう言う訳でございます。

きっと良い事なんだと思ってる。

そして、これからも良い事なんだと思って育て続けると思う。

一番初めに育て始めた「千田」はこいつ。

それから17年。

ホント色々あったもんだ。

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2024年7月1日 12:37 CAT :

情念にしたがって生きてはいけない春の鬼

ポリコレさんのお陰で、人に対して褒める事も堕とす事も出来なくなってしまった。

人の事は言えないなら自分の話をしようとすると「ソフト老害」と言われる。

かと言って、当たり障りない感じで天気の話とかするのは何より嫌い。

先日、子どもの話してたら、結婚してない40過ぎのおばちゃんが物凄く不機嫌になって空気が重くなったし。

もう何を話せばいいのやら・・・

じゃあ何も話さないってすると、今度は「気難しい」やら「良く分からない」やらの評価を受けるらしい。

「多様性」「多様性」と言うのであれば、こういうそれぞれの意見に対しても多様性を見せてみやがれと思うんだけど、それはダメなんだろうか。

多様性とはこれ如何に?

めんどくさい事この上ない。

オレは人見知りで、そもそも誰とも話とかしたくないし、誰とも会いたくないんだよ。

放っておいてくれないものか。

黙々と机に向かってやりたい事をやってるのが一番いいんだけどなぁ。

今週はずっとどこか行って、誰かと話をし続けてたんだよ、

もうあたい疲れちゃった。

さようなら。

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2024年6月30日 12:24 CAT :

両手を広げ空を見て 自由を求め飛び立つ

先日、亡くなったばあちゃんの三回忌があった。

正直な話、未だにばあちゃんが居なくなったと言う事をちゃんと受け止められてはいない。

受け止められる訳がないんだよ。

以前書いた、ばあちゃんの話はこちら

あれから半年経ったけど、半年やそこらで受け止めて前になど進められるはずが無い。

でも、三回忌の法事はあった。

思えば、亡くなった人の事を節目に思い出す事でいつまでも引き摺らなくていいように、昔の人が考え出したものが、この「法事」と言うものだったのかもしれない。

子どもの頃、法事なんて面倒くさいだけのものだった。

考え方は色々変わるものらしい。

良い悪いは別にしても。

生と死に対する考え方は、時代と共に変化してきたと言われている。

今の時代は、これまでのどの時代と比べても、死ぬ事が重くなってきているような気がする。

そして、死にたいと思っても、自分の気持ちだけで死ぬことが出来なくなっている。

それでも、変わらないものはきっと根底にあって、それは人類にとって普遍的なものなんだろうね。

祖先を敬って、子孫を愛でる。

そんな人生を歩んでいけるなら、きっとそれで人としては充足しているんだろう。

個人としての感情などは知らぬ存ぜぬで行きたい所でございます。

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2024年6月29日 12:13 CAT :

意味深な言葉で核心に迫らないで

とにかく好奇心が強くて仕方がない。

何でもやってみたいし、何でも一度は経験してみたい。

他の人のことは良く分かんないので、何とも言えないけど、まぁまぁ色んな事を経験してきたと思う。

それが良い事なのか悪い事なのかは分からないけど、何しか、色んな経験値があると言う事はダメな事じゃないんだよ。

学生時代、漫画を描きながら、演劇をやりながら、バンド活動やっておりました。

大学では考古学を先行しつつ、教職の資格を取り、実際に教育実習にも行った。

その後は、営業したり、ネット店長したり、工場のラインに入ったり、プールで売り子したり、ニートしたり、結婚したり、子ども出来たりしながら、流れ流れて自分で会社をやってた。

結局何がしたかったのか・・・

よく聞かれるけど、取り合えずやってみたいと言うだけな気がする。

一つだけ言えることは、やってみたことの中で無駄だったと思う事はひとつもないと言う事。

何か良く分からないけど、取り合えず子どもたちにも、チャンスを貰えるのであれば、どんな事でも一度やってみれば良い。と言ってる。

やっと事ない奴よりやっと事ある奴の方が、きっと何か良い事があるはず。

面倒くさいからって逃げ回ってたらきっと詰まんねぇ人生になるんだよ。

メッチャ人見知りなのに、なぜか飛び込みの営業とかしてみて、無茶がたたって半身不随になったオレが言うんだから、間違いないと思う。

こうやって自分の過去を語るようになったら、もうそれはおじいちゃんに片足を突っ込んでいるわけですよ。

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2024年6月28日 12:01 CAT :

ぼくらはみんな意味がない

「ヒストリエ」5年ぶりに新刊が発売された。

待ちに待った新刊・・・読んでみたら、まぁ、面白い。

まぢで素晴らしい作品ですよ。

コレだけのクオリティーを出すために5年間かかりました。と言うなら、さもありなん。

全然大丈夫。

「寧ろ、5年もかけてこんなすごい作品を作ってくれてありがとうございます!岩明先生!」だ。

人生で最も影響受けた漫画が「寄生獣」だと言う事は再三書いてきたし、これからも生涯変わる事はないと思う。

そんな岩明先生の新作として、アホみたいに期待した「ヒストリエ」。

1・2巻同時発売の時に感激したのがもう20年以上前で、それからもずっと待ち続けた。

気が付けば、12巻もこの途轍もない漫画を読めたことにただただ感動しきり。

なんだけど・・・「体調面も考えて長期休載する」という岩明先生からのアナウンスがあった。

その為、12巻で物語を一区切りさせたらしい。

確かに、ある意味一つの区切りにはなっていると思う。

まだ色々伏線投げっぱなしではあるけれども、アリストテレスであったり、4巻で出てきた変な男であったりとこれまでの伏線を一応回収しようとしてる感もある。

ぶっちゃけあと1話でその後のエウメネスをエピローグで語ってくれれば、もうそれでこの漫画が完結でも良いような気がする。

この先の物語は、史実を見てください。と言う事なのかもしれない。

でも、おっさんとしては、「ヘファイスティオン」が「アレクサンドロス」のもう一つの人格だったという解釈での、東欧遠征が見たいんですよ。

岩明先生はきっと今日本で活躍している漫画家さんの中で最も漫画に対して本気で向き合ってる作家さんの一人だと思う。

命を削ってこの途轍もない漫画を執筆している。

そんな岩明先生が体調面の不調から休載するしかなく、「ご期待くださいとは言えない」「本当にありがとうございました」という言葉を使った。

もうオレは「いつまでも再開待ってます」とすら軽々言える気がしない。

もし、今後1年に1話とかのペースであっても、新作が読めるならそれで良いし、そうじゃなくても良いと思う。

何より、この途轍もない作品が発表される時代、リアルタイムで生きてきた事だけで十分な気持ちになっている。

でも・・・いや、これ以上は言うまい。

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2024年6月27日 12:00 CAT :

何度目かの水増し記事

気が付けば、ブログのストックが尽きていた。

今年何度目だ?

ストック溜めてたら、「いっぱいあるから大丈夫!」と思ってしまって、気が付けば全部使い切ってしまっていると言う事なんだろうか。

じゃあ、毎日コツコツ書きますってすれば、それはそれで、忙しくなると毎日書くのが難しくて、毎日更新できなくなってしまうかもしれない。

いや、そもそも毎日コツコツ書くべきなんだろうけど。

最悪忙しければ書かなくても大丈夫と言う逃げ道を作る事で、結局その逃げ道に逃げ込んで破綻すると言うのは、何とも人間らしい話じゃあありませんか。

お仕事やります。

漫画も描きます。

小説も書きます。

新曲も作ります。

子どもたちとも遊びます。

積み本も読みたいです。

誰か、オレに時間をもっと分け与えてくれ。

エロ画像でお茶を濁してさようなら。

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2024年6月26日 12:53 CAT :

37.1度の曙光にかられて

こんな事言うのも何なんだけど、こんなにお仕事してるのに、なんで溜まっていくばっかりなんだろうなぁ~

いや、新しいお仕事をいっぱい頂けているからなので、それに対しては、ただただありがとうございますなんだよ。

ありがとうございます!

ありがとうございます!

ありがとうございます!

でも・・・

でもだ。

もう少しがっつり進んでくれてもいいんじゃありませんかね。

と思いつつ、出来る事は相も変わらず目の前にある事をコツコツ進めていく事だけ。

愛用しているブレスレットのゴムが切れそうなので、直したいんだけど、直し方を忘れてしまった・・・

どうやってゴムはめてたんだっけ?

ゴムはめるっていやらしい意味じゃないですよ。

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2024年6月25日 12:58 CAT :

10畳2間の犬小屋で空いてるスペース埋めるように恋に落ちた

先週からうちの会社に新しく研修に来ている子。

お父さんの年齢がオレと同じだった。

娘の年齢・・・だと・・・

オレの場合、子ども生まれたのが29歳の時だったから、うちの娘はまだ小学生だけど、例えばオレが20歳前後で子ども出来てたとしたら、そんなもんか・・・と考えると恐ろしい・・・

遂に、自分の娘でもおかしくない歳の子と一緒に仕事するようになったと言う事か。

前は「若いね~」と思ってたけど、最近じゃ「かわいいねぇ~」と思うようになってしまった。

性的な意味じゃなくて、子どもを愛でる気持ちの方の「かわいいねぇ~」ね。

20歳下とか30歳下とかの歳の差婚する人って、自分の娘とか息子の年齢のやつを恋愛対象として見てるって事なんだよな。

何かもうオレなんかそんな感情なくなってしまったかもしれない。

先日、別の同年代の人と話してる時に「彼氏がね」と言ってたのを聞いて「そうか・・・彼氏か・・・」と。

結婚してなくて付き合ってる人がいるんだから「彼氏」で良いんだけど、今のオレの頭の中に「彼女」と言う感覚と言うか、認識なんて完全に欠如してる。

嫁と出会った時にはあいつは「彼女」だったわ。そう言えば。

いくつになっても恋愛してると言う事も大切らしいけど、いつの間にかそういう奴が自分の人生から無くなってしまってた。

ただじゃあ、嫁の事どうでも良いのか?と言うと、そう言う話じゃなくて、嫁の存在が無いと確実にオレは生きていけないし、嫁のこと自体は未だに大好き。

「恋愛」と言う括りで捉える事が無くなったと言う事だろう。

そしてそれは悪い事じゃないと信じている。

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2024年6月24日 12:47 CAT :

届きませんね そのリプライ

引き続き、漫画描いて、ギター弾いて、お仕事してと言う日々を過ごしております。

多くの皆様のご尽力で今年も無事決算を乗り越え、会社は新しい期に入った。

昨年、独立して10年目だったので(正確には仕事始めたのは9月からだけど)それはそれで一つの節目になったかなと言う感じもしている。

フリーランスから始めて、10年間なんだかんだ言いながら、家族に食いっぱぐれないだけの稼ぎを出して続けられたんだから、オレ個人としては非常に上出来だと思ってる。

ただのおっさんだからな。

勿論それは、こぉ~んな片田舎で細々好き勝手やってる訳の分からんおっさんに対してお仕事を依頼してくれている全てのクライアントさんあっての事。

ありがとうございます。

そして引き続き、色々お仕事ください。

頑張りますので・・・

そんな感じで、引き続き、頑張っていく所存です。

期末の打ち合わせで会社の税理士先生に「今後どのくらいの売り上げを想定していますか?」と聞かれた時、「出来れば今くらいの規模でずっとやっていきたい」と言うと「気持ちは分かりますよ。人増えるのもしんどいですしね・・・」と微妙な感じで言われた。

きっと、ずっと同じ状態を維持すると言うのは難しい事なんだろう。

そうなった時はそうなった時だ。

と思いつつ、取り合えず目の前にある事を一つずつコツコツやって行く。

今までも、そしてこれからもずっとその繰り返しなのだからな。

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2024年6月23日 12:38 CAT :

突然振り出した雨のような恋

映画は吹替で見る派でございます。

子どもの頃から、映画はテレビで吹き替えで見ていたので、それが当たり前になってると言うのが一番の理由。

いつか字幕も吹替もなしで映画を見たいなと思って、英会話を始めようと思って今年で何年経つんだろう。

こればっかりは思うばかりで腰が重い・・・

そんなこんなで、子どもの頃にめっちゃ影響を受けた映画とか、「メッチャ面白れぇ」って思った映画は全てテレビで放映された吹き替えになっております。

人生で最も好きだと思う「ターミネータ2」はフジテレビ版の翻訳じゃないとダメだし、大好きなリュック・ベッソンの「レオン」はテレビ朝日版、「フィフスエレメント」は日テレ版以外認めない。

それぞれに、ワクワクしながらレンタルして見直してみた時のあの違和感と絶望感よ。

所が、ここ最近は、全てのバージョンの翻訳を収録してくれるというありがたいものが販売されている。

まず最初に購入したのは「バタリアン」だった。

次に「猿の惑星」を購入し、その次に「ターミネーター2」を購入した。

どれも、子どもの頃心躍らせながら見たバージョンで改めて見直してる。

やっぱりオレの人生に影響を与えたのは外でもない。これだ。

「アスタ・ラ・ビスタ、ベイビー」は「地獄に落ちろ!ベイベー」じゃなくて「さっさと失せろ!ベイベー」なんだ。

そんな中で、オレがセリフ回しで最も影響受けて、中学高校時代ずっと意識して真似していたのが「フィフスエレメント」における、ゲーリーオールドマン扮する「ゾーグ」。

佐古正人さんが吹き替えた日テレ版のやつね。

と言う事で、今回それを購入いたしました。

早速見た。

やっぱり、このバージョンのセリフ回しは最高だった。

ゾーグだけじゃない、全編を通して全てのセリフのかけ回しが本当に素晴らしかった。

次は、「レオン」だよなぁ。

同じくゲーリー・オールドマン扮する「スタンフィールド」は、やっぱり安原義人さんのバージョン。

「お名前なんてぇ~の?」が聞きたいです。

レオンの「エヴリワ~ン!」と、ダークナイトの「ルックアットミー」だけは、そのままの方が好きだけども。

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2024年6月22日 12:57 CAT :

お年寄りから先に死ぬ

先週から再び会社の方に研修の新しい子が来てる。

前の子がいなくなって、ふえぇ~ってなってたのに、またしばらくは、ちゃんと朝起きて事務所でお仕事をする日々が続く事になるらしい。

いつでも気が向いた時にお仕事できる環境が好きなのに・・・無念じゃ。

まぁ、それは良いんだよ。それは。

あんまり詳しくは書けないんだけれども、今回の子は結婚してて子どももいるんだって。

前の子は独身で親と同居していた。

年は、今回の子の方が年下なんだけど・・・当たり前と言うか会話の内容が全然違う。

前の子は「外食とか行く?」「いや、あんまりいかないですね。家でお母さんがご飯が作ってくれるんで・・・」みたいな話をしてた。

今回の子は「子どもが小学校行くまでに家を建てて、学区を決めてあげたいんですよね。でも、最近物価が上がってて、それに合わせて地価も上がってて・・・」みたいな話をしてる。

・・・うむむむ・・・

結婚してる事が全てだとは決して思わない。

子どもを育てているから凄いとも思わない。

でも何だろう・・・

上記の通り会話の内容はそうだけど、それ以外でも気遣いの面であったり、やる気や取り組み方であったりを見てると、やっぱり結婚してる。子どもがいると言う子の方がちゃんとしてるんだよね。

まぁこれはオレのところに研修に来る子に限った話なのかもしれないけれども。

ちなみに今のところ、これに年齢はあんまり関係ない。

若いからとか、年取ってるからとかは関係ない。

こんな事を書くと叩かれそうなのでもう一度言っておくと、結婚してる事が全てだとは決して思わないし、子どもを育てているから凄いとも思わないよ。

オレは。

ただ、結婚すると言う事は色々面倒くさいお互いの家との付き合いや親戚づきあい、近所づきあいなどは嫌でも発生する。

子どもを育てると言う事は、自分の自由などほぼなくなる上に、学校や役所、ママ友だの病院だとの付き合いが発生しまくる。

これによって、出来るようになると言うだけの話なんだと思う。

だから、結婚してるかどうかとか関係なくて、この辺りと同レベルの経験をして、めっちゃくちゃ苦労してる人は、当たり前にこの辺りのことできてるんだろう。

まぁ、うちの研修に来るのは皆20代とかの若い子たちなので、結婚でもしてなければ、なかなかそんなメッチャ苦労してる人は少ないと言う事だと思う。

前にずっと独身で実家暮らししてる40代のおばちゃんに、旦那さんが激務でほぼ1人で子ども育てながら仕事してる20代のママさんが上から目線で「社会とは」みたいな話をしてて「凄いですねぇ~」って頷いてる地獄のような場面を見たことがある。

その「社会とは」がオレからしたら「思春期か!」と突っ込みたくなるような幼稚な話だったのに、20代のママさんは突っ込まずに「流石ですね」と持ち上げながら話を聞いてあげてた。

そう言う話ですよ。

取り合えずオレはここ最近あった色んな事から、40代以上の実家住み独身のおっさんおばさんだけは要注意してる。

こればっかりは非難されようとも差別ではない。

オレ自身とそして、オレの家族、会社の為にせざるを得ないと言っておこう。

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2024年6月21日 12:33 CAT :

大判小判カート・コバーン

カート・コバーンに「あなたにとってギターとは何ですか?」と聞いたら「死んだ木」と答えたらしい。

嘘かほんとか知らないけど、何かこれを聞いて「あぁ・・・カート・コバーンらしい」と思うくらいには、なかなかそれっぽいとは思う。

それは、議論がずれてやいませんかね。とか、そう言う事なのか?とか、いやそうやってはぐらかす感じがカートコバーンなんだよ、とか・・・まぁ、どうでもいいや。

こんな記事を見つけまして・・・

見る痴漢って・・・流石にそこまで行くと、もうどうしていいか分からんよね。

おっさんは、電車の中では、目を開ける事すら許されないと言うのだろうか。

おっさんなら何を言ってもいいみたいな世間の風潮にしたいして、チョッとどうなんだろう。と最近、良く思ったり思わなかったりする。

ルッキズムが全開になってしまい、ポリコレがどうのとか、LGBTがどうのとか言ってるのに、なんで日本でおっさんだけが貶められるんだろう。

と、おっさんは不思議に持ってしまう。

おっさんが本気出したら、多分怖いと思うんだよ。

でも、おっさんは心が優しいから、そう言うアホな偏見や言動に対しても生暖かい目で見ているだけなんだと思う。

おっさんか、おっさんが進化したおじいさんは、権力もお金もある程度持ってる人が多いはず。

例えば、家庭で冷たい扱いをされているおっさんが、本気を出せば、秒でおっさん以外の家族は路頭に迷うだろう。

でも、おっさんは心優しいから、そんな扱いをされてもセセコマ働いてお金を家庭に運んできてくれている。

心優しいがゆえに、貶められてもいい存在として認識されるおっさん。

日本を支えているのは、きっとおっさんなんだ。

だから、臭くても禿げてても太っててもおっさんに対して少しだけ優しくなってみてはいかがだろうか。

と、おっさんは、思って見たりしております。

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2024年6月20日 12:18 CAT :

富とか名誉とか権力や強い腕力が喉から手が出るほど欲しい

先日、庭の草抜きし終わったあと、手足がしびれて、目の前が真っ暗になって倒れそうになった。

・・・という話を嫁に話したら、問答無用で近所の「りらくる」とか言う体をモミモミしてくれるところに予約を入れられてしまった。

1時間ほどじっくり揉み解されたら、頭がぼ~っとするほど脳に血が流れ始めて、目の前を行ったり来たりしていた黒い点みたいなやつまで見えなくなった。

原因は肩とか、首とか、背中の凝りだったらしい。

恐ろしい話ですな。

その結果、凄く元気になってしまい、漫画の執筆が捗ること捗る事。

そしたら嫁に「そんな為に予約した訳じゃあない。無理せずに寝ろ」と言われた。

世の中とは難しいものですな。

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2024年6月19日 12:46 CAT :

人の心を失った奴ら 神は裁き天罰が下る 泣き叫んでも・・・

先日、NHKで「児童ポルノの闇」と言う思春期目前の娘を持つお父さんとしては、見ない訳にはいかないドキュメンタリーをしていたので見てみた。

盗撮やSNSによる児童の性被害については、ホントそろそろオレも娘に対して気を付けないといけない話になってきてるなと強く思う。

思うんだけど、その後編の話でチョッと「?」が付いた。

前編は盗撮などの性被害の話だったんだけど、後編ではその現状が起きているプラットフォームの話になっていた。

行ってみれば、SNSやアプリを開発した側にどれだけ責任があるのかと言う話。

かつて、日本にいたある天才が世界に先駆けてファイル共有ソフトを制作したけれども、悪用するユーザーがいたため、その天才が糾弾されると言う痛ましい事件があった。

その結果、日本でのファイル共有ソフトの開発は明らかに世界に後れを取る事になってしまい、結果的に、大きな損失を被った。

と、オレは思ってる。

その話を割と丁寧に映像化した映画もあるよ。そのものずばりな「Winny」と言う映画。

(↑)これね。

オレの世代で「Winny」を知らない奴なんていないと思う。

その位センセーショナルなものだった。

そして、あれから20年以上が経った。

今回のドキュメンタリーを見て、マスメディアは再び同じ議論を起こそうとしているのか・・・と言う印象が強かった。

過去から何も学びやしない。

「ナイフを作った奴を罪に問えるか?」と言うあのセリフをまた繰り返すらしい。

今回のドキュメンタリーの中で、そもそも児童ポルノでお金を稼ごうと言う悪意を持ったアプリを開発してる集団がいた。

そいつらについては思いっきり糾弾されるべきだと思う。

どうせ、そんな奴に先進的な技術革新など出来ないだろうからな。

児童ポルノについては、娘がそんな事に巻き込まれたとしたら、とか不安でしょうがないし、撲滅すれば良いと思う。

小児性犯罪を過去に犯したやつは、一生子どもに関わる仕事に就けなくなるのも良いと思う。

でも、それとプラットフォームを提供する側を糾弾する事は違うような気がする。

そうじゃない。犯罪に手を染める奴が100%悪いんだ。とそう言う方向にならないもんだろうか。

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2024年6月18日 12:40 CAT :

やがて本を読むようになり 家庭をも仕事さえも かえりみぬ男になっていった

マンガ執筆を再開しております。

昨年位からキレイな線を描けるように心がけて描いてたんだけど、何か面白くないなと思うようになってきた。

しっかり下書きを描いてその上を丁寧にGペン(まぁGペンっぽいペンツールだけど)で絵取っていく。

確かに、線は綺麗になったけどなんか違うんだよな。

と言う事で、今回再開してからは、極力下書きをしない方向で描くことにしてみた。

簡単なアタリだけを描いて、細かい線は決めないままペン入れをする。

迷い線なども含めて、敢えてそのままガツガツペン入れをしていく。

画面は何か汚い気がするんだけど「あぁ~~これこれ」と言う気持ちが沸々と湧いてきております。

そうなんだよ。

元々オレは、下書きもしない主義で一発描きで漫画を描いていたんだよ。

何を丁寧な下書きしてめっちゃ時間かけて小洒落た画面構成を作ろうとしてたのやら・・・

オレがやりたいのは漫画を描く事であって、キレイな絵を描く事じゃあないのです。

と言う事で、今の下書きはこんな感じ。

ネームではなく、下書きがこんな感じ。

で、これまでなら下書き位感じでペン入れをしたのがコレ。

最後に、これに細かい書込みとか、ベタを塗ってこのページは完成。

キリスのコートに一部トーンを貼ってはいるけど、もう極力トーンは張らない方向でやっております。はい。

もうね、多分このくらいがオレの画力で言うと落としどころなんだろう。

自分で描いてる分にも実に楽しく描けるし。

あと、PCで処理すると、ぶっちゃけトーンとか加工処理とかで、なんぼでも誤魔化せるんだよ。

ただ、それを自分の画力だと思っちゃあいけない。

その意味でも、極力その手のコンピューター処理は使わないで、アナログに近い感じと言うか、アナログでも再現可能な感じで書いてる。

あれだ。バンドが、ライブで再現できる形で音源作ってる感じだ。知らんけど。

一応、「風を切る日々」53話は描き終わりそうだけど、せっかくなので、この「コロッサ編」描き終わってから一気にアップしようと思ってるので、引き続きあと2話ほど書いて行きます。

小説「ひと時の暗がり」の方も、今第2部の3話目を書いてる。

こっちは一区切りするのが20話なので、そこまで書き溜められたら、またコツコツアップしていく予定。

創作活動をじっくり楽しんでおります。

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2024年6月17日 12:30 CAT :

オートマティックに溢れちゃう本能

半年~1年に一回くらい絶食期間を設けている。

いや、6月末に健康診断があるので、それまでに体重落としておこうとか思っただけではあるんだけれども。

この絶食と言う奴がやってみると不思議と心地いい。

人間だって生物である以上、何かを食べなければ生きていけない。

食べなくても生きていける人もいるらしいけど、オレは無理。

なんだけど、絶食を始めると、体の調子が良くなる。

激しい運動をする分には億劫にはなるんだけど、ずっと物事に集中することが出来て、且つ、精神的に凄く穏やかになってしまう。

何か変な快感みたいなものすら感じてくるんだから、何だか怖い気がする。

本来ものを食べる事、消化してエネルギーにする事は物凄い疲れるらしく、食べた後眠くなるのはその為なんだって。

そして、内臓も疲弊していく。

だから、たまにゆっくり内臓を休ませてあげる事も重要だとかなんとか。

それもあくまでも今言われている事であって、10年後には「そんな訳あるか!」と言われるかもしれない。

なんせ、放射能が健康にいいと言われていた時代だってあるんですからね。

ただオレは今、食事を抜いて2日目なんだけど、心が穏やかになって、お仕事に集中できて、色んな事が捗っている。

これは事実なんだからしょうがない。

この期間を設けると、ついでに胃も小さくなるのでしばらくは、食事量自体が激減する。

体重を落としたくてうずうずしているので、丁度いい訳ですよ。

一つ欠点を上げるなら運動しないので、筋力の方も落ちていくと言う事。

絶食終了後には、またしっかりご飯食べて、運動もしていきます。

はい。

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2024年6月16日 12:47 CAT :

積みと罪と罰

引き続き、積み本となっていた漫画をどんどん読んでいっております。

ここ最近で読んだ積み本さん。

 

 

【約束のネバーランド】

読んでなかったことを後悔するレベルで面白かった。

狭い孤児院から始まった物語が、気が付けば、途轍もなく広大な世界に広がり、その世界における最後までしっかり描き切って、一切中だるみなし。

これで全20巻とか、どんな構成力よ。

あと、作画のレベルも尋常じゃなく高い。絵がね・・・良いのよ。ホント。

 

 

【シグルイ】

登場人物の多彩さが凄い。もう、ほんとド変態ばっかり。

しかも冷静に考えると、初期の「刃牙」ですら白目を剥くくらい荒唐無稽。

なのに、不思議と本格時代劇のような気がしてくるのは、ひとえに作者の力量に他ならないと思う。

そして、臭ってきそうなくらいの圧倒的熱量で描かれる芸術レベルの作画。

15巻もあるのに、1日で全部読破してしまった。

これは問答無用で名作だよ。

 

 

【ここは今から倫理です。】

オススメされて読んでみた感じ。

淡々とした1話完結型の物語で、チョッと心に引っ掛かるものが残る。そんな不思議な物語。

登場人物が、変な人ばっかりなのに、なぜかリアルな気がしてくるのは作者さんの心理描写がずば抜けて良いんだと思う。

まだ、完結してないので、最新刊9巻もついでに買ってしまったくらい面白かった。

 

 

【青春少年マガジン1978~1983】

小林まこと先生による自伝マンガ。

「柔道部物語」や「三四郎」などめっちゃ面白いけど、とにかく筆が遅い印象のある小林先生が、やっぱり筆が遅いうえにメチャクチャしてた若い頃の話で、まぁ、面白い。

「ブラックジャック創作秘話」の対極を行く感じは、これはこれで漫画を書きたくてうずうずしてしまう。

そして、小林先生の得意技と言うか、しょうもないコメディーなのにホロっとしてしまう読後感は最高。

やっぱりこの先生は漫画が上手いし、面白いな・・・

 

 

【たまという船に乗っていた】

積み本と言うか、前から読みたかった本で、この度完結したので読んだマンガ。

正直、「さよなら人類」の世代ではないです。

オレが「たま」を見たのは、ナゴム関連の作品をかき集めてた時期、「オール ザット ナゴム」と言うVHSでの事。

その中で、「馬肉は馬の肉」とか言いながらエレベーターを乗り降りする変な集団がいて、その人たちの「らんちう」と言う曲がとにかくとんでもなく素晴らしかった。

そう言えば、死ね氏ね団の中卒さんは元気なのだろうか。

オレにとっては、「たま」と言えば「らんちう」。

そんなたまの結成から解散までの話。

当たり前だけど、ナゴムで異彩を放ってたバンドはみんな凄いわ。メチャクチャ面白い。

作画がまんが道を意識してる感じも凄く良かった。

 

 

引き続き、積み本を読んでいきます。

と言いつつ、更に新しく色々漫画を購入している。

今更ながら「鬼滅の刃」全巻買いました。

山本直樹先生の「レッド」も全巻買いました。

「終末のワルキューレ」もお待ちしております。

以前から買ってた「幽麗塔」とか「プラテネス」とか「Luck Stealer」とか、読んでない積み本もある。

折角の漫画部屋も、秒で満タンになりそうな今日この頃・・・

なんか最近、このノリ多いな・・・

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2024年6月15日 12:44 CAT :

神様とその他の変種とその他の変態とその他の変人~挫折編

先日、チラッと「音楽史を変えたアーティストは誰か?」みたいな話をXのポストで見かけた。

ほほう・・・と思いつつ、個人的には、ナゴムレコードに傾倒しておりますので、あんまりこの手の話には乗り切れない。

遠藤ミチロウかな?非常階段かな?戸川純かな?有頂天かな?オーケン入ってたら嬉しいな・・・とか思いながら見てたら、そんなのひとりも入ってなかった。

デヴィット・ボウイとか、ビートルズとか、そんな感じだった。せめて、「はっぴぃえんど」は挙がってほしかった。

しょうがないので、オレが勝手に「漫画史を変えた先生」でも挙げていこう。

音楽なんて漫画よりその辺の事良く分かっていませんので・・・

手塚治虫を始めとした、レジェンドの皆様は省いておきましょうね。

具体的には、藤子不二雄、水木しげる、石ノ森章太郎、横山光輝、赤塚不二夫、さいとうたかをとか、この辺りの神様と呼ばれる人たちね。(まぁ、この神様たちでももっといるんだけども・・・)

ギリ記憶に残ってる90年代からかなと。

80年代に、大友克洋と鳥山明が登場して、それ以前とそれ以後で漫画と言うものがガラッと変わってしまったと言う点は、きっと、ほぼ全ての人が色んないと思う。

その後の話だ。その後。

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・・・とここまで書いたところで、さて誰にしようかなと数日悩んでいたんだけど、これは無理だと悟った。

自分の好きな先生じゃない訳で、漫画の歴史を変えた先生でしょ。

いっぱい居すぎて、選べない。

新人マンガ賞のレベルを引き上げてしまった佐村先生はどうだろうか?

自身だけでなくて、アシスタントから有名作家を輩出しまくった和月組はどうだろうか?

週刊連載というフィールドで休載できる土壌を作った萩原先生と、それをさらに昇華させた冨樫先生はどうだろうか?

同人マンガと言う存在を2000年代によみがえらせた西野空男先生はどうだろうか?

web漫画と言う存在を一般層にまで定着させたONE先生はどうだろうか?

とか、色々考えてたんだけど、選べねぇや。

と言う事で、この話はなかった事にさせてもらおう。

マンガは好きなものを読むんだよ。

歴史で語るものじゃないんだよ。

多分ね。

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2024年6月14日 6:15 CAT :

教条主義捨て去れば新人類の灯がともる

先日、家族で近所の「モスバーガー」に行ってきた。

ここ最近マックばっかり行ってたので、たまにはモスに行きましょうと。

何か以前は「モスって高けぇな」と思ってたけど、ここ最近マックがアホほど値上がりしていた関係で、「あれ?モスって別に高くないな」と思った。

そこまでは良かったんだけど、いざ食べてみると「・・・??何だコレ?」ってなった。

もうね。何と言うか、スッカスカなのよ。

バンズがスカスカ、ハンバーグが肉っぽくない、野菜もちょっとしか入ってない。

物足りなさが半端じゃなかった。

以前は、「マック=安いけど物足りない」「モス=高いけど美味しくて満足感ある」みたいな印象だったんだけど、今回ので「モス=そこそこ高い癖にスカスカで物足りない」に上書きされてしまった感じがする。

こんな感じだったっけ・・・?

先日、ミスドに行った時も、「何じゃ?このスカスカのドーナツは?」となった。

以前なら、ポンデリングとハニーチュロ食べたら満足してたのに、ポンデリングなんてカスカスで多分3個くらい食べてやっと昔の1個分くらいの満足感だった。

それに近い感じ。

逆に、マックは高くなったけど、その分最近出てる新作バーガーとか含めて、「マックなのにうまいじゃないか」と思う事が多々あったんだよね。

値段の問題じゃあない。

大切な事は「その値段に見合うかどうか」なんだと思う。

いや、モスバーガーだって色々企業努力して、美味しい商品を開発してるんだとは思うんだよ。

ただ、それがオレには合わなかったと言うだけなんだろうて。

家族4人で5000円以上出して、家帰ってからペヤング食べるくらい不満なのは、流石に無いと思うんだよ。

焼肉キングでランチ食べ放題出来る金額じゃあないですか。って話。

まぁ、この辺って難しいよね。

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2024年6月13日 12:49 CAT :

神を呪う死人の群

映画つながりで。

見よう見ようと思いつつ結局映画館には足を運ばなかった「THE FIRST SLAM DUNK」がやっとネット配信される。

で、娘も見たいって言ってたので、その前に原作の漫画読んでおいた方が良いかなと思って、単行本見せてみたけど、古臭すぎて読めなかったらしい。

馬鹿な!と思ったんだけど、考えてみたらスラムダンクはもう30年前の漫画・・・

娘にとっては、これはもう古典に分類されるらしい。

オレが小学生の頃で考えてみた。

当時の30年前の漫画と言えば1960年代・・・

オレが親父に白土三平の「ワタリ」を面白いから読んでみろと言われて「古くせぇ漫画だなぁ」と思いながら読んだのを思い出した。

奇しくも、親父と全く同じことを親父と同じくらいの歳になって子どもに対してやってたと言う事か。

所詮同じような遺伝子を持ったものよ。

多分、30年後に娘は、自分の子どもがいたら「ハリーポッターって言う映画お勧めだよ」とか言って「古臭い映画なんて見ないよ」と言われるんだろう。

そうやって、時代は巡り巡っていくんだと思うと何か知らんけど、感慨深いもんだ。

にしても、オレにおける白戸三平とかつげ義春が、娘における鳥山明とか井上雄彦とかなのかと思うと軽い衝撃を受けた。

そうか。

でも、そうだよな。

時代の流れってホント恐ろしい。

でも、オレは「ワタリ」って漫画にはホント人生が変わるくらい衝撃受けたし、昨日の記事にあった「猿の惑星」って映画は今でも大好き。

時代を超越する作品ってのは、存在するんだと信じている。

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2024年6月12日 12:09 CAT :

恋人はトム

娘がなぜか今、「トム・フェルトン」と言う俳優さんの事が好きになってしまった。

で、トムの出演している映画を一緒に見ようと言う事で「猿の惑星 創世記」を見る事に。

それがまた、想像以上に面白くて、結局娘ともども「新世紀」「聖戦期」の所謂「シーザー3部作」を全て見てしまった。

なので、少しだけ、感想を書いてみたいと思いました。

はい。

 

 

 

【猿の惑星 創世記(ジェネシス)】

全ての始まりの物語。

正直、猿の惑星感は全くなくて、ほとんどバイオハザードだった。

「猿の惑星」の初代を知った上で見ると、思わずニヤッとする展開や小ネタが多い気はするけど、知らない人が見たら「何で?猿の惑星」ってなること請け合い。

まぁ、「猿の惑星」を見た事ない奴なんてこの世に存在しないと信じたい所ではあるけれども。

 

 

 

【猿の惑星 新世紀(ライジング)】

世界に猿インフルエンザが蔓延し、人類が絶滅しかけ、逆にサルたちが繁栄し始めた世界での物語。

勢力が拮抗し始めた中で、人類との共存を目指すシーザーとジェネシス社での経験から人類を憎むコバを中心に展開していく。

前作から一転して、物凄いハリウッドの映画っぽいエンターテイメントに全振りした作品だった。

いやもう、シーザーとコバの戦闘シーンとか、マーベル映画?と思うくらいの迫力と展開でめっちゃ面白かった。

前作にあった陰鬱とした世界観は一体どこに行ったのかと言う感じ。

単純にスカッと見れるので、一番誰が見ても面白いと思う。

 

 

 

【猿の惑星 聖戦期(グレートウォー)】

繁栄する猿に対して、絶滅寸前の人類が最後の戦いを仕掛ける。

みたいな話かと思ったら全然違ってた。

知能を持った猿と人間による残酷な戦争映画だった。

アメリカンニューシネマ的な陰鬱なロードムービーからのアウシュビッツを彷彿とさせる眼をそむけたくなるような虐待と暴力。

本当に同じ映画のシリーズなのか?と言うくらい前作とテイストが違う。

そして、猿インフルエンザは、人類から知能と言葉を奪い、遂にオレの知ってる「猿の惑星」が完成する。

コバのように憎しみに身を焦がすシーザーが結果的に他の猿たちを助ける事になる展開、コバを支持していたドンキーことレッドの最後など、複雑に入り乱れる因果の連鎖が色んな事を深く考えさせられて相当面白かった。

あと、映像美が凄い。印象的なシーンがこれまでのどの作品よりも多かった。

とにかく、雪原の中にシーザーの黒が映えるのよ。

モーリスとノヴァのキュンキュンコンビにバッドエイプのコメディーがいい塩梅でスパイスになってるし。

見ようによっては難解だし、前作「ライジング」のようなスカッと感もないので見る人を選ぶ作品かも知れないけど、正直、オレは断トツでこのグレートウォーが面白かった。

娘はあまりの残酷さに目を背ける場面も多々あったみたい。

猿とは言え、シーザーはもうほぼ人間だもんなぁ。

 

 

 

少しずつオレの知っている「猿の惑星」に近づいていく感じも含めて、この3部作は相当面白かった。

この後、猿の王国が完成していく次のシリーズの序章「キングダム」が今公開されているので、それなんてもう映画館行こうかと思ってる。

全体を通してシーザーをここまで神格化してしまって良いのか疑問ではあるけれども、3部作ともなるとその位強く物語を牽引する主人公が必要なんだろう。

個人的にはモーリスが好きすぎて、オラウータンに対する見方が180度変わった。

このモーリスとノヴァのコンビニはキュンキュンしましたよ。

最後に、この映画を見るきっかけになった、娘が大好きな「トム・フェルトン」はこの人ね。

マルフォイでございます。

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2024年6月11日 12:10 CAT :

人類の新しい文明が始まる

なぜか病院の新人研修を受けに行く事に。

オレが新人研修に入った日に、緊急入院でその病院に運ばれてきたのは、大学時代の友人だった奴。

しばらくして、オレの指導医になってくれた先生のもとに一枚のカルテが運ばれてくる。

「お前なら、この患者をどう処置する?」と見せられたカルテを見た瞬間、なぜかその友人の事だと分かってしまったオレは絶句する。

なぜなら、そのカルテの最後には「死亡」と書かれていたから。

絶句しつつ「これ・・・オレの知り合いです」とやっと声を絞り出すと、「お前の友人は22歳の女性なのか?」と言われた。

よく見ると「22歳女性、糖尿病で死亡」と書かれていた。

「あ・・・え・・・あれ・・・勘違いでした。」と言うオレ。

なぜ、あいつの事だと勘違いしたのか。

「もういい。お前は、電車の荷物を貨物車に移す研修に移れ」と言われ、さびれた無人駅に車で連れていかれて、そこに放置された。

しばらくしてやってきた電車の荷物は、その病院で死んだ患者の死体。

それを火葬設備の整った電車の中に運びこみ、そして次々と窯の中に投げ入れる。

その際に、さっき死亡した22歳女性の死体もあり、その死体のおっぱいを触ってチョッとニヤニヤしてた。

いつの間にか横にいた白いエプロンをしてタバコを加えた歯のないおっさんに「若い子だったらおっぱい触っちゃうよな」と声をかけられる。

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目を覚ますと丁度夜明け前。

元気してるかな。

昔やってたバンドのドラマーさんで、元芸人のあいつ・・・

名前を出すのは自重しておいてやろう。

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2024年6月10日 12:38 CAT :

罪のない幼子 先のない老いぼれ 当てのない旅人 憂いのない恋人

100年後には日本人が消滅する。

そんな話を「そんなアホな」と思いながら、笑い話にしてた事あるけど、割とシャレにならなくなってきたっぽいね。

昨年(2023年)の出生数は何と驚異の72万人だそうで。

100万人切ったらヤバくね?みたいな事言ってたのが、遠い昔のように感じる。

これじゃあもう「50万人切ったらマジでヤバくね?」も見えてきている。

出生率は1.30だそうで。

そして、去年亡くなった人は150万人ほどいるので、単純計算で去年1年間で日本人が80万人減少したと言う事になる。

このままのペースで行けば、100年後には8000万人の日本人がいなくなる。

出生数はどんどこ減少しているので、100年後に1億2000万人がいなくなると言う事も、有り得ない話じゃなくなってしまった。

まぁ、そんな話ですよ。

お隣の韓国の出生率は0.72らしいので、それに比べればまだマシなのかもしれないけど、まだマシってなんだ。マシって。

下を見て安心するタイプの奴は、追い詰められた時にやる禁じ手。

それをやっちゃあ、おしまいですよ。

結局、岸田総理の言う「異次元の少子化対策」は異次元の出生数を記録してしまうと言う結果になってしまったらしい。

いや、別にこれに関しては増税クソメガネと揶揄される岸田総理でも、流石に責められない気がしないでもないけど・・・

先日の子どもの存在が大切になると言う記事じゃあないけど、ホント子ども大切にしましょうね。

「子持ち様」とか言ってるけど、リアルに「子持ち様」になっちまうよ。

オレは確実に100年後には生きてないと思うし、子どもたちでさえ生きてるか微妙だとは思う。

でも、そこから先の子孫がもし存在するなら、非常に申し訳ない。

オレの世代なんて確実にこの責任がある世代なんだし。

社会のせいにしてる場合じゃないわな。

せめてちょっとでもムラムラする男が増えるようにエロい画像でも載せておこう。

オナニーで終わらせるんじゃないよ。

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