- 2013年1月30日 23:02 CAT :
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【転落の詩集m7】と言うコード
昨日ちょこっと触れた「鳥肌実が在日の急先鋒だ」とかいう話。
あれ、実は、色々噂されているらしい。
つまり、一つには「国のために立ち上がるということは恥ずかしい事だ」と言う愛国心を日本人から奪うためにあんなことをしていると言う説があり、もう一方で、「国のために立ち上がるということは恥ずかしい事だ」と日本人に思わせるために、アホみたいに街宣車でウロチョロしてるエセ右翼なチョンを馬鹿にしていると言う話。
どっちがどっちやら。
という感じだけれども、取りあえず、一方的になんでも、在日チョンだ。
みたいな決め付けは、あんまり良くない事ですよ。
と、そんな事をお伝えしておきます。
まぁ、あの人は基本的に「訴えたい事がない」らしいので、あんまり考えずに、ケラケラ笑うのが正解だと思う。
ちなみに、このブログも特に「訴えたいこと」などないですよぉ~何か、チョイチョイこのブログ読んだ人から「右寄りな思想」だとか、「危ない思想が」とか言われたりするけど、特にそんな思想的なものがあるわけでもなく、ましてや、何かを啓蒙しようなんて露程も思ってない。
あくまでも、個人的なメモ書きがメイン。
自分がいいと思ったことを絶賛して、ダメだと思ったことを貶してるだけでございますよ。
うんうん。
そう言う自分の書きたいこととかは、作品とかに埋め込むって。
ブログで垂れ流しとか勿体無いことですじゃ。
さてさて。
犬神明兄さんのブログで、面白い話を見つけた。
元ソース(↓)
犬神明ブログ「のんつって兄さん」へ
「コード(和音)は、性格音の半音の差で、メジャーとマイナーになり、凄まじく印象が変わる」と言う、まぁ、音楽をチョッとでもかじった事がある人なら、誰でもわかる話だけれども・・・改めて考えると、そうなんだよな。
コードって、基本的に元となる根音と、それに付随する性格音からなってるわけで、その性格音の高さは根音から3度音上がったとこなんだけど、その性格音が、半音下がると、コードはマイナーになる。
当たり前だけれども。
それだけで、明るいメジャーコードから、暗く悲しいマイナーコードになってしまう。
基本的に、オレは曲を書くときに、マイナー調な曲が多いのは、きっと心が病んでるからだと信じていたい。
まぁ、ただこれを「ふ~ん」で終わらせてもイイんだろうけどチョッとこれを飛躍させて考えてみたらどうだろうか?
例えば、人生に置き換えてみる。幸せな人生と不幸な人生なんて、実は、半音上がるか下がるかだけの差なのかもしれない。
根音と言う絶対的な要素がある。
それが、人生における絶対的な出来事だとすれば、性格音は、その時々の心の持ちようだと言えると思う。
(無理やりにでも。
)
そうした時に、心の持ちようが、半音上がるか、下がるかだけで、実は、幸せな人生と不幸な人生になっちゃうんではないか。みたいな話だ。
めっちゃ金持ちだけれどもシガラミが多くて不幸な人生があるかと、思えば、クソ貧乏だけれども自分のやりたいことを自由にやって常にニコニコしている幸せな人生もあるだろうて。
めっちゃ金があって、なんでもやりたい事ができるから、シガラミくらい屁でもない幸せな人生だってあるだろうし、クソ貧乏だから、惨めでしょうがなくて、いつも下向いてる不幸な人生もあって然るべき。
「じゃがたら」の大名曲「もうがまんできない」の中で、江戸アケミは繰り返し「心の持ちようさ」と歌い続ける。
まさにそういう事なんだろう。
「じゃがたら」の曲って、ホント、深いのが多いよな。
ってことで、何か例え話とか考えてたけど、ふと大好きな漫画家さんの西岸良平の「転落の詩集」を思い出した。
まさに、そういう話だ。
詳しくは、自分で読んでみればいい。
ちなみに、人がなぜマイナー調の音楽を聴くと悲しくなるのかについては、まだ原因が解明されていないらしい。
それと同じく、なぜ不幸な人生がいけないのか。
も、きっと解明されていないんだろう。
不幸なことはいけないのか?幸せでなければいけないのか?
そんな哲学的な事を、人の心の根源からもう一度考え直してもいいのかもしれない。と、今、幸せの花いっぱいの志茂田さんが書いてみましたよ。
イライラすればいいと思う。
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