- 2008年10月25日 0:43 CAT :
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死ぬる事で現れる夜陰の象徴へ語る
ここ最近の試みの話。
果てさてオリジナリティーとは、一体の所何なのか・・・
オレは、本(特にマンガ)が大好き。
結構沢山読む。
多分1日に最低でも何かの本を1冊は読む。
気に入ったら、何度も何度も同じ本でも読む。
オレは、音楽が大好き。
取り合えず、1日中何かの音が流れてる。
音が流れてないと、何も出来る気がしない。
その位、色んな音楽を聴く。
結局の所、オレが何かを作り出そうとした時、その辺の頭の中に入ってきている情報がモチーフなり、ソースなりとして機能してる気がしてならない。
もう今のご時世、完全にどんなモノとも違うオリジナリティーなんて難しいと思う。
ただ、明らかに最近自分の中に入ってきた情報が元になったものなんか作りたくない。
そんな欲求だけは、はっきりとある。
昔は、そんな事考えずに、とにかく頭の中に浮かんできたものを片っ端から形にしようとしてた。
だから、半年で30本の脚本を書いたり、1週間でアルバム1枚分の楽曲を書いたり出来てたんだと思う。
今は、思いついたとしても、それが本当に自分から出てきたものなのか、それとも、何か最新の情報に引っ張られているだけのものなのか、吟味して、篩にかける様にしてる。
劇的にペースは落ちたけれども、出来たものに対する満足度は、前より高くなってきた。
でも・・・それでも、出来上がったものがやっぱり頭の片隅にある、何か・・・かつて頭の中に入ってきた情報に由って形成されてるような・・・そんな意気が何だか意識を取り巻いてしまう。
「涯」に書いてあったな。
「自由」とは「自らに由る事だ」って・・・(こうやって、何かを引用してる段階で、すでにダメなんだろうけど・・・)
本当に、自由に作ってみたい。本当に、自分の中から出て来たモノってのを見てみたい。
もしかしたら、何も出て来ないかも知れない。
もしかしたら、出てきたものに満足できないかも知れない。
それでも、やってみたい。
それで出てきたものが、オレの知らない既存の何かと被ってても、それはそれでもう良いような気がする。
って事で、可能な限り、頭の中に情報を入れないで、モノ作りをしてみようとしてます。
最近。
そうは言っても、やっぱり本読むし、音楽聴くし・・・ただやってみると、イラスト・脚本に関しては、あんまり人の作品を見ないから、マンガや音楽に比べて、オリジナリティが高いような気はしてきた。
色々、試してます。
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