- 2019年3月24日 17:03 CAT :
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ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ
作品に罪はないとか、罪があるとかその議論を最近よく聞くけれども、罪ってなんだろう?
ワイドナショーで、ダウンタウンのまっちゃんが「監督としては、ドーピングして作った作品だから、公開してほしくない」と言ってた。その意味で、作品に罪はあるらしい。
確かに一理ある。監督としての立場なら、それはすごく納得がいく話。
ただ、今回の電気の話には当てはまらないような気がする。
卓球が、「瀧だけラリっていい曲作るとかドーピングじゃねえか!もう『富士山』は永久に封印してやる!」っていうなら、理解できる。
でも、周囲が言う事じゃねえだろ。
一つだけ言いたい。オレは、ピエール瀧が薬とかをやらずに作ってたから、電気の曲を聴いてたわけじゃあないんだ。
オレは「高いぞ高いぞ富士山!」がラリって出来てしまった奇跡的な名曲だったとしても、それが理由で嫌いにはなれない。
そもそも、チョッと前まで、皆、演技が凄いとか、発想が凄いとか、持ち上げてたじゃねえか。
理論をもう少し飛躍させる。
例えば、キチガイカップルがキメセクで中出しやりまくって子どもが出来たとする。
その子どもを作る過程がドーピングだったから、生まれてくるその子どもにも罪はあって、そんな子どもは世間から隔離して、目に触れないようにしないといけないんだろうか。
そして、その子どもが凄い才能を持っていて、凄い作品とかを世の中に発表しまくったとしても、両親がラリってて出来た子どもが作ったものだから、目に触れないようにしないといけないんだろうか。
アーティストさんが製作したものは、そのアーティストさんが、生み出した子どもみたいなものじゃないか。
その意味で、オレは作品には罪はないと思う。
そして、その作品が素晴らしければ、それは称賛しても良いと思う。
取り合えず、50年くらい前から、「ビートルズ」の「リボルバー」は、LSDやりながらイメージ膨らませて作った作品だから、世間から隔離しろ!!って、抗議してる人がいれば、その人だけは、今回の騒動について、拒否しても良いんじゃないかな。
結局は、イメージなんですよ。
罪とかなんとか、そんな話じゃないんだよ。
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