- 2023年4月6日 20:00 CAT :
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めくるめく世界は艶やかななまま記憶の片隅に ~前編
大学卒業のチョッと前くらい。
一応、地元の零細企業に内定をもらっていたオレは、結婚前の嫁と将来について色々話をしていた。
その中のひとつに、「会社務めじゃなくて、二人で何かやりたいね」と言うものがあった。
別に会社務めが悪いとは思わない。
でも、お互い自分のやりたいことが色々あって、それは到底会社務めと言う形で達成できるようなものだとは思えなかった。
その少し前、オレは漫画家を目指して上京するか、地元に残って就職するかの決断に迫られ、地元に残って就職する事を選んだ。
ただ最後に、一度だけ本気で漫画を描いて、それをアフタヌーンって雑誌の四季賞と言う賞に応募した。
結果は落選。佳作にも引っかからなかった。
その結果も踏まえての決断だった。
当時通っていた地方のFラン大学は、卒業した先輩の就職率90%を売りにはしていたけど1年後の離職率は70%と言う話も聞いていた。
結局、就職率を売りにして新入生を獲得するために多少無理してでも、どこかの企業に内定させる。その後の事は知った事ではない。と言うのが大学の方針だったんだろう。
それもあって、オレ自身も先輩諸兄同様このまま普通の会社務めを続けることが出来る気がしなかった。そうでなくても、長く会社務めは出来ないような気がしていた。漠然とではあったけれども。
会社務めをしないのであれば、フリーターのような生き方をするのか、ニートになるのか、自営になるかの3択くらいしかなく、ただ、2人で結婚して生活したいと言う希望はすでに(少なくともオレには)あったので、ゆくゆくは自営できればいいなと思っていた。
もちろんそれは、どんな職種でどんな形で独立するのかと言う具体的なプランは全くない、ふんわりとした妄想でしかない。
嫁と二人で独立した時の屋号を決めて、その屋号のハンコを作ったりして、ささやかながら二人で薄暗い未来に少しでも光を当てようともがいていた。
まだネット環境すら、今と比べると全然普及していないような時代。
このふんわりとした妄想を話した全ての人から、「何を夢みたいなことを・・・」と鼻で笑われた。
「会社務めもできない奴が自営なんかできるわけない」と説教もされた。
唯一、このブログでもちょいちょい出てくる年の離れた従兄だけが「せっかく色んなやりたいことがあるんだから、やりたいことをやった方が良いよ」と言ってくれた。
そして、大学卒業して、職場での日々が始まる。
ただその日々はわずか1ヶ月チョッとで破綻してしまう。
2週間くらい過ぎたあたりから、毎日夕方になると高熱が出るようになり、朝になると熱が下がるようになる。
ゴールデンウィークを過ぎて数日したころ、車運転中に急に左半身が動かなくなり、そのまま緊急入院。
脳外科に入院して1週間ほどかけて全身を精密検査したけれども、異常は何も見つからなく、精神的なものから来る症状で、体が活動を拒否していると言う診断が下された。
オレの会社務めは想像よりも早く体の方が拒否すると言う形で終わりを告げる。
新卒と言う既定のレールをいきなり、しかもストレスで体調を崩したと言う理由で外れてしまったわけだ。
それからの日々は、記憶も曖昧。
フリーターをしていた期間もあれば、仕事もしないで親からもらった月3万円のお小遣いで遊ぶニート生活をすることもあった。一念発起して就職したけど結局1ヶ月ほどで退職と言う事も繰り返した。
受けた面接は多分10や20ではきかないし、務めた職場はパート・正社員併せて10以上を数えた。
訪問販売の営業、ネットショップ店長、ホテルの受付、工場での内職、塾講師、弁当宅配の受付、事務職、SEさんのマネージャーみたいな変な仕事もあったな。
今振り返ってみれば、その期間はわずか2年ほど。
どこ行く当てものなく嫁と二人、公園の野良猫と一緒に昼寝ばっかりしていた期間もある。
当時は、いつまでこんな生活なんだろうと、不安でしょうがなかったのに。
そんな中で、一つの転機が起こったのは、27歳の時だった。
中編へ続く
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