- 2023年4月7日 20:00 CAT :
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めくるめく世界は艶やかななまま記憶の片隅に ~中編
ということがあった。その続きでございます。
このままではどうしようもない。
絶望の中で、いつまで経っても何も見えない日々は続く。
オレも精神的に一番疲弊していた時期だったように思う。
例え似非であっても、未来に向けて何かを行動しているという状況を作らなければ心が壊れてしまう。
そんな後ろ向きな理由で、毎日ハローワークに足を運ぶようになる。
毎日見たところで、そんなコロコロ求人の内容が変わることなんてないわけで、それは結局のところ徒労にしかならない。
それでも、公園で野良猫と眠るだけの日々よりは少しでも心が軽くなるような気がしないでもない。
実際には何も変わらなかった。
心の疲弊も限界が来ていた。
嫁はこの頃、植物が大好きだったことから、お花屋さんでバイトをするようになっていた。
仕事終わるといつも嫁から電話があった。その電話に対してオレは何も変わり映えしないハローワークでの出来事を話すだけの日々。
そんな日々に耐えかねて、一つの仕事に応募してみることにした。
変わり映えのしない求人の中で、いつでも出ている求人というのは、その職場が絶えず人材不足であるということで、それはそのまま超絶ブラック企業だという事の証明でもある。
それでも、何か動かなければ心が壊れてしまう。
応募した会社の面接の日、面接は地方の中小企業よろしくいきなり社長面接だった。
その時におもむろに一枚のDMを出して「これをどう思う?」と聞かれた。
受からなければそれはそれで良いかな。また、夜、嫁に話すことが増えるか。程度にしか考えず、そのDMを自分ならどうデザインするかを懇々と語り倒した。
その話を静かに聞いていたその社長さんは「よっしゃ!」と言い立ち上がり、オレを一つのPCの前に連れて行った。
そして「今から、お前が言ったDMを作ってみろ。このDMの入稿は今日が締め切りだから、今日中にできるな?」と言い放った。時刻は、夕方の6時ころだったと思う。
面接の日。
まだ入社するかどうかも決まっていないのに、いきなり、実際に出すDMのデザインをやらせる。
しかも、その日が締め切り。夕方の6時から?
頭の中には「?」が無限にわき続ける。
それでも、取り合えず今持てる技術で何とかしようと、イラストレーターでDMを作り始めた。
面接で偉そうに話した内容を一通り網羅したDMが出来上がったのは、日付の変わった深夜2時ころだった。
出来上がったことを告げに行くと、その社長ともう一人のおっさんがオレのことを待っていた。
DMを見て「よし。今回はこれで行こうか。で、お前は、来週から来れるか?」と。
どうやら採用されたらしい。
尋常じゃなく疲弊していたので、この会社に勤めるべきかを考える頭なんて残されてなかったように思う。
結果として、オレはその会社で過去最長の7年間務めることになる。
入社面接に行っていきなり深夜2時まで無償で働かせてくれる素敵な職場。
ただ、面接時に深夜まで残って意地でもDMを完成させたこと、その出来上がったものの出来も思ってたより悪くなかった事で、この会社では有り得ないほどの好待遇、好条件で雇ってもらえた(らしい)。
入社から半年後、オレは嫁にプロポーズをして、さらに半年後結婚した。2年後には娘も生まれた。
ただ、こんな漆黒の素敵な職場なので、最後は結局パワハラやらなんやらで、再び精神をやられ、就業不可能になって退職することになる。
今でも、この頃のことを思い出すと動悸が止まらなくなるくらいにはトラウマになっている。
それであってもこの7年の間に得た技術、ノウハウ、経験、そして人脈はこの後の人生に大きく関わってくるんだから、人生って本当にファンタスティックだと思うんだ。
それとは別で、退職したものの、ものすごい鬱病で仕事なんてできる状態ではないくらい体はボロボロになっていた。
一応、長期間仕事をしていた関係で、傷病手当という救済措置を受けることができ、1年半ほどは月10万円ほどのお金をもらうことはできた。
それでも、この時のオレは結婚していて、ついでに子どもも2人いた。
以前のようなニート生活など到底送れる状態ではない。
体がボロボロ。本当の廃人で、子どもの顔すらまともに見られない。正直、この頃のことは記憶がほとんどなく、息子が赤ちゃんの頃のことはビックリする位何も覚えてない。
月10万円のお金は家族4人で生活するには少なすぎて、あっという間に当時あった貯金も底をついた。
人生で最も極貧の時代。
息子のスタイを買うことができなくて、お姉ちゃんが赤ちゃんの時の服を切って嫁がスタイを作るくらいお金がなかった。
と言う感じで、後編へ続く
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