2023年4月13日 20:00 CAT :
       

友人知人に三親等までそれ以外は全員敵とみなす

もしもしゲーを投げ捨ててから1ヶ月。

特に、これと言った不都合もなく過ごしております。

ただオレの場合、お仕事で1日中PCとにらめっこしてる訳で、休憩で漫画描いたり、小説書いたり結局PCとにらめっこして、あと、スマホでちょこちょこ情報収集して、時間があれば「帰ってきた魔界村」やってと、よく考えたら一日中何らかの電子的なものに囲まれて、目を使い続けている。

挙句、最近ちょっとお風呂でもスマホいじったりしてた。

これはあかんですよ。

という事で、少しスマホから距離を置いて、少しでも電子の海から離れようかと画策してる。

お仕事とか、漫画描くのとかはやめられないんだよ。あと、オレから魔界村を取り上げるんじゃあない。

せめて減らせるのは、スマホを触る時間かな。と。

昔からとにかくお勉強が好きだった。

学校の勉強は嫌いだったけど、自分が興味のあることに関してはとにかく色んな所で調べまくって勉強しまくってた。

小学2年生のころ、たまたまテレビで「東洲斎写楽」の存在を知って興味を持ち、そこからいろんな本とかを読んで勉強した。当時ネットなんてなかったから、もっぱら図書館の本だった。

あの当時。1990年代初頭で、「東洲斎写楽」の正体が阿波藩お抱えの能役者「斎藤十郎兵衛」だと知っていた小学生が日本にどれだけ居たことか。

まぁ、そんなこんなで色んな情報を収集することが好きでしょうがないんだけど、最近、知識とかを集めてどうするんだろうとか、そんな根源的なことを考えるようになってしまった。

ぶっちゃけ、これ無駄じゃね?と。

まぁ、どう考えてもこの集め続けた知識が漫画を描くときにかなり有益なことは間違いないので、その意味では無駄ではないと信じたい。

けれども。

けれどもだ。

結局のところ、誰かと共有するわけでもないし、誰かに話すわけでもない情報が結構膨大に頭の中にたまっていってる。

これね。知識の貯金のような気がしている。

お金をためることを目的にしてしまった人間は、必ず不幸になると思ってる。

お金は使ってなんぼ。

もしものために貯めるという発想はまぁいいとしても、お金を稼ぐ目的が貯めることになってしまうと、もうそれは人生が不幸になる始まりのような気がする。

知識も多分同じ。

知識を集めて、情報を集めたところで、それを頭の中に置いていたらきっと意味がない。

知識を知ることが目的になってしまうと、それもある意味不幸な気がしてならない。

でも、知識を使うタイミングとは果たしていつなのだろうか。

急激に文明が崩壊した暁には、ベア・グリルスが教えてくれたサバイバル術で生き残れるかというと、多分無理だと思う。

地球が崩壊する瞬間に、アラン・グースのインフレーション理論を知っていたとて、役に立たないと思う。

かといって、無駄なので、今日から一切新しい情報を得ることも、知識を深めることもしません。

ただ何も考えず無為に日々を過ごすことにします。なんて、できる気がしない。

今日も、無駄と知りつつ知識を深め続けていくんだろう。

小難しいことを考え始めたときは、おっぱいを見ればいいんだよ。

おっぱいを見れば、大体の悩みは忘れることができる。

おっぱいに色々したい。

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