2014年8月1日 23:07 CAT :
       

僕らはみんな意味はない

もう少しで30歳が終わってしまう。

三十路一年目が終わってしまう訳だ。

そんなこの一年。

取り合えず、個人的に集大成と言ってもいいと思ってる「王道軽傷」と言う作品が完成した事は良かったと思う。

記念の良い一年になったよ。

うんうん。

そもそも、30年生きてきた結晶だろうと思ってる節があるから。

何かを作る時、毎回、これまで生きてきたモノを詰め込んで集大成だ。

と思って作ってたりする。

その中でも、きっと、ひとつ大きな作品が出来たと思ってる。

そんな、三十路志茂田さんですが、こんな感じでありつつも、一応、30歳になるまでに自分の家族を持つ事になりました。

先日、50歳、独身、フリーター女の悲惨な日常と言うモノを見た。

下見て暮せじゃないけど、まだ、マシだと思ってしまった。

もちろん、今の生活にも余裕なんてあんまりないけれども、それでも、割と幸福度は高いような気がする。

それがいつまで続くのか分からない。

人生なんて、ある日突然不幸になるもんだと思ってるし。

でも、いつ不幸になるかもしれないから、今は、幸福度高めでも良いと思う。

問題は、この幸福度と言う感覚だ。

昔は、「今が楽しい事」が、幸福度の高さだった。

でも、ここ最近は、チョッと違ってきた。

正直、「今が楽しい事」だけを考えるんなら、オレは、今みたいにぼろ雑巾になりながら、仕事なんかしてないだろうて。

言っちゃあ悪いけど、適当にバイトでもして、何とか生活できるくらいの収入で、のんびり遊んでたい。

実際、そうやって20代前半をほぼ無為に過ごした。

(まぁ、あの期間も無意味だとは思ったないけれども。)
でも、歳と取るにつれ、「意味がある」こと、そして、「未来につながってる事」が幸福度の高さになって来たような気がする。

毎晩、すやすや眠る娘の顔を見て、いっぱい遊んだ日の夜には「ふふふ」と寝言で笑ってる娘の顔を見る。

とか。

何だったら、この前仕事中に、娘がいたずらで嫁のケータイから電話してきて「あ~たーたん(お父さんの事)」ってだけ言って、後はガーガー言ってたのでさえ、殺伐として、死にかけてた職場で、凄くほっこりしたよ。

別に、子どもが居る事が重要だと言う訳じゃあない。

でも、何となく、オレが居る事に意味があるって事が、嬉しかったりする。

その為なら、頑張ろうかなぁ~って気になるんだよ。

それって、友達が居るって事とは、また少し違う意味だと思う。

そう言う意味での、居場所は前から多少はあったけど、その時には、感じる事の出来なかった感覚だと思う。

自分が存在する事に、誰かが意味を見出してくれて、それが、何となく将来につながってるような気がした時、ちょっぴりほっこりするんだろう。

この幸福度があると、割と強くなれるみたい。

オレも、嫁も、このお陰で随分強くなれたような気がする。

まだまだ、問題山積。

楽な生活とは無縁な生活ですが、それでも、毎日は、割と幸せなんだよ。

だから、丸くなっちゃって、変なものが作れなくなってるけれどもな。

じんじろげのはんじょろげ。

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