- 2008年1月22日 16:16 CAT :
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悲しみコンドーム限界はちきれの翌日
血液型占いの科学的裏付けについて、少しだけテレビで見た。
もともと血液型的にA型は一番免疫力が低くて、そのせいで、ちょっとした事でも体を壊しやすい。
だから色んな事に気をつけて行くうちに、几帳面になって来るそうです。
ちなみに、一番免疫力が高いのがO型。
チョッとやそっとでは、体を壊さないO型は、そのせいで大雑把な性格になるんだって。
でも、優勢の法則的にはA型はO型より強い。
それってどうなんだろう?
ロバート・メイプルソープって言う写真家の作品がわいせつ写真にあたるか言う、何だか興味津々な裁判。いよいよ最高裁まで来ましたね。
国側は上告棄却をしているようだけれども・・・
このメイプルソープの写真はまだ見たことが無いんだけど、「性器の露骨な描写がわいせつでないなら、街中にそうした写真があふれる」と言う国側の上告棄却の理由から察するに、官能美を追求している作品なんだろうか?確かに、街中至る所に「まんこ」「ちんこ」な国はいかがなものかと思うけど、今回の事に関しては何だか国側が変な気がする。
裸婦がテーマとして存在するように、肉体美、人間の美しさは昔から芸術の1テーマとして発表されてきたんだし、今回のもその中に入るんじゃないだろうか?
じゃないと、ミケランジェロのダビデ像が教科書に載ってる事だって実のところ児童ポルノ法に触れるって事になりかねない。それとも、アレは包茎だからセーフとでも言うつもりだろうか?
不思議な話、せっかくきれいな女が全裸になってくれても、それが芸術的に素晴らしかったら何だか興奮しない。(オレだけかも知れんが。)それが、芸術的かどうかの境目で、今回のメイプルソープの写真は性的に興奮するからわいせつ写真とするのなら、何だかやりきれない。
個人的な話だけれども人間の肉体美を表現する上で、エロク無いモノ(見てて勃たないようなもの)なんて、それこそ人間の本質に迫ってないとオレは思ってる。
女性的美しさは極論すれば男が興奮するいやらしさ。
そうじゃないと、何が何だか分からなくなる。
前述の興奮しない芸術的作品は、芸術的に素晴らしくても、人間の表現としてはいかがなものかと思う。
本当に素晴らしいのは、興奮できる美しさ。
だとしたら、このメイプルソープの関税で引っかかるような作品こそ、本当の人間の美しさを描写した作品じゃないだろうか?
ぜひ見てみたいものだ。 - この記事を見てみる ⇒
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なかっちゃん久しぶり!!コメントするのが(笑)実は毎日のように日記をチェックしてますから☆隠れファンやきん♪
さて、メープルソープの話なので食いつきました。
カナダでそういうのについて勉強しとったんや。
メープルソープの作品も授業で1点だけ見たことあるよ。
その作品は男性の性器に靴下を履かせた写真でした。
下腹部~ひざ上部分のみの写真で顔は写ってない。
官能的な感じじゃなくて、私には美しさとか芸術に挑戦するような感じに見えたかな。
実際その授業のトピックは、「自己表現としての芸術vs世間の目」作者の自己表現が見た人の一部または大部分を不快にさせる場合の検閲の必要性について。
その授業で見た作品の中には今回みたいにわいせつと呼ばれる作品もあれば、宗教を題材にしたり、動物の輪切りの写真を作品にしてみたり…いろんな作品がありました。
で、授業の結論は、『感性は人それぞれ』だからこんな問題は解決策を導くのが難しい…って。
あなたならどうしますか!?考えなさいって終わり方でした。
私は作家の表現の自由を尊重したい方なんですが、実際は難しいねーーーー…
『見た者に感情を呼び起こすものが芸術である(美しいものに対する感動だけでなく、醜いものや恐ろしいものに対する憎悪なども)』先生の受け売りやけど、私はそうやと思ってます☆
長くなったけど私もメープルソープ氏の件は関心があります!!ってことでした☆
こんな日記また書いてね(笑)また食いつくから~♪
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こんばんは。
面白い記事だったのでのっかってみた。
多分人が目をそむけるもののほとんどはとても興味があってこっそり見てしまいたいものなのだと思う。
そこにはいつも怪しさや恐怖や謎があって、
人をひきつける。
それはある種の美しさなんだろうな。
最近、金子國義さんの絵画に興味があって。
特にそんなことを思ってた所。
もし良かったら見てみて↓
http://www.kuniyoshikaneko.com/gallery/han_m3.html
もしかしたら弟くんも好きかもね~
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ハイ。
お久しぶりです。
年賀状以来か?
取り合えず、ココでは「志茂田さん」で。
MIXIじゃないんで…
さてさて。
「自己表現としての芸術vs世間の目」作者の自己表現が見た人の一部または大部分を不快にさせる場合の検閲の必要性についてか。
なかなか楽しそうな勉強してるなぁ~。
え~と、それに関してオレ個人の意見を偉そうに書いてみます。
(↓)
一般的にそれを見た人が不快に思うのかと言う部分が論点の中心になるのかも知らないけど、その場合、まず、何を不快と思うのか自体が、それぞれの感性である事を配慮する必要があると思う。
例えば、今流行の未成年がトラウマ抱えてズタボロになりながら、頑張って生きていく物語や大事な人が、病気で死んでいく(またはいなくなる)物語などなど…オレから見れば、このメイプルソープって人の写真よりはるかに不快に感じると思う。
もし、そこに多数決を持ってきて、「多くの人が」と言う但し書きを付けようと言うのなら、芸術なんか、この世から無くなってしまえばいい。
作品自体への評価は、世論の意見や、多数決の原理を持って来た瞬間から、ただの偏見でしかなくなる。
真摯に、その作品と向き合って、自分が本当に思った評価をしてこそだ。
って事で、長々となったけど、不快ならば見なければいい、興味があれば見れば良い。
ただ、その間口を最初から偏見で閉ざす必要はない。
って事です。
若干青臭いような気もするけど…
そんな感じの考え方もある。
…位に受け止めといてや~
ふい~
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芸術やら何やらにも、色々なテーマ、形があっていいと思う。
それ自体が見向きもされなくても、その作品にはきっと意味があるはず。
と言うか、あってもらわないと、悲しくてやってられない。
でも、目をそむけるって事は、その作品を認識した事であって、その意味を理解しているのだと思う。
命の大切さを知らない子どもにどれだけ残虐な描写を見せても、反応はきっと薄いはず。
残虐な描写と言う概念自体が、命の尊さを知っているからこそ生まれるものだろうから。
こんな、正と負の二面性から見ても、目をそむけるような作品の必要性は考えられるのかも・・・