2019年3月28日 23:50 CAT :
       

蝉の声を聞く度に 目に浮かぶ九十九里浜

人はいつか死ぬ。

というありきたりな話。

メメントモリと言うやつ。

最近、凄く思うようになったのは「重要なことは順番だ」と言う事。

日本では(というか世界的にか?)、親よりも子どもが先に死ぬことを親不孝としてとらえる節があって、親より先に死んだ子どもは賽の河原で石を積み続けることになる。

子どもが親より先に死ぬなんてダメだ。と。子どもが出来てからは、物凄く強く思うようになった。

タイムリープが出来るとして、やりたいと思うか。という問いについても、もしオレがここまで生きてきたうちの何かの選択肢を変えることで、子どもたちがいなくなるなら、考えられない。

大好きなクレヨンしんちゃんの映画「戦国大合戦」の中で(だったと思う)ひろしが「しんのすけのいない世界に未練なんかあるか?」と聞き、みさえが即答で「ない!」と答えるシーンがある。

今なら、その感覚が凄く分かる。

オレだって、そんな気分だ。

なので、オレ自身もできる限り両親が死に絶えるまでは頑張って生きていようと思っております。

ここまでは良い。

問題なのは、オレと嫁のどっちが先死ぬかと言う事。

もちろん、自殺とかするのでなければどっちが先に逝ってしまうかなんて分かりはしない。

それでも、結婚前からオレはズッと嫁に「一日でも良いからオレよりは長生きしろ」と言い続けてる。

それが物凄く自分本位な話なのは十二分に良く分かってるけど、それでも、オレはやっぱり先に「一日でも良いからオレよりは長生きしろ」と言うと思うんだ。

何と言うか、自分が不治の病になってしまって、余命宣告を受けることと、嫁が余命宣告を受けるのでは、自分の方がよっぽど良い。

あいつには、いつまでも元気でいて欲しいんだよ。

これは、オレが弱ったときに嫁に面倒を見て欲しいとか、そういう話じゃない。

一人では、生きられないんだよ。オレわ。多分。

オレの人生は、嫁と出会ってから、ホントに180度変わった。

あいつがいなくなると、また、それ以前に近い生活になるのだろうか。

いなくなった生活なんて考えられない。

それが、自分が死ぬこと以上の恐怖になってしまっている。

二人で長生きして、子どもたちもちゃんと巣立って行ったあと、二人でふへ~っとした老後を過ごすことが出来れば、それ以上の理想的な人生もないだろう。

それでも、あいつには1日でも良いので、オレより長生きしてほしいな。

二人して、いい年になってきたので、ちゃんと健康診断受けることにしました。

子どものためと言う事も含めて、二人とも元気でいないといけないんだよ。多分な。

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