2017年10月23日 16:33 CAT :
       

暴虐-PARASITE-は関係なし

最近、映画の話ばっかりだな・・・と思いつつ、基本的に一日中パソコンの前に座ってて、その間中、好きな音楽を聞いたり、映画を観たりしている。そんな毎日の中で描く事なんて、映画の話ばっかりになってもしょうがないと思う。

いや。それ以外にも色々やってない事もないんだけどね。

と言う事で・・・いや、と言うか、書かずにいられなかった。別に、書くネタがなければ書かなければいいだけなんだけど、どこかに吐き出してしまわなければ、とても自分の中だけで消化することができやしない。

そんな感情が体の中に渦巻いているわけでございます。

今回見た映画は「ライフイズビューティフル」。

基本的に、メジャーどころとか、感動系は外してるんだけど、この話については、ユダヤ人やら強制収容所やらの話だと言う事で、歴史映画なら良いか。「タイタニック」も何だかんだ言いながら面白かったし。

位のノリで見始めた。

正直、前半部分については、悪乗りした「ローマの休日」のような展開で「これ、最後まで見るのきついなぁ~」と思った。主人公のグイドがいい意味でも、悪い意味でもお調子もので、恥ずかしくなるようなしょうもない話ばっかりして、一目ぼれした女を口説く。ほんとにただそれだけ。

なんじゃこの映画?

しかもノリが古臭い。ほんとに1997年公開か?1970年くらいの間違いじゃねえのか?と言う位、古臭い。(後で考えてみたら、作中の時代設定が1940年代だからなのだろうけど、だからと言って映画的な演出まで古臭くする必要はあったのだろうか・・・いや、それがあったんだ。詳しくは後述。)

でも、せっかくなので、強制収容所連れて行かれるまでは我慢してみるか・・・と言う感じで、流し見してた。

風向きが変わったのは40分くらいからか・・・

急に不穏な空気が流れ始める。

世界が戦争に向かってきている。ユダヤ人であるグイドは、不穏な空気を悟りながらも、子どもに悟られないように、相変わらずくだらないジョークでのらりくらりとその場をやり過ごす。

グイドの子どもジョズエが「“ユダヤ人と犬はお断り”。どうしてどのお店も“ユダヤ人お断り“なの?」と聞くと、 グイドは「ああ、そうんなんだ。‘お断り“の張り紙は最近の流行なんだ。この間、カンガルーの友達と店に入ったら“カンガルーお断り”の張り紙があったんだ。だからダディは友達に言ったんだ。“じゃあどうしようか?店はカンガルーお断りだって”って。」と答える。

さらに、ジョズエが「どうして僕たちのお店は“お断り”の張り紙を出さないの?」と聞くとグイドは「じゃあ明日、張り紙を出そうか。でも好きじゃないものならなんでもお断りすることができるんだよ。お前は何が嫌い?」と聞き、ジョズエが「クモ。」とかえると、グイドは「よし、パパは西ゴート族。明日、“クモと西ゴート族お断り“のサインをだそう。」と笑いながら話す。

この何でもないやりとり。これがあとから考えると凄く深い様に思うんだけど、見ている間は、前半のグイドのおちゃらけたお調子もののキャラクターのせいで、どうでも良いくだらないジョークのように聞こえてしまうんだよね。

そして、実際におじさん、子ども含めた家族全員が強制収容所へ・・・

これ以降の展開については、ホント見たことない人はぜひ見てほしい。し、見た人は、書く必要がない事を分かってもらえると思う。

ただ、見終わった後、オレは、嫁が引くほど号泣してた。

これまでも色々な映画とか見て泣いてたけど、正直、これまでで一番号泣したと思う。

今、思い出しても、涙腺が緩んでくる。

前半のくだらないノリも、グイドのおちゃらけたキャラクターも、そして、ちょっと古臭い演出も全てが後半の為のフリだったわけで、それが、後半部分の心を鷲掴みにしてグワングワンと揺らすのに、一役も二役もきいてるんだよ。

このお話は父と子の話だ。

「血と骨」のような、歪で呪縛のような親子の話じゃなくて、見紛う事のない父と子の話。

親が子どもに向ける無償の愛情の話。

それが、子どもが生まれて、お父さん然全くできていないながらもお父さんなオレには、びっくりするほど共感できてしまったんだよ。

もしオレが強制収容所に息子と一緒に連れていかれたら・・・とか、息子の無邪気な質問にどうこたえるか・・・とか、自分の命と息子の命を天秤にかける事になったら・・・とか、本当に色々と考えてしまう。

そして、あのラスト・・・そりゃあ、号泣しますよ。

泣きますとも。

号泣だ。バカ野郎!!

仕事なんて、何にもできなかったよ。チクショー。

この映画の「タイタニック」比べると、歴史映画としてはどうなんだろうと言う点はある。

強制収容所が緩々過ぎるし、「ん?それでいいのか?ドイツ・・・」と思うところも多々ある。そもそも、ほとんどのユダヤ人は殺されるどころか、解放された段階でもやせ細ったりする訳でもなく、多少薄汚れているだけで元気そう。

それが事実なのかも知れないけど、オレがお勉強した強制収容所とはずいぶん違う気がする。

人が死ぬシーンや、エログロなシーンも一切ないし、終わり方も、スッキリするハッピーエンド。

強制収容所の真実を描いた歴史ドキュメンタリー映画だとしたら、こんなひどい出来の映画はないと思う。

多分、幽遊白書の「黒の章」を見たくてしょうがなかった中学生とか高校生の頃のオレがこの映画を見たら、散々酷評してただろうて。

でも、結婚して、自分の家庭を持って、子どもを育ててる身になってこの映画を見たら、そんな事はどうでも良い事のように感じてしまう。

それよりも、ただただ「ジョズエよかったなぁ~」と心の底から思って、号泣するんだよ。

なんかね。本当に「ライフイズビューティフル」なんだよ。

人生って良いものなんだよ。

まだ、自分の人生を終えたわけじゃあないので、結論を出すには早すぎるけど、それでも、子ども時代から連綿と続く流れを鑑みて、人生って良いものだと、少しは思えるようになった来た。

そう思えるようになって来た時、初めてこの映画の良さは分かるんだろうね。

中坊や高校生が「感動した~」とか言ってたら、お前らにこの良さが分かってたまるか。と思うし、30代・40代になって「歴史考証の甘い映画だ」とか言ってる奴がいたら何十年も何して生きてきたんだ?お前は?と思うだろう。

そんな映画。

多分、もう少し時間が経ってみたら感じる事も変わるだろう。

でも、ちょうどジョズエ位の歳の子どもがいるオレには、どんな物語よりも共感できて、号泣できる物語だった。

また見たい。

見たら、きっと号泣するんだろうな。

今度は、出来たらながら見じゃなくて、腰据えてみたいと思いました。

「黒の章」を欲しがってる中二病な方には、「血と骨」の方をお勧めします。

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