- 2009年5月12日 3:17 CAT :
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夕焼けドライブはプレゼント放浪編の末路に
「母の日」ともなると、フラフラとおかんにあげる物を探すようになったのは嫁と出会ってからの事。
「母親に対する感謝」を示す事の必要性などないと思ってた。
オレは、望んで産まれてきた訳じゃあない。
このおかんの元に望んでやってきた訳じゃあない。
勝手にこんな世の中に産み落としておいて、それなのに、感謝しろとかこれ如何に?産んだ以上は、育てるくらいの責任は当たり前だろう。
位に思ってた。
そこに関しては、今だってそんなに考え方は変わっていない。
子どもだと言われても、そこはそうなのでしょうがない。
でも何と言うか、嫁と出会って、色々と話を聞くうちにふと思った事はある。
それは「労い」と言う感情。
別に、「オレを育ててくれてありがとう。」とか、「産んでくれてありがとう。」とは思わないけれども、ただ「いつもご苦労様」とは正直に思えるようになった。
朝、誰よりも早く起きて洗濯物を干して、ゴミ出しをした後、皆の朝ごはんを作って、片づけをして仕事へ。
仕事から帰ってきたら、皆の夕飯を作って、風呂を洗って、洗濯物を取り込み~の、たたみ~の。
で、シャツにアイロンをかけたり、簡単な掃除をしたり・・・今日なんか、それが終わってからやり残しの仕事持って帰ってきてをズッとやってた。
で、皆が寝室に行った後、部屋の片づけをして一番最後にベットに入る。
休みの日には、買い物行って、家の掃除をして、庭の手入れをして・・・眺めていたら、1日のうち家で座ってる時間は、飯を食ってる時位しかない。
それを、1日も休み無く、それも30年以上続けてる。
オレだったら、1日だって出来る気がしない、この仕事量を・・・
年に何度か位、出来損ないの息子からの労いがあったって、報われるようなもので無い仕事量なんだから、そこに対して、オレが「いつもご苦労様」と言う気持ちを込めて、プレゼントを渡したって咎められやしないと思う。
そんな事に、嫁から色々話を聞くまで気が付かないどころか、あまつさえ当たり前と考えていた事を何だか情けなく思う。
自分の苦労だけは報われたい。
そんな人間から、少しだけ成長できたものと思う所で、今日は落としておこう。
プレゼントは、小さなマグカップ。
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