年別アーカイブ: 2020年

2020年12月16日 4:29 CAT :

発達障害おっさん毎日がエブリディ

少し前に、息子の健康診断みたいなやつがあって、そこで発達障害の疑いがあると言われた。

娘の時には、全くそんな話もなかったし、あと、息子を見てる分には、1ミクロンもそんな感じしなかったので、ちょっとびっくりした。

いや、別に障害があるって事に対して、差別的な気持ちがあったり、拒絶的な気持ちがあったりとか、恥ずかしいから隠さなきゃとか、そう言う話じゃない。

ただ、家で息子と遊んでいる分には、全くそんな気がしてなかったので、「まぢで?」って思ったと言う話。

で、「息子なんて、オレの子どもの頃に比べると全然マシですよ。むしろ、オレが子どもの頃なんて、じっと座っていることも出来なかったし、一日中ティッシュ噛み続けたりして、親が幼稚園に呼び出されたりもしてましたよ?」と言うと、「これまで、お辛い経験たくさんされたんでしょうね。この機会に、お父さんも病院にかかってはどうですか。」と言われた。

ほほう。

そう来たか。

と言う感じ。

ちなみに、今現在でも、嫁に言わせれば、「うちには子どもが3人いて、一番上のおっさんが一番面倒見るの大変」と言われている。

多分、診断で引っかかった息子より、もう少しでアラフォーと言われるようになるだろうオレの方が、日常生活において支障をきたしているんだろうて。

もちろん、この先生が「あたおか」だとか思う気持ちは全くない。

正直、思い当たる節がない訳でもない。

チョッと前に、ロンブーの淳さんが「自分はHSPと言う病気だ」と告白してた。

たまたまそのテレビ見てて、その番組で出されてたHSP診断のテストでは、当たり前のようにオレもほぼ全て当てはまってた。オレはHSPの可能性が濃厚らしい。

そして、オレは発達障害なんだって。

子どもの頃、クラスの中で一番ダメな奴的な感じで先生によく吊し上げられてた事も、友達がいなかったことも、皆から嫌われてた事も全部、病気のせいなんだって。

先日、多分片手で収まるくらいしかいない、友人の家族と一緒に今年最後のバーベキューをした。

その時に、昔の話でチョッと花を咲かせてたんだけども、その話の中でも、子ども時代のオレが如何にヤバいか、チョッとエピソードを語ると、その友人の嫁さんも物凄いドン引きしてた。

嫁も、エピソード自体は全部知ってたけど、改めて、オレ以外の第三者からその話を聞いて、今まで聞いてたより引いたらしい。

普段から、オレもまぁまぁ話を盛る癖があるので、嫁としては「また大げさな話にして」くらいに思ってそうで。ところが、他の人から聞いたら、もっとすごい話だったとかそんな感じ。

今でこそ、自分で事業初めて、金持ちとは言わないけど、欲しいものは何でも手に入る程度には中流家庭な生活をしてる。

ただ、ここまで本当に紆余曲折あったんだ。

職場で言えば、江戸川乱歩もびっくりなくらい、色んな所を転々とした。

学校の先生、ホテルのフロント、訪問販売の営業、総務、工場のライン、弁当配達、売店の売り子などなど・・・結婚までだけでも10以上の職場を転々として、その10倍くらい色んな所の面接を受けたりした。

その前にはニートの期間もあって、お金もないし、行く所もないから、冬に公園で震えながら座ってた時期も結構長かったな。

営業回ってた時に、あまりにもストレスを受けすぎて、半身不随になって長期間入院してた事もあった。

会社で結構なパワハラ受けて、鬱になり、精神病院に通院もしてた。いまでも、その時の事を考えると気分が悪くなるし、その会社のある道を車で通ると、めまいがして運転できなくなる。

でも、オレは自分では普通な人間だと思ってたから、他の人と比べて頑張れないからダメなんだ、我慢できないからダメなんだと言い聞かせて、ひたすら色んな事に挑戦し続けてきた。

本当に本当に色んな事があった。

当時を振り返ると、悲しい事ばっかりで本当にきつかったけど、あの当時があったから、今のオレがある訳で、そう思うと、自分の人生もそうそう悪くないものだと。今はそう思ってる。

まぁ、この社会人になってからの紆余曲折も、学生時代と比べるとそんなに辛いものでもなかったというのもあるんだけどね。

そして、大学卒業してからのその色々あった時、今の嫁がずっと横でいてくれたって言う事もかなり大きいと思う。

人にはあんまり言わなくても、2人でビックリするくらい長くて濃い時間、苦楽を共にして過ごしてきた。

実は、来年あたりに今の事業をより本格的にやるために法人化する準備を進めている。

嫁と出会った20年くらい前に、いつか2人でやりたい事を好きにやれたらいいね。と話しながら、二人で付けた名前がある。

その名前を使った法人を立ち上げることができる所まで20年かけてやってきたんだ。

少なくとも、子どもの頃学校に行くことよりは、お金がなくて寒さに震えているニートの方がマシだった。寒さに震えているニートよりは、馴染めなくて転職を繰り返してた頃の方がマシだった。定職につけなくて疲弊してた頃よりは、自分のペースで自分の好きな仕事が出来る今の方がはるかにマシだと思う。

この先どうなるかは分からないけど、あの小学校に通ってた子どもの頃と比べれば、どう考えても、マシだと思う。

長くなったけど、そんな今、ここに来て、息子の発達障害の検診において、まさかの「これまで、お辛い経験たくさんされたんでしょうね。」と言う言葉をかけられて、なんだか戸惑ってしまったと言う話ですよ。

今になって思うんだけど、もし、今の時代にオレが子どもだったら、息子ですら引っかかるんだから、オレなんて即養護学校行きだっただろう。奇蹟的に免れても、特別支援学級行きは間違いなかっただろう。

それ自体が良いとか、悪いとかは分からない。

でも、確実に言えるのは、オレと言う人間は、「病気ですよ」と言われて、他の人から隔離されて成長していたら、今とは違う人生を歩んでいたと言う事。

その方が、学生時代辛くなかったかもしれない。

でも、あの時代があったから今がある訳で、嫁と家庭を築いて、娘や息子とも出会えた。

人生には、タイミングと選択が物凄い量ある。

オレは実にいいタイミングと選択の妙で、今の状況にいる。

ホント責める訳ではないけれども、それを簡単に「お辛い経験」とか言わないでは欲しいかな。

あと、今更病気認定もしないで欲しいかな。

今、公私それぞれに付き合ってくれている人は、ありがたいことにほとんどオレの人間性を分かってくれた上で、相手にしてくれている人たちだから、今更「オレって重度の発達障害なんだって」と話したところで離れていく人はいないだろうと思う。

いたとしたら、そんな人は離れてくれて結構。

でも、オレが絶対にしちゃいけないのは、この今の奇蹟としか言いようがない周りにいてくれる人たちに対して「オレ、病気だから」とか理由付けをして、これまでとは違う付き合い方をすることだと思ってる。

そりゃあね。

人と会うのは今でも物凄く体力を使う。知らない人と数時間打ち合わせしたら、その後、頭痛が激しくて寝込んでしまったりする。

それでも、これまでは普通の人もそうやって頑張ってるから、オレも頑張るべ。な精神でやってきた。

それが、「オレ病気だから」って、これまで信頼してくれてた人をがっかりさせるのは違うと思う。

これからも、同じように頑張りますよ。ええ。頑張りますとも。

なんか取り留めのない感じになっちゃったな。

取り合えず、息子にしても、発達障害でも別にいいんだ。

でも、病気ってのは、普通の社会生活を送らない理由にはならないと思う。

病気だったら人を殺しても良いのか?

病気だったら人を殺しても許されるのか?

みたいな話にもなってくる。

色々大変かもしれない。

でも、出来るようになるって。

息子なんて自分と重ねてみていると、どう贔屓目に見ても、現時点でオレよりちゃんと色んな事が出来てるんだからな。

オレでもできたことが、息子にできないわけがない。

理由付けや、レッテル貼りにだけはならないように気を付けつつ・・・

今日もおっちゃんはいつも通り、楽しんで生きていきますよ。

テレビで見たhspのテストはこれですな。

こんなもん誰でも、ほぼ全て当てはまるだろうと思うんだけど、世の中はそうでもないらしい。

くわばらくわばら。

この記事を見てみる  ⇒
2020年12月4日 10:30 CAT :

つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしオナニーにふけりけり

たまたま見た楽天のサイトで、switch本体を定価で売ってた。「お!ネットでも、普通に変えるようになってきたのか?」と思ったら、30分後には販売停止、いつも通り1万円くらい上乗せの糞業者だけになってた。

まだネットではそんな感じか…まぁ、オレはもう買えたからどうでも良いけどね。

未だに、転売考えてるアホが群がってるのか?

 

 

「化粧しないと怒られるなら、化粧品代を会社で出せ」と言う女。その理論で行くなら、髭剃ってこいって言われた男の髭剃り購入費も認めて欲しいわ。それ言い出したら、スーツ購入費用も欲しいわ。昔、営業してた時に「営業する奴がみすぼらしいカッコでは駄目だから、チョッと位、良い時計買え」って言われたけど、その時計の購入費用も欲しいわ。

こういう事言う女は、まぢでしょうもない。

 

 

ついでに、脱コルしようとしてる女。

女の権利かなんか知らないけど、人として当たり前の身だしなみすら整えられないなら、それはもう、社会人として終わってるから。

 

 

ここ最近、「「G」の世界」のページに載せる登場人物紹介用にアナログで色々絵を描いてる。

で、気が付いた。デジタルで絵を書いてても、アナログでの画力は変わらない。むしろ、前よりバランスとかとるの下手くそになってた。

なんか、描き終わった後、「チョッと目が大きくて、上に描きすぎたな。小さくしてバランス整えるか」みたいなことを考えてしまう。

もう少し、アナログ環境でお絵描きいっぱいしたい。

 

 

アンジャッシュ渡部の会見。

去年の吉本社長の会見に匹敵する・・・それ以上にどうでも良い感じだった。

あれはいじめじゃねえよな。多分、事務所的なやり方として、いじめられてるから許してやってに世論を向けるためにわざと辛辣にさせてるよね。

それも含めて、まぢでどうでも良いよ

 

 

もう12月!?2020年もう終わり?!

ふざけんな。

 

 

ありがたいことにお仕事物凄くたくさんいただけております。

マンガ描いたりもしたいので、最近は、週に1回くらいしかまともに寝てない。あとは、仮眠とモンスターぐい飲みで繋いでるけど、これどう考えても体に悪いよな。

 

 

「ナニワ金融道」を読んだせいで、お仕事に対する向き合い方がえぐい方向に向かいつつある。

 

 

自分の常識が、他人の常識だとは思わない事。

これが結構難しいけど、結構重要な事らしい。

 

 

「静かなるドン」が欲しい。

でも、買えない。お金もそうだけど、そもそも売ってない。

あのマンガ結構レアなのか。だから、中古でも高いのか?「ナニワ金融道」なんか、全巻セットで2000円で買えたのに・・・

 

 

Amazonで購入した中華製の糞パチモンに、驚くべきチラシが。

「レビューで☆5書いてくれたら、1000円分のアマギフプレゼント」だって。

中国人のアホ日本語が減ってきたけど、今度はこういうのに引っかかるアホ日本人のせいで、結局サクラは減らない。

アマゾンで物買うの嫌になってきた今日この頃・・・

 

 

ちなみにこれがその同梱チラシ。

これの画像アップして、Amazonのレビュー書いてやろうかとも思ったけど、そんなことしたって、どうせこう言う糞業者は、アカウント変えたり、商品を出し直したりするから、ブログに載せておこう。

何が正直な売り手だ。

クソ中のクソだったわ。

もちろん商品もクソ品質で、使い物にならなかった。

まぢで、こういう業者ばっかりになってきたな。Amazonさんは。

 

 

などなど、ここ最近ふと思ったことをば・・・

この記事を見てみる  ⇒
2020年11月30日 1:45 CAT :

近藤静也とかデューク東郷とかによろしく

ここ最近「静かなるドン」を読んでおります。

あと「ナニワ金融道」とか、他にも、「野原ひろしの昼飯の流儀」とか…

ゴラクとか、アクションとかその辺のマンガだよね。

正直な話、20代の頃とかは、「こんなマンガ誰が読むんだ?」と思ってたおっさんご用達マンガ。

これがここ最近まぢで面白くて仕方がない。

土山しげる先生のマンガとか、絶対生涯手にすることはないと思ってたけど、今では「喰いしん坊」も「食キング」も「喧嘩ラーメン」もめっちゃ大好きな漫画になってしまった。

失礼を承知で言ってしまおう。

「ナニワ金融道」はチョッと違うかもしれないけど、この辺のおっさんマンガで、本当の意味で「毒にも薬にもならない」。

ただ、だらだらとずっと読んでいられる感じ。

若い頃って、「テーマ性がどうのこうの」とか「社会風刺がどうのこうの」とか「心に刺さる何かがどうのこうの」とか色々思ってた。

そう言うものこそが至高のマンガだと思ってた。

でも、自分で事業起こして、日々お仕事に追われて毎日必死で夜遅くまでお仕事してると、そんな疲弊した脳みそで読むマンガにまで、社会風刺とかいらなくなってきたんだよ。

社会の現実を描く漫画とか言うけど、そういうのが好きなのは、社会に出てない、もしくは出たばっかりの子どもとか、チョッと前にはやった「アダルトチルドレン」とか何だと思うんだ。

どうでも良いけど、最近、アダルトチルドレンって言葉聞かなくなったなと思ったけど、この言葉いつの間にか精神病の一種みたいな扱いになってたんだね。また病気か。便利な言葉だよな。精神病。

いや、この話は、また近いうちに。言いたい事色々あるし。

話を戻して・・・取り合えず、社会の中で疲れ切ったおっさんの脳みそを癒してくれるのは、更に頭をぐるぐる回転させなければいけない小難しいマンガじゃないんだよ。

延々とダラダラ読み続けられるマンガなんだよ。

何処から読んでも大体面白くて、そして、深いテーマ性とか社会風刺とかが無くて、それでいて何となく社会情勢とかを知る事が出来る。

そんなマンガが一番いい。

そう思った時、この世で一番当てはまるマンガを見つけた。

「ゴルゴ13」だった。

これをもう少し年齢層下げた場合は「こち亀」だ。

この辺のマンガが、いつまでも愛されている理由が分かった。

「ゴルゴ13」なんて半世紀の間、家族のために頑張って奮闘しているお父さん方の疲れ切った脳みそにとっての癒しだったんだね。

クソガキでしかなかったオレは、そんな事も分かってなかったよ。

そして、この歳になってやっとその事に分かったよ。

誤解のないように言っておきたいこともある。

それは、「オレはお前らみたいなクソガキとは違う。大人なんだ」みたいな良く分からない事を言いたいわけじゃあない。

嫁には「うちには子どもが3人いる。そして、一番上の子どもが一番面倒くさい」と言われている。

精神年齢のテストで15歳以上になった事ないし、先日なんて息子が発達障害のテスト受けてる横で「お父さんの方が深刻です」って言われた。

この歳になっても好きな事ばっかりやって、嫌いな事がどうしても人並みに出来なかったから、しっかり社会からはみ出してしまってる。

ただな。

そんなどうしようもないおっさんでも、家族のために日々小難しい社会と向き合って頑張ってるんだよ。

その結果、疲弊してしまった脳みそには、おっさんマンガが本当に程よい。

何だったら、ここ最近の何にもドキドキハラハラしない「カイジ」とかだって、ダラダラ読めて良い感じなんだ。

初めて「カイジ」に出会った頃。

あまりの衝撃に夏休みの読書感想文を「賭博黙示録カイジ」で書いて、当時の先生にドヤされた学生時代だったら、今のカイジには本当に卒倒したと思う。

それでもまだ、「カイジ」が人気があり続ける理由は、「ゴルゴ13」のポジションに近づいているからなんだろう。

まぁ、カイジの場合、今の作風を受け入れられない若い昔ファンがいるから、そういう若い子がウロウロしてるAmazonさんとかでは酷評されてるんだろうけれども。

そんなこんなで、今、このお仕事につかれたおっさんは「静かなるドン」を全巻買おうか悩んでるんだよ。

ただなぁ、全巻セットだと中古でも3万円以上するんだよな。

今月と言うか、ここ最近、チョッと色々お金使いすぎてるから、悩んでる所。

普段なら迷わず全巻大人買いするところなんだけども・・・

あと、土山しげる先生のマンガは全て集めたい。

もっと広い家に引っ越そうと画策しておりまして、引っ越し完了した暁には、オレのマンガとかだけを置いた蔵書部屋を作るんだ。

きっとその部屋には、おっさんマンガが溢れる事になるだろうと思う。

まぢで面白い。

早くこの最終巻を読みたい・・・

ちなみに、「美味しんぼ」は前半面白いんだけど、結婚した後辺りから思想の押し付けとか、説教が多くなるから、読まなくなった。

40巻くらいまでは、良い感じなんだけど。

 

 

この記事を見てみる  ⇒
2020年11月26日 21:28 CAT :

怒るとハリを飛ばして刺してくる奴ら

先日、家の植物たちをまぁまぁ土をほぐして植え替えした。

オレの家は、半ジャングルかと言う位植物がいっぱいいて、全ての植物を植え替えする訳にも行かないので、少しずつローテーションでやってたりする。

とは言っても、今回の植え替えでも土だけで5000円以上費用が掛かって、1日仕事だったんだけども・・・

始まりは、嫁がまだ彼女だった時にくれたひとつのサボテンだった。

仕事柄ずっとPCの前に座ってるオレに対して、電磁波に強いサボテンとして一時期よく売られていた「セレウスサボテン」。オレはこいつに「千田」と言う名前を付けて、育て始めた。

それから、少しずつ植物は増えていって、気が付けば、家の中が半ジャングルになるほど植物に囲まれて生活している。

今回もあまり元気のなかった奴らを優先して、植え替えた。みんな喜んでるようにも見えるけど、クワズイモの一部はちょっと元気がない気もする。なんでだろう。ちょっと心配。

クワズイモの「イモ太」と「イモ細」は、「千田」の次に買ってきた奴で、当時別々に住んでた嫁と一つずつ持って帰って育ててた。

その「イモ太」と「イモ細」が何だかチョッと元気が内容で心配しているわけでございます。

さてさて。ここまでが前提として・・・

オレは、ヴィーガンな人が凄く嫌い。

嫌いな理由はいくつかある。思想を人に押し付けてる事とかもあるんだけど、最大のムカつくポイントは「植物を軽く見てる」事。

ここでいうヴィーガンってのは、「植物しか食べない」理由のメインが「健康」じゃなくて「命が可愛そう」と言うアホみたいな思想を持ってる奴の事ね。ある意味、シーシェパード的な感じよ。

動物は命があって、意識があるから可哀そう。とか寝ぼけた事を言ってる奴に対して、そして、肉を食べてる人に対して「虐待だ」と喚き散らしてるキチガイの皆さん。

植物は、下手したらその辺の動物よりはっきりとした意識があるちゃんとした命なんだよ。

まぢで植物だって、話が出来るし、気持ちがある。

これは、植物を大切に育てたことがある人なら、誰だって分かって貰えると思う。

もし本当に命を無残に殺すんじゃないと言う理由で、肉を食べないのであれば、植物を無残に殺して食べるんじゃない。

植物だって、ちゃんと意識はあるし、最近の研究では痛みを感じることが分かってきてるんだ。

例えば、19世紀とかには、人間以外の生き物は痛みを感じないと考えられていた。

犬を蹴り飛ばすと鳴き喚くのはあくまでも「反応」であり、痛みを感じているわけじゃあない。それが常識だった。

それと同じで、多分あと100年もすれば、21世紀までは植物が痛みを感じないと考えられていた。とか紹介されるようになるはず。

って事を知った上で、それでも「動物の虐待が」とか言うやつは、もう我を忘れた鯨波兵庫と同じだからどうしようもない。知らなかったと言うヴィーガンさんは今すぐ、痛みを感じる植物を食べるのをやめればいい。

「じゃあ何を食べればいい?」って思うかもしれないけど、命を奪いたくないんだったら、何も食べないで餓死しかないよね。

もしくは、自称プラーナだけ食べて生きてる、この嘘くさいおっさんみたいになるしかない。

生きると言う事は、命をいただいく行為であって、その行為自体を否定するなら、それはもう死ぬしかないと思うんだ。

それを何様か知らないけど、命にランクを付けて、「こいつは痛みを感じるからダメ」「こいつは痛みを感じないからOK」みたいな判断をしてんじゃねえよ。

オレは植物大好きだけど、全然植物食べるし、もちろん肉だって物凄い食べる。

でも、食べ物を無駄にしない事と、出されたものを残さない事は絶対決めてる。

ちゃんと美味しくいただいて、血肉にするんだ。

人間が生命活動をしていく上で、アホみたいなことを言ってんじゃねえよ。

あと、それを人に押し付けるな。

自分が植物の意識すら感じる事が出来ない、出来損ないの感覚しかないから、「植物は何をしてもOK」とか思ってるんだろうか。

まぁね思想って言うのは自由で良いと思う。

「植物は痛みを感じないから葉っぱをむしって食べてもOK」だと思うなら、それはそれでいい。

ただ、思想が自由だと言うのなら、そのアホみたいな思想を人には押し付けないでもらいたい。

あとこういうと時々返ってくる反論として、動物を家畜にして虐待している的なやつ。

これもめっちゃ的外れだからな。

それを言うなら植物だって、無茶苦茶な環境で大量生産されてるし、それどころか、種屋の都合だけで、次世代を残すことのできない断種みたいな処理まで強制的にされてるんだよ。

植物だって、流通に乗せるためにメチャクチャ可哀そうな虐待をされてるからな。

まぁ、そんな話ですよ。

なんで、こんな話しようと思ったのかはよく分からない。

別にむっちゃい買ってるわけでもないんだけどね。

何となく。

ホント何となくですよ。

セレウスサボテンってのは、こいつね。

これがまた可愛いんだよ。

この記事を見てみる  ⇒
2020年11月25日 22:59 CAT :

ガスで爆発したバスに乗っていたブス

「Gの世界」と言うマンガを、昨年の7月くらいから、新都社さんで連載しております。

元々は、オレが高校生の頃~大学生の頃にノートに書き殴ってた「G」と言うマンガ。(もっと言うと、中学生の頃に描いてた「first end」と言うマンガの余ったページに描いてた「G」と言う、何度も殺され→転生を繰り返しながら行われる戦争のマンガが一番の原型)

それをクリスタさんの力を借りてフルデジタルで原稿に仕上げて行ってる感じ。

1年以上かけて、65話くらい。ページにしたら、750ページくらい描いた。

んで、やっと最終決戦が始まった感じ。とはいえ、この最終決戦がまぁまぁ長いんだよ。

ダイの大冒険でいう所のバーンプレスに乗り込んでいったところ位。ダイの大冒険が全37巻で、バーンパレスに乗り込んだのは20巻くらいなので・・・まぁ、そう言う事だよね。

順調にいけば、あと1年くらいでキレイに完結できるんじゃないかなと思う。

そんなところなので、ここらで一旦、人間関係を整理してみようと思い立ち、先日から、登場人物紹介なるコンテンツを作り始めた。

実際の原稿執筆とは別に、1日1枚、「G」のキャラクターをアナログで描いて、それを基にして、キャラクター紹介コンテンツを更新いております。

何で、こんな事になったかと言うと、下記のような流れ。

 

 

〇スマホ版のクリスタを発見して使ってみる。

↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 

〇使ってみたは良いけど、全然使えないので、練習がてらに1日1枚何か絵を描こうと試みる。

↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 

〇その為に、サクラレビューに騙されてAmazonで中華性のタッチペンを購入

↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 

〇全然これが使えなくて、ムカついたのでスマホ版クリスタをやめてアナログ環境で1日1枚絵を描くようになる。

↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 

〇クリスタと違って、取り込んだりが色々めんどくて、その労力が惜しくなる。

↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 

〇せっかくなら、これを何かコンテンツに使えないかなぁ~

↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 

〇「G」も佳境だし、キャラクター紹介コンテンツに転用しよう

 

 

前に、「us」のアップをしてた時にも同じことをやろうしたんだけど、途中で力尽きたんだよな。「us」は登場人物が多すぎるんだよ。

「us」は一つの星を旅する物語なので、登場人物が必然的に多くなってしまうけど、「G」の方は、閉塞された空間での話なので登場人物もそこまで多くない。

今度こそ、ちゃんと全登場人物を網羅できる・・・と信じて、毎日更新しております。

ただ、キャラクターの紹介文を書いてて、「あれ?この名詞って作中で出してたっけな?」みたいな記憶が曖昧なものも多々あったりする。

設定上はもちろんあるんだけど、色々作中で出し忘れているものがある事にも気が付いている今日この頃。

そのうち補完するか、「キャラ紹介部分で出したからいいか」と満足するかは今のところ未定。

あんまりやる事を増やすと、更新が滞ってしまう。それが一番不本意だからな。

取り込んだまま未加工の絵。

やっぱりアナログで絵を描くの楽しいと思う。

インクのにおいが良いんだよ。

手が汚くなるけどな。

筆ペンの使い方がめっちゃ下手になってて、ショックだった。

この1年ホントデジタルでしか絵を描いてなかったもんな。

また、色々お絵描き楽しみます。

やりたいことが尽きない日々だ。

ホント。

あ、一応、リンク張っておこう。この文字をクリックすると、キャラクター紹介ページに飛べるよ。

この記事を見てみる  ⇒
2020年11月24日 0:37 CAT :

メンヘラきらい死ね その2

先週、仕事のやり方を教えて欲しいと言う事で、お付き合いのある会社の新人さんが、事務所に来てた。

仕事自体は、まぁまぁ普通に教えて、何とか形になったんで良かったんだけど・・・その子が、なんか色々凄かったんだよ。

イヤ、いい子だとは思うんだ。

でも、何と言うか、色んな常識的な部分で「??????」ってなる事が結構あった。

時々、その会社の新人さんの教育係がやらせてもらうんだけど、こんな事は今までなかったように思うんだけど…

色々話してて気が付いた。

言い方悪いかも知れないけど「ゆとり世代のど真ん中」の年頃だ!!

オレ本当に、丁度その世代の人より上か下としたお仕事したことなかったみたい。

昨年とか、高校卒業したばっかりの18歳くらいの子も仕事場に来てたけど、その子見ながら「最近の若い子は、めっちゃちゃんとしてるな。オレなんて、18の頃とか大学生で、学校さぼってゲーム狂いだったのに」と思ったもんだ。

その子は、もうゆとり教育ほぼ終わってた世代だったんだよな。

これがゆとり世代と言うやつらしい。

「まぢかこいつ!」と思える事が短い期間でまぁまぁあった。いや、お仕事なのでそれはそれで、ちゃんとやる事はやりましたけどね。(変な意味じゃなくて)

とは言え。だからと言って、それで切り捨てるのはどうかと思って、じっくり色々話してみた。

そしたら、「まぢかこいつ!」と思う部分は確かにあるんだけど、それはそれとして、凄くちゃんと頑張っていることも分かった。

その子自体は、本当にとってもいい子。真面目だし、一生懸命だし。

なのに、時々見え隠れする「まぢかこいつ!」な部分の方がむしろ違和感がある。

ゆとり世代じゃなかったら、物凄くしっかりしていたのではないのか。とすら思えてくるほどに。

そう考えると、ゆとり教育と言うのは、実に罪深い。

この子なんてあれが無ければ、社会的見て「まじかこいつ!」と思われる事なんか何もなかったんだろう。

オレの方がよっぽど「まじかこいつ!」だったんだろう。

変な人とか、頭のおかしい発想する人とは良く一緒に仕事するんだけど、ちゃんとしてて、真面目で一生懸命なのにところどころ「まじか!」ってなる人は初めてだったので、結構衝撃的だった。と言う話ですよ。

何しかね、どんな人でもじっくりお話しして、人となりが分かれば、絶対に良い所ってあるもんだと思った。

その人の事を好きなれるように思って接するのと、拒絶して接するのとでは全然結果が違ってくる。

人と人が繋がって、社会生活をこなしていく。

人の存在自体を尊く思って、一人ひとりとの出会いとかを大切にしていきたい。

そんな大切な事を学んだ数日間だった。

この記事を見てみる  ⇒
2020年11月23日 22:51 CAT :

ぬるま湯ガリクソン

こんなご時世だからこそ、脱短文を図りたいなとか思ったり思わなかったりしている。

プロバガンダを作ると言うと、変な感じだけど、まぁ、そんな感じの空気を作るために、一番簡単な事は、分かりやすい単語を広める事らしい。

つまりは、世論操作として最も使いやすいのが、いま世界中ではやっているSNSと言うものなんだよ。

だとしたら、おっちゃんはそれに逆らってみると言うのはどうだろうか。

あえて、長文。

しっかり、文章をしたためて、自分の気持ちをしっかり何かの形で残していく。

ウェブでログを残すんだ。

ブログで書くんだ。

と言う感じで、いつまで続くか分からんけど、しばらくはアプトプットの方法をブログと漫画に限定してみようかと。

まぁ、お仕事的な部分は別として。

忙しくなったら知らぬ。

まぁ、ネタはなくならないよね。生きてる限り。

死んだら、それも知らぬ。

大好きなYOUTUBERのメグさんは毎日動画投稿を再び始めた。

オレも、毎日ブログ投稿位やってみたいよ。

数年前まではやってたんだからな。

それはそれとして、ぬるま湯人生を目指していきたい。

この記事を見てみる  ⇒
2020年11月22日 2:33 CAT :

軍曹と言えば「アシダカグモ」ではなく「ジョンソン」派

学生時代、気が狂ったように遊んだゲームが2つある。

ひとつは「カプエス2」。

もう一つは「HALO」。

大学でオレは、物凄い慕ってた先輩が一人いて、その人は名前を綱島先輩と言うので、伏字でT先輩とする。

つな…T先輩は、大学の演劇部にいた人で、オレが演劇部に入った時から先輩が卒業するまで、ホントによく遊んだんだよ。

こいつが、もう、本当に気持ち悪い変態で、当時、部屋にこもってマンガ描くくらいしか能がなかったオレは、色んな事を教えてもらった。

初めて自分のパソコンを手に入れたのも、このT先輩が組み立てたPCだった。

伊駒一平のマンガにはまったのは、このT先輩のせいだった。

んで、この先輩がまた格ゲー糞強くかったんだよ。

オレも格ゲー全盛期にゲーセンに入り浸ってたので、そこそこ格ゲーとか出来ると思ってた。実際に、ゲーセンで乱入しても、勝ち越した感じ。

なのに、まぁ、これが笑う位勝てない。KOFやれば、30回対戦して、1回も一人目すら倒せなかった。

何としても勝ちたい。でも、KOFでは正直絶対勝てないと思ったオレは、T先輩に「お前に絶対勝ちたいけど、KOFじゃ、卒業までに勝てる気がしない」と謎の相談をした。

あいつはオレに「じゃあ、カプエスやるか。あれはオレほとんどやった事ないから、もしかしたら負けるかもな」と言った。

オレは急いで、ゲームショップに行き、そこで売ってたカプエス2を買った。

その日から、部活が終わったらT先輩はオレの家に来て、2人で延々カプエス2で対戦し続けた。

キャンセルの時のフレームの話とか、立ち回りのコツとか、本当に基礎からちゃんと教えてもらった。

「キャラ変えてたらうまくなれないから、自分の相性のいいキャラを選んで、ずっとそいつを使い続けな。」と言われ、それから、T先輩が卒業するまでオレは、Cグルーブのテリー(レシオ1)、覇王丸(レシオ2)、E本田(レシオ1)の不動のメンバーで挑み続けた。順番はおろかレシオすら変えたことはなかった。

T先輩が卒業するころには、チョッと良い勝負が出来るようになってた。さすがに、30戦して一人も倒せないとか言う事も無くなった。

T先輩は、本気じゃなくて、遊びながらだけど、本当に1年近くずっと付き合ってくれた。

結局、マジでやって1度も勝てなかった(遊びで変なキャラとか使った時にまぐれで勝つ事はあったけど)。

T先輩は、響が愛キャラで、響のオリコンはそれはそれはやばかったな。

もう一つの「HALO」だ。

オレにX-BOXを教えてくれたのも、綱…T先輩だった。

ある日、めっちゃ面白いゲームが、X-BOXで出た。と言って、教えてくれたのが「HALO」だった。FSPなんかやった事もなかったので、初めてやった時は、3D酔いが酷くて、どうしようもなかった。

そもそも、オレはカプエスで忙しかったので、他のゲームなんかやってる暇はない。

時々、連れみんながT先輩の家に集合して、HALOしてる時に呼ばれていった時とかにはやったけど、オレは、遠くからスナイパーライフルでうち殺されるだけの的だった。

当時、T先輩は自分の仲間や後輩皆にX-BOXを買わせて、それを全部繋げて、16人対戦をすることにはまってた。

そんなときの数合わせでオレもよく呼ばれたんだよ。

「お前も、ぺけ箱(X-boxの事をそう呼んでた)買えよ。一緒にHALOやろうぜ」と何度も誘われたけど、オレは「お前の言う事聞いて買わされるのめっちゃ癪だから絶対いや。カプエスで勝てたら、考えてやるわ」みたいなことを言ってたと思う。

結局、T先輩が卒業するまで、オレはX-boxは買わなかったし、カプエスでも勝てなかった。

T先輩がいなくなって、オレはマジで心にぽっかり穴が空いたようになってしまった。

(毎日一緒にゲームしてたけど、このゲーム以外にも面白い事一杯やったんだよ。それは、また別の機会に…でも。)

オレはもうカプエスも、やらなくなってた

ある日、当時組んでたバンドでドラムをしてたヨワヨワさんから「今度X-boxのHALO同梱パックが出るんやけど、かなりお得ななんよ。本体価格だけで、HALO込みで4つくらいのソフトが付いてくる限定セット。これ買う?」と聞かれた。

アイツは、当時大学近くのTSUTAYAでバイトしてて、そこでバイト特権で特別に予約を回してくれるとか何とか・・・

X-boxにもHALOにも何の興味もなかったけど、オレはその話に乗って、X-boxを購入した。

何でだったのか良く分からない。あんなに、T先輩に誘われてもかたくなに断ってたのに。

手に入れたX-boxでHALOをプレイした。まずは、イージーモードで。

ただ撃ち殺される的でしかなかったのに、一人でやり始めると、めっちゃ面白かったよ。

それから、どんどんのめり込んでいった。

レジェンドモードでもクリアー出来る程度にうまくなった頃、ヨワヨワさん含めて4人で対戦をした。

まだ、全然ヨワヨワさんたちにボコボコにされるだけだけど、少しは立ち回れるようになってた。そして、その尋常じゃない面白さに気が付いてしまった。

と同時、「これT先輩としたかったな」と言う不思議な後悔にすごく襲われた。

オレは、何をやっても絶対に勝てないと分かってるT先輩に対して、悪態をつくことで、自分のどうでもいいプライドを守ろうとしてたんだと思うんだ。

T先輩は、別の専門学校を卒業してから、4年制の大学に入り直した変わり者だったので、オレより6歳~7歳くらい年上だった。

そんな人が、高校卒業したばっかりのガキ相手の戯言に付き合ってくれて、悪態ついてもいつもニコニコしてた。多分、敬語とか使ったこともなかったんじゃないかな。

T先輩とは、ホント大っぴらに語るにはぎりぎりアウトな事も含めて、大学時代の半分くらいはずっと一緒に居た。(残りの半分は、屠殺されてしまったぶーと一緒に居る事になるんだけども)

今なら素直に尊敬して、もう少しうまく付き合えたんだろうなとは思う。

でもまぁ、それはそれ。

別に後悔とかしてるわけでもないんだよ。

結局、その後オレはHALOに激ハマりして、ネット対戦も含めて廃人の1歩手前になるほど遊び倒した。

何日徹夜したことか。

どれだけ学校さぼったことか。

学校さぼりすぎて、部活に引っ張ってこようと当時一人ぐらししてたオレの家まで迎えに来た部員のやつを部屋に連れ込んでそのまま、「HAMADA」と名付けた独自の対戦ルールで遊んだりもした。

大学卒業してどうしようもない糞ニートと化した後も変わらずやり続けた。

でも、結局、HALO3が出る事には、熱が冷めちゃって、一応HALO3まではやったんだけど、あんまり記憶が無いんだよね。

オレが一番やり倒したに残ってるのは、「オータムからの脱出」と「知られざる大地」なんだよな。あと、2の「武器庫」と「ハイチャリティ」も好きだったな。

・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

いやね。

何でこんな話をしたかと言うと、PC版で「Halo: The Master Chief Collection」なるものが2019年に発売されたらしいのよ。

ナンバリングの1~5までと、おまけの6作がセットになって5000円くらいだそうで。

これ見た瞬間、当時の記憶がありありと浮かんできましてですな、めっちゃ欲しくてしょうがない。

だってぺけ箱のコントローラー込みでも10000円くらいで帰る訳でしょ。

ただ、これを買ってしまうと、多分、オレは今から来年の春位までお仕事関係の人と全て音信不通になる可能性が非常に高い。

自制出来るのか・・・買ってしまうのか・・・

明日はどっちだ。

そんな話なんですよ。

マスターチーフに会いたい・・・

 

 

この記事を見てみる  ⇒
2020年11月20日 5:51 CAT :

愛とか何かその辺の色んなものを取り戻せ

自称フェミニストと呼ばれる人たちが最近、凄い暴走しているような気がしてならない。

こんな事を言うと怒られそうな気がしないでもないけど…

そもそもフェミニストと言うのは、フェミニズムと言う言ってみれば「女性に権利を!!」な考え方を持った人の事を言うんだな。確か。

今の時代、もうかつてフェミニズムが掲げていた権利を持ってない女性なんていないようになってきている。

そうなんだよ。

今は、「女性だから」と言う理由で出来ない事なんてなくなった。

例えば、女性は仕事面で不利だと言う人も居るかもしれないけど、今日び「女だから」と言う理由で、不採用とかお茶くみしかさせないとか、そんな企業あるかい!

あるとしたら、その会社は多分男も色々イヤな思いをしてる、つぶれてしまえばいいブラック企業だよ。

例えば、女性だから選挙権はないし、選挙に立候補してはいけませんとか、そんな国あるかい!

あるとしたら、その国は発展途上国で、男も含めてみんな苦しんでる早く革命が起きたらいい国だよ。

問題なのは、このフェミニズムと言う考え方を過大解釈してる似非フェミニストがたくさんいる事だと思う。

本来は、「女性だから」と言う理由で言われない差別を受ける現状から女性を解放しようと言う事だった。

でも、ここ最近のを見てると、自分の無能さを「女性だから」と言う言い訳で許してもらうために、フェミニズムを気取ってるようにしか思えない。

イヤね。

「女性だと言う理由で採用して貰えなかった」と言う話があったとして、それは本当に、そういう理由だったのか。と言う話ですよ。

自分がただ無能だっただけの可能性は本当にないのか。

可愛い子ばっかり採用されると言うのなら、自分は人に好かれるように身なりをしっかり整えているのか。

こう言うと、「女ばっかりそう言う事を要求される」と、似非フェミニストは言うんだよ。

でも冷静に考えて欲しい。

男であったとしても、身なりがちゃんとしているイケメンと、見るからに不潔そうな不細工野郎では、明らかに採用率なんか違う。

これは別に女に限った話じゃねえんだよ。

大体、オレみたいなおっさんでも、人と会う時には、1時間くらいムダ毛処理とかしたり身なりを整えてるし、一応最低限の体型維持のために、運動したりとか、食事に気を遣ったりとかしてるんだよ。

オレがひげボウボウ髪ぼさぼさで、汚いカッコして、クライアントの女と会って、仕事がうまくいかなかったからと言って「男だから仕事もらえなかった」とは絶対思わない。

ちゃんとムダ毛処理して、美容院にも行って、こぎれいな身なりしてて仕事もらえたからと言って「あの女に性的消費された」とは絶対思わない。

これは、男だからとか、女だからとか言う話じゃなくて、社会人として、社会活動していく上で最低限必要な事なんだよ。

これを怠って、自分の思い通りにいかなければ「私が女だから」とか言い出すような似非フェミは、断言しよう。絶対クソブスだと思う。

この場合のクソブスって言うのは、顔の作りとかの話をしてる訳じゃあないよ。心根が歪んじゃったせいで、顔にもそれが出てしまって、ブスになってる状態の事だよ。

大体、女なんか基本装備として、まんことおっぱいがあるじゃねえか。あとは、髪型とか体系とかを気にすることと、笑顔で人としっかり話をすると言う、男でも女でも当たり前のことをやってりゃ、多分、おっさんのオレより、よっぽど色んな事がやり易いと思うんだけどな。

そして、一番ヤバいのは「性的に消費された」と訳の分からない事を言ってる似非フェミ。

こいつらだよ。

大体、人間の行動原理の9割は性的消費だ。男でも女でも。

当たり前の話。

オレは、大好きな嫁と素敵な家族を作って、その家族で生活するために頑張ってるんだ。

究極的に言えば、これだって性的消費ですよ。

嫁に対して性的に見てますよ。

んで、嫁からは性的に見て欲しいですよ。

付き合う前の他人だった時だって、そんな目で見てたって。

当たり前の話。これダメなら、もう恋愛結婚とか出来ないし、下手したらお見合いも「性的な目で見てきた」とか言い出すだろ。

落ち着け。お見舞いって言うのは、「お互いに性的消費をしあえる仲を探す行為」だぞ。

そもそも、今、日本で流れている音楽の9割、映画やドラマの9割は、男女であろうとも、家族であろうとも愛情モノじゃねえか。

これだって性的消費なんだよ。

多分だけど、この性的消費云々でやいのやいの言ってる人は、心の奥底では「可愛いね」ってちやほやされたいけど、現実では全くちやほやされないから、かわいい子がちやほやされてるこの現状に対して、不満をぶつけてるんだと思う。

グラビアアイドルに対して、批判する似非フェミもいっぱいいるけど、ああいう人は、本当に凄まじい努力をした上で、女性としての美しさを獲得してるんだよ。

それに対して、大して努力とかもしないもんだから、周りからも相手にされてない「本当は可愛いね」って言って欲しい拗らせちゃった奴が批判してるんだと思う。

どうせ勝負しても勝てないから、難癖付けてノーゲームにしてやろうって言う精神でしかない。

そもそも、勝負挑んでないくせに。

本当に本当に心の底から男にそういう目で見られたくないと言うのであれば、今後一生、めっちゃタイプの男に「可愛いね」って褒められたとしても、「性的に消費しないでください」って断り続ければいい。

そうやって、一人で寂しく生きていけばいい。

問題なのは、自分が寂しいもんだから、他の人にいちゃもん付けまくってる事なんだよ。

あんたが、誰からも性的消費されないで一人で死んでいくのは勝手だけど、素敵な人と結婚して、幸せな家庭を築きたくてめっちゃ努力してる可愛い女の邪魔しなくてもいいだろ。って話。

取り合えず、オレが一番言いたいのは、人にどれだけ難癖付けても、自分自身の心は絶対晴れないし、しあわせにもなれないよ。と言う事です。

あと、自分が幸せじゃないから、他人も不幸にしてやろう。って言う考え方はやめた方が良いよ。と言う事ですよ。

「愛ゆえに人は苦しまねばならぬ!!」と昔、自分のために大きなお墓を作ってた偉い人が言ってた。

それを性的消費だと言って否定する生き方は、苦しまなくて良いかも知れないけど、多分つまらない生き方だと思うんだ。

そんな話。

うむ。・・・なんか、長くなってしまったな。

まぁいいか。

では、さようなら。

この記事を見てみる  ⇒
2020年11月19日 0:41 CAT :

心は寂しい夜行列車のように汽笛を鳴らす

クリップスタジオと言うソフトを使って、漫画描いております。

この人ね。(↑)

基本的には、アナログが好きなんだけ、どう考えても原稿執筆には、時間的なものも含めたコスパで、デジタルになってしまう。

と言うか、デジタルじゃねえと、仕事しながら週に1話は描けないと思う。

そんなクリスタさんのスマホ用アプリがあると言う事で、早速使ってみる事に。

インストールしてみたんだけど…これは、タッチペンいるね。

調べてみたら、100均のヤツで、結構良いのがあるらしい。早速買ってきて、使ってみた。

うむ。使いにくいけど、後は慣れですな。

なんか、無料では1日1時間と言う使用制限があるらしい。

PCの方はちゃんとお金出して使ってますので、スマホの方はあくまでも暇つぶしと言う事で、1日1時間までの時間制限を設けて、1枚イラストを描こう。

そう思って、取り合えず、久々にアスを描いてみた。

ああ。全然描けない。

でも、これがなかなかどうして面白いじゃないか。

翌日。

「よぉ~し。今日も1枚スマホで描いちゃうぞ!」って、チョッと描き始めると、ペンが死亡しました。

いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや

100均とは言え、耐久性!!!

しょうがないので、Amazonさんで2000円くらいのチョッとマシなタッチペンを購入してみた。

まだ届いてないけど、届いたら、それを使ってみよう。

さすがに、1時間くらい使っただけで壊れる事はないと信じたい。

これ、iPanとかだったら、もうマジで、液タブいらねえってなりそうな。そんなポテンシャルを持ってるとは思うんだけどな。

周りの進化スピードにおっちゃんはついて行けないです。

この記事を見てみる  ⇒
2020年11月17日 23:22 CAT :

振り向くな 涙を見せるな うんこ野郎

11月上旬だけで、弟の結婚があり、祖母の葬儀があった。

悲しみと喜びが同時進行で来た場合には、悲しみの方が強いと言うこれまでにない経験をいたしました。

ばあちゃんの最期を看取るどころか、今年1年一切お見舞いも出来なかったことがめっちゃくちゃ悔やまれる。

コロナを初めて本気で憎いと思った。

病院の対応自体は、間違ってないんだよ。

分かってる。分かってるけれども、それでもどうしてもやるせない。

他にもまぁ、色々思う所があったりしてて、メンタルが持たない感じの11月。

もう今年も終わりらしい。

今年は本当にコロナ野郎のせいで、なんだか分からないまま1年が終わってしまった感じがする。

ただただ、色んな悲しみが積もるだけの1年だったような気がする。

いや、まだ1年を総括するには早い。

残りの1カ月半の間に、ちびり倒すほどいい事が起こる事を祈っておこう。

それでも生きていかなくちゃあいけないんだ。

オレには、まぢで目に入れたら痛くてしょうがない子どもがいて、家族がいるからな。

人は簡単に死ねないんだよ。

戦前と今、日本の情勢が物凄く同じような経緯をたどっていると言うのは、陰謀論的には有名な話。

↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 

1923年 大震災
1925年 治安維持法
1940年 東京オリンピック
1941年 太平洋戦争

2011年 東日本大震災
2013年 秘密保護法案
2020年 東京オリンピック
2021年 第3次世界大戦?

↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ 

これですよ。

これ。

そして、これを見越しているかのような、新札発行。

戦争が始まる事で、デフォルトが起きる。ってことまで想定しての、一連のgotoキャンペーンなのか?

みたいなね。

デフォルトが起こるって言うの、そう言えば、2ちゃんねるで話題になったタイムトラベラーさんも言ってたような気がするよな。

戦争なんか絶対嫌だけど、本当に起こるのなら、お父さんは家族を守るために、人殺しになるよ。

この歳になっても、この世界はオレと言う存在を主人公にしたドラマのような感覚に襲われております。

永遠の中二病で生きていこうじゃないか。

これでも見てテンション上げやがれ!

この記事を見てみる  ⇒
2020年11月16日 3:37 CAT :

ファイティンコ

どっかの誰かが実にうまい事言ってた。

水のない所に水を売りに行くのが小売業で、水道が整備されている所の水道管をぶった切った上で高額で水を売りつけるのが転売野郎

みたいな感じ。

そうなんだよ。誰が何と言おうが、転売糞野郎は、社会悪以外の何物でもないです。

存在しない方が社会がうまく回るし、みんな幸せになる。

あいつら絶対税金とかも払ってないと思う。偏見だけども。

そんなこんなで、あいつらにはビタ一文金を渡してやるもんか!と言う強い信念のもと、息子が欲しがるswitchを探してた。

そして遂に、手に入れる事が出来た。

近所のGEOで売ってた。

学生時代、予約してなかったけど、どうしても「ファイナルファンタジー7」が欲しくて、お友達の広瀬君と二人で香川県内のゲームショップを走り回った事を思い出した。

夜までチャリで走り回り、フラフラになりながら、偶然は言ったお店で、キャンセルでだぶついた「ファイナルファンタジー7」を店員さんが持ってきてくれた時、あのソフト自体が光り輝いていて見えたんだよ。

なんかうろ覚えだったんだけど、あの時、確か1本しかなくて、広瀬君は、その1本をオレに譲ってくれたような気がするんだよな。

ホント良い奴だったよ。

めっちゃ仲良かったのに、中学校卒業式以降会ってないような気がする。

惜しい奴を無くしたもんだ。

多分、まだどっかで生きてるだろうけども。

まぁいいや。その時を思い出す感じだったわ。店員さんに「switch在庫ありますか?」って聞いたら「ありますよ」って言って、店の奥から持ってきてくれた時、switchの箱が光り輝いてた。

このワクワク感って、どうしたってネットで買うと味わえないような気がするんだよね。

抽選で当たって、ネットで購入するだけでは味わえないドキドキだよ。

懐古主義のおっさんと嘲ればいいさ。

それでもおっさんは感動したんだよ。

しかしまだ、Amazonとか楽天とかでは、定価に上乗せした価格で転売野郎が売りつけてるみたいで。これ、買う人本当にいるんだろうかね。

この記事を見てみる  ⇒
2020年11月12日 22:51 CAT :

無題のドキュメント

少しだけ、生存報告を。

まぁ、毎週マンガ更新して、つぶやいてるので、死んでると思うやつもいないように思うけれども。

それはそれとして、ここ数日、夜になると、心がざわついてしょうがない。

吐露したら多少はマシになったりしないもんだろうかね。

そんな話です。ちょっとだけ。

これまでの人生において、本当の意味で後悔した、今も後悔していることは一つしかない。

オレは、妹がすぐ下にいた事と、両親が共働きだった事の関係で、幼稚園に入るまで、じいちゃんばあちゃんちで預けられて育てられた。

オレの子ども時代、下手したら両親よりもオレの中で割合がでかかったのは、そのじいちゃんばあちゃんだったかもしれない。

いや、それはもうホントに大事にしてもらった。今でも感謝しかない。

そんなじいちゃんが、倒れたのはオレが小学5年生の時だった。

とは言え、入院先で検査した感じでは大事はなかった。

その週末に母親の職場の旅行に兄弟で付いて行くことになっていたので、母親はその事を告げるついでにお見舞いにじいちゃんのところに行った。

母親はオレもお見舞いに連れて行こうとしたが、オレは「大したことないんでしょ?また、旅行から帰ってきたらお土産でも持って、顔見に行くわ」と、そのお見舞いに行かなかった。

その時やってたゲームが面白かったので、お見舞いがめんどうくさかった、と言うのが本音だったように思う。

そして、旅行に出かけた

2泊3日の旅行の2日目の朝、泊まっていた旅館に母親あてに電話がかかってきた。

入院していたじいちゃんが、夜に急死したと言う知らせだった。

夜、突然容体が急変したらしく、朝、巡回に来た時に死んでいるのが見つかったとか、そんな感じだったと思う。

信じられなかった。

それからしばらくは、パニックになっていて、断片的な記憶しかない。

新幹線の移動中に降りた駅のキヨスクでじいちゃんが大好物だった赤福をお土産に買った。

火葬の時、棺に一緒にいれたため、その包装紙の赤色が骨に染みて、腰のあたりの骨が赤くなってたのをぼ~っと見ていた記憶はある。

それが人生で初めて経験した葬式だった。

行ってたらどうなってたと言う話じゃあない。

行かなかったからどうだと言う話でもない。

でも、あの時ゲームなんかほっぽり出して、じいちゃんのお見舞いに行っておけば。

今でも、時々ふと思い出しては、涙が溢れてくる。

あの日の行動をオレはもう20年以上経つ今でも、ずっと後悔している。

あと一言だけでも、話したかったなぁ。と。ずっと思ってる。

なぜ、苦しんで生まれてきて、人生を頑張って生きてきたのに、最後にあんなに苦しまないといけないんだろう。

どの死に方を選んだとしても、苦しむんだよ。

楽に死ねると言う事は無いんだよ。

本当に最後の最後まで苦しいんだよ。

だから最後くらい、家族みんなに見守られて、少しでも心安らかになってほしい。少しでも感謝を伝えたい。どうせ伝えきれないだろうけれども。

ちょっとでも、苦しみが和らぐように出来ることは全てしたい。

その希望さえ奪われて、初めてコロナ禍の現状に対して、どうしようもない絶望を覚えた。

あと一年早ければ、あと一年遅ければ。

 

 

 

この記事を見てみる  ⇒
2020年10月27日 1:29 CAT :

「世界の中心で愛を叫ぶ」を見ての感想 6年ザクロ組 しもたろうに

先日「スイスアーミーマン」と言う映画を見た。

まぁこれが何だ。久々に、心をグンと引き寄せられるような感覚になるほどの衝撃を受けた。

そして「いや~映画って本当に良いものですね」と水野晴郎のように思った次第です。

その結果、久々にここ最近は、映画見倒してた。

流れは下記の通り。

「ヒミズ」を見て、最後の「住田頑張れ」で涙が止まらなくなった。号泣した。

↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 

泣ける映画つながりで「さとうきび畑の唄」を見て、森山良子さんの歌声とさんまさんの演技で隣の寝室で寝ていた嫁に「めっちゃ泣いてたね」と言われるほど嗚咽を漏らして号泣。

↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 

「さとうきび畑の唄」がTBSオンデマンドだったことから、つながりでアマプラで「世界の中心で愛を叫ぶ」を発見。

↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 

これ、そう言えば見た事なかったよな。アマプラで今月中に配信終了か。これも、めっちゃ泣けるドラマらしいので、これを見てみるか。

と言う事で、先週末からドラマ版11話を一気見した。

本当なら、「スイスアーミーマン」の感想をつらつら描きたかったんだけど、あの話はあれだ。一回流し見したくらいでは到底語る事は出来ないので、また、その内もう1回くらい見てから書くことにして、今日のところはもう一つの「世界の中心で愛を叫ぶ」の感想でも書こうと思った次第です。

さてさて。

という訳で、11話全部見たよ。

考えてみたら、ドラマを全話通して見たのって結構久しぶりだった気がする。

前に見たのは「帰ってきた時効警察」だったか。・・・その位ぶりだ。

先に結論を書いておこう。

正直、全く泣けなかった。

何だこのドラマは。となった。

なぁ~にが純愛ドラマだ。馬鹿野郎。これだったら「ヒミズ」の方がまだ純愛映画だ。

ドラマ版を今回見た理由としては、映画版では感情移入しづらいとか、じっくりエピソードを重ねるドラマ版こそ至高。と言った「なるほどな。なるほどなるほどなるほどな」な感想が散見したらなんだけど、それは確かにそうだった。

いや、映画版見てないけど、ドラマ版でもその部分については否めなかったので、これが2時間程度の映画尺なら何をいわんやと言う感じ。

ただ、そのじっくり重ねたエピソードがぬるくて、死ぬほどかったるい。

こんな言い方して良いのかどうか分かんないけど、命を懸けた、しかもその後の人生をずっと揺さぶるほどの大恋愛とは思えないほど、二人の付き合ってる描写が超希薄。

まぁ、地上波ゴールデンのドラマなのでと言う部分はあると思う。淡い高校生の恋愛なんだらかね。

実際見ようによっては、「このシーンでセックスしてますけど、それはわざわざ描写しませんよ。大人の方は分かりますよね」と言う演出が部分的にあるので、まぁ、この2人は男女の関係ではあったんでしょうね。と言う事は分かる。それはそれでいいんだよ。

でも、お互い告白して、好きになって、チョッと付き合ってる風なエピソードを重ねて、その後セックスしました。程度じゃねえか。と。

いやいや、それだったらオレと嫁がこれまで積み重ねてきたエピソードの方がよっぽど濃ゆいつ~の。こんな一般人が普通に嫁と過ごしてきた年月と比べても「う~ん。恋愛ごっこ」と思えるようなでしかないんだよな。

あと、主人公のサク君に対して、もう、これはホントに自分本位過ぎてただただムカつく。

何だこいつ。まぢで、周りの人の気持ち全く考えないで自分の事しか考えてない。

それにムカついてしょうがなかった。

今回、ドラマを見ていく上で、気が付けばオレは2つの目線で物語を追ってた。

ひとつは、結婚前の自分とサク君を重ねた見方。

もう一つは、娘を持った父親として三浦友和扮する亜紀ちゃんのお父さんに自分を重ねた見方。

自分が、高校生の頃の彼女が病気で死にかけていたとしても、「何考えてんだ?こいつは?」と思う。

自分の娘に彼氏が出来て、その彼氏が死にかけの娘を連れまわされて、症状を悪くさせているとしても「何考えてんだ?こいつは?」と思う。

これ結局のところは、高校生の頃の思春期特有な「自分がこの世界と言う物語の主人公」だと思い込んでいるヤツが、自分の事だけを考えて、周りを振り回した結果、一人の女の子を死なせちゃったと言う物語なんだよね。

サク君も亜紀ちゃんも全く相手の事や、周りの事を考えてないままに、ヒロイックな感情に浸って自己満足で死んでいったり、殺したりしてるだけだろう。

ただ、そういう荒唐無稽でも若い男女の恋愛もののドラマに仕立てたい上の人と、それに抗うかのような物語としての完成度を求める監督さんの矜持かなんかだろう、「そうじゃないんだ」と言う意図での演出があって、それはすごく良かったと思う。

大人の人のそれぞれの感じが凄く良いんだよ。

演者さんがやっぱり素晴らしいよね。

そんなこんなで、前半はムズムズするような淡い恋愛ものとして、後半は感動ものとして見れる。いや、見れてたんだ。だから、最後まで見る事が出来た。

問題なのはラストの2話。

こんな事をド素人のオレが言うのはどうかと思うけど、演出のセンスがあまりにも無さ過ぎて、一番いいところで全部台無しにされた気がする。

いやね。上記に言ったような粗について言えば、それは「さとうきび畑の唄」でも散見されるんだよ。結婚式の日に赤紙が届くようなご都合主義だったり、無理やりな説明口調だったり。

それでも、あのドラマが嗚咽を漏らすほど感動するのは、それを気にさせない位、物語に没入させてくれる演出の力が大きいと思う。

実際に、序盤のじいちゃんが死んじゃう付近とか、8話辺りの結婚届を出すあたりのシーンではウルウルしてたんだ。

8話なんて、かずきくんのシーンでもウルウルして、現代、過去両方のシーンでジーンとしてた。

特に9話なんて、すごく良かったと思う。高校自分と父親自分どちらから見ても、「そんなんずるいわ。こんなの泣くわ」と思ってしまう。この辺りでは、前述の物語の粗とかどうでも良くて、それぞれのキャラクターに感情移入して没入できてた。

なのに、10話で突然現実に引き戻された。

10話、11話ではご都合主義な展開で、冷静に見れば「お前ら何やってんの?バカじゃねえ?」と思わせる要所要所のシーンで、監督の「ほら、このシーンでこういう事すれば、お前ら泣くんだろ?泣くよね?」と言う意図が露悪趣味的に出てくる。そのせいで没入できないので、変に冷静になっちゃって、ご都合主義な展開が気になって、物語に集中できない。

くっそひどいのは10話の空港シーンでの「助けてください」のシーンで、なぜか二人の周りをぐるぐるカメラが回ってる演出とか。いや、そこは、淡々と俯瞰からシーン映すだけでもいいじゃん。

無音で倒れる → 音楽が盛り上がってくる → 最高潮のところで二人の周りをカメラがグルグル回る。

どれだけ物語に没入してて、感動してたとしても、耳元で監督が「こういう演出したら泣きたくなるよね?ほら、泣きなよ。泣きなよ。カメラぐるぐる回ってるよ」ってずっと語りかけられたら、冷めるっつ~の。

極めつけは最終話。

亜紀ちゃんのお葬式に行くことを拒否するサク君。

このシーンでもさ。お葬式のシーン自体は物凄くいいんだよ。(読経してる時に「この棺桶には亜紀が入ってますよ」と説明するために顔が出てるとか、「今お葬式にサク君来てませんよ」と説明するお葬式なのにサク君の座るイスが空いてたりとか、視聴者を「バカ」と決めつけたくどいほど説明調な演出は多少あるけれども…)

両方のお父さんが頭を下げあうシーンとか、すけちゃんが棺桶にブルーハーツのテープを入れてるシーンとか、松下由樹さん「がんばったね」のシーンとか。ホント良いシーンがいっぱいある。

あるんだけども、そのチョッと感動するシーンを細切れにして、その合間合間にお葬式に行かなかったサク君のシーンを入れ込む。

サク君はなぜか、どこかへ向かって走ってる。

なぜ走る?

どこへ走る。

で、雨で振り出したら糞サブいよなと思いつつ見てたら、やっぱり降る雨。

って事は、コケて血とか流すんだろうな・・・と思ったら、やっぱりコケる。そして、血が出る。

なんか、昔、「魔法使いグルグル」ってマンガで語ってた、作者の江藤ヒロユキさんの「大人の人に言われて書いてけど、自分で見るとこっぱずかしくなる扉絵」の話を思い出した。

そうなんだよ。

絶望して走り出してると、雨が降ってその中でコケるって言うのは、スポンサー受けいいんだよ。物語とか全然どうでもいい大人たちからしたら、そういう「それっぽいシーン」があると喜ばれるんだよ。物語としては、糞サブいけどな。

物語としての完成度とか、視聴者の没入感とかを全無視して、物語を台無しにしてでも、えらい大人たちの方を向いてるなきゃこの演出はないだろ。

クレヨンしんちゃんの大名作「大人帝国の野望」のラストのシーンで、しんちゃんがただただ走るシーンを30秒以上連続して映すと言う演出をしてる。

このシーンで、原監督が「しんちゃんが走るシーン」を細切れにして「エレベーターで昇るケンチャコ」や「ボロボロになったヒロシたち」をチョコチョコ出した方が、偉い人の反応が良い事は分かってたはず。それでも、そのシーンを一切省くことで、しんちゃんの感情と見る人の感情を同一化させて、その後の「大人になりたいから!」のシーンが一番盛り上がるように作ってるんだろう。

実際に、「大人帝国の野望」はえらい人たちの評判はすこぶる悪かったらしいし。

そう言う計算じゃなくて、「カメラぐるぐるとか、走ってたら雨が降るとかって何か感動するだろう?」とか「細切れにしとけば、なんか画面持つし、緊迫感でるだろ?」とか「流し見しかしないえらい人たちでもこういう事しとけば、評価されるだろう」とか、そういう意図で演出されたら、どんな素敵な物語でも萎えるんだよ。バカ野郎。

そんな感じで、最後まで見切って、監督のクレジットに「堤幸彦」とあって、全てを理解した。

あぁ、そう言う事か。と。

あとで、見直してみれば、メインの監督は堤幸彦さんだけど、オレが「いいな」と思った話は全部、別の人が監督してた。

唯一最終話で良かったのは、高橋克実さん演じるお父さんが「好きなだけ周りを振り回して、悲劇のヒーローは大威張りだな。なさけねえ。」とサク君に吐き捨てるシーン。

あのシーンは良かった。ホント、ずっと心の中にあったわだかまりを全てさらけだしてくれた。

あのシーンで、最終話、萎え萎えな気分になってたお父さん目線なオレにやっとカタルシス的なものを味合わせてくれた。

でも、そのシーンでもバストアップを多用して、構図を切り換えまくり。

「淡々とした会話だから、飽きさせないよう構図切り換えまくってたら、偉い人達も気に入ってくれるよね」と言う意図が見え見えでげんなりだけどな。

あんなに高橋克実さんが素晴らしい演技で、それこそ11話全部をひっくるめた最大のカタルシスを与えてくれようとしてたんだから、その演出は邪魔なんだよ。切替最低限に抑えて、引いた構図から淡々とシーンを流してたら、後ろにうっすら写ってる仏壇からおじいちゃんも優しく眺めてくれてる最高にいい構図だったんじゃねえのか。

その上で、演者さんの細かい所作だってシーンに残ってたはずだ。

最高の素材で作られたディナーの最後の締めに出されたデザートに「デザートって甘い方が良いでしょ?」って、山盛りの砂糖をぶっかけられて、それまでのディナーの余韻も、デザートの味も全部台無しにされた気分。

まぁ、そんなこんなで長々と書いたけれども、ドラマとしては、良いドラマだと思うんだ。

最終話まで見切れるドラマなんてなかなか無いようなオレですので。

ただ、世間の評価程ほど泣けない。

泣けない一番の理由は、よく言われている「堤演出」の賜物であることはまごう事ない。

物語自体は、強引でご都合主義な所はあるけれども、よく言えば超王道で、やっぱり王道っていいなと思わせてくれる素敵なお話しだと思う。

あと、最後に。オレは堤監督の演出方法自体が別に嫌いってわけじゃないとだけ。

そもそも「trick」とか、死ぬほど大好きなドラマな訳だし、あのドラマなんて、堤演出が無ければホントグダグダでどうしようもないものになってたのは、誰がどう見たって間違いない。

「自虐の唄」って映画も、大好きで何度見ても泣いてしまう。

カメラぐるぐる演出だって、「自虐の唄」の最後の幸恵ちゃんと熊本さんの再開のシーンでは、グルグル回るほど感動できてた。

堤演出だと泣けないという訳でもない。

ただ、「世界の中心で愛を叫ぶ」と言う物語と堤幸彦と言う監督の相性があまりにも悪かっただけだと思う。

ホント、使い方なんだよ。

三池監督と堤監督と言う偉い人達から見た、評価の高いものを撮ってくれる2代巨頭監督。

コケる事が許されない鉄板のコンテンツだっただろう「世界の中心で愛を叫ぶ」だったからこそ、この偉い人受けの良い堤監督が抜擢されちゃったんだろうね。

そして、堤監督自体は本当にすごい人だから、その偉い人受けの良いものを作っちゃうんだよ。

期待に応えることが100%出来る監督なんだよ。

ただそれだけが、非常に残念。

この物語だったら、もう少し徹底したリアリズムを追及するタイプの監督さんだった方が良かったのかも知れない。

と言う事で、しばらくしたら、映画版の方も見てみようかなと。

行定監督だそうなので、もしかしたら!!とチョッと思いつつ、「濱マイク」の監督だよな・・・とも思っております。

いや、「濱マイク」めっちゃ好きだけれども・・・

あぁ、長々書いた。

では皆様。

また次回。

このドラマ見ると、綾瀬はるかさん好きになるよね。

そして、山田孝之さん…ウシジマくんとか「凶悪」の藤井記者とか、この人ホント演技力えぐいよね。

 

 

 

この記事を見てみる  ⇒
2020年10月20日 3:20 CAT :

高校生作家を夢見るアイツにおっちゃんがモノ申すイメージ

ご無沙汰しております。

ブログ書くのって、習慣にしないとすぐに描かなくなるもんだよね。

いや、別にいいんだけど、文章書いてないとどんどん文章力が落ちていると言う事に危機感を抱いているわけで、そういう意味で、やっぱりできる限り書いてたいんだ。

出来るだけね。

さてさて。

ただただ言う事は一つ。

時間が無いです。

な~んで、こんなに時間が足りないんだろう。

やりたいことは、たくさんあるのに全く出来ないうちに一日が終わっていく。

とは言え、9月は、お仕事しながら「G」の描きためをしつつ、短編を一つ描き切ったので、まぁ、それでも頑張った方かもしれないか。

10年ぶりに新作の短編を描いた。

これ。

「虐殺の恋文」と書いて「ジェノサイドラブレター」と読む。

元ネタは、もう7年くらい前に作ったアルバム「王道軽傷」のナンバーのひとつ。

曲が出来上がった当初から、「これはマンガの短編として掘り下げてやるぜ!」と思いつつ、全然着手できないままだったんで、今回、この話が描けたこと自体はすごく感慨深い。

そもそも、短編描いたのが「夜誘う麦わら帽子」以来10年ぶりと言う事も、なんだかなな感じですよ。

今後は、半年に1つくらいは短編を書いて「漆黒の青空」にアップしていきたいもんだ。

思い返してみると、人生において、一番創作活動をしていたのは間違いなく高校時代だよな。

あの頃と今と、本当に同じ24時間を過ごしているんだろうかね。と、いつも思ってる。

自分の高校生の頃を思い出すと・・・

バンドやって、演劇やって、漫画描いて、小説書いて、ゲーセン通ってたよな。

バンドではライブ用のコピー曲の練習と音源用のオリジナル曲の制作。しかも、キーボードとベースとギターを弾いてた。実際バンドでのパートはキーボードで、時々ベースも弾いてた。ギターは主に作曲用だったかな。(今は、ギターがメインになっちゃったけど)

作曲ペースも月に5~10曲くらいか。そのくらいは作ってた。

漫画では、毎週最低でも1話は仕上げつつ、短編を月に1話のペースでは描いてた。

演劇用の台本は、年に2回の定期公演とそれ以外に練習用と自主公演の台本として、没案含めて、1カ月に1~2本描き下ろしてた。

その合間を縫って小説とかも書いてたし、当時格ゲーブームで暇見つけてはゲーセンに通ってたし、それ以外でもめっちゃゲームしてたよな。

あと最低でも週に1本は映画見てたし、漫画も高校3年間で1000冊以上は買って読み漁った。

一応勉強もしてた。大していい成績じゃなかったけど、まぁまぁの進学校でそこそこの順位にはいた。一応、文系人間なので、国語とか社会(と言うか歴史)とかは、校内では1桁とかにもチョイチョイ食い込む感じ。

対して今は・・・と言うと、お仕事しながら、週に13ページほどマンガを描くだけ。チョッと、短編とかに手を出してみれば、ブログの更新すらままならない感じ。

本当に同じ24時間なのだろうか。

取り合えずあの頃と今の違いを考えてみると、あの頃は、とにかく寝てなかったよね。

寝るのが本当に勿体なかった。

家ではたぶん1日1時間も寝てなかったんじゃねえかな。

寝るのは、学校での授業中だけ。それも、ずっと寝てたら成績に影響するから、色々ローテ組んだりしてたと思う。

それで学校終わったら部活して、部活終わりにゲーセン行ったりして、行かなければ家でゲームして、8時頃から12時くらいまで漫画描いたり台本書いたりして、4時くらいまで楽器の練習して、それから元気だったら小説とか書いたり映画見たりして、ベッドに行ってから漫画読んで6時くらいに寝る。

まともに寝るのは、土日だけ。

それでも、全然元気で走り回れてた。

そうなんだよ。

若さゆえの体力があったんだよ。

今、午前3時で、ブログ書いてるけど、今のオレは明日多分10時前くらいまで寝て、それからのそのそと動き出して、午前中はほぼぼ~っとして終わる。んで、お昼ご飯食べて頭動かすために漫画2ページくらい書いて、2時くらいからお仕事を始めるだろう。

この差だよ。

多分高校生の頃のオレなら、今から6時くらいまで今日描けなかった分のマンガを描くだろう。

そして、朝8時には動き始めるはず。

この決定的などうしようもない差が、今感じている時間の足りなさに直結してるんだと思う。

でも、これはもうどうしようもない。

もう若くないおっちゃんなんだよ。

結果、今のオレは、学生時代に作った物語の遺産を消費しつつ創作活動に勤しんでいる。

オレが今描いている「G」の原型は、中学生の頃に落書きノートに書いてた物語だ。

それを大学生になった頃にネームの形にし始めて、そして、おっさんになってから原稿に仕上げているだけの話。

中学生の頃にはもうすでに全体の構成がある程度できてた訳で、それを描き切るための物語の割り振りを毎日考えてた。

そうなんだよ。

今、高校生とかで、ちょっとでも創作活動をしている奴がいるのなら、おっちゃんは声高に言いたい。

 

▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ 

 

いくらでも思い浮かぶと思ってても、クリエイティブな発想自体が出てくるのは、まぢで、高校生くらいまでだぞ。と。

それ以降はあくまでも多少、小手先が器用になるだけだぞ。と。

だから今、寝てる暇なんかねえぞ。と。

人生における創作のほぼ全てがその期間にしか作れないぞ。と。

一生ネタが溢れ続けるような天才はこの限りではないけど、多分お前は天才じゃない側だぞ。と。

 

 

出てこなくなったおっさんの頭では、一つの物語を考えるだけでも、物凄い時間を要するようになってしまった。

毎月短編描いてたのに、今なんて、10年ぶりの1本だ。ばかやろぉ。

そんな事実に抗うように、無理やりネタをひり出している。あえて、新作考えてる。「G」のラストもあえて変えてやる。

出来ないと認めたくない。あの頃のように出来ないと認めたくない。

でも、あの当時のスピード感に叶うはずもなく…

「FE」を描き切った後、「ランナ」と「マリオネット」を同時に描きながら、「G」の構想を考えながら、毎月1本短編を描いてた、あの当時には勝てる訳ないんだよ。

だからと言って今、高校生の頃に戻りたいかと言うと、戻りたくなんかない。

今、オレは、その思春期の頃に考えた世界観をやっとある程度満足のいく状態で形に残せるようになってきたことで、日々楽しくて仕方がないんだ。

ただ、時間がない。

結局そこに戻るんだよ。

もういいや。

おやすみなさい。

この記事を見てみる  ⇒
2020年9月19日 3:56 CAT :

夢想の中で生きるセルロイドを舐めたげる~加勢大周もびっくり~

なんだかなぁ~と思う事があった。

本当に、なんだかなぁ~と言う感じ。

取り合えず、声がでかい奴が優遇される世の中と言う事らしい。

イヤね。そんな事、分かってるんだよ。そんな社会だ。でも、「お前もそうなのか。」と言うがっかり感が実に強い。

我慢すれば、我慢した分だけ踏みにじられるらしい。

なんだかなぁ~。もう何も考えないようにしよう。

さてさて。

忘れようとしても、ずっと悶々と考えてしまう難儀な性格でございます。

なので、それはそれとして心の奥に引っ掛けておいて・・・イラストを2点描いた。

漫画も色々描いてるんだよ。取り合えず。

過去に色んな所に出したりしてて、新都社さんの規約的に、これは載せれないな・・・と思ってた短編がいくつかある。その辺を「まんがおきば」と言うサイトさんの方へ、加筆修正して載せる事にした。

併せて、本当に久々に新作の短編のネームを切ってる。

アルバム「王道軽傷」に収録してる「虐殺の恋文」と言うお話。これは、かなり以前から、短編漫画にしたいと思ってて、やっとそのネームを切り始めた。「G」の方描きためしてて、週に1回の更新と言うノルマがないうちに、この短編も描き切ってしまいたいなとか思ってたりする。

もちろん「G」の方も描いております。

漫画いっぱい描くのは楽しいんだけど、本当に時間がねえんだよな。

どうしたもんか。

で、今回描いた2点のイラストがこちら

 

 

▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ 

 

 

ひとつは、「まんがおきば」さんの方で今後アップしていくだろう短編を、1作ごとに登録するんじゃなくて、短編集として1つの作品として登録しようと思って、その表紙用に…

この短編集のタイトルは「漆黒の青空」。

知ってる人は知ってるかもしれない。

オレが、過去に沼レコのサイトで、詩を載せる時に使ってたタイトルの使いまわしでございます。

その「漆黒の青空」をイメージして描いてみた。

アルバム「夢喰いバクヲ」収録の「レイ=プレイpart1」って曲の中の一説。

ただただ悲しみの中で静かに空を見上げ
絶望の青い空はどこまでも透き通るように青く
あたしはその深さの分だけ悲しみに途方にくれ
泣き叫びました

レイプされた少女が、空を見上げて思う描写なんだけど、この空の色と情景こそ、まさに「漆黒の青空」のイメージにピッタリだと思って、それをイメージして描いた。

自分で言うのもなんだけど、女の子の表情がなかなか良い感じに描けてると思う。

 

 

もう一つのイラストがこちら。

これは、八神の過去の話も終わって、いよいよ最終決戦に突入すると言う事で「G」のトップ絵を描き下ろした感じ。

「G」を読んだことある人ならわかるだろう。

そう。あそこだよ。あそこのシーンを描いたんだよ。

早くあのシーンを描きたい。

そして、その先の話を描きたい。

その話を描くために、1年以上かけて、コツコツと伏線張り巡らして、描いてきたんだ。

と言う事で、「G」も最後に向けてラストスパートしていくと思う。

ただ、最近またクッソ忙しいし、他に色々やりたいことも出てきてるし、短編1本描き下ろそうとかしてるし・・・

時間がいくらあっても、ホントたりませんな。

 

 

何しか最近、カラーのイラスト描くのが楽しくなってる。

もっと色々書きたいんだけど、とにかく、こいつは時間がかかるんだよ。

1枚書くと、その日はもう漫画1ページも描けなくなる位。

なので、描きたい衝動は自重しつつ、どんどん描いていきますです。

どうでも良いけど、「G」のトップ絵、久々に、デジタルを離れて、鉛筆で紙に書いた。

その絵を取り込んで、ペン入れと着色はデジタルでした感じ。

ちなみに「漆黒の青空」の方は全部デジタル。

下書きだけでも、アナログの工程が入ると絵に力が出るような気がする。

何でなんだろう。

 

 

この記事を見てみる  ⇒
2020年9月17日 0:38 CAT :

絶対に選べないのに無理やり選んで人生で1番を決めるシリーズ「音楽」

生きていくと言う事は出会いの連続。

その出会いは時に、人生そのものを変えてしまうかもしれない大きな力があったりなかったりあったりする。

数々の素晴らしい出会いは、そのどれか一つを取ったとしても、全てに思い入れがある。

と言う前置きの上で、絶対に選べないのに無理やり選んで人生で1番を決めるシリーズ。

第1弾は「音楽」だ。

これが意外と書いてて面白ければ、この後も「漫画」とか「映画」とか「小説」とか「ゲーム」とか「絵画」とか色々続けていきたいなと思っております。

あくまで、オレが書いてて面白いかどうかと言う観点で。

で。

でだ。

音楽は、これまで本当に人生を色々と変えてくれた。

多分、一番人生が変わったターニングポイントとなったのは、間違いなく音楽だと思う。だからこそ、一番最初にした訳だけれども・・・

そんな訳で、これは選ぶこと出来ねえよ。まぢで。

音楽の良さを教えてくれたサザンか?

初めて組んだバンドで初めてライブをやった時にコピーしたGLAYか?

手首を切りながら狂ったように聞いてたディルやジャンヌダルク辺りのビジュアル系か?

涙とともに聞き続けてた野狐禅か?

生きる希望になった筋肉少女帯や犬神サアカス團か?

今現在、何度となく立ち上がる力になってくれてる苺楽団や、スキッツォイドマン、モケーレムベンベ、水中。それは苦しいか?

などなど・・・考えだしたら、こればっかりは本当に決められないや。

バンド単位でも決められない。

更にその中から、1曲を選ぶ。

そんな事できるはずがない。

はずがないんだけれども、ここはひとつ無理やり1つを選ぶ。

選んだんだよ。

それは、やっぱり筋肉少女帯だ。中でも一番好きなアルバム「キラキラと輝くもの」の中で、更に一番好きな曲。

「ベティー・ブルーって呼んでよね」。

オレが、人生におけるもっとも好きな1曲は、これだ。まぢで。もうこれしかない。

イヤね、人生の節目節目とか、人生観が変わった曲とか色々候補に挙がったんだけど、もう、こればっかりはどう考えても、やっぱりこの曲しかなかった。

この曲自体、あんまりメジャーじゃないかも知れない。そもそもバンドブームが終焉を告げて、筋肉少女帯自体も、歴代最悪とも言える酷い状態で、作られた奇蹟の名盤「キラキラと輝くもの」。

このアルバムには「機械」「小さな恋のメロディー」「サーチライト」のような、今でも筋肉少女帯を代表するような名曲がそれこそキラキラと輝いている。

元々捨て曲などない筋肉少女帯なんだけど、このアルバムは本当に素晴らしい。

熱量でいえば、そりゃあ「仏陀L」や「シスベリ」から「月光蟲」くらいまでにははるかに及ばない。

当たり前だけど。

単純に、「筋肉少女帯と言えば?」みたいな話になれば、そりゃあ「釈迦」でしょ。「いくじなし」でしょ。「サンフランシスコ」でしょ。「高木ブー」でしょ。

でも違うんだよ。絶望と苦しみ中にいながらも、思春期のような熱量を出すことも出来ず、どうしようもなくなった大人が苦しんで苦しんでやっとひり出した、哀愁と優しさがこのアルバムには本当に詰まっているんだ。

まぁいいや。この曲の思い出を描いていこう。

オレがこのアルバムに出会った時、筋肉少女帯は凍結状態。うっちーとおいちゃんが体裁だけを守ってると言う、本当にひどい状態。

当時、たまたまテレビで「特撮」の曲(多分、アベルカイン)を聴いて「おお!カッコいい!」って思って、「大槻ケンヂ」と言う人を調べてた。前は筋肉少女帯と言うバンドを組んでた事を知って、そのアルバム売ってないかなと中古のCDショップに行った時、100円でたたき売りされたのがこの「キラキラと輝くもの」だった。

これ幸いと買って帰って、家で聴いた瞬間の衝撃は今でも忘れない。

特に「サーチライト」を聴いた時の衝撃よ。

正直レベルとか、そういう話じゃなかった。次元が違ってた。そして、まさに自分そのものだった。

誰からも見向きもされず、彼女はもちろん、友達もおらず、鬱屈としたまま一人部屋で、誰にも読ませないマンガを描いてニヤニヤしてるだけだったオレの事を歌ってるように感じた。

なんで、この大槻ケンヂって人は、こんなにオレの事を知ってるんだろう?

そんな不思議な衝撃。

衝撃が体を突き抜けた後、突然やってくる「そして人生は続く」「ザジ」と言う優しい音楽。

その極めつけが「ベティー・ブルーって呼んでよね」だった。

この3分くらいの短い曲を聴いている途中、オレは涙が止まらなかった。

世の中には絶望しかないと思ってた。

誰からも認めてもらえないまま、一人孤独にそれでも死ぬことが出来ないまま、生き続けることがほぼ確定していると思ってた。

「夢をあきらめるな」的な曲を聴いては、追い詰められていた。

「素敵な恋愛」の曲を聴いては、自分の存在価値に疑問がわいていた。

そんな中、初めてこのアルバムが、この曲が初めて「生きてていいんだよ」と、それも強く背中を押す訳じゃなくて、横に寄り添うようにそっと言ってくれたような気がしたんだ。

こんな糞みたいなオレだけど、その後一人の女性を付き合って、結婚して、子どもが出来て、家庭が出来た。

ここ数年になって、漫画とかこれまで誰にも見せた事のなかったものを、人前に出すようになった。

でも、ずっと誰にも見せずに悶々と作ってきたものなんて、独りよがりでしかなくて、当たり前だけど、ほとんどの人からは見向きもされなかった。

その事を嫁に話した時、「別に誰からも見向きもされなくてもいいじゃない。私は大好きだから。これからも描き続けてね。絶対やめちゃあだめだよ。」と言われた。

「ベティー・ブルーって呼んでよね」だ。

あの時、「ベティー・ブルーって呼んでよね」と言う曲を聴いて、「生きてていいんだよ。」と言ってもらった。

それから10年以上経って、オレも「ベティー・ブルーって呼んでよね」になった。

相変わらず、誰からも見向きもされないけど、オレは「ベティー・ブルーって呼んでよね」になれた。

人生の意味なんてものは、未だにさっぱり分からない。

多分、オーケンもこの曲に対して、こんな事思ってないような気がする。

でも少なくともオレは、この曲のお陰で人生に彩りと意味が生まれた。それは、間違いない事実だと思う。

人生のいろんな場面において、その時々に寄り添ってくれた音楽がある。

その音楽があったから乗り越えられた。そんな音楽がたくさんある。

ただ、「ベティー・ブルーって呼んでよね」はそういう話とは、少し次元の違う所にあるんだよ。・・・多分。

こういう大切な曲があると言う事自体が、凄くありがたい事だと思う訳ですよ。

この曲に対する思い入れとか言い出したら、もう尋常じゃなくある訳で、もうすでに長くなってしまった。

そろそろこのお話しは終わりにしよう。

アルバムは、この曲で感情を最高の状態に持っていったあと、「お散歩モコちゃん」で少し落ち着かせて「冬の風鈴」でキレイに終わる。

構成も含めて、本当に完璧なアルバムだよ。

未聴とか勿体ないを通り越して、「あの衝撃をこれから体験できるのか」と羨望するわ。

再発版もあるけど、あっちはボーナストラックが入ってしまってるので、オリジナル版を聴いた人が買うものだと思ってる。

なので、是非、持ってない人は中古CDででもオリジナル版の方を聴いてほしいな。

多分500円くらいで買えるだろう。

ちなみに、「ベティーブルー」はまだ見ていない。

と言う、なんだかなぁ~な感じ。

映画見たら、この曲に対する見方も変わるんだろうか。

でも、この曲だけは、見方を変えたくない。

だから、「ベティーブルー」は多分一生見ない。

 

 

この記事を見てみる  ⇒
2020年9月15日 0:08 CAT :

一歩踏み出した瞬間に石ころに躓き続ける人生part2

いよいよと言うか、何と言うか地味に外堀が埋まりつつある今日この頃。

状況的なものを色々鑑みた結果、事務所が法人化の段階に入りつつあるらしい。

と言うか、多分もう法人化するだろうと思う。

いつになるかはまだ未定。

でも、何となく、記念日にしたいなと思っているので、来年の4月22日かな。

今年で、地味に結婚して10年目。

11年目を歩みだすと同時に、自分の会社を設立すると言うのは、なかなか素敵な事じゃあないかと思う。

まぁ、会社と言っても、独立して、自分の事務所を立ち上げてから5年以上やってきたことをそのまま継続していくだけなんだけどね。

節税とか、経費の管理とかその辺の事がめんどうくさくなってきたので、法人化することで、お金の流れを分かりやすくしてしまおうと言う話ですよ。

たくさん人を雇って、本格的に事業を拡大しようとかそういう事はほとんど考えてない。

何と言うか、どうしても自分で納得のいくものを作っていきたい気持ちが強い。

仕事を渡したくないとか、そういうニュアンスともちょっと違うんだけども・・・オレに対してお仕事もらえたのに、それを他の人に渡して、オレが納得できないクオリティになって、それを納品するのは、申し訳ないんだよ。かと言って、じゃあ、人にノウハウとかを手取り足取り伝えていくと言うのもどうなんだろうと・・・

それをやるのは、嫁だけで良いかな。と思ってる。

将来的には分からないけど、今のところの構想としては、スーパー家族経営。で、時々手伝いに来てくれる人が数人いると言う形態。

ぶっちゃけ、今の形態そのままでございます。

事務所を法人化してしまうって言う行為に対して、後戻りできない感が強くて、確定的な理由もなくダラダラと先延ばししてた。

でも、いつまでもその場で足踏みってのはなかなかできないもんだ。

世の中には前進か衰退しかないらしい。

現状維持と言う選択が実は一番難しい。

前進しようした結果衰退してしまう事はある。

前進しようした結果前進できることも間々ある。

現状維持をしようとした場合、ほぼ確実にそれは緩やかな衰退でしかない。

人間の思考には「安全領域」と言うものがあるとか何とかと言うお話を聞いた事がある。

安全領域とは、「今できることを今の環境のままで続ける」思考の事で、ルーティーン化した物事を繰り返すことが人間にとって一番楽な生き方なんだって。

この安全領域を抜け出す。つまりは、やった事ない事をやったり、今までと違う環境に自分の身を置くと言う行為は、物凄く力がいる生き方。

でも、この安全領域を抜け出し続けなければ、成功はないらしい。

安全領域の中に居続ける事は、少しずつ安全領域を削られていく事とほぼ同意で、いつか強制的に安全領域を追い出されてしまう。

だから、安全領域を抜け出して、新しい場所に次の安全領域を作る。それを延々繰り返す。

獲得した安全領域が消滅する安全領域より多ければ、それがきっと安定した生活なんだろう。

確かに、独立してからこっちは、ずっと何かに挑戦し続けてきた気がする。

ここ最近、少し安定してきて、「今の生活メッチャいいなぁ~」と思ってた。

でも、そろそろこの安全領域からでないといけない時期が来たと言う事か。

今日打ち合わせ来た社長さんは、オレの親父より10歳くらい年上。

77歳なのに、まだまだ新しい面白い事にどんどん挑戦していってる。

正直、バイタリティはオレより何倍もあると思う。

よぉ~し。負けないようにオレも色んな事にチャレンジするぞぉ~と、強く思えないところが情けない所だよな。

果たしてオレにとっての成功とはなんなんだろうかね。

 

 

この記事を見てみる  ⇒
2020年9月9日 23:40 CAT :

メンヘラきらい死ね

チョッとばかり…とは言えないけれども、以前の自分を鑑みる。

何と言うか、人の不幸とか苦労とか、絶望とか、悲しみを見るのが好きだった。

苦しんでる人を見てはニヤニヤしてた。

そのくせ、自分に対しては、分不相応な賞賛を求めて、それがない(当たり前だけど)ことに対して不満をまき散らしてた。

結構長い期間、そんな感じのままだったんだよね。

なのに最近。

気が付けば、そんな感じでもなくなってしまってた。

人の不幸とか、悲しい話とかに対しての興味が凄く薄くなってきた。前みたいに、覗き込むようにそう言う事にあえて首を突っ込むこともしなくなった。

あと、人が頑張ってることに対して素直に「すげえな」と思えるようになってきたし、頑張ってる人に対して応援したくなってきた。

自分に対しては、賞賛がないとか、そう言う事でひがむ事も無くなったし、現状に対して感謝できるようになった。

180度変貌した感じ。

でも、24時間テレビは大嫌い。

こんな事になってしまった原因を、ただ年取って丸くなったからな。と言ってしまうのは簡単だけれども、意外とそうでもないような気がしている。

自分の今の生活とか、状況に対して不満がなくなってきたからじゃあないだろうかと思ってる。

自分が不幸だと思ってるうちは、多分、人の不幸を見たがるし、自分の現状に不満を漏らしまくるし、ついでに言うと人に対して攻撃的になるんじゃないかな。と。

問題なのは、本当に不幸なのかどうか。と言う点だよな。

そもそも幸福とか不幸って言うのは、あくまでもその人の感覚でしかない。

お金があれば幸福なのか。

家族がいれば幸福なのか。

セックスできれば幸福なのか。

仕事が出来れば幸福なのか。

美味いものが食えれば幸福なのか。

生きていれば幸福なのか。

死んだ人は幸福なのか。

障害があれば幸福なのか。

などなど…何をもって幸福と言うのか。

年収600~900万くらいの世帯収入の人が一番幸福度が高いと言う調査があるらしい。

それは、その位の年収が一番生活しやすいとかそういう話じゃなくて、幸福度の高い考え方をしている人はその位の年収になりやすいと言う事だと思ってる。

いやね。オレ自身の話だけど、お金があるに越したことはないけれども、その為に、家族とか遊びとか趣味をすべて放棄してまで、一心不乱に仕事をするのは違うと思ってる。

自分の時間があって、子どもたちを遊べる時間もあって、家族で過ごす時間もあった上で、お金が稼げると一番良いと思うんだよ。

で、今、まさにそんな状態になってる。

多分オレは幸福度が高いんだ。

だから、昔と比べて、僻んだり、不満ぶちまけたりすることが減ったんだと思う。

ただ、これ逆の可能性もある。

特に、独立してからこっち、自分の事務所にお仕事をくれる人に対しては本当に感謝しかないんだよ。だから、人に対して不満をぶちまける事が少なくなった。

あと、サラリーマンしてた頃と比べて圧倒的にストレスのない生活をしてる。

ストレスなく、自由な時間が多くて、んで、感謝することが増えた結果、僻んだり、不満をぶちまけなくなって、気が付けば、幸福度が上がってきた。

どっちが正解かは分からないけども。

一つ言えることは、やっぱり人の悪口言ってたり、人の不幸を楽しんだり、不満ぶちまけたりしてる間は、状況がどうなっても幸福度は上がらない。と言う事だと思う。

自己啓発本とかに良く載ってそうな話で、サラリーマン時代のオレは、「反吐が出るわ。そんなの金持ちのたわごとだ!」と思ってたけど、今になって考えてみると意外とその通りかもしれない。

今もオレは全く金持ちではないけれどもな。

やっぱりね。人のことを悪くいうヤツはダメだよ。

少しでも感謝できることを探して、その事を口にしていくことから幸福度を上げる循環は始まる。

・・・と、ここ最近のオレは信じております。

 

 

 

この記事を見てみる  ⇒
2020年9月8日 0:18 CAT :

「中指のペンだこ」酢漬けで晩酌一献の夜は嵐

オレが書いたシナリオがマジで映像化されて公開された。

現在進行形のお仕事なので、今後もコツコツと書いていくだろうし、すでに書いたやつも今映像化されているんだろう。知らんけど。

すごく不思議な気分で、それを見ていたんだけど、一つ思ったことがある。

あ・・・これ、人気でないわ。ごめんなさい。と。

メッチャ面白いと思う。

やっぱり、自分で書いたものは面白い。

世界一面白い。

ただし、オレの感覚でなら。なんだよね。残念ながら。

はまる人は、はまってくれると思うんだけど、絶対万人受けはしない。

あんなに、個性殺して日和見な感じで書いたのに、形になったものを見たら全然いつものオレの書いた奴だった。

ここで紹介とかしないけど、多分、オレの書いた何某かを見た事ある人が見たら、一発でばれるんだろうな。

さてさて。

今週も何とか「Gの世界」1話分、13ページ描き切る事に成功した。

ホントギリギリだった。

色々忙しいけど、それでも、あと1話は描かねばならない。

区切り良い所までは、更新途切れさせたくない。誰のためにかは知らん。オレのためだ。多分。

そんな良く分からない矜持で、コツコツ絵を描いております。

前述のシナリオはお金もくれるお仕事だけど、この漫画を描くと言う行為は当たり前だけど、1円も貰えない。

100%趣味でやっている。

でも、何でか、お仕事よりも強いこだわりを持ってやってる。

何なんだろうね。

この自分の頭の中にある妄想を形にすると言う行為と、それを自分で褒めちぎると言う行為こそが、鬱屈とした思春期において、唯一アイデンティティを保つ方法だったんだと思う。

だから、今でもその行為にだけは妥協しないんだと思う。

人のために描く絵じゃない。自分のために描くものだからこそ、こだわっております。

なので、描き終わった後、少し時間をおいて読み直してみると、どうしても気に入らない絵が出てくる。

流れ的にこういう演技じゃねえんだよ。

演劇をやってた時は、脚本、演出、監督をやってた。

その時の感じに近い。

キャラクターに対して、この流れでその演技は違うよ。ここは、こうだろう?と。ね。

今回の「Gの世界」55話では、2か所あった。

たまには、その没の方も紹介したいと思った次第であります。そういう羞恥型オナニーであります。

まず、10ページの八神を慶斗が追いかけるシーン。

最初は、横のコマとの対比で叫んでる口のアップを描いてた。

でも、あとから読み直して、これじゃあイマイチ慶斗くんの感情が分かりにくいなと思い、表情が付いた顔に書き直した。

うん。

すごく良くなったと思うよ。ワトソン君。

もう一つ。

で、このあと、ラームの誘いを受けて、八神が兄弟と決別するときのシーン。

チョッとネタバレになっちゃうけど、このシーンで、八神は、兄弟を切り離したくないけど、兄弟のために自分の魂を売ってラームに協力を仰ぐ。そんな心情なんだ。

それを言葉にしちゃうとなんか軽くなるので、顔だけで表現したかった。

最初は、凄く迷いがあって、本当にこれでいいのか悩みつつ、弱みを見せないために必死。そんなイメージで描いた。

これはこれで、個人的には渾身の表情だと思ったんだけども、読み直してみたところ、ふと思った。

決別のシーンで、八神が悩むのか?と。

最初は、そんな八神でも悩むほど強烈な出来事。的なニュアンスも入れたかったから、この表情しかないと思った。

思ったんだけども、やっぱり違う。

コイツは、どんな時でも弱いとこは見せちゃダメなんだ。

だから、圧倒的に強い決意をするけれども、その奥に少しだけ迷いがある。そんな表情に出来ないかと描き直した。

さっきのも良かったけど、正解はこっちだったと思う。

強い決意の中に迷いを唯一見せるシーンだ。

唯一迷い、悩むシーンじゃなかった。

と、まぁ、こんな感じで、毎回何度も読み直して、気に入らないカットは描き直して、気持ちいいオナニーに浸っているわけですよ。

でも、先日の話通りほめてもらえたらやっぱり嬉しいことも分かったし、たくさんの人に呼んでもらいたいとも思っているみたい。

難儀な性格だと言う事ですな。

しかし、表情描くのって難しい…

全然描けない…

 

 

この記事を見てみる  ⇒
2020年9月6日 0:17 CAT :

がむしゃらオナニー はじけ飛べティッシュボンバー

学生時代、良くつるんでいた連れに「ぶー」と言うやつがいた。

いつ出荷されてもおかしくない子ブタだったから「ぶー」と呼んでいた。

そいつとは、一緒にマンガ描いたりと言う創作活動的な事もよくやったし、何よりオレが団長さんしてた劇団のお荷物野郎で、一緒に演劇も作ったりしてた。

そんなある日の事。

アイツはオレに対して、自分が大好きなSlipknotの結成の話とか、各メンバーの生い立ちとかを散々語った。

どこまで本当だったのか分からないけど、メンバーがスラム出身で子どもの頃から地獄見てきたとか、金持ちになる事に異常な執着があったとか、レコーディング中に瓶で頭カチ割ってテンション上げてたとか…色々。

そしてそのあと、「だから、あいつらの音楽はシャレにならんのよ。あんたみたいなお坊ちゃん育ちには絶対に超えられない壁がある」的な事を言った。

確かにオレは、坊ちゃん育ちだと思う。

実家が裕福だったかと言えば、それは良く分からないけど、今になって思えば、「あ・・・オレお坊ちゃんだったわ」と思うエピソードがてんこ盛りだったりする。

まず、子どもの頃まぢで、坊ちゃん刈りされてた。


参考画像(↑)

お金で苦労したことはもちろんない。

家が欲しいって言えば、今でも多分、ポンとお金くれるか、建ててくれるだろうくらいには、お坊ちゃんだと思う。

でも。

でもだ。

それはそれとして、モノ作りに生い立ちは関係ねぇだろうがよ!!と、思ってる。

何だ?あれか?金に苦労して、辛い思いしてないと、良いものは作れないのか?

それを言うんだったら、そんなお坊ちゃん育ちだった為なのか、元々の病気なのか知らないけれども、うまく社会に溶け込めないまま、友達も居なくて、いつも一人だったとか、そういうどうしようもない閉塞感はどうなんだよ。

小学校の頃なんて、本当の貧乏な人たちにアホみたいにたかられて、おもちゃとかカードとかごっそり持ってかれてたわ。虐められてたわ。

その結果できた鬱屈とした性格はどうなんだよ。

などなど、色々思ってたりする。

「あしたのジョー」は嫌いで、「がんばれ元気」が好き。

「あしたのジョー」なんて、それこそ、「ジョー」のような生い立ちだからこそ、ハングリー精神があってこそ強くなれると言う、ぶーの言ってた話を体現したような話だ。

「がんばれ元気」は、いつでも襟付きの服着て、大きな家に住んでいるような坊ちゃんなのに、隠しきれない狂気と暴力性があって、その結果強くなっていくと言う、「あしたのジョー」のアンチテーゼなお話し。

もちろんリアルタイムの世代な訳じゃないので、どっちも結構大きくなってから、しかもほぼ同時期に読んだ。

そして、オレは「がんばれ元気」派だった。

犯罪を犯した奴は、生い立ちをほじくられる。家庭環境をいじられる。

オレは声高に言いたい。

そう言う特殊な環境に居なくても、面白いものが作れると。

多分、普通に育った異常な奴がいっぱいいると。

オレは自分の中に悶々と出てくる妄想や願望を切り取って、形にし続けてきた。

それに対して、「甘ちゃんが描いた絵空事だな」とか言われるのは、凄く嫌なんだよ。

確かに甘ちゃんだし、苦労なんてほとんどした事ないかも知れない。

でも、創作に生い立ちは関係ない。

そう信じて、今日も悶々と出てくる妄想や願望を切り取って形にし続けていくのです。

この記事を見てみる  ⇒
2020年9月2日 4:46 CAT :

長々と語る事ばかりしか能のない老人の脳みそでもロボトミーはしない

独立してから5年が過ぎた…。

孤独のグルメの井之頭五郎に対して「あんな個人事務所みたいなところが、ポンポン大きな企業から仕事来る訳がない。そう言う所で覚めるんだ」と言う、随分的外れな感想を見かけたことがある。

オレも個人事務所だけれども、独立してからずっと右肩上がりに業績上がってる。正直、サラリーマンの時とは比べ物にならない位自由だし、お金も稼げているような気がする。

今なんて、上場企業さんとか、自治体さんからも色々なお仕事もらえたりしてる。こんな片田舎で、個人でやってるクソしょぼい事務所だと言うのに。

本当にありがたいことで、今のこの状況に対して、自分でも奇蹟だと思ってる。

そんな感じだから、そりゃあフィクションだと思う人も居るだろう。ただまぁ、そんな奴はせいぜい、現実世界の中でも覚めた目で、つまらん人生を歩んでいくがいいさ。

さてさて。

そんな話に少し繋がるかもしれないけれども、是枝監督の「そして父になる」と言う映画を見た。

いや、今しがた見終わった。

今の時間は午前4時。

もう寝ろよって話なんだけど、久々に心をグイグイ揺さぶられてしまったので、その事を書かずにはいられなかった次第でございます。

イヤね、天下の是枝監督だよ。ライムスター宇多丸さんが毎回絶賛する是枝監督だよ。

外れな訳がない。

これまで見た是枝映画は全て最高だった。

あと今回は比較的出演している俳優さんも有名どころが多く安定感抜群。

「万引き家族」の取り調べシーンの安藤さんや「誰も知らない」の柳楽君の笑顔のような、瞬間最大風速がとてつもない度肝を抜くような演技はあんまりなかった。けど、その分全編を通して安定したうまい演技。

是枝監督のカメラワークも演出も素晴らしい。

本当に引き込まれる。

心に刻み込まれるような印象的なシーンもたくさんあった。

何か、福山家族と、リリーフランキー家族の対比とか、見せ方もホント最高だった。(最初貧相で嫌な感じに見えるリリーフランキー家族が最後、物凄く良い家族に見える演出とかはホント天才的!!)

言い出したら、そういう話はたくさんできる。

でも今回心を揺さぶられたのは、そういう話じゃないんだよ。

絶賛、父親中のオレにとって、一番心を揺さぶられるのは「父親と子ども」の話なんだよ。

生まれてから一番泣いた映画は、多分「ライフイズビューティフル」だと思う。

その話についてはこっちで色々書いたけれども。

「ライフイズビューティフル」は、ド直球の親子の美しさを描いて、そして結末もド直球。

だからこそ、素直に号泣するんだよ。

でも、この「そして父になる」はそんなド直球な物語じゃあない。そんな一筋縄ではいくはずもない。

この映画自体、是枝監督の倫理観とか、思想の押し付けとかがほとんどないと思う。

少なくとも表面上、面と向かって「ほら、こんな子ども可哀そうだろ?」とか「ほら、こんな生活ってしあわせだろ?」みたいな描写はない。

何が幸せで、何が不幸なのかと言う事も、本当の意味で客観的に突き放して描いている。

もののけ姫以降のキャラクターに没入させることを通して思想を押し付けようとする宮崎映画ではなくて、あくまでも客観的に徹底したリアリズムに見せる事で見る側の持つ思想とか倫理観をほじくり返そうとする高畑映画に近いものがあると思う。

それを通して考えさせられるのは、自分の今現在置かれている父親像だった。

オレの今の現状。

普段の生活はリリーフランキー家族に近いものがある。それこそ、毎日一日中子どもと一緒にいて、色んな事を体験しつつ一緒に成長してる感じがする。

でも、仕事が忙しくなると福山家族のように子どもと遊ぶ時間も無くなってしまい、ご飯の時くらいしか顔を合わさなくなる。子どもが寂しくて仕事部屋に入ってきても、ろくに相手にしない。

まさに、両方の親子関係の狭間にいるんだよ。

逆に言えば、オレの心持ち次第で、どちらの家族にもなる事が出来る。

だからこそ、尋常じゃなく揺さぶられてしまったんだと思う。

オレの人生観は、間違いなく娘が生まれた瞬間、ガラッと変わってしまった。

今でもまだ、娘が生まれた瞬間の事ははっきりと覚えている。

オレは、何があってもこの小さな命を守るんだ。って、直感的に決意した。

おそらくこの世の中のほとんどの親が、自分に子どもに対してそういう感情を持っている。(と言うか、そう願いたい)

この映画が提起する一番の問題は、その感情の持っていき方を改めて客観的に見てみませんか。と言う部分なんだと思う。

正直、娘も息子もどう考えてもオレの子どもなんだよ。

オレは他人の子どもに対してあんまりカワイイと思う感情を持ち合わせていないんだよ。

でも、自分の子どもに関しては、これはもう、本当にどうしようもないくらい可愛くて仕方がない。

そして、自分の子どもの頃にそっくり。まぢで笑ってしまう位。

もし映画同様に、「実はあなたの子どもではありませんでした」と言われても、福山雅治のように「やっぱりそうか」とは言わないだろうな。

「絶対嘘だろ!!!!」ってなると思う。

問題なのは、この映画が提起している話は、そうなった時あなたはどうしますか?と言う部分ではない事なんだよね。

それはあくまでも、問題を提起するための手段でしかない。

だからこそ、結末があんな感じなんだよ。

それはそれで良い。そんな話がしたいんじゃない。

オレは、自分の子ども達に対してどれだけ、向き合えているのか。と言う話なんだよ。

自分の気持ちの押し付けとかではなく、子どもの感情に対してだ。

作中で最も心に突き刺さったのは、作中で福山雅治が「僕にしか出来ない仕事なので、子どもより仕事を優先してます」的な事を言った後、作中ほとんど声を荒げないリリーフランキーが怒ったように言う「父親もあなたにしかできない仕事でしょう!!」と言う言葉。

今でも、絶対に忘れない体験がある。

娘が生まれて半年ほどしたとき、オレは一度心が折れかけたことがあった。

正直その時、オレは娘の事が謎の生き物のように思えてた。

当時サラリーマンだったけど、仕事が忙しくない時には、オレが娘をお風呂とかも入れてあげたりしてた。

その日は、仕事から早く帰ったから、オレが一人でお風呂に入れてあげたんだけど、娘が本当に大泣きした。

いつも泣き止むような事も全部試したけど、何をしても泣き続ける。

もちろんまだ言葉も喋れるわけない。首が座ったばかり位で一人で座ることも出来ない。

この当時、オレは、泣き始めたら嫁に渡して、おっぱい飲ませれば泣き止むとかそんな事を考えていたので、嫁を風呂場に呼んで娘を渡してしまおうと考えてた。

でもその日は、嫁が食後の洗い物をしてて、水道の音でオレの声が聞こえなかったのか、来てくれなかった。

本当に何をやってもズッと大泣きするこの得体のしれない生き物に対して、オレ自身もどうしようもなくて泣きそうになってた。

しばらくして嫁が娘の泣き声に気が付いて風呂場に来た時、多分、オレは虚ろな目で呆然として娘を抱っこしてたと思う。

オレは確か「もうオレ無理かも…」みたいなことを言った。

娘は、人一番怖がりでよく泣く。夜泣きも凄くて、寝かしつけても抱っこしてないとすぐ泣きだす。他人からも色々言われてたり、本当に色んな事があって、このお風呂の時にそれが溢れたんだと思う。このころ夫婦そろってビックリするほど寝不足だったし。

それに対して嫁は「この子の父親は一人しかいないんだから、しっかりしろ!!」と、珍しく強い口調でオレに言った。

あの時の言葉は、本当に強烈に心に突き刺さったんだよ。

あんな「何をしてもこの子はオレが守る」とか思ってたのに、いつの間にか、良く分からない生物と決めつけて、嫁に任せようとしてた事に気が付いた。

それ以降、オレは取り合えずどんなに困っても、自分の力で何とか出来るようにとにかく必死で娘と向き合った。

その結果かどうか分からないけど、子育てに関しては一通り全部できるし、一人で子どもの面倒見るとかも全然平気になった。

娘が泣いてる理由も、言葉分からなくても何となくわかるようになって、何をしても泣き止まないと言う事はなくなった。

今では、子ども達の心のブレに関してはある程度分かるようになった。いつも通りにしてても、「なんか悲しそうだな」とか「本当に楽しそうだな」とかが感覚的に分かる。で、話聞いてみると大体あってる。

そんなの当り前だと言われるかもしれないけど、情けない事にそれが出来る様になった事が凄い成長だと言う位、当時のオレはうんこ野郎だったんだよ。

リリーフランキーの言葉に、オレはこの時の自分の体験が凄く重なった気がした。

あの日からオレが決めてることは、子どもたちの気持ちに対して、絶対に(嫁であっても)人に任せないでちゃんと向き合うと言う事。

その事を改めて思い出さされた。

今のオレは、子どもたちとちゃんと向き合えてるんだろうか。

子育てって、結局答えが無いんだよね。あるのは、結果論だけ。

だから、自分が良いと思ったことをただ妄信的にやっていくしかない。

今、小学生になった娘は、寝室で抱っこすると「やめろ~~!!」って怒って暴れるけど、それでも絶対寝る時には「もう寝るよ。一緒にねべや(寝室の事)行こう。」と誘いに来てくれる。

それはあの夜、どうしても泣き止まなかった娘を嫁に投げ渡して「おっぱいあげといて」としなかった結果だと、今は信じてる。

ここ数日、本当に仕事が忙しくて、ご飯と寝る時くらいしか一緒に居れなかったけど、これはダメだな。とか思ってしまった。

・・・ダメだ。

物凄く長くなってしまった。

子育てに関しては、創作活動以上に色々と考えているんで、ついつい長くなってしまうな。

さて、では、かわいい子どもたちが寝ているベッドに行って抱っこしてくるか。

寝ている時なら、抵抗も出来まして。

本当に素晴らしい映画でした。

この記事を見てみる  ⇒
2020年9月1日 16:05 CAT :

いつか死ぬとしても今はまだ死ぬ時ではないかもしれないかもしれない

新都社さんに漫画を投稿し始めて、なんだかんだでもう6年になるらしい。

その間に、「us」を一応完結させることが出来た。

「ランナ」については、1話にかかる時間が尋常じゃないと言う事や、ストーリー(と言うか見せ方)の練り直しをしてたりとかして、不定期更新になってる。けど、一応第3部の真ん中位までアップしてる。

「G」については、ほぼネームそのままに、絵だけ描き直すと言う省エネなやり方でチョイチョイ休憩入れながらも週1話のペースで、もう最終決戦直前位まで来ている。

その後には、「FE」のリベンジ版。「始まりは終末」を描く予定。

まだまだ描きたいことがたくさんあって、どうしようもない感じ。

岡田斗司夫大先生が、生きている間に語りたいことを語りつくせないから、ゼミの回数を増やすとか何とか言ってた動画を先日見かけたけど、オレもそうだ。

同じ話にしてしまうのは恐縮するけれども・・・

今のペースで描き続けたとしても、果たして死ぬまでに「やみ世界」の最後の話まで辿り着くことができるかどうか・・・

一番多感な学生時代、オレは自分が死ぬまでに形にするべき物語をまとめた。以下の通り。

〇永遠の向こうにある果て
〇やみ世界
〇連歌「忘却」
〇陀悪
〇ニュースチョクホー
〇US
〇G

(この段階で、ランナは完結済み)

この中で、「連歌「忘却」」と「陀悪」については、音楽作品になると思う。

ニュースチョクホーは、日記的な側面もあるので、最終話は多分オレのお葬式になると思う。

として、あとは「やみ世界」だけ。と言う所までこぎつけているんだよ。

ただ、今「やみ世界」を描かないで、過去の作品の焼き回しばっかりしているのにも理由はある。

「やみ世界」自体が、オレが描こう思ってた物語全てを統括する物語であり、ここまでの全ての整合性を含めた見直しの上で書かないといけないような気がしてたりする。

例えば、一番初めに書いた「FE」なんて、描きたい事と言うか頭の中にあった構想の1割も描き切らずに、途中で投げ出して、無理やり最後とつなげてたりする。

その間をちゃんと補填してあげる必要があった。

今、書いてる「G」でも、本来もっと描くべきだった「G」と他の話とのつながりの部分などについては、補填しつつ描き進めてる。

実際、ネームの時には、1話しかなかった八神の山での生活の話を、色々補填してみると、結果的に4話分のボリュームになってしまった。

でも、ここをしっかり描いておかないと、「やみ世界」の第8部「やつのかみの章」とのつながりが希薄になってしまう。

「ランナ」でも同じことで、さらっと流してしまった「ディルトンの奇蹟」の話をもっとしっかり描いておかないと、そもそものヴェルナリティーが誕生する経緯とか「FE」における、エルカサム教の流れがちゃんとつながらない。

とか、そんな事を色々考えてるんだよ。

ちなみに、エルカサム教については、ネーミングの元ネタがどうしても気に入らなかったので、今回描き直すにあたって「レイ=ティンバー」に変える事になった。

この「レイ=ティンバー」の由来などについては、今回描き直すにあたって新しく追加したプロット部分なので、まだ、ちゃんとした形になってない。

まだまだ、描きたい話は山盛りなんだよ。

もう一つ。最近「陀悪」については、こっそりと100%自分で作ってしまいたい衝動に駆られ始めている。

DTMで、自分で全て出来ないものだろうか。と。

これまで見たいなギターとボーカルだけじゃなくて、ベースもドラムも自分でやって、ミックスもマスタリングも自分でやる感じ。

やるとしたら、いきなりは出来ないだろうから、いくつか作ってみて「いける!」ってなったら、実行しようと思うんだけども、そもそも、機材集めもしないといけないよな。

やりたいことがどんどん増えてきて、時間がいくらあっても足りない。

今、この瞬間5億円くらい手に入ったら、全てを投げだして、ずっと部屋にこもって何か作り続けるのにな。

と思いつつ、お仕事頂いている以上はありがたく、一生懸命頑張るのでございます。

そんな、創作のお話し。

って、当初描こうと思ってた内容と100億光年くらい離れてしまったけど、新都社さんにお邪魔してから6年。

先週「Gの世界」を更新した時だよ。

これを見てくれ!!

初めて、hot itemに載った。あたいの書いてる「Gの世界」が!!!!

生まれてこの方、誰からも評価されなくても良い。

自分さえ面白いと思ってる作品を描き続けれれればそれで良い。

と言い聞かせて、納得して描き続けてきたけれども・・・やっぱり、こういう形になると、それはメッチャ嬉しかった。

自己完結させていければいいと思って、どんどん妄想を膨らませてきたけど、本当に嬉しかったんだよ。

と、そんなお話をしようと思ってました。

ありがたい事ですじゃ。

本当に。

この記事を見てみる  ⇒
2020年8月24日 19:54 CAT :

色恋なんて贅沢すぎる

好きになった作品。マンガでも、音楽でも、映画でもなんでもいいんだけど、何となくあんまり人気がないと「なんでこんな良い奴が人気でないんだ!!もっとみんな知ってほしい!」とか、おこがましい事を考えるくせに、実際人気になってしまうと、何となく興味がなくなってしまう。

この現象を何と言うんだろうか。

取り合えず、「オレ、この人たちが無名の頃から応援してるんだぜ!」的な事は言わないように心掛けております。

さてさて。

昔、夢見た未来の自分と今の自分を見比べてみる。と言う行為を時々やってみたりする。

自分の現状を一体どう受け止めれば良いのかを考えると言うのは、なかなかどうして意味のある行為だと、個人的には思ってる。

昔、夢見た未来の自分なんて、本当にどうしようもないものだった。

あんな学生時代を過ごしておきながら、まともな将来なんてあるはずないと思ってた。

所が、現状を見てみるに、まぢで自分の人生として、これ以上ないくらい良い状態に落ち着いた。

この状態があと何年続くのかと言う不安がない訳じゃあない。10年くらいした頃に、振り返って「あの頃は良かったな」と思うかもしれない。逆に、10年後に今のオレの状態を思い出して「あの頃は大変だったな」と思うかもしれない。

それは分からない。

ひとつだけ言えることは、オレは過去には戻りたくない。

何でかと言うと、理由はたくさんある。

ひとつは、今日までコツコツと描いたり作ったりしてきた色んな創作物がなくなっちゃうと言う事。正直、あの時、あの瞬間だからできたものってのがたくさんある。それを今も記録として色々持ってる。それがすべてなくなる。もう一度欲しくなったら、また同じ労力を使って再現しなくちゃいけない上に、それはあくまでも再現であって、多分同じものは作れない。

ひとつは、選択肢をミスれない事。今、現状に満足してるのに、過去に戻っちゃったとして、もう一度、今の状況に持ってくるためには、物凄くたくさんあった選択肢を全て同じように進んでいく必要がある。「風が吹いて桶屋が儲かる」じゃないけど、意外な所で違う選択をした為に、未来が大きく変わるかもしれない。

そして最大の理由が、今の家族とお別れすると言う事。そんなの考えられる分けねえじゃねえか。過去に戻った後、全く同じ選択肢をして、全く同じ家族を持つことになったとしても、多分、その家族は、今の家族とはなんか違うと思う。特に、子どもとかは。

過去に戻りたいと思うのは、現状があまりにも辛くて、過去があまりにも幸せだった人にだけ適応されるものなのかもしれない。

現状があまりにも辛くても、過去も辛かった人は過去に戻りたいとは思わないだろう。むしろ、こんなつらい人生なら死んでしまいたいと思うんじゃないか。

学生時代、本当に色んな事が嫌で嫌で仕方がなかった。

こんなつらい人生なら、いっそ死んでしまいたいとさえ思って、何度もリストカットもどきを繰り返した。

ただ、あの当時、オレが過去に戻りたいと思わなかった最大の理由は、実は、上記の理由で言う所のひとつ目に理由だったりする。

オレは、自分の頭の中にある物語を形にして行ける事だけに喜びを感じて、それが例え、誰にも理解されなくても、世界で一番面白いものだと信じ切っていた。

過去に戻って、その描いてきたものがなくなるのが耐えられなかった。

その思いだけで、全てを忘れるように本当にひたすら書き続けた。形は、漫画だったり、小説だったり、演劇用の台本だったり、音楽だったり、ゲームだったりと本当に多種多様だったな。

今描いてるものなんて、ぶっちゃけ、その頃に書いたものの焼き回しでしかない。

あの頃のペースでは今はもう書くことなんかできるはずがない。

取り合えず、もしオレが今のまま過去に戻ってしまうのなら、当時のオレに少しだけ伝えたいことはあるか。

漫画とかは相変わらず認められたりすることはないけど、思ってる以上に未来は良い感じになるぞ。

みたいなことか。

10年後も、20年後も同じような事を思い続ける。

そんな人生にするために、おっさんは、またお仕事に戻るであります。

さようなら。

この本は、本文とは関係ないです。

この記事を見てみる  ⇒
2020年8月21日 4:29 CAT :

お前を殺してオレも殺される

「ゼルダの伝説」が大好きな息子のために、DSの「ゼルダ無双」をたまたま見かけたので、買ってあげた。

息子も楽しんでるんだけど、何より嫁がめっちゃはまってるらしい。

いや、正確にはらしかった。

まぁまぁ楽しんでたんだけど、ステージが進むにつれて当然難しくなってくる。難しくなってくると、「どうしてもクリアーできない」とオレのところに持ってくるようになる。

昔チョッとゲームやってたので、やった事ないゲームでも、嫁や息子よりは多少できると言うだけなんだけど・・・まぁ、しょうがないので、倒せないボスとかだけ倒してあげてた。

で、そうこうしてる間に自分でも初めからやってみたくなるのは、自然の摂理ですよね。

実際、やってみて分かった。

これ、ゲロ程面白いわ。

何しか、自分ひとりで戦場を駆け抜けて、事態を好転させていく。無双シリーズって、そんな一騎当千なイメージで居たんだけど、全然そんな事ないんだよ。

一番難しいモードでやるようにしてるんだけど、どのキャラクターを操作するか、操作してないキャラクターにどんな命令をするかが、結構攻略のカギになる。

メッチャ激しいピクミンみたいなイメージだった。

とは言え、もちろん一騎当千な部分もある。

そのバランスが絶妙で、ホント面白すぎる。止まらねえよ。

正直な話、ここ最近またお仕事などで忙しかったりして、「Gの世界」の執筆もチョッとままならない感じになっていると言うのに…それでも、何時間も「ゼルダ無双」をやってる。

何やってるんだよオレは!!

学生じゃねえんだよ。こっちは。お仕事してお金稼がないと、家族がご飯くいっぱぐれるんだよ。

いや、それは分かっている。だから、仕事するよ…

このミッションをクリアしたらな!!

そして、押した分は睡眠時間を削ってやるよ。なぁ~に2、3時間も寝れば人間死にやしねえよ。

そんな中二病な感じの日々を過ごしております。

こんなにゲームやってるのは、学生時代にX-BOXの「HALO」にはまって、一晩中外国人と「ファッキュー」って言いながら殺し合いしてた時以来じゃないんだろうか。

その位、面白い。

良かったのは、この「ゼルダ無双」に複数プレイ機能が無かった事だよね。

もしそれがあって、しかもネットの向こう側の人と戦場を駆け巡れたら、オレは確実に廃人になってた。

と思って、調べててたら、switch版には協力プレイがあるらしい。

買おうと思った時には、転売狙いで買い占めてたゴミやろうのお陰で、手に入らなかったswitch。

まぁ、いずれ供給が戻ったら買うかもしれない。

その時には、多分、「ゼルダ無双」も買うかもしれない。

そして、廃人になるかもしれない。

リンクルカワイイ。

ラナちゃんもカワイイ。

何しか、大人になったらゲームとか面白くなくなるもんだと思ってたけど、全然そんな事ないと言う事が良く分かりました。

むしろ、財力と無茶が出来る分、大人の方が廃人になれてしまう。

絶望への序章。

この記事を見てみる  ⇒
2020年8月20日 20:00 CAT :

ブスガス爆発で死ぬ

先日、チョッと嫁と話していた事。

果たして、オレは嫁に対して隠し事が出来るのかと言う問題。

いや、別に問題ではないんだけども。

世の中の一般的な夫婦がどんなものなのかとか、そんな事は知らないし、あんまり興味もない。

でも、多分、オレはアイツに対して隠し事無いと思う。

アイツがオレに何か隠し事をしてるかもしれない。してないと思うけど、してるかもしれない。けどまぁ、それについては、隠し事と言うよりは、言う必要ないとか、言うタイミングが無かった的なニュアンスじゃないんだろうか。

何でそんな話になったかと言うと、嫁の携帯をいじって、中身を見たいかどうかと言う話から派生したんだったと思う。

まぁ、色々あるんだよね。

あるんだけど、結局のところ、オレの場合、嫁もオレも社会人としては、ホント半人前以下なので、2人合わせてやっとのことでチョッと人並みに近いくらいになれるレベル。

そんな状態でなので、お互い協力して、色々話し合いして、騙し騙し今日まで生き抜いてきたんだよ。

隠し事とかしてる余裕なかったんだよな。

嫁がオレのPC漁って、色々ため込んだエロフォルダの中身をじっくり見られても何とも思わない。

むしろ、より具体的な性癖を理解してもらって、今後に生かしたいくらいだ。

何と言うか、今更オレの何かがばれたとして、それであいつの中のオレの評価が変わるように思えないと言う。

まぁ、そんな話なんだよね。

それが良いのか悪いのかは、良く分からない。

そんな良く分からない話。

今回の記事を書いてる途中、何回も「隠し事」が「書く仕事」とご変換された。

そう言う事から、きっと物語の構想って出来るんだろうかね。

知らんけど。

この記事を見てみる  ⇒
2020年8月18日 2:42 CAT :

おっぱいだけ触ろうとしてごめんなさい

夏休みどこにも旅行に行かないのは、子ども的にも詰まんねえよ。と言う事などもあって、旅に出てきました。

とは言え、このご時世。

果たして、どこに行くべきか。

まぁまぁ考えた結果、四国内の避暑地に決定。

去年行ってメッチャ良かった、キャンプ場に行ってきた。

キャンプ場なんだけど、コテージ(ケビン?)も併設されていて、そこを貸してくれる。

直前だったので、空いてるのが3部屋とキッチン、ロフト付き8人泊まれるトコしかなったので、そこを借りました。

家族4人なので、バカにしてんのか?と言う位大きなコテージ。

そこにお泊りして、夜は、引くほどキレイな星を見て、朝にはその辺を散策。ついでに、川でニジマス釣ったり、泳いだり。

たっぷり楽しんできました。

すごいよな。エアコンとかいらないんだよな。

窓開けておけば、むしろちょっと寒いくらいで、しかもメッチャ空気もキレイなので、目覚めの気持ちよさと言ったら、もう、まぢで言葉にもならない感じ。

肌が尋常じゃなく弱いこともあって、海水浴は命がけなので、水のきれいな川で泳ぐと言うのも実に良かった。

あともう一つ。

今回の宿泊料ですよ。

gotoキャンペーンの割引もあったんだけど、それなしでも、無料だったんだ。

数年前から、家計費のほぼ全てをカードで支払うようにした。

現金を極力使わない生活。

その結果、カードのポイントが、1年で数万円分溜まるようになったんですよ。

そのポイントを使えば、年に1度の旅行の宿泊料位になると言う寸法だ。

カード使うって事は、手数料を店側が負担しないといけないわけで、結局は、商品の値上げにつながる。だから、カードを使うんじゃない。と、現金主義の方は言う。

それも一理はある。

でも、これだけ社会的にキャッシュレスが進んで来たら、それはそれで迎合しようよ。

今のところは、カード決済にした事についてはメリットしかないと思う。

強いて言うなら、カード決済が使えないお店にはホント行かなくなったな。と言う位か。

まぁ、そのポイントが、家族4人の旅費に代わるとなれば、そんな良い事はないとおっちゃんは思う訳ですよ。

経理上の事もあって、仕事の経費はもっと前から完全キャッシュレス化してたけど、家計もキャッシュレス化したと言う話。

そんな2本立てでお送りしました。

取り合えず、日焼けが痛い・・・

 

 

取り合えず、ここではないどこかだ。

 

 

この記事を見てみる  ⇒
2020年8月14日 3:06 CAT :

欲しがりは悪い癖

最近、チョッと変な感じの流れで、世の中のオカルトとか怖い話とかのシナリオを書かされている。

いや、書かされていると言うと語弊があるか。

一応、お金も貰えるらしいので、ちゃんとしたお仕事なのかも知れないな。

ただ、まぁ、当たり前と言うか、原稿料自体はお安いので、普通にお仕事するのと比べると、凄い割が悪い。正直、普段の仕事の時間を削ってやってたら、家族がご飯を食べられないかもしれない感じ。

ぶっちゃけて言うと、お断りしたいんだけど、なんか気が付けば、書く流れになってしまってた感が強い。で、実際に、今現在、何本か執筆中だったりする。

いやね、それはそれとして、そういうクリエイティブなお仕事してる人に、作品とかをホメホメしてもらうと言う事自体は、凄く嬉しいですよ。

ちっちゃい頃には、漫画家を夢見たこともあったし、何かの作家になりたいなと思ってた時期もあった。その頃に、この話を貰ってたら、それこそ何もかもを投げうってたかもしれない。

でも、今、ありがたいことに、オレなんかを信頼して色々お仕事を任せてくれてれるクライアントさんがいて、そもそも大切な家族もいる。

昔のオレが見たら、「断るとか、あり得ない」と思うかもしれない。けど、実際問題、これが現実なのよ。

結局は、お仕事に影響しない程度にゆるゆるの納期にしてもらって、少しずつ書く感じで落ち着きそう。

何しか、チョッと前まで、YOUTUBEで、怖い話見倒してたオレが、そういうの作る側になるとは思わなかった。

人生何があるかわからないもんですな。

それもこれも、新都社さんで、色々マンガとか小説とかを発表できているお陰な感じがしてならない。

今回の場合、今描いてる「遊星屠殺ワンダー」見て、「良いんじゃない?」ってなったのがきっかけと言えばきっかけだし、そうでなくても、やっぱり人に見てもらい続けるって言う事は大きかったと思ってたりする。

何と言うか、日和って、人に好かれるものを書こう!とか、そう言う事は全くできないし、そもそも漫画に関しては、もうほぼ内容出来上がってしまってて、今更、物語自体変える気もない。

それはそうなんだけど、見られると思うだけで、チョッとだけ出来上がりに影響してるような気がするんだ。

そんな訳で、新都社さんには足向けて眠られない。願わくば、オレが全部のストックを原稿化して、アップしきるまで存在してほしいな。

で、だ。

その依頼貰って書いてる方については、さすがに、お金も貰ってるわけで、自分の書きたいものを書きたいように書くわけにもいかない。

人に読んでもらう事を意識して、文章読みやすく。とか、構成も分かりやすく。とか、色々考えて書いてる。

題材自体も、自由にさせてもらってるとは言え、ある程度の縛りと先方さんの希望はある。

そう言う制約の中で、何かを作ると言う行為自体、ほとんどやった事なかった事を改めて再認識しましたよ。

新鮮で面白いけど、なかなか大変。

これ実際に、どの位続けることになるのかとか、さっぱり先が見えないし、そもそも本当にオレの書いたものが形になるのかどうかも分からないけど、また、なんか動きがあったら、続報あるかも・・・

取り合えず、今のところは、オカルティックなシナリオチョコチョコ書いてると言うだけでございます。

漫画描く時間が更に無くなることは、結構な問題だと思っている。

最近、こういう写真をトレスして、水着の部分を消して、全裸の絵にして、ウヘウヘすると言う遊びにはまっております。

世も末です。

この記事を見てみる  ⇒
2020年8月12日 22:34 CAT :

相変わらずに空は青く 夜は黒く 月は高く

ここ最近、色々新しい出会いがあった。

音楽的なものでいえば、「キノコホテル」と「花ト散るらん」と言う2つのバンド。

どちらも、たまたまYOUTUBEを垂れ流してたら、「お前こんなのも好きなんだろ?」とオススメ動画に出てきてた感じ。

聴いてみた瞬間「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」ってなって、どちらもCDを即買いした。

今になっても、データでは満足できない。モノで手元に置いておきたいおっさんです。

後から知ったんだけど、「花ト散るらん」は、「好き好きDIE好きスキッツォイドマン」が日本大会で優勝したインディーズの世界最大のコンテスト「エマージェンザ」で、日本人初の世界大会優勝したバンドさんらしい。

なんか知らんけど、結局どっかこっかで好きなものは繋がっていると言う事ですな!!!

ついでに、4年ぶりの「no-lie-sense」の新譜も、クラウドファンディングでお金も投資した「水中。それは苦しい」の新譜もあって、音楽的にはとっても最高。

まだまだ、凄い音楽にどんどん出会えている感じ。

映画でも、「リミット」「hostel」「sow」など(特に「リミット」はめっちゃ良かった)洋画の良い作品をたくさん見た。

あと、アニメで初めて「未来少年コナン」を全話見たな。これについても、「え?宮崎駿の集大成はこのアニメじゃん!」って思える位面白かった。

昨日は久々に「この世界の片隅に」を見直して、やっぱり泣いてしまったし、「思い出ぽろぽろ」を見て、これまでとちょっと違う見方と発見があったり・・・

などなど、取り留めないけど、本当にここ最近は良い作品をたくさん見る事が出来てるなと思ってる。

毎週1話マンガ描いて、小説書いてとアウトプットもいっぱいしてるけど、インプットも結構出来てるんじゃないかなと。

多分、良いバランスなんだろう。

それはそれとして、時間がどうしたって足りないと言う問題だけはあるけどな。

1日が48時間になれば良いと思う。

でも、48時間になったら、多分72時間になれば良いと思うような人間なので、24時間で精いっぱいできる事を頑張ります。

棺桶の中と言うワンシチュエーションだけで、全く飽きずに2時間映画を見せ切る圧倒的な演出力。まぢで、この「リミット」は素晴らしい名作だと思う。

オレも、ワンシチュエーションだけの物語とか書いてみたい。でも、出来る気がしない。もっともっと演出を勉強したい。

この記事を見てみる  ⇒
2020年8月11日 23:30 CAT :

「今日だけは早く寝たい」と毎日呟く病気

なんか、色々最近、身辺が凄いバタバタしている。

何となく、しばらくマンガ描けなくなるんじゃないだろうか…と思ってる。

と言うか、実際に、ここ最近ろくにマンガ描けてなくて、とうとう、52話目にしてストックが底をつきた。

予定では、もう少し大丈夫だと思ってたんだけど、本当に、時間が取れなくなってしまった。

いつもなら、ここで、一旦ストップして、しばらく描きためして、また定期投稿始めるところなんだけど、しばらくは、それさえ難しいかも知れない。

ホント、どうしたもんだろうか。

そんな事情もあって、ここ最近、何とか作画にかかる時間を減らせないもんかと色々試してみてる。

なんか、初期の頃に比べて、「G」の作画時間がチョッと伸びてる気がするんだよね。

初期の頃は、1ページ20分にないと思ってたのに、最近は、1ページ30分を超えつつある。

よく大好きな岡田斗司夫ゼミを見ながら描いてるんだけど、大体1回分見終わるまでに、3ページくらいしか描けていない。

取り合えず、元のネームを取り込むことはやめた。

更に、下書きもやめた。

アタリ取る事さえもやめた。

で、どうするようになったかと言うと、少し丁寧なアタリみたいなのを描いて、それを主線にしてしまって、あとは、丸ペンで細かい書き込みをすると言う、実に乱暴な作画方法。

例えば。

今までなら(↑)みたな、青色で簡単なアタリを入れてから、描き始めてたんだけど、それをパス。

いきなり(↑)みたな、チョッとだけ丁寧な下書きの線をオラオラを入れる。

で、あとはその線をえどったりごまかしたり、丸ペンでどんどん線を足していく。

最後に、筆と場合によってはトーンを張って完成。筆なんて、下書きもなしで、全体のホワイトバランス見てから、ザザッて書き込むだけ。

 

 

このやり方なら、前よりだいぶ時間を短縮できるようになった。

50話くらいから、このやり方を試してるんだけど、やっぱりアタリとかを丁寧に入れてないので、いつもに増してバランスの悪い絵が増えてしまった気がする。

それについては、描き続けていれば、改善されるんだろうか。

そして、こうやって短縮させてるのに、全然時間が取れなくて、描けなくなっちゃった。

なんだかなぁ~な気分でございます。

人生いろいろあるよね。

 

 

この記事を見てみる  ⇒
2020年8月10日 22:51 CAT :

ジオラママママママママ間ママ

おうちの玄関には、クランベリーのポットを釣るしている。

この子がデロンと蔓を垂らしてまたメッチャカワイイ。

ついでに、実もなる。

で、先日、それを見ていると、その蔓にサナギが引っ付いていた。

個人的に、庭で産まれた子は全部カワイイと思っておりまして、雨になったら「ゲコゲコ」なくカエルも、いつも嫁の花壇でヒラヒラしているアゲハ蝶も、何だか分からんけど、凄い愛着がある。

家の中で飼っている、金魚や、コクワガタなどなんて、比じゃない位可愛くて仕方がない。

それは良い。

それは良いんだ。

まずは、写真を見て頂こう。

これが、そのサナギなんだけども・・・

よく見て欲しい。

何が言いたいか、お分かりいただけただろうか。

そう。

そうなんだよ。

なんか、下の方に光る角みたいなのが出てね?

これは、一旦何って虫なんだろう。

写真だと分かりにくいかも知れないけど、金メッキ加工されてんのか?ってくらい、キラキラ光ってるんだよ。

光が当たると、キラーンって反射するくらいまぢで、光り輝いている。

正直、こんなサナギ、生まれてこの方見た事ない。

ただ、まぁ、なんか知らんけど光り輝いているので、縁起がいいものだと思って、大切にそっとそのままにしている。

羽化した時、どんな虫なのか分かったら、ここでまた報告する。かも知れないし、しないかもしれない。

金ぴかなので、お金が貯まるようになるといいなぁ~とか、思っております。

この記事を見てみる  ⇒
2020年8月7日 18:55 CAT :

来るべき世界ーStaress & バカボンBlackー

嫁が、普段オレなら絶対買わないようなチョッとお高いアロハシャツを買ってくれた。

袖通した瞬間「お!!」ってなった。

そして、めっちゃ涼しい。来てるのに涼しい。

今度からこういうの買うか。と、気軽に言えない経済状態ではありますが、それはそれとして、やっぱり、値段のものだな。

安ければ良い!と言う話ではないと言う事か。

さてさて。

先日、チョッと近所の中古リサイクルショップに行ってきたときの話。

目的は、なんか面白いゲーム無いかなと言うものだった。

最近割とゲームとかやり始めているので、DS版のドラクエ5とか、キューブ版のリメイクバイオとか(スイッチは持ってないので…)その辺を探しに行った。

目的のものは全くなかったんだけど、ついでに、CDコーナーにも立ち寄った。

いつも、筋肉少女帯をはじめ、ナゴム関係のモノだけは、見つけた瞬間絶対に買う事を決めている。

とは言え、そんななかなかナゴム関係のCDなんて、こんな片田舎のリサイクルショップに並ぶ事なんてない。

数年前に、「サーカス団パノラマ島へ帰る」の初回限定版を見つけた事くらいしか、まともに記憶にない。

なので、あんまり期待もせずに立ち寄った。

・・・ん?

・・・・・・・・・・・・・・んんんんんんんんんんん?

「まぢかああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

久々に、お店の中ででっかい声を出してしまったよ。

これですよ。

これ。

ナゴム傑作選の「空バカ」と「筋肉少女帯」の全曲集が売りに出されてた。しかも1000円で。

もちろん、どちらも持ってますよ。

特に「空バカ全曲集」に至っては、10年くらい前に状態のあんまりよくない奴をヤフオクで20000円くらいで、落札してまで手に入れたんだ。

ところが今回のやつは、ほぼ新品。

ケースの傷もほぼないし、見ての通り帯も付いてる完品が、1000円ですよ。

ふざけんな!!馬鹿にしてんのか!!??

と言うか、もうこのCDなんて、神棚に祀るレベルのものだぞ。

オレにとって・・・いや、この世に出回っている全てのCDの中で最も価値のあるCDアルバムのひとつだと思う。

このCDが音楽界に与えた影響を考えて欲しい。それはもう、本当に全くと言っていいほど、ほとんどないわ。

誰がこのCDに影響受けて、続くことができると言うんだ。唯一無二過ぎて、誰も続くことなんか出来てない。

こんなに、後世に影響を与える事が出来なかった作品があるだろうか。いやあるとは思うよ。でも、多くの人が素晴らしいと認めた上で、それでも「オレ、こうはなりたくないわ」と強く思った結果、誰も真似しようとしなかった作品なんてそうそうあるはずがない。

何だったら、ケラさんもオーケンもウッチーも全くついて行けてない感が強い。

キンショーや有頂天でどれだけ、セルフカバーしようとも、それが「空バカ」のそれに1ミリたりとも寄り添えてない。

その位圧倒的なパワーとくだらなさと、あと何だか良く分からないものが、物凄く変な感じで詰まってる。

これに後世の再発版「空バカベスト」に収録されているミニコントが加わった時、本当にもうどうしようもなくなるんだよ。

そんな、奇蹟の作品が1000円程度で投げ売りされていた。

すでに持ってるって事なんて、何の関係もない。

当たり前のように、この2枚のCDを買いましたよ。

そして、オレのコレクション棚の中に大切にしまっている。

光の届かない。湿度は測ってないけど、多分丁度いいだろうその棚の中で、昔買った状態の悪い奴と、今回買った状態の良い奴が、2つ光り輝いている。

この感動があるから、お店めぐりはやめられないんだよね。

この感動は、ネットでポチっても味わえませんぜ。

ゾルタクスゼイアンさん!!

この記事を見てみる  ⇒
2020年8月5日 22:54 CAT :

空の色は説明できない

個と言うフィルターを通してみる世界

時に赤いものは
時に赤黒く見える

世界には個の数と同じだけの赤色があり
そのどれも共有などできもしない

争いはなくならない

同じ赤色がない以上なくならない

フィルターの存在をなくすことも出来ない

出来ることを考える

出来ることはフィルターのついている自分を消す方法しかないと気付いた時
実行するのか
実行しないのか
それはこれまで歩んできた道のりによるらしい

死に急ぎたいわけじゃあない
生き急ぎたいわけじゃあない

ただその日を受け入れる

フィルターは外せない

時々汚れ濁る

これまでの赤がある日濁ったドドメ色になるだけ

この記事を見てみる  ⇒
2020年8月4日 20:36 CAT :

意味のない会話を続けることで意味を見出す哲学の話ではない

TikTokが日本でも規制され始めるかもしれない。と言うお話。

メディアではいつもの感じで、あんまり大々的には取り上げられていないけど、それでも、少しずつ浸透してきているのかも知れない。

TikTokジャパンの方でも、「個人情報を渡す要請に応じるつもりはない」と発表した。まぁ、これは暗に「要請はあるんだね」と言う話だったりする。そして、中国国内では、「共産党が渡せと言ったら、問答無用で渡さなければいけない」と言う法律がある。

例えば、TikTokジャパンでは渡さないけれども、中国の本社との情報を共有してた場合(と言うか、普通してるような気がするけど)、TikTokジャパンが応じなくても、筒抜けになる。

結局は、使ってる以上個人情報はダダ洩れですよね。

実際、TikTok使ってる人のケータイに中国語でワラワラ話しかけてくる電話がかかってきまくってると言う事案はすでに起きている。

チョッと前には、LINEがアップデート時に「個人情報を要請があった場合には、公の機関に渡します」にデフォルトではチェックが入っていると言う素敵仕様になってた。

このこと知らないでLINEを使ってる多くの人は、「個人情報を渡しても良いよ!」と許可を出していると言う事になる。

だから、漏れたとしても、どこかに責任を問う事は出来ないんだよね。

と言うか、スマホにアプリを入れる際に、「許可する項目」を見てたら、時々、絶対関係ない情報も取得します。って書いてる奴があったりして、その場合には、入れないようにしてたりする。

何で、ゾンビ撃ち殺すゲームで、電話帳にアクセスする許可が必要なんだよ。みたいなやつですよ。

そこまで、チェックしてる人ってどのくらいいるんだろう・・・

ただそれとは別で、今思う事もあったりする。

お前の個人情報にどれほど価値がある?と言う話。

個人情報を守ると言う観点からも、色々な利権が絡んでるような気がしてならない。そのために、個人情報を守りましょうねをうるさく言うようになって、その為に、いろんな場所にお金が流れるようになってきたんだろう。

個人情報がもっと公に駄々洩れの時代と比べて、今の方が、良くなった事なんてない。

今でも、家の電話にもケータイにも、アホみたいな「マンション買いませんか?」とかの営業や、「教材買いませんか?」の訪問販売だって来てる。

そもそも今の時代、何らかのそういうサービスを使わないで生きていくことはほぼほぼ不可能な訳で、そうなると、もう自分の個人情報がだだ漏れになっていることにも気が付くべきだと思う。

大体、ネット使ってる段階で、「どこに住んでる、誰が、いつ、どんな検索キーワードを検索したのか」は分かる訳で、googleはその情報を基に、検索システムの精度を上げてるんだよ。

自分はネットを使ってない。TikTokは使ってない。LINEは使ってないと言っても、他の人が使ってたら、そこから全部ダダ洩れなんだよ。

なので、正直な話、今回のTikTokの話も今更感が否めない。

中国共産党に個人情報抜かれたくないのに、TikTok使ってたとか馬鹿なの?って話。

TikTok使ってんだから、そりゃあそうでしょ。

韓国に個人情報ややり取り全部筒抜けになってるの知らずに、LINE使ってたのか?って話だ。

今回に話は、今話題のコロナ含めて、中国を牽制するために、トランプさんが仕掛けたやつに決まってる。チョッと前のファーウェイ締め出しと同じだ。

東西冷戦時代。アメリカとソビエトがずっと敵対関係にあった。

今はそれが、中国とアメリカになったと言う事ですよね。

日本は、中国ではなく、アメリカ側につくから、足並みを揃えるために、TikTokを問題視し始めただけ。

なので、この話自体を深刻にとらえる必要はないと思う。

ただ、個人情報抜かれたくないなら、まぢで、コミュニケーション系のアプリは使うの止めた方が良い。

無料で使えるって事は、裏があるって事なんだ。

この記事を見てみる  ⇒
2020年8月3日 22:37 CAT :

DEAD END KIDS

夏なので、怖い話とか色々みたいよなぁ~とか、悶々としております。

この4月くらいからしばらく、何かわかんないけど、怖い話のゆっくりばっかりYOUTUBEで見倒してた。ホント、100や200ではきかない位見たと思う。

都市伝説から、ホラーやオカルト、異世界ものなどなど。。。ホントに種々雑多に見てきた。まさに雑食な感じ。

特に好きなのは「ヤマノケ」の話。なんでなんだろう。この「ヤマノケ」の話には、物凄く興味を惹かれる。

あと、あれですな。異世界ものは、なんか自分のマンガの世界観そっくりなものが多い。

その世界観そのものが、パラレルワールド、異世界ありき。と言うか、多元宇宙論とかを基にしてるもんだから、まぁ、しゃあないと言えばしゃあない。

特に、今後出てくる「アリス」と「テレス」の宇宙の話なんて、もろそうだもんな。

それはそれ。

何と言うか、聴いてたら何となく「これ作り話じゃね?」ってやつと「これは本当なんじゃね?」ってやつが分かってくる。

前者は、基本的に起承転結がはっきりしていて、原因と言うか怖い部分の原因がはっきり明示されてる場合が多い。何より事情に詳しいお寺か神社が出てきたり、そうじゃない場合にも、なぜかスゴイ霊能力者が身内にいる場合が多い。

後者は、ホントに行き当たりばったりで良く分からないし、結末もすっきりしない。そして、事情に詳しい神社とかお寺も出てこないので、モヤモヤしたまま終わる。

オレが学生時代行った事があって、実際に、めっちゃ怖い思いをした県内の有名な心霊スポットの話とかは、「これ本当だろうな。オレも同じような経験したし」と思うヤツもあった。

で、色々見た結果、思ったことは、後者の方が何となく良く分からない不気味さはあるんだけど、面白いのは、前者だと言う事。

ここに来て思うんだよ。

別に嘘でも、作り話でもいいじゃん。

面白ければ。

そこにリアリティがあれば尚良しってだけで、真実以外が全てダメな訳じゃあないと思うんだ。

よく言われる「プロレス」のブック論争。

プロレスには、筋書きがあって、勝敗含めたストーリーが決まっている。だから、プロレスはダメだと。

プロレス大好き人間から言えば、それは、本当にどうでもいい話なんだよ。だって、筋書きがあったとしても、エメラルドフロージョンはメッチャカッコいいし、メッチャ痛そうなんだもん。

お前、エプロンサイドからの投げっぱなしタイガースープレックスを、筋書きにあるからくだらないと言うのか?

そこから血を吐きながら立ち上がる小橋建太を見て、感動しないのか!?

と言う話ですよ。

オレは、プロレス見て声がかれるまで声援を送るし、ドラマや映画、漫画を読んで涙を流す人間だ。

だから、作り話だろうと何だろうと、怖い話を聞くと、夜中トイレに一人で行くのが怖くてしょうがない。

ちなみにオレは良くプロレスと比較されるK-1やプライドみたいな格闘技系には1ミクロンも興味なかったよ。だって、見てて痛々しいだけで面白くなかったんだもん。

暑い夜には、ヘッドホンで大音量で、怖い話を見たり聞いたりしていきましょう。

有名な見たら死ぬ絵シリーズです。

見て、死んだ人が居たらごめんなさい。

この記事を見てみる  ⇒
2020年8月2日 23:56 CAT :

あっちゅうまやねん。人生

とある知り合いが、オレの事を「メッチャうまくいって、稼ぎまくってる」とかなんか、人に吹聴しているらしい。

ホント勘弁してください。

カツカツの生活だっつ~の。お前にオレの何が分かる。

そりゃあ、こんなオレに仕事をくれている皆様方には、ホント感謝してもしきれないし、今の現状については、もうオレのこれまでの人生鑑みるに、及第点どころか100点満点だと思ってる。これ以上の状態など望むべくではない。と言うか、出来過ぎだ。

でも、だからって、毎日知らない人にお金配り歩けるわけない。

それこそ、AV1本買うのも「どうする?まぢでいくか?やっぱりやめとくか?」と1日くらい悶々と考える感じの生活レベルです。スマホゲーの課金に至っては100円ですら躊躇している生活レベルです。

ただまぁ、「美味しんぼ」的に言えば「とんかつを好きな時に家族で食べに行ける」レベルだと言うだけだと思う。

さてさて。

そんな生活をしているんだけど、従来の遊び性だけはどうしようもなくて、そんなお仕事もらえてる状態だとしても、その仕事を投げ捨てて遊びに行こうしてしまう。と言うか、実際にバックレて遊び惚けたりもしてる。

そんなんじゃダメだ!一生懸命仕事に向き合え!逃げちゃだめだ!逃げちゃだめだ!

と自分に言い聞かせつつ、追い込むために、貧困ドキュメンタリーを見ると言う、何とも人として最低な方法をとっていたりする。

要するに、いかに自分が恵まれているか。気を抜けばこうなるぞ!と自分を戒めるために、貧困ドキュメンタリーを利用しているわけであります。

これを個人的には「士農工商政策」と呼んでいる。(最近、「士農工商」ってのも、明治政府の捏造の可能性が高くなってきてるけども)

いやね。そういう貧困系のドキュメンタリーって、作ってる側は置いておいて、見てる側で、本気で社会問題として真剣に見てる人の方が少数派だと思うんだよ。大多数は、オレと同じような「うわ~可哀そう。オレ、いまの状態でまだいい方じゃねえか」と思うために見てると思う。それが、例えマスメディアによる洗脳行為の一環だとしても。(その辺は、話がずれるのでまた、いずれの機会にでも…)

トネガワ先生の言っていたやつですよ。「セーフティーと言う愉悦」ですよ。

いや違うか。

でも、それによって自分を戒めると言う方法自体は、帝愛方式なので、ゆくゆくは兵頭会長になれると信じております。

そんな最近見た貧困系のドキュメンタリーで、ふと思った。

大体のものは見てて、胸が締め付けられるような感じになる。サイコパスじゃないんだ。オレはサイコパスじゃないんだ。

地方の貧困。大学進学、勉強して都会に出たかったのに、親が倒れたために高卒で働かなくてはいけなくなって、資格も経験もなく、且つ過疎の進む地方のために、超低賃金の仕事しか見つからなかった女性。でも、自分の親だから、見捨てる訳にもいかず、ちょっとでも収入を上げるために、仕事から帰ってきてから、くたくたの体に鞭打って資格を取り、時給が10円上がって喜んでた。なんて優しい女の子だ。

シングルマザーの貧困。実家にも頼れず、離婚して1人で子ども2人を育てている女性。子どもの事で良く休まれそうと言う理由で、なかなか職場が見つからず、見つかっても低賃金の仕事ばかり。その仕事だけでは生活できないので、仕事が終って家に帰ってから、子どもとの時間を過ごして、子供を寝かしつけた後、深夜のバイトにも出ているとか。それでも、自分の子どもにはちゃんと教育をしてあげたいと、自分の贅沢はしないで睡眠時間3時間でずっと貯金をし続けている。何て素晴らしいお母さんだ。そして、そんなお母さんを見て「貧乏でも良いから、もう少しお母さん休んで欲しい」と言う優しい子ども。こんな家族と離婚した糞旦那死んでしまえ。

などなど・・・何と言うんだろう。これ、オレだったらどうしただろう。と考えつつ、色々見ておりました。

けど、その中で一つ。

闇金に手を出したために日々の生活すらままならなくなったおっさんの話。

そのおっさんは、明日必要なお金がなくて、給料日もだいぶ先だから、借金を申し込んだけど、どこも審査が通らずに、仕方なく闇金に手を出した。「十日後に5割乗せで返済」と言うウシジマくん的な金利でお金を借りたけど、給料日も先なので、返せる宛てもなく、地獄が始まった。と。

いや、ちょっと待て!今の話、おかしくね?

なぜ、少なくとも10日以内にお金が入る見込みもないのに、トゴの借金をした。しかも、そのお金は、学資保険の支払いだったとか。そっち、チョッと待ってもらったほうが良かったのでは・・・

そのおっさんは、その為に極度の貧困に陥ってしまい、会社から交通費として支給される5000円を家計に入れて、少しでも収入を増やすため、毎日自転車で3時間の道のりを自転車通勤している。と。

いや、ちょっと待て!毎日6時間チャリで仕事場に通ってるとして、それで25日分なら、その5000円のために150時間くらいだよね。それ時給換算したら33円なんですが・・・だったら、普通に通勤して、空いた時間で(↑)のお母さんみたいに、深夜バイトとかした方が圧倒的に効率いいのでは・・・そもそも、交通費貰ってて、使わないのは良いの?そればれたら、もらえなくなるのでは・・・

そのおっさんは、自転車を買うお金もないため、捨てられた自転車を使っている。ペダル部分のプラスチックは壊れているけど、それを直す100円すら惜しんでいる。そのために、1足しかない靴は穴が空いてしまった。と。

いや、ちょっと待て!その100円を惜しんだために、靴がぼろぼろになって、買い替えるお金はどの位だ?どう考えても、新しい靴100円じゃ買えないだろう。あれか?100均のスポンジのサンダルみたいなので凌いでいくつもりか?

そのおっさんは、借金を申し込んでしばらくした時に、3人目の子どもが生まれました。と。

いや、ちょっと待て!2人の子どもの学資保険が払えなくて、闇金に手を出してながら、中出ししてんじゃねえよ。それで、3人目の子どもが生まれた為に、生活はさらに苦しくなりました。じゃねえよ。ビッグダディか!

などなど、それはそれは悲惨な貧困生活のように編集してたけど、至る所に「相席食堂」せずにはいられない箇所がモリモリあった。

他にも、奥さんが糖尿病らしいけど、その薬も病院代も捻出できてないと話してる時、机の上に完全にビールらしい缶とおつまみが置いてあったりとかね。

ついでに言うと、もう一つ「アメリカ貧困の実態」と言うやつも、大概突っ込みどころ満載だったです。

本当にどうしようもない状況になってしまい、貧困にあえいでいる人もたくさんいると思う。

でも、中には、なるべくしてなった人も居るのか・・・と思った今日この頃。

まぁそんなこんなでオレは、自分の現状にとっても感謝しつつ、今日を今日とて頑張っていきます。はい。

この記事を見てみる  ⇒
2020年8月1日 23:24 CAT :

こねくり回してヨガファイヤー

この歳になって、人生で初めて、ちゃんとお金を出してAVを買った。

と言うと、とっても語弊があるような気がする。

例えば、レンタルしてきたり、中古ショップで買ったり、色んな人から貰ったりとか、あとあんまりここで大っぴらに書けない方法とか、色んな形でいくつか所持はしてた。

それはそれとして、製品を正規の値段で買うと言う意味で、ちゃんとしてお金を出して買った。と言う事。

何と言うか、結構前からいくつか達観した感はあったんだよ。

結局なんだかんだ言っても、おっぱいとまんこでしょ。みたいな話。

こんなオレだけど、結婚してたりする訳で、しかも、嫁について言うのであれば、結婚したくて婚活パーティー頑張って、「まぁ、この人ならいいか」と思って結婚した。とか、そんな話では全然なくて、まぢでもうオレの人生において、コイツしか考えられねえよと言う理由で結婚した。

そんな嫁がいつも横にいるのに、何で知らねえ男と女がやってるの見ながらオナニーせにゃあならんのだ。って話だ。そんな童貞の中学生でもないのに・・・いや、中学生の頃は、ホントどんなものでも抜くこと出来てたか・・・まぁ、いいや。

そんな感じなので、見てたAVってのは、基本的に、「これリアルな世界で、嫁にやる訳にはいかねえよな」と言う内容のもので、且つ、オレがめっちゃ好きなものに限定されていたんだよね。

SMとかでも、かなりハードな奴とか。

もう、いかに女を凌辱するか。しかも、取り返しのつかないレベルで。と言う、「これならまぁ、お金出してみる価値がある」と思うやつに限ってた。

実際、結構なもの色々見てきた。

でも、そのどれもが新品を正規の金額出して買って、所有しておきたいと思わせるものとはチョッと違ってたんだよな。

そして、先日、遂にと言うか、「あああああああああああああああああああああああああ!!オレが最高に求めていたのはこういう事だったのか!!!!!」と思うものに出会えたんだよ。

正に運命の出会い。

普通にセックスとかそんなんじゃなくて、凌辱してるような奴でもない。全く違う方面で、意識して見ようと思ったこともなかったそのジャンル。

AVなんて、抜きどころ以外はスキップじゃ。と思ってたオレが、オナニーのために1時間とか2時間スキップなしで見続けることができたジャンル。

いや。そうなんですよ。ぶっちゃけて言っちゃえば、普通にセックスしてるシラン男と女を見ながらオナニーするくらいなら、嫁を抱くわ。と言う話だったんですよ。

だから、そっち方面から攻めている限り、絶対に出会えなかったんだよ。

どんなものでも取り合えず見てみようと思う無駄に強い性欲と好奇心がなければ、絶対に出会えなかっただろうと思う。

まぁ、今日のところはそんな感じでございます。

人生には、まだまだ出会えていない理想の何かがたくさん存在している。

人生はまだまだ捨てたものではない。

この歳になっても、まだそんな事を実感できる毎日は、多分幸せなんだろう。

ただ、自分で言うのもなんだけど、この変態な感じは一生治らない気がする。

この記事を見てみる  ⇒
2020年7月31日 22:07 CAT :

遊星屠殺ワンダー

久々に、過去に書いた小説を見直して、加筆修正しております。

アルバム「影の上のボーニョ」収録のうんこナンバー「遊星屠殺ワンダー」って言う曲を小説に書き下ろした奴でございます。

この話自体が、「女が凌辱される」「UFO」と言う大好きな2つのネタを融合させた自信作。

なので、小説化する際に、歌詞として書いたものから色々変更させて、結局ほぼ別物になっている。(そもそも、「影の上のボーニョ」が、最初で最後の恋愛アルバムと言うコンセプトだったと言う事も結構影響してるんだけども・・・)

まぁ、それはそれとして、文章読んでて、加筆修正してると物凄く文章書くの下手になってることに、愕然としたんだよ。

一応、学生時代から色々物書きの真似事してきて、文章自体はそこそこ書けてる風な評価を貰ってたはずなのに。ずっと努力してきてたマンガの画力とは違ってたはずなのに。

ここ最近、書いた文章については、なんだか全然しっくりこない。

考えてみれば、そもそも、文章書くことが激減した上に、忙しいとか色々理由付けて、本も読まなくなったんだよね。

その結果がこの体たらくなのだとしたら、それはそれは情けない話。

文章力を向上させたい。そのためには、文章書く機会を増やす必要がある。そのためには、ブログを再開させよう。

そんな流れで、今回、またブログ書くようになったわけでございます。

なんか、前回の時も同じようなこと書いてたような気がするけども。

要するに、ブログをまた書き始めるタイミングは、大体、文章能力の著しい低下を実感した時だと言う事ですな。

ついでに言うと、漫画描くのも下手になってきてる気がする。

画力については、先日の記事でも触れたように、まだ多少は向上してるっぽいんだけど、なんかマンガ描くの本当に下手になったよな。

色々な面で劣化が激しい今日この頃。

カプローニ伯爵の言う最もクリエイティブな10年の真っただ中にいる。

でも、オレの最もクリエイティブな10年は多分もう終わってるような気がするな。

あとは、過去の遺産をいじりつつもがくだけの人生なのだろうかね。

そうならないように、ブログ書いて、小説書いて、漫画描いて、ギター弾いていきます。はい。

今のところは、「始まりは終末」が、これまでのどれをも圧倒するようなお話になるように。それを目標に…

遊星屠殺ワンダー用に書き下ろしたイラスト。

そもそも裸だったり、足捥がれてたり、もっとやばい感じだったんだけど、新都社さんのトップに載せたいなと思ったので、自主規制を色々入れてしまった。

この記事を見てみる  ⇒
2020年7月30日 22:08 CAT :

傷だらけの真心

新型コロナウィルス。

2020年は完全にこのウィルスさんに全てを持っていかれた感がある。

このウィルスについては、終息してしまう事はないんだろうね。

もし終息したとしても、その後の世界の価値観はなんか色々ガラッと変わってしまうような気もする。

大きなパラダイムシフトがこんな形で起こるとは、思いもしなかった。

それでも、毎日は続いていく。

今日も、明日も生きていかなければいけない。

そうなると、何が必要なのか。と言う事を改めて色々考えてしまう。

今年一年の日本での自殺者の数は昨年より20%ほど減っているらしい。

コロナによって、何でも自粛になった。イベントごとや集まり事も中止になり、会社行かずに、家で仕事をするようにもなった。

その結果、追い詰められて自分から命を絶つ人が20%も減っている。もちろん、コロナによって、追い詰められた人だったたくさんいると思う。

でもだ。それでもだ。

コロナウィルスが、日々の生活の中で、本当に必要な事は何なのかを改めて見直すことを強制した結果、不要な事で追い詰められていた人が、自殺をとどまったのだとすれば、それはそれでとっても複雑な話ではある。

だからこの話は、どちらかと言えばタブーになるみたい。

連日テレビでは、取り合えずショッキングな数字を取り上げている。感染者数が何人を超えたと。過去最高だと。でも、検査数も過去最高なのはほとんど報道されない。

検査数における感染者率とか、重症化率とか、死亡率とか、そういう本当に気になる数字はあんまり教えてくれない。

多分、その数字はそこまでショッキングじゃないんだと思う。

上記の自殺者が減っているって言う話も、ショッキングじゃないんだと思う。

情報化社会と言うのは、自分で情報を取捨択一できる社会になったと言う事な訳で、この時代になってもまだ、食いつきやすい数字だけを取り上げるマスコミを鵜呑みにしてしまうのは危険な事だと思う。

同時に、ソースの曖昧な情報に踊らされることも危険だと思う。

問題なのは、そんな危険な奴ほど声がでかくて、無駄に行動力があって、思想を押し付けようとすることなんだろうね。

会社に行かなくてよくなり、アホな上司と離れられてストレスを抱えずに済み、家族と一緒に過ごす時間が増えた。その結果、多少収入が少なくなったとしても、自分の命を絶つ人は減った。としたら、その話はその話でしっかり伝えて欲しいもんだよね。

子どもの行事関係も軒並み中止になって、それに合わせてPTAとかの活動や話し合いも激減した。

そっち方面でも、無駄に集まる事はなくなって、ストレスなくなったし、少なくともオレの子どもたちはそれでしょんぼりしてる様子はないんだよね。

如何に無駄な慣習が多かった事か。

そして、その慣習がいかに、一部の人間の都合だけで、たくさんの人に押し付けられていたか。

アフターコロナの時代、本当に無駄なことがなくなって住みやすい社会になるといいな。と思いつつ、チョッととある電通の記事を目にして、「まぁ無理だろうな」と思った次第でございます。

マスクはもうどこでも買えるようになったな。

まだ、以前より少し高いけど…

この記事を見てみる  ⇒
2020年7月29日 20:26 CAT :

隅から隅まで全部頂戴

このブログを常時SSL化した。

この作業自体は、仕事でもよくやるし、むしろあれだけ人のサイトをSSL化しておいて、自分のブログはまだ非対応と言うのもいかがなもんだったのか…

いや、そんな話し始めたら、まず自分の事務所のサイトを作れって言う話になるんだけれども…

何しか、「はいはい。SSL化できましたよぉ~」って思って、しばらくして、アクセスしてみたら、サーバーが安全な接続じゃないよエラー。

何でだ?何がダメだったんだ?

色々調べてみたけど分からん。

データベースまで色々いじったり、htaccessに追記してみたりしたけど、一向に直らない。

少し時間をおこうと、大きく息を吸い込んで、休憩。

しばらくしてから、サーバーの設定を確認してみたら、ブログのドメインと違うドメインをSSL化してたと言うオチですよ。

そりゃ、絶対安全な接続は出来んわな。ぷんすかぷんすか。

さてさて。

7月末でひっそりと、「Gの世界」連載1周年を迎えた。

こんな、ほとんど誰からも見向きもされてない、糞不人気な漫画をよく毎週毎週書くよな。と、多分、この漫画の存在を知っているほとんどの人が思ってる。そして、ほとんどの人がまず、この漫画の存在すら知らないと思う。

でも、アップするたびに、200人くらい読んでくれる人がいるんだ。

これを多いか少ないかで判断するなら、めっちゃ多いと思う。

そりゃあ、世の中オレなんて、漫画描く人としては、最底辺の人から「あいつが居るから、まだ自分がましだと思える」と蔑まれるレベルだろう。

でもな、オレはマンガを描き始めてた頃、親にすごい勢いで「やめとけ」と言われ、こっそり描いてたやつを学校とかでクラスメートに見つかっては嘲笑された。

その後は、誰にも見せずにただ一人黙々と、誰に読ませるわけでもなく、「オレメッチャ面白いマンガ描いてるわ~」と自分で自分を褒めちぎるクリエイティブなオナニーを30年程続けてきたんだ。

そんな今、100人とか200人と言う人に、見られながら(それがチラ見だろうとガン見だろうと)、ほぼ公共の場で全力でオナニーしてるんだ。気持ち良くないわけが無いじゃないか。

一人でも見てくれる人がいるのであれば、それは、オレの30年ほど描いてきた時間の中で最も充実した時間なんだよ。

と言う、まぁ、言ってみればそんな、過去最高レベルの射精感をもって、1年描き続けてきた。

お仕事の傍ら、1ページにかける時間は20分以内(最近は30分くらいに伸びたけど)で、1日2ページ。1週間に13ページくらい。コツコツコツコツコツと…

ちりも積もれば何とやらで、気が付けば、1年。50話だ。ページ数にすれば、700ページに近いくらいになってた。

しかも、妹とか弟に多少は読ませていた「ランナ」や「アス」じゃなくて、多分嫁にチョッと見せたかな?くらいの、ガチガチに誰にも見せた事なかった「G」を描き続けている。

多分、世界中でオレにしか分かって貰えないだろうけど、これが何よりも感慨深い。

今回は、せっかくなので、今日描いた一番新しい1ページと、1年前に書いた第1話の割とマシなページを並べてみる。

これが1年前に描いた1話の7ページ目?

こっちが今日描いた51話の7ページ目。

なんかこの1年はほぼ前のやつを振り返らなかったので、あんまり思わなかったけど、こんなオレでも、未だにまだ多少はうまくなってる気がする。

そりゃあ、普通に見たら、「ほぼ一緒じゃねえか」と言われる程度の微々たる変化かも知れないけど、オレにはすごい進化だと思う。

こんな感じで、自分で「オレ絵うまくなったな!」とか、読み返して「オレの描く漫画面白れぇ~」とか、自画自賛して気持ちよくなってたんですよ。

これをモチベーションに、これまで30年ほど1人でやってきたわけですよ。

今回のこの公開オナニーをモチベーションに、あと1年・・・あれば、多分「G」は描き切れると思うので、頑張ろう。

その後には、「FE」をリメイクした「始まりは終末」を描くんだ。こっちは、今、プロットから作り直してる所。

考えてみれば、最後にプロット作ったのが、20歳の頃の「やみ。世界」だから、10何年振りに新作(リメイクだけど)のプロットを考えてる。

久々なので、こっちはこっちでワクワクしながら毎日妄想しております。

まぁ、結末については、「was born」の最後と同じになるのは決まってるので、そういう意味では、こういう形でのプロット作り自体は初めてかも知れない。

いくつになっても、楽しい事はあるもんですな。

この記事を見てみる  ⇒
2020年7月28日 21:20 CAT :

オナニー新世界に入り浸るのです

お久しぶりです。

色んな事があったりなかったりやっぱりあったりな日々を過ごしております。

漫画描き倒したり、ギター弾き倒したり、その割に全然レコーディングは出来なかったり、コロナで外出できなかったり、お仕事色々したり、ゲームソフト買いまくったり、面倒くさいことに巻き込まれたり、新しいオナニーにはまり倒したり、じいちゃんの遺品を色々引き取ったり、漫画買いまくって読んだり…あと何した?よく覚えてねえや。

取り合えず、もう7月だって。

至る事だ中止になった2020年。

そのせいなのかもしれないけど、中身の空っぽな1年になってるような気がしてならない。

オレにとっては、それでも良いかも知れないけれども、子ども達にとってはそれでも大切な1年には違いない訳で、このままで良いはずはないと思ってる。

取り合えず、コロナはコロナとして、夏休みどこかに旅行に行こうと思ってたりする。

外出しなかったからな。

そのくらいはいいだろう。岩手には行かないので。

そんな感じで、また飽きるまで、ちょこちょこブログ書いていこうかなぁ。と。

やっぱりね。文章書くの好きなんだよ。才能があるかとか、センスがあるかと言う話とは別で、何かしらの文章を残していきたい。

アウトプットについては、マンガを描き倒しておりますので、それはそれでたっぷりしているので、そっち方面のアウトプット以外の事をね。

久々にブログ立ち上げたら、プラグインの更新と言うか、WP本体の更新もあったりしたので、色々メンテナンスしつつ、今更ながらブログを常時SSL化もした。

そんなこんなで明日から、しばらくは毎日更新したいもんだなぁ~

この記事を見てみる  ⇒
2020年3月7日 11:12 CAT :

ティッシュ品薄への対抗策がオナ禁しか思いつかない生活

前回のブログで書いた内容が、一瞬のうちに本当の事になってしまって、どうしたもんかと思っている日々でございます。

タイトルよろしく、オナニー止めておこう。とか、セックス止めておこう。とか。そんな事ばっかり考えてたりする。

あの辺って、やたらティッシュ消費するんだよね。あの液拭いたり、あそこ拭いたりで。

まぁ、一番品薄なのはトイレットペーパーなので、うんこ我慢する方が良いのかも知れないけど、それは結構難しいしな。

さてさて。

夜中になると、なんか知らんけど、変な方向にムラムラすることがある。

なんか、エロい絵を描きたいというそんな衝動。

で、いざ描こうとすると、困った事に、途中でなんか萎える。

乳首とかまんことか描いてると、ふと我に返ってしまって「オレは何を描いてるんだ?」ってなる。

特にひどいのが、陰毛描いてるとき。

エロい絵とかは、人が描いたの見るのが一番だと言う事ですよ。

あんな絵を描いてる人は、どんなテンションで描いてるんだろうね。

オレは少なくとも、ムラムラした気分では描けないんだよな。

大好きなエロ漫画家の伊駒一平先生は、確か「おっさん描いてる時が一番楽しい」みたいなことを言ってた。と言う事は、結構冷静にマンガ描いてたんだろうか。

まぁいいや。

そんな話なんだけど、今回は最後まで描き切るぞ。と言う事で、描いてみた。

そうなんだよ。顔描かずに、乳首とかまんこを晒さない絵を描けば良いんだよ。

中学生のガキじゃないんだから、モノが見えてなきゃ興奮しないわけじゃないんだよ。大体何があるかなんか、実物めっちゃ見たおっさんなんだよ。こっちは。

こうすれば、描いてるときに我に返ることなく、頭の中で色々妄想してるムラムラエロテンションで最後まで描けることが分かった。

まぁ、あとは深夜だってことも重要なファクターだね。

朝になってから見ると、うむむむってなる。今、そう思ってる。

朝になって、冷静になった時に、なぜかブログでその話をしようと思った次第でございます。

このイラストせっかくなので、今描いてる「G」の本編のどこかで使いまわそうと画策してる。

多分、37話くらいで。

この縛られてる女はいったい誰なのか!!答えは、「Gの世界 37話 決定権」で明らかに!

乞うご期待。

してる人は多分いないと思う。

取り合えず、結構描きため出来たので、また来週月曜日からは、続き更新していこう。

そんな感じで、スマッシュでさよなら。

この記事を見てみる  ⇒
2020年2月28日 3:11 CAT :

洗面器いっぱいに溜まった悪夢のようなあたしの命の中に切り落とされた乳首が浮かぶ

凄い面白いマンガのネタを思いついた。

ここ最近、「G」を毎週1話描き続けてる関係で、頭の中が創作する感じになってる気がする。

お仕事しながら、毎週1話、ちゃんと原稿を描いてるんだから、結構すごい事じゃあないのか。と思ってたりする。

誰も褒めてくれない。誰も認めてくれない。でも、自分でだけはちゃんと褒めてあげて、認めてあげる。幼少期からそれだけをアイデンティティにして生きてきました。

承認欲求と言う言葉も最近は良く聞くようになったけれども、オレの場合、人に認めてもらえないまま大人になってしまったので、その部分はあんまりないような気がしないでもない。

さてさて。

と言う事で、お久しぶりです。

何となく、生存報告含めて、ブログでも書いてみようかと思った次第でございます。

漫画を描くって形で、アウトプットを続けてたので、ブログ書いてやろうという欲求が全く出てこないまま、気が付けば、もう2ヶ月くらい過ぎてたらしい。

相変わらず、どんどん時間が経つのは早いな。

ここ最近、お仕事でも色々思う所はあったんだけども、それとは別で、色々スゴイ事になってる。

家に引きこもって、お仕事とお絵描きばっかりのオレの耳にも否が応でも入ってくるんだから、もうこれはどうしようもないという話だ。

コロナウィルス・・・何だろう。驚異のレベルでは、何となくエボラ出血熱の時の方が恐怖感があったような気がしないでもないんだけれども。

アメリカではインフルエンザでバタバタ人が死んでたと思ってたら、そのうち結構な数が新型コロナウィルスだったとか・・・まぁ、あの国では金持ち以外は病院行くことも難しいとか言う事もあるのかも知れないけれども・・・

実は、結構やばいウィルスなのか?

「AKIRA」の予言通り東京オリンピックは中止になるのか?

イルミナティカードの予言通り、日本は崩壊するのか?

ジョージア・ガイドストーンに書かれている通り人類は5億人まで減ってしまうのか?

陰謀論的に言えば、今回のウィルスは、人間選別のために人為的に作られたモノ立ったりするのだろうね。

ただ、それとは別で今回ムカついてるのは、転売野郎だよな。

前置きが長くなったけど、今回はその話をチョットだけ・・・

いやね。オレは転売自体、別に良いと思うんだ。価格釣りあげてるのも、やりすぎ感満載だからお前ら絶対地獄行きだ!と思うけれども、その価格でも買うって言うやつがいるんだから、まぁしょうがないよな。

すっごい薄められているけど、経済社会って大体そんなもんだ。

それでもムカついてしょうがないのは、転売野郎のやってることが、オレにとってマイナスでしかないという点なんだよ。

フォーイグザンポー。

マスクが全く手に入らない地域に、転売野郎が各地で買い占めてきたマスクを定価の10倍の価格で売りに来たとしたら、オレは全然ムカつかない。

むしろ、感謝さえするだろうて。転売屋さんがいてくれて良かったとさえ思う。

それはもう商売として、確実に成立してると思う。

と言うか、商売ってそういうもんだよ。仕入れてきたものを、皆さんにお届けして、その代わりに手数料を取ってるだけなんだ。人のためになる事をやって、その代わりにお金をもらう。それは当たり前の事。むしろ、それで、「値段釣りあげてんじゃねえ!!」って非難する奴が居たら、そんな奴オレが殴ってやる。

問題なのはあの糞ども、その逆をやってるって事なんだよ。だからムカつくんだよ。

誰でも買えるものをわざわざ買えないところに持っていって、陰でこっそり一部の人間にだけメッチャ手数料を吹っ掛けて売りつけている。これはいったい誰がプラスになるんだ?

多分、転売野郎以外全てにとってマイナスでしかない。だから、糞野郎なんだよ。今すぐ死ねばいいんだよ。

究極的な話ドラッグストアの前で、「今その店で売ってたマスク買い占めましたぜ!」って言いながら店頭で10倍の価格で売ってるとかでも、むしろ、「おお!!お陰でオレが買えたよありがとう!!」ってなるわ。

せめて、普通に商売としてやって欲しい・・・あいつらは自分が儲ければいい以外、本当に何も考えてないから、何を言っても無駄なんだろうけども。

認識するべきなのは、普通に経済活動とは逆の事をやっている以上は、何を言おうとも社会にとってマイナスでしかない存在であって、そういう存在の事を「反社会勢力」と言うんだ。と言う事。

法律的に問題がない?

問題があると自覚してるからから、買い占めた後堂々と売らないで、こっそり陰で横流しみたいな売り方してるんじゃないのでしょうかね。そうじゃないなら、買い占めたその場で売りつけてみろ。

マスクはまぁ、別にいいよ。なくても生きていけるから。

気になるのは、今回の事に味を占めたアホどもが、ティッシュとか、お米とかそんな生活に必要なものまで買い占め転売し始めないかって事。

社会にとってマイナスな存在は、自分もその社会の中で生活している以上、自分にとってもいつかマイナスになるって事くらいわかる頭をもっていてくれることを切に願うばかり。

チケットとか、スイッチとか、マスクとかその辺で止める良心をもってたらいいんだけど、そうだったら、そもそも、やらないよな。

コロナウィルス以上にこっちの方が怖い日々を過ごしております。

この記事を見てみる  ⇒
2020年1月6日 18:25 CAT :

明けましておめでとうございます~サムネで釣られろエロ男2020

明けましておめでとうございます。

何しか、昨年、毎日更新してやるぜ!!ヘイヘイ!!と調子に乗ってたのに、途中から、全く更新しないまま、年を超えてしまった。

理由としては、色々あるんだけど、一番は「G」の原稿化を始めたことだと思う。

何しか、7月に「us」を完結させてから、ほぼ毎週1話更新をずっと続けることができた。

「ランナ」の方も、最初の方は月に1話程度書いてたんだけど、こっちは、途中で力尽きてしまった。

どうも、お仕事のペースを落とさずに書き続けるなら、月産50ページ程度が限界らしい。自分の限界を知ることも大切なんだと思う。

と言う事で、今年もよろしくお願いします。

で、終わろうかとも思ったんだけど、せっかくなので、少しばかり今年の抱負でも…

 

 

【何をおいても、お仕事頑張ります】

そろそろ法人化しようかなとか、そんな事も考えていたんだけど、それよりも、現状のままで事業を継続維持していく方向にした。

現状のままになるか、規模を拡大するかはまだ決定してないんだけど、多分、現状維持の少し斜め上くらいを目指していきたい。

昔、誰かが言ってた。年成長102%が永続的な事業継続に最も適していると言う言葉を信じて、頑張ります。

目指せ、売り上げ昨年対比102%!

 

 

【NEWアルバム「不良債権」を完成させる】

「ヤンディール制作(所)」のNEWアルバム「不良債権」。

なんか、去年の夏くらいには完成するかなぁ。と思ってたんだけど、年越してしまったので、もう無理しないで、今年中に完成位気長に進めていきます。

曲が出揃ったのは、去年のスキッツォイドマンのワンマンライブのあとだったので、まだ、曲作り始めてから1年経ってない。

そう考えると、そんな生き急がなくても良いように思っておる次第であります。

前作「公共事業」では、ほとんど制作に関与してなかったような気がする。1曲だけ昔描いた曲を引っ張ってきたのと、多少歌詞書いたりしたけど、基本的にはもらったデモ音源を基にギターパートとネタを考えて、後は、その場でのらりくらりとしてた感じ。

に対して、今回は半分作詞作曲したので、前よりはかなり色々製作してると思う。

特に、久々に10分越えの大作「ゴキブリ男の人生」と言う自信作も出来上がったので、この曲だけでも、ぜひ聞いていただきたいです。

 

 

【マンガをいっぱい描く】

「G」の元ネタは77話で完結してるんだけど、それはそれとして、現状ですでに元ネタより話数を重ねているので、多分、完結は90話~100話くらいになると思う。

今年一年休まず順当に描き続けても、完結までは難しいんだよな。

と言う事で、完結に向かって順調に描き続ける事を目標にしたいです。多分、年末には「ソーパズ」と「デジャ」のくだり位まで描けていると信じております。

あともう一つ「ランナ」の原稿化、「風を切る日々」の方も、今年こそは月に1話は描き続けたい…出来れば、月に1話なので、1話20ページくらいで。

実際に、正月休み中に、次の1話のネームはちゃんと20ページで完成したし。

いよいよ第3部一番の山場「コロッサ編」だし、内容的には描きたいシーンてんこ盛りなので、ネーム作るテンションはかなり高いんだけどな。

月産70ページか…

お仕事に支障をきたさない程度に、これを進めるために、何とか方法を考えたいもんだ。

 

 

と、ここまでは、ほぼ毎年同じような感じで目標にしつつ、他に、その年ならではの目標とか立てたりするんだけども、今年はあえて、これ以上何もしないで、とにかく、この3つを達成できるようにします。

なんしかね、楽しい事ばっかりの1年にしたいもんだ。

いっぱいマンガ描いて、アルバム作って、お仕事も頑張る。

そんな2020年になる予定なので、今年も何卒よろしくお願いします。

もう一回。

この記事を見てみる  ⇒