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2021年12月18日 4:26 CAT :

鬼が笑う来年の話もチョッとだけある「おっぱい」ぶりんぶりんオナニー話2021

前回の話書いてから、また随分とご無沙汰してしまった。

正直、ブログと描いてる場合じゃねえよ。な感じも満載な日々をお送りしてるんだけれども、不意に深夜、急激にムラムラしてきたので、チョッとだけ「言葉」と言う名の精液でもぶち巻くオナニーがやりたくなってしまった次第でございます。

その前に、漫画を描きたくてうずうずしてるし、年内には「G」を完結させるんだよ。

あと「極ニュースチョクホー」も年内に100本目までは書こうと思ってる。

やるよ。

それはやるって決めてるんだけど、ま~~~~~~~~~ったく着手出来ていない現状。

簡単にだけ、ここ最近のお仕事の話とか心持ちの話とかを書き綴っておこう。

一応、今年の春に事業を法人化した。晴れて、志茂田社長になった訳なんだけど、とは言え、副社長の嫁と二人でのほほんとやってる感じで、まぁ、言ってみれば基本的な事は何にも変わらないでやってたんだ。

ただ、そんな事も言ってられなかった。

世の中の流れは、オレの想定の500億倍くらいの速さで流れていく。

こんなクソ田舎で細々とお仕事やってるオレなんかに、お仕事を回してくれる、本当にくっそありがたい皆々様がいっぱい居る。

これについてはただただ感謝しかない。ありがとうございます。と、その心だけは忘れないで、誠心誠意お仕事には取り組んでるつもり。

反面、オレ一人の力で出来る所の限界も近づいてきていた。

実際、今年は盆明けくらいからほぼほぼ休日なしで、力尽きたら寝る。起きたらまた仕事をする。土日は、チョッとだけ夜まとまって寝られる日。と言う、生きてるんだか死んでるんだかよく分からない「まつりちゃんサイクル」でやってきた。

それでも、クライアントさんに納期を何カ月も待ってもらったりしている現状。

オレはどこに向いて、何をやってるんだろう。

子ども達と遊ぶ時間も無くなって、仕事貰ってるクライアントさんにも迷惑をかけて、自分では休みもなしで体もボロボロになってる。30年ぶりに喘息が再発した。

なんか違う。

なんか違う。

なんか違う。

なんか違う。

なんか違う。

なんか違う。

そんな事が頭をよぎり始めた。

もちろん、今の現状は自分で選んだもので、正直サラリーマンしてた頃と比べると、精神面でも収入面でも話にならない位いい感じになってきてる。

それはそうなんだ。だがしかし!だ。

気が付いたら、また、訳の分からないところに迷い込もうとしてた。そうじゃないだろ。

そんな時にひとつのタイミングが来る。

知り合いの社長さんが高齢で会社を閉める事にしたと言う話から始まる。

その社長さんの会社で今いる社員さんを引き取ってくれれば、仕事もそのまま全部引き継いでもらって良いと言う・・・しかも、その引き継ぐ仕事の中には、「そんなでかいところとオレが取引するんですかい?」と言うようなものもあったりする。

それを契機に色々考え始めた。

会社を組織化すると言う判断。

経営者目線で言えば、当たり前と言えば当たり前かもしれないけど、人付き合いが嫌で好き勝手したいからと言う理由で一人でやってきたオレにとっては、その決断はかなり勇気のいるものだった。

それでも、今の生活を続けてたら絶対すぐ死ぬ。しかも、子どもや嫁と共有する時間を削りまくる生活をした果てに。しかも、オレを信頼してお仕事をくれているクライアントさんにクソ迷惑をかけて・・・

結局、数ヶ月悩んだ末に、この決断を下し、人を雇って会社を組織化する方向でここ2カ月ほど動いてた。

それはそれで、別の忙しさが色々出始めた。書類関係とか、所定の機関に足を運んだり、仕事の割り振りを決めたり、そもそも就業規則決めたりとか・・・

実務以外の仕事がメッチャ増えた。昼間は人と会ってきて、夜に机の前で実務をこなすと言う感じ。

結果、ついにブログはおろかマンガを描く時間も取れなくなり「G」の定期更新もできなくなった。年内に最終話を描くと言うスケジュールの凄い下方修正も余儀なくされた。

ついでに、社員さんの生活を守らないといけないと言う責任感も付随してきた。

社員さんに気持ちよく仕事して貰って、幸せな人生を過ごしてもらいたい。

決してオレみたいに、恫喝されて、追い詰められて鬱になって退職するようなことが無いように。と。

世の社長さんは本当尊敬するわ。

こんな感じになるのか。一人で気楽にやってるのとは全く世界が違うよ。おとっつぁん・・・

そんなずっと白目向いてた生活が、1カ月くらい経ったのか。

もうすこしで2か月なのか。

まぁ、その位だ。

感覚がチョッと麻痺してきた。

と言うと語弊があるけど、超人見知りなのに週の半分くらい人と打ち合わせしていることも、肩に乗っかる責任が増えた事も、なんか気にならなくなってきた。

結果として、11月(あとおそらく12月も)、売り上げ面は、給料、その他、人を雇うための経費や設備代を支払っても全然問題ないくらいに爆上がりした。

今まで、何カ月も納期を待ってもらってた仕事もガンガン仕上げられてる。

一人で抱え込んで「絶対間に合わねえよ」と思ってた仕事を「ここ手伝って」と割り振る事で、苦手だったことや、時間のかかってた事をやってもらえるようになり、自分でやる仕事が前よりスムーズに進むようになった。

人に仕事を振るようになってから、抱え込む癖が無くなって、嫁にもヘルプ出すようになった結果、会社経営に嫁もかなり参加してくれるようになって、一緒に会社をやってる感じにもなった。

何より「納期ヤバい!」「協力するから何とかしましょう」と言う、このコミュニケーションがある事で、追い詰められてた気持ちがかなり軽くなって、12月めっちゃ忙しかったのに逆に心穏やかになってきた。

今のところ。と言う前置きをした上でだけれども、実は良かった決断だったような気がしている。

これからの課題としては、会社を大きくすると言うよりは、社員さんの生活含めて、皆安心して長く一緒にやって行けるように、会社を存続させていくことだと思ってる。

現状ではまだ信じられない位忙しい毎日で、全く余裕なんかないんだけど、基盤が出来てくれば仕事量を維持しつつ、納期でお待たせすることもなく、オレも休み取って、すごく良い感じの生活が出来るような感じがするんだよね。

超絶後ろ向きに会社を退職して、鬱が激しくて就職なんかできるはずもない状態で、家族を養うためにフリーで仕事を取り始めた7年前には、想像できるはずもなかった状態の中にいる。

(人生で本当に一度だけとは言え)嫁に対してさえ「もう離婚だ」って言ってしまったくらい人間不信にもなってたあの頃は考えられもしないけれども、この7年間、周りの人に助けられて助けられて助けられて何とか生きてきた。

今も助けられて、それだけで生きていってる感じ。

人と人の繋がりとか、縁と言うものがこんなに大切なのかと、心底思うようにもなった。

人生観が自分でも引くほど変わってしまった。

「多少お金がかかったとしても、縁があったんだからあの人のところでお願いしよう」と言う、地元の小さな電気屋さんが存続する理由が、今は痛いほどわかる。

オレもそう言う気持ちで色んな人と繋がってる。

相手がどう思ってるかは知らないけど、少なくともオレは感謝の気持ちを込めて、そう思って行動してる。

人生は何があるか本当に分からない。

女子との総合会話時間10分にも満たない暗黒の学生時代をリストカットと一緒に過ごしたオレが、今や、嫁も子もいるんだ。と、ずっと言ってきた。

でもそこに、鬱で退職したまま人間不信になり社会復帰できずに貯金食いつぶして死にかけたオレが、今や、色んな人と一緒に会社を経営するようになったんだ。と言えるようになったんだ。

個人的な感覚で言うなら、人生2回目のV字回復。いや、それは調子に乗り過ぎか・・・まだ、分からねえもんな。

まぁいいか。

そんな、2021年。

振り返るにはまだ早いかも知れないけど、相当激動の1年だったよ。

まだここから何かあるかも知れないけど。

それでも、何が起こっても、オレにできる事は目の前にある事をコツコツやっていくだけ。

オレみたいなうんこ人間に出来る事なんか、ホントしょうもない事だけなんだよ。

でも、それをずっとコツコツ続けるだけ。

1日1日は大したことなくても何年も続ける事で、しょうもない事も形になるらしい。

自分に重ねてそんな事を思ったここ数カ月でございました。

ただ忙しすぎて、記憶がおぼろげなんだけども。

そして、来年はチョッと暗雲と言うか、いくつかの不安材料を抱えてたりもする。

来年はのんびりとした1年でありますように・・・

おっぱいぶりんぶりんの参考画像。

後年内に1回くらい、振り返りがしたい・・・

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2021年10月3日 2:07 CAT :

「田代まさしのお久しブリーフ」を楽しみにしていたのがもう12年前と言う事実をネタにオナニーする宣言

まぁまぁご無沙汰になってしまっております。

何とか生きてるよ。って言う事に関しては、まぁ、別に敢えて言う事でもない上に、大体察して貰えてるような気がしないでもないんだけれども・・・取り合えず、色々あった。

色々あって気が付けば前の投稿から2か月も空いてたと言うね。

何というか、まぢでここ最近の時間の流れの尋常じゃない速さはどうにかならないもんだろうか。これ。

原因は不明なんだけど、子どもの頃ずっとオレを苦しめてくれていた持病の喘息が、突如再発した。

ここ数年かけて、徐々に悪化してきていて、遂に限界を突破して具体的に体にメッチャ出た結果、色んな所に支障を着てしていた感じらしい。

検査の結果、オレの肺は一般男性の20%程度にしか機能してなかったんだって。

で、その治療のため、7月~8月くらいの間ホントに大人しくしてた。

ブログはもちろんの事、漫画も描いてないし、マイクラもしないで、無理しない程度にお仕事して、日付変わるくらいには寝る。と言う、何とも人間らしい生活。

あと、変な吸入器みたいな薬とかを投薬されてた。

この辺は、先走り汁タラタラで、「極ニュースチョクホー」の方で描いてたりもするけれども。

今はもうかなり良くなってきて、よく言う「小康状態」になってる。

お仕事とかの感じも元に戻ってきて、漫画も少しずつ描き始めた。そして遂にチョッとブログの記事でも更新しようか。となれたわけでございます。

良かった良かった。

たらればで申し訳ないけれども、あの喘息がマックスの時に、コロナにでもかかってたらほぼ100%死亡してたんだろうな。

いっそ死んでしまった方が楽だったような気がしないでもないけど、目に入れたら痛くてしょうがない子ども含めた家族もいらっしゃるのでそうもいかない。

オレは、孫を見るまでは死なねえんだよ。

もしくは、漫画のすべてを描き切るまでだ。

(↑)そんな感じでございます。

また、週に1回くらいブログの方も再開しようと思ってる。

別にこんな、アラフォーのおっさんが公開オナニーで気持ちよくなって色々な汁をぶち巻いてるだけのブログに果たしてどれだけの価値があるのかと言う感じもしないでもないけれども・・・

まぁ、それを言い出したら、家族にちょっと気を使いながら悶々とオナニーして出した精子にどれだけの価値があるのかって言う話になる訳じゃあないですか。

結局大切な事は、自分が如何に気持ちいいかと言う事。

これに尽きる。

お仕事では色々頑張ってるつもりなんだから、プライベート位気持ちよくならせてほしいもんだ。マンガでも、ブログでも。

そんな感じで、ここ最近のマンガ描いてたよ話を少しだけ。

 

 

 

週1に変更したけど、「極ニュースチョクホー」と名付けた4コママンガは、コツコツ描いてる。チョイチョイ飛んだりしてるけど、何と1年続きそう。もう少しで100本に到達するよ。

これはこれでなかなか凄いと思う。

オレの場合、唯一出来る事がコツコツ継続することだけだから、これはこれで良いと思うんだ。

この4コママンガ、ずっとtwitter上でアップしてたんだけど、さすがに100本近くなってくると過去のアーカイブがあった方がいいよなと思い至りまして、「まんがおきば」さんにアーカイブとしての文字通り漫画置き場を作った。

「サナダムシより細く長く」

(↑)ここから飛べるよ。

で、お絵描き再開の最初のリハビリとして、このアーカイブ用のトップ絵を描き下ろしたりもした。

おっさんの肛門から出てきているサナダムシを女の子2人でいじって遊んでいると言うイメージで書いてみたけど、描いた事もないシチュエーションだったもんで、あんまりうまく描けなかったよな・・・そして、こんなシチュエーションを描く機会があとどれだけあると言うのか。

一応ここでは、過去にブログ形式でアップしてた「サナダムシより細く長く」って言う4コマも一緒にアップしております。

マルチアップロードを許してくれている「まんがおきば」さんは、なんかまぢで気軽に使えてありがたい存在だ。ありがたやありがたや・・・

 

 

 

これとは別で、過去に数年間運営していた「志茂田さんまんが堂」。

これがもう新都社さんで作品を発表していく上で、1ミクロンも寄り添っていけない存在だったので、完全にリニューアルさせた。

どうしたかと言うと、シンプルにただ、過去にアップしたマンガの一覧を載せてるだけの紹介サイトにしてしまった。

デザインも何もなく、ただ漫画の絵を並べただけ。

ホントにそれだけ。

で、新都社さんに掲載してる奴は、そのリンク集から新都社さんの方に吹っ飛んでいく仕様。

これなら問題なかったはず。他にも、こういうのやってる先生方色々見てきたので・・・

今回、このサイトを作る上で、今後のアップ作業も簡単にしたかったので、今をトキメクwordpressを漫画が簡単にアップできる仕様にカスタマイズした。

ぶっちゃけて言えば、「まんがおきば」さんのUIに近い感じのイメージをオレのマンガをアップするためだけにわざわざ無駄に構築した感じ。(使うのがオレだけだから、すっげー適当にだけど)

もちろん基本的に今後も新作については「新都社さん」もしくは「まんがおきば」さんの方で発表していくつもり。

このサイトの方で更新するものと言えば、すでに過去にチョッと公開してしまって新都社さんでは公開できない「やみ。世界」とか、あとは、アップはしたいけどあんまり人様の目には触れさせたくないと言う微妙な立ち位置のマンガ「first end」や「marionette」とかになるか。あと、元ネタの方の「ランナ」や「G」とかも、今後はこっちでアップしてみても良いかなと。

そんな、尋常ならざる糞マンガをアップするためだけに、ここまでカスタマイズとかする必要あったのか。と、今更ながらチョッと思う所もあったりなかったりします。

一応、そのマンガまとめは(↓)

志茂田まんがまとめ

スマホ対応はまだしてない。また、暇なとき見つけてコツコツやっておきます。(多分)

いやしかし、自分で好き勝手にデザインを作れるってらくちんで良いわぁ~

まぢで。まぢで。

 

 

 

最後に、「Gの世界」について。

今年中に完結する事を目標にしてたのに、(上記の喘息とか何やらで)気が付けばそれすら危うくなってたので、9月半ばに急いで再開した。ホントはもう少し書き溜めてから再開したかったんだけども・・・

何話か書いた後ふともうこれ以上止まったら目標達成できない・・・と焦りはじめ、「これもう先にネーム仕上げておいた方が良いんじゃね?」と考えた。

で、ここ2週間ほど、ネームだけとずっと向かい合ってきた。

その結果・・・

・・・・・・

・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

書きあがりましたよ。

「Gの世界」最終話までの全ネームが。

なんかもう最後の方とか、描いてて自分で泣きそうになってた。

思ってる以上にちゃんとまとまったような気がしている。

ただ、内容詰め込み過ぎたなと思って、敢えて説明調になった場所をバッサリカットしたりもしたので、果たして、どこまでこの内容で読んでもらえるのかは、チョッと不安ではあるけど。

まぁ、元々超不人気マンガだし、そこはそれ。

気にしないで、しっかり最後まで描いていく。

マンガ描く上で、作画じゃねえんだよ。筆が止まる原因は、100%ネームなんだよ。

ネームが全部出来上がっている今、恐れるものは何もない。

ただ淡々と、完結までの残り100ページほどを作画し続けていくのみ。

最後がちゃんと描けているかどうかは、個人的に結構大切だと思ってるので、気合入れて残りページの作画やっていきやす。

 

 

 

とまぁ、そんな感じで。

来週こそ、書く書く詐欺になりつつあった、新都社マンガレビューの第2弾を更新するつもりでおります。

ただし、絶対書くとは言わない。

じゃあの。

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2021年8月4日 11:30 CAT :

無修正で見るよりもモザイク付きを見て向こう側を妄想する方が興奮できるお年頃

藤本タツキ先生の読み切り「ルックバック」。

読んだ瞬間、これはメッチャ素晴らしいな。名作だな。とは思ったけど、まさか、京アニの事件と統合失調症を結び付けるような描写があると言うそんなアホみたいな点で、修正させられるとは思わなかった。

作品自体の論評については、別に良いんだよ。

オレは名作だと思ったから。

ただ、この修正と批判については、チョッと言いたい事があったんので、書いてみた。そしたら思いが溢れてきたと言うか、結構長々となってしまった。

こういう話については、ツイッターとかで文字数制限の中で書くよりは、絶対ブログみたいなところでちゃんと長々と自分の意見を書いた方が良い。

SNSがどれだけ流行っても、オレはこの形式が良いと思っております。

さてさて。

「ルックバック」の不適切表現の修正について。だ。

ただ、最初に行っておくと、この件について、ぶっちゃけ経緯とか良く分からない。

なので、裏でどんなことがあったとかそういう話は取り合えず抜きにして、単純に編集部の出したコメントと、実際に修正されたマンガを読んだだけと言う状態で、人の気持ちが分からない本来なら保護と言う名の隔離をされるべきキチガイ障害野郎が好き勝手に憶測100%で書いておりますので、悪しからず。

とか、予防線だけ張っておこう。

では、本題。

この漫画を読んだ人の中で「あ、この話京アニの事件を一部モチーフにしてるわ」と思った人は割と多かったと思う。

でもこの漫画を読んだ人の中で「京アニの事件と結びつけられたせいで、統合失調症の人が変な風に見られる」と思った人はこういう話にクレーム入れるのを生きがいにしてる人以外あんまりいなかったと思う。

むしろ、この修正のせいで「統合失調症の人と京アニの事件って関係あったの?」みたいに余計な部分に興味を持った人の方が多かったと思う。

差別とか平等とかについてオレが昔っからずっと言い続けてるのは、ネタにできるようになって初めて平等だと言う事。

例えば、統合失調症のヤツと友達だと仮定する。

オレはそいつに対して「こいつ統合失調症のキチガイだから、すぐ変な妄想に取りつかれるんよね。気持ち悪ぅ~」ってバカに出来て初めてそいつと仲良くなれる気がする。

逆にそいつがオレに対して「発達障害の奴って、クソアホだから誰でもできる簡単なことも出来ない役立たずなんだよね。オレが手を貸してやらねえとすぐ死ぬ屑だわ。」とバカにしてくれたって、オレは「世話になってまぁ~す!」ってケラケラ笑ってると思う。

平等ってこういう事じゃねえの?

実際最近、「この志茂田さんは、頭おかしいし、ADHDだけど能力高いし、面白い人だよ」みたいな紹介されたけど、別に何とも思わなかったな。ケラケラ笑ってた。

ここから「頭おかしいし、ADHDやけど」の部分を省かれた紹介をされた上で、後から、「この人はADHDです。表現には気をつけましょう。」とか「志茂田さん扱いマニュアル」みたいなのがオレの知らないところで作られてて、皆から腫物扱いされる方がよっぽど傷つくわ。

今回のルックバックを読んだ「統合失調症」になってる人のほぼ100%が、「このマンガのせいでオレの立場が悪くなるな」とは思わなかったんじゃないかな。

こういう事言うヤツは、大体が勘違いした正義漢気取りのキチガイクレーマーか、車いすに乗ったちっこいおばちゃんみたいな自己顕示欲と利権のために障害を利用としてるクズ。もしくは、それに乗せられてしまった自分で何も考えられないアホなんだよね。

あんまり好きじゃない漫画家さんだけど、佐藤秀峰って先生の「ブラックジャックによろしく」と言う名作漫画がありまして・・・その中で、「キチガイ」をテーマにした「精神病棟編」がある。

オレは、このシリーズを読んだ時、本当に目からウロコだったんだよ。

この漫画では、池田小の事件をモチーフにして、あの事件を起こした男と統合失調症の扱いについて、結構踏み込んだ内容を描いていた。

マンガの中で、「事件と病気を結び付けてマスコミが印象操作することで、一番被害を受けるのは、統合失調症を患わっている普通の人たちだ」と何度も訴えていた。

今回の「ルックバック」の件についても、同じことが言えると思う。

別に良いんだよ。京アニをモチーフにした事件を漫画に盛り込んでも、その犯人が統合失調症っぽい言動をしたとしても。

それが事実かどうかも、そこに作者の作家性がどう出ていたかも関係ない。

一番問題なのは、「統合失調症の人はキチガイなんだから、こうやって漫画の中でそれを匂わす表現をするんじゃない!」と抗議することで、「統合失調症=危ない=触れてはいけない」と言う印象操作がなされてしまう事だと思う。

オレがここ最近、自分がADHDとか重度の発達障害とかそんな事を意識させられて、劣等感を感じ始めてるのは、ぜ~んぶ100%世の中の(↑)みたいな自称正義を振りかざしてるキチガイどもの「ADHDは頭おかしいから、普通と一緒に混ぜたら可哀そうだ」と言う狂気染みた偏見と差別のせいなんだよ。

それに関しては、本人であるオレが言ってるんだから、誰にも何の反論もさせない。

お前らキチガイのせいで、オレは肩身が狭い上に、自分に対して劣等感を無理やり押し付けられてる。

今回のこの件も、確実に世の中の統合失調症を患っている人にとってマイナスの影響しかない。絶対にない。絶対にだ。

障害も個性のうちなんだろう?

病気は誰でもいつなるか分からないもんなんだろう?

もし、この理論で行くのであれば、「絵を描くのが上手い人を描いた問題表現がある」とか「友達と仲良くしている表現には傷つく人がたくさんいる」とかそんな部分にもクレームも入れてみろよ。

個性とか病気を内容によって良い悪いで分けて、一番差別してるのは、こういう事に対して声を上げて、自分は良いことした気になってるキチガイどもなんだよ。

こいつらを駆逐しない限り、この世界から差別はなくならないと、この歳で発達障害の烙印を押されたおっさんは思っております。

一人ひとりに個性があり、考え方があり、生き方がある。

それを全て十把一絡げにして、曲がった正義の元にクレームにすること自体が、同じ人間として見ていない、差別と偏見に満ちた考え方だと思ってるんだけど、どうだろうか。

統合失調症を患っていて変な幻覚にとらわれて犯罪を起こす人間もいるだろう。

でも、風邪をひいて倦怠感とイライラから犯罪を起こす人間だってきっといる。

そういう人に対して「風邪をひいてた人間=犯罪を起こす危ない奴=触れちゃいけない」と言う式が成り立たないように、統合失調症でもこの式が成り立ってはいけない。

統合失調症もただの病気の一種でしかない。

「ルックバック」の中で、殺した男が「風邪をひいて寝込んでる時に、楽しそうな声が聞こえてムカついたから乗り込んだ」と言う表現だった場合、頭のおかしい男がたまたま風邪をひいてただけだと受け取るはず。

これに対して「風邪をひいた人への偏見になるから」とクレームを入れたりはしないって。

マスコミの報道でも、事件を起こした人間が風邪をひいて内科に通院してたとしてもその通院歴を報道することはない。

でも、統合失調症を患って精神科に通院してたら、その通院歴をここぞとばかりに取り上げる。

ここに違和感を感じないのであれば、それはもう完全に「統合失調症=危ない奴」と言う印象操作が完了してしまっている、結構危機的な状況だと思う。

忘れないでほしい。このクレームを入れた人たちは、統合失調症という誰にでも起こる可能性のある病気に対して「発症してる奴はキチガイ」と言う強烈な差別意識を持った人たちだと言う事を。

もう一つ問題なのは、この強烈な差別意識を持った人間に訳の分からない配慮をして、修正を行った編集部。

統合失調症を患ってる人が「この漫画を読んで、ひどく傷つきました。訂正してください」と言ってきたのなら、まぁ、それもしゃあないかなと思うけど、十中八九差別意識だけ高い関係ない人だと思う。

そんな人たちに迎合すると言う事は、編集部としてもこの差別行為に加担していると言う何とも残念な話でしかない。

なんかさ、昔の日本のメディアって、こういうクレームに対して「別にそういう意図はありませんので、修正しません」って突っぱねてたらしい。

実際、そういう意図はないんだし。

でも、これを「修正する」って事は「そういう意図があった」と言う取り方になるんだよ。少なくともオレは。

オレ個人の感じ方で言えば、昔の方が差別意識はなかったと思う。

発達障害で、ここ最近まで差別的な事を受けてこなかった。

もちろん人間として否定されて、色々辛い思いもしてきたけど、それは、オレ個人の人間を、他の人間と平等に並べて、オレが気持ち悪い奴だったからであって、障害の有無は関係なかった。

因果関係の問題じゃない、オレがハブられてた理由は障害のせいじゃなくて、平等に人として見た上でのものだったからだ。

今の時代ならオレは、障害を理由にして差別されて、皆とは違う場所に隔離されるんだろうな。

考えただけでも恐ろしい。

それだったら、人間として否定されて、砂漠の砂鉄のような扱いを受けて、クラスでなんかある度に吊し上げられても、皆と同じ教室で同じ勉強が出来ている方がよっぽど良かった。

もちろん、そうじゃない奴だってたくさんいるだろう。

だから十人十色だって言ってるじゃねえか。

本当に差別意識なく、一人の人間として障害者を扱う気があるのなら、対応の仕方もそれぞれの人間に合わせるべき。

それが出来ないなら、雑にまとめて「どうせキチガイなんて、ノータリンだから、こんな感じだろう?」って言う対処の仕方なんかしない方が遥かにマシだと思う。

今回のこの件に関して、オレは「クレームに対して【そういう意図があった】ことを明確に認め修正した編集部の対応で障害を抱えているおっさんとして物凄く傷つきました」と言っておく。

別に、編集部に対してクレームは入れないけど、言っておく。

その修正はいったい誰のために、誰に向けて行われた修正だったのか。

藤本タツキと言う天才漫画家の表現を捻じ曲げてまで行う必要のある修正だったのか。

今一度、考えてみて欲しいもんだ。

 

 

 

これ、いつもの記事の中のひとつのネタくらいに考えて書いてたんだけど、気が付いたら、物凄く長くなっちゃったので、ひとつの記事として上げっちまおう。

これを描いてたせいで、いつもの4コマ描いてる時間が無くなっちゃったけど、まぁ、それはそれ。

後悔はしていない。

じゃあの。

 

 

 

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2021年8月1日 3:36 CAT :

つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしオナニーにふけりけり2021 その7

今週も、新都社マンガのレビュー第2回を書こうと思ってたんだけど、なんか、思ったより時間がかかってて、書けそうにないので、当たり障りのない感じの内容でお茶を濁しつつ、来週こそあのなんか癖になった不条理マンガについて熱く語りたい次第でございます。

と言うか、全くマンガが描けない。

オレの唯一のアイデンティティが、日々の悲喜交々に忙殺されていくと言う現状は果たして良いのかどうか・・・

アーリーリタイアと言う概念があるけれども、オレもアーリーリタイアして、ギター弾いたり、漫画描いたり、マイクラしたりしながら、ダラダラしたい。

でも、結局はお金か・・・お金だよな・・・

最近、毎日「オズワルド」さんの漫才ばっかり見てます。

 

 

 

●面接してきた

知り合いの社長さんから「志茂田さんとこで雇ってあげてみない?」と人を紹介され、その人と話をしてきた。

世間的に言うと、面接だよな。これ。

ついに、オレが選ぶ立場になったのか。とはいえ、偉ぶっちゃだめだ。所詮、砂漠の砂鉄の一粒なんだ。と言い聞かせながら、約束の場所へ。

面接してきた。

「何が出来ますか?」って聞いたら「デザインとか、プログラムは全くですが、ネットワーク系はある程度できます」と。

・・・それは、オレが欲してる人材なのか?と言われると、何となくこの段階で違う気がする。

とは言え、せっかくなのでもう少し突っ込んで聞いてみた。

「ネットワーク系と言うのは、具体的にはネットワークの構築とかをされてたと言う事ですか?例えば、社内のPCのネットワークを構築したり、後その辺のセキュリティーとかをお願いできますか?」

「いや、そういうのはチョッと・・・」

「じゃあ、AWSとかの領域でサーバー構築とか・・・」

「いや、それも出来ないです」

「??社内のメインサーバーの運用とかその辺の・・・」

「それも無理です」

「?????????????すみません。ネットワーク系って、以前どんな事されてたんですか?」

「ルーター使って、wi-fi繋いだりしていました」

・・・と言う事でした。

オレも常識がある人間じゃないからこの辺の事良く分からないけど、世間ではwi-fi経由でネットに接続できれば、それはもう職業面接で「ネットワーク系はある程度できます」と言って問題ないもんだろうか。

うちの小学生の娘がスマホでYOUTUBE見るために普通にやってるレベルの話なんだけどなぁ~

そもそも、デザインとか出来ないし、興味もないとの事だったので、今回はお断りの流れになると思う。

なんか、オレごときがお断りをすると言うのも、何かイヤなんだけど、さすがにチョッとこれは・・・そんな感じでございます。

ただただごめんなさい。

 

 

 

●骨伝導イヤホン続報

前にちょっと触れた、骨伝導イヤホン。

結構お気に入りでよく使っている。

いるんだけど、ふと気が付いてしまった。

イヤね、普段音楽聴く分には全く気にならなかったんだけど、先日映画を見てた時に、なんか不思議な違和感を感じてしまった。

なんか、声と映像が本当に少しだけずれてる気がする。

ホントに少しで別に気にしなければ分からないレベルの事。

実際、YOUOTUBEとかを仕事の横でダラダラ流してる時は、気にならなかった(そもそも、YOUTUBEって音ズレしてる動画もよくあるし)。

でも、気にし始めると、確かにYOUTUBEでも、映画でもなんでも確かにずれてる。

コンマ数秒のズレだと思うんだけど、これがまた絵を描く時の「不気味の谷」みたいに気持ち悪いんだよな。

bluetoothのレシーバーと有線のヘッドホンで聞いてる時には、このズレは出なかったので、bluetoothの問題ではなくて、多分、振動として骨を伝わって耳に届くまでのタイムラグなような気がする。

まぁ、別に普通に音楽聴くだけなら、どうでも良いズレなので、使うタイミングとかの問題なのかなと思ってる。

バカと鋏は使いようと言う事でございます。

いや、それは違うか。

 

 

 

●能力至上主義の闇について

大好きな岡田斗司夫さんがゼミで、能力至上主義の危険性について色々と話してた。

実に興味深い話だった。

オレも世間から追いやられて、まともな社会生活が送れなかったために、色々苦労した身なので、自分が頑張ればなんとかなると言う「能力至上主義」って良いもののような気がしてた。

でも実は、「能力」と言う言葉自体が非常に危うさを持っていて、そして、この考え方自体が人間心理の逃げ道を塞いで追い詰めてしまうと言う面があるらしい。

オレ程度に出来る事なんだから、誰でも出来るだろう。と言うテンションで、オレが今までやってうまくいった事とかを人に勧めたりもしてた。あまつさえ、「そうした方が日々楽しく、お金も稼げてめっちゃ良いよ」位言ってた。

でも、それは「人と同じことをする能力に著しく欠如していて、好きな事になればずっと夢中で勉強していくと言う能力があったオレにとっては」と言う但し書きが付いての話だったと言う事らしい。

逆に「人と同じことが出来て、集団の中で力を発揮できるけど、一人になると集中することが出来ない」と言う人には、オレのやり方は、最悪の結果にしかならない。

どっちが良いと言う話じゃなくて、人にはそれぞれ能力があって、その能力の使い方についても、人それぞれだと言う事。

あと、ゼミの話の中で、メッチャ納得したのが「能力も運の内」と言う話。

そうなんだよ。

その能力がたまたま今の時代の流れとあっていた人がうまく行ってるだけで、そうじゃなかった人がたまたまうまくいかなかっただけにしか他ならない。

オレの学生時代はまだ、発達障害と言う言葉も浸透してなくて、オレなんてクラスでメッチャ吊し上げられてた。

発達障害を腫物を扱うみたいに差別する今の時代だったら、確実に別室行きだったと思う。

オレは、「お前はホントダメな奴だな!」って、他の生徒と同じ目線で見た上で、出来ない奴として吊し上げられる方が差別と言う観点では平等だったと思ってる。めっちゃ辛かったけど。

別室行きにされてたら、「普通の人と違うダメ人間だと言う烙印を押された」と感じて、プライドの高いオレの性格は確実にクソ曲がってただろうし、そうなると今と違う生活になってたはず。

でも、逆に吊し上げられたりしないで、別室行きになってた方が将来うまく行ってたであろう発達障害の同年代のやつもいるはず。

オレは、運が良かったんだよ。

たまたまオレの病気と時代のやり方はあってた。ただそれだけ。

だから、他の発達障害で人生苦労してる奴がいたとしても、オレが自分の人生をあたかも成功体験のように語って、「お前は頑張ってねえんだよ」とは絶対言っちゃいけないんだよな。

能力なんて人それぞれ。

もう少ししたら、足が欠損してる人間の方がトランスヒューマニズム的観点で見れば、早く走れる義足をつけれるから、五体満足な人より優遇される時代が来るかもしれない。

 

 

 

●金色恵比須・・・!?

偉大なるダミアン浜田陛下まさかの地球再臨と、新バンド結成と言う、別に聖飢魔Ⅱ信者じゃなくても、胸アツになる出来事から半年。

ホントに素晴らしい音楽を届けてもらえて、ただただ感謝しかない。

でもふと、そのバンドメンバーはどんな人なんだろうと言う興味がわいた。

ボーカルの「伊舎堂さくら」さんは、前に調べた時、ガルネリウスをバックバンドにすげーパフォーマンスをしてて、「こいつはとんでもねえな」と思ったことを覚えてるけど、それ以外のメンバーだよ。

話がチョッとそれるけど、聖飢魔Ⅱと言うバンドは、色者扱いしては失礼な途轍もない超絶技巧バンドだと言う事を忘れちゃいけない。

ダミアン浜田陛下の作る楽曲は、その聖飢魔Ⅱをもってして、やっと表現できる凄まじい世界観を持っている。

演奏技術で言うとかなり超絶技巧だと思う「セックスマシンガンズ」が、以前、デーモン閣下をゲストにダミアン陛下の曲を演奏してた事があった。

非常に申し訳ないけど、すげぇ「ああ・・・」ってなったんだよ。

その位、ダミアン浜田陛下の作る楽曲の世界観を表現することは難しい。

なのに、このダミアン浜田陛下の新バンド「Damian Hamada’s Creatures」は、それを表現しきってるんだよ。

デーモン閣下に勝るとも劣らない圧倒的歌唱力を持つ伊舎堂さくらさんはもちろんのこと、ギターもリズム隊も、それどころかコーラスボーカルまでもが途轍もない表現力を持ってる。

と言う事で調べてみた。

メッチャ申し訳ないけど、知らなかった。

「金属恵比須」と言うバンドさんらしい。結成30年くらいの大御所バンドさんなのに、知らなかった。申し訳ないです。

早速試しに、YOUTUBEに上がってる動画を見てみた。

もはや絶滅危惧種となったプログレバンドだったよ。

日本のプレグレと言えば「美狂乱」だよね。と言いたいところだけど、「美狂乱」はもう神の領域に到達しすぎていると思う。ロバート・フィリップ御大が率いててもおかしくない。完全に日本のキングクリムゾン。

そうじゃない。

この「金属恵比須」さんは、プログレッシブロックを絶妙なラインでギリギリ大衆向けにした楽曲と言うイメージ。

プログレやってる時の筋肉少女帯に近い感じもしないでもないけど、チョッとそれとも違う。

初期キンショーのプログレにあったヒリツキ感やピリツキ感といった変な緊張感はない。(最近はキンショーも丸くなっちゃったけどけど)

何だろう。うまく言えないけど、凄く心地いいんだよ。

取り合えず、ひとつ動画張り付けておこう。

メッチャ良いバンドを見つけてしまったな・・・

と思ったら、スターレス高嶋のご推薦バンドだった。

でしょうな。

アーバンギャルドのCDは全て集め終わったので、しばらくはこの金属恵比須のCDを探して生きていきます。

 

 

 

まぁ、そんな感じ。

ネームはいっぱいできてるので、早く作画をする時間が欲しい。

あぁ~時間が欲しい。

あと、せっかく開けたのでかわいいピアスが欲しい。

だそうです。

8月からアマプラで「シンエヴァ」が配信されるそうなので、この夏は、シンエヴァ4本を一気見しようと思ってる。

学生時代ちょっと嫌な事があって、エヴァはずっと見てなかったんだけど、そろそろ学生時代のトラウマ引きずってる場合でもないよな。

ただ、オレのような無知蒙昧に理解できる内容なのかどうか・・・

楽しみではあるんだけれども。

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2021年7月28日 11:30 CAT :

「オレ・・・君のふんどしで精子まき散らす全力オナニーするよ」宣言~その1

と言う事で・・・1回書いてみて、良い感じだったら、今後、ちょくちょくマンガレビュー的な事を描いていこうかと思っております。です。

以前、メッチャ調子に乗ってCDとか買うたびに、超上から目線で感想書いてた事があった。

たまたま、犬神サアカス團の明兄さんがこのブログを読んだと言う話を聞いて、それ以降「本人が読む可能性があるのか!」ってビビり始めて、次第にこういうレビュー的な事は控えるようになっちゃったんだよな。

今からやろうとしていることは(↑)以上に、作者さん本人の目につく可能性が高い・・・ような気がする。

なので、予め言っておくと、貶めるような意図は全くないよ。基本的に好きな作品を好意的にとらえて、オレなりに掘り下げて文章にしてみてるだけ。それ以上の他意は一切ないので、その点悪しからず。

あと、一応、前回チラッと書いた予防線についてもコピペしておくか。

●内容の掘り下げについては、岡田斗司夫風の解釈(作者の思惑ではなく、そこから発展した読者の掘り下げ)で。

●新都社にアップしてる作品(もしかしたら、「まんがおきば」さんの方でアップしてるものもあるかも)

●完結してる作品(なんとなく完結して初めて作品だと思ってるので、現在連載中、休載中、ぶん投げてるやつは省く)

●オレが好きな作品(ただし、思いついたものを取り上げてるだけなので、取り上げない=好きじゃないという訳ではない)

と言う基準で。ただ、この中の一つ、「完結してる作品」の縛りが思ったより、今後重荷になりそう。なんか早い段階でネタ切れするか、この縛りを撤回しそうな気がしないでもない。まぁ、そこまで回数続けばだけども。

さてさて。

と言う事で、記念すべき第一回で取り上げる漫画はこれだああああああああああああああああああああ!!

 

 

 

甘納豆先生作 「CMYK」

うん。言いたい事は何となくわかる。攻めてないとか、そういう話なんだろ。

甘納豆先生なら怒られないかなと言う甘えと、実はこの漫画すげえ語りたい事があると言うそんな2点から選んでみたんだよ。文句は知らん。今回はコレで行くんだ。バーロー。なんか前に、ラジオで語り倒したいって話してた記憶もあるし、第1回はコレで行くんです。あたくしわ。

取り合えず読んでくれれば、何でこの作品を取り上げたのか分かって貰えると思う。って言うか、そう信じたい。

実際書き終わってみてみると4000文字を超えていた。オレはこの「CMYK」と言うマンガで原稿用紙10枚を超える量の感想文を書いたわけですよ。その位語りたい内容があったと言う事だ。ぶっちゃけて言えば、半分くらい悪ノリだけれども。

では、以下チョットだけ夏目房之介を意識しつつ、考察してみようか。

ネタバレしかしないので、未読の人は先に漫画を読んでから(すぐ読めるので)、この記事を見て欲しい。

 

 

 

ここからは純粋な感想ですよ~

↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 

 

 

 

僅か5話しかないんだけど、正直、この作者の作品の中で一番気になっているものがこの「CMYK」。

その前にまずこの「甘納豆」と言う漫画家さんの作家性について少しだけ触れておく。

基本的に全作品に目を通しているが、その中で最も感じる事は、この作者の根底にある意識が「破壊」であると言う点に集約されていると思う。

形はそれぞれあるにしても、どの作品にも共通して「破壊」がある。

我々が生きているこの世界は2極性であり、ただ破壊だけで終結することはできない。「破壊」を行う時、必ず対を成す「創造」を行う必要がある。

甘納豆作品には、あらゆる形での「破壊」があり、その後に往々にして創造されるものは「無秩序」の場合が多い。ただし、一見すると「無秩序」ながら、俯瞰的にその「無秩序」を見ると実は、かなり秩序だったものを内包している。

この相反する二面性こそが、最大の特徴だと考えられるのだ。

マンガの神様であり、稀代のストーリーテナー手塚治虫は、破壊の後に無秩序があり、その無秩序が秩序に帰納する物語を読者は面白いと感じる。となんかで語っていた。

手塚治虫の大名作「ブラックジャック」では、ブラックジャックが既存の価値観を破壊し、法外な値段や奇想天外な治療などの無秩序を突き付けるが、その無秩序が実は最も秩序だっていたと言うオチが付くことで読者はそのストーリーに心を揺り動かされる。

この手塚式の名作ストーリーを制作する上でのノウハウに近いものが、甘納豆作品に共通する作風ではないだろうか。

手塚治虫の「マンガの描き方」を熟読しているかどうかは分からないが、ストーリーには確実に手塚の血脈が流れていると感じざるを得ない。

その上で、今回取り上げる「CMYK」における「破壊」と「創造」とは一体何なのかについて、以下考察していく。

まずこの漫画のスタートは4コママンガである。

4コママンガの歴史はかなり古く、確か、江戸時代に描かれた北斎漫画にはすでに4コマに分けた起承転結の物語が描かれていたと記憶している。

時代を経て戦前・戦後に発表された数々のマンガの原型となったものが実は4コママンガだともいえる。その時代には4コマ落ちが無くても、マンガのコマ割りの大きさは基本的に同じ大きさだった。

手塚治虫のプロデビュー作は、4コママンガ「マアチャンの日記帳」だし、手塚治虫を世間に知らしめた「新宝島」におけるコマ割りもそのほぼ全てが同じ大きさの4コママンガのような形だったはず。

それ以降、手塚治虫が初期3部作(「ロストワールド」「メトロポリス」「来るべき世界」)~火の鳥初期にかけて、コマの大きさやコマとコマの間などを変える事で映画的な演出をするという画期的な方法を発明し、カンブリア紀の生物の大爆発に匹敵するほど膨大なコマ割りを開発した。(その辺の、コマ割りの変遷とかは今回は関係なので割愛するけれども)

そんな中にあっても、4コママンガは、世間の求める漫画像と一定の距離を置いて発展していく。

古き良き4コママンガを植田まさし、いしいひさいちらが守り続けていく一方で、80年代後期くらいから吉田戦車や中川いさみを筆頭にした起承転結さえも投げ捨てたナンセンスで不条理な4コママンガが台頭し始める。

90年代になってくると、「日本一泣ける4コママンガ」と評される「自虐の唄」などに代表されるような、4コママンガと言う形をとりつつも一つ一つの前後関係の繋がりが濃厚になる物語系4コママンガも日の目を見始める。

そして90年代末には、あずまきよひこをはじめとした作家によるオチや展開よりも、淡々とした日常の中でキャラクター自体やかわいらしさを愛でると言った「萌え4コマ」も登場する。

ただ、この4コママンガのムーブメントの中で(特に「萌え4コマ」が台頭し始めた頃)度々持ち上がっていた問題として、1つの4コマで完結しないどころか、4コマで落ちる事もなく、次の4コマに物語を渡してしまうのであれば「4コマじゃなくてよくね?」と言う根源的なものがあった。

この問題については、日本4コマ界の重鎮である植田まさしが直接苦言を呈するほどに大きな問題となっていき、今もまだその論争は終結していない。

2000年代以降は、4コママンガの存在意義、4コママンガとして描くことの意義を考える時代だったと言えるかもしれない。

閑話休題。「CMYK」に話を戻す。

第1話。人物紹介と普通の4コマ。一応、キャラ付けの意味がある1話。

そして第2話。連載2話目にして早々に4コマ漫画の体をなしていない普通のマンガになる。これは問題として度々上がっていた「4コママンガである必然性がない」と言う問題に対して、「じゃあ、普通のマンガにしちゃえばいいじゃん」と言う、既存意識への強烈な破壊に他ならない。しかも、1話でさらっと触れた人物像への掘り下げをよりわかり易くする形で、それが行われている。

そもそもこの第2話でのネタも4コマで、2つくらいに割れば全然描けるネタである。それをあえて普通のマンガとして描いている。

意図してなければ、わざわざ2話目で4コマの形を崩す意味なんかないはず。

一旦破壊を起こした後の3話目では、再び4コマの形に戻る。

と思ったら、4話目はまた普通のマンガになっている。

一見無秩序なように見えて、4コマのちょっとした小ネタ⇒普通のマンガの繰り返しと言うパターンかと思いきや、最終話5話目では、そのパターンすら破壊して、もう一度普通のマンガ形式をとる。かつ、5話目にして初めて、それまでの展開の伏線を細かく回収していくと言う違う方向からの秩序を構築している。

あわせて、これまでの4話をどちらかと言えば、萌えマンガに近い日常系のノリで展開していたのに対し、最終話では、王道のドタバタギャグの要素を織り交ぜてきている。

特筆すべきことは、1~5話を流れで読んでいた時にゆるい4コマだったはずのマンガが、4コマじゃなくなってて、さらにドタバタギャグマンガになっていることに読者が全く気付かないまま、この漫画を読み終える事が出来ると言う点にある。

これは綿密な計算の上で、絶妙なスピードでの移行が無ければ実現できない。長期連載していて、気が付いたら全然違うマンガになっていたと言う事はままあるが、わずか5話でこれを実現するには相当のバランス力が要求される。もし緻密な計算とかしてなくて天然でやってるなら、それはそれで天才の部類だ。ちっくしょ~

気が付けばとんでもない漫画になってたなと言う、刷り込みとすり替えはかなり高等技術であり、マンガ力が相当高いことが、この事からも伺い知れる。

併せて、この「落ちが無くて続くなら4コママンガである必要なくね?」と言う問題に対して「じゃあ、普通のマンガにしちゃえばいいじゃん」と言うコペルニクス的発想の転換は、見様によっては大友克洋が「童夢」で描いた超能力の2次元表現を、荒木飛呂彦がジョジョの第3部で3次元表現に昇華したレベルの革命。相当に画期的な発想ではないだろうか。

ストーリー漫画におまけで4コマが付いたり、4コママンガでストーリーを展開するのではなく、「めんどくさい事は良いんだよ。4コマだけど描きたくなったら普通のマンガで描くよ」となるマンガは思ってる以上に存在しないはず。

なぜ今回「CMYK」を取り上げたのかと言えば、上記の通り、手塚治虫が提唱した破壊と創造、秩序と無秩序をストーリーの中ではなく、作品自体の表現の形の中に埋め込み作品として完成させている点に他ならない。

漫画独自の展開の移り変わり。漫画表現のイノベーション的体験をたった5話、読もうと思えば5分で読める分量の中で、それもほぼ無知覚に体験できると言う非常に稀有な漫画がこの「CMYK」である。

まぁ、そんな夏目房之介風な小難しい話抜きにして、単純に空気感が好きで読んでて面白いって話もある。言っちゃえば、単純についつい何回も読み直しちゃうくらい好きな漫画だと言える。

他にも、タイトルのCMYKを4色の色として、キャラクターごとに色とその色から連想されるキャラ付けをすることで、読者が入りやすくなるように工夫されていたりとか、そういうマンガ的な細かいノウハウの話もまぁまぁ出来るんだけど、とりわけ、この漫画に置いて一番言いたかったことは、(↑)の話だと言う事で、今回の記事は結びとしよう。

次回は、今年初めころかなり衝撃を受けた、展開自体が圧倒的に不条理なあのマンガを取り上げようと思っております。

この記事で怒られたりしなければ、多分・・・

では最後に・・・

うまく描けねえもんだな。まぁ、こんなもんですよね。オレなんて。

取り合えず・・・

怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように怒られませんように!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

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2021年7月21日 11:30 CAT :

「オレ・・・君のふんどしで精子まき散らす全力オナニーするよ」宣言~序章

ここ最近、なんかあった事や無かった事をツラツラと書いてたんだけど、何となくチョッと違う事をしたくなってきた。

いや、別にあれはあれで良いと思うので、チョコチョコやって行っても良いんだけどね。

何と言うか、「こういうのじゃねえんだよな」と言う気持ちが無くもない。

元々、ざっくばらんなんですよ。

思いついた事を思いついたタイミングで適当にダラダラと排泄するのがこのブログの心情だと、今更ながらにふと思ったり思わなかったり。

と言う事で、ここ数年、オレのマンガをアップさせてもらってる「新都社」さんで面白いと思って読んでたマンガをもう少しだけ読み込んで紹介してみようかなと思い立った。今さっき思い立った。

けど、その前に、簡単に「新都社」について知らない人に向けた、オレ個人の思ってるイメージを・・・

オレが学生時代漫画家になりたかった一番の理由は、「発表する場所」が欲しかったからだと、今では思っている。

別に、漫画でお金が欲しかったわけでも、漫画で生活したかったわけでもない。

自身では「ヘンリー・ダーガー」を気取りつつも、心のどこかにはきっと色んな人にマンガを読んでもらいたいと言う感情が沸々と湧き上がっては消えていたんだと思う。

古屋兎丸先生が、前になんかのインタビューで「最初は、漫画の原稿料が欲しいとは思わなかった。ただ、発表できる場所があって、そこに載せてもらえるだけで満足してた。お金は別に・・・」みたいな事を話してた(実際、古屋先生はデビューしたガロでしばらく、原稿料無しで作品を発表してたはず)。

オレが学生の頃は、漫画同人誌と言う存在は完全に消滅、ガロは風前の灯火・・・かと言ってネットは、電話線をぶち抜いて接続し、1分間で何円みたいな時代。SNSなどあるはずもなし。

コミケが少しずつ大きくなり始めてはいたものの、BL含めた二次創作エロな薄い本はまぁまぁあったけど、一次創作には物凄い白けたムードが強かった。

要するに、どっちを向いてもアマチュアの書いた下手くそなマンガを誰かに見てもらう事は出来なかった。

アマチュアマンガでくくるなら、1990年代は最も暗黒の時代だったと思う。

マンガを人に読んでもらうには、漫画家になって、商業ベースに載せるしかほぼほぼ選択肢がなかったんだよね。(少なくともオレの住んでいるクソ田舎の環境では。)

時代の流れが変わったのは、多分、2000年に入ってから。

このアマチュアマンガの絶望的な状況を打破しようと思ったのかどうかは知らないけど、西野空男と言う、個人的にはメッチャリスペクトしてる先生が、マンガ同人界が騒然とした「架空」と言う同人誌を立ち上げた頃だと思う。

丁度、megwinが世界で初めてネットで動画投稿を始めた頃。

作品を発表するメディアにイノベーションが次々と起きた時代だよね。今考えると。

オレはたまたま嫁(まだ結婚前だけど)と二人で倉敷を旅行していて、美観地区の端にある「蟲文庫」と言う本屋さんに立ち寄った。

その時、その本屋さんで「架空」と「漫画の墓場」と言う2つの雑誌を手に取った。ペラペラめくって面白そうだったから、一応お店に置いてあった本を全部買い占めて帰ったんだよ。

で、帰ってから、そのマンガ雑誌を読んだ時、「あああああああああ!!これだあああああああああああ」ってなった。

そこには「斎藤雑魚先生」や「木下竜一先生」や「甲野酉先生」などの作家さんの書いた目くるめく凄まじいマンガが載っていた。

世間に商業マンガや二次創作しかなく、自身の書きたい作品や世界観を描くことを世間から拒否された天才作家さんの鬱屈とした、それでいて途轍もない熱量が込められた作品の数々。(この表現は失礼にあたるかもしれないけども)

特に、「斎藤雑魚先生」のマンガなんか、何だろう・・・マンガとは何ぞやと言う既存の概念を吹き飛ばしてくれるほどの衝撃を受けたもんだ。

すぐさま、オレは自分の描きためてたマンガの中で、ちゃんと原稿に仕上げているものを、西野先生に見てもらおうと思ったんだけど、丁度その頃、なんか「架空」の編集の人と西野先生との間でトラブル的なものが起こってて(確か、応募作は全部雑誌掲載するとか、そんなふざけたことやるか!みたいな話だったと・・・)、その後すぐに、「架空」の刊行はストップした。

オレは結局、この数年だけ起こった漫画同人界隈のムーブメントに全くかすりもしないまま終わってしまった。

それからさらに数年。

前置きが長くなったけど、「やっぱり誰にも見せずに静かに朽ちていこう。第2のヘンリー・ダーガーになるんだ」と思ってた時に見つけたのが、この新都社だった訳でございます。

なんか話が、90年代以降のアマチュアマンガの歴史みたいになってしまったけど、オレが新都社さんに持ってるイメージって、これにちょっと近いものだったりする。

元々の発祥は、2ちゃんねるらしい。その辺の事は良く分かんない。大体オレなんて、チョッとまとめサイトを見る位で、ねらーでもなんでもないので、全く分からない。

ただ、今の新都社さんは、まぢで作家さんが自分の思うがままの表現を、本当に自由に投稿してて、そして、それを尋常じゃなく受け皿のでかい読者さん(作家同士で読者してたりもするけど)が楽しんでいると言うアマチュアマンガ描きの楽園だと思ってる。

本気でマンガ家を目指している人にとっては、それこそジャンプルーキーとか、マガジンデビューとかの方が環境としては良いのかも知れない。

でも、漫画でお金儲けをしたいとか、生活したいと言う訳じゃなくて、自分の創作意欲(あるいは承認欲求)を満たすために、自分でマンガ描いてる人も一定数はいると思うんだよね。

そんな人たちが、ゆるく自分の作品を発表できて、且つそれを何百人か、下手したら何千人と言う単位の人に読んでもらえて、あまつさえコメントさえ貰える。

どんな凄い環境やねん!って話だ。

かく言うオレも、その一人な訳で、多分、この環境がある以上、他のどこかに出ていこうとは思わないだろうて。

そんな凄い環境である「新都社」さんでは、今でも日夜凄い量の「あぁ~これは完全に新都社でしか出せないよな」と言うマンガが投稿されている。

いやまぢで、度肝を抜くような作品に出会えたりするんだって。

良い意味で商業マンガの手垢のついてない、ここでしか読めない途轍もないものがある。もちろん「??」なものもあるけど、そんな玉石混淆を楽しめるのが良いんだよ。

メディアに誘導された名作じゃなくて、自分で名作を決められる自由って、この情報化社会でなかなかないもんだと思う。

そんなマンガに対して一応、コメントしたりはしてるけど、何となく、この「新都社」のヤバさをチョットだけ、このブログでも描いてみたくなった。

こんな誰も読んでないようなオナニーブログで好き勝手に取り上げたところで、別にどこかに角が立つようなことはないだろうし。

何かね。ファンアートって言うのを描く場所があったり、掲示板があったり、ラジオがあったりと読者さんと作家さんの交流のような場所があるんだけど、人見知りを尋常じゃなくこじらせているもので、どうも乗り切れない。

ラジオとかやってみて、それはそれで結構楽しかったし、また機会があればやりたいなぁ~とは思ってるんだけど。

結局のところ、オレは自分の殻の中でしか、さらけだせない人間だったみたいだわ。

なので、自分のテリトリーであるこのブログの中で、「新都社」さんをネタにしてオナニーしていこうと言う事にした次第です。

余力があれば、ファンアート的なものも描きたいな。

精子ぶち巻くよ!おっちゃんは!

ただ、チョッとだけ但し書き。

今回は、普段より作者の人の目に触れやすそうなので一応・・・「オレそんなつもりで描いてねえよ」とか「てめえふざけんな」と万が一言われたときの予防線を張っておく。

想像以上に平和主義のヘタレなんだよ。バーロー。

●内容の掘り下げについては、岡田斗司夫風の解釈(作者の思惑ではなく、そこから発展した読者の掘り下げ)で。

●新都社にアップしてる作品(もしかしたら、「まんがおきば」さんの方でアップしてるものもあるかも)

●完結してる作品(なんとなく完結して初めて作品だと思ってるので、現在連載中、休載中、ぶん投げてるやつは省く)

●オレが好きな作品(ただし、思いついたものを取り上げてるだけなので、取り上げない=好きじゃないという訳ではない)

この位予防線張っておけば大丈夫か。

ただ、今回は思ったより前置きが長くなっちゃったので、チョッと2回に分けます。

いやまぁ、来週になるとかじゃなくて、今週の週末いつものタイミングで更新すると思う。

死んでなければ。

書く書く詐欺じゃなければ。

ただなぁ~これ、最初の1回目にどれを取り上げるべきか・・・結構ドキドキするな・・・

ドキドキ乙女。

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2021年7月18日 3:39 CAT :

つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしオナニーにふけりけり2021 その6

今週はとにかく打ち合わせとかで人と会ったり話したりする機会が多かった。

ホント人と会うと、その日1日寝込むほど疲労するんだよな。

だから、お仕事の方はあんまり進まなかった。

こっちはこっちで色々やばいんだけどな。

現状色んな方面から少しずつ追い詰められている感じで、結構疲れてる感じがある。

でも、ここを乗り切れば何となく新しいステージに行けるような気がするので、おっちゃんは頑張るです。はい。

最近の夢は、無人島を買ってそこで嫁と二人でのんびり暮らす事らしい。

と言う事で3週間ぶりにここの所チョッと思ったことをちらほらと・・・

 

 

 

●イオンのお葬式

イオンのお葬式がチョットだけ、賛否両論起きてる。

今や、イオンがお手軽に死者を弔う時代が来てしまったらしい。

問題になってる、例の広告(↑)。

チョッと前になんかのアンケートの結果で、「自分の葬式はちゃんと上げてもらいたい」と答えた人はあんまりいなかったけど、「身内はちゃんとしたお葬式で見送りたい」と言う人が大半だった(何のアンケートだったか忘れたけど)。

日本人の大多数の感覚って、これなんだろうと思うし、そうだと信じたい。

信じたいけど、どんどん人間関係が希薄になってきている今の日本では、身内であろうとも「イオンなら、安く弔えるし、ワオンが使えるからポイントがたまるんだよね」と思う人も多分少なからずいるんだろうね。

喪主「あああああ・・・お母さん・・・」

イオンの人「こちらにワオンを」

喪主「はい。うううう」

ワオ~ン!!

イオンの人「ポイント30000ポイントたまりました」

喪主「ああああああああああああああああああああああ!おかあさあああああああああああああん!!」

みたいなお葬式になるんだろうか。

サンドウィッチマンの名作コント「お葬式」の中で、「葬式でポイントがたまってたまるか!」って言う突っ込みがあったけど、これは、ちゃんと人間関係を構築できて、大切な人はしっかり弔ってあげようと言う常識を持ってる人が多数だったから面白かったわけで、常識が変われば多分、面白くなくなるんだろうね。

10年後の「お葬式」のコントでは、「読経は30万円です」「死んだ人間の前で変な歌うたって30万とかアホか!」「戒名は別料金です」「まだ金取る気か!」「戒名はお納めいただいた金額で変わります」「どんだけ守銭奴だ!」みたいな話になるんだろうか。

懐古主義の老害と言われようとも、ドリフのコントが面白い社会の方が好きだと思う。

 

 

 

●小山田さんのオリパラ問題

フリッパーズギターと言うのか、コーネリアスと言うのか・・・取り合えず、小山田圭吾さんがオリンピックパラリンピックの音楽担当になった事に対して、尋常じゃない炎上を起こしているらしい。

それで、本人から謝罪文が出されてた。

個人的には、「小山田圭吾が謝罪文出したの?まぢか!!」な感じ。

いやぁ、オリンピックってやっぱり権威とお金が凄いんだな。

謝罪文も読んだけど、なんか「ガキの使い」のへいぽーの謝罪文を思い出すかのような内容。

これはどう考えても反省なんかしてるわけないよね。

そんなね、過去に自分のいじめを武勇伝のように雑誌のインタビューで嬉々として語るような人間が「オリンピックの音楽担当は辞めたくない!反省するし、これを機に虐めたやつらに謝罪していくから許してね」ってさ・・・どう考えても、そんな反省するわけないじゃねえか。

そんな事、学生時代小山田圭吾と同じクラスだったら間違いなく虐められてただろうオレでもわかるわ。

問題はそんな事じゃあない。

前からチョコチョコ言ってるけど、音楽の才能と人としての性格は決して比例するわけじゃあないんだよ。

小山田圭吾って人は、めっちゃ良いセンスのある音楽を作るけど、立場の弱い障害者をターゲットにしてうんことか食わせてゲラゲラ笑える人間なんだよ。

ただそれだけの話。

この人は、人間として聖人君子だから今の地位に居る訳じゃなくて、障害者を苛め抜いてたゲスな過去を承知した上でも、作る音楽が素晴らしいから今の地位にいるんだよ。

別にいじめを賛美してる訳じゃなくて、今回の全方位に舐め散らしてる謝罪文も含めて、ホントクソ最低だと思うけど、でも、この人の音楽は確かに良いんだと思う(個人的な好みは置いておいて)。

立場の弱い障害のある人間をターゲットにしてうんこ食わせたりしない人間は世の中にたくさんいるだろう。

でも、この人と同レベルかあるいは凌駕する音楽家は日本にどれだけいるのか。

どちらを取りますか。と言う話なんだよね。

まぢでムカつくくらい嫌いなんだけど、でもこの人の音楽はセンスあるしカッコいいんだよな。と言う感想になってしまうと言うのはダメな事なんだろうか。

そもそも、今回のこの炎上の話にしたって、小山田さん自体に批判が行くのはなんか納得がいかない。

この障害者を虐めてたって話って、結構有名な話だと思う。少なくとも、オレは知ってたし。

その上で、五輪関係者がこの人を選んだんでしょ。

まさか「なんかこの人選んどけば、皆からセンスあるねとか言われそう」みたいな理由でよく知りもしない人を、調べもしないで選んだわけじゃないだろうて(そう信じたい)。

責められるべきは、選んだ側だよ。絶対。

今回のオリンピックの音楽担当に選ばれたのがピエール瀧だったして、「アイツは20代の頃からずっとラリッてるんだぞ!」って炎上して、卓球がここぞとばかりにまたtwitterでネタにしてたとしたら、それは完全に選んだ五輪関係者が悪いと思う。

その状態で、またピエール瀧が、黒スーツに七三で面白い顔して全然反省してない謝罪文を出して来たら、どう思うのか。

オレは多分めっちゃ爆笑して、次はどんなステッカー作るのかワクワクして待つと思う。

五輪関係者さんで誰が選んだのか知らないけど、やっぱり色々ずれてるんじゃねえかなと思う今日この頃です。

参考画像

これは完全にやってる人の顔ですね。

見てるだけでニヤニヤしてしまう。

ホント電気狂おしいほど好き。

 

 

 

●「JK」「オナニー」「無修正」ってキーワード入れたらタイトル詐欺でも多分アクセス数が上がる

いやこれは、前の週の記事のタイトルだけど、1週間経ってその結果をお知らせしよう。

何と、アクセス数が普段の記事の4倍以上あったよ。

世の中なんてね、そんなもんなんですよ。

まさか、先週の記事の内容が素晴らしく良かったわけでもないと思う。

結局世の中、「エロ」ですよね!村西監督。

創作意欲ではなく、承認欲求を満たすために、創作活動をするのであれば、もうただただエロネタを詰め込めば良いんだよ。

佐藤秀峰って漫画家さんは、連載デビュー作の「海猿」の第1話を描いてた時に、担当の人に「誰も知らない新人のマンガなんだから、読んでもらうために数ページ1回はパンツを描け」って強要され過ぎたので、ブチぎれてパンツどころか陰毛まで出したと言ってた。

一生懸命面白いマンガを考えたのに、興味ひくためにパンツを描けって言われるってこれ、結構屈辱的な気がするのはオレだけなんだろうか。

多分、今週のタイトルも「ぱっくり濡れ濡れおまんこ無修正画像まとめ」みたいなタイトルにしたら、普段の4倍くらいアクセス稼げるんだろうね。

まぁオレも内容はともかく、そう言うタイトルの記事見つけたら取り合えずクリックするけどな!

そうやって過去に、変なウィルスにかかった事ももちろんある!

PCが死んだこともある!

変な振込詐欺の電話がかかってきたこともある!

でも今日もおまんこを求めてクリックし続ける。

それが男と言うものなんですよ。

そう言えば、前に書いたかもしれないけど、twitterで公開してる4コマ「極ニュースチョクホー」の中で、本当のごく微量にプチバズってる奴があった。

(↓)これね。

新都社にアップしてる「Gの世界」ってマンガは超絶ありがたいことに、1回更新するたびに200~300ほどアクセスがある。

全員が全員、読んでくれているとは思ってないけど、でもクリックしてくれる人がこんなにいるなんて信じられないほど嬉しい。

でもこの4コマは1万を超えるアクセスを稼いでるわけですよ。

50倍ですよ。

テンコジの定理で言えば500倍だぞ!500倍!

お戯れで、「幼女」「スクール水着」「狂気」「羞恥プレイ」「性的」って言うタグをつけたからなんだろうけど・・・

ただ、勘違いするなよ。

「幼女」=娘

「スクール水着」=娘の水着を買った

「狂気」=オレがお店で売り物の水着のパレオみたいなのをめくってたキチガイ

「羞恥プレイ」=アラフォーのおっさんが子どものスクール水着を一人で買うと言うプレイ

「性的」=Mだったら興奮するのかな?

と言う事だからな!

決して、変な意味で付けたタグではないからな!

 

 

 

●マンガのネームを描いた

先週、1週間で4本ネームを描いた。

ひとつは「Gの世界」の87話「破壊/破戒」のネーム。

ひとつは「おもちゃはおもちゃばこへ」と言う短編を書いたときに思いついた「今宵ただいまはゼロになる」と言う短編マンガのネーム。

ひとつは嫁から「そろそろ違う路線のマンガを描いて」と言われて考えてた「2人マイナス14年」と言う短編マンガのネーム。

最後のひとつは、「今宵ただいまはゼロになる」がどうしても気に入らなくて、一部内容を引っ張ってきて構成ごと作り直した「右目「ただいま」左目「おかえり」」と言う短編マンガのネーム。

これだけネームばっかり描いてたので、当然原稿の方は全く描けてなくて、今、「G」の87話の下書きが出来てる程度。

こんな感じ。下書きと言うか、アタリでしかないか。

元々、下書きしないで一発書きで書いてたんだけど、最近はこの位にアタリをつけてから書くようになりました。

あと今回ネーム描いてて思ったんだけど、限られたページ内で、物語を展開させて終結させる短編マンガって、凄く悩むけど描くのめっちゃ楽しい。

長編だったら、「今回入りきらなかったからこのネタは削って、来週に回して、その代わりここを大ゴマにしよう」みたいな選択をする。

でも短編の場合、来週に回す訳にはいかないので、どこを削って、コマ割りとページで調整して、どのシーンを大ゴマにするかみたいな全然違う選択が必要。

それが、普段やらないもんで、結構新鮮で楽しいと言う話。

この2本を描いたら、去年の「虐殺の恋文」から数えて1年で4本も短編を書いた事になる。

毎週「G」を1話描きながら、短編を年に4本って、近年では稀にみるハイペースでマンガ描いてると思う。

まぁ、オレは「やみ。世界」の最後まで全部描き切るまでは、長編も描き続けるけどな。

唯一出来ることが、継続する事でございます。

 

 

 

と、今回はこんな感じ許してやろう。

最近は、1記事4000文字くらいを目安に書いております。

これで大体1時間くらい。

ふえ~。

では、おやすみなさい。

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2021年7月11日 4:00 CAT :

「JK」「オナニー」「無修正」ってキーワード入れたらタイトル詐欺でも多分アクセス数が上がる

先日、「ぬとらじ」って言う生配信(4コマにも書いたチョッとオレもやってみたヤツね)を聴いてたら「どうも。くろすけです。」って名乗ってて「はぁあああああああああああ!!?」ってなった。

いや全然別人だったんだけど。

なんでも、新都社さんで描いてる人に「くろすけ」って先生がいたんだって。

紛らわしいんだよ!

メッチャドキッとしたじゃねえか!!

でも、声が全然違うかった。あいつはそんな声じゃねえよ。そもそも一人称「ぼく」じゃなくて「オレ」だ!

なんてね。言ってますけども。

この話については、この「くろすけ先生」は何にも非がないし、訳分かんないと思うので、この辺にしておいてやろう。

ただ聞いててなんか変な気持ちになったので、そっとブラウザを閉じました。

先日、家の押し入れの掃除してたら、くろすけがオレの結婚式の余興で「おおきなさかな」歌ってくれた時につけてた「タイの被り物」みたいなやつが出てきた。これは何となく捨てられないので新居の方にも持っていくデス。

なぁ~んか先日、ラジオのネタでチラッと名前出してから、ちょくちょく話題になるんだよな。

この調子で、ひょっこり本人と会ったりしないもんかな。とか思ったりもしつつ、もうチョッと色々イヤになってきた。もうしばらく、くろすけネタは良いです。

さてさて。

時々、人生について鑑みてみたいと思う事がある。

とは言え、もうこのブログの記事数も2700を超える訳で、さすがにそう毎回毎回目新しく人生観が出てくるもんでもないんだよね。

個人的によく読み返すのは、「【転落の詩集m7】と言うコード」っていうこの記事だったりする。

要するにコード進行で言う所の、根音から3度離れた性格音が半音上がったり下がったりするだけで、メジャー調にもマイナー調にも変わってしまうんだかから、人生だってコードと同じく半音の上がり下がりだけで幸せな人生と不幸な人生が変わるとか。まぁ、そんなお話ですよ。

自分の人生を悲観的に見るか肯定的に見るかなんて、ホントその人の感性。

そもそもマイナーコードだって、何だったら不協和音だって、曲を描く時に欠かせない。

実際オレが描いた曲のほとんどはマイナー調。メジャー調の曲なんて多分数曲しかないと思う。

マイナーコードってカッコいいんだよ。そして、マイナーコードの中に時々メジャーコードを紛れ込ませるだけで、凄く良い感じの曲になるんだよ。

トニックとドミナントを混ぜ合わせる事によって、感動するコード進行が作れると言う、邦楽で最もよくやられてる手法だよ。

音楽の話はもういいや。

別にそんな専門的な話をしたいわけじゃあない。

最近このコード進行で言う所の性格音的な事でチョッと思う事があった。

前に書いたかもしれないけど、息子が発達障害の疑いがあったとか何とかで、「そんなことよりお父さんはかなり重度の発達障害ですよ」的なお話になった。

それはそれとして良いんだけど「薬を飲むことで、症状を抑えられますけど」と、そんな話をね、最近されたんだよ。

前に、うつ病だか適応障害だかになった時には、精神を落ち着かせる薬とか、不安を取り除く薬とかを出してもらって、何年かに渡って飲み続けた(結局、こんなもの意味ねえよ!って飲むのやめたけど)。

それとはまた少し違うものらしい。

それを飲むことで、じっとしていられなかったり、注意力が散漫になったり、どれだけ注意してもケアレスミスしたり、人の気持ちや空気を読めなかったりと言う事が緩和されるとか何とか・・・

ふと考える。

これは、薬を飲んでまで治さないといけない事なのか。

正直な話をすると、これまでの人生が楽ちんちんだったとはあんまり思えないけど、今の生活には非常に満足していて、毎日が「こんな楽しくて、まぢで良いんですか」と思ってる。

嫌な仕事もしなくてよくて、ストレスもたまらないし、おうちでずっと好きな事やって、それでサラリーマンの頃より全然収入もある。かわいい嫁も子どももいて、いつもニコニコ生活している。

それもこれも人生における選択肢を全て奇蹟的に良い方向を選び続けた結果なんだと思ってる。

一つでも、選択肢が変わってたら今のオレはない。

パラレルワールドにはきっと、違う選択肢を選んだオレが無数に存在していて、その中には、今のオレより圧倒的に幸せな奴と、絶望的に不幸せな奴がいるんだろう。

だからと言って、今の生活に対しての不満も、他のパラレルのオレに対する嫉妬や羨望もある訳ない。

薬の話に戻るんだけど、例えば小学生の頃、じっと座ってられなくて、ずっとティッシュとか鉛筆とかを食べてて、すぐ暴力をふるったりしてたオレが、あの当時重度の発達障害だと診断されて、薬を飲んで、特別学級に行かされていたとしよう。

確実に、今の人生とは違う人生を歩んでいたと思う。

小学校とか中学校では、薬のお陰で割と楽しくやれたかもしれない。友達もいたかもしれない。

でもそれが本当に良かった事なのか分からないんだよね。

嫁も、家族ぐるみで付き合いのある友達も、今のお仕事関係の人とかも、皆さん今のオレに対して、付き合ってくれてるんだけど、何となくオレがもし薬飲んで、普通の人になれていたら、付き合っていなかったような気がする。

オレの人生にとっての性格音は確実にこの部分だった。

オレはここで、薬も飲まなかったし、特別学級にも行かないまま、クラスのやばい奴として認定されて、友達はおろか、いじめの対象にすらない、存在自体を拒否された生活を送ってた。

卒業式の練習とかでは、ホント血が滲むほど歯を食いしばってじっと我慢しても、「クラスで一番動いてるダメな奴」の烙印を押されて、学級会とかで吊し上げられてた。

まぁ、マイナー調ですわな。

でも、そのまま生きてきた今、このマイナー調は多分カッコいいロックになったと思ってる。

「どれだけ頑張るの?」と嫁に言われるけど、今の頑張りなんて小学校の頃と比べると、頑張ってるなんてレベルにもならない。

これがずっとマイナー調で生きてきた結果だよ。多分・・・

未だにジッとしてられないし、人と話するのも苦手だし、イベントごともしょっ中ドタキャンするし、仕事の納期もあいまいだし、物凄いうっかりミスする。

でも絶対適当な仕事して、雑に生きてるわけじゃないとは思ってる。

ダメダメなのはわかってるけど、一生懸命やってるんだよ。

それを分かってくれる人と一緒に生きていってる。

お仕事の面でもそれを認めてくれる人がいてくれる。

学生時代の砂漠の砂鉄のような経験があるから、他の人と比べると少ないかも知れないけど、そんな人の存在がとてつもなく嬉しいし、感謝してる。

その人のために、どうしようもなく微力だけども出来る限りのことをしようと思ってる。

マイナー調が今になって良い感じになってる。

発達障害も、何だったら身体的な障害もある意味で個性でしかないんだと思う。

個性に対してネガティブに思うか、ポジティブに思うかは、人それぞれの取り方でしかない。

もしこの話について、「お前は障害者の気持ちが分かってない!」と批判されるなら、「そりゃあ無理ですよ。オレは、人の気持ちが分からない発達障害者ですから」ってなもんですよ。

障害者って便利な言葉だわ。

これ使って「オレって弱者ですよ」って言えば、強い立場になれるんだから。

そんな社会なんて糞みたいだ。と、あの車いすに乗ってるちっこいおばさんに言いたい。声高に言いたい。

傷つくかもしれないけど、オレは人の気持ちが分からない発達障害者ですからなぁ~ケセラセラ。

あのちっこいおばさんには色々思う所があるけど、この辺にしておこう。言い出したら、止まらなくなるし。

まぁ、何しか、個性をひけらかして自慢する前に、楽しく生きられるように頑張れよって話。

性格音が半音下げでマイナー調だとしても、それが必ずしも悲観的な音楽にはならないんだからな。

絶対悪意とかそんなんじゃなく「飲んだら色々楽になりますよ」と薬を勧めてくれた、本来息子のために来てくれていたカウンセラーのおばちゃんには「今の生活で満足してるので、オレは無くても大丈夫ですよ。息子が辛そうにするようでしたら、そちらはご提案いただけますと嬉しいです。」とお断りをした。

この決断に後悔などあるはずもない。

そんなこんなで、今週も何とか「G」1話描き切った。

今週一番作画に時間がかかったページ(↓)

いや、実にカッコいい絵が描けたと思う。

簡単な作画でやって行こうと思ってた「G」だけどやっぱり、クライマックスになると、どうしても絵も気合が入ってしまうな。

あと半年ぶりの新作短編のネームも描いてる。

一つは嫁の希望で描いてる「2人マイナス14年」ってお話。

もう一つは「おもちゃはおもちゃばこへ」を描いてた時に思いついてたもう一つの熟女ネタ「今宵ただいまはゼロになる」ってお話。

多分どちらも近いうちに「まんがおきば」さんの「漆黒の青空」の方で更新すると思う。

これについては書く書く詐欺にならないように。

ちゃお~

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2021年7月4日 2:42 CAT :

オボロ影の術で消えてしまいたい中二病患者の戯言

チョッと前に少しだけ触れたお話しだけど、ここ最近、実家に行く度、親父がオレに漫画とか小説とかの本を押し付けてくる。

もう先が長くなくて、どうせ死んだら読めないから、遺産整理の一環として本を貰ってほしいと。

この前、あと20年生きて娘の子どもを見るぞ。とか言ってたくせに、何を言ってるのか・・・めんどくさい性格のおっさんだけど、少なくともオレは、まだまだ長生きしてほしいと思ってるのにな。

まぁ、あの親にしてオレありな訳で、考えてみれば、オレのばあちゃんも「死ぬ死ぬ詐欺」ばっかりやってたな。

オレも含めて、3代にも渡って死ぬ死ぬ詐欺を繰り返す、メンヘラ一族でございます。

さてさて。

そんな親父がオレに渡してくれた漫画の中に、白戸三平の「ワタリ」があった。

幼い頃から、親父には「面白いから読んでみろ」といろんな本を結構無理くり読まされた。

その中で一番最初に読まされたマンガがこの「ワタリ」だったように覚えている。(ちなみに、一番最初に読まされて小説は横溝正史の「本陣殺人事件」だったと思う)

オレが小学3年生くらいだったか・・・漫画と言うものを手に取り始めたんだよ。初めて買ったマンガは、ボンボン版のスーパーマリオの「ヨッシーのたまご」で、次に買ったのは、大長編ドラえもんの「のび太の恐竜」(但しセルコミックの方)だったはず。

そんな漫画を読み始めたオレを見た親父が、「漫画読めるようになったのか。じゃあ、面白いのを貸してやる」と言って渡してきたのが、この「ワタリ」と言うマンガだった。

ちなみに、今娘が小学3年生なんだけど、娘にオレはこの「ワタリ」を読ませようとは、到底思えない。

如何に親父が頭おかしかったか。と言う話ですよ。そりゃあ、オレも頭おかしくなりますよ。

「ヨッシーのたまご」 ⇒ 「のび太の恐竜」  ⇒ 「ワタリ」

この変遷・・・本当にいかがなものか。

ボンボン系マンガやコロコロ系マンガしか読んでなかった小学生が、ガロ出身の白戸三平を読むと言う事が、どれほどの衝撃だった事か。

とは言え、それ以来読んでなかったので、今回本当に久々に読み返した。

詳細はほとんど覚えてなかったんだけど、やっぱり小さい頃強烈に記憶していたシーンについては、しっかり覚えていたよ。

そして、凄い事に気が付いてしまった。

オレはかねがね、人生において衝撃を受けた漫画は「寄生獣」「カイジ」「無限の住人」だと思ってたし、周りにもそう吹聴してた。

でも、黴臭くて、ホコリの溜まった「ワタリ」を1ページめくる度に、オレの記憶の奥底に眠ってたマンガにおける原風景が次々と呼び起こされるんだよ。

自分のマンガの原点は「寄生獣」じゃなかった。

オレのマンガの原点は「ワタリ」だった。

小学生の頃、そりゃあやっぱり「ドラゴンボール」見てましたよ。「ドラゴンボール」の悟空に子ども特有の変身願望を重ね合わせて、カタルシスを体験しましたよ。

でも、ドラゴンボールのストーリーにどこかしらの薄っぺらさを感じていた。

「違うそうじゃない。」という想いが強かった。

「寄生獣」を手にするまで、ジャンプとかマガジンのマンガばっかり読んでたけど、どれを読んでも「違う。そうじゃない」と言う想いが消えなかった。

その全ての原因がこの「ワタリ」にはあった。

簡単にだけ、この「ワタリ」と言うマンガについて説明しておくと、この漫画はまず「忍者漫画」。それも「NARUTO」みたいなただ忍者と言う言葉を使っただけの似非格闘マンガじゃなくて、ゴリゴリの歴史もの(もちろんフィクションたっぷりだけど)。

伊賀忍者たちが住む百地の里と言う所がある。

その里では、非人(要するに被差別部落で生活に困窮している人ら)から育てられなくなった子どもを格安で買ってきたり、盗んできたりする。

その子どもたちが忍者になるんだけど、子どもたちには帰る場所がないので、忍者になるか、拒否した場合は死ぬかしかない。

例え忍者となったとしても、忍者は存在してはいけないから、村に戻る事は当然、自分の名前を語る事も許されない。死ぬ時は、自分で自分の顔を切り刻んでから死ぬ。

子ども達は、急に連れてこられて泣きわめくんだけど、1週間ほどご飯も与えず放置することで瀕死状態になって泣かなくなる。そこから洗脳を初め、忍者としての心得を教え込んだりする。

と言う、この超ハードな話がまず、基本の設定。

その上で百地の里には、忍者たちを縛る絶対の「死の掟」があり、その為、忍者たちは音羽の城戸と言う上忍の命令に歯向かう事は許されない。

そんな百地の里に、伊賀でも甲賀でもない、謎の第3の忍者「ワタリ」族がやってくるところから物語は始まる。

今のオレが読む分には、これメチャクチャ面白いけど、これを果たしてまだ歴史の授業も始まっていない小学3年生が読んで、どこまで理解できるのか・・・

もちろん理解なんて出来る訳がない。

しかも、この「ワタリ」と言うマンガ、こんなゴリゴリの忍者漫画でありながら、話のメインとなる部分は、忍者の悲哀でも、戦闘でもなく、前述の「死の掟」をはじめ、謎が謎を呼ぶと言うミステリー展開だったりするんだよ。

物語の根幹に圧倒的な謎が存在していて、その謎を解き明かしていく中で、どんどん他の謎が出てきて、一つずつその謎が明らかになっていくんだけど、圧倒的な謎については、本当に最後の最後まで分からないようになっている。

何重にも張り巡らされて謎は、到底1度読んだだけで理解できるようなものではない。

しかも物凄く重厚でどんどん謎も解明されていく第1部、第2部が実は、第3部の序章でしかなかったと言う途轍もない衝撃と、絶望的な終わり方。是非未読の人は読んで欲しいもんだ。

そんな漫画。これが「ワタリ」だ。と言うより、これが白戸三平のマンガだ。

今読んでも、遜色のない圧倒的なストーリー。

そして、これこそが、オレのマンガの原風景に他ならなかっただよ。

そりゃあ、「ドラゴンボール」のストーリーでは物足りないよな。

何より凄いのが、この圧倒的なストーリーが、ちゃんと伏線を回収しつつ5巻で完結する。

読み始めた少年が自分が読み始めた年と同じ子どもを持つ親になっても、まだ完結しないワンピースとは違うのだよ。ワトソン君。

ワンピースを読むなら、望月峯太郎大先生の「万祝」を読みなさい。同じ海賊ものでも、構成力の圧倒的違いを見せつけてくれるさ。

オレはジャンプのマンガとは違う、「寄生獣」とも違うマンガを描いてるつもりだった。

ひとつの大きな謎が物語の根幹にあって、その謎を解いていく中で、どんどん謎が出てきて、それを一つ一つ解明していくことで最終的に、大きな謎が解明される。

そんな物語を描きたかった。

そしてそんな物語が何故か好きだった。

その理由がひとえに、人生で一番最初に衝撃を受けたマンガにあったと言う。まぁね。そんな話ですよ。

所詮オレなんて、「ワタリ」の幻影を追って、真似してるだけの猿真似野郎ですよ。

人生において、途轍もない影響を受けた作品はやっぱりたくさん存在する。

一番最近では多分「さくらの唄」がそうだと思うけど、一番古いものがこの「ワタリ」だったと言う事らしい。

どうでも良いけど、白戸三平と言うと「ガロ」だとばっかり思ってたけど、この「ワタリ」の掲載紙は少年マガジンだった。

時代もあるっちゃあるけど、(↑)みたいなストーリーが少年マガジンに載ってたのか・・・まぁ、あの時代は「はだしのゲン」がジャンプに載ってた時代だもんな。

そう考えると、今のマンガってこれで良いのか?とか、そんな事もチョッと考えてしまう。

もう少し知識をつけようや。

同じような顔した女に囲まれてハーレムやっててもしょうがねえぞ。

(↑)ワタリはこんなマンガ。

生前、いかりや長介(志村けんだったかも・・・)がこんな言葉を言っていた。

「コントを笑ってくれるのは常識がある人。常識的な知識がない人はコントをしても笑ってくれない」

なんか、こんな感じの事。

基本的な知識がないと面白くない昔のマンガも同じことが言えるかもしれない。

なんか偉そうな上から目線の話になってしまった。

かく言うオレも、誰よりも白痴だからなぁ。

意識的に意欲​された自分自身の目的を追うことにより結果はどうあれ、我々は歴史をつくるのだ。

ロックンロ~ル!!!!!!!!!!!!

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2021年6月27日 4:38 CAT :

つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしオナニーにふけりけり2021 その5

先週はどうしてもラジオのお話描きたかったのあたし。

でも今週は、それとなくいつも通り(かどうかは知らんけど)の1週間だったので、いつも通りな感じで。

今週思ったり思わなかったり、オナったりオナらなかったりした、日々の徒然なる小話でも・・・

と言う、変な感じですよね。

まぁ、それはそれとして良いか。

 

 

 

〇骨伝導イヤホンを買った

先日のラジオの件で、もう少しましなマイクでも買うか。と、思い直して、チョッとだけお金出してマイク付きのヘッドセットを購入した・・・話は、前回を参照してもらうとして・・・

その時ついでに、前から気になってた骨伝導イヤホンも買ってみた。

先日のAmazonプライムデーで、前から気になってたやつが3000円引きになってたものでな。

元々はイヤホンが苦手な嫁に、「これなら使えるんじゃね?」と言うつもりで買ってあげたんだけど、どうもあまり合わなかったようなので、勿体ないのでオレが使う事にした。

いや、これ凄いな。

普通に声が聞こえるのに、頭の中で音楽とか鳴ってやがる。

何でこんな事になっているのか、良く分からないけど、結構感動しつつ、使っております。

耳を塞がないから、人の気配におびえることなく、大音量でAV見て大っぴらにオナニーできる、画期的なアイテムなのではないかとも思っております。

嫁に見つかる分にはそのまま押し倒すだけなので別に良いんだけど、一応まだ小さい子どもとかもいる身なのでな。チョッと、気を使ったりするんですよ。そう言う事にも。

 

 

 

〇ピアスを開けた

詳細と言うか、過程については、この記事にちょっと触れている感じ。

そして、遂に今週、実際にピアス開けてきましたよ。

アラフォーと呼ばれるお年頃のおっさんが。

その時の描写については、かなり忠実に4コママンガで描いてた(↓)

まぢでこんな感じだった。

実際には、もっとビビってて、看護婦さん(と言う表現は、今はダメらしいけど)には、かなり気を使ってもらった。

「こわいよぉ~」って言ってたら、「じゃあ、1・2・3ハイで開けますね」とか色々フォローして貰った。そんなんされたら吊り橋効果も相まって惚れてまうやろ!って言う位、優しくしてもらった。

それなのに、開けた瞬間はホントに分からないくらいだった訳で、「え?あいたんですか?」って聞き返した感じ。(開ける場所を冷やしてくれたりとかしてたのもあるかも知れないけども)

その後、細かい説明とか聞いてる間にはじわじわと痛みと言うか、耳に違和感が出てきて、それがその後1日は続いたけど、今はもう(これ書いてるのはあけてから4日後?)何にもない。

ただ、忘れてて、手でガリっとやったり、服が引っかかったりした瞬間「いって~」とはなる。

これが、まだちゃんとピアスホールが出来たら無くなるのか、それとも、ピアスつけてる時はずっとこうなるのかは、今のところ不明。

整形における「ダウンタイム」みたいな感じの話があれば、またどこかの機会にでも書きたいけど、多分、今のところ、そんなものは無さそう。

 

 

 

〇あと10話

今現在、「G」の84話まで描き終わってるんだけど、このまま順調に構想通りにいけば95話で完結。つまりは、あと10話で完結なんだよな。

ページ数にして150ページほど。

物語としては、もう完全に撤収の段階になってる。

なってるんだよ。

毎回思うんだけど、この撤収段階に入ってから、実際に完結するまでが一番力がいる。いやホントに。

新しい物語を考えたり、設定を練ってたり、キャラデザインするのって、勢いでざ~っと出来てしまうんだけど、これをちゃんと形にするのはかなり大変。

そして、それをちゃんと終わらせるのが一番大変。

でも、これやらないんじゃあ、物語考えてる甲斐がないってもんですよ。だんな。

一つも物語を作り切ったと言う感慨は、何回味わっても、何とも言えない気持ちになる。語彙力が貧弱過ぎてこの気持ちを表現できる言葉を持ち合わせていない。

あと10話ほどで、またあの感覚を味わう事が出来る訳ですな。

ワクワクしながら、今日も漫画を描いております。

「G」を描き始めて2年ほど。

チョッとは画力が上がったと信じて、いつもの前の絵を最新の絵を並べるやつもやっておこう。そう。公衆の面前でやる、公開オナニーですよ。気持ちいい奴ですよ(↓)

大体同じ構図探して並べてみた。意外と言うか、ジューアツ君の正面のアップの顔が初めて出てくるのは13話だった。

そう言えば、ジューアツ君は最初のデザイン時は、たれ目のイメージだったんだよな。

いつも間にか、あんまりたれ目じゃなくなってた。

何しかあと10話、気合入れて風呂敷畳んでいくぞぉ~!

 

 

 

〇映画も見てる

「G」を描いてる間は、基本的に邦画しか見ない事にしてるので、相変わらず邦画ばっかりだけど、ここの所いくつか映画を見た。

簡単に一言感想をそえて・・・(↓)

【彼女がその名を知らない鳥たち】
阿部・蒼井の両コンビの演技が素晴らしい。白石監督の演出の凄さをまざまざと見せつけられた感じ。結末を知ってからもう一度見た時、初めて涙が止まらなくなる感動があると言う多重構成で出来たストーリーも実に秀逸。

【孤狼の血】
役所広司さんの演技にただただ脱帽。北野映画がヤクザ映画のアウトサイダーなら、こっちはヤクザ映画の本筋のような印象かな。実際物語は刑事目線で進むんだけども。これも白石監督。「凶悪」でもヤクザの描写あったけど、こっちは、古き良き日本のヤクザ映画を意識的に踏襲してて、それはそれですげぇってなった。

【累】
原作のマンガはメッチャ好き。かなり原作の空気感を再現できてる名作だと思う。ただ、誰からも忌み嫌われる「累」の役者さんが「ニナ」の役者さんに匹敵と言うか、むしろ食ってしまう位美人なのはいかがなもんだろうか。ただ、ラストは原作の作者の描きたかった事から離れてしまった気がする。

【惡の華】
これも原作マンガはメッチャ好き。ただこっちは無理やり原作に忠実にしすぎて、漫画だから許されるリアリティーのある非現実感が、ただの痛々しい感じになってたのは残念。実写でやるなら、もう少し共感性羞恥を感じさせる方向でリアルにしても良かったかも。

【望み】
物語はオレも他人事じゃない感じで、共感できるし凄く良かった。でも、要所要所に見られるいつもの堤演出が・・・だから、堤監督にこういう作品はダメだって・・・関係ないけど、この前深夜に「自虐の唄」をテレビで放映してた。思わず見入ってしまって、最後はやっぱり感動した。この映画では、ホント堤演出が素晴らしくはまってるんだけどなぁ~

【犬神家の一族】
石坂金田一の金字塔的作品。さすがに非の打ち所のない素晴らしい作品だった。前見た時は古臭い演出も多いなと思ったけど、一周回って今回見た時には、全編を通してオシャレなレトロ映画のフィルターも追加され、完全無欠映画になってた。

【スマホを落としただけなのに】
話題になってたので見てみたけど、これは、チョッと色々どうしようもない感じだった。特に、最後の主人公の過去の秘密とか必要かあれ?典型的な「話題性で金をかき集めたいです映画」のニオイプンプンで、オレはダメだった。好きな人はごめんなさい。

【それでもボクはやってない】
周防監督による社会問題を提起するための映画。是枝作品の場合は社会問題の提起の皮を被りつつ明らかに監督の本来の思惑が見えるんだけど、これはもう完全に問題提起に振り切った作品。ドキュメンタリーとして見る分には面白いけど、エンターテイメントとしては少し厳しいかな。

【亜人】
評価が良かったので見てみたけど、チョッときつかった。「アイアムアヒーロー」見て、邦画でもこういうの出来るようになったんだ!って感動したけど、あれはあの映画が凄かったと言う事らしい。ただ、綾野剛さんが演じる佐藤の「ながいく~ん」はなぜか癖になる。

などなど・・・

前に書いてからだと、この位かな?洋画もこれ以外にチョコチョコとは見てるけども・・・

チョッと前までは、園子温監督にぞっこんだったけど、最近は、白石和彌監督が良い感じ。

園子温監督は正直に言うと、とてつもない作品がある反面、「??」ってなるような作品もある。(もちろん、どの作品にも強烈な同系統の血が流れてはいるんだけれども・・・)

白石監督の作品は、今のところ見た映画は確実に全部めっちゃ面白い。

タランティーノとリュックベッソンみたいな感じだろうか。

いや、邦画監督を洋画監督で例えるなんて、邦画の監督を冒涜してるみたいでなんか嫌だな。

個人的には、邦画が大好きなんだよ。

今回の中で、特に心を揺さぶられたのは「望み」だった。

ただまぁ(↑にも書いた通り)内容は面白かったけど、相変わらずの堤演出が全開だったのがね・・・どうもね・・・

これ是枝監督だったら、どうなってたんだろうなとか素直に思ってしまった。

やっぱり、堤監督にはコメディー映画を・・・そして、三池監督にはバイオレンスを・・・

リアリズムを追及する映画は是枝監督でお願いしたかったです。

また機会があったら観た映画について、一つ一つレビュー書きたいな。

いつもの書く書く詐欺です。

 

 

 

今回はなんか知らんけど、1つ1つのトピックが長くなったので、こんなもんでさようなら。

ここ最近、ナスにアレルギーが出ております。

でも、実家からいっぱいナスをいただいております。

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2021年6月21日 3:30 CAT :

セーラー服が好きなのではなく、良い歳してセーラー服を着せられていると言う辱めが好き

事の初めは、とある夜。

いつものように、夜も寝ないで昼寝してお仕事をしていた時の話。

ここ最近、新都社の作家さん方がなんか知らんけど、ラジオ形式とか、作画配信とか、そういうのをよくやってるらしい。いや、実際やってる。

その中で個人的に、作品を愛読してる「甘納豆」と言う先生さんもラジオ形式での配信をやってて(むしろ、先駆け的な感じかも・・・)、それをお仕事しながら聴いてた。

で、その中で、「素人が連載とか調子に乗ってても『うわ~』とか言わない。皆OK!優しい世界!」みたいな事を話してた。

ここ最近、このブログでもめっきり語る事なくなったけど、かつて、ずっと一緒に創作活動をしてた「くろすけ」といつだったか、似たような話をしてたんだよね。

「素人だろうが、才能が無かろうが、調子に乗っていいじゃねえか」

「誰にも見向きもされなくても、好きな事やって行こうや~」

「最低でもオレだけはずっと読んでるから」

みたいな話だったと思う。

まだ嫁とも出会う前、一番中二病全開だった時だ。

もう何もかも嫌になって死んでしまおうと思って、当時住んでたところの近くにあった飛び降りにもってこいの海辺までフラフラと歩いていった。

海について、ふと最後に「くろすけ」の声を聴いてから死のうと思って、唐突に電話をかけたんだよ。深夜2時か3時くらいに。

起きてたのか、起こされたのか知らんけど、普通に電話に出た。特に迷惑がるそぶりも見せずに。

その後、太陽が昇るまで何時間か電話で話てた。その時アイツがオレに言ってくれたんだよ。(↑)みたいなことを。

オレは死ぬ死ぬ詐欺ばっかりやってた中二病患者なので、もちろんその時も死ぬどころか、飛び込みもせずに、なんだか満足して明るくなった道を歩いて家まで帰った。

もう何年前の話だ?これ。

ふと、ラジオ配信聴きながら、その時の事を思い出してた。

丁度、窓の外は明るくなってきてて、窓を開けると湿っぽい空気が入ってきた。

季節も同じくらい。

あの野郎。ある日突然いなくなりやがって。

ずっと読むんじゃなかったのか!。

一緒に音楽やるって言ってたから、未だに手付かずで取ってある曲だって、結構あるんだぞ。

とか思いつつ・・・

徹夜明けで脳みそも腐りきってたオレは気が付いたら、その「甘納豆先生」に「オレと話をしてくれぇええええええええええええ」って連絡を取ってた。

上記のような、甘納豆先生にとっては、多分相当「なんのこっちゃ?」ってなったと思う経緯で、そのラジオにゲスト的な感じで出させていただけることになった。

なんかもうこんな感じな上に、新都社でもトップクラスの不人気なオレなのに、相手にしてくれて、どんだけ良い人なんだろう。

感謝しかねえですよ。

これ、文章に書き起こしてみたら、とんでもなく失礼な話だよな・・・ホントごめんなさい。

数日後、なんかもう遠足前日の小学生張りにドキドキして眠れなかったまま、約束の時間の1時間くらい前からスタンバってお話ししてきた。

実際の録音してたのは、1時間くらいかな?もう少ししたのかな?

好き勝手に、しかも一方的にダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラダラと、自分本位な事ばっかり話させてくれて、それをうんうん聴いてもらってしまった。

直接会いに行けるはずもなく、当たり前のようにリモートだったんだけど、多分、オレの機材が尋常じゃなく貧弱だったせいで、色々ご迷惑もかけてしまった。

本当に申し訳ない。

これに関しては、ここ最近リモートの打ち合わせも増えてきたりなどの思う所も色々あったので、チョッとだけ良い値段のマイク付きヘッドセット買った(もう購入済み)。今後、ラジオとか本格的にするなら、オーディオインターフェース買ってレコーディングの時に使ってるマイクとか引っ張り出してきても良いかもしれないけど、そんな予定もつもりもないし、今はまだその段階じゃ絶対ないと思う。

何しか、良い感じに編集して貰った奴を聴いたところ、「まぢで、何調子に乗ってんだ?クソムシが」と仲村さんに罵倒されたくなるほど、調子に乗ってた。凄い恥ずかしい。ボードレールの方の「惡の華」読んで、出直したい。

オレみたいなクソムシは、地べた舐める位謙虚に生きるんだ。と、いつも言い聞かせて生きてたはずなのに・・・なんか、「先生」って呼ばれて、「作品のお話ししてください」みたいに言われたことが嬉しくて嬉しくてつい・・・(どうでも良いかも知れないけど、嫁にその事を話したら「よかったねぇ~」って涙ぐんでた)

思い出すと、ホント恥ずかしい。

何が悪いんだ。

そうだ。

普段から、オレに話をさせてくれない世の中が悪いんだ!

だから、舞い上がっちゃうんだ!

世の中が悪いんだ!

オレは悪くないんだ!

馬鹿野郎!

そういう話ですよ。プンスカ。

あと、「ちゃんと標準語でしゃべろう」と思ってたとは1ミクロンも思えない位、物凄く方言が出てた。

昔、演劇の役者をしたときに、皆から「標準語全くできない奴だな」と言う烙印を押されてたのを思い出したよ。オレの本業は台本とか演出だ!って開き直ってたな。

とは言え、お話ししてる間は、めっちゃ楽しかったし、今回の一連の事に一切後悔はしてない。

なんかチョッと普段と違う体験も出来て良かったし、そんな機会を貰えたことにも感謝しかない。いや、迷惑かけてしまったことに対しては、申し訳なく思ってるけども。

そもそもさ、演劇してた頃とかさ、羞恥プレイ大好きだったよな。

あえて、人前で恥ずかしい事してなんぼみたいな生き方してたよな。

と言う事で、今回のそのお話しもYOUTUBE上にアップされておりますので、万が一、気になった方がいれば(↓)こちらから・・・

または、共感性羞恥心を心の底から感じてみたい方は、(↓)こちらから・・・

今更ながら、このブログも、少ししたらまた「やっちまったなぁ~!」ってなるかもしれないな・・・

まぁ良いか。

人生なんて、そんなもんか。

だてに、空気読めない、友達いないわけじゃねえんだよ。

折角なので、勝手にチョットだけ宣伝・・・

相手にしてくれたからみたいな忖度は無しに。

そういうの嫌いなんだよオレわ。

今回、お話聞いてもらった「甘納豆先生」は、新都社で今「ペッペガクエスト」ってマンガを描いてる。

あぁ。はいはい。ファンタジーってこういう展開ですよね。と言う、何となく想定できる想像の展開のはるか斜め上を行くバカ王子的な漫画(誉め言葉だよ)。読んでて、良く「嘘やん~」ってなるので、毎回楽しみにしてる。

ペッペガクエストはこちらから読めるよ(↓)

【ペッペガクエスト】

あと、個人的に先生のマンガで好きなのが「CMYK」。

これもなんか、最初は「あぁ、こういう雰囲気の4コマね」と思ってたら全然裏切られていく。たった5話なのに・・・どんだけ自由なのやら・・・

最終話の「目に指がぁあああ」はいつ読んでも笑ってしまう。

一言で表現するなら、「日常系4コマの皮を被ったつの丸系ギャグ」・・・かなと。どうでも良いけど、オレが人生において一番好きなギャグマンガは多分、つの丸先生の「モンモンモン」だ。次点で「岸和田博士の科学的愛情」だ。ホントにどうでも良いな。

CMYKはこちらから読めるよ(↓)

【CMYK】

ちなみに、オレは普段、風呂の温度は45度~47度くらい。子どもと一緒に入った時は42度くらいにしてるけど、それでも「ゆでだこにされる~」って言われてたりするんだよね。

おっさんの風呂事情は以上になります。

あと、来週いよいよピアス開けます。

多分ね。

そっちはそっちでドキドキ・・・

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2021年6月16日 1:38 CAT :

つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしオナニーにふけりけり2021 その4

記事書いて、日曜日にアップしようと思ってたのに、なんか知らんけどカレンダー見たら水曜日だって。

へんなの~

世の中変なの~

不思議いっぱい。

不思議の国のアリスでございます。

ルイス=キャロルでございます。

と言う事で、書いてた内容を一部書き直したりしながら、今週もチョッとここ最近思ったことをちらほらと・・・

 

 

 

〇えがちゃん復帰の手紙

エガちゃんねるでの、江頭2:50分のお手紙。

なんか、この人真面目なんだな。と思うと同時に、年甲斐もなく感動してしまった。

本人が否定しているので作り話だろうけど、都市伝説になってる話のほとんどが今でも語られるのは、この人の人柄が100%なんだと思った。

取り合えず、辛くなった時は、このチャンネル見る事にするか。あとは、カニササレアヤコさんのチャンネルを…

生き甲斐がったメグさんのチャンネルが、もう笑える事なくなっちゃったからなぁ~

 

 

 

〇オリンピック開催の有無について

やるべきかどうかと言う問題もそうなんだけど、いつも思うのが、やるとどうなる、やらなければどうなるの話が何ででないのかと言う事。(いやすでに出てて、無知すぎて知らないのかも知れないけど)

やったとしたら、この位の感染者数が増えて、この位の経済損失がでるけど、この位の収益が見込めますよ。

やらなかったとしたら、この位に感染者数が抑えられるけど、この位の経済損失が出てしまいますよ。

とか、そういう具体的な話がないままに、「この状況でやるなんておかしい」とか「無観客でやればいいじゃん」とかそういう話ばっかり出てきても、良く分かんない。

あと、やらなかったら物凄い罰則とか出たりするんだろうか?

もう延期は出来ないって事なんだよね。

情報が分からなさ過ぎて、やるべきなのかやらないべきなのか良く分からない感じがする。

来年は、中国で冬季五輪あるんだよな。

コロナ抜きにしても、第二次世界大戦中に匹敵するようなジェノサイドを敢行中で、且つ、第3次世界大戦を仕掛けようとしてた証拠まで表に出された中国で平和の祭典をやるかどうかも、凄く気にはなっている所。

 

 

 

〇ワクチン接種のスピード

決めるまではメッチャちんたらするけど、決まってからはすごいスピードらしい。

それもこれも多分、日本人ってちゃんと順番守るし、大人しく出来るからなんだと思うんだ。

震災の時の炊き出しでも、ちゃんと並んでて、海外から絶賛されたとか何とか、そんな話も記憶にある。

こういう話を聞くと、何となく日本人っていいなぁ~って思える。

そして、新幹線とかで並んでた時に割り込んでくる中国人の団体には、毎回尋常ならざるほどにムカついてる。

いや、その話は置いておこう。

 

 

 

〇物語のフィクションの話について

ワイドナショーでやってた、アニメでの原付2ケツシーンに批判殺到したと言う話。

物凄くどうでも良い。

こんな事にやかましい奴がいるから、世の中生きづらくなるんだよね。

そのうち、時代劇で日本刀で人を切り殺すシーンは、殺人事件を助長するとか訳分からない事言われ始めるぞ。これ。

フィクションをフィクションとして見られない奴が多いって言うのは、単純に日本人の読解力が著しく低下してることの証明なんだと思ってる。

悲しいことだ。

寺山修司は「書を捨てよ町へ出よう」って言ってけど、今の時代は多分「書を抱え部屋で読もう」なんだろうね。

今の時代に「北斗の拳」が放送されたら、「子どもたちが真似して秘孔を付いたせいで、頭はじけ飛んで死んでしまったらどうするんだ!」とか批判が殺到するのかな。

 

 

 

〇所詮親子か・・・

最近、実家に行く度に親父が「どうせ死んだら読めないから、今のうちにやる」とごっそり本をくれようとする。

オレも本好きで、結構な量を持ってるけど、親父もそれに匹敵するくらいの本を持ってるわけで、今度の新居には本棚だけの図書室を作ろうとしているけど、だとしても、本の置き場所確保できるんだろうか・・・

オレの本好きの原点がこの親父のせいなのは間違いない。

ただ、自分が子育てをしていると、いかにこの親父が頭おかしかったと言う事も分かってくる。

親父がオレに対して、横溝正史の「本陣殺人事件」の小説を読ませようとしていたのは、オレが小学4年生の頃。

娘がその年に近くなってきたけど、「ちゃお」読んで淡い恋愛にトキめいているこの娘が、後数年後には、いきなり指が3本しかないおっさんが出てくる陰鬱とした殺人事件の小説を読むとは到底思えない。

オレが小学生の頃、親父が面白いから読んでみな、と貸してくれた本は、「横溝正史」「江戸川乱歩」「赤川次郎」「大江健三郎」・・・赤川次郎が可愛く見えてくるラインナップだ。

あと漫画では、「白戸三平」を筆頭に、「矢口高雄」や「雁屋哲」「藤子不二雄A」か。

「ドラゴンボール」を手にする前に、オレは「黒いセールスマン」を読んでいたんだよ。

まだ精通もしてないような小学生に、「白戸三平」の「カムイ伝」とか「ワタリ」とかを読ませてるんじゃない。

「オレは自分の子どもにそんな事はしないぞ!」と思ってたけど、今、子ども達に対して音楽で同じような事をやっている。

果たして、いま日本に「ストロベリーソングオーケストラ」と「モケーレムベンベ」と「水中。それは苦しい」に激ハマりしている小学生や幼稚園児がどの位存在しているかと言う話でございます。

所詮、親子だったよ。お父ちゃん。

 

 

 

〇「進撃の巨人」完結

1巻を読んだ時のあのとてつもない衝撃からもう10年以上経ってたと言う事が信じられない。

とにもかくにも、恐ろしく作りこまれた、尋常ではない素晴らしい物語が、作者がベルセルクしないで完結してくれたことにまずは感謝しかない。

その上で、何だろう。

物凄く色々考察をしたい。

ダラダラとネタバレを含みつつ、オレなりの解釈を垂れ流したい。

同じ土俵で語るつもりは毛頭ないんだけど、「G」でループ物を描きたくて悶々してたオレとしては、やっぱりあの物語自体が、「ループもの」もしくは「多元宇宙もの」だとしか思えないんだ。

そうとしか思えない根拠となる描写も多々ある。

その辺も含めた解釈を垂れ流したいんだよ。

あと、もう一つ。

実は、ループ物だからこそできる「過去の要因が未来にある」と言う設定。これも、ネタバレになるけど、「G」と言うか、オレの描く漫画の世界で結構重要なファクターなんだよ。

だからこそ、「似たような思考に行きついて物語を考えたおっさんが考える解釈」と言う、メッチャ調子に乗った偉そうなことを近いうちに書くかもしれない。

最近、書く書く詐欺が著しいので保証はしない。

 

 

 

〇アポトーシス

いずれ、描き直そうと思ってる「marionette」と言うマンガ。

高校生の頃に、演劇の台本として描こうとして、当時の先輩に「BOØWY」じゃないんだから。と変な突っ込みをされたあの話だ。

先日、あの話のリメイクのネタが突如下りてきた。

元々この話では、テロメアがダメになった細胞が死ぬ現象「アポトーシス」を操る事で死なない人間を作ると言う部分がメインの流れ。

所がこの「アポトーシス」が、「marionette」を描いた数年後「名探偵コナン」と言う超超超超超超超超国民的マイナーマンガの中で「アポトキシン4869」と言う薬のネタとして使われてしまった。

「いやオレの方が先にこのネタ考えて書いてたしぃ~」って、有名なバンドを無名時代から応援していた事をなぜかアイデンティティにしてる高校生みたいなことを言っても詮無い事なので、話自体を無かった事にしてしまおうと思ってた。

でも、この物語の敵役である「ラームアイ」くんは、「八神」に匹敵する物語全部を通した最重要人物な訳で、出来ればやっぱり形にしたい。

そう考えてたので、このネタを思いついたときには、「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお」ってなったよ。ええ。そりゃあ、なりますとも。

タイトルは多分「あやつり」とかそんな感じになると思う。

ちゃんと主人公は「唯ちゃん」のままで、「BLAMEか!」って突っ込まれるような、ガチ目なSFになるような気がしている。

あぁ、でもこの話に着手できるのは、一体何年後なのやら、

前回のブログで「死ぬ」と言う事象について、チョッとだけ触れたけど、あれがきっかけになった事は、言うまでもなかろうて。

 

 

 

本当は、「お家を建ててみよう 第2話「雑念を振り払ってみよう」 を更新しようと思って、そっちはそっちで3000文字くらい書いてたんだけど、なんか嫁に「そう言う事書いてたら、嬉しくて自慢してるみたいでしょ」と言われて、なんか心が折れた感じでして・・・

そもそも空気読むのが何より苦手なので、多分、嫁が言ってる事が正しいと思う。

アイツがオレにそう言う事を言う時って、オレの思惑は関係なしに、大体周りはその通りに思ってるんだよ。

オレが今回の家建てる時に、実際に建てた人の話を読み漁って凄い役に立った。

でもオレみたいな立場の人の体験談が皆無だったから、そういう人のために記録を残しておこうと思ったんだけどな。

だから調子に乗って自慢してるイタイ奴だと思われるのも本意ではないのだよ。

どのみちイタイ奴ではあることは否定しないけれども。

このシリーズは取り合えず書き溜めておいて、しばらくしてからそっと少しずつリリースしていこう。

と思ってるけど、どうするかは気分次第。良く分かんない。

そんな感じで、皆様おやすみなさい。

オレはもう少しお仕事してから寝るよ。

もうこの歳になってくると、全裸より、水着とか下着とかで見えてない方が興奮するようになりました。

どうせ、脱いだってその先にあるのは毛が生えたまんこと乳首なんでしょ。とか、そういう気持ちになるようになりました。

これはこれで成長だと信じております。

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2021年6月6日 4:00 CAT :

つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしオナニーにふけりけり2021 その3

なんか思ったことをその場で吐き出せると言う意味で、twitterって便利だなぁ~って思ってたけど、ここ最近、思ったことをその場で吐き出すってどうなのよ。と考えが改められつつある。

と言う建前もあるんだけど、なんか呟けばフォロワー数が減って、放っておけばフォロアー数が増えていくと言うのも、なんかモチベーション維持にはマイナスでしかない。

しばらくは、リツイートと、週1回の「極ニュースチョクホー」で凌いでいこうかなと。

と言う事で、ここ最近の自分周りのお話しでも・・・

 

 

 

〇アホみたいな怪我をした

ムスコとその友達とかけっこ競争してて、こんなコケ方するの何年振りよ。と言う位、爽快に思いっきりこけた。

しかも、片手に息子の服持ってたせいで、手が付けなくて、肩から思いっきりこけたので、左肩がえらい事になった。

正直、鎖骨ぶち折れたと思った。

打ち身なのに、内出血が凄すぎて毛穴から血がにじんで出てきてると言う、経験したことない痛み。そして、血が冷えて体の内側ら寒くなっていくと言う経験したことない感覚。

正直、膝とか手とかの傷は、これまで何度の経験したことあるやつだけど、この肩だけはマジで初めての痛さだったので、病院行ってレントゲン撮ってもらってきた。

その結果、オレの骨はメッチャ太くて頑丈で、今回程度ではビクともしないとの事。

こんな頑丈な体に産んでくれてありがとうお母ちゃん。

ただ、打ち身が凄くて、「2~3週間は痛いよ」と言われた。

あれから、2週間。

大分マシになったけど、まだ真っ赤で痛い。

そして、膝小僧のかさぶたのけるのが楽しすぎて、一向に全治しない・・・

 

 

 

〇大阪なおみ選手の会見拒否の話

まぁあれだよね。

プロとしてお金をもらっている以上、今回の事はどうなんだろうとは思う。

その意味では、先日の武井荘さんの言ってた「利益背反行為」が実に的を得ている気がする。

オレだって、お金をもらってるお仕事では、どんなに気が乗らなくても、嫌でも、ニコニコして人前に出て行って、お話ししてくる。

帰ってきたら数時間寝込むほどダメージ受けるけど、それがお金をもらってお仕事をすると言う事だから。

アマチュアでズッとスポーツしてるなら問題なかったのかも知れないけど、そこに金銭の関係が絡んでくると、そうも言ってられない。

アスリートさんって、そういうメンタル面も含めて、凄いなと尊敬できる人たちなんだと思ってたけど、そうじゃない人も居ると言う事か。

逆に、イチローとかやっぱりめっちゃ凄い人なんだなと、凄いミーハーな感想を持ったです。

 

 

 

〇AV見るなら金払えの話

ぐうの音も出ない正論だと思う。

「AV見るお金がない人は、AV見るなと言う事ですか?」と言う反論もあるらしいけど、そりゃあそうだろ。

今日日安ければ数百円で変えるんだから、そのお金も出せないような奴は精子出してる場合じゃねえだろ。

それ、チョッと自販機でジュース買うのをやめて、ドラッグストアでジュース買えば捻出できるレベルですよ。

逆に、そんなお金でAVが見られる素敵な時代だと言う事だ。

一つだけ問題があるとすれば、それはモザイクの問題。

金出して正規で手に入れたAVでは性器が見られないと言うこのねじれ構造はどうなのかと。

ただ、童貞の内はまんこはモザイクの向こう側で妄想を膨らませてる方が幸せだと思うんだけどな。個人的には。

オレも高校生の頃とか、AV見ながらあのモザイクの向こう側には、どんな素敵な世界が広がってるんだろう。と、そんな妄想が止まらなかったもんだ。

あと、やっぱりお金出して、後ろめたさ無しでやるオナニーは良いもんだと思うよ。

 

 

 

〇ピアス開ける

4コマのネタで少し描いたけど、ピアスを開けようと思ってる。

全く興味なかったんだけど、今年の初めくらいから、ずっと嫁に「ピアス開けなよ。」「この歳で初めてのピアス開ける男の人って、カッコいいと思うな。」と洗脳され続けた結果、なんか確かに35歳超えてピアス開けるって、チョッと良いんじゃないか。いや、今開けないと、いつ開けるんだ。開けよう。開けさせてください。となってしまった。

ただ・・・怖い。痛いの怖い。

思えば高校生の頃、演劇部の皆さんが部室でゴリゴリ開けてた時に、一緒に開けてもらえば、何にも怖くなかったのになぁ。あの頃は、ピアスどころかリストカットとかしてた訳で、痛みに強い女の子だったんだよ。

でも、良い歳したおっさんとなった今では、怖いよ。

穴を開けるってどういう事だよ。

処女膜破るような感じか?

まぁ、でも決意がぶれる前に開けようとは思ってる。

それだけの話です。

 

 

 

〇ライブとか行きたい

そろそろまぢで、ライブハウスとか行きたい。

そもそも人混みとか嫌いだから、行楽地とかいけなくなっても、大してダメージ無いんだけど、ライブハウスの楽しさはやっぱり好きらしい。

それともし、ライブが出来ないと言う理由で大好きなバンドさんが活動できなくなると言う事があるなら、それが一番辛い。

と言う事で、ここ最近はCD買ってても、出来るだけサブスク経由で曲を聴くようにして、少しでもアーティストさん方にお金が流れるようにしてる。

こんな微々たるもので効果が有るのかは分からないけど・・・

 

 

 

〇「G」が最終局面まで来た。

ここに来て、本来「G」の中で語るつもりなかった、オレのマンガの世界観の根幹にかかわる話をぶっ込む1話を思いついたので、更に1話追加することになった。

構成上では、94話で完結だったけど、95話で完結に伸びた。

この1話については、描かなくても良いような気がしないでもないんだけど、でも、思いついちゃったんだよ。

ただ、お仕事他諸々がありがたいことにクソ忙しい事と、G‐ゲームシリーズがとにかく作画コスト高くて、時間がかかりまくるので、予定では、完結まで一気に行けると思ってたんだけど、G-ゲームリリーズ終わり辺りで、一旦ストップしないといけないかもしれないなと思ってたりする。

もうほぼストックがない。

あんなに描きためたのに・・・

 

 

 

〇朝倉未来さんの言ってた話

ある意味、永遠の課題とも言えなくもない、「いじめは虐められる方にも原因あるんじゃね?」問題の話。

オレは、学生時代、ホントにギリギリのところで虐められることはなく、クラスの中で存在してない扱いをされてた。

どっちかと言うと、虐められてる奴を見ながら「いいなぁ~みんなに相手にして貰えて」と思ってた。

とは言え、これはオレがいたクラスでのいじめが、所謂「いじめ」よりの「いじり」だったからそう思うのであって、旭川と言う修羅の国の標準レベルのいじめだったら、絶対そんな事は思わなかっただろうて。

今となると、あの当時のオレ自身を今、すっげえ嫌い。あんな奴は、そりゃクラスで浮いてて、誰からも相手にされねえよ。と思う。

だから、いじめは虐められる方にも原因・・・とは言わないけど、選ばれる要因があったとは思う。

クラスの中で、そいつが選ばれる要因はあったはず。

でも、だったら虐めて良いと言う話にはならない。

もうね。原因だろうが要因だろうが何だろうが、もういじめたやつが100%悪くて、いじめをやった奴は人生が終了するくらい重い罰を与えられれば良いと思う。

虐める側にも原因があった。とか、そんな殺人に対する情状酌量みたいな話が、いじめにあるはずない。

で、最初の朝倉未来の話に戻るけど、この人も一切いじめを肯定してる訳じゃあないし、発言の真意としては「どうせいじめとかしてる奴はヘタレのクソ野郎なんだから、格闘技とか習って強くなれば虐められなくなるよ」って言う事だと思うんだ。

これは、本当にその通りだと思う。

格闘技やってて、ゴリゴリの強そうなやつは絶対にいじめのターゲットには選ばない。選べるほど根性ある奴はいじめとか、そんなアホみたいな事しない。

 

 

 

〇「死ぬ事」

死ぬと言う現象について、掘り下げた面白いお話を聞いた。

生物が進化して、反映していくために「死」が如何に重要かと言う話。

ざっくりいえば、細胞は分裂を繰り返していくほどにエラーが蓄積されて粗悪な存在になって行く。(これが老化現象だとする)

粗悪なものが存在することは種族として繁栄していく上でマイナスでしかないから、そんな存在を取り除くことで常に良い状態の細胞を持った個体が中心になる事で種族を繁栄させるためのシステムが寿命による「死」だと。

そして、地球の歴史において、反映したほとんどの種族がこの「寿命による死」を採用していると。

反映するために死ぬと言う、この発想は、「サピエンス全史」を読んだ時近いくらいの目からウロコな話だった。

そして、地球上で今、この本来の寿命による「死」がちゃんと機能してない唯一の種族は人間なんだと。

「老害」と言う言葉が出てきて久しいけど、まさに、この「老害」を寿命と言うシステムで種族から消すことで、生物は繁栄してきたんだって。

これを否定した時、その種族は緩やかに滅んでいく。

さよなら人類。

 

 

 

他にも色々お話しあるんだけど、しばらくはこういう思ったことをtwitterじゃなくて、ブログで書いていくってどうかなと思ったりした次第でございます。

取り合えず、やりたい事ばかり増えるけど、時間は増えないと言う現状を打破する方法を誰か教えてください。

こうやって、まんこ見えないように足組んでる写真とかイラストってこの角度以外からだと丸見えだと言う事に、ムカつく日々を過ごしております。

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2021年5月18日 21:42 CAT :

つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしオナニーにふけりけり2021 その2

まぁね。こういう事になるんじゃねえのかと思ってたんだけど、思った通りになりやがった。このくそ野郎。

ただ、なってしまったものはしょうがない。

「週に1回くらいブログ更新できるっしょ」って思ってたけど、全然余裕じゃなかった。

気が付けば、「ああ~今週更新できなかった」から「ああ~今週も更新できなかった」になってしまってた。

これはこれで恐ろしい。

言い訳ついでに言えば、思いついたネタを忘れないように・・・という想いで、チョッとだけ書きかけてる下書き記事も何件かあるんだけど、それも結局は、描き切ってないので、ダメなものはダメですね。

ダ~メダメダメダメ人間ございます。

その辺の書きかけの記事については、また、今週末からコツコツと書き進めていこう。

 

 

 

と言う事で、ここ最近の自分周りのお話しでも・・・

 

 

 

「アーバンギャルド」と言うバンドさんに激ハマりした。

なんか、spotifyのオススメでたまたま流れてきた「くちびるデモクラシー」を聴いて、「これめっちゃいいじゃないの!!」となったわけでございまして・・・

急いでYOUTUBEでMV見漁った結果、珍しくと言うか何と言うか、全部良かった。

早速CDアルバム収集を開始。

今のところ、手にできる全アルバムを手に入れました。

そしたら、「鬱くしい国」ってアルバムの1曲「戦争を知りたい子ども達」って曲の語り部分から、聞いた事のあるおっさんの声が。

やっぱりこういうサブカルな人たちとは絶対どっかで絡んでるんだね。オーケン・・・

ついでに、復帰後キンショーのアルバムではかなり良かった「Show Must Go on」の中にあった「霊媒少女キャリー」にアーバンギャルドの女性ボーカル浜崎さんが参加してたって。

結局オレが好きなのはどこまで行ってもナゴムの系譜と言う事か・・・

 

 

 

「G」の世界を再開して以降、マンガを描きまくってる。

イヤ、描きまくってると言うと語弊があるな。

でも、ちゃんと1週間に1話は描きてる。

しかも、「G」描き始めた頃から、早く書きたくてしょうがなかった「G-ゲーム」のところまでついに来た訳で、そうなると作画の方も知らんうちに凄い気合が入ってしまって・・・なんか物凄い作画時間がかかっております。

なんか、そういうんじゃなかったじゃん。と言う気持ちもありつつ、この「Gゲーム」でやっと、いつものインフレが始まって描きたい表現がいっぱいできるんだよ。

逆にここまでの「人間らしい動きをしないといけないよな」と言う窮屈でしょうがなかった制約がなくなるので、今は、描きたいシーンが次々出てきて描いてる分には楽しくて仕方がない。

もっと漫画描く時間をください。神様。

 

 

 

おうちを建てようとしている。

このオレが。

ただ、そうなるとやっぱり色々と問題が出てくる訳で、色んな所にある埋蔵金には手を出さずに、スタート時、かなり低い予算でハウスメーカーさんめぐりなどを開始した。

・・・はずだったんだけど、それでも、どうしても必要な事がやっぱり後から多々出てきた結果、かなり余裕のあった各所の埋蔵金も枯渇しつつある。

イヤね。予想外の出費が尋常じゃなく多いのよ。

そして気が付いた。

無意識だったんだけど、オレ、結構な豪邸を阿保みたいな敷地で建てようとしていた。

いや、建てる予定で現在進行している。

是非建った暁には、色んな人に見ていただきたい。「いや、こんな豪邸建ててお前は何してんの?」って言われると思う。言ってほしい。

家が建った後は、また死に物狂いでお仕事頑張るしかない。コツコツとね。

 

 

 

上記の話とチョッと被るんだけど、会社が出来た。

なので、なんとこのオレが社長になってしまった。

大学生の頃、嫁と(まだ結婚もしてなかったけど)「2人で自分たちの好きな事をやっていきたい。その為の会社とかお店とか2人でやりたいね。」と話していた。

その当時、周りの誰もが「夢ばっかり見ないで、就職しろ」と思ってただろうし、そう言う事を言われ続けてきた。

サラリーマンとしてみんな頑張ってるんだから、変な事言わないでとにかく頑張れと。

その時、嫁と二人で決めた会社名。

それから20年近い時間が流れた。

そして今、その時から考えていた名前の会社を2人で立ち上げる事が出来た。オレが社長で、嫁が副社長の会社だ。

結局、変わる事のなかった思いがついに成就したんだよ。

今、実はその事については物凄く感慨深いものがあって、それについては、別の記事で書くつもり。

ちなみに、会社の事務所とか駐車場も込みの自宅にしようとしてるので(↑)の通り軽い豪邸を建てる方向になったと言う経緯があったりする。

 

 

 

お仕事が阿保ほど忙しい。

いや、これについては本当に感謝してもしきれない。

ただただ、ありがとうございます。と、声高に言い続けるしかない。

その反面、正直キャパオーバーが甚だ凄いことになっている。

なんかね、クライアントさんが皆優しい人ばっかりで、こんな状況でも大目に見てくれているんだけど、にしても、それに甘えすぎてる。

そのうち1人キレられ、2人キレられ・・・そして誰も居なくなった。って絶対なる。

ホント、オレ自身が糞過ぎて自分で呆れてる。

取り合えず、社員雇ってバリバリに回していくか、丁寧に出来るようにもう少し仕事を制限するか、そう言う事も考えていく必要があると思う。

 

 

 

奇蹟に近いことが起こり続けている思ってる。

ここ数年、出会う人出会う人が、まぢでビックリするほど皆いい人ばかり。

何にも出来ない、本当にどうしようもないちっぽけな人間なのに、困った事があると相談に乗ってくれるめっちゃいい人と本当にここ最近よく出会えてる。

学生時代、砂漠の中の砂鉄のような扱いを受け、虐められてる奴を見ながら「相手にして貰えていいなぁ~」と思ってたオレが。

中学時代とか女子との総合計会話時間が10分にも満たなかったこのオレが。

片手の収まるくらいしかいない友達にさえ「学生時代のお前には近寄りたくなかったわ」と断言されるこのオレが。

色んな人に相談に乗ってもらって、困ったら助けてもらって、今、この瞬間を生きている。

こんな奇跡のようなことが起こってて良いのか。

なんか、実は裏で全員が繋がって、ウシジマくんのフリーターくんシリーズみたいに、オレから金を搾取するためにはめてるんじゃないのか。と、不安になるくらい、人に恵まれてると思う。

今オレにできる事は、出来るだけ一方的に助けられるばかりにならないように、少しでもお返しできるようにすることか。

と思いつつ、結局、そんな事全くできないまま、今日もまた助けられて生きております。

会社の事も、仕事の事も、それ以外の事も全部、人に恵まれまくった奇蹟の上での出来事だと思う。

どうすれば良いんだろう。

ただただ、感謝してる。

ありがとうございます。

 

 

 

上記の事と少し関連するんだけど、ここ最近、特に気を付けてる事として「人の事を極力悪く言わない」と言う事をめっちゃ心がけてる。

人に対してムカつくことはある。

あるんだけど、オレも絶対色んな人をムカつかせてるし、そのムカつくやつだって、絶対に良い所もあるし、なんか理由があるんだと思うようになった。

そもそもオレだって、人をムカつかせようとして生きてる訳じゃあない。

あと、変な達観みたいな事が起こり始めてて、あほな事やってる人を見てると、過去の自分と重ねて「きっと、人から相手にされなさ過ぎて寂しくて、やさぐれてるだけなんだろうなぁ~」みたいな生温かい目で見る事が出来るようになった。

そういう人の事でも、例え心の中で思ってても悪くは言わない。

って言うか、それよりは、自分が凄いなと思う人の事を考えたいし、誰かに話したい。

誰かと話をするときにでも、「アイツホンマクソだよな。死ねばいいのに」と言う陰口じゃなくて、「あの人はホントすげえよな」と言う話をしたい。

これ実は、数年前位に言霊の力みたいなものにはまってて、自分の気の流れをよくするためにはプラスの言霊の力を借りたらいいと言うのを見たんだよね。

で、それをチョットだけ試してみたのがきっかけだったりする。

今では割とそれが常態化してるんだけど、これが意外とストレスがたまらねえんだよな。

ムカつくことがあったら、吐き出さないとストレスがたまる。と思ってたんだけど、そもそもそういう負の感情に侵食されること自体がストレスなのでは・・・と思いつつある。

まぁ、この辺もまた、別の記事で詳しく書いてみる。

あともう一つやってる、字を書く時に気を付ける事の話も含めて・・・

 

 

 

とまぁ、ここ最近の自分周りの話をチョットだけ。

なんか、自分語りが過ぎる気がするけど、そもそもこのブログ自体がオナニーでしかないので、オレが気持ちよくなるための文章を、オレが気持ちよくなるようにスコスコこすって出してるだけなので、これで良い事にしておこう。

メッチャ時間かけて描いた「G」の1ページ。

でも、効果音と吹き出しのせいでなんか、絵が隠れてしまったので、隠れる前の絵をここにだけ載せておこう。

こんなに頑張って描いたのに、効果音と吹き出し入れるとこうなる。

イヤ、良いんだ。

オレは、絵を描いてるんじゃない。マンガを描いてるんだから。

効果音も、吹き出しも、もちろん絵も、コマ割りも全て含めて漫画なんだから。

あと、こういう見えないところに力を注ぐのも好きなので。

でも、見えないところもちゃんと描いてますよと言う事も知ってほしい。

そんな複雑な乙女心・・・

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2021年4月25日 16:21 CAT :

バリウム飲んで白濁うんこ野郎

4月入ってから、普通のお仕事に合わせて、会社設立についてのあれこれや、家を建てるためのあれこれが重なって、なんかあっという間に時間が過ぎていってる。

そのくせ、何と言うか、打ち合わせばっかりで全然実際に何かが動き出したわけじゃないからなのか、虚無感的なものも凄い。

やっと、会社の印鑑が出来上がり、定款が出来上がり、会社の方は外枠がぼんやりと見え始めた。

家の方も、いくつかのハウスメーカーさんからプランと見積もりを出してもらい、土地の方は契約を交わしたので、ぼんやりと形が見え始めた。

ただ、お仕事は今月はあんまり進まなかったな。

これは収入に直結するので、それはそれで戦々恐々。

要約すると、めっちゃ毎日なんだかんだと動いてたのに、成果としてはイマイチとぼんやり見え始めた程度。

行ってしまえば、虚無感的なものの正体だよな。

とは言え、全く何も進んでいないわけじゃあなくて、確実に前には進んでいるはず。

今年の初めに立てた目標で見れば、「ブログを週に1回は書く」「『G』を完結させる」「法人を設立する」「家を建てる」の4つは、本当に達成できそうな感じ。(家については、完成は来年に持ち越しそうだけど)

それでもう十分じゃないか。

その為の助走だったんだ。4月は。

5月はもっと頑張ります。

色々頑張ります。

・・・って、ブログを書こうと思ってたのに、日曜日にアップするの忘れてた。

まだ、週1回更新の枠内だ。

今週中に、もう1つ記事を更新すれば。

自分には甘い人間でございます。

 

 

 

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2021年4月18日 4:26 CAT :

命(なんて)短(い)し(どうせなら)恋(でもして無意味な人生に意味でも見い出)せよ人類

「痩せたい!」って言うと、嫁が健康に良いけど、太らないような食事をいっぱい作ってくれて、そのお陰で、1週間で3㎏ほど落とすことが出来た。特に苦も無く。

でも、週末にオレが「うどん食べたい!」「焼肉食べたい!」って好き勝手食べた為に、体重が元に戻ってしまった。

申し訳ない気持ちも含めた情けない感じで、今はお腹いっぱい胸いっぱい。

食の欲望には抗えないです。

地下に監禁されて、ペリカで生活しているわけでもないのに。

さてさて。

本を読むのが昔から大好き。

基本的には、漫画が多いけれども、なかなかどうしてそれ以外の本もなくはない。

読む本の傾向としては、下記の3つがある。(と思う)

 

〇知的好奇心を満たすための本

〇娯楽的快楽を満たすための本

〇社会的欲求を満たすための本

 

「知的好奇心を満たすための本」って言うのは、興味があって知識を深めるために読んでる本。

今は、「サピエンス全史」と言う本を読んでる。

元々、大学では考古学を先行していて、文化人類学もチョッとかじっていたりするので、この「サピエンス全史」は物凄く興味深い。

考古学的な視点を交えつつ、文化人類学的な立場から、そもそもこの地球の生物史における「サピエンス」の存在について考察していると言う、もう好きものにとっては垂涎の本。

特に、有史以前の虚構を信じることができるようになった認知革命、人間が麦の家畜となってしまった農業革命のあたりはメッチャ興味深かった。

いや、まだ全部読んでないんだけど・・・これについては、全部読破してから、またチョッと自分なりの意見とか書きたいなと思ってる。

ちなみに、その前は「サンカの最新学」と言う本を読んでいた。

日本の山奥に存在していたと言う、日本の原住民族「サンカ」についての研究をまとめた本で、こちらも非常に興味深かった。

そんな話をし始めると、「日本」と「倭国」の話とか、そういう話にもなってくるんだけれども・・・

閑話休題。

次。

「娯楽的快楽を満たすための本」は、単純にオレが好きで読んでるマンガとか小説。

漫画では、今、心がざわめきまくってるのは「チェンソーマン」「血の轍」「望郷太郎」辺りだろうか。

ずっと大好きだった「進撃の巨人」「亜人」が相次いで完結してしまって、最後まで読める喜びと、心にぽっかり穴が空いた感が寂しい今日この頃。

「ハンターハンター」と「ヒストリエ」については、無の境地で待っている次第でございます。

「ヒストリエ」も11巻出たばっかりだと思ってたけど、あれからもう2年近く経つんですね。

小説では、エッセイじゃないオーケンの物語の小説、江戸川乱歩辺りがもう好きで好きでしょうがない。寺山修司も大好き。

夢野久作の「ドグラマグラ」は、何度も読もうと試みるんだけど、いつも上巻の途中位で力尽きてしまう。弟曰く、「我慢して上巻読めば、下巻は面白すぎて一気に読める」らしいけど、その我慢が出来ないままです。うむむむ。

考えてみれば小説ってもう、江戸川乱歩はもとより、オーケンも新作の小説書いてくれないから、ほとんど新しいものに手を出してないな。

でも、なぜかマンガと違って小説って、何回でも何回でも同じ話繰り返し読める。

何でだろう・・・多分、小説の方が妄想できる余地が大きいからだろうかね。

再び閑話休題。

最後の「社会的欲求を満たすための本」。

一応、こんなでも社会生活の真似事のような事をしていて、その上で、知っておくべきことを知るために読んでいるヤツ。

言ってしまえば、読みたくて読んでいると言うよりは、しょうがなく手にしてる感じの本ですよね。

今は、事業の法人化に合わせて、資金の運用とか節税について知りたくて、「橘玲」って人の「黄金の羽根の拾い方」と言う本を読んでる。

あと、家を建てるための「新築のススメ」みたいな本も先日買ってきたな。ほとんど読んでないけど。

チョッと前は、「SDGs」についての本、もう少し前はゴールドラットとか言うおっさん書いたの「toc理論」についての本とかを読んでた。

とか、偉そうに言ってるけれども、これらの本については、本当に興味がないので、尋常じゃなく読めない。

とにかく読めない。

1ページすら読むのにめっちゃ時間がかかる。ほとんどの本が「置き本」「積み本」になってしまっている。俗にいう「積読」と言うヤツだ。

でもなぁ~やっぱり、知っておくべき内容なんだろうな。

こういう事については、読むより詳しい人に教えてもらう感じの方が気が楽でいいんだけどね。

 

 

とまぁ、色んな本を読んでたりするんだけれども、実は、昔と比べて本当に本を読まなくなってしまった。

読みたくないんじゃなくて、読む時間が無くなってしまった。

朝起きてから、寝るまでほとんどPCの前にいて、ベッドに入ると力尽きて本を開くことなく寝てしまう。

もっとインプットしていかないとダメだよな。

ただ、本は出来るだけたくさん持っていたいので、今度家を建てる時には、オレの大好きな本が所狭しと置かれた書斎と言うか、書庫を一部屋作る予定。

これは、結構昔から憧れてた事で、実家にあるホントかも全部がっつり持ってきて、そして、その中にこもって本が読める生活になればいいなぁと。

そんな事を妄想しております。

ちなみに、唯物論者という訳じゃないけど、電子書籍は不満。

やっぱりね、紙とインクのニオイとか、ページをめくる感じとかが好きなんだよ。あれがないと、チョッとどうしても寂しい・・・

まぁ、そんな感じで、今日はおしまい。

オーケンの小説で(半分エッセイだけど)一番好きなのは、やっぱりこの「リンダリンダラバーソール」。

このラストは、何度読んでも泣いてしまう。

あと、江戸川乱歩で一番好きなのは、圧倒的に「蟲」。

これもラストの、柾木愛造が河原で土下座するシーンは、何度読んでも号泣してしまう。

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2021年4月11日 4:00 CAT :

お家を建ててみよう 第1話「土地を買ってみよう」

今の生活でオレは自分の欲しいものはほぼ全て手に入っている。

これは、オレがめっちゃ金持ちになったという訳じゃあない。物欲に恐ろしいほど低いんだよね。

車とか、服とかにも全く興味ないし、趣味はマンガ描いたりギター弾いたりすること。

マンガなんて、デジタルに移行した今となっては、電気代さえ払えばずっと描いていられるし、ギターはオレの愛する「てっちゃん」さえあれば十分。

あとは、本とかCDを月に数千円くらい買えれば、もうオレの人生はOKだ。

ギャンブルはもちろん、酒もたばこも一切やらない。

こんな生活でオレは満足してる。

そんな志茂田さんが、この度、なんと家を買う事を決断しまして・・・

その経緯も色々あるにはあるんだけど、それも含めて、家が建つまでをチョッとだけ、このブログでレポートしていってやろうかな。と思い立った次第です。

今日は、その第1回目「土地を買ってみよう」をお届けいたします。

 

 

 

さてさて。

そもそもの経緯から話すと、一番の原因は弟が結婚したことだったりする。

一応、オレは長男だったのでいずれ実家に帰って、親の面倒を見るんだろうと思ってたし、考えた。あと、その旨を親にも伝えてた。

で、その際オレが帰ってきた時に住む家として、実家の離れがあって、そこをリフォームして住むような話もしていた。

オレは、本当なら娘が小学校に行くタイミングで実家に戻る事も検討したんだけど、まだ弟が実家にいた為、オレが家族で実家に住み始めると肩身が狭いかなみたいな事や、娘の学区が変わってしまうと言う事もあって、それはやめて賃貸でもうしばらく粘る事にした。まだ、両親も介護が必要なとかそんな緊急性のある感じでもなかったし。

そして、去年。弟が結婚した。

結婚自体はおめでたい事極まりないんだけど、その際に弟は収入が無さ過ぎて、実家を出る事が出来なかったらしく苦肉の策でオレが住む予定だった実家の離れをリフォームし始めた。

オレに何の相談もなしに。

「さすがにそれはないんじゃねえの?」って事で、去年の夏辺りに弟とは、まぁまぁ懇々と話をして、「勝手な事してすみませんでした」と謝罪もされたでの、まぁ、この件については、もう水に流すことにした。

したんだけど、そうなると、もう今の賃貸で住んでる意味って何なんだよ?

オレは見知らぬ大家さんに毎月数万円。年間だと100万円近いお金を渡し続けてる。

それやめても良くね?

オレに残された道はあと3つ。

 

↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 

 

1.今のまま賃貸に住み続ける。

2.弟がいずれお金が貯まったタイミングで家を出たりして、その後に、その弟がこねくり回した家に入らせてもらう。

3.両親と同じ家で同居する。

 

正直に言おう。

なんでやねん!

どれもお断りじゃい!

(↑)こんな気分。

勝手に、何の相談もなしでやったんだから、その責任くらい自分で取りやがれ。

オレは、もう実家に戻る気は失せた。

そして、その為に妥協してたココ10年くらいのお住まい事情に対して、未だにムカついてる。

もうオレも、好き勝手するよ。何の相談もなしにな。

お仕事がありがたいことに増えてきて、事務所をちゃんと作ろうと思ってた事。

来客や、お仕事を手伝ってくれている人が来てくれても止める駐車場がない事

今の家では、仕事の事務所をちゃんと取って、子どもたちの部屋を取る事が出来ない事。

などなど、いくつかの複合的な理由もあって、だったら家を買ってしまおう!と言う事になった。

流れとしては、そんな感じでございます。

 

 

 

まず考えたのは、嫁ともども古いものが好きなので、中古物件を買って好き勝手にリフォームすると言う計画。

実際に、何件か内見もして、リフォーム業者さんに見積もり作ってもらう所まで行ったりもした。

したんだけど、立地条件、建物の雰囲気、希望通りのリフォームになるかの3点全てを満たしてくれる要件はなかなかなかった。

終いには、工務店の人に「リフォームより新築の方が安くて良いものになりますよ」と言われる始末。

いや、それはオレの希望が多すぎたせいなのかもしれないけれども・・・

家なんて、そうホイホイ買い替えるものじゃあない。

どうせなら、今現状で希望していることくらいは叶えたいじゃあないか。

希望してるのは、「車が数台止められる駐車場」「来客と従業員のスペースが取れる事務所」「子どもの学区が変わらないで、人が周りにほとんど住んでないところ」の3つ。

あとは、まぁ正直どうでも良い。

それ以外のところは全面的に嫁の好きに作ってくれていいです。予算内なら。

でも、この希望をかなえられるものが本当にない。

お仕事で付き合いのある社長さんとかにも、色々相談した。

その中で「そんなでかい予算で考えてるんなら、どんな希望の新築でも建ちますよ。志茂田さん!」と、とある社長さんに言われた。

それまで全く新築を建てると言う事を考えてなくて、選択肢にも入ってなかった。

無知すぎて、家を建てる事に対してどのくらいの予算が必要かも良く分かってなかった。

そうか。そう言うものなのか・・・

早速、「新築を建てる」と言う選択肢を増やすために、ネットで物件情報サイトにアクセス。売りがかかっている土地を調べてみた。

すると、数日前に売りに出たばっかりのひとつの土地が目に留まる。

普段嫁と散歩してる時によく通る場所。嫁と「ここ雰囲気いいねぇ~こんなところに住みたい」と話してた場所。

周りが畑で住宅密集地からちょっと離れた所。

でもちょっと行けば大きい道路があって個人的にはアクセスもかなり良い感じ。と言うか、横に幹線道路とか、近所にコンビニがあるような場所が嫌い。

もちろん、今住んでる所の近くなので、子どもの学区も変わらない。

広さもかなりある。駐車場5台くらいとって、大きな庭作って、別宅で事務所建ててもまだ余るくらい。

そして、坪単価でもめっちゃ安い。

周りが田んぼで道路から少し入ったところにある土地は、総じて坪単価が安いんだけど、それに輪をかけて安い。

土地を買う場合、やっぱりに気にしてたのは災害とかの関係と、土地の雰囲気と、前は何に使われていた土地なのかみたいな事だと思う。

その辺も調べてみた。

自治体が出しているハザードマップとかで調べてみた感じでは、津波とか土砂災害、水害などは全部大丈夫。

雰囲気は前述のとおり嫁ともどもお気に入りの場所。

見渡せる景色もディモールト良い。

取り合えず、電話するの苦手なので嫁に不動産屋さんに電話してもらうと、その翌日担当の人が家までやってきた。

早速、その土地の状態を聞いてみた。

不動産屋さんに聞いた話では、このコロナ禍でキャッシュが必要になった町内の企業さんが知り合いだったその不動産屋さんに格安で売ったものらしく、以前は、資材置きなどに使っていたけど、ずっと農地だったらしい。

価格が安かったのは、元々買値が安かった事と、以前農地で今は宅地にはなっているものの、地盤を作る外構工事が数十万かかる為だったらしい。

不動産屋さん的には、取り合えず出してみて、売れなかったらちゃんと地盤調整して、値上げしてもう一度売りに出すつもりだったとか。

そもそも、あんなアクセスの悪いぽつんと田んぼの中にあるような土地が売れるとは思ってなかったって。

いやいや。オレは、ずっとそう言う土地を探していたんだよ。

これは運命だと思った。

次の日には、その土地の仮手付金を払っていた。

こうして、オレは本当に誰にも相談しないで土地を手に入れてしまったという訳だよ。ワトソン君。(もちろん、嫁や子どもたちとはよく相談したけど)

 

 

なんか、こういうのって直感とタイミングだと思うんだよね。

最高の立地でめっちゃ広い土地は手に入った。

あとは、この上にどんな理想のマイホームを建てるかと言う話。

人と会う事が何よりも嫌いなんだけど、今がんばって、ハウスメーカーさんめぐりを行っております。

と言う事で、次回は「雑念を振り払ってみよう」。

家を建てるために考えないといけない悲喜こもごも。

ハウスメーカーさんに丸投げは出来ない。

色々と飛び交う雑念に振り回され続ける志茂田さんを救ってくれたのは、とある一人の社長さんの一言だった。

(いつになるか知らんけど)次回を待て!

 

 

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2021年4月1日 12:31 CAT :

11デノナルーフルリプイエ

オレが生まれた時、実は双子だったとこを知っているのは、両親と嫁だけだったりする。

生まれた時オレは、無頭症と言う所謂脳がない状態だった。

そして、一緒に生まれてきた兄は、体のほとんどを欠損した状態だった。

つまり、兄は首から上が正常で、オレは首から下が正常な状態。

このままではどちらも命は保証できない。

そう説明された両親は、オレの体に兄の首から上をすげ替え、一人の人間にすることを決断した。

成功率はほぼ0に近かったが、それでも藁にも縋る想いで下されたこの首のすげ替えと言う決断の結果、今オレはこうして、日々を当たり前に過ごしている。

生まれたばかりの体だった事、遺伝子的に同じだった双子だった事が幸いだったと言う事を随分後になって聞かされた。

兄は死産と言う事にされ、戸籍上オレが存在してる。

長い時間が流れ、そんなオレも結婚し、子どもを授かり、曲がりなりにも家庭を持つことが出来た。

首と体がよくなじんだ為、今では手術跡が気が付かれる事もほとんどない。

ここ最近思う事がある。

この人生は、オレの人生だったのか・・・

オレは誰なのか・・・

今ついている脳みそは本来兄のモノだった。

だとしたら、今オレが考え、感じ、見ている世界は、兄が考え、感じ、見ている世界なんじゃないだろうか。

確かに体はオレのものだから、子どもたちは間違いなくオレの血が流れているだろう。

でも、その子どもたちに対して、なんだか不思議な感情を抱いてしまうのは、モノを考える脳がオレのモノじゃないからかもしれない。

人は良く、心のある場所として心臓の位置をイメージする。

だが、物事を感じ取る場所はどう考えたって、脳だ。

心がある本当の場所は、脳なのか、心臓なのか。

脳であるのならオレの心だと思ってたものは、兄の心だったのかも知れない。

何十年と思い悩み、苦悩しながら、それでも前を向いて生きてきた。

その悩みは兄の悩みだったのだろうか。

夜そんな事ばかり考えて、最近眠る事が出来なくなってしまった。

また、今日も眠らないまま夜明けを迎えた。

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2021年3月28日 4:00 CAT :

月に行くつもりじゃなかった

生徒会の役員とかやって高校生の頃の話。

オレの通っていた高校では、クラス対抗の球技大会が毎年行われていた。

種目は野球だった。

そして、何でか主審を生徒会の役員がやると言う変な決まりがあった。

クラスで、信じられない位浮いてて、嫌われ者だったオレにとっては、それはそれは苦痛な経験だったんだけど、その中でまぢでもう、どうしようもなく泣きそうになったことがある。

それは、同学年の別のクラスの試合の時。

1点差で負けていたクラスに、オレを中学校の頃にいじめる・・・とまではいかないけど、普段から見下しててスキさえあればボコボコ暴力をふるってくる、めっちゃ嫌いな奴がいた。

試合終了時に「お前の権限で、あと1回延長しろ。このままじゃオレのクラスが負けちまうだろうが。」的な事を言われた。

それに合わせて、そのクラスの他の生徒も詰め寄ってきて「あと1回!あと1回!」みたいに煽ってきた。

ビビってた事が半分、あと、ノリが悪い奴だと思われたくないという想い半分で、オレはこの時・・・「じゃあ、あと1回だけ延長します!」とやってしまった。

予想できるかもしれないけど、結果その1回で逆転が起こった。

オレに詰め寄ってきてたクラスは狂喜乱舞してたけど、今度は、勝ってたのにオレの一存で勝手に延長された挙句負けた、もう一つのクラスが「ふざけんなよ!もう1回延長しろ」と詰め寄ってきた。

今考えたら、そりゃあそうだ。

でも、虐めてたやつがいた方のクラスは「もうこれで終わり。オレらの勝ち!」ってなってる。

物凄い責められて、あたふたしてた。と言うか、本当に、泣きそうになった。

結局、この時オレは「公平にするために、あと1回だけ延長する」と言う事にした。

その回は逆転は起こらず、「もう1回」って言う声もあったけど、「公平に1回ずつ延長したので、もうこれで終わり」と無理やり試合を終わらせた。

後で、先生からも「勝手に延長して、引き伸ばすな」と叱責されるし、負けた方のクラスはどうしたって納得がいかずに、クラス全員から多分物凄く嫌われたと思う。結構な禍根も残った。

あの時の事を思い出すと今でも、お腹のあたりがきゅ~ってなるのを思い出す。

さてさて。

遂に聖火ランナーがスタートしたらしい。

いよいよオリンピックは開催に向けて、舵を切り始めた。

オリンピック開催の是非についてって、実際に物凄く色んな意見がある。

そもそも誰もオリンピックが本当に政治的な面を排除して、本当の意味で国家間の思惑をすべて排除した平和の祭典だなんて思ってない。

利権と言うか、金の話もかなりあるだろうて。

でもそれと、本当に人生をかけてこのオリンピックにかけてきたアスリートさんの気持ちは全く別問題。

国家間の思惑とか、利権のためなら、中止にした方が良いけど、アスリートさんのためには、開催するべきだと思う。

と言う事で、オレは「開催した方が良いような気がしている。けど、開催のやり方は考えた方が良い」と思っている。

具体的に言うと、今後オリンピックは本当の意味で、政治に左右されず、国家間の軋轢とかも関係ない、クリーンに純粋にスポーツだけを競う平和の祭典となる。

開催国となった国は、人生をかけた世界中のアスリートたちを全力で本当の意味で応援する。国民がその為の負担も理解して招致に賛成した場合にのみ、開催国として名乗りを上げる事が出来る。

金もうけに利用されないために、広告費用などで利益を上げる行為もなし。運営に必要なお金については、世界中からの寄付と開催国が負担をする。

世界最大のチャリティーイベントみたいな感じかな。

24時間テレビみたいな嘘くさいものじゃない、本当のチャリティーイベント。

日本が、その最初の開催国になる事で、歴史に名前を残すと言うのはいかがだろうか?

来年のオリンピックからも、もちろんこの超絶クリーンな世界的平和の祭典となる。

政治的プロガバンダには一切させない。ジェノサイドのための利益も与えない。

そうすると何となく、来年オリンピック開催されない気がする。コロナ関係なくボイコットしそうな気がする。

そんな国がお隣付近にあったりするのですよ。

このご時世にジェノサイドを行っているようなお国がね。

まぁ、それはそれとして、これを続ければ、今みたいに招致合戦は多分なくなると思うんだ。代わりに開催国を擦り付け合うようになると思う。

もし、政治的プロガバンダとしても使えず、利権も絡まない、負担があるだけのチャリティーイベントでも招致合戦がこれから先ずっと行われるのであれば、オレの考え方が悪意に満ちていただけで、世界は思っていた以上にクリーンで美しいものだったと言う事なんだろう。

絶対そうはならないだろうけどな。

この話は絶対現実にはならない。

そんな事は分かっている。

取り留めが無い話ではないです。

オリンピックの開催を巡っての意見って、誰の意見も間違っていないと思うんだ。

こんな時期に開催するなんて馬鹿じゃねえのと言う意見も正しい。

アスリートの気持ち考えれば中止なんてできる訳ないと言う意見も正しい。

無観客でやって膨大な赤字を出したら経済が死ぬわと言う意見も正しい。

海外から人を入れてコロナが拡大したらどうするんだと言う意見も正しい。

そして、結論を出すのは、最終決定権を持っている人だよね。

その人が様々な意見を考慮しつつ、最終的に決定を下す。

意見は全て正解だから、全方位100%納得させることができる決定は物理的にない。

規模が違い過ぎて、もう恐縮しきりではあるんだけど、この現状で決定をする人の気分って、冒頭のオレの審判の時の状況とチョッと似てると思うんだよね。

あっちに良い顔して決定をすると、こっちから叩かれる。こっちに良い顔して決定すると、あっちから叩かれる。

両方に良い顔することは出来ない。

このどう考えても叩かれる中で、この決断に心血を注いでいる人は、本当に凄いと思う。

今一番大切な事は、その人が出した決定に対して、それが自分の考えに合う合わないに関係なく、全力で手伝う事じゃないんだろうかね。

開催することが決定したのであれば、もう反対の立場の人も成功するように全力を尽くすべきだし、中止になるのであれば、開催に賛成だった人も中止になるために起こるであろう諸問題に対して善処していくべきだと思う。

本来日本人として、日本でオリンピックが行われるとなれば(↑)の思考になるでしょ。

「ほら見ろ!オレの言った通りだろうが」とか、何の責任もない所から声を上げて邪魔する事にどれだけの意味があると言うのだろうか。

これについては、色々思惑と言うか、陰謀があるんだよね。

その辺についてあんまり詳しく書くつもりはないけど。

今、日本で一番邪魔しているのが、マスコミの皆さんなのは誰の目にも丸わかり。

あとは、何も考えないで、マスコミさんの言う事を鵜呑みにしてる、声だけはでかい頭の悪い人もか・・・

では、何でマスコミは足を引っ張り続けるのか。

開催が決まった上で足を引っ張って失敗させる事で喜ぶ国はどこなのか。

チョッと考えれば、今、オリンピックの周りで渦巻いている陰謀について、誰でも分かると思う。

そう言う事を色々知ってくると、自分で描いてるマンガの世界に渦巻いてる陰謀なんて、実にチープなものだと思ってしまう。

現実は小説よりもオレのマンガよりも奇なりだ。

だから、オレの思ってる上記の、開催方法を変えた上での開催も絶対に実現しない。

そんな事になると困る来年オリンピックを開催する国がお隣付近に存在しているからね。

自分で調べる事が出来るようになったこのご時世。

まだ、受け身で与えられた情報だけに踊らされている奴はもう駄目だよね。

ネットに散らばってる情報って、取捨択一が大変ではあるけれども。

取り合えず、森さんの失言を歪曲して取り上げた人たちと表現を不自由だと言ってる人たちが同じようなメンバーの別名義のグループ内で繋がってたりすることは、たまたまの偶然なんだよね。

結局、うまく繋がったのかどうかは分からないけど、色々怖い世の中になったもんだとは思う。

信じるか信じないかは・・・

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2021年3月21日 4:25 CAT :

処女の奇妙な冒険 第3部 未来への遺産

毎晩、ほぼ徹夜するくらいの時間お仕事してる。

それに対して「大変ですね」とか「お忙しいですね」とかよく言われる。

そうやって声かけてもらえる事には、ディモールト感謝しかない。

感謝しかないんだ。

その上で、非常に申し訳ないのだけれども、今の生活にオレは物凄く満足している。

そもそも、この夜中まで起きてないといけないのだって、眠くなったらお昼寝したり、マンガ描いたり、マイクラしたり、好きな事をやってる結果、時間が無いから睡眠時間を削っているだけで、言ってみれば、好きでこんな生活をしているきらいもあったりなかったりするあったりする(多分ある)。

なので、本当に恐縮してしまう。

好き勝手やってるのに、ご心配おかけする感じになっちゃってすみません。いや、ホントに。

会社勤めしてた頃のあの首を絞められるような息苦しさは、今はもう本当にない。

つくづく会社勤めとかに向かない人間なんだと思う。

それはそれとして、何でオレは、こうやってお仕事してるんだろう。とか、ふと考えてた。

これに関しては、もう100%家族の存在があるからだろう。

断言しても良いけど、オレが結婚もしてなくて、今でも実家で子ども部屋おじさんをしていたとしたら、オレが遊べるだけのお金をチョッと何かして稼いで、それでズッとダラダラしてたと思う。

まぁ、今の仕事をオレに提案したのが、嫁なので、嫁がいなければ、そもそも論として今の生活になるはずはないんだけども・・・

結婚した時には「これから二人で生活するんだ!ちゃんと会社勤めとかしてお金稼ぐぞ!」みたいなちょっとした責任みたいなものを背負った気がした。

娘が生まれた時には「この子だけは、何があってもオレが守り抜かないといけないんだ!」みたいな結構大きな責任を感じた。

息子が生まれた時には「こいつは、いよいよ頑張らねえといけねえな!」みたいなさらに大きな責任を感じた。

今の毎日は、この大きな責任と、やりたい事をやりたくてしょうがないオレ個人の自我のせめぎあいだと思ってる。

もし、オレに自我・・・と言うか、やりたい事とか、変な欲求とか一切なければ、多分、本当に延々と仕事してるんだろう。その結果、もっといっぱいお金を稼いで、お金持ちになっていたかもしれない。

ただこれはサラリーマン時代からズッと考えてた事なんだけど・・・

「オレは何のために仕事してるんだろう」

と言う疑問がある。

サラリーマンしてた頃は、繁忙期とかになると、本当朝の4時とか5時まで仕事して、帰ってきてから仮眠取ったら会社に行ってた。その上、月に1~2回は休日出勤もあった。

あまりにも寂しくなった娘が、オレの昼休みの時間を狙って会いに来てて、その為にオレも20分くらいだけ仕事を抜け出して、娘に会ってた。

その時間しか子どもと触れ合えないみたいな時期も長かった。

チャイルドシートに縛り付けられて長時間車に乗るのが大嫌いだった娘が、それでも、ぐっと我慢して、オレに会うために30分以上車に乗ってきてくれてたのを見て、胸が張り裂けそうになったのを覚えてる。

家族のために仕事を頑張ってるつもりだったけど、これは本当に家族のためなのか?

家族を最優先に出来ないような仕事の仕方で、本当に家族のためになるのか?

そんな事をばかり考えてた。

今の生活では、オレは家族の誰よりも家にいる。

仕事部屋にこもりっきりだけど、めっちゃアップアップしてる時でもなければ、誰で勝手に入ってきて、色々話も出来るし、息子なんて「マイクラしよう」って誘ってきてくれて、そうしたらチョットの時間位なら一緒に遊べる。(まぁ、マイクラやり始めてチョットで終わる事なんてまずないんだけれども・・・)

収入で見ても、あの頃よりはかなり増えた。

(ただそれに関しては、あくまでも副次的なもので、収入が減っていたとしても、今の生活が良かったんじゃないだろうか)

何のために仕事しているのか。

そんなもの、家族でニコニコ生活するために決まってんじゃねえか。

家族がニコニコ出来ないほど、仕事ばっかりしてまでお金持ちにならなくても良いと思うんだよ。

大金持ちになって、豪邸に住んで、ブランドもので身を固めて、高い車乗りましたところで、生憎うちの家族はニコニコしなんだよ。

うちの家族がニコニコするのは、ほどほどの生活だけどいつもみんな一緒に居る事なんだよ。

取り合えず、今、オレが基準にしていることは、子どもたちの希望を応援できるかどうかと言う事。

それは、もちろんおもちゃとかを何でも買って甘やかす的な意味じゃあない。

例えば、娘が習い事をしたいと言い出した時に「行かせてあげたいけど、お金が無いからゴメンね」と言う事だけは絶対に避けたい。

今のところは、そう言う意味でのお金の苦労を子ども達が一切感じずにノビノビ育っていってくれている。

オレも、子どもの頃「うちは貧乏なのよ」と親にずっと言われてきたけど、世に言う「お金での苦労」を全くしたことがない。

本当に必要だと思うものに対して、買ってもらえなかったり、無理だったりした事は一度たりともなかった。

今になれば分かる。

両親も、今のオレと同じような気持ちだったんだろう。

オレも、子どもたちには「お父さんは、お金が全然ない貧乏だから」と事あるごとに言ってるけど、一応、今のところ、子どもたちが望むものは全て叶えてあげられてはいる。

オレが今、急に死んだとしても、最低でも、子ども達が成人するまでは、騙し騙し生きていける程度には準備出来ていると思う。

これに関しては、オレなんかにお仕事をくれている皆々様に対して本当にどれだけ感謝してもしきれない。

後の問題は、この生活がいつまでも続くように、日々を出来るだけ丁寧に生きていくと言う事だけなんだよ。

チョッとだけ愚痴を言うのであれば、オレも、嫁みたいに子どもたちともっとずっと一緒に居たい。

いつも家で仕事しているとは言っても、メインで子育てしている嫁とは比べるまでもない。

しょうがないし、嫁は嫁でもちろん、色々苦労してるんだけど、それでも、時々「オレもああやって子どもの成長を間近で見続けたいな」と思う。

それでも、サラリーマン自体とは比べられない位、そばに居られてるんだけどね。

ひとつの欲求が当たり前になると、更にどん欲になってしまう。

人間、欲求は本当に底なしだ。

と、変な所に着地したところで、おやすみなさい。

でも、仕事は家族より軽い。

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2021年3月14日 4:04 CAT :

言葉を殺すな 声を殺すな デモクラシー

先日、とある女性とお話をしてきた。

その人は、長年勤めていた仕事を退職して、今後の身の振り方で悩んでいるらしく、「うちの事務所で雇うって言うのは難しいけど、フリーでやっていくのであれば、仕事回すことはできますよ」みたいなお話をしてきた。

その時のお話し。

どうも、社会保障とかの観点からも、どこかに勤めたい(と言うか、雇ってほしい)っぽいことを話してた。

なんか、チョッと前にもこんな話する人いたような気がする既視感もあるけれども・・・

一応「フリーでやっていくとか、自分で事業立ち上げるとかは考えないんですか?」って聞いてみたら、「女の私が一人で、そんな事やっても舐められるだけでうまくいかないですよ」と。

うむむむ。

それ、男が同じ事言ったら、本意は別としても、森さんのように世界中からバッシングされるレベルの話だよね。

前職の職場がそういう今時、思いっきり男尊女卑な職場だったのかも知れないけど、その話に、オレとその場にいたもう一人の社長さんは、チョッと固まってしまってた。

と言うのも、オレも、その社長さんもそういう「女だから」と言う部分で、人を見た事がほとんどなかったからなんだよね。

チョッと話はずれるけど、最近「女性役員の割合を〇%まで増やす」みたいな話をちょくちょく耳にする。

この話に対して、オレはすごく違和感を感じる。

何と言うか、そういう問題じゃねえと思うんだ。

男だろうが女だろうが、凄ければ役員でも社長でもなんでもすればいいし、無能ならずっとお茶くみとか受付とかしておけばいいんだよ。

「女なんだからお茶くみしておけ」って言うのは絶対間違ってるけど、「女だから役員しましょう」って言うのも同じレベルで間違ってると思う。

こういう事を言うヤツって、結局世間体気にはしてても、本質は何にも変わってない。

チョッと前に、盛大な親子喧嘩で話題になった大塚家具の娘社長。

一瞬で会社をボロボロにしたあの人に対しても、「だから、女がトップに立つと碌なことがない」と言う批判を見たりするけど、それは大間違い。あれは「無能な女が勘違いして社長なんかするから碌な事がない」だけであって、大事なところは「女」ではなくて「無能」の部分だと思う。

だって、大塚家具の場合あれが、無能な男が勘違いして社長してたとしてもどうせ、碌な事になってないって。

たまたま、ホント脳みそが入ってないピーマン頭脳の女ばっかりいる職場で、「女性役員の割合を〇%まで増やす」と言う理由で、アホみたいな女が役員をしたって良い事なんかない。

まぁ、そんな状態の会社なら、すでに役員がピーマン頭脳の男ばっかりなんだろうけど。

「女だから」と言う理由で見下される事はあってはならないけど、「女だから」と言う理由で優遇されるのもオレは差別だと思ってる。でも、どうも世のクソ似非フェミニストさんたちは、優遇される方の差別を迎合してるきらいがあるような気がしてならない。

だから薄っぺらで、似非なんだよ。

先日も少し触れたけど、日本でフェミニスト気取ってた女が、男女差別のない北欧の国に移住した時の話。

女性が重いもの持ってる横で、男性が何もしないのを見て「男性に持ってもらわないですか?」と聞くと「自分のに持ち物なんだから自分で持つのは当たり前でしょ」と言われて衝撃を受けて、自分の男女差別の考え方が如何に歪だったか思い知ったらしい。平等と言う事は、そう言う事。

本当に差別をなくしていいんだな。

例えば、女性専用車両と言う発想だって、あれ、本来のフェミニストの考え方からすると、とんでもない差別思考なんだからな。

そんなこんなで、オレは冒頭の人の「女が一人でやってもうんぬん」の話に対しては、「オレは、そう言う事全く考えてないですよ。男だろうが女だろうが、納品できるレベルのものを持ってきてくれたら問題ないですよ。」と話しておいた。

オレは、「女だからちょっと甘いところあっても大目に見て~ウッフン殺して~」みたいな態度のヤツの方が死ぬほど嫌いなので、その部分では本当に一切差別はしないです。

出来ない奴は、男でも女でもガン詰めするし、オレがダメなときは男だろうが女だろうが年上だろうが年下だろうがガン詰めされてもしょうがないと思ってる。

オレがダメだったら、年下の女にガン詰めされたって、土下座する勢いで平謝りする。

そりゃあそうだよ。

気に入らなければ、女でも手を上げるし、物凄い罵倒もする。全然しますよ。「女は弱い生き物だから優しく守って」とか知るか。男女平等を望んでるんだろ?

「生理痛が辛い。女の子は調子がいい日は月に数日しかない」とか知るか。それで、稼働日が減るんなら、その分給料減らすわい。男女平等ですからね。

とは言え、そんなオレでも結婚しておりまして、もう嫁とホントに20年くらいずっと一緒に居るので、女性のその辺りの辛い部分も多少は分かってるつもり。

嫁が今日体がだるいと言う日には、「無理しないで休んでな」って気遣って、出来る家事とか子どもの迎えとか代わりにやってたりする。でも、別にそれで遅れた仕事とか、減った収入分の補填を嫁に求めたりなんかする訳ない。その分徹夜で仕事してる横で、嫁が辛そうに横になってても、心配こそすれ、それ以上に何も思うことはない。

それは、オレと嫁が2人で1人。出来ないところをお互い補って生きていこうと誓い合った仲だからであって、この話と男女平等の話は全く別。

あと、嫁はもとより、数少ない友人の誰かが助けを求めてきたら、オレは多分全力で何とかしようとするよ。それだって男とか女とか関係なし。でもこの話も男女平等の話は全く別。

なんでオレが見知らぬ女のために不利益を被らにゃあならんのだよ。

じゃあ、その見知らぬ女は、オレが体調崩して寝込んだ時に、代わりに仕事してその収入をオレにくれるのか?

くれないのであれば、そんなものは男女平等でもなんでもない。ただ自分を優遇したいと言う糞みたいなエゴの押し付けでしかないよね。

いや。ダメだ。

なんか、余計な事色々書きすぎたか。これじゃあ、森さんになってしまう。

取り合えず、そんなこんなでしばらくはその冒頭の女性ともチョッと一緒にお仕事してみようと思っております。

もちろん、仕事のパートナーとして。

本人が言ってたような女だからと舐めるようなことは一切ないけど、女だからって大目に見ること事も一切ない感じで。

イヤしかし、ここ最近のアホフェミニストのせいで、差別はダメだけど優遇してほしいと言う都合の良い変な考え方が、世論に影響を与え始めてるのが、やりづらい世の中になったよな。

どうでも良いけど、(↑)の森さんの例の女性蔑視発言。

あれ、全文読んだら「女性がいると会議が長くなると言う人がいますが、私の組織の女性はそんな事はない素晴らしい人たちばかりです」と言う女性賛美としか取れない発言だったのビックリした。

撤回するって言う事は「私の組織の女性はダメダメばっかりですよ」っていう話にならないのかな?

この発言の前半部分を悪意を持って歪曲して切り取り報道してるマスコミってホント糞だよなぁ~

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2021年3月7日 4:08 CAT :

絶対に選べないのに無理やり選んで人生で1番を決めるシリーズ「映画」

前回やってから気が付けば、半年近く経っておりましてん。

時間の流れのスピードにはいつもドキドキしてしまう。

一応、同じ前口上を少しだけ・・・

生きていくと言う事は出会いの連続。

その出会いは時に、人生そのものを変えてしまうかもしれない大きな力があったりなかったりあったりする。

数々の素晴らしい出会いは、そのどれか一つを取ったとしても、全てに思い入れがある。

と言う前置きの上で、絶対に選べないのに無理やり選んで人生で1番を決めるシリーズ。

第2弾は「映画」でございます。

映画。

実は、結構大好き。

そりゃあマンガや小説と比べれば母数は少ないかも知れない。いや、巻数で言えば、そうなんだけど、作品数と言うくくり(例えば、ジョジョを全部含めて1作品とする)で考えれば、一番多いかも知れないか。

だからなのか、人生において影響を受けたと言う意味でも、映画はかなり凄い事になってると思う。

一番映画を見た時期はいつだろうか。

中学から高校生くらいの頃は、インプットの意味を込めて、それはそれは映画を見ていた気がする。

あの頃は、テレビの地上波でいっぱい映画が見れた。木曜洋画劇場と日曜洋画劇場と金曜ロードショーとテレ東の深夜にやってる映画(と、ギルガメッシュナイト)は、ほぼ毎週見てた。

あと、BSで深夜に時々やってるマイナーな映画もよく見てた。

週に3~5本程度。年間100作品くらいかな。そのくらいは見てた。

恣意的に選んだものじゃなくて、勝手に選ばれたものを見る訳だからそれはそれは満遍なくいろんなジャンルが見れたと思う。

ここ最近、お仕事の傍ら映画を見ると言う習慣が出来てきて、最近も、まぁ、1日に1本くらい見てる。

とはいえ、お仕事の合間にBGMとしての役割もありつつなので、同じものを繰り返し見てる場合が多くて、新しいものに手を出すのは、大体週に1本程度だとは思う。

それでも、まぁ、少なくはないんじゃないかなと思っております。

そんな映画の中で、人生1番。

これは、また「音楽」とは違った意味で難しい。

やっぱりジブリは外せないのか・・・

ちっちゃい頃、アホみたいに繰り返し見た「グレムリン」なのか・・・

幼少期に見て、解体シーンがトラウマになった「ロボコップ2」なのか・・・

天才過ぎてチョッと引いてしまったリュック・ベッソン監督作品なのか・・・

大好きな三木聡監督の作品なのか・・・

人生で一番繰り返して見ただろう「タナカヒロシの全て」なのか・・・

自分自身の青春そのものでしかない「グミチョコ」なのか・・・

人生で一番号泣した「ライフイズビューティフル」なのか・・・

あまりの完成度に呆然としてしまった「メトロポリス」なのか・・・

学生時代物凄く好きで繰り返し見てた「UMA(レイク・プラシッドの方ね)」とか「26世紀青年(現代はイデオクラシー)」なのか・・・

初めて似た時あまりの恐怖で夜寝られなかった「猿の惑星」なのか・・・

深夜に見て、良く分からない感情にとらわれて死にたくなった「ベント」なのか・・・

ぬるぬる動く作画と前衛的過ぎる音楽に呆然とした「AKIRA」なのか・・・

一時期どうしようもなく被れてしまった「アンダルシアンの犬」なのか・・・

などなど・・・言い出したら、ホントキリがない。

その中でもやっぱりこれだろ。ってなったのは、あまりにも好きすぎて唯一DVDを購入して持っている「バタリアン」か、あまりにも好きすぎてフジテレビ吹き替え版が収録されているディスクを今絶賛探している「ターミネーター2」・・・このどちらかだ・・・

・・・どっちだろう・・・

と、悶々と考えた内に、半年経っておりました。

半年間、両方の映画を何回か繰り返して見た結果、結論。

オレが人生で一番好きな映画は「ターミネーター2」に相成りました。

ここで、一番好きな映画は「アンダルシアンの犬」だ。と言いたい中二病的な感情はある。

世界の北野映画です。特に「ソナチネ」です。と、通ぶりたい感情もある。

でも、ここはやっぱりどうしようもなくメジャーで、どうしようもなく王道なこの映画を選ぶことにした。

実は、オレの場合、先に「2」の方を見た。あとから「1」の方を見たチョッと変則的な感じではある。正直に言えば、ちゃんと順番を通して見たかった気はする。

それはそれとして、「ターミネーター2」の好きな所でも語ろうか。

まず設定は、多分SF界隈ではそこまで斬新ではない・・・はず。もちろん、公開当時であっても。

展開自体も、斬新だったり、難解だったり全くしない。ホント王道のいい意味でも悪い意味でも、「ハリウッドの超大作!!」と言う感じ。

勧善懲悪もはっきりしてるし、恥ずかしいくらい分かりやすい機械文明への風刺も入ってる。

「1」の時、メチャクチャ強かった敵キャラが、味方になってくれたけど、それ以上に強くてどうしようもない「液体金属のアンドロイド」が無双すると言う展開も、強さがインフレし過ぎてなくて物凄く程よい。

そして、この絶対勝てないだろう敵の倒し方も、多少のご都合主義に目をつむれば、実にうまく考えられてる。

「1」が男女の恋愛に片足を突っ込んでいたのに対して、「2」が親子の愛情に片足を突っ込んでる感じも本当にうまい具合に対比になってる。

どう考えても、ジェームスキャメロンは、2つで一つの作品として考えてたとしか思えない位の、圧倒的完成度。

1ミクロンも中だるみしないで走り続ける展開。脚本も演出も正直、非の打ち所がない。完璧と言っていい出来の映画なんだよ。本当に。

だからこそ、この映画は未だに世界的に燦然と輝く名作なんだ。

でも、それだったら他にもたくさんあるんだよ。「バックトゥザフューチャー」だってあるじゃないか。と声高に言いたい。

何で、「ターミネータ2」なのか。と言うと、あとの諸々は多分、想い出補正と主観にまみれた話になる。

いや、だって、これはオレが人生で一番好きな映画の話なんだから、それで良いんだよ。

このブログでも何度か話に出ているように、オレには兄弟のように育った年の離れた「従兄」がいた。

オレは、ほぼすべての事において、その従兄の真似をして、背中を見て育ってきた。

その従兄が、「これは絶対に面白いから見てみな」と貸してくれたのが、この「ターミネーター2」だったんだけど、正直この時は、これが嫌だった。

その前に、「これ面白いから」と言われて安易に見たのが前述の「ロボコップ2」で、その中の解体されるシーンが本当にもうどうしようもないほどトラウマ級にショックだった。あまりにもショックで、しばらく夜寝る事が出来ないほど。

この「ターミネーター2」でも、そうなったらどうしよう…と。

でも、貸してもらった手前「見た?どうだった?」って絶対聞かれるから見ないわけにはいかないし、そもそもオレが心底崇拝してて、全てにおいてマネマネしてた従兄が面白いものをオレが見ないわけにはいかない。

正直、気乗りしないながらも見た。

それから2時間くらいか。

瞬きどころか、息もしてなかったんじゃないのか。

その位とてつもなく面白かった。

今思えば、ドラえもんの映画位しか見た事のなかったクソガキがいきなりこんな、今見ても「完璧じゃねえか!」と思う映画を何の知識もなしで見たんだから、そりゃあ衝撃も凄いわな。

1回見たくらいだと、正直あまり理解できてなかった。

ただただ面白かった。

この時の衝撃を超えるものにオレは未だに出会えていない。

正直な話、多分、映画と言う文化だってどんどん進化しているわけで、今、何の知識もなしに見たとしたら、この「ターミネーター2」より凄い映画はいっぱいあるかも知れない。

でもそれは、「ワンピース」と「ドラゴンボール」を比べて、ドラゴンボールには、キャラクターの過去に深みが無いから、ワンピースが凄いと言ってるようなものだ。

「ワンピース」は、「ドラゴンボール」に勝つために、「ドラゴンボール」にはなかったキャラクターの過去の話などを深堀することで、対抗しようとしたとか、尾田先生もどっかで行ってたけど、それと同じ話なんだよ。比較対象とするべきものじゃあない。

そんなもの手塚治虫と藤子不二雄を比べるレベルの詮無いことだ。

時を 話を戻そう

見た当時はまだマンガとかも描いてなかったけど、その後色々と描き始めたほとんどの物語は、凄惨な未来が待ち構えていることが分かった上で、時間をさかのぼって、何とかしようとすると言う話になってる。

「us」なんて思いっきりそのままだし、「G」だって、「ランナ」だって、その部分は変わらない。

その後、色んな作品に出会って、色々脚色され続けてきているけど、結局一番の根幹にあるものは、この「ターミネーター2」で、あの幼少期の圧倒的衝撃の呪縛から全く抜け出せていない。

オレは、頭の中にある物語を漫画とかいろんな形でずっと描いてる。多分、これは一生続けていくんだと思う。

全ての最後にある情景は、すでに頭の中にある。

その情景に向かう、いくつかの物語はどれも時系列を行き来しつつ、世界の真実を知って、それに対して抗おうとするものだ。

尾田先生が、ドラゴンボールにキャラクターのバックボーンがあればなと思って、ワンピースでキャラクターのバックボーンを深堀したのと多分同じ。

ジェームスキャメロン監督は、物凄い大きな世界が頭の中にあったけど、あえてその部分を断片的に見せて、一番面白い部分だけを「ターミネーター」2作としてまとめる事で、作品としての完成度を高めたんだと思う。だからオレは逆に、大きな世界に起こる事象をもっとたくさんすくい上げて世界の形を明確にしようとしてるだけなんだと思う。(まぁ、世界的監督と同列に語るなと言う話ではあるけれども)

オレは、映画に受けた衝撃を30年近く経った今でも引きずり続け、そして、多分一生その呪縛の中で物語を描き続ける。

オレの人生はそんな感じなんだと思う。

・・・

と言う、観点からオレが人生で一番に選んだ映画は文句なしで「ターミネーター2」に相成ったわけでございます。

この映画を見た事がないって人は、多分存在しないと思うんだけど、もしいるのであれば、絶対に見た方が良いと思う。

少なくとも、この映画を見たせいで、未だに抜け出せないおっさんが一人はいるんだから。

ちなみに、その時貸してくれたビデオは、フジテレビで放送したものを録画したものだった。

そのビデオを擦り切れるまで繰り返して見たので、今、手元に持ってるソフト版の「ターミネーター2」にはどうしても違和感がある。

「地獄で会おうぜ!ベイビー」じゃねえよ。「さっさと失せろ!ベイビー」なんだよ。

このバージョンの吹き替えが入ったBDとか、いずれ手にしたい。

しかし、このシリーズは、思いが強すぎて、毎回長くなりそうだな。

次回は、ほぼ100%答えが出ている「漫画」で書きたいと思っております。

また半年後とかに。

それまで生きていれば・・・

いやぁ、映画って本当にいいもんですね~

さよなら。さよなら。さよなら。

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2021年2月28日 3:46 CAT :

肉欲棒太郎の逆襲

芸能人の不祥事が多い今日この頃・・・

それはそれとして、バンドマンが不倫したとかで活動休止とか、果たしてどうなんだろうと思ってたりする。

問題なのは、キャラの問題だと思うんだ。

ファンキー加藤を例に挙げよう。

純愛とか、友情とかを歌ってるから、寝とったり、不倫したりして叩かれるんだ。

ベッキーを例に挙げよう。

好感度の高いいい子キャラで売り出すから、裏の顔がばれた時に叩かれるんだ。

別にピエール瀧が薬やってたところで、「どう考えても薬やってるとしか思えないおっさん」が実際に薬やってただけの話。それで、「幻滅した。もう、オレは電気の音楽は一切聞かない」なんてなる訳ない。

オーケンがバンドブーム時代、ライブツアー先で、未成年とやりまくってたからと言って、今更、「オーケンはそんな人じゃないと思ってた。もう、筋肉少女帯はオレの中でなかったことにする」なんてなる訳ない。

人間素直に生きていけば、それが一番なんだよ。

まぁ、やっちゃダメな事をやったのであれば、それはそれで、その分しっかり償えばいいじゃないか。

そりゃ人を殺したとか、テロを起こしたとかまでいけば、話は別かも知れないけど、不倫くらいいいじゃん。

そもそも、一般的な社会で生きていけない社会不適合者ばっかりなんだから。

償いもしないで、無かった事にして、当たり前のように人前に出ているカジサックとか言う人もいるんだし。

自分を隠して生きていくとか、きっとそれは、凄く苦しい事なんだと思う。いずれどこかでひずみが出るのは当たり前と言えば当たり前。

ただひとつ、どうかと思う事があるとすれば、その人となりを知らないくせに、敏感に反応して、その人を破滅に追い込もうとしている暇人の存在だよね。

多分、普段の生活で思い通りにならないことが物凄く多くて、うっぷんが溜まってる可哀そうな人たちなんだとは思うけれども、そんな人たちのために、多くの素晴らしい才能が無駄になって行くと言う事はいかがなもんだろうか。

昔は、もみ消しが出来たからかもしれないけれども、野球賭博で謹慎を受けた志村けんや中本工事、出版社に殴り込みをかけたビートたけし、ドラッグで捕まった井上陽水とか、脛に傷を持った人はいっぱいいる。

不倫に至っては多分昔の大物俳優さんとかしてなかった人の方が少なかったんじゃないのかな。

でも、その人たちのどうしようもない圧倒的な才能を賞賛してるじゃあないか。

最近、志村けんが「誰も傷つけない笑いをやってた」とか神格化されてるのなんて、ちゃんちゃら可笑しいわ。まぢで、志村けんと言うか、ドリフターズの何を見てそんな事を言ってるんだ?って話だ。

今の時代だったら、ドリフターズは謹慎では済まされずに引退とかになってたかもしれない。

ドリフターズがいなかったとか、多分、芸能界の歴史はかなり大きく変わってと思うんだよね。

今現在やってる、心底くだらない言葉狩りや、炎上騒動は、未来におけるその位とてつもない損失だと言う事にいい加減気が付くべきだと思う。

多分、昔からそう言う事にやいやい言う暇人はいたはず。

問題なのは、それを向けられる側が貧弱になった事なんだろうね。

炎上とか言ってるけど、実際に、批判してるのなんか1%にも満たない。ただ、そいつらがキチガイだから声がでかいってだけ。

そうは言っても、オレも多分、炎上の渦中になってしまったらそうも言ってられないかもしれないよなぁ~。

取り合えず、そういうキチガイの人たちの目に、才能あふれるオレの好きな天才の皆さんが見つかりませんように。

と祈る日々になってしまったと言う事に、なんだかモヤモヤしながら、今日のところはおしまいにしておこう。

おやすみなさい。

肉欲棒太郎(↑)はこの人。

「ナニワ金融道」のネーミングセンスは素晴らしいけど、中でも、この「肉欲棒太郎」のゴロの良さは、尋常じゃないと思う。

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2021年2月18日 23:12 CAT :

生首と踊り狂う夜の足音について

ダム建設反対して、原発に反対して、地球温暖化に警鐘を鳴らしつつ、電気料金が高いっていうヤツがいるとする。

まぁ、こんな奴は大体何も考えてなくて、何でも良いから批判してみたいだけのアホなんだと思うんだ。

この世の中は、大体リスクとコストの割合で出来てる。

リスクを軽減するためにはコストがかかり、コストを減らすためにはリスクを背負う必要がある。

なんか昔は、オレも何とか出来ないものかと考えてた時期はあった。

でも、独立して自分で仕事を始めると、この辺りの事に関して、ホントに考える内容が変わってきたんだよね。

時間的に節約できるなら、その分コストがかかるのは当たり前とか、コストを削減したいけどその分、手間がかかったり、リスクが増えるのはしょうがないとか、そういう風に思うようになってきた。

金はかけたくないけど、最高のサービスが欲しいとか、訳分からんことを考えるから、世の中の色んな所にひずみが出来てくるんだと思うんだよね。

私が原発に反対してしまったために、使えなくなった電力分は、私が変な棒みたいなの回してなんとか用意します。

とか言ってる人を見た事がない。

原発は危ないから、止めて下さい。は分かる。

でも、その為に不足してしまった電力をどうするんだ?その分かかるようになったコストはどうするんだ?についての代替案が必要でしょうが。

そこでこのタイプのヤツが良くやる事は、「そもそも原発に頼ってきたこの国のやり方が悪い」的な事を言いだすアホみたいな理論のすり替え。

そして、そんな奴は当たり前だけど、文句は言うけど、それによる不利益については一切責任を取らない無責任な奴が多いような気がする。

取り合えず、文句言うなら、代替案位もってこい。

否定だけするけど、根拠もないし、自分の意見もない奴の意見は聞かなくても良い。

と思うんだけど、いかがなもんなんだろう。

まぁ何しか、同調して意味も分からず声だけでかい奴が一番性質が悪いと言う。そんなお話ですよ。

ちなみに沖縄の基地問題に関しては、また全然別の話だと思ってる。

あれは、日本に不利益な事をあえて行ってるプロ市民の皆さんと、何も考えないでそれに乗っかったるアホだけが騒いでる事なので・・・

どうでも良いけど、この前チラッと見た「男女平等を求めてジェンダーフリーな国に行って、男女平等の真実を知った女の話」は面白かった。

結局日本で喚いてる似非フェミニストが如何に薄っぺらくて、どうしようもないかが非常に良く分かる内容だったわ。

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2021年2月11日 10:39 CAT :

空想ルンバをポリリズムで踊り狂う

ここ最近、知り合いの社長さんとかから何人か「この子、志茂田さんのところで雇ってあげてよ」と言うお話をいただいた。

正直、お仕事に関しては、超絶ありがたいことに手に余って、お断りしたり、待ってもらったりしている位の状況なので、お仕事をいくつか渡してやってもらうと言う事は出来る。

出来るんだけど、雇うとなると、それはまた話は別。

オレも雇われでいた頃は知らなかったけど、人を雇うとなると、単純な給料以外にも色々と経費が掛かってくるんだよね。

雇用保険だのなんだのから始まって、健康保険も年金も・・・と、多分、給料の2~3倍くらいのお金がかかってくる。

言ってみれば、月に20万の給料を渡す場合、その人が、大体100万円くらい稼いでくれないのであれば、ぶっちゃけ、オレの方からすると雇うメリットはない。

オレなんて、結構安い単価で仕事を引き受けてたりするので、月に100万稼ぐって、結構大変だと思うんだよね。

せいぜい、30万とかその位までだと思う。(オレも最初の頃はそんなもんだったし・・・)

ノウハウを時間をかけて伝えて、環境を整備してあげて、それで、自分の給料分くらいしか稼いでくれない上に、辞められたら全部無駄になる。とか、そんなリスクをこの超弱小企業主のオレが背負えるわけがないじゃあないですか。

と言う事で、その人たちに「個人でやっていくと言う選択肢はないですか?それなら、仕事回すことはできるんですけど・・・」と聞いてみた。

そしたら「会社に入って安定しておきたいんです」と・・・

まぁ、そうか。そうだよね。

これは結構難しい問題だよ。

オレは、ここ最近色んな人に言われた通り、多分重度のADHDらしい。それも、社会生活に支障をきたす程度に。

自由がいい。

毎朝同じ時間に同じ場所に通うなんて無理だし、ホントアホみたいなミスもめっちゃ多い。

会社員時代は、いつも遅刻して会社に行って、アホみたいなミスをしては、クソほど叱責されて、うつ病になって、本当に廃人みたいになってた。

今は、好きな時に起きて、好きな時に好きなお仕事だけやってる。

それなのに、収入では会社員時代とは比べるべくもないほど増えた。

その代わり、色々リスクはありますよ。もちろん。

クライアントさんがお仕事くれなくなった瞬間、何の保証もなしで収入無しになっちゃう(まぁ、多少の対策はしているけれども)。

相変わらずミスもめっちゃ多いから、個人的に、あまり高い単価でお仕事を受けるのは怖いけど、「ミスも多いし、納期もメチャクチャだけど、安い!」と言う変なおっさんとして、一応、ご依頼はまぢで沢山いただいている。これに関しては、本当にありがたい。

もちろん、ミスが多すぎて、ぶちぎれて去って行ったクライアントさんもいるけど、全体で言うと9割くらいのクライアントさんが、継続して仕事を依頼してくれてる。

まぢで、ここに関しては本当に感謝しかない。

オレは、今の形態じゃなければ生きていけなかっただろうて。

世の中には、そういうアホなミスを全くしなくて、組織の中にいる事が出来る人種の方が多いらしい。

そして、そういう人たちは、組織の中にいる上での嫌な事より、安定を望むらしい。

オレは、その安定とリスクはあるけど今の生活だったら、リスクを取ってでも今の生活が良い。

どっちが良いと言う話をしたいわけじゃないし、オレが100%正しいなんて1ミリも思っていない。

ただ、考え方に相違があるので、そういう場合はバンドで言う所の「方向性の違い」で解散すると思うんだ。

だから、止めておこう。

オレはもう何かに我慢したり、耐えたりする生活には戻りたくない。

その労力を、今の生活を守る事に注ぎたい。

とは言え、そういうお話に関しては、まぁ少し気には留めておく必要はあるとも思ってる。

この先、どう転ぶかは分からない。

会社を大きくしたいと本気で思いだしたら、それは絶対オレ一人の力では無理だから・・・

ただ、今はこの好きな事しながらののほほん生活を続けたい。

いつまで続くかは知らないけど、出来れば一生続けたい。

今はそう願っております。

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2021年2月3日 4:40 CAT :

戻れない過去の落書きは僕と影との1ページ

やりたいことがたくさんありすぎて、時間が足りなくてしょうがない。

と言う話を、もうずっと話してるけど、ここ最近、また、物凄く思うようになった。

もう少し若い頃って、やりたいことがたくさんある自分にチョッと酔ってると言うか、それがカッコいいみたいに思ってる時期があった。

人生における計画みたいなものも、学生時代に考えていた。

例えば、オレは30歳までに「us」と言うマンガを完結させるんだ!と決めて、高校生の頃に第1話を描き始めた。

20歳くらいまでは予定通りのペースで描けてたけど、その後、就職・結婚などのライフイベントをこなしていくうちに、どんどん時間が無くなっていき、「あ!このままじゃ、usを描き切る前に30歳になってしまう!」とふと気が付いたのは、30歳になる半年前だった。

それから半年間、狂ったように「us」を描き続けたけど、結局、間に合わなくて、最後のロバートとの決戦部分を予定よりかなり端折って無理やり30歳までに完結させた。

ロバートが自分の過去を語るシーンとか、予定では、4話くらい使うつもりだった部分を1話にまとめたりしてる。

その頃のオレが思っていたのは「オレは死ぬまでにやりたい事が、腐るほどあるんだ!予定を変える訳にはいかない」と言う気持ちだった。

で、今。

かつてとは少し違うベクトルで、焦っている。

「このままのペースで行くと、確実に、やりたいこと全部やり終わるまでに死んでしまう」

頭の中にあるものを吐き出し切る事さえできないで死んでしまう。

死んでしまった後の世界がどうなのかなんて、オレにはわからない。

だから、死ぬまでになんだよ。死ぬまでに全部出し切りたい。

死ぬ間際に、頭の中にある妄想を全て、誰かに伝えて、その人の手を借りて形にしたとしても、オレが死んじゃってたらそれは意味がないんだよ。

そんなこんなで、少しずつ、色んな所で折り合いを付けつつ、やりたい事を進めていくことにした。

20歳ころから、何度か試みつつ、何度も挫折したことが、日々4コママンガを描き続けると言う事。

日記として毎日書いていた事も、続けるためにブログで公開してた事もあったけど、そのどれもが続かなかった。

でも、オレはどうしてもこの日々4コマを続けたい。

それはオレの最愛の嫁が、オレの描くどんな物語より喜んでくれるから。

今年に入ってから、出来るだけ時間をかけて4コマ風の日記を書き始めた。

取り合えず、1カ月は続いてる。

このペースで、まず1年だ。

この何の才能もないおっさんが、唯一出来ることはどれだけ不格好でも、それを続ける事だけ。

あと、今更ながら今年の目標に考えている事。

このブログを最低でも週に1度は描く。

「Gの世界」を完結させる。

新作「始まりは終末」を描き始める。または、「風を切る日々」をちゃんと定期更新できるような体制を作って、完結を目指す。

今の事業を法人化させて、ちゃんと回していく。

事務所兼新居を手に入れる。

こんな所でしょうかね。

これを、お仕事をやりながらこなしていくと言う、到底無謀な感じ。

でも、このペースでやっててもどう考えても、死ぬまでにやりたい事が全部できない。

生き急ぐわけじゃないけど、このやりたい事を何とか消化したい日々を過ごしております。

死ぬほど気が重かった、「Gの世界」の71話のネームは完成したので、今、執筆中。

元ネタも含めて1度も描くことのなかった、八神の母親をビジュアル化した。

これを描いたら、あとは、もう残りのページ描き進むだけでございます。

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2021年1月23日 4:00 CAT :

「Do Get The Star」と書いて「どげざすたぁ」と読んで土下座して感謝する

先日書き上げた「Gの世界」の最終話までのざっくりとしたプロットを基に、1話単位で内容を振り分けてみた。

実際に原稿を描いてる途中で、もっと良いものが思い浮かぶかもしれない。意外とコメントとかでもらった事で内容が微妙に変わったりすることもあるので、これで決定という訳じゃあない。

ただ、大体1話でやる内容は決まった感じ。

71話では、こんな事描く、72話ではこんな事とこんな事を描くみたいなざっくりした内容だけなんだけれども、それですでに1万文字以上ある。今まで溜めてきたものを全部吐き出そうとしてるので、1話の濃度が結構なことになりそうなんだよな・・・

あとは、これにある程度沿いながら、ネームを描いて、原稿を描いてを繰り返していくだけだ。(ネーム切ってみたら、全然13ページで収まらなくて、話数増やすかもしれないけども・・・)

この話づくりの部分についてはホントはもっと時間をかけてやるつもりだったんだ。でも、やっと一番描きたかった場所だ!ってなった関係上、次々と内容が浮かんできて、全く止められないまま最終話まで一気に書き上げてしまった。

ラスト10話分くらいは、もう少し煮詰めようと思ってるけど、そこに至るまででも、まぁ、「これは面白いぞぉ~」ってなるシーンばっかり。

いや、他の人がどう思うかは知らない。そこはごめんなさい。

ただオレは、相当良いんじゃないかなと思っております。はい。

先日「おもちゃはおもちゃばこへ」書き上げた時も、相当テンション上がって、変な感じになってしまっているので、今日のところはこの辺りにして「うむむむ」って我慢しておこう。

さてさて。

と言う事で、この「Gの世界」の話を少しだけ。

一部、ネタバレ含むので、もし「Gの世界」を読んでて、ネタバレいやだと言う神様がいらっしゃったら、ご遠慮くださいな。

ちなみに内容は・・・と言うと、この「Gの世界」について、いただいたコメントを参考にしてがっつり設定を追加してしまった。と言う話です。

これをネタバレと言うかは微妙な所なんだけども・・・

 

 

 

 

 

 

 

この位の行間でよろしいでしょうかね。

いやね。この話、実は、前からチョッと書いておきたかった話でもあるんだよ。ホント、コメントいただけることも、それ以前にチラ見でもオレの書いたマンガを読んでいただけると言う事も、ただただ感謝しかないわけで・・・そう言う事を、もう少し伝えたかったと言うか・・・まぁ、そんな感じだ!

で、話は戻る。

そもそも発端となったコメントがこちら。

[142] キタキタキタ!あの人来ましたァ! 横にいるのは立ち位置的にエミリアか でもリズっぽくもあるし又はモブかもしれないけど 意識か無意識かチョイチョイ話の横繋がりを感じます 今回は『これまでの二人同様諦める可能性』って所とRDの滅びの村の事をチョッと後で『だから最後はいつも面白い』みたいな台詞があったと思う アレも今回も運命の因果率的な絶対数とかを感じます。。 楽しみぃぃぃぃぃ <2020/02/03 13:40:55> 5CGKbu71P

丁度1年くらい前にもらったやつですな。

まぢでこのコメントを読んだ時には、クールポコより「なあああああああにいいいいいいいいい」ってなった。

と言うのも、実は元ネタのネームでは、美和ちゃんと八神は兄弟じゃなかったし、重圧くんと慶斗も含めて、5兄弟と言う設定自体がなかった。

元々の話では、八神たちはそれぞれ別に親に捨てられ行くとこもない孤児たちで、その孤児たちが山で自分たちのだけの国を作っていた。と言う、そんな設定だった訳でございます。

物語において、かなりキーとなるこの設定に対して、元ネタを描いている時から何となく違和感があった。

だって八神は、結構平気で仲間も見捨てるし殺したりもする。

なのに、なぜか美和だけはいつも横に置いておいて、特別扱いしてた。

幼い頃あの山で一緒に過ごした仲間と言う理由だけだと、なんか弱いし、「重圧や慶斗との関係はじゃあどうなのよ?」と。

それが、「G」のラストに納得がいっていない一番の理由でもあったと思う。

で、このコメントを見た時、本当に目からウロコだったんだよね。

usにおける、ロバートとエレノアのつながりは、前世からの恋人と言う事がひとつと、エミリアと言う、最高神の名前が付いた兄弟の肉体と言う大きな理由があった。

使いまわしと言われればそれまでだけれども、これだったんだよ!と。

そう考えた瞬間、元ネタでは曖昧に1話で書いてた山での「あるひとつの国」の生活が、物凄くリアルになってきた。

あともう一つ、ロバートとエレノアで言う前世からの恋人と言う設定と同じようなものも必要だなと思って、「姫子を食べた」と言う共犯意識を追加してみた。

「漠然と親に捨てられた子どもたちが集まって集落を形成してた」と言う話から「親に捨てられたけど、自分の仲間を食べてまで生き残ろうとした兄弟が寄り添って生きた」物語になる事で、これまでチョッとグラグラして弱かった「G」と言う物語全体に、強固な大黒柱が通った気がしたんだ。

そうなった結果、「だったら結末も納得のいく形にしないといけないよな」となり、今回のラスト丸々変更と言う流れに相成ったわけでございます。

もしこのコメントを貰ってなければ、多分、「G」の元ネタと全く同じ内容のままでラストまで描き切っていたと思う。

んで、「なんかこのラスト納得いかねえんだよな」と思いつつ、次の物語を描き始めてただろう。

ぶっちゃけると「ランナ」と「G」はコメントでもらった内容を読んで、シーンを追加したりとか、セリフを変えたりとか、そう言う事をこれまでもチョコチョコはしてた。(「US」は元ネタのネームをそのままアップしてたから、どうしようもなかったけど、)

ただ、これはそんなレベルの話じゃないよね。

がっつり設定変えたどころか、物語の結末さえ大きく変えてしまったんだから。

まぁ、何が言いたいかと言うと、自分で好き勝手に描いてるだけでは、決して生まれなかった凄くお気に入りのラストが描けたことに、本当に感謝しておりますと言う事です。

人に見せると言う行為が、物語をこんなにもいい形にしてくれると言う事を思い知らされた。

そう言えば、昔なんかの本で、「作った作品はとにかくできるだけ多くの人に見てもらえ」って読んだな。

実際、面と向かって誰ばりに「読んで!読んで!」ってやるのはすごく抵抗があったけど、今は良い時代になったもんだ。

こういう機会がもらえた「新都社様様様様」には本当に感謝しかねえや。

足向けて寝られねえわ。

もちろん、毎週でも、時々でも関係なくオレの書いたマンガと言う、この世で最も最底辺に位置する落書きをちらっとでも見ていただける皆様にも。

これを承認欲求と言うのかどうかは知らないけど、ここ最近、本当にマンガとか描くの楽しくて仕方がない。

これからも、まだまだ描きたい事いっぱいあるので、どんどん描いていく次第でございます。

良ければお付き合いいただければ、恐悦至極と存じます。

な感じで、おやすみなさい。

それとは別で、先日嫁からリクエストされた短編のネームも描いてる。

創作が止まらねえ日々だ。

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2021年1月22日 4:39 CAT :

ジョージオンリーでさようなら

更新頻度が上がれば偉いという訳ではないんだけれども、出来るだけ毎日更新したいなとか思っております。

で、今日書いてた内容が、結構長くなってしまうので、それは明日にして、今日は、こんな繋ぎの記事でも書いておこうかと・・・

何の才能も持ち合わせていないおっさん。

唯一出来ることは、続ける事。

ただそれだけ。

それに何の意味があるのかは分からない。

ただ、続ける。

新しくやりたいことができると、取り合えずやってみる。

そして、それもただ続けてみる。

とは言え、ずっとという訳じゃあない。

断続的にと言う言葉が、最もしっくりくる。

断続的だけれども、ずっと続ける。

ふと思い立って、やり始めると言う事は、意外と誰にでもできる事なんだけれども、それを断続的であっても続けることは意外と難しい。

途切れなく続けるのはもっと難しい。

一番難しいのは、それを形にすること。

マンガであれば、設定を考えたり、キャラクターをデザインしたり、取り合えず、冒頭の数ページから数話描くのは、比較的簡単。

それをある程度形になるまで描き続けるのは結構難しい。

そして、当初の構想に近い形で最後まで描き切る事が一番難しい。

音楽であれば、楽器をはじめたいなと思って、取り合えず楽器を手に入れて、チョッと簡単な曲を弾いてみる位は比較的簡単。

少し弾けるようになって、バンドとかを結成してみたり、人前で披露するのは結構難しい。

そして、自分のオリジナリティーを出して、音源を完成させるのは一番難しい。

みたいな感じかな。

やっぱりね、続けることが一番なんですよ。

努力したからと言って花開くとは限らないけど、花開いた人は全員努力している。と言う耳の痛いお言葉がありまして・・・

結局は、自分を信じ抜けるかどうかと言う話なんだろうね。

これですね。

ただ、ここ最近の「はじめの一歩」の迷走具合はいかがなもんなんだろうか。

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2021年1月21日 4:17 CAT :

オナニーマシーンを聴いてイノマーに思いを馳せたりしてみる

このブログと言うものを書き始めたのはいつか・・・と言うと、多分、2005年かもっと前位までさかのぼると思う。

今の形に移行してからで見るのであれば、2005年9月と言う事になっている。

今年で16年目に入った。時々、過去の記事を振り返って読んでいくと、チョッとセンチメンタルなおっさんになってしまうんでございます。

あっという間のような15年だった。

けれども、こうやって振り返ってみれば、ちゃんと一歩ずつ歩んできた15年だったんだな。としみじみ思うんだ。

本当に色んな事があったよな。

良い事も悪いこともたくさんあった。

でも振り返って見返してみれば、結果的に良い人生だったと思う。

今のところは。

これから先は分からない。でも、大丈夫なんじゃないかなと、漠然と思っております。

さてさて。

子どもの成長をお父さんのふりして、ずっと見続けている。

先日、「おもちゃはおもちゃばこへ」の原稿を描いてる所を娘に見られて「へんたいだ~!」って言われました。

嫁からは、「中学生くらいだったら間違いなく嫌われてたね」と言われました。

なんか、そんな感じらしい。

娘が生まれた時、まぢで「オレの人生はこの子のためにあったんだ」とか、柄にもなく本当に思った。

嫁であっても絶対に上げる事はなかった、大事にとっていた大好物の食べ物も、子どもたちに「欲しい」と言われると、泣く泣く半分こする。

今でも、自分と嫁の血を分けた命がこの世に存在していると言う事が、イマイチ理解できていない。

頭では理解できていないけれども、なぜか、体が全力でこの小さな2つの命を守ろうとしてるんだ。

オレは子どものためなら多分死ねる。

でも、子どもたちが悲しんでくれるうちは、死ぬわけにはいかないと思ってしまう。

何なんだろうね。この気持ち。

昔のブログとかを読み返してて、結局、いつになっても自分の中にあるものって変わりはしないと思う。

「三つ子の魂百まで」とはよく言ったもんだ。

そんな中、一つだけ変わった事があったとしたら、それは、子どもの存在が大きかったんだろう。

不思議なもんだ。

人生と言うものは。

と言う、倒置法を使った所で今日のところはさようなら。

オナマシで多分一番聞いたアルバムはこれだと思う。

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2021年1月20日 4:20 CAT :

帰ってきた「うずうずにぼし」の怨念に取りつかれたのは気のせい

嫁に、この前書いた短編「おもちゃはおもちゃばこへ」を読ませた結果・・・

「良いんだけど、そろそろ他のものが見たい」と言われた。

「グロ、エロなしで、作中一切人が死なない、高校生とかのキラキラした恋愛ものを描いてみて欲しい」と。

いやいや。

そんなもの描いた事ないし、そもそもそんな話描くのテンション上がらん。

「仕事で依頼されたと思って描いてみて」と言われたので、チョッと考えてみようかなとは思っております。

多分、次回作は、胸キュンな恋愛ものになるはず。

描ける気がしないけれども・・・

さてさて。

また「G」の原稿ストックが切れてしまったので、また描きためしようと思ってるんだけれども・・・前にもちょっと触れたように、ここから先の展開が実は、過去に描いていた内容とは大きく変わると思う。

最初に描いた展開が全然ダメだという訳じゃあない。

ただ、何と言うか、当時描いている時にも、これで本当に良いのか?と思う所が多々あった。

そういう意味では、「このラストしかなかったよな」と納得できたのって、本当に「us」のラスト位なんだよね。

そこで今回は、丸々書き換えて、全く違う結末にしようと思ってる次第でございます。

目指め「us」だ!こん畜生!

本来の「G」の結末の方は、最近めっきり更新してない漫画堂のノートマンガの方ででも、こっそり更新するかも知れないし、もう表には出さないかも知れない。

と言う事で、この描きためで、最終話までの全てのプロットを練り直して、全部のネームを作ってから、作画作業かなと思っている。

多分、これまでで最長の作画期間になると思う。

そんな事情も相まって、今回、新都社さんの方は状態を「連載」から「休載」にしておいた。

あんなマンガでも、もしかしたら続きを待ってくれている神様のような人がいてくれるかもしれない。

その人のためにも、しばらくは休載と言う事にしておいて、ちゃんとしたものを描きためられたら、また再開しようかと・・・

別に、描くのをやめる訳じゃなくて、ずっと描き続けるんだけども。

まぁ、そんなこんな言いながら、最終話までの展開については、元ネタの部分も絡ませつつ、もうほぼ出来上がってる。

あとは、これを時系列に並べて、ネームを切っていく作業になる。

一つだけ問題がある。

次の話が、八神の過去を八神目線で振り返ると言う展開なんだけれども、そこでは当初から予定していた感じだと、まぁ、ぶっちゃければ一番下の妹、姫子が衰弱して死んでいく過程とかをがっつり描くんだよね。

そのモチベーションが今、無い。

だから、「あぁ~次のネームかきたくねえなぁ~」とかなってる感じ。

これ以降も描きたい話がてんこ盛りなので、止めるつもりは一切ないけれども、しばらくは、他の話とかから手を付けるようになるのかなと思ってたり思ってなかったり・・・

目標の今年中に完結のためには、3月か4月には再開したいので、それまでには何とか・・・最終話まで形になってたらいいな。

で、出来れば、もう完結まで描きため期間無しでいければ一番理想だよな。

その次は、「始まりは終末」を描き始めるか、「風を切る日々」をちゃんと描き進めるか・・・

やりたい事は、ホントいっくらでもあるんだけどな・・・

これは昔、「サナダムシより細く長く」と言う4コマブログで公開してた四コマ漫画。

こういうのまた始めようかな。と思ったりもしてる。

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2021年1月19日 4:23 CAT :

親父にいっぱい殴られた記憶しかない

先日車の運転中、めっちゃ眠くなったので、嫁に「なんか面白い事ない?」って聞いたら、「100の質問」なるものを出された。

それが意外と、頭を働かせてくれて、眠気は結構吹き飛んだ。

あと今更、100の質問に答えたとて、そのほとんどに対して嫁は「あぁ~あれね」とか「だと思った」ばっかりだった。

いや、そりゃあそうでしょうな。

自慢じゃないけど、嫁に対して隠し事とか、多分、去年の夏ころにめっちゃ変態な音声データを買い漁ってた事くらいしかない。

本当に何にもない。

今更、100個質問に答えたところで、知らなかった姿が垣間見える余地なんてないってもんだ。

・・・と思ってた。

その中で一つだけ「うそ!!これは意外だった」と言われた質問があった。

その質問は「好きな芸人は?」と言う質問。

多分、嫁の思ってた回答は「鳥肌実」「脳みそ男」「goヒロミ44」辺りだったと思う。

確かに、その辺りの地下芸人さんめっちゃ大好きですよ。

でも、オレが心の底から大好きな芸人さんと言えば・・・そう。「FUJIWARA」のお2人しかいない。

これが、嫁にとってはメッチャ意外だったらしい。と言うか、「どこか面白いの?あの2人の・・・?むしろ嫌いな部類の芸人さんだと思ってた」と、ビックリしてた。

そうでしょうな。

正直に言うと、フジモンがヘキサゴンファミリーに入ってた頃、FUJIWARAのお2人については、オレも、「あぁ・・・大好きだったのにな・・・」と思ってたよ。

ゆっきーなとか言う、超地雷の韓国人を嫁にもらったり、とにかく「何やってんだよ!主にフジモン!」とずっと思ってた。

でも。

でもだ!

オレは、12月の頭位に(↓)このYOUTUBEチャンネルを見つけた。

これ見た時、まぢで泣きそうになった。

ああああああああああ!大好きだったころのFUJIWARAが帰ってきてますやん!!

これだよ!これが見たかったんだよ!!

って、なった。

オレが、まさに青春時代に一番大好きで、一番応援してた芸人さんは、この2人だった事を物凄く思い出した。

あたくし、「吉本超合金」世代ですのん。

友達と「~~祭り」って言いながら、意味もなく罰ゲームばっかりやってた世代ですのん。

なもんで、特に、2丁拳銃がゲストに来た回なんて、面白すぎてなのか、嬉しすぎてなのか、ひっさびさに、泣きながら声枯れる程笑った。

2丁拳銃が東京に行ってしまって「超合金F」になってからも、ずっと見てたけど、やっぱり「F」よりも前が好きだったんだよな。

この4人はやっぱり最高だ。

なんだよヘドロパパとか。そう言うんじゃねえんだよ。

このYOUTUBEチャンネル見てたら、懐かしい面白企画が満載。

2丁拳銃と、牛乳祭りして「またみこし」やってたりとか、ホント感涙ものですよ。

とは言え、やっぱり90年代のしかも大阪ローカルと、今ではコンプラが違い過ぎて、色々出来ない事も多々あるんだろうね。

全身白タイツの黒人ガンダムがシバキにこないし、息できへん祭りみたいな危ないもの無くなったし・・・

それでも、このチャンネルの一番初めお二人が「今のテレビではやりたい事が出来ない」とか「本当にやりたい事をやるために始めた」とか、そう言う事を言ってたのを聞いて、オレの世代でテンション上がらない奴いないと思うんだ。

思い返してみれば、オンエアバトルにFUJIWARAが出た時には、なんか嬉しすぎて録画して何回もみたし(一番繰り返して見たのは、「人形劇のネタ」だと思う・・・)、それこそ、全国区になっていくFUJIWARAをメッチャ応援してた。

いつからだろうかね。

何となく興味なくなっていってたのは・・・

何しか、こんなうれしい事はない。

やっぱり最高に面白い。

オレが大好きな芸人さんは間違いなくこの2人だったわ。

と言うのが、冒頭の話に繋がってくる訳ですよ。

なんかね、見てたら元気になれるんだよな。

まぁ、今の時代にこの芸風ってあってるのかどうか分かんないけど、それでも、オレはこれからも応援し続けますよ。

この回とか、まぢで超合金世代には、たまらんですよ。

どうでも良いけど、今回、ケツバットしに来てた全身白タイツの黒人ガンダムの画像探そうと思ったんだけど、検索とかに一切引っかからなかった。

超合金で、バット持って殴りに来る黒人ガンダムいたよね?

今では、問題になってなかったことにされてるんだろうか。

と言うか、オレの記憶違いか?

じゃあ、ミスタービーンの3巻ばっかり買ってたのは気のせいか?

息ができへん祭りは夢だったのか?

フジモンが待ちゆく人に鼻くそ付けてたのは妄想だったのか?

ブリーフ姿で物乞いししてたのは見間違いか?

などなど、チョッと腑に落ちない感じもするんだけども・・・

取り合えず、早くコロナが収束して、ロケ系のネタが加わったらまぢで最強のYOUTUBEチャンネルになると信じております。

せっかくなので、モビルスーツで一番好きなサザビーの画像でさようなら。

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2021年1月17日 22:14 CAT :

さびれた店の中にだって ポリバケツの中にだって  公衆便所の汚物入れの中にだって朝は訪れる

先日のブログでふれた「おもちゃはおもちゃばこへ」の話で、過去にこんな記事を書いてたたらしい

なんか、関連記事で出てきた。

そういう機能があったりするのか。ふむふむ。

先日の記事を、後になって読み直してみた。

まぁ、あれですね。

深夜テンションと、良い漫画が描けたテンションで、尋常ならざる恥ずかしい文章になってる気がしないでもない。

これが・・・夜に描いたラブレターと言うやつか。

え~と・・・

何と言うか、そんなすごいもんではないですよ。

自分では、面白いと思ってるけど、究極的に自画自賛するほどの物語なのかと言われれば、ただただ「すみません」と言う感じ。

これからもコツコツマンガ描いていきます。はい。精進します。

それはそれとして、先日の記事もそのまま残しておくけどな。

さてさて。

先日の自画自賛の記事を見てて、まぁ、恥ずかしいんだけど、ひっそりと心の中で思ってる事もある。

自分で言うのもなんだけど、今回作画については本当に時間かけたんだ。

で、時間かけた結果、チョッとだけだけど「絵がうまくなってる」ような気がしたんだよね。

絵に対しては、それはそれはコンプレックスがある。

本当に、絵が下手。

壊滅的にセンスもないし、才能もない。

物凄く長い時間、絵の練習をひたすら繰り返してきたけど、結局、全く成長しなかったし、どうしようもないままだった。

・・・

・・・と思ってたんだよ。

でも、「Gの世界」を描き始めて、まだちゃんと絵がうまくなってる気がする。

そりゃ、普通に絵が描ける人から見たら鼻で笑らうレベルだろうけど、それでも、「壊滅的にセンスのないオレが」と言う枕詞が付けば、チョッとは絵が描けるようになった気がするんだ。

昔っから、小説であったり、演劇台本であったり、音楽であったり、何だったら物語自体は色んな所で褒められるんだけど、絵に関しては、本当に歯牙にもかけられない。

唯一、嫁だけがオレの書く絵を好きだと言ってくれるけど、それは、絵が良いと言うのともちょっと違うように思うし。

だから絵の才能は1ミクロンもないと思い込んでた。

いや実際にないのは無いんだろうけど、めっちゃ絵の練習してると思ってた。

果たして、オレはそんなに絵の練習をしていたのか・・・

あの頃の事を振り返ってみると、確かに毎週1話何らかの長編のマンガを描き続けながら、毎月短編を1~2話描いてたよ。実際、今なんて、その頃描きためたネタを原稿にしてるだけみたいなもんだし。

でも、それは絵の練習をしていた事とイコールじゃない気がしてきた。

当時、1日中妄想の世界に入り浸ってた。

そして、その妄想の中の出来事を掬い取っては、それを演劇の台本にしたり、小説にしたり、詩にしたり、漫画にしたりしてた。

本当に1日中物語の構想ばっかり考えてたし、インプットも必要だと思ってたから、映画見倒して、漫画も小説も読み倒した。

それをオレはずっとマンガを描くための練習だと思ってた。そしてそれがいつの間にか絵を描く練習も付いてるもんだと思いこんでた。

オレ、絵を描く勉強・・・一切してなかったよ。

確かに、ネームノートは数万ぺージ描いた。

でも、それはあくまでネームであって、絵としては書き殴っただけのもの。

絵を描くためにパースの練習したり、デッサンの勉強とかっていえば・・・全くしてなかった。

そもそも友達も彼女もいないし、極度の人見知りなので人の顔や体つきを見る事すらほとんどなかった。

物語は作るため、色んなものを読み倒して見倒してインプットしまくったし、起きてる間は本当にずっと考えてたんだよ。

音楽だって、子どもの頃からピアノを習ってて楽譜の読み書きとかは普通に出来たし、曲を作るために音楽の理論とかはちゃんと勉強した。

楽器の練習だってちゃんと毎日何時間かやってたんだよ。

それに比べて絵については、才能云々言う前に、やるべきこと全くやってなかったわ。

いや、別に才能があるんだ。とは思わない。

何と言うか、その辺については、壁を感じる事は物凄くあるから。

でも、ここ2年くらい毎週1話13ページほど原稿を仕上げてる。

ネームの時はあくまでも雰囲気をつかめればOKだと思ってたけど、ちゃんと原稿として絵を描こうと思うと、顔の歪みやバランスが気になったり、表情がイマイチだったり、体つきが変だったり、背景との対比が気になったり、パースの狂いが気になったり・・・やっぱりしてしまう。

気が付けば、この2年くらいは、表情とか、体つきとか、角度による見え方とかをメッチャ色んな参考資料を集めまくって勉強してる。

嫁のお陰で、人見知りも本当に少しだけだけど解消されて、人のことも見られるようになってきた。

あわせて、13ページ分・・・大ゴマ多用してるとは言え、大体50コマ位は毎週描いてる。

多い日でも3時間くらいとは言え、2年間で4000コマ位は描いたんだよね。

全然少ない方だとは思うけど、この位やっただけで、過去最高に絵が描けるようになってきてる気がする。

結局、楽器も、文章も、絵もめっちゃ努力したけど、絵だけは全く伸びなかった。んじゃなくて、圧倒的に絵だけ何にも努力してなかったと言うお話ですよ。(まぁ、他をめっちゃ努力してたのかと言うことは置いておいたとしても)

取り合えず、絵については才能ある人を色々見たので、才能があるとは微塵も思えない。あとそもそも、色々と気が付くのが遅すぎるわ。

ただまぁ、漫画家になるために頑張る!とかそういう話でもないので、これからも、コツコツ描き続けて、絵もうまくなれたらそれに越したことはないと言う話。

「G」描き終わった後だって、まだまだ先が長い「RD」があって、その後にも「FE」も「マリオネット」もあって、最長の物語「やみ。世界」が待ち構えてる。

これ全部描き終わった頃には、人並みには絵も描けるようになってると信じたい。

一つ気になるのは、これがアナログ環境じゃないと言う事で、うまくなってるのはPCを使った作画作業のような気がすることだけど・・・それはそれとして、まぁ今は今でお絵描きを楽しみます。

やっと少しだけ、頭の中の情景を絵にすることの楽しさが分かってきた気がするので。

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2021年1月17日 1:50 CAT :

「おっぱいを描く」と言う名のリハビリテーション

twitterの方では、ちらっと触れたけど、9月に「虐殺の恋文」を描いて以来、4カ月ぶりに短編を一つ描き上げる事が出来ました。

なんか、「オレは100%自己満足だけでマンガを描いてる」とかずっと思い込んでたけど、ここ最近のモチベーションは完全に誰かに読んでもらえてると言う部分に尽きる感じがしております。

その上ホント一言でもコメントとか頂ける。と言う事にたいして、本当にもう・・・どうしようもなくモチベーションが上がっておりますよ。おっさんは。

お陰様で、ここ数年、近年稀にみるなかなかのペースで色んなものを作りだしてる感じがする。

まぁ、そんなこんなで今年1発目の短編。

出来れば、年に数本は短編を書き続けたい。

短編って、長編と比べると構成とかで色々頭使うんだけど、やっぱり描くの楽しいんだよね。

その上、読んでいただけてコメントいただけたりした日には・・・って、もうしつこいな。

さてさて。

結構前からどうしても読んでみたいマンガがあった。

「さくらの唄」って言う、古いマンガなんだけど、それがたまたま全巻手に入った。

こんなマンガね。

性描写と暴力描写がまぁまぁ多めなので、最終巻はR18指定を受けているそうで・・・(その最終巻が、プレミアも付いてなかなか手に入らないので、ずっと探してたんだよ)やっと読むことが出来たと言う感じ。

読んでみた結果、とてつもない衝撃を受けた。

それに合わせて、尋常じゃない創作意欲が湧いてくると言うか、衝動に突き動かされた。

もうこれは、実際手に取って読んだ人にしか分からないかもしれないけど、この漫画凄い心を揺さぶられるんだよ。まぢで。

個人的に、性描写とかをマンガではあんまり描かない。

なんて言うか、オレみたいなもんが、性描写を描こうなんておこがましいみたいな良く分からない気持ちが強くて・・・

ただその反面、この世の中にあるほぼ全ての事象は結局のところ性衝動に由来すると思ってたりもするんだよね。

(その辺の事を最近ぶちまけたこんな記事も書いたりもした ⇒ 「愛とか何かその辺の色んなものを取り戻せ」)

だから、歌詞であったり小説であったりでは、そう言う物語もたくさん描いてる。

単純に絵にすることに抵抗があったんだよ。ホント絵に対しては尋常じゃないコンプレックスがあるもので。あと、チョッと苦い思い出もあったりして・・・(この辺の詳細は、後で書くかもしれない・・・)

でも、「さくらの唄」を読んでそんな気持ちが全部吹き飛んだ。

描きたいものを全力で描くべきなんだ。みたいな良く分からない決意が、体の中から沸々と湧き出てくる実に不思議な感じ。

別に誰かに頼まれて描いてる訳じゃあない。

別にお金をもらって描いてる訳じゃあない。

頭をよぎったのは、これまで考えた中で、個人的に最も美しい情景を描写できたと思っているひとつの物語だった。

8年ほど前に製作したアルバム「王道軽傷」に収録した1曲の歌詞になった「おもちゃはおもちゃばこへ」と言う物語。

今、オレが描きたいと思う全ての衝動がこの物語にはあるように思った。

この物語は、性描写も残酷描写もある程度必須で、だからこそ、これまでずっと敬遠してきた。

でも、今なら描ける気がする。

そう思って、「さくらの唄」を読み終わってからホント1時間くらいで一気にネームを描き上げた。

年明けてからは「Gの世界」描いてる合間に時間を見つけて、コツコツを作画作業を進めてきた。

(↑)みたいな理由もあるので、作画は本当に時間かかってしまったんだよ。

多分、「G」1ページ分の労力で、1コマ描きあがるくらいの感じ。

ネームから換算すれば1ヶ月弱ほど。

やっと、完成しましたよ。

へっぽこなりに、今描ける一番きれいな絵で描けたとは思う。

久々に、本当にちゃんと原稿を描いたような気がしている。

出来上がった後は、いつもみたいに紙に印刷して、何度も何度も読み直した。

間違いなく面白いと思う。

あまりにも嬉しくて、部屋の中をグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグル回りながら読み直してたので、目が回ってチョッと胃液が上がってきた。

本当に面白いと思う。

いや、これは面白いじゃねえか。

オレが自分で思うところの、日本人にとって最も美しく感じる情景として心の奥そこにある「もののあはれ」をこれでもかと表現できたと言う感じだ。

好き嫌いはあるだろうから、受け付けない人は本当に受け付けないと思う。

別にそれは気にしない。

オレにとって最も素敵なラブストーリーになったと思うんだ。

人生において、最も美しいと思う物語がある。

小説で言うのであれば、江戸川乱歩の「蟲」(もしくは「芋虫」)。

マンガで言うのであれば、日野日出志先生の「臓六の奇病」(もしくは「白い世界」)。

音楽で言うのであれば、筋肉少女帯の「サボテンとバントライン」(もしくは、犬神サアカス團の「サーカスの人魚」)。

この辺りになるんだろうか。

あまりにも美しすぎる、その目くるめく情景に、オレも本当に少しだけでも近づけたなら、これ以上嬉しい事はないんだけどな。

今回は、一生懸命絵を描いたからと言うか、ページ数が少ないからと言うか、扉絵もカラーで描いてみまして・・・

こんな感じ。

乳首の色塗ってる時とか、これまで感じた事のない不思議な気持ちになったもんだ。

思ってたよりちゃんと描けた気がするんだけどなぁ~

いやぁ、年明けから実に面白かったと思う。まぢで。まぢで。

来週からは、またこれまで通り、「G」の続きを描いていくけど、なんか少しだけ大人になれたような気がするんだ。あたい。

学生時代。

一度、全裸の女を漫画に出そうとして挑戦したことを思い出す。

「Marionette」と言うマンガで、prot1と言う人口生命体の少女が、ユニオンと言う会社のラームアイと言う人から逃亡してくるところ。

研究所から全裸で逃げてきて、主人公の唯の前で倒れ込んだシーンだ。

いまでも、めっちゃ覚えてる。

その絵を描いてるとき、(なんにでもムラムラする思春期真っただ中だったけど)自分の絵になんか興奮してオナニーしたんだよな。

してる最中は「オレはついに、自分の絵でオナニーできるようになった」と、良く分からない嬉しさがあったけど、逝ったあとの賢者タイムに、物凄く悲しくて、情けなくなった。

あれ以来だよ。

あれ以来、漫画で性描写を描くのに抵抗が出てきたんだよ。

今回、この短編を描くことで、そのトラウマは払拭できたような気がする。

そうか。

これ、無意識のリハビリだったんだな。

さすがに今回は自分の絵でオナニーしなかったけど、リハビリだったんだ(思春期真っただ中と、嫁も子どももいるおっさんを同一線上に置くのもどうかとは思うけれども)。

まぁ、そんな感じで、今は、完成品読みながら最終の微調整してる。

多分、来週頭月曜日に「G」の定期更新と同じタイミング位でアップできるはず。

チラッとでも見ていただければ、何よりでございます。

コメントでも・・・いや、何でもないです。

今回については、なんか「ここまで読んでいただいて、ありがとうございました」と言いたくなりました。

それでは、皆様。

おやすみなさい。

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2021年1月10日 22:23 CAT :

ガガーリン臓と間宮林蔵の関連性を探る論文

「G」の世界も、佳境になってきたので、プロットをまとめてた。

最終話までの大筋の流れを全部書き出した。

自分で言うのモノなんだけど、めっちゃくちゃ面白いと思うんだよな。

この感覚、usの最終章を描いてる時に思ってたのと同じ感じだ。

コツコツと積み上げてきた伏線とか諸々を全部吐き出して、世界観をメッチャインフレさせると言う瞬間の快感は、やっぱりやめられないよね。

ただ、書き出してみると、かなり膨大な量あった。

これを全部描いて、キレイに完結させるって、後1年くらいかかるんじゃね?とか・・・

面白いと言う自身だけは物凄く持ってるんだけども。

さてさて。

と言う事で、ここ最近スケジュールでも書いて、中二病的に悦に浸ります。

不愉快な人は、ごめんなさい。

体は大人、頭脳は子どもなんです。

ごめんなさい。

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2021年1月6日 23:08 CAT :

捕まってないだけの詐欺師

こんな面白い記事を見つけた(詳細はクリック)

12年前のはなし。

この超コツコツ日記、内容は置いておいて、取り合えず、若かった志茂田さんは「まんこ」と言う言葉を、本文からタイトルまでゲシュタルト崩壊するくらいの勢いで使いまくってた。

その結果が、こんな素敵な状態だったと言う事らしい。

で、それはそれとして、この時代を比べて、今はキーワードとかもアナリティクスさんとサーチコンソールさんを連動させて、こねくり回さないと分からないめんどうな時代になってしまいました。

別に調べようと思えば、調べられるんだけど、面倒くさいので、今回は、2020年の年間人気記事ランキングトップ10を、チョッと所感とかも付けて、書き出してみようと思った次第でございます。

何となく、新年っぽいからいいかなと思ったのと、これを参考に、今後のブログ運営をしていこうとみたいな、ユーザーフレンドリーな感覚もあったりなかったりなかったりなかったりしております。

この記事がなんか、ブログは初めてから17年。2700件目の記事らしく。それもそれとして、記念になるかなとかね。そんな事も思ったりしたわけですよ。

と言う事で、早速、2700件の記事の中で2020年アクセス数トップ10を書き出していく。

 

 

第10位 2020年3月7日更新 ティッシュ品薄への対抗策がオナ禁しか思いつかない生活

去年の3~4月頃って、転売糞野郎が社会に物凄く迷惑をかけてたんだよね。

そのせいでティッシュが品薄になってしまってたと言う・・・

ただ、この記事自体はほとんどその事には触れてないみたいだけれども・・・

 

 

第9位 2020年1月6日更新 明けましておめでとうございます~サムネで釣られろエロ男2020

ただただホントにサムネにつられたんでしょうね。世の中エロ男が多いと言う事か。

内容なんて、皆無の記事だし。

 

 

第8位 2020年2月28日更新 洗面器いっぱいに溜まった悪夢のようなあたしの命の中に切り落とされた乳首が浮かぶ

これは何でだろう?

ただ、ここで転売糞野郎をメッチャ批判した上で、「ティッシュとか生活必需品に手を出したら殺す!」みたいなことを書いててて、しばらくしたら本当にそうなったから、その関係かな?

 

 

第7位 2016年3月10日更新 何しとんじゃい!!コラ!!(「コラ」は「コインランドリー」の略)

これこそ何でだろう?

5年くらい前の記事。

しかも、内容は、近所のコインランドリーで変なおっさんを見たと言うだけの話。

何でなんだろう・・・

 

 

第6位 2020年9月1日更新 いつか死ぬとしても今はまだ死ぬ時ではないかもしれないかもしれない

ネット上でマンガをアップしてる「新都社」さんで、初めてhotitem(コメント数トップ3)に入った事を喜んだ奴だ。

これはきっと、新都社さんでオレのマンガを読んでくれているありがたい方のお陰なんだろう。

多分。

オレも、めっちゃ嬉しかったし。

 

 

第5位 2008年3月1日更新 24人の堤さやか

今回のランキングで一番古い記事。

これは多分あれだよね。

「堤さやか」の検索出来た人だよね。

「堤さやか」と「桃井望」は大好きなAV女優さんでした。

 

 

第4位 2020年9月19日更新 夢想の中で生きるセルロイドを舐めたげる~加勢大周もびっくり~

カラーイラストとかの話を描いたからなのか・・・加勢大周の検索から来たのか・・・

ただ、加勢大周の検索で来た人には申し訳ないけど、本文とは関係ないんだよ。

これは、ストロベリーソングオーケストラと言うバンドさんの曲を聴きながら記事を書いてて、その時に流れてた曲の歌詞だ。多分ね。

 

 

第3位 2017年9月13日更新 ちんこに真珠を入れてみた

「冷たい熱帯魚」「凶悪」と言うクソ素晴らしい2本の映画についてのレビュー。

これは、完全にこの2つの映画で検索した人だよな。

この記事は、この2つの映画についてしっかり感想書いてるので、がっかりしたとしたら、その人とは仲良くなれないと言うだけの話だ。

 

 

第2位 2016年1月8日更新 作画監督・原画は菖蒲隆彦

「伊達巻」が食べたくて、焼いたと言う記事。

何でこれが・・・な気もしないでもないけど、伊達巻の作り方を調べてる人が行きついたのか・・・

もしくは、「菖蒲隆彦」さんの名前での検索だったのか・・・

ちなみに「菖蒲隆彦 だてまき」だと、この記事が検索1位になるらしい。

 

 

そして、栄えある第1位は、なんと2位にトリプルスコア。

圧倒的アクセス数で1位。

 

 

それは・・・・

 

 

第1位 2016年2月11日更新 フロリダバスと言う幻のロマンを僕はいつまでも求め続ける【糸井重里のバス釣りナンバーワン】より

「糸井重里のバス釣りナンバーワン」ってゲームにめっちゃはまってた頃の記事だ。

その中でも、最も連れにくい「フロリダバス」を釣り上げるまでの愛と友情の日々を、感動的に記述したこの記事が圧倒的アクセス数で1位。

これはもう完全に、バス釣りナンバーワンのプレイヤーさんが、攻略のために探してるよな。

間違いなく。

実際、「バス釣りナンバーワン フロリダバス」で検索1位にこの記事が出てくるし。

ちなみにフロリダバス釣りあげた時の画像。

 

 

とまぁ、そんな感じですよ。

今回書き出してみて分かった事は、基本的に、このブログは、タイトル詐欺ということか。

昔から「無修正」とか「まんこ」で引っ掛けてたけど、今でも、言葉こそ違えども、結局は固有名詞で検索した人を騙してアクセス数を稼いでる詐欺ブログと言う事でございます。

そもそも、アフィリエイトしてるわけでもないので、アクセス数を稼ぐ必要1ミリもないんだけど・・・そこはどうなんだろう。

愉快犯と言う事か。

そんな感じ、今日のところは、さようなら。

けっこう時間かかったんだよ。

さて、これが今後のブログ運営に何か役に立つのか・・・

 

 

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2021年1月5日 21:41 CAT :

つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしオナニーにふけりけり2021

「一年の計は元旦にあり」と言う言葉がある。

取り合えず、今年の計は立てられないままに、仕事始めになってしまったようですな。

まぁ、それはそれとしてしょうがないか。

毎日ブログ書くって、言葉では簡単だけども、実行するとなると難しい。

取り合えず、先日と同様に、ここ数日の事を少しずつ・・・

 

 

年末年始、ほとんどテレビを見てない。

今年は、ずっと息子と「ペーパーマリオRPG」をクリアしてた。

こんな年越しは初めてだ。これでいいのか。2021年。

 

 

今年のお正月は、数年ぶりにホントにお仕事に追われることなく、チョッとまったりすることが出来た。

で、嫁とゆっくりお話とかもした。

これからどうなりたいのか。と言うお話。

今の現状に対して思いの他、満足している。自分の子どもの頃想像していた未来をはるかにぶち超えたとっても素敵な毎日。

取り合えず、嫁がクソあげまんだったことだけは間違いないらしい。

オレの人生のターニングポイントは、嫁と出会った時・・・らしい。

いや、多分、それは間違いない。

と言う事を、昔、記事でも描いてたらしい → 揚げたまんこ

 

 

2度目の緊急事態宣言が本当に出るのか・・・

もうその前に、コロナ自体を5種指定にしてしまえよ!とも思わないでもない。

でも、まだ色々イヤな話も聞こえてきたりするし、そう簡単な話でもないんだろうな。

「また今年もコロナの季節か。ワクチン打っておこう」位のテンションになる事を切に祈る。

 

 

10年以上前の自分のブログを何となく読み返してた。

なんかギラギラしてたんだな。と。

読む分には面白いんだけど、今もう一度あの頃のような文章はもう書けないな。角が取れたおっちゃんになってしまった。

そして、その当時一緒にブログやってたブロガーさんは、その全てが行方不明になってしまっているらしい。

yuuaさんとか、タキオさんとか、今もこの空の下で元気にしてくれているんだろうか。

 

 

今年の年始は、例年になくゆっくり家族と過ごすことが出来たので、お金には糸目をつけずに子どもたちのやりたい事を好きだけやらせてあげた。

結果的には、軽い旅行行ったくらいのお金が吹っ飛んでいったけど、まぁ、そんなお正月があっても良いよね。

何だか、今年の3ヶ日はすごく楽しかった。

コロナが無ければ、もっと思いっきり色んな所に出かけられたのに、チョッと無念。恨むはコロナ。

 

 

一家に一台ではなく、もう一人に一台の時代になったみたいで。

息子はDS持ってたんだけど、娘も欲しがったのでDSを買ってあげた。

2人で対戦とかしてめっちゃ遊んでる。

オレが子どもの頃なんて、ゲームボーイのちっちゃい画面を皆でのぞき込んで見ながら、代わりばんこでゲームやってたのに。

んで、DSLLって、まぁ、画面でかくてびっくり。

 

 

先日更新したブログのサムネの画像。

この乳首まで見えそうな角度・・・物凄く好きだわ。

適当に引っ張ってきた画像なのにな。

 

 

年末年始にかけて、過去に書いたイラストをカラーにしてた。

主に「G」の絵なんだけども。

あと2話くらい描いたら、多分、また少し描きための時期に入る。

その後には、遂に、一番描きたかった「Gゲーム」シリーズだ。

そしてその後には、元ネタとは全く違う「G」完全版ともいうべきラストがあるんだよ。

2021年中に「G」を完結させるんだ。

以前書いた、黒川さんの緊縛イラストを着色。最後の良心でブラはつけておきました。

一番エロいと思ってる、子宮のあたりが実に良い感じに 濡れた 塗れたと思う。

物語の根幹となる「Gレポート」も塗ってみた。

これが、こまごましてて思った以上に時間かかったんだよ。

顔の部分塗ってるときは、ノリノリだったんだけどな。

 

 

それ関係で、また描きための時期に合わせて、短編を考えている。

今度は、「おもちゃはおもちゃ箱へ」と言う話だ。

今、ネーム作ってるけど、どう考えてもR18になりそう。

だとしたら、吹っ切れて、クソエロくしてやろうかとか、色々考えてる感じ。

 

 

アニメを色々見倒してた。

「NHKにようこそ」「MONSTER」「ヒカルの碁」「暗殺教室」辺りを全話見た。

相変わらず、最終話の最後の最後は見ていないけれども。

「NHKにようこそ」はマンガよりアニメ版の方が個人的に好き。最終話で「赤ちゃん人間」が流れるとこは何度見ても鳥肌が立つ。

「MONSTER」は本当によくできたストーリー。浦沢直樹はどんだけ天才なんだろうな。

「ヒカルの碁」今見ても、めっちゃ面白い。王道の展開と言うヤツの素晴らしさだよな。囲碁なのに、最後まで面白かった。アニメを見て改めて、北斗杯はやっぱり無くてもよかったんじゃないかと思う。なので、伏線になる伊角さんの中国留学のくだりもなくても良いか。

「暗殺教室」は、漫画版読んだ時も、殺せんせー殺すシーンでウルウルしてたけど、アニメ版の方がヤバかった。見始めた頃は、殺せんせーの声に違和感あったけど、後半は、この声以外ありえないように感じてきて、殺される直前の名前呼ぶシーンでは、涙が止まらなかった。

素晴らしいアニメをたくさん見る事が出来たよ。

アマプラで「進撃の巨人」が全話見られることが分かったので、これからそれを見る予定。

あと、「鬼滅の刃」も見ようかと。

そして、「チェンソーマン」がアニメ化らしいので、物凄く期待しております。

 

 

そんな感じで、まぁ、今年は結構やらないといけないことが目白押しではあるんだけど、のんびり頑張っていきますよ。

はい。

と言う事でもう一度。

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2021年1月1日 20:58 CAT :

明けましておめでとうございます~サムネで釣られろエロ男2021

2020年は、コロナでしたな。

なんか、もう本当にコロナだった。

何にもしないまま1年終わってしまった感が強い。

いや、日々は当たり前に続いている。

ずっと何らかの形で、日々は続いている。

でも、こんなに記憶に残らなかった1年が過去にあったんだろうか・・・

取り合えず、2021年は、記憶に残る1年になるように。

そんな気持ちを込めて・・・

毎年恒例のやつですな。

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