- 2023年9月25日 12:55 CAT :
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過去の自分を見つめ直すと言う名の水増しシリーズ第1段「青い月の夜~その1」
このブログを書き始めて20年が経つ。
そうなんだよ。あの頃って懐かしいなぁ~とか思ってる「ひとときの暗がり」の頃と、このブログを始めたころって、ほぼ同時期なんだよ。
そして、今の形式になる以前のブログとか、たまに読み直したら改行とかが変な感じになっていたりする。
このまま放置していても良いんだけど、それはそれで嫌な気がしないでもない。
と言う事で、昔に書いたブログ記事の中で個人的に好きな奴を、今になってリバイバルすると言う
忙しい時の記事の水増し新しい試みをやってみようかと思った感じ。記念すべき第1回目は、10年ほど前に書いた「青い月の夜」と言う記事に決めた。
「ひとときの暗がり」は高校時代のノンフィクションなんだけど、この話は、それよりも以前。
中学時代、言ってみれば当時やっていたバンド「シータ」の前身「ピンポンバンド」結成時のお話。
なんだけど、その形を借りた懺悔なんだ。
昨日の記事の通り、当時のオレは本当にどうしようもない最低人間だった。
そんなオレが、今でも後悔しているお話でございます。
前置きが長くなってしまったな・・・もともとの話自体もクッソ長いので、4日に分けて投稿していこうと思うので、良ければお付き合いくださいませ。
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音楽の始まりの話をしよう。
と言えば、単純に親に勧められて、幼稚園前から、ピアノを習ってましたが、小学生くらいで、意味を見いだせずに辞めてしまいました。
終わり。なのかもしれない。
その後、中学生に入り、バンドを始めるにあたって改めて同じ先生にピアノを教えてもらうようになる。
取り合えず、オレが弾いてるピアノに関しては、ほぼ100%この時期の技術だけで補っている。
その後、成長などはしていない。
一番バンド活動を頑張っていた高校の頃の方が、圧倒的に鍵盤を弾く技術は高い。
ただまぁ今回はそう言う話ではなく、自主的に音楽と言うものをやりたいと思った初めの話をしようと。
それは、きっと、中学3年の時の話になる。
当時、卓球部に所属しつつ、自分の事を天才だと信じて疑わなかった(逆を言えば、それ以外のほぼ全ての人を見下していた)オレには、友達と呼べる人間などほぼ皆無だった。
それは、友人に恵まれてなかったとは思わない。
「なんでこいつらはこんなにバカなんだろう」と見下し、常に斜に構える俗にいう「中二病末期」の状態。
オレでも、あの頃のオレとは、友達にはなりたくない。
それでも割と気の良い卓球部のやつらは、最低だと思いつつも、礼儀上の最低限の付き合い位はしてくれてた。
・・・と思う。
それ以外にあと一人付き合ってくれている奴がいた。
そいつは登校拒否をしていて、基本的に学校に来ることはない。
一応ここではH君としておこう。
オレは、そのH君とクラスが同じだった。
今はもうきっかけはすっかり忘れてしまったけど、なぜかオレはこのH君の家にまで行って学校に引っ張ってくる役割を先生から与えられていた(元々、友達だからと言う理由だったような気もするけど。)。
「登校拒否してるようなヤツを相手にしてやってる良いヤツ」と言う、糞みたいな偽善のためだけにやってたような気がして、本当に当時のオレをぶん殴りたくて仕方がない。
でも、そんな事実があったりした。
H君に会う事があったら当時の話に花を咲かせながら、一言謝罪したいと思いつつ、一度も会えずにこの歳まで来てしまった。
まぁ、長くなったけど、前置きとしてはこんな感じだと思う。
と言うか、前置きだけでアホみたいに長くなってしまったので、本編は明日からしっかり書いて行きます。
次回を待て!
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