2012年4月30日 0:52 CAT :
       

あまりのショックによる失禁と生理中の血でブレンドされたオレンジジュースがこぼれている

「もののけ姫」を見た。

なんじゃ?あの素晴らしく面白い物語は?
何か、この話を見ると、これ以前の話は全て、この話を作るために存在してたんじゃないかと感じてしまう。

そして、これ以降の話は、書くものがなくなった上で、惰性で作られてんじゃないかと感じてしまう。

それくらい、突出して面白かった。

オレも、このくらいの話が書ければ・・・とか、あまりにも無茶な妄想にかき立てられている最中でございます。

さてさて。

今日は、朝から、嫁とお弁当を作って(オレは、おにぎりを握っただけだけど)、ピクニックに出かけた。

場所は、オレの大学時代の思い出の場所「門入ダム」。

オレは、大学時代、何かあると、このダムの出ぱった変な場所で昼寝をしてた。

んで、よく、ブーと夜中にここにきては、朝までどうでもいい話を語り合った・・・{ような気がする)
嫁と初めて一緒に花見に来たのもここだった。

そんな思い出の場所に、結婚した今になって、2人で作ったお弁当を持ってピクニックに来たわけだ。

何だか知らんけど、それはちょっと感慨深い。

こんな生活って・・・実は、世に言う「リア充」なんじゃないのか?とか思ってしまった。

そもそも、ネット上で「非リア充」とか、声高に言う奴に限って、ネット上でのお友達はたんまりいたり、それ所か、オフ会すらも開催してたりすると言う、ただの「ネットを通じた知り合いが多いだけのリア充」なんだけれども、オレはそんな事はない。

ネット上でも、友達が出来ない。

そして、現実の世界でも友達が出来ない。

と言うか、増えない。

まぢで。

(まぁ、必要ないと思ってるオレも悪いのかも知れないけれども・・・)
だから、オレこそが、本当の意味での「非リア充」だと思ってた。

でも、今日なんか、ゴールデンウィークに、お弁当とか持ってピクニックに行ったりしてる。

これじゃあ、ネット上で、何だかよく分からないいつでも切れるような関係を増殖させて、「いいね」ボタンを押すことや、リプライの強迫観念に迫られて、結局、実社会並に周りに気を使ってるよく分からない人たちに、「リア充」がとか、言われてしまうじゃないか・・・・

ただ、そんな今だからこそ、ちょっぴり思う。

ネットでのつながりを否定はしない。

けれども、そんなところでつながり作る暇があったら、リアルの世界で、つながり作る方がよっぽど大切なんだろう。

例えば、ある日、すべてのインフラが突然死亡したとしたとき、ネットの向こうにいた顔も知らないフォロワーはきっと助けてくれない。

リアルの世界でのほとんど知らない隣人の方が心強い。

どんなにその関係が拙くても・・・それが、もっと強い絆だとしたら。

いま社会に溢れている、金もうけのための「絆」じゃあなくてな。

「友達申請」や「フォロー」がなければ、どうしようもないと思うかもしれないけれども、そんなものなくても、ただ、顔合わせた時に、あいさつでもしておけば、それだけで、実は、十分だと言うことに気が付くべきだと思う。

今日、素敵な幟を見つけた。

「誰とでも あいさつすれば お友達」
と書いていた。

この標語の最後に「創価学会」とか「幸福の科学」と言う、一言が付け加えられるだけで、尋常じゃなく距離を置きたくなる。

そんな魔法の言葉だね。

つまりは、そう言うことなんだよ。

ジョニー。

何だかよく分かんなくなってきたけれども、つまりは、ピクニック楽しかったよと言う話です。

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