- 2013年1月4日 23:06 CAT :
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切なさ漂う橋の下で僕は君と手を繋いでた
何か、テレビでスゲエ面白い番組してた。
【古代文明ミステリー たけしの 新・世界七不思議】ってヤツ。
これ、なんだかんだ言いながらほぼ毎年見てたような気がする。
(年末に超常現象みて、年始に世界七不思議見て、たけしばっかりじゃねぇ~かとか、毎年言ってる気がする・・・)
ん。最後の一つが、カルナック神殿か・・・まぁ、納得。
それより、アテン信仰がモーゼとつながって、ユダヤ教の元になったって説が面白かった。
吉村教授に速攻で否定されてたけれども、こう言うとんでもな説が大好きだ。
こんなのが好きだから、大学の時に、教授からほぼ破門同然にゼミをやめることになったんだけれども・・・まぁ、好きなものはしょうがない。
さてさて。
そんなこんなで、今日は、チョッと歴史の思い出でも・・・
大学では、考古学を専攻していた。
(関係ないけれども、今の韓国がやっている歴史詐称がムカついてしょうがないのは、歴史が好きで、歴史を勉強し、そして、歴史を研究してきた先人の皆様方を尊敬してやまないからかも知れないなぁ~とか思ったりもする。
)
そもそもなぜ、こんなにも歴史が大好きになってしまったのかは分からない。けれども、とにかく大学で専門的に勉強するほどになっていた。
実際に発掘現場で働いていたこともある。
あの時、オレが担当していたのは弥生時代の住居跡だったけれども、そこのかまど跡から、獣骨を発見したとき、そして、その住居から管玉を発見したとき、あの感動は今でも忘れることはできない。
幼い頃から、歴史的な話が大好きだった。
ただ、今と決定的に違うことがって、あの頃は、ただただ恐怖の対象でしかなかった。
なぜか、マチュ・ピチュとピラミッドが大好きだったけれども、例えば、ピラミッドの製作過程などを妄想すると、もう怖くて怖くて夜も眠られなくなった。
糸井重里の徳川埋蔵金とか見ても、その夜は怖くて怖くて眠られなくなった。
歴史というものは、数え切れない先人の皆様方の営みを紐解いていく行為なわけで、例えば、前述の住居跡だって、2000年くらい前には、そこで住んでいた人の営みの痕跡だったりする。
そして、その時々で、生きていた人間の感情や息遣いを、実にありありと感じることができる方法こそ、考古学だったように思っている。
土器の破片一つとってみても、その裏側に手の形のあとがあれば、どんな気持ちでどうやって、何千年前のご先祖様がこの土器を作ったのか、かなり現実に近い妄想に耽ることができる。
だからこそ、子どもの頃はそれが怖かったのだろう。
自分の命と言うものが、その数え切れない命の上に立脚してかろうじて生かされていると言う現実の重さが、怖かったのだろう。
それをよりリアルに知ることができる歴史的なお話や事柄、建造物に対して、恐怖で夜眠られなくなりながらも、それでも、興味を持っていたのだろう。
それは、恐怖ではなく、畏怖だったのかも知れない。
その気持ちは、今、そのまま、恐怖ではなく、感謝と尊敬の念となっているのだと思う。
連綿と続くその歴史という重みを再び恐怖として感じる日が来た時、きっと、オレは死んでしまうのだろう。
覚え、忘れ、そして思い出す連鎖の時間。
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