- 2013年9月11日 23:34 CAT :
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いつかその星が見えるその日まで
中学生の頃、オレは、おたふく風邪にかかった。
小さい頃にかかってなかったらしく(おたふく風邪は、大人になるほど重病化するらしい)連日40度の熱が出ると言う結構大変な思いをした。
しかも、その間にオレの金玉はみるみる大きく腫れて言った。
でも、お年頃で恥ずかしいオレは、その事を誰にも言わずに隠すという愚挙に走り、その結果、病院に行った時には、金玉の機能がかなり低下してしまっていた。
なんでも、オナニーするようになってからのおたふく風邪では、生殖器にウイルスが入り込む事があり、最悪の場合、生殖機能がなくなってしまうらしい。
生殖機能が死に絶えはしなかったオレはまぁ、不幸中の幸いだったのかも知れない。
その時、いっしょに居たおかんが「先生、将来子どもを作る時とか不利になるんでしょうか?」と医者に聞くと、「そうですね。
確率は低くなりますね」と答えた。
この先一生童貞だと信じて疑わなかったその当時、オレは、別にそんな事関係ないやと言い聞かせながら、密かにショックを受けたりしてた。
所が、もっと大きくなり、彼女が出来、その彼女が嫁になった辺りで、この時の事をふつふつと思いだしていた自分が居た。
「子どもが出来なくても2人で入れたら良いよ」と言ってくれた嫁に対して、子どもが出来なければ、完全にオレのせいだと言う罪悪感がなかった訳じゃあない。
でも、幸いにも子どもが出来た。
元気で丸々と成長してくれている。
紆余曲折を得ながらも、この子はオレをお父さんにしてくれたらしい。
そんな子どもを胸に抱きながら一冊の本を読んだ。
その本の話について…ただ、若干グロ話なうえにネタばれを含むので、「続き」に書いておこう。
気になるヤツだけ、続きを読んでもらえれば良いです。
スマホ、ケータイで見てるヤツがもしいたら、知った事ではないです。
読んだ本は、少し前に話題になった漫画。「ジョージ秋山」氏の「アシュラ」だ。
この漫画、ご存知の方も多いかと思うけれども、「カニバリズム」。
人肉食が物語の根幹にある為、まだ比較的表現に規制のなかった70年代においてさえ、掲載していた少年マガジン(マガジンで連載してたと言うのもすごいけど)自体が有害図書認定されると言う、かなりセンセーショナルな作品だったりする。
物語は、平安時代。
飢饉の中、食べるものがなくなった女が、お腹の中の赤ちゃんの為に、人を殺し、その肉を食べるところから始まる。
女は、赤ちゃんを産むため、そして、産み落とした後はおっぱいをあげるため、人を殺し、そして野たれ死んでいる死体を食べ続ける。
しかし、死体すらも食べつくし、食べ物がなくなった母親は、失意の中で、最後に食べられるものとして、自分の子どもを火にくべる。
大火傷を負いながら、命を長らえたこの赤ちゃんこそが、この物語の主人公「アシュラ」なのだ。
と、冒頭部分から、あまりにも重い。
そして、物語の至る所で繰り返される「生まれてこなければ良かった」と言う言葉。
「アシュラ」は物語の中で、一人の乞食法師と出逢う。
乞食法師は「良い事をすれば、死んだあとは極楽に行けるが、悪い事をすれば、地獄に行く」と説くが、それに対して「この世がすでに何よりも辛い地獄だ。
生まれてこなければ良かった」と考えるアシュラをはじめとする子どもたち。
口々に、なぜ産んだのか?と親を呪い、時代を呪い、それでも、生きて行くしかない地獄を呪う。
物語は、いくつもの家族や若い男女の生活を通して展開していく。
しかし、その全てが最終的に、飢餓に向かい、そして、どんな優しい人や穏やかな人でさえも、人肉にむさぼりつこうとする。
ある父親は、子どもと母親を。
若い女性は、誰とも分からない死体の肉を。
子どもは、「アシュラ」に殺された兄弟の肉を。
物語自体は、諸事情あって未完で終わっている。
最後まで、何の救いもない物語だ。
この物語を通して、作者が「生きる」と言う事、「命を授かった」と言う事の意義を読者に問いたかったのはおそらく間違いないだろうと思う。
人間として生きていくために、人間を食べる。
自分の子どもを産むために、他人を食べる。
なぜ、人肉食でなければならなかったのか。
おそらく、今の社会で、生きて行くと言う事が、命を頂いている事だと言う事が物凄く薄味になっているからなんだろう。
自分の命が、数限りない命を搾取したうえで成り立っている事があまりにも隠されてしまっている。
だからこそ、食べる対象を人間にする事で、その部分をより強調する狙いがあったように感じている。
餓死寸前の母親は、父親と子どもに「今はもう、あなたの体となって生きるだけが望みです。
」と言い、そして、その母親を殺して、父親と子どもは食べる。
スーパーに切り身として並べられる家畜が、こんな事を考えていると言うのは、何とも、都合のいいエゴイズムでしかないにしても、少なくとも、その命が支えとなって今日を生き延びた事だけは、如何ともしがたい事実だったりする。
そして、最大のテーマである「生まれてこなければ良かった」と言う言葉。
物語が未完で終わっている以上、何とも言い難いけれども、おそらく作者は、アシュラが、この言葉をひっくり返すまでを描きたかったのだと思う。
事実、オレも「生まれてこなければ良かった」と思った時だってあった。
でも、今、こうして生き抜いた結果、今の日々がどうであれ、ともかく「生まれてきた事」には感謝しか感じていない。
生まれてこなければ、嫁と出逢う事も出来なかったし、もちろん、子どもにも出逢えなかった。
あいつも、そいつにも出逢えないし、あれも、これも経験出来なかった。
それが今になれば分かる。
母親に、焼かれ食われかけたアシュラが、何を感じ、この心持になっていくのか、今となっては、推測するしかないけれども、少なくとも、この軌跡を辿っていく物語だったのだろう。
今思う、ささやかな願いは、自分の娘にも、同じように思うようになってほしいと言う事位か・・・
おそらく、「生まれてこなければ良かった」と思う夜もあるだろうし、「何で生まれてきちゃったんだろう」と思い悩む夜もあると思う。
でも、最終的に、「良かった」と少しでも思ってくれれば、それでもう良いように思う。
「アシュラ」を、ただの残虐でグロい漫画で片づけないで欲しい。
生きて行くと言う事を、これほど分かりやすく描いている物語もそうそう無いように思う。
生きて行くと言う事は、残虐な事。
そんな中で、思い悩みながらも、いつの日か「生まれ来なければ良かった」と言う言葉をひっくり返す時間を迎える。
それが生きて行くと言う事なんだろうて。
これが正解とは思わない。
でも、もう何年も同じような事を考え続けて、そんな本ばかり読んで、そんな物語ばかり書き続けた今、ぼんやりとなぞる輪郭は、こんなもんらしい。
これから10年。
さらに10年と生きる事が出来るのであれば、また答えも変わってくるだろう。
ただ、今はこれが精一杯。
未読の方は、是非一度。
読んで見て欲しい漫画だよ。
「ジョージ秋山」氏の「アシュラ」。
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