2014年4月7日 22:21 CAT :
       

瞳しか書かない本宮先生とさいとう先生

明兄さんのブログにちょっと素敵なコトバを見つけた。

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作品のコンセプトに変化があった時期を、アンチは「迷走」というよね?でも信者は「新境地」というんだ。

いつもと変わらぬクオリティを提供すれば信者は「ブレてない」というけど、アンチは「マンネリ」という。

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きっと、犬神サアカス團はこんな言葉にさらされ続けてきたんだと思う。

そんな中で、常にファン(と言うか、信者)の想像の斜め上をいく作品を作り続けてきたんだと思うと、ホント尊敬する。

ただまぁ、個人的には、犬神サアカス團だろうが、犬神サーカス団だろうが、犬神サーカス団!だろうが、コンセプトに変化があった時期も、いつもと同じクオリティだった時期もなかったように思ってる。

「いぬがみさーかすだん」と言うものがそこにあっただけ。

でも、それが何よりすごいことだと思うんだよなぁ~
さてさて。

佐村河内と言う凄い人が居た。

と言う話を、今更だけど、少しだけ振り返ってみた。

何か、いいともが終わる位まで、この世の中には、「ゴーストライター」と言う言葉が溢れていたような気がしてならないけれども・・・さて、この「ゴーストライター」って、そんなダメな事だったんだろうか・・・?
オレが音楽を始めたのは、中学生の頃。

(まぁ、ピアノ自体は、4歳位から習ってたけれども。)
その頃、初めて曲を書いてみたオレは、音楽について色々と勉強し、んで、メロディーラインを採譜していく過程で、「なんてめんどくさいんだ。」としか思わなくなってた。

世の中の、ミュージシャンは本当に、こう言う音符に落とし込んだりとかしてるのか?実は、こう言うのは、絶対音感とかを持ってる人が、やってくれるんじゃないのか?といつも思ってた。

そして、そんな友達(と言うか、そもそもまともに友達もいなかったけれども)が居ないオレは、自分でやっていくしかない因果な星の元に生まれたんだと思ってた。

さて。

では、「ゴーストライター」とは、どの時点から非難されるものなんだろうか・・・

サザンの桑田は、ギターをかき鳴らして適当英語で付けたメロディーラインを、原坊に採譜してもらっているって聞いた事がある。

マイケルさんも、確か似たようなものだったように記憶している。

でも、彼らの作品をゴーストライターが書いた何て言う人はいない。

オレの尊敬する筋肉少女帯のオーケン自身が良くエッセイとかで語っている有名なエピソードに「サボテンとバントライン」。

これに至っては、オーケンは、基本的に、メロディーラインではなく、曲自体の(と言うか頭の中にある妄想)を延々語っただけで、シングル化が決定したと言う。

そのあと、メロディーを口ずさんで、それをメンバーにコードに落としてもらったとか・・・

でも、「サボテンとバントライン」はオーケン作曲の名曲として、今も、キンショーの歴史に燦然と輝いている。

思うに、佐村河内と言う人が問題だったのは、ゴーストライターの部分ではないように思う。

あのおっさんが問題だったのは、舐めきった傲慢で粗暴な態度と、耳が聞こえないと言う嘘だったように思う。

もし彼が、最初から、オーケンみたいに「楽器も弾けないし楽譜も読めないミュージシャンです。」と開き直った上で、「曲のイメージを適当に紙に書いて伝えて、後はメロディーを口ずさんだら、新垣とか言う人が曲にしてくれたんだよね。

それが、この『HIROSHIMA』です。

あと、耳に異常はないです。」ってぶっちゃけてれば、今も、「HIROSHIMA」は、佐村河内作曲の名曲オーケストラとして、誰もが、褒め称えていたかもしれない。

と言うか、そうなっていたと思う。

あんな嘘なんて付かなければ、誰も不幸にならなかったのに。

そして、この佐村河内と言う人の為に、「メロディーラインをコードに落とし、採譜する」までが「作曲をする。」となってしまった感じがある。

これじゃあ、ここ最近のオレの曲は、全部作曲してるわけじゃあなくなるじゃあないか。

ここ最近は、適当に口ずさんだメロディーに合わせたコード進行を歌詞の上に書いて終わり。

(ゲッカヨとかの、あんまりメジャーじゃない曲の表記みたいな状態。)編曲も、適当に弾いてるだけだし。

採譜なんて以ての外。

たまに、サビのメロディーラインをギターソロに組み込んだりするとき位しか、やらない。

たまには、ちゃんと楽譜とか書こうかな。

高校時代くらいまでは、ちゃんと楽譜に書いてたんだけどな~
あっちょんぶりけ。

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