2015年6月22日 15:41 CAT :
       

飽き足りないんだな 次は何が欲しい

自分で言うのもなんだけど、どちらかと言えば「坊ちゃん育ち」だったと思う。

それが関係あるのかどうかは知らないけれども、小学生のころ、第一人称は「ぼく」だった。

別にそれは良いんだよ。

今では、「オレ」になってるんだけど、この「オレ」になるまでには、実に紆余曲折があった。

・・・と言うお話。

小学生も中学年になってくると、そろそろ「ぼく」と言うのも少々恥ずかしくなってくる。

嫌な級友たちは、自分の事を「ぼく」と言うオレに対して「おぼっちゃん」とか言いながら、遠巻きにニヤニヤしてた。

なんとかしなければ・・・

でも、オレには、小さい頃、すでに「オレ」と言ってた従兄弟のマネをして「オレ」と言う言葉を使い、親に「オレなんて言わないで、ぼくって言いなさい」と言われてきた記憶がある。

そう簡単に「オレ」に変えるのは難しかった。

きっと、また親に「オレなんて言わないで、ぼくって言いなさい」って言われるに決まってるからな。

でも、もう「ぼく」と言う事で、学校で馬鹿にさせるのは嫌だった。

悶々と考えた。

何とかしなければ・・・

何とかしなければ・・・

何とかしなければ・・・

何とかしなければ・・・

何とかしなければ・・・

何とかしなければ・・・

そして、ふと気がつく。

親の言ってた「オレなんて言わないで、ぼくって言いなさい」と言うのは、「オレ」と言う言葉が、悪そうでいけないだけであって、「ぼく」と言う言葉を使わなければいけないと言う意味ではないはずだ。

そうに違いない。

とね。

つまり、「オレ」のように悪そうではなく、「ぼく」みたいに馬鹿にされない自分の呼び方を探して、それを使えば、問題ないじゃあないか。

「オレ」と言う言葉を使いたい訳じゃあない。

そう決意したオレは、新しい第一人称を選定した。

「オレ」は悪そうでダメ、「私」は女が使うもんだから、きっとより馬鹿にされる、「ワシ」はなんか偉そうな気がする・・・

などなど・・・

1週間近く悩み倒して、決めた新しい第一人称は・・・

「わて」
だった。

翌日、何だったか忘れてしまったが、朝の会で、「志茂田くんはどうするの?」と先生に聞かれた。

オレは今しかない!!と決意し、「ぼくは」と言う所を「わては」と言った。

あの時のクラスの空気は今でも忘れる事は出来ない。

特に、横にいた女子の「まぢかよ・・・」的な視線。

そして、話し終わって座った時、オレに聞こえるか聞こえないかの小声でつぶやいた「わてって・・・・」の言葉。

それでもオレはへこたれなかった。

確かにチョッと珍しいけど、きっとなれれば自然になるはずだ。

と。

それからも「わて」を使い続けた。

不思議なもので、そうなると、それはそれで有りのような変な感じになってきた。

その年の終わり、2学期の終業式の日に、「わてって・・・」とつぶやいた隣の女子から「【わて】の住所教えてよ。」(この頃には、さげすみの意味も含めてオレは【わて】と呼ばれるようになっていた。)と言われた。

良く分からないけど、有頂天になって(女子に話しかけられることなんて、皆無に近い日々だったので)嬉々として住所を教えた。

年明けて正月。

その女子から、年賀状が届いた。

オレが小学生の間で、唯一1枚だけ女子から貰った年賀状。

その後、調子に乗ったオレは、1年以上もの間「わて」と言う言葉を使い続けた。

けれども、学年が変わり、クラスが変わると、ただの変人以下の扱いを受けるようになり、そして、オレは紆余曲折があり、遂に「オレ」と言う言葉を使うようになるんだけどね。

(その話は、またいつかどこかで・・・)
先日、実家のオレが使ってたベッドを片づけしてたら、ベッドの下の引き出しの中から、その年賀状が出てきた。

大切にとってたみたいだ。

それを見て、この「わて」の話を思い出し、非常に恥ずかしくなったので、その年賀状はその他大勢のいらないものと一緒に処分した。

まぁ、そんな話をふとね。

思い出しただけなんだよ。

でも、これ、黒歴史かと言われてば・・・意外とオレの中ではそうでも無かったりするんだよね。

色々あったんだよ。

小学生の6年間って。

結婚して、6年が経ちました。

同じ期間を過ごした・・・だよ・・・

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