- 2008年3月13日 23:02 CAT :
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不文律のわだかまり
テレビで「知的障害者」の高校受験みたいな事を特集していた。
知的障害のある人は、普通に高校には入れないのでしょうか?・・・と言うもの。
その子は重度の知的障害で中学までは、付きっ切りの養護の先生がいる普通の学校に通っていたとか・・・
あの手の番組を見ていると、凄く気分が悪くなる。
普通に生活したいと言うのが本人の要望(それが事実かどうかは置いといて)だとすれば、必死で受験勉強して、それでも希望の所へ行けるとは限らない。
高校以降は義務教育じゃなくて、学力を試される場所であることが一点。
付きっ切りの先生がいた学校が普通で、その体制の取れていない高校側が悪いかのような、学校側の都合を無視したお涙頂戴な構成が一点。
付きっ切りの教員を1人って事は、例えば、その教員の年収が300万円だとすれば、その金額分を学校側、若しくは、地方自治体、ひいてはその地区の住民に負担させていると言う観点、その子1人のために振り回される周りの子どもにだって負担を強いていると言う観点。
この2つをコレまで、周りの圧倒的な善意で賄われてきた訳で、それが出来ない分で、周りを非難するのはおかしいと思う。
この手の番組を見ていると「普通の生活って何だろう?」と言う事を考える。
ほぼ100%「障害があっても普通の生活を・・・」と言う言葉が出てくる。
オレには、「普通の生活」ってのが分からない。
みんなと同じ学校へ行って、みんなと同じように勉強して、みんなと同じように学校の行事に参加して、みんなと同じように笑い会って、みんなと同じように恋愛をして、みんなと同じように喧嘩すれば「普通の生活」なんだとすれば、オレだって、コレまで「普通の生活」なんてして来てはいない。
それを障害があるとか、障害がないとかで論議するのは絶対におかしい。
その話は、もっと別の所に論点がある。
「障害のある子どもにも普通の生活を」って活動しているほとんどの人間は偽善で、今回の番組も偽善の塊のような番組だった。
本当に「普通」を求めるんなら、勉強が出来なくて、周りに迷惑をかけていた子どもは高校に進学できない。
ってのも多分普通。
少なくともオレの周りでは普通。
それを、もう少し考えていないと、やっぱり話を聞くだけで気分が悪くなる。
オレは障害があろうとも、なかろうとも、性格的に嫌いなヤツは嫌い。
一緒にいて楽しいヤツなら、障害とかそんなの関係なく好き。
何か、それが普通の付き合い方だと思う。
・・・ダメかな?
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