2008年10月4日 5:47 CAT :
       

山月記から学ぶ戦え!!何を!?人生を!!

小説なんか大嫌いなオレ様様。

そんな中で、江戸川乱歩と大槻ケンヂ(吉本ばななが入るかどうかは検討中)以外で、それでもかなり好きなのが、中島敦の「山月記」か。

高校の時の教科書で初めて見かけた。

国語の教科書に載ってる小説なんか、きっとくだらない。

夏目漱石なんか何にも心に響かない。

読むのがメンド臭いだけだ。

レオ=レオニ作谷川俊太郎訳じゃなきゃ読む気がしない。

そう思ってたのに・・・この「山月記」はどこまでも心に楔を打ち込んでしまった。

秀才と言われながらも、その才能を試す事が恐ろしく、自尊心だけを抱えていた李徴は、その飼い肥らせた自尊心のために虎に姿を変えてしまう。

当時、オレ自身秀才だとは思わないけれども、物語を作るのが好きで、調子に乗って他のヤツより出来ると思いつつも、それを評価されたくないから、人前にさらけ出すことを極端に避けていた。

この話の李徴がどうしたって他人事には思えなかった。

で・・・マァ、この本をきっかけに、考えた物語を脚本にしたり、マンガを人に見せたりと自分の作るものを人前に出すようになったような気がする。

けれども、オレはその一部の人達で止まってしまって、その人達にしか作品を見せなくなっていった・・・結局は、世界を広げるって事は、凄く力のいる事で、あわよくば現状で満足してしまうオレにはなかなか成長なんてものは望むべくもなかったわけだ。

停滞と堕落を感じた時に、オレはこの本を読んで気分を変えるようにしてる。

それは今でも時々繰り返している事で、そうしないとすぐにオレは駄目になってしまう。

駄目になってしまうって言うのは、自分的に嫌になってしまう状態の事だから、意外とニュアンスの違いがそれぞれにあるかと思うけれども、とにかく自分で納得できない状況の時。

この物語の一説。

「人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短い」
李徴が言い放ったこの言葉・・・

何も人生で区切る必要なんてない。

コレは1日でも当てはまると思う。

日がな1日、何にもしないで過ごすのは余りにも長く、辛いけれども、やりたい事を見つけた時には、眠る事が惜しくなるくらいに短い。

今、幸いにも1日が短いけれども、これを長く感じる時がくる事がどうにも怖い。

最終的にはそういう話ですよ。

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