- 2007年9月6日 19:02 CAT :
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さすらいの余興
久々に手紙を書いた。
(言っても一昨日位だけど)オレが手紙を書くなんて、嫁の誕生日の時以来。
恩着せがましく言うのならば、滅多に無いことなんだからありがたく思えってヤツです。
その中で、随分と久しぶりにマンガっぽい絵柄を描いた。
最近はトンと描かなくなった絵柄。
その手紙に一昨年描き上げた「クワニータ」ってマンガのコピーが入れるにあたって、そのマンガの表紙用に新しくクワニータとシェルドゥの2人を描いたんだけど・・・何か知らんけどうまく描けてしまった。
絵を描く事を諦めてから随分と経つ。
がむしゃらに描いてたあの頃には到達できなかった感じの絵が少しだけだけど描けた気がして嬉しかった。
嫁の分析によると、理由は2つ。
1つは肩の力が抜けてきたこと。
もう1つは人間を見るようになったこと。
・・・らしい。
前者について。
自分に才能があるはずだと妄信、才能があるのだから、思い通りの絵が描けないはずは無い。
と強く思い込んで、それに見合った絵を必死に必死に描いてた。
それが今じゃあ、才能なんて欠片もあったもんじゃないのだから、描けなくて当然位の気持ちに開き直って楽しんで絵を描くようになったこと・・・
後者について。
例えば「冨樫義博」のような絵柄。
例えば「荒木飛呂彦」のような絵柄。
例えば「岩明均」のような絵柄。
例えば「沙村広明」のような絵柄。
を描きたくて、そのマンガの絵を模写した所で、それはあくまでも、実際にあるものをを見て自分の絵柄にデフォルメしたものをパクッタだけの劣化コピーでしかない。
大切なのは、人を見る事。
風景を見る事。
だったらしい。
引きこもりで人見知りなオレに決定的に欠けていたのは、人を見ることだったらしい。
気が付けば、そのどちらも出来るようになってたのだとしたら、それこそ棚ボタってもんだ。
人生で初めて大好きな人が出来て、その人をただただ見つめていたら、いつの間にか人の顔、体をリアルにイメージ出来るようになってたらしい。
ただひとつ問題は、女の裸とかを描く時にゃあ、どうしてもそれが嫁の裸とそっくりになってしまう事。
あんまり気にしてなかったんだけど、本人に指摘されて見てみると、なるほど確かに・・・
と言うわけで、裸を描くのは最近自主規制してます。
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