2015年10月5日 22:40 CAT :
       

ヤルッツェ ブラッキン

自分の中で消化できないと言う良く分からない理由で、つらつらと書いてみる。

先日読んだ、web小説「茜の悲劇」についての感想などを。

今更感満載でお送りいたします。

ちなみに、ネタばれに分類されると思うので、今後読む予定の未読の方は、読まないでね。

あと、グロネタ苦手な方も。

まぁ、別に読んでも良いけれども。

と言う事で、先日読了致しましたweb小説「茜の悲劇」について。

読み終わった瞬間には、凄く胸糞悪い気分になった(その辺については、【げろしゃぶ】の記事を参照で)訳だけれども、時間が経つにつれて「これは詰らない話だな」と思うようになった。

そもそも、内容がない。ただただ、一人の女が拷問を受けて殺されるだけの話なんだから、面白いとかそんな事を期待する方が間違いだと思う。それは置いておいて、理由は大まかに分けると3つある。

ひとつは、「拷問=処刑」ではない。と言う点。

オレは拷問ってものに凄く興味がある。それについて書いた本も、コンビニ本から専門書まで多々読んできた。

拷問の話ならこの小説は多分面白かった。でも、この話に出てくるのは「拷問」じゃないんだ。どちらかと言えば「虐殺」なんだよ。「処刑」なんだよ。

「拷問」とは、あくまでも苦痛を与える事で何らかのメリットを受け取る事を指すのであって、「殺害」を目的にはしていない。むしろ、殺してしまってはそれは「拷問」として成り立たない。

この大前提がそもそもない。作中でも「殺す事が目的」と、はっきり書いてしまってる。つまりは、この登場人物たちは「拷問が好き」と言いながら、その実、全く拷問なんかしてない。

全編を通して拷問のなんたるかが1ミクロンも出てこない。

だから「ファラリスの雄牛」は拷問じゃねえんだよ。と言う話。

てっきり拷問の話かと思ってワクワクしながら読んだら、いじめ殺すだけの虐殺の話だったから胸糞悪かったと言うのが、多分一番正直なところなんだと思う。

拷問なのに、精神的な攻撃が「殺される恐怖」でしかないと言うのもイマイチ。

拷問とは「如何に、取り返しのつかない事になる」様に感じさせる事が出来るかと言う、お互いの心理的な駆け引きがメインだと思う。

それなのに、「何をしたって殺される」って話になると、この心理的な部分が「恐怖⇒諦め」しかないので、物語がずいぶんと薄っぺらなんだよね。

各登場人物のバックボーンとかとは別で。

そして、もうひとつの問題点。「性的な興奮が皆無」なこと。

拷問出なかったとしても、この部分があればまだ、サディスティックな感じで面白く読めたと思う。

この物語の主人公は「茜」と言う女・・・だけれども、これが全く女でなければいけない描写がない。別に、おっさんでも展開的に問題ないんだよ。

女としての凌辱とかがもっとあればドキドキするだろうけど、乳首とかしょっぱなの鞭の段階で吹き飛んで無くなってるし、「出し入れには興味がない」とか言っちゃうし・・・ホント、女である必要がないんだよね。

女をボロボロにする事に快感を感じているのであれば、女の部分をもう少し描写しても良かったんではないかと。

そして、最後にして一番の問題が「リアリティがあまりにもない」と言う事。

いやね。「絶対に気絶する事が出来ない薬」とか「キチガイになずに痛みを感じ続ける薬」とか「打つだけで体力を回復する薬」とか・・・何だろう・・・ゲームとかのやり過ぎか?エロゲー的なノリか?

こんなものがあるから、拷問だろうが、虐殺だろうが、めちゃくちゃやり放題。だって、何をやったって感覚が狂う事もないし、気絶する事もないんだから。しかも、それで力尽きたら、打つだけで体力を回復する薬を打って「ハイ元気になった~」って・・・それは、ないでしょ。

そんな感じだから、痛みの描写も「筆舌に尽くしがたい痛み」しかなくなってくる。

前半はまだ、リアリティもあったから痛みの描写も色々あったけど、後半になるに従って、何をしても「筆舌に尽くしがたい痛みを耐えた」と言う表現ばっかりになってくる。

だって、その痛みを感じる状況にリアリティーが無さすぎるんだもん。

例えば、腸を巻き取りする拷問がある。

でも、この拷問の見どころは痛み以上に、自分の内臓が目の前で巻き取られていくことで「このまま死んでしまったらどうしよう・・・」という絶望感にある訳で、決して殺すために内臓を巻き取ってる訳じゃあない。(実際、巻き取りの過程で殺してしまったとしても。)

体の中の内臓のほぼ全てを取り出した後に、肺をつぶしていく痛み。と言われても、それについて描写するのは、ものすごく難しいと思う。

リアリティが無いってのは、現実味が無いってのとは違うと思う。

現実味がなくても、如何に読者にその状況や気持ちを描写させる事でリアリティーを持たせるかが、作品作りの上では重要な訳で、それが全て「筆舌に尽くしがたい痛み」だけでは、リアリティーが無くなってしまう。

「二重の極み」なんて現実味無さ過ぎるけど、何となく出来そうでみんな練習したはずなんだよ。

と、まぁ、ツラツラと書いてまいりましたが、それはそれとして、ちゃんと初志貫徹でぶれずにしっかり殺しきるところなどは、なかなか読みごたえがあったんじゃないだろうかと思う。

あとは、自分でその時の茜の心情を脳内補完する事で、実に不愉快なお話に昇華させる事が出来るのではないでしょうかね。

何しか、一度は読んでみると、新しい世界が開けるかもしれないよ。

ジェフリー・マーダーとか、アルバート・フィッシュ的な方向で。

何となく、変な話になったのでこの前撮影したコスモスの写真でも貼っておこう。

151005aaaaaaaaaaaaa

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