- 2023年8月30日 12:01 CAT :
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女王のする都に至る行程~後編~
前回までのあらすじ!
そんなこんなで、頭のおかしい大好きな美容師さんに説明された「ANYAチャンネル」を見ての感想をば。
ただ、途中経過バージョンであり、まだ最後まで見ていないと言う点はご了承いただいて。
続きを書く。
前日の引きに使った「学生時代、教授に言われた「この類の説明の仕方をしている本はダメだ」と言われた説明の仕方のオンパレード」についての説明していこう。
要は自分の説を正当化するために、客観的視点を無視した主観的で都合の良い解釈と説明に終始している感じ。
例えば、邪馬台国においていつの時代も最大の論点となっている「魏志倭人伝」における邪馬台国へと至る行程についてに記述。
南、投馬国に至る水行二十日
南、邪馬台国に至る、女王の都する所、水行十日陸行一月この部分の解釈。
ここについては、まず投馬国の説明は、魏志倭人伝の方が間違いで、本当は「至於」と書かれていたはず。
「於」とは、投馬国の場合はと言う意味で、本来の邪馬台国への行程とは関係ないので無視する。
邪馬台国への行程は「南に船で10日行ったあと、東に30日」と読むべきで、「南に30日行く」と言う事ではない。と。
これが果たして「曲解歪解なし」と言えるのだろうか・・・
九州説の場合には、一般的に「魏志倭人伝」の記述の日数に誤りがある。
つまり、南に船で1日、歩いて3日ほどで、吉野ケ里遺跡付近。
畿内説の場合には、一般的に方角に誤りがある。
つまり、東に海で1日、歩いて30日ほどで、纏向遺跡付近。
と、それぞれに言われている。
その解釈については「曲解歪解をしている」と説明した上で、自説を「曲解歪解一切なし」と言ってる。
でも個人的には、「魏志倭人伝の方が間違いで、本当は「至於」と書かれていたはず」と言う解釈も、距離や方角の記述間違いと大差ないように感じてしまうんだよね。
まぁ、要所にそう言う個所が本当に散見される訳ですよ。
オレが、教授に「そういう書き方はするな!」とか「こういう説明の仕方をしたものを読むな!」とか、言われていた事ばっかりなんだよ。
その観点から言うと、このチャンネル運営の方はきっと、ちゃんとした学者さんではないのかもしれない。
いや、まぁ別に学者さんじゃなくてもいいんだけども。
大学の頃、オレの無茶苦茶を受け入れて色々助けてくれた大恩人の石野博信先生も邪馬台国が阿波にあった可能性について示唆してるけど、その本の方がよっぽど納得できるんだよね。
いや、随分マニアックな内容になってしまったな。
本当はここから、オレ個人の説とかも書いて行こうかと思ったけど、2日に渡ってツラツラ書いてしまったし、今回はここまでにしよう。
またその話は機会があれば。
取り合えず、このチャンネルの話は最後まで見てみる。
最後まで見ないで批判するのはフェアじゃないから。
何となくこの感想は変わらないような気がするけども。
ちなみにオレは、香川県こそ邪馬台国があった場所だと思っております。
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