2025年10月3日 12:12 CAT :
       

あの頃の話を振り返る愚行を犯し続ける別にひとときでもなかった暗がり~その35

少しペースを上げて更新していきますよぉ!

年内に20話まではアップしたいんだ。

と言う気持ちと、ここ最近1話の文字数が限界突破の6000文字を超えているので、これを週刊ペースとかで更新するのは読んでもらう側にも負担なのでは・・・と言う気持ちがせめぎ合っております。

小分けにするか?

そもそも、年内にアップしたいというのはただのオレのエゴでしかないしな・・・みたいな感じですわ。

と言う事で、来るべきその日まで少しでも多くの人を繋ぎ止めておきたいと言う邪な心意気で今日も今日とて書いていきますよぉ!

その前に一応、リンク張っておこう(↑)。

頑張って書いてるので読んでください。平に!平に!

さてさて。

第41話 高校2年生(10)「see through」

こちらの話ですな。

タクヤの元ネタのやつ曰く「シータの代表曲」だと言われている「see thruogh」。

個人的にはそれもどうなんだろうと思ったりはするんだけど、まぁ、それはそれとして、代表曲だそうです。

思い入れがあるかと言われるとそうでも無くて、どっちかと言うと、もう少し後に出てくる「アイ」と言う曲とか「悲色」って曲の方がよっぽど思い入れは強いんだけどな。

もしくは、小説のタイトルにも使ってる「ひとときの暗がり」とか、あと「ふーふー」とかこの辺りなどなど・・・

この辺の曲の話については、多分第3部に入ってからチョコチョコ出てくる予定でございます。

閑話休題。

本編にあったように「see thruogh」の歌詞は当時の心情が随分と反映されいたみたい。

と言う事については、今回のこの小説を書いていて気が付いたもので、この曲を作った当時は全く1ミリもそんな事考えてもなかった。

小説を書いていく過程で、こんな気持ちだったなぁ~と言う事を回顧していく中で、「って事は、see thruoghの歌詞とか、そのころの気持ちそのまんまじゃん。」と気が付いた感じでございます。

結局ね、創作物って言うものは、その時のその人の心情が反映されるものなんだよ。

あれ?こんな話を、先日、甘納豆先生とのラジオでも話してたような気がするんだけど・・・

まぁ良いか。

最期に今回のお礼絵をば。

若気の至りでは済まされない漆黒の遺物をまだまだたくさん所有しておりますよ。

自分だけでなく、他の人の黒歴史さえも嬉々として公開していくスタイル。

この辺りが削除されることになったら、察してくださいな。

それでは。

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