2011年1月25日 0:20 CAT :
       

マンガの墓場

実は、数週間前から、原稿に向かって少しずつマンガを描き始めている。

1年位前から、構想を膨らませ続けてきた「夜誘う麦藁帽子」と言うお話。

この話の最後のつめの部分のイメージソースを膨らませるために、アートの街倉敷へと、嫁と2人旅に出たりもした。

結局、あの街には、そんな心ときめく作品なんてほとんど無かった。

(むしろ、最近見た、オレが幼稚園の頃の描いた絵のほうが圧倒的に心がときめいたし)
ただ、ひとつ。

思いっきり、美観地区から外れた所にある「蟲文庫」と言う古本屋にだけはやられた。

とにかく、素晴らしくいい感じの古本屋なので、ぜひぜひ興味ある奴は行ってみたらいいと思う。

んで、その本屋で一冊の本を買った。

マンガ同人誌「走馬燈」。

昨今の糞マンガの固まりな同人誌じゃなくて、ガロの系譜を受け継いでいる(様な気がする)本当の意味での同人誌。

昔ながらの同人誌。

立ち読みして、圧倒された。

この本を眺めていると、マンガって、こんなに自由に楽しんで、自分の世界を表現できるものなんだと、ヒシヒシと感じた。

こんな素晴らしい表現方法は、きっとこの世に無い。

パースとる事なんか、マンガを描く上で何の意味も成さない。

デッサンをとる事なんか、マンガを描く上で何の意味も成さない。

もちろん、もともと正確にパースを取ることも、狂わずデッサンを描くことも出来るのなら、それを表現のために存分に使うべきだと思う。

でも、パースを取れないからと、パースの勉強をするのは愚の骨頂だと思う。

そんな時間があれば、自分の中から、沸々と湧き出してくるどうしようもない衝動を形にする作業に没頭した方がよっぽど素晴らしい作品が作れる気がする。

この、「走馬燈」に収録されているマンガは、そうやって生み出された、どうしようもない(それでいて、圧倒的な)衝動の塊だった。

それは、まるで、ナゴム時代の筋肉少女帯。

今の時代に、こんな作品に出会えたことを喜びつつ、その日から、原稿用紙にペンを走らせ始めた。

下書きが終わり、今、ペン入れが半分ほど終わった所。

何のしがらみも無く、描きたいことを描きたいようにひたすら描き殴った27ページの作品。

「夜誘う麦藁帽子」。

素晴らしく良い作品が生まれつつある。

ただ、ここにきて、そんな事じゃあ、賞に投稿したりなんか出来ないことに気がついた。

でも、このまま描いていこう。

もう、マンガで、自分の妄想を表現できれば、もうそれで十分だ。

だから、Gペンを握る時間をくれよぉ~・・・

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