- 2011年8月31日 23:16 CAT :
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君のビラビラは塩漬けにしていただきましょう
小説も書きあげ、パソコンも新しくなった。
そうして、しばらくだけの何にもない時間を過ごしてみる。
だらだらとギター弾いたり、絵を描いたり、ボーっとする感じ。
先日、テレビでたかじんが言ってた。
「食べるから、排泄できるのであって、排泄だけをし続けることはできない」そうです。
しばらくは、食欲の時間だ。
そう言えば、「表現は所詮排泄だ。」って歌ってた人がいたな。
「運命複雑骨折」だったっけ?
さてさて。先日より、「ソニービーン一家」について、うなされる程に考え続けてる。
知らない人へ。
(↓)
ソニービーンについて(ウィキ)
考えてみれば、なぜか昔からカニバリズムだった。いちばん最初は、小学生の頃にさかのぼる。
当時、ドラクエの人形で遊んでいた時の話。
その頃は、人形を使って頭の中にある妄想を物語にして遊ぶことにはまってた。
そして、その話と言うのが、ドラクエの人形が旅の途中で、妹のリカちゃん人形を縛り上げて食べると言う、SMとカニバリズムの物語だった。
そんな事ばかりつぶやいてたオレを心配したおかんに、それから1年ほど、テレビゲームの時間やソフトに厳しい制限をつけられたのも、今となっては、いい思い出。
結局、何の意味もなかった言う意味で・・・
それからも、カニバリズムへの興味は薄れる事無く、生まれたばかりの弟の頭に噛みついて、泣かした事もある。
今でも、好きあらば嫁の肉を食い千切ろうとする。
物語もいくつも作った。
そのものズバリ、「カニバリズム・マゾヒスト」を筆頭に、「4千年王国」や「手のひら収集家の末路」「海の底とまぶたのない魚」、「さよなら人生のGood bye」などなど・・・
弟と、クリスマスイブの夜に「人食族」を見た事もあったような・・・
と、前置きが長くなったけど、とにかく、カニバリズムに尋常じゃない興味がある訳ですよ。
そこで、前述の「ソニービーン一家」だ。
そりゃあ、ウキウキもするって。
この話の中で、いちばん興味をひかれるのは、やっぱり何と言っても、ソニービーンの子どもたち。
ソニー・ビーン本人と嫁は、エドワード・ゴーリーの「おぞましい2人」(いつも号泣しながら読む物語だ。)みたいに、たまたまキチガイが一緒になっただけで良いと思う。
でも、子どもたちは?
その全てが、キチガイだったとは、どうしても思えない。つまりは、人間は、教育の方向性によっては、同じ仲間を食い殺すことを享受出来る生き物だった・・・と言う結論に行きつくしかなくなる。
例えば、オオカミに子どもの頃から、別のオオカミだけを殺すように調教したとしても、そのオオカミが野生に帰れば、多分、他の生き物を食べるようになると思う。
それが、多分本能というものだと思う。
だとしたら、人間は。
教育に方向性によっては、何のためらいもなく人間を食べ続ける人間は・・・殺しあうように、プログラムされた悲しい生き物なのかも知れない。
だから、はるか昔。
倫理観が成立する前には、凄惨な拷問が、エンターテイメントとして成り立っていたんだろう。
そして、今でも、拷問虐殺が世界各地で行われているんだろう。
そう考えた時、実は、本能として殺しあうようにプログラムされた人間と言う種が、無為に殺すだけの本能に、贖罪を兼ねたせめてもの反抗として具現化した行為。
それが、カニバリズムなのではないかと思えてくる。
つまり、無意識下で、無為に殺しあうと言う本能に反抗し、殺すことに意味を求めた結果、それが、食べると言う行為として具現化したと言う・・・
そんな事を考えながら、毎晩、瞳を閉じている。
そして、魘される。
始まりは、いつもそんな些細な話だったりする。
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