- 2014年8月4日 23:30 CAT :
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鳥と空と海
ドリフ世代からは、少々外れます。
全員集合世代ではありません。
でも、子どものころから、「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」を見て、「だいじょうぶだあ」を見て、「ドリフの大爆笑」を見て育ちました。
本来なら、「ごっつええ感じ」の世代なんだけど、親が「ダウンタウンは教育に悪い」と言う素敵な方針だったので、「ごっつええ感じ」を見た事が実は、ほとんどないんだよね。
でも、親父がドリフターズ大好きだったから、ドリフは見ても良かった。
(今思うと、ドリフも大概だと思うんだけど・・・)
そんなこんなで、加トちゃんの現状を見るのが辛いです。何か、体調不良とかでって言うなら、理解できるけど、あれは、どっちかと言うと、ゆるやかな公開老人虐待。
でしかないと思う。
悲しいことだ。
さてさて。
文章力ってのは、書かないと、読まないと、どんどん低下していくらしい。
基礎的な、国語力とかは、減ったりしないだろう・・・って思ってたんだけど、文字から離れてると、それさえも亡くなっていく見たい。
結構愕然とする。
自分で書いた文章を読んで、「なんだ?この小学生レベルの文章は?」と。
何か、学生時代、本を読みあさって、新聞を読みあさって、書き倒しまくって、文章力を身につけようとしたのに・・・あれはなんだったのやら・・・
でも、ふと思う。
この文章力が全くなくなってしまえば、最後に残るものは何なんだろうか?
娘が描いてる絵を見ると、それはそれは凄い。絵の技術なんてものは、まったくないのに、自分の感覚だけで書き倒してる。
目に見えたものを、思うがままに描いている絵。
あれに比べれば、デッサンとか、パースとかアホらしくなってくる。
(もともと、そんなものに興味ないけれども。)
文章にも、同じことが言えないだろうか。全く文章力がなくなってしまった後に残る文章。
それは、並大抵のことでは、書けないと思う。
でも、どうせ、文章力がなくなるんであれば、そこまで無くなれば良い。
亡くなってしまえば、そこに、凄い文章が並ぶんだろうて。
今は、言ってみれば、そこまで無くなるわけでもない、。
ただの詰まんない文章・・・。
こんなはずじゃあなかったのに。
絵で言うところのピカソがそれなんだろうね。
ただ違うのは、彼は、すべてを習得した上で、意図してそれを捨てた事。
知ってしまった今、それを捨てる為には、何を捨てるべきかを、すべて習得しなければいけないんだろうて。
そんな文章については、来世に期待する事にしよう。
無念はひとたび毎に起きやがる。
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