- 2014年8月9日 20:24 CAT :
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青い月の夜~後篇~
・・・昨日の続き。
誕生日の夜にこんな話を書くと言うのもなんと言うか、変な感じだけど。
30代に入っての一種の懺悔みたいなもんだ。
そう考えると、ちょうど良い。
と言う事にしておこう。
今日は、チョッと、切ないお話しです。
さてさて。
いきなりバンド解散の危機を迎えた、3人・・・からだったよね。
そこへ来て、考えた事は、「じゃあ、ベースのヤツ見つけてきたら良くね?」だった。
確かに、ギターが2本のバンドは良くあるわけだし、そもそも、そう言えば、ドラムと言うパートも必要だったからだ。
どちらにしても、メンバーの補充はしなければならなかった。
そこで、もう一度卓球部の面々を(T君も所詮、卓球部位しか友達が居なかった訳で・・・)説得がてらに誘ってみた。
前回とは違い、すでに、オレとT君が中心になって動く事が決まってて、「手伝ってくれるだけ」と言う、お気楽ポジションだった事もあって、じゃあやろうかと言うヤツが2人見つかって、しかも、その2人がベースとドラムで良いよ。
となり、あっさりとこの問題は解決した。
それどころか、そのベースのヤツが(こいつもT君なんだけど。)、結構、幼馴染とか多くて、「そいつがやるんなら、オレもやりたい。」と言うヤツがいきなり何人も増えた。
その結果、アホ見たいに、大所帯のバンドになってしまうんだけども・・・
友達の居なかったオレとしては、なんか(人の威光なのに)、オレのバンドに急に人が増えた=オレの事を認めるヤツが増えた=オレはやっぱり凄かった。
と言う、謎の中二病思考で、非常に悦に入っていた。
そして、改めて新しいメンバーも増えた事だし、もう一度、やりたい内容について、決める事に。
その中で、やはり、人前でやるのに、変なマニアックな曲はしたくない。
今、はやってる曲をやりたい。
という意見が多かった。
T君の意見として、以前に却下したヤツと同じような内容。
でも、オレは、せっかく増えた、まだ、友達ともいえない距離感の数人を失う事を恐れ、「それで行こう。
確かに、人前でマニアックな曲とかするなんて、オタクだよな。
オタクのH君は死ねばいいのに。」と決めてしまった。
(ちなみに、自分の意見は曲げずに、オリジナル曲を1曲やることは了承させた上で。)
しかも、(一応)創設メンバーのH君が登校拒否でいないその場で。「あいつは、所詮オレの思い通りになる。
また、ちょっと脅せば、嫌がってたあいつも折れるだろう。」と言う考えがあった。
ホント、クズの極みでしかないと思う。
オレだけど。
取りあえず、H君にはその説明をしに行った。
しかも、結構軽いノリで。
でも、反応は、予想外のものだった。
まず、そんな大人数で馴れ合いみたいにしたくない事。
そして、流行りものに乗っかって、売れてる曲やるとか恥ずかしくて絶対嫌だと言う事。
オレは、前と同じように脅しに脅した。
けれども、H君の態度は変わらなかった。
最後には、「じゃあ、もうお前とは、これまでやな。
これで、この家にもう来なくていいなら、スッキリするわ。」位の捨て台詞も言った気がする。
バンドの練習が始まった。
曲は、当時流行りにはやってたGLAYのHOWEVERになった。
それと同時に、オレは、自分で曲を書く事に、必死になってた。
H君は、前にも増して学校に来なくなった。
オレは、初めて人前で注目され、そして、生まれ変わるべく、日々悶々とよからぬことを考えながら過ごした。
H君のことなんて、もうあんまり頭の中になかったかも知れない。
たまに、メンバー間で、話題になり、ネタにされ、その度、オレもその輪の中で、彼を非難、罵倒し続ける。
そんな毎日だった。
学校の文化祭内でと言う、オレの初ライブは、まぁ、滞りなく終わり、オレは、自分の作った曲を何百人と言う人の前で披露することもできた。
初めて、自分の作ったものを人前に出した瞬間だった。
でも、何も変わらなかった。
バンドは、文化祭が終わったあと、解散し、そして、またオレは一人になった。
唯一変わったのは、もう、H君と会うことがなかった事だろう。
次にH君とあったのは、中学校の卒業式の時だった。
卒業式も終わり、特に何をするわけでもなかったオレは、何も書き込みのない真っ白は卒業アルバムを持って帰ろうとしてた。
自転車置き場で、H君と出逢い、彼は、そこで話しかけてきた。
半年・・・以上振りの会話だった。
H君は唐突に「お前といた時間が一番楽しかったです。」と言い、ぺこりと頭を下げた。
それに対して、オレは、周りの目(しかも、結構、オレもH君を罵倒してた関係上。)を気にしながら、メンド臭そうに「お前はホントうざかったよな。」とだけ返した。
彼は、苦笑いして「相変わらずやな」と言い去っていった。
それ以降、一度も会っていない。
今にして思えば、H君が、バンドをやると言ったのは、オレの脅しに屈服したわけじゃあなく、一緒に何かをする行為に意味を感じてくれていたのかも知れない。
今でも、時々、あの卒業式の時のことを思い出す。
音楽を始めた時の話をすると、決まって、この話を思い出す。
T君にとっては、「モテたかった」「目立ちたかった」と言う不純な動機があったのだろう。
オレにとっては、「自分が如何に天才かを知らしめたかった」と言う不純な動機があったのだろう。
でも、H君にとっては、もしかしたら一番不純じゃない動機があったのかもしれない。
だから、譲れなかったのだろうし、そして、あの卒業式につながっていくのかもかもしれない。
後半は、ほとんどオレの妄想だけれども、きっと、そんなに外れてないような気がする。
(もっとも、今、H君に出会って、その話をしたところで、苦笑いで否定するだろうけども。)
彼との思い出も、じつは結構ある。後日談も、ちょっとあったりする。
それについても、いずれ、ここで、書き連ねたい思うんだけれども、今回は、まぁ、ちょっとこの辺にしておきますです。
・・・少し、長々と昔語りをいたしました。
お付き合いいただき、ありがとうございました。
今日、31歳になりました。
・・・これでいいのだ。
・・・これでいいのか。
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