2014年9月24日 22:42 CAT :
       

ガルネリウスは関係ない。本文と関係ない。

いよいよ、待ちに待った筋肉少女帯さんのニューアルバムが、発売されそうになってる。

あまりにも、待ちきれないので、しょうがなく、チョッと前に出た「四半世紀」と言うセルフカバーアルバムを聴いてた。

このアルバム。

各時代から、満遍なく、しかも、チョッとマニア心をくすぐる感じで、選曲されていて、実に良い感じ。

しかも、90年代キンショーの曲に関しては、おそらく、キンショーファンなら誰もが一度は夢見た、エディーとフーミンの最高のアンサンブルで、当時の名曲が蘇ると言う凄いアルバムだ。

ただ、ひとつだけ残念な事がある。

オーケンの唄がうまくなってるんだよ。

オーケンが丸くなって、狂気がなくなってるんだよ。

それ自体は、すごく良い事。

実際に、「シーズン2」の「世界中のラブソングを君に」なんて、オーケンがこんな詞を書くようになったのか・・・と、訳の分からない感動すら覚えたんだから。

キンショーファン・・・と言うか、信者は、少なからず、オーケンをはじめとしたメンバーに自分の過去を投影してると思う。

オレの場合は、それがオーケンであって、自分の過去を投影し、共感してる人が、凄く幸せな唄を楽しそうに歌ってると、何だか、自分の過去も救われたような気がして、ウルっとするんだって。

だから、現在進行形のキンショーについては、この、本当の意味での「のほほん」とした、もう、顔のヒビも、血のりも、卒塔婆もあんまり似合わない、幸せ人生を歩む大人オーケンが歌う曲で良いと思う。

それを、皆望んでると思う。

でも、過去の曲は、意外とそうでもなかった。

過去の曲には、鬱屈したどうしようもないコンプレックスと閉塞感が漂ってたり、人間不信になりもがき苦んでたり、絶望の中で無理やりに希望を持とうとしたり・・・

そう言う、人生におけるその時々の狂気が、曲の中に、ない交ぜになって、完成してたんだと思う。

だから、今、「加奈、頭をよくしてあげる」を歌っても、当時の、絶望の中で、人間不信になり、もがき苦しみながらも、それでいて、見せる無理やりな優しさが、涙を誘う。

と言う、(おそらく)想定外の作用が、今回は、機能してない。

だから、今、「機械」を歌っても、当時、報われない天才達の悲しい苦悩を、自分の人生が報われない(と思い込んでた)まま終わってしまうと言う恐怖心がかき立てた、相乗効果が機能してない。

だから、今、「パノラマ島へ帰る」を歌っても、当時、どれだけ声を出して叫んでも、見向きもされなかった自分と言う存在に対する閉塞感が生み出す「誰も歌など聴いてはないし」にリアリティーが無い。

だって、皆聴いてるんだもん。

などなど・・・もちろん、曲としての完成度は圧倒的に高くなっているんだけど、それ以上の「何だかよく分からない何か」が圧倒的に不足してるように感じた。

気のせいかも知れない。

と思いつつ、次に「ナゴム全曲集」を聴いて見た。

演奏は、拙いし、音も汚いし、正直、単純な完成度で言うなら、きっと聴くに堪えない。

でも、そんなものを全て凌駕した、息苦しくなるような閉塞感と狂気がそこにはあった。

その後、空バカを聴いて、もっと凄まじい狂気と閉塞感を見てしまった。

ついでに、未だに、ナイロンの劇とか見ると、その閉塞感と狂気を味わう事が出来るので、多分、ケラさんは、今でも同じようにキチガイなんだと思う。

まぁ、そんなこんなで、少し、物足りなかった「四半世紀」から、更に1年。

今の筋肉少女帯が放つアルバム。

期待せずにはいられないよね。

筋肉少女帯に求めているのは、閉塞感でも、狂気でもない。

それは、昔の筋肉少女帯にあったと言うだけ。

オレは、ただ、あのおっさん達が、命がけで楽しくつむぎ出した音を聴きたい。

出来れば、今、現在進行形の。

そうして出来た「蔦Q」は、狂気など無くとも、「サーカス団。

パノラマ島へ帰る」や「レティクル座妄想」、「キラキラと輝くもの」に匹敵し得る名盤だったんだから。

発売まで、あと1週間とチョッとか・・・長いな・・・

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